〒424-0886 静岡市清水区草薙 1-2-26 アートインクサナギ 3F TEL 0543-47-5755 HP http:// www.tamuken.net FAX 0543-47-2808 MAIL [email protected] 中国視察① 抗日記念館 岡田克也・前代表に声をかけて頂き、6名の議員(写真参照)とともに中国へ行ってきた。岡田前代表の太いパイ プにより、中国共産党政府の多くの要人と面会することが出来、有意義な視察となった。 9・18 抗日記念館へも行き、盧溝橋事件に始まる日本の侵略を、そのムゴさ(虐殺や拷問)を強調してこれでもか これでもかとリアルに展示してある様子を見学。館内は照明を落として暗い雰囲気で、見学した誰もが日本人はい かに残虐で、そしてそれをはねのけた中国人はいかに勇敢だったか、ということが胸に刻み込まれるのだろう。中国 は文化大革命やチベットやベトナム侵攻など、日本よりよっぽど残虐なことをしている。日本の残虐性を強調した記 念館に、現在へと続く反日教育の一端を垣間見た。 中国視察② 靖国問題 瀋陽大学を訪問し日本語を学ぶ学生 30 人と対談したときのこと。学生たちからの質問の9割は「靖国参拝はどう するのか?」という内容。たまりかねた岡田前代表が、学生に対して「日本と中国の未来についての夢は?」と聞い たが、それに対する回答も「首相が靖国参拝をやめたら日中は仲良くなると思う」だった。 岡田前代表は一貫して「自分は、首相の靖国参拝に反対しているが、小泉首相は来年も参拝するだろう。小泉首 相の任期が終る9月以降のことを中国も考えてほしい」「東シナ海のガス油田については、日本側の共同開発提案 を真剣に検討して欲しい」と主張したが、それに対して中国側は「とにかく小泉首相に誠意が無い限り何も話を進め られない」の一点張り。学生も中国メディアの記者も、とにかく靖国のことばかり。建設的な議論は、たまに環境問題 に話が移ったときに、日本側が協力できることは色々ある、と表面的に応える、というようなときだけ。 私は、日本よりもはるかに外交戦術に長けている中国 は、靖国問題は、日本を攻めるいい材料として使ってい るに過ぎないと思っている。今に至るまでめまぐるしく王 朝が交代している中国において、中国人が「中国 2000 年の歴史」と誇ることが象徴的であるように、中国は覇 権国家。東アジアの盟主は自分たちという思いが強い。 ここ 10 年、経済的にも急激に成長し、経済大国日本も視 野に入ってきて、ますます日本への対抗心は強まってい るはずだ。少なくとも、首相が靖国参拝を止めたとして も、中国は別の材料を持ち出して、日本への攻撃の手を ゆるめないのではないだろうか。 今回の中国視察のメンバー。 左から、田村けんじ・蓮舫・津村啓介・ 岡田克也・藤本祐司・馬淵澄夫 各議員(敬称略) 政府系金融機関の改革① 郵政民営化法案の成立後、小泉首相は政府系金融機関の改革に乗り出した。郵便局が、国民からお金を貯金と いう形で集め、そのお金を運用するために財投機関債を購入することで、政府系金融機関にお金が流れる。財政投 融資という巨大なシステムの中で、郵便局を入口とすると、政府系金融機関は出口と言われる。小泉首相の関心が 高いのは、郵政民営化と連動するものであること、9つある機関をいくつに減らすか、という分かりやすいものだから だろう。小泉議員は首相就任間もない頃にも、政府系金融機関の改革を目指したが、自民党と省庁の抵抗で挫折し た経緯がある。私は 13 年前の 93 年、日本開発銀行(今の政策投資銀行)の担当者だった。その2年前にバブルが 崩壊したにも関わらず、各省庁に後押しされ、ビックプロジェクト(後に建設中止や計画縮小など失敗に終ったものも 多い)に次々と出資や融資を続けており、融資先も大企業ばかりで大いに疑問を持った。民間銀行で十分できるの では、と感じた。しかしながら、自民党の族議員はもちろんのこと、天下り先を失いたくない各省庁が必死で抵抗して いた。だからこそ、今に至るまで、私の政府系金融機関改革への思いは強い。これもまた「遅きに失した」改革の一 つではあるが、現在も、民間金融機関の貸出金残高が 540 兆円に対して、政府系金融機関の貸出金残高は 145 兆 円にものぼる。民間金融の一層の発展のために、1日も早くその規模を縮小しなければならない。 政府系金融機関の改革② 民主党の反省 私は民主党の政策金融改革作業チームの一員として民主党案の作成に携わっている。小泉首相が提案した改正 案が 11 月末にはまとまる見込みという情報を得て、民主党の作業チームでは 11 月上旬に「9つの機関を1つに統廃 合」という方向で一致していた。私は、民主党の案をPRするには、政府与党の方向性が固まる前に発表しなけれ ば、と主張したのだが、結局、民主党「次の内閣」で正式に承認されたのは、11 月 30 日。その前には政府与党の「9 つを1つに」という方向性が報道されており、民主党案は案の定、新聞でも小さくしか取り上げられなかった。 民主党の案をメディアに出来る限りきく取り上げてもらい、皆さんに知ってもらうためには、とにかく政府与党より先 に打ち出すことが非常に重要であることを再認識した。 自民と民主が大連立? 小泉首相が、総選挙直後、民主党の前原代表に大連立を持ちかけたとの記事が載った。さらにここにきて連日、 小泉首相は「民主党の一部の人とは、憲法や自衛隊のことで連携できる」「衆議院の選挙は比例をなくして小選挙 区だけにすべき」といった発言をしているとのこと。 小泉首相が、従来、公明党嫌いで、今でも公明との連立を快く思っていない、との見方は絶えない。民主党の分裂 を誘い、新たな連立を模索するのも分からなくはない。 しかし、我々民主党からすれば失礼千万な話。ほとんどの民主党議員は「今の自民党では未来の日本を良くする ことは出来ない。本物の改革をすることはできない。政権交代して、我々が市民のための政治を実現しよう」という使 命感・決意を持ち続けて、「今、この逆境こそを乗り越えねばならない」と頑張っている。 その一方で、自民党議員は、与党という甘い汁(利権やステイタス)だけが共通の目的で集まっている。よく「民主 党はバラバラ」と言われるが、それはせいぜい安全保障などに限られた話。もともと自民党の方がよほどバラバラ で、それが当たり前のことだからことさらに言う人がいないだけだ。そんな自民党と一緒になって、いい加減な政治を しようなどと思っている民主党議員はいない。 私は、政権交代によって民主党政権を実現するとともに、その先、長い将来にわたって、2つの政党が緊張感を持 って市民の目線に立った政治を行う、という理想に向けて、これからも邁進していきます。 田村謙治プロフィール 昭和 43 年 3 月 19 日生まれ。常葉学園短大附属幼稚園・静岡市立竜南小学校に通う。 平成 3 年 東京大学法学部を卒業し、大蔵省(現財務省)入省。 平成 5∼7 年 米国ミシガン大学大学院に留学。平成 14 年 財務省退職。 平成 15 年 11 月 9 日の衆議院総選挙で惜敗後の平成 16 年 11 月 15 日、比例東海ブロックの繰り上げ当選で衆議院議員に。 平成 17 年 9 月 11 日 比例東海ブロックで衆議院議員2期目当選。
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