魅惑のトルコ周遊9日間

魅惑のトルコ周遊9日間
2 トルコについて
三方を黒海、地中海そしてエーゲ
海が囲み、西はギリシャとブルガリ
ア、東はグルジア、アルメニア、イ
ラン、そして南はシリア、イラクと
国境を接している。面積は日本の二
倍近くあり、ロシアとイランを除き
近隣諸国及びヨーロッパのどの国よ
りも大きいと聞きビックリした。国
土の3%を占めるヨーロッパ側の地
方はトラキロ、97%を占めるアジア
側はアナトリアと呼ばれる。北部、
南部そして東部は高い山に囲まれて
1 まえがき
いて、4,000m級が三山あり、更に最高峰のアララト山は5,137
私が“トルコ”で思い浮かべるのは「トルコ風呂」
、
「♪飛
mもある。
んでイスタンブールーーー」そして「シシカバブー」程度で
カッパドキアの近くを流れる赤い川(クブル川)は黒海
あったが、大小のキノコ岩の奇岩が並ぶカッパドキアの風景
に注ぎ全長1,355㎞で信濃川の3.7倍もある。歴史上有名なチ
に興味を持ち、トルコ旅行を思い立った。総勢21人のツアー
グリス、ユーフラテス川もトルコを源にシリア・イラクを
であったがその三分の一に当る7人は昔同じ会社に勤務して
経由しペルシャ湾に注いでいる。東の外れにはヴァン湖が
いた仲間達であった。
あり、面積は3,713㎢と琵琶湖の5.5倍もある。
トルコ航空の直行便で成田より12時間掛かってイスタン
人口は約7,000万人で9割の人が公用語のトルコ語を話
ブールに到着。翌日市内見物の後夜行列車で首都アンカラ
す。最大都市はイスタンブールで約1,000万人、首都のアン
に移動。いよいよ40人乗りの大型バスでカッパドキアへ移
カラは約400万人住んでいる。近代政策によって政教分離さ
動し6日間各地を周遊する旅が始まった。
れ、宗教の自由が認められているが、国民の99%はイスラ
以下に各地の訪問印象記を綴る。皆さんも魅力のトルコ
ム教(スンニ派)である。我々が旅した時は丁度ラマダン
を是非旅して新たな発見をして下さい。
の時期だったが観光にはなんら影響なく飲食・見学には何
ら不自由を感じなかった。
アナトリア地方は紀元前6000年頃には人が住み始め、紀
元前1800年頃には鉄の民族として知られるヒッタイト人が
最初の王国を建設する歴史深い国である。以後ペルシャ・
ギリシャ・ローマ帝国・ビサンチン帝国(東ローマ帝国)
がこの地を支配したので多くの遺跡が残っている。1453年
にはビサンチン帝国が滅亡しオスマントルコ帝国が誕生し、
コンスタンチノープル(コンスタンチヌスの都)をイスタ
ンブール(=永遠の都)と改名した。第一次世界対戦でド
イツ軍に参戦して敗退。連合軍による国土分割の危機を救っ
たのがアタチュルクで、1923年トルコ共和国を樹立し首都
をアンカラに移し現代トルコの基礎が作られた。
3 イスタンブールの旧市街
トルコ航空51便でイスタンブールのアタチュルク飛行
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トルコ旅行記
モザイク画も500年間漆喰で塗りつぶされていた。
世界三大料理と言われるトルコ料理の代表ドネルケバブ
を昼食で食べた後、午後はオスマン時代の支配者スルタン
の館「トプカプ宮殿」を見学し数々の財宝・衣装を見学し
た。三つの大きなエメラルドを嵌め込んだ黄金の短剣と86
カラットのダイヤモンドは今でも目に浮ぶ。宮殿の海側の
丘からは素晴らしいボスポラス海峡の景色が眺められた。
その後アジア最大と言われるグランドバザールを散策し
た。見学者の数ほど売り子が居る様な商店街が幾つもある
が買っている姿は中々見掛けない。一体経営が成り立って
いるのか?他人事ながら心配になった不思議な一角である。
集合場所で時間を潰しながら先輩に頼まれたカラスミを購
ブルーモスク
入した。
場に到着したのは成田から丁度12時間後の夕方7時30分で
4 カッパドキアの奇岩群
