院ゼミ 1 (2008 夏学期) 質的方法論研究Ⅰ&Ⅱ:RQ の焦点化 ■ 方法論: インタビューを用いた理由 1) 調査対象に関する一般論ではなく、当事者個々のプロセスおよび内省を重視するため(研究の目的) 2) 当事者自身の生の言葉による語りとその意味づけが重要(分析のために必要なデータ) 3) 当事者の文脈・状況に関する専門的な経験・知識が有る(インタビュー・サイドの強み) ■ はじめに: 前回の分析でとりこぼしたもの 2007 年秋、徳間記念アニメーション文化財団(「三鷹の森ジブリ美術館」管理運営法人)に提出した小論文 (「アニメーション作画における習得プロセス―認知過程に注目して」)で、以下のモデルを想定し検証したところ、 熟達の段階において、「世界への潜入」「模倣」「型」「間」「先輩・仲間・友達」の影響が明らかになった。しかし、 「先輩・仲間・友達」と同様に、「師匠」(mentor レベルの先達)の影響が少なからずあるのではないかとの指摘を 受け、今回は「師匠」に着目して、再度データを見直してみようと考えた。 世界への潜入 スタジオ(制作現場)の雰囲気 スタジオ内外のスタッフとの会話 仕事としてのアニメーション作画,など 師匠・先輩の日常生活との関わり アニメーターとしての日常 「形」の模倣 繰り返し 「模 倣」 「先輩・仲間・友達」 「形」の批判 「形」の吟味 計画立案 「形」の反省 予測 世界全体の意味連関 「 型 」 解釈の努力 意味連関の体得 モニタリング 「 間 」 評価 「我見」と「離見」の融合 世界への潜入 修正 再構築 「模 メタ認知活動 倣」 Figure 1. アニメーション作画における「わざ」習得の認知プロセス ■ 最初の RQ: 「長期的な職業生活のなかで,師匠からの影響を自身の創造活動にどのように反映しているのだろうか」 以上の RQ に基づいて再度データを洗い直した結果、共通の師匠筋を持つ3人の同僚のデータから、同じ ようなパターンが見られたため、このデータを使用して再度分析を試みることにした。 ◆ 結果 ① K さんのケース ・ ・ ・ 男性、40 歳 23 歳頃から仕事を始める。 《主な作品》 20 代: 「平成狸合戦ポンポコ」(1993) (高畑勲監督) 「もののけ姫」(1997)(宮崎駿監督) 1 30 代: 「崖の上のポニョ」(2008)(宮崎駿監督) 年 齢 作品(公開年、監督) 「平成狸 合 戦ポ ンポ コ 」 (1993,高畑勲) インタビュー・データ 高畑さんは原画をチェックして,たとえば宮崎さんだったら直して作監に まわしちゃうんですけれど,高畑さんはリテークを文章にして書いてく る,それがまた,タメになる文章で,そういうやり取りが何度かあったと思 うんですね。これは多分,社内の若手だけにそうやっていたんじゃない かと思うんですけどね(・・),それがまた勉強になって。 29 歳 (7 年目) 「もののけ姫」 (1997,宮崎駿) 得られたことで大きかったことって,やっぱり宮崎さんの言葉が大きくっ て…。あとあと考えると,一番残っているんですよね。リアルってことにつ いても,よく,物理現象的なリアルってある。あるけど,宮崎さんはそんな のどうでもいいんだ,って言うんですよ,それより「何を表現するか」って ことのほうがよっぽど大事だ,と。色々考えた余分な動きは,そういうもの を入れるのが悪いっていうよりも,そういうのを入れると,「なに余計なこと してるんだ」って思えるらしい。大事なのは,(カット内容の)表現なんだ から,ってことで(略)、その言葉だけで本当に勉強させてもらった。で, なんか,(原画を社内で)やっているときはもう,なんとかかんとか言われ て,くやしかったりもするけれど,あとからふりかえると,意味がわかって くる。(宮崎さんの言葉は)そんな感じです。 