地域連携の会~絆~ 質問へのお答え Q. ケアハウスなどで看取りを実践

地域連携の会~絆~
質問へのお答え
4 つのご質問をいただきました。ご質問に対するお答えになっているかどうか分かりません
が、回答させていただきます。上手くまとめられず、すっかり長文になってしまいました
ことをお詫びします。 (上勝町診療所
木下英孝)
Q. ケアハウスなどで看取りを実践する場合、どのようなことを考えて
いくべきか?
A. 上勝町では、養護老人ホームやケアハウスに入居している高齢者の状態が悪
くなったら、特別養護老人ホームに移ってショートステイ(長期、入所待ち)し
てもらい、看取りに至るケースがあります。3 つの施設がつながっているので、
ケアハウスで看取りまでの対応はしていません。突然に亡くなるケースはありま
す。
ケアハウスやグループホームは「自宅」に準じる住居だと思われるので、在宅医
療・介護での看取り対応が可能だと思います。あまり濃厚な医療や介護を提供す
る必要はないと考えます。施設で対応困難な苦痛症状(呼吸苦など)がみられた
り、濃厚な治療を希望される場合は、無理をせずに入院してもらいましょう。施
設で看取る方針となれば、
「苦痛症状の有無」を中心に観察して、
「苦痛がなけれ
ば良し」と考えます。苦痛があれば、緩和に努めます(医師や看護師に連絡)。
バイタルをあまり気にする必要はありませんが、高熱や頻脈は苦痛を伴っている
場合が多いので対応が必要でしょう。看取り介護は、声をかけて、体に触れて、
寄り添って、見守り、看取って差し上げる。それで良いと思います。
Q. 医療の中心は医師であり、医師の考え方も患者の未来を決定する。
医師への働きかけはどうしているか?
A. 医師も考え方を変えていかなければなりませんね。私は、県医師会報に「終末
期医療・延命治療」の話題を投稿したり、県国保診療施設地域医療学会で発表し
たり、海部病院勤務中は病院でも看取り医療を実践しながら、同僚医師達に理解
を得てきました。徳島赤十字病院に患者を紹介する際、回復困難な高齢の脳卒中
患者については「家族が延命治療を希望されない場合は、経管栄養を導入せず、
施設で受け入れて少量の点滴で看取ることができます」と伝えるようにしていま
す。
急性期病院は、入院期間を短縮させるため、退院できる状態にするために、経管
栄養を導入します。そうしなければ受け入れてくれる施設がないから(現時点で
は、ほとんどないでしょう)
。そこを変えなければ解決しません。回復の可能性が
ないなら、経管栄養を導入せずに看取る方針として、それを受け入れる場所が必
要です。三次医療機関は看取りの場所ではないので、自宅、施設、さらには二次
医療機関もその役割を担う必要があります。看取りの受け入れ場所が増えて、
「看
取り連携」がスムーズにできるようになれば、無益な延命治療を減らすことがで
きるはずです。
家族や施設職員から、医療者に対して「延命治療を望まない」との思いと、どこ
で看取るかを伝えることができれば、医療者の考えや方針も変えていくことがで
きます。
Q. 看取りのタイミングが到来している患者に対して、身内の方が延命
を求めるケースは、どのようにバランスをとるべきか?
A. 難しいケースが多いと思いますが、根幹は「日本人の倫理観」が問われる部分
だと感じています。欧米人は「自己決定、自己責任」が当たり前であり、日本人
は「高齢者の治療方針を家族が決める」が普通になっています。欧米人は、
「自分
だったらイヤ。だから家族に延命治療はしない。
」と言いますが、日本人は「自分
だったらイヤ。だけど親はできるだけ生きてほしい。」と言います。それは誰のた
めなのか。家族のエゴではないでしょうか。倫理の基本原則「己の欲せざるとこ
ろを他人に施すなかれ(論語)
」
「己の欲するところを他人に施せ(キリスト教)
」
という教えが理解されていないように感じます。
延命を望む家族の思いを批判はできませんが、本人の思いを一緒に精一杯想像す
ること、自分だったらどうして欲しいだろうか、親も自分と同じように思うので
は、と話し合うことが大切でしょう。それでも延命を希望する家族もいます。
「そ
れをしなければ死ぬのが分かっている。その決断を私にはできない。
」と言われま
す。残念ながら、それが多くの日本人の倫理観なのでしょう(だから「リビング
ウィル」が必要なのですね)
。でも、この倫理観は、時代とともに変わるものです。
変えていくことのできるものです。医療者、介護者、市民への啓発活動で、その
変化を加速させる必要があります。待っているだけでは、なかなか変わりません。
行政も含めて、それぞれの立場での取り組みが必要だと思います。
Q. 胃ろう造設された方が、何かを食べたいと言われた場合、病院を退
院するときには肺炎になるから絶対に食べさせない方が良いと言われ
る。食べさせて何かあったときに責任を問われる。どうすれば良いの
か?
A. 「肺炎にならないよう食べさせない」という考えは、安全を第一と考えている
のでしょう。もちろん、肺炎で苦しませたくないとの思いもあるのでしょう。し
かし、
「人生は安全第一ではない。人生は生きがい・幸せ第一である。」
「その人に
とって、食べることが生きがいなら、その生きがいを奪って良いはずがない。食
べることが最後の生きがい、唯一の生きがいかも知れない。
」と考えれば・・・。
本人が食べたがっているのなら、その自己決定を無視してはいけない、むしろ最
優先すべきでしょう。もちろん食べさせる際には、食べる姿勢、食べものの形状、
量、ペースなど、注意すべきことはたくさんあります。事前に、家族には十分に
説明して、納得してもらっておく必要もあります。
食べたい人に食べさせないことは「拷問」であり、食べたくない人に無理やり食
べさせることも「拷問」かも知れません。経管栄養も、本人の意思に関係なく注
入しているので「拷問」になっている場合が少なくないように感じられます。