あった。新市街のホテルに到着後屋上に上がったらアジア
荒涼とした大地をユックリ走る列車の窓には月と星を組
とヨーロッパをはさむ第一ボスポラス大橋がライトアップ
み合わせたトルコ国旗のマークがエッチングされており、
されて眺められた。目を右に転ずると明日観光する旧市街
快晴の日の出と組み合わせて写真を撮っているうちに首都
のモスクと尖塔(ミナレット)が綺麗に浮かび上がっていた。
アンカラに到着したのは8時過ぎであった。駅構内のレス
一晩ユックリ休み旅の疲れも取れ愈々トルコ6日間の観
トランで朝食を食べ外に出るとイスタンブールで我々の荷
光が始まる。大型観光バスに乗り込むと現地ガイドのトル
物を載せたバスが待っていた。これから半日かけてカッパ
コ人オズカイさんが流暢な日本語で自己紹介を始めた。太っ
ドキアに向かうバスの旅が始まる。広々とした大地には延々
た頃の渡辺徹を思い起こす身体つきなので我々は常に「ト
と麦とジャガイモの畑が続き、トルコの大きさと自給率
オルちゃん」と呼んだ。彼は倉敷に日本人の奥さんと娘さ
100%を納得させられた。途中真っ白く干上がったトウズ湖
んを残しイスタンブールに逆単身赴任中である。
の湖畔でバスは突然停車した。トオルちゃんが何やら大き
金角湾に掛かっている新ガラタ橋を渡り旧市街に入る。
なビニール袋を風になびかせながら白い小山に向かって走
オリエントエクスプレスのヨーロッパ側終着地点である
り出した。手づかみでビニールに入れてバスに持ち帰った
シュルケジ駅がバスの車窓から見えた。今晩急行寝台列車
のは岩塩であった。皆に小さなビニールを渡し配って呉れ
「アンカラエキスプレス」でカッパドキアに出発するハイダ
たのは日本へのお土産物になった。飽きるほど乗ったバス
ルパシャ駅はアジア側の出発地点でボスポラス海峡を挟ん
の走行距離は500㎞だそうで、カッパドキアの一角にある洞
で両駅は向き合っていて結ぶ列車はない。一般的な交通手
窟レストランに到着し鱒料理の昼食となった。大きな石灰
段はフェリーか車である。
岩をくり貫いたレストランでテーブルも椅子の全て石灰岩
海峡に突き出した岬の先端の海岸線をバスで回ると古い
で出来ている。中央には広いスペースが有り夜になるとベ
城壁の後が点々と残っている。これから見学するトプカプ
宮殿を守る城壁であり、15世紀にコンスタンチノープルを
征服し宮殿の建設を命じたメフメート二世の時代にはこの
道はなく直接海にそそり立っていたことだろう。
(注:征服
後にイスタンブールと改称)
下車観光の最初は6本のミナレットが特徴の「スルタン・
アフメット・ジャミィ(通称ブルーモスク)
」だった。17世
紀の初めに建てられ、オスマントルコ建築の極みと言われ
ている。内装の美しい青いタイルは天国を意味しているそ
うだ。次に昔の競馬場跡を通り抜け地下宮殿に入った。ビ
サンチン時代の貯水池でメドゥーサの首も逆さや横になっ
て柱の一部になっていた。次は「神の智慧」を意味する「ア
ヤ・ソフィア」へ。第四次十字軍やオスマントルコ軍によ
り略奪された歴史を持つビサンチン美術の傑作と言われる
カッパドキアの奇岩
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リーダンスをするそうだ。ダンスは今夜の楽しみにして愈々
首都が置かれた街で、全盛期には各界の優秀な学者や芸術
憧れの奇岩の撮影を開始する。説明は上の空でバシバシ撮
家が集められ政治、文化、芸術の中心として栄えたそうだ。
りまくるが全て観光写真になってしまい苦労する。ゼルベ
郊外に向かう路面電車が側を走り抜ける近代的なホテルに
の谷、ラクダの谷、三姉妹の谷を次々と見学した後、最後
宿泊し旅の疲れを取る為にプールでひと泳ぎした。
に巨大な蟻の巣の様なカイマクル地下都市に向かう。昔ア
翌日の見学先は先ず「カラタイ神学校」。別名タイル博
ラブ人から逃げたキリスト教徒達が生活した所だ。