37 歳 (15 年目) 「ドラえもん のび太の恐 竜 2006」 (2006,渡辺歩) 今までのパターンは,ずっと,監督(や演出)のほうが力があって,たとえ ば,レイアウトや原画も描いてしまうような監督(や演出)と組むことが多 かったんですけれど,渡辺さんは,絵を描かない演出さんでして,(自 分でも描けるのに,こちらに)ものすごく任せてれる人なので,自分のア イディアとかやりたいこととかをやらせていただけたんですね。あのとき は,すごく好きなようにやることが出来て(・・),そういう意味で面白かっ た,と思いますね。 監督の意向を理解 自分の考えを出す、且 つ監督も受け入れる 協働的 《監督≧自分》 39 歳 (17 年目) 「 崖 の上のポ ニョ 」 (2008,宮崎駿) 今は,何かを教えるといっても,「何,言ってるの。うるさいなー」くらいに しか思われないし,こっちもあんまり言わないようになってきているけど, ジブリみたいにうるさい親父がいて(笑),なんだかんだと言ってくれてい ると,もしかしたら残るのかも知れませんね。…やっぱり先輩から後輩 へ,友達へ,知り合いへ,とか何らかの形で言葉にして伝えていかない とダメなのかな,って思いますね。ある人が仕事を辞めてしまったら,そ こまでですからね,どこがどう面白いか,すばらしいのか,ってことは意 図的に伝えないと伝わっていかないのかも。仕事としての楽しさっていう のか,職人としての面白さ,っていうのか,そういうのを伝えていかないと いけないといけないんじゃないか,って。そんな気がしちゃうんですよ ね。「時代遅れなんじゃないか」とか「古いんじゃないか」とか,そういう迷 いはあったりしても,やっぱり言って,伝えていくっていう…いるときには 反発してたとしても,なんだかんだ言ってそこで言われたことが役に立 っている,身になっているように思うんですよね。だから,今は伝わらなく ても,言っておいたほうが,何かしらあとで思い出して,なるほどねー,っ て思ってくれるといいんですけれどね。自分も若いときにはわからなか ったですけどね(笑)。 監督の現在の考 え方 に加え、中長期ビジョン も理解しようとする 自分の中で将来像の 「雛形」のひとつとなる 《監督≒客観的な自分 ≧自分》 25 歳 (3 年目) メ モ 仕事内容に関するダメ 出しへ納得 監督の考 えは 十分に はわからない 《監督>自分》 表現することへの考え 方を、素直に受け入れ ている 監督の考えがわかり始 める 《監督>自分》 OC.: K さんとは、数年前に某劇場作品で2年弱ほど一緒に仕事をし、その後もたまに会って話をする間柄であ るため、ある程度のラポールがとれている。K さんのスタジオでの同期は、非常に上手い(とされている)同僚も多 く(たとえば、「千と千尋の神隠し」「パプリカ」のキャラクターデザイナー・作監、「エウレカセブン」のキャラクター デザイン・総作監など)、その刺激もあって向上心がより強くなったと想像される。K さんが最初に所属していたス タジオには、2人の著名な監督がおり、それぞれの持ち味は明らかに異っているが、その両監督と一緒に仕事を することで、多角的なものの考え方をする傾向があるようだ。もっとも、K さん自身の気質も大きいかも知れないが。 K さんは以前、「もう自力で出来るようになってからの(監督たちからの)干渉には困ることもあった」と語っていた ことがあったが、「師匠」というものはどこも同じだなぁ、と共感した。「師匠」の枠を出ようとするときには、大抵ぶつ かる問題だと思う。不幸なケースとしては、巣立つ「弟子」の足を引っ張ることも無いとは言えないが、K さんの 「師匠」2人については特にそのようなこともないようだ。フリーになった後は、K さん自身の努力と巡り合せもあり、 現在は K さんのアイデンティティは確立している状態である。結果論でしかないが、その意味では、K さんの「師 匠」の教えは、彼の仕事人としてのアイデンティティに大きくポジティブに寄与しているようだ。 ② Y さんのケース ・ ・ ・ 男性、43 歳。 20 歳頃から仕事を始める。 《主な作品》 20 代: 「プロゴルファー猿」(1985-88) (須永司演出) 「THE 八犬伝」(1990)(安濃高志監督) 30 代: 「千と千尋の神隠し」(2001)「崖の上のポニョ」(2008)(宮崎駿監督) 2 年 齢 作品(公開年、監督) 「プロゴルファー猿成狸」 (1985-88,須永司) インタビュー・データ それはー,オレの考えもあるけど,あの,(演出)意図がわからなかった。 だから,そのころって,目は見えないんだけれども,自分の行動だけで なんとかなると思ってた,そういう時期だから。人の言うことなんてどうで もいいわけですよ,どうでもいいって言うと極端だけど,でも,リテーク処 理を繰り返しやっていくうちに,なんか残るんですよね。で,演出家って いうのを意識したのは須永さんが始めてで…それまでは,ホント初歩的 なことがわかんなかったから,そういう技術的なリテークはあったけど,須 永さんに会って,(演出)意図が違うっていうリテークをもらって初めて, 演出家っていうのはいるんだ,ちゃんとね,と,なんかやっと「人」と仕事 してるな,って感じがして,こう,見えないものが,まぁ,その時「見えてい ない」ってことは自覚してはいないんだけど,別なモンが,生き物がいる な,って,そういう感じがしました。 24~5 歳 (5 年目) 「THE 八犬伝」 (1990,安濃高志) うん,あれはみんな好き勝手やってたよね。逆にオレの絵にあわせろ よ,みたいな(笑)。いや,いいんだけどー。オレも楽しかったし。 35 歳 (11 年目) 「千と千尋の神隠し」 (2001,宮崎駿) 「千と千尋(の神隠し)」をやって,宮崎さんの仕事をみて,枚数いくらか けていいんだって(笑)…それまでは本当に貧乏な枚数のかけかたと, やり方と,ホントその枠から抜け出せなくて(‥),その途中途中に,シン エイ作品があったり,「THE 八犬伝」があったり,作品カラーとしてはいろ いろな仕事があったわけですけれど,やり方としては同じような全然変 わらないやり方をしていた。ただ、「千と千尋(の神隠し)」やっているとき もやり方は変わらないんですよ。考え方として,必要ならばいくら枚数つ かってもいいんだな,そうなんだー,とその時に素直に思えて。…目の 前でジャンジャン使っているからね。そうすると,こっちも,一生懸命に 頑なに,自分を守っているわけじゃないんだけれど,自分のなかで(自 分を)縛り付けていた枷みたいなものが,パーンとはじけちゃったみたい な(・・・), 20 歳 (1 年目) 自分で描いても,なんか違うなーと思って,で,結局,「やーめたー」とか 思って別の方向に走ってしまう,とかね(笑)。で,またどっかに穴掘ろう とかして。ただ,そういうときにね,なんかね,自分では見えないんだけ ど,なにかしら具体的な形に見せてくれる演出家なり,絵描きさんがいる とすごく助かる。だから,どうしても,そのー,僕は自分のタイミングでも, その演出家さんのタイミングを頼りにしちゃったりとか,そういう仕事の仕 方をするっているのは,そういうことなんですよ。自分じゃわからないこと のほうが多いんで,そういうのを手がかりにして,次の段階に行く。だか ら,本当はそういうことを一回壊しちゃいたい,全部本当はゼロにしちゃ いたいくらいの気持ちになることもあるんだけど,それは無理じゃない? 若い頃は,自分の力で何とか出来るような,思い込んじゃうようなところ があるんだけど,でも,それは幻想じゃないですか。ある日自分のほうが 変わるかも知れないけれども,そういったときに,やっぱり別なところに 行っちゃおうかと思うときもあるんだけど,ま,もうちょっと待とう,とか思っ ているときに,ちょっとこういうのを[手元の絵を指しながら]見せられて, 「あ,これだ」って(笑)…「あ,これだ」っていう瞬間なんですよね,大切 なのは。 