物館とも言われる様にイスラムの象徴といえる青タイルや
夜、オプションでベリーダンスの見学に行った。日本人
コーランの字句をあしらったタイル、花や鳥を描いた美し
の我々は“見学する”のが楽しみだが、欧米人は“参加し
いタイル等が多数展示されていた。広間の天井のドームに
て共に楽しむ”事に意義を感じるという感覚の違いがある。
は明かり取りの窓があり、その下には美しい大理石の水受
指名された欧米人四人が上半身裸にされて踊り子とクネク
けがあった。
ネ踊らされて大騒ぎしたが、多くの美女が艶めかしく踊る
次に見学したのが「メブラーナ博物館」。13世紀に神秘主
姿を想像した私にはチョッピリ消化不良の夜だった。
義的イスラム教団でぐるぐる旋回しながら踊ることによっ
何時ものように早朝目が覚めてベッドから外を見ると雲
て神と一体になれるという教えを持つ「メブラーナ教」の
一つない青空に気球が沢山浮んでいるではないか!友人か
創始者の霊廟である。美しい青タイルのとんがり屋根を持
ら「トルコに行くなら絶対気球に乗れよ」と言われたので、
つ塔が印象的であった。
日本を出る前に旅行会社に掛け合ったが、
「かつて落下事故
があったので今はツアーには組み込めない」と連れない返
6 パムッカレの石灰棚
事だったので断念した経緯がある。ホテルの部屋から写真
肥沃な大地である中央アナトリアを抜け、エーゲ海地方
を撮って自分を慰めた。
に向かう小高い丘を通り過ごす頃になると辺りは石灰岩が
今日の午前中もカッパドキア見学の続きで、ハトの谷、ウ
そこかしこに顔を出し木が一本も生えてない荒涼とした景
チヒザール、ギョレメの谷を次々に巡り沢山の写真を撮りま
色に変わった。コンヤから更に西に300㎞位走ったらパムッ
くった。遠くに山が見え、近くには巨岩が聳え立っている景
カレに到着したが未だ地中海には150㎞位離れている。本当
色の良い所で昼食を取り次の観光地コンヤに向かった。
に広い国だと実感した。
途中“トルコ国営”と称する絨毯屋に寄って織っている
パムッカレとはトルコ語で「綿の城」と言う意味で豊富
所や染色の工程を説明され、色々な種類の絨毯を見せ付け
なカルシウムと二酸化炭素を含んだ温泉が地表から流れ落
られた。綺麗な玄関マットを次々出され“旅の勢い”で高
ちる時に石灰質のみが崖に残り一面が真っ白い石灰棚にな
価なのを買う羽目になってしまった。帰国後女房に馬鹿に
る。世界遺産に登録されているが中国の九寨溝も有名であ
されたが自分では結構満足しており、トイレと風呂場の出
り何時か行ってみて比較をしてみたいと思った。一時期、
入り口に敷き毎日眺めながらトルコの旅を思い出している。
鉱泉が枯渇して雑草が生い茂った事もあるが近年の保護政
策が功を奏し美しい風景が蘇ったそうだ。全員靴を脱ぎズ
5 コンヤの神学校とメブラーナ博物館
ボンの裾を捲り上げ暖かい温泉の棚を歩き回った。中には
カッパドキアから西150㎞走りコンヤと言う古都に到着し
ビキニ姿のお嬢さんにも出会ったが温泉を浸かるような場
た。11世紀から13世紀にかけて、セルジューク・トルコの
所は残念ながら立ち入り出来なかった。宿泊したホテルの
庭先には人口の温泉沐浴場所があり仲間とお湯に浸かって
いたら記念写真を撮られたので旅の思い出に買って帰って
きた。
7 エフェス (古代名エフェソス) とベルガマ (古代名ペルガモ
ン) の遺跡
エーゲ海を地図で見るとトルコ側の近海までギリシャの
国境線が迫ってきているのが解り歴史上の重みがなんとな
く伝わってくる。従って多くの遺跡が残されているが何れ
も発掘途上であってみたり、既に貴重な物が国外に持って
行かれたりしていた。
然しながらエフェスで見た二階建ての図書館と大きな
屋外劇場は立派だった。図書館は117年に完成され12万冊
コンヤの神学校のタイル
50
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を超える蔵書を誇りアレクサンドリアの図書館と肩を並べ