「考えかた」がね。実際には,何で宮崎さんはここで枚数を使うんだろ う,とかあんまり理解していないから,倣ってっていうのとちょっとまた違う のかも知れないけれどね。だから,どういうときにこれを使うか,っていう のもあんまり考えていない。実際的にどうとかではないみたいな(‥), でも,そういう(動きをつくるとか,枚数を使うとか)「考えかた」はあるな, と思った。で,それが,自分のものになっているかどうかっているのはま た違う部分なんだろうね。うん。表面的になんとか,っていうことではない かもしれない(‥),というか,逆に,自分のなかで持っているものがあっ て,それとの差がはっきり見えてくる。 42 歳 (18 年目) 「 崖 の上のポ ニョ 」 (2008,宮崎駿) うん。ただ,宮崎さんも最近言っているけど,やっぱり,とにかく作画で 表現するっていうことを徹底してみよう,ってことで今やっているんじゃな いんですかね。 客観的になれるっていうのが,いいんでしょうね。自分 じゃなくても,誰か他の人に客観的に言ってもらうと,それはそれでハッ とすることは多いですよね。自分の思い込みっていうか,型っていうか, そういうのが邪魔するから…でも,それと同時に,モノに対する素直さも 大事ではあると思うんですよね。また,宮崎さんの例になるんですけれ ど,「描くこと」に対する気持ちがすごく素直で,遠慮のない自由な,あ あいうシンプルな気持ちが大事なんじゃないかな,と思ったんですよ。 メ モ 第三者への自覚 内容に関するダメ出し へ納得 《監督(演出)>自分》 監督意図からの暴走 は敢えて外してしまう 《監督(演出)=自分》 自分の枠(自分への縛 り)を超えるブースター 装置としての監督 刺激 学習 職業モデル 《監督>自分》 ガイドとしての監督 《監督>自分》 創造のための破壊への 衝動と、作品と自分へ のブレーキ 「あっ」という瞬間 相対化するための監督 の意見提示への希望 《監督>自分》 監督の考え方からの影 響 《監督>自分》 《客観的な自分≧自 分》 監督の目指しているこ とを汲み取る 《監督≒客観的な自分 ≧自分》 OC.: Y さんは旧くから付き合いのある同僚であるが、お互いにあまり入り込まない距離感で接していることもあり、 オーバー・ラポールにならずにインタビューが出来たのではないかと思う。Y さんがジブリ劇場作品に参加し始め たのは「千と千尋の神隠し」以降で、そのときには既に 15 年以上の仕事経験を積んでいたため、一から習った K さんとは異なるが、インパクトのある上司からの影響という意味で、ジブリ諸作品は Y さんのアイデンティティに明 らかに影響を及ぼしているといえる。基本的には、独自のやり方と考え方で仕事をしている Y さんであるが、何人 かの監督に対して「別のイキモノ」がいると感じたとき、仕事に対する考え方を変えるきっかけとしての「師匠 3 (mentor)」の存在がクローズアップされている。フィルム作りは集団作業ではあるとはいえ、絵描き業界は独自性 の強い職人の集まりでもあるので、監督からリテークや助言を気にしないタイプも存在する。実際に、「オレの絵 にあわせろよ、みたいな」ときもしばしばである。Y さんは自分の仕事人としてのアイデンティティを模索する上で、 「先輩・仲間・友達」が重要と述べていたが、同時に「師匠(mentor)」も大事にしているようである。 ③ O さんのケース ・ ・ ・ 年 齢 男性、52 歳。 20 歳頃から仕事を始める。 《主な作品》 20 代: 「劇場版コブラ」(1982) (出崎統監督) 30 代: 「天空の城ラピュタ」(1987) (宮崎駿監督) 「迷宮物件 FILE538」(1987)(押井守監督) 「AKIRA」(1988)(大友克洋監督) 40 代: 「平成狸合戦ポンポコ」(1993)(高畑勲監督) 「もののけ姫」(1997)(宮崎駿監督) 50 代: 「ゲド戦記」(2006)(宮崎吾朗監督) 「崖の上のポニョ」(2008)(宮崎駿監督) 32 歳 (10 年目) 作品(公開年、監督) 「天空の城ラピュタ」 (1987,宮崎駿) インタビュー・データ ジブリにいても,ああいうリアルといわれているような作品を,ずっとやり たかった。どうしても宮崎さんの「宮崎アニメ」っていうのはああいう絵に なるし,(当時は)ああいう絵が嫌いだったし,漫画っぽくて,曖昧で。 (・・)いいかげん,っていうか,そういう一面もあるんで,オレがやりたい のはそうじゃない,と。それは最初っから思っていたんですけれど,で も,宮崎アニメじゃないものをやってみたら(・・),何本もやってみたあと で,やっぱり宮崎さんのやってることってスゴいんだな,ってことと,宮崎 さんの,観察したものをアニメにしていくってことのスゴさにやっと気がつ いた。 42 歳 (20 年目) 「もののけ姫」 (1997,宮崎駿) 感覚から作り出すものではなくて,真似から入る,みたいな。(・・)「“感 じ”がいい」からはズレるんですけれど,でも,「“感じ”がいい」っていうの のなかには,そういうことも含まれますよね。全部が全部,リアルでなくて もいいし,「ものまね」でなくてもいいんですけれど,どこかひとつだけ, そういう要素があると面白いものになる,リアルに感じたりする,んじゃな いかな。あの動きがあったから,そのキャラクターがすごくリアルに感じ た,っていう,そういうことがあると思う。(・・・)多分,面白がらないと (・・),カットは面白くならないんだろうなー,と。 52 歳 (30 年目) 「 崖 の上のポ ニョ 」 (2008,宮崎駿) 外の仕事というか,宮崎さんと離れて仕事してきて(・・),それからジブリ にまた戻ってきたときに,というか宮崎さんの仕事にまた関わることにな ったときに,宮崎さんの,観察したものをアニメにしていくってことのスゴ さにやっと気がついた。よく,「観察」して動きを描け,とか言われますけ ど,その「観察」って再現するための「観察」じゃなくって,その動きのな かで何が面白いのか,何をとり出せば,アニメーションとして面白くなる のか,ということを取り出すことが大事なんじゃないか,この動きのココが 面白いからこの動きを描くんだ,って描き方をしないと面白くならない。 というか,意味がないんじゃないか。それが一番大事なんじゃないか な,って。 メ モ 監督の意向を理解する が、自分の考えも有る 《監督≧自分》 監督の考え方の核を自 分なりに理解しようとす る 自分の中で将来像の 「雛形」のひとつとなる 《監督≒客観的な自分 ≧自分》 監督の考え方を踏ま え,十分に理解した上 で , 表 現す るこ とへ の 自分ありの考え方を確 立 《アイデンティティ確立》 OC.: O さんとは、K さん同じく、数年前に某劇場作品で2年弱ほど一緒に仕事をした。その作品では、監督と作 画監督の部屋と原画マンの部屋が分かれていたので、K さんと個人的に話をする機会はあまりなかったが、同じ 原画同士の O さんとは、午前中仕事をしているのは私と O さんだけだったこともあり、他の人よりは比較的頻繁に 話をする機会があった。仕事中はほとんど話をしないことで有名な O さんだったが、意外と気さくに雑談をしてく れた。O さんはほとんどのインタビューを断るほどのインタビュー嫌いであるが、本インタビューも印刷媒体で発 表をしないことを前提に実現した(その前に、O さん的に合格かどうか試されたりもした)ので、恒吉ゼミの常識的 な処分を期待しつつ、授業用として提出します。O さんは、「リアル」ということをどう捉えるか、というテーマを常に 考えて仕事をしてきたように思える。