トルコ旅行記
る程だったが西暦263年にゴート人の襲撃により消失した
その様子は見学しても残念ながら理解できなかった。実業
そうだ。一方、紀元前3世紀に完成された劇場は収容人員
界を若隠居し私財をなげうちここを発掘したシュリーマン
2万5千人を誇り当時最大級だったそうだが今でも音響効
の莫大な財宝は第二次世界大戦にベルリンから紛失しロシ
果が良くオペラやメブラーナの踊りに利用しているとのこ
アの美術館にあるそうなのでそちらに今度は行ってみたい。
とだった。
入り口に巨大な木馬が再現されていたので中に入ってみ
次の日にはベルガマ遺跡を見学した。ベルリンのペルガ
たら2階構造になっており、窓に掛けてある木の蓋を手で
モン博物館に復元されている「ゼウスの祭壇」を見学した
持ち上げて顔を出すと仲間が写真を撮ってくれた。当時50
事があるので期待を掛けていたが、ドイツ人が大金をトル
名の兵士がこの中に入り混みじっと夜明けを待っていたそ
コに払い持ち帰っただけのことはあり規模は大きかったが
うだが窮屈であっただろうと想像しながら最終見学先を後
遺跡は殆んど跡形もなかった。唯、帰り掛けに屋外劇場を
にした。
最上段から急な段差を途中まで歩きながらベルガマの街を
エーゲ海に面した最終宿泊地チャナッカレのリゾートホ
一望した時に感じた規模の大きさは感激だった。
テルにてやっと「トルコ風呂(正式名称はハマム)
」を体験
アレクサンドリアとエフェソス、それにペルガモンの図
する事が出来た。水着を着て男女が一緒の円形の部屋に入
書館が当時の世界3大図書館。なかでもペルガモンが最大
り先ずは桶に入れたお湯を体に掛ける。その後中央に配置
の蔵書を誇り、それを妬んだエジプトがパピルスの輸出を
した大きな長方形をした大理石の上に載り横たわる。大理
禁止した為、ペルガモンは羊皮紙の生産を始めた。
(ペルガ
石は中から温められておりじっとしているとじわじわと体
モンとは羊皮紙の語源)
が温まる。
8 トロイの木馬
9 あとがき
ホメロスの抒情詩に書かれた「トロイ戦争」の舞台とし
バスに乗ったままでフェリーボートに乗船し、アジア側
て有名でありここを訪問する事でこのツアーを選択した。
からダーダネルス海峡を30分程で対岸のヨーロッパ側にた
紀元前3000年から400年までの間、繁栄、衰退を繰り返して
どり着いた。イスタンブールに戻るには未だ長い道のりを
きたトロイの遺跡は9層になっているとの説明であったが
バスで走らなければならない。海峡を右に見ながらウトウ
トしていると突然左側に海が見えてきてビックリした。な
んと走っていたのは長く突き出していた半島であったのだ。
暫くすると対岸が見えないくらい大きな内海に差し掛かっ
た。ガイドのトオルちゃんが得意げに「右に見えるのは世
界で唯一自国だけで海を保有している“マルマラ海”です」
と説明した。確かに地図を頭に描いてみると一国が抱えて
いるのは殆んど“湾”か“湖”であるのに気が付いた。
夕闇迫るイスタンブール空港にやっと到着しトルコ周遊
の旅も終わりになった。走行距離は2,500㎞になったそうだ。
色々な思い出を残しながらトルコを後にしたが出発前に
頭に描いていたトルコとは全く違い、永い歴史と文化に富
んだ魅力ある国である事が実感できた。帰国後改めて色々
な本を読み漁っているがマダマダ書ききれない事が沢山
残っている。
おく つ
かずひさ
(元広報部 部長 奥津 和久)
参考図書
「トルコ 2400」トルコ共和国 首相府報道出版情報総局監修
「イスタンブール・トルコ」JTB パブリッシング発行
「トルコ TURKEY」阪急交通社発行トラピックスガイド
トロイの木馬
「トロイの木馬のひみつ」大原興三郎著 PHP 研究所発行
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