インタビュー・データにはその詳細はないが、雑談や O さん自身の仕事ぶり から常に伺え、実際に、O さんは担当する全てのカットに関して、そのカットと同じアングルから、実際に演じ、ビ デオに撮って、観察し、スケッチしている、という話を伺ったことがある。大抵の人は、カット内容を想像して、「絵」 に写し取るが、O さんはビデオに撮ることでより客観的に思考していたのではないかと想像する。最近では、堤義 彦監督(「トリック」「明日の記憶」「自虐の詩」「二十世紀少年」など)がそのタイプではないかと個人的には思って いるが、「撮る」ことが大事なのではなく、「撮ったものから考える」ことが大事なのだと考えている点が、O さんの 特徴である。とはいえ、彼自身にも葛藤がないわけではなく、自身のアイデンティティ確立に関しては現在でも模 索中のようであった。30 年目にして、「動き・しぐさの面白さの抽出」に辿り着いた O さんであるが、その「面白さ (アイディア)」が、「リアル(現象)」とどう結びつくのか、その結び付け方に、監督(上司)自身の「アイデンティティ (の模索)」が強く影響を及ぼしているようにみえる。 4 ◆ 考察&更なる RQ へ 以上の結果から、RQ「長期的な職業生活のなかで,師匠からの影響を自身の創造活動にどのように反映して いるのだろうか」を考察する。 K さんの作画としての創造活動は、最初から影響力のある監督(上司)がいたため、《監督>自分》という状態 から始まった。監督の色濃い影響下で、なんとか自分で理解し、取り込んでいくことで、「一人前の職人」になろう 格闘とするが、9~10 年目を過ぎたあたりで、「自分のなかでやりたいことが沸いて出てきちゃって、そろそろ時期 かなー、って思って」、それまでの世界(監督の影響下)から出て行く。出るときには半ば反発感もあったようだが、 振り返ってみると、 いるときには反発してたとしても,それで,(ジブリを)出て行った人もたくさんいるけど,なんだかんだ言ってそこで言われたこ とが役に立っている,身になっているように思うんですよね。だから,今は伝わらなくても,言っておいたほうが,何かしらあとで 思い出して,なるほどねー,って思ってくれるといいんですけれどね。自分も若いときにはわからなかったですけどね(笑)。 と述懐していることから、具体的な技術というよりは、哲学のようなものを受け継いでいる(「身になっているように 思う」)ようだ。アイデンティティを築く上で、「仕事への心構え」として確実にその基となっていると思われる。 また、Y さんの場合は最初、作画は自分のやり方でやっていればいいんじゃないの、と思っていたのが、「第 三者」がいることに気がつかされ、自分を客観視するきっかけとなったときに、「上司(mentor)」を意識し出したと いう。また、その上司(監督)が絵描きであった場合には、自分の「枠」を超えるための装置として働いているよう だ。Y さんにとっての、「師匠(mentor)」とは、常に自分自身との対話のなかで、他者と自己を相対化し、「新たな、 よりしっくりくる自分」へ変化するための起爆剤なのかも知れない。Y さんの場合も、技術的にどうということよりも、 もっと内面的な価値観や「仕事に対する心構え」などの哲学的な部分を掘り下げるための「師匠(上司)」なのだ ろう。 一方、O さんは監督に対して、最初から反発があったため、実際には「監督(≒上司≒mentor)」ではなかった ようだ。しかし、監督の「フレーム」を、疑い、批判し、壊していくなかで、最終的にその「枠」を理解し、さらに、自 身の「枠」をも作り出した。その意味では、「先輩・仲間・友達」ではない別のポジション―それを「監督(mentor)」 と言ってもいいのかも知れないが―からの明らかな影響があったと考えるべきであり、O さんの創作活動の核心 ともいえる「仕事へのこだわり」の形成に寄与してきたといえよう。たとえば、 本人が,面白いと思って描いてなければ,どんなにそれが正確に動いていても面白いアニメにならないんじゃないか,って。 そういうことを思い始めたんです。それはリアルなものをやり続けていく中で(・・),自分のなかで。なんか面白いことっていうか, 他の人たちが描かないようなこと,思いつかないようなこと,かといって間違ってもいなくって(・・・),そういう描き方もあるんじゃ ないかなーって。それをやっていてきて,だんだん自信が持ててきた。興味っていうか,そういうもので描くんじゃなくって,これ が面白いからこの動きを描いてみる,この動きのココが面白いからこの動きを描くんだ,って描き方をしないと面白くならない。 というか,意味がないんじゃないか。それが一番大事なんじゃないかな,って。 という言葉は何気ないため、「当たり前じゃないの?」と考えがちだが、実は 30 年仕事をしてきた背景があって初 めて成り立つ重みがあり、この言葉の意味は実は私自身も分かっていないのではないかと感じる。何気ないこと を何気なくやることの難しさを実感する。 三人三様の「仕事の哲学的な部分」 への影響が見て取れたことにより、長い 仕事生活にとって「師匠 (mentor)」の影響は、各人の「仕事に対する心構え」や「仕事へのこだわり」の根幹にしっかりと根付いているよう だ。さらに、本インタビューは、インタビューイーの気質もあるが、アニメーターの職人的側面に重点を置いて考 察していくほうが自然なようである。したがって、これらの観点から、RQ を追加し、考察を深めることが可能なので はないかと考える。 ■ RQ②を設定する 「長期的な職業生活のなかで,師匠からの影響を自身の創造活動にどのように反映しているのだろうか」 ↓ (RQ①) 「反映」した結果、それぞれの人は、「職人としてのアイデンティティを模索し、確立」しているようだ ↓ 「mentor」は「職人としてのアイデンティティ確立」と、より関係がありそうだ(RQ②) ↓ 「職(業)人のアイデンティティ確立にとって、師匠(mentor)の役割とは?」 5 ◆ 先行(参考)研究① Kondo, Dorinne (1992). Multiple selves; the aesthetics and politics of artisanal identities R (ed). Japanese Sense of Self. Cambridge University Press Chapter 3, pp40-66 Rosenberger, Nancy 上記の Kondo 論文は、198X 年(X 月より X ヶ月)、東京にある Sato 製菓店において、Sato 製菓店和菓子製 造部門チーフである Ohara さん(ベテラン和菓子職人)を中心に参与観察・インタビュー・録音をし、フィールドノ ーツを記録し、その分析から、「職人の『自己』は仕事を通じてどのように構築されるだろうか?」を考察した論文 であり、師匠から習った和菓子製造技術を Ohara さん独自の「枠」のなかで完成してきた様子が語られている。 異職種ではあるが、ベテラン職人の語りの分析として参考になる先行研究であり、本論文によれば、Ohara-san の職人としてのアイデンティティは,四季に対する鋭敏な感覚を養うことや,道具の使用や仕事のプロセスへの 熟達すること,仕事への情熱や献身,辛抱など、弟子時代に習ったことが技芸を磨いてきたとされている。 ◆ 先行(参考)研究② 今井美沙子 (1992). わたしの仕事 理論社 論文ではないが、仕事についてプロフェッショナル(和菓子職人・製本・セラピスト・都市デザイナーなど全 190 職種)に語ってもらったインタビュー集であり、いくつかのインタビユーにおいて、師匠(mentor)の影響について の記述がある。 ◆ 参考インタビュー: 「職人のアイデンティティと師匠(mentor)」(別紙あり) インタビュー①: S 木さん(美容師) 私、あんまり器用ではない方で。だけど、一生懸命さを買われて、私が修行してたところの先生が・・・私、荻窪で修 行してたのね。で、中央線の駅前看板娘っていうのに選ばれて、新聞に写真入りのコラムで出たのね。不器用な私でも、 先生が60人ぐらいいるスタッフの中から私をノミネートしてくれて、すごい一生懸命やる子だよ、みたいな感じで新聞 社にアピールしてくれて、それ(コラム)に出してもらえたときかな。自分の下積みの努力が、先生に通じたのかな、っ ていうこと。あとは、やっぱりお客様。今まで色んなお客様やってるけど、色んな事情があって、来た人が私が施術して、 綺麗にしてお帰したことによって、本当に心を救われたりとか。ちょっと落ち込んでたのにハッピーになったりとか・・・ そういうことが幸せなことかな、私にとっては。 美容の技術っていうのは、頭を綺麗にするだけじゃなくて、女の人ってある程度ストレスの発散の場だったり、今の嫌 な気持ちをここでこう断ち切って、変身したいから行くとか、色んな願望を持って行くわけですよ。そういうときに、そ の人のお助けができる、ということが仕事冥利に尽きるのかな。 インタビュー②: N 毛さん(寿司職人) 修行時代だけでね、はいもう出来上がり、っていうのだったらこんなに楽な仕事はないです。いまだに勉強っていう感 じですよ。 魚にもね、色が上り調子で(旨みが)出ているものと(味が)下っているものとがあるんですよ。その下っているもの を買ってきちゃうとね、もう失敗。でも最近はね、あんまり外れることはなくなりました。段々・・・段々、落ち着いた 気持ちでね、見られるし買えるし。それはやっぱり、なんていうのかな、経験だと思います。穴子なんかはね、顔を見れ ばもうほとんど分かりますよ。脂の乗り具合とかもね、触るだけでわかりますよ。 インタビュー③: O 田さん(呉服職人) 商売は牛の涎っていって、根気強さというか粘り強さっていうんかのぉ・・・例えば、嫌な客とかがいてもニコニコし て何時間でも対応しないといかんきんのぉ。そういったところも住み込みのときに身に付けたんじゃ。 インタビュー④: N 澤木さん(建築家) 考えること、本当のものを作るために考えることが仕事なんだけれど、それを含んだ全体で考えるっていうことにある わけで。それが嫌いでなければ、そのつらかったこととか飽きることはなかったからさ・・・仕事と自己っていう風に考 えると僕はそういう風な気がする。だから少し強引にね、ある程度やんないとさ、本当の面白味っていうのは入り口のと ころでは分かんなくてやり方っていうのはその人がその人なりにその人の方法で編み出してやっていかないと面白味の とこに来ないんだよね。なんかこの業務はこれですって決まりがあるわけじゃなくて、この業務がどういう風な中身をも つかはその人の工夫とか、その人がどうしてもそうしてしまうっていうその人の個性って言うかによって編み出されちゃ う。しかし、問題は、「枠を壊し」てから、どうするかが、芸術や職人にとっては、大きな問題なのではないだろうか。 ■ 最後に: 今後の予定 レポートは、アニメーターという職人の「仕事観」(「仕事に対する心構え」「仕事へのこだわり」など)に関する語 りから、「師匠(mentor)」の教えが職人のアイデンティティ確立に及ぼす影響に着目し、検討する。 使用するインタビュー・データは、同じ「師匠(mentor)」からの影響があったシニア・アニメーターの経験談(3 人分)であり、RQ①として、「長期的な職業生活のなかで,師匠からの影響を自身の創造活動にどのように反映 しているのだろうか」を設定し、師匠と自身の関係、感じたこと、回顧した談話などから、その変遷を検討する。 さらにその結果から発展させた RQ②として、「職(業)人のアイデンティティ確立にとって、師匠(mentor)の役 割とは?」を設定し、他業種の職人のインタビューを用い比較、検討したい。 6
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