流氷とシークラッターの識別 大井 正行 1,2 ,千貝 健 3 ,福士 博樹 3 ,藤吉 康志 2 1.(株)ジェイ・ツー 2. 水・物質循環部門雲科学分野 3. 技術部先端技術支援室 1 はじめに 流 氷 の 到 来 お よ び 退 去 時 の 季 節 に は 、船 舶 関 係 者 に と っ て 流 氷 の 情 報 は 重 要 で あ る 。こ れ ま で 我 々 が 行 っ て い る レ ー ダ ー 観 測 に お い て 、こ の 季 節 は シ ー ク ラ ッ タ ー に よ っ て 流 氷 の 識 別 が 困 難 に な る 場 合 が 多 い 。こ の 理 由 は 、一 般 的 に 移 動 中 の 流 氷 の 規 模 ま た は 面 積 が 付 近 海 域 に 比 べ て 小 さ い 場 合 、流 氷 域 に よ る 海 面 域 の 風 波 の 吸 収・消 波 作 用 が 起 き な い た め と 考 え ら れ て い る [1]。さ ら に 、シ ー ク ラ ッ タ ー が 顕 著 に 発 生 し た 場 合 に は 、レ ー ダ ー の 反 射 強 度 が 飽 和 状 態 に 近 く な り 、ド ッ プ ラ ー 機 能 を 持 た な い レ ー ダ ー に よ っ て 過 去 に 行 わ れ た ∗ 「LOG/CFAR 1 」や「 シ ー ク ラ ッ タ ー 信 号 の 統 計 的 特 性 を 利 用 し た 距 離 お よ び ア ン テ ナ 回 転 ご との相関処理」によるシークラッターの抑圧策は有効とはいえなかった。 ド ッ プ ラ ー レ ー ダ ー に よ る 流 氷 観 測 に お い て 、従 来 か ら 行 わ れ て い る 流 氷 か ら の 反 射 強 度 に 代 え 、パ ワ ー ス ペ ク ト ル 幅 に よ る 識 別 を 試 み た 。結 果 、非 常 に 良 い 効 果 が 得 ら れ た の で 、 その観測例を中心に報告する。 2 ドップラースペクトル幅 ド ッ プ ラ ー レ ー ダ ー の 観 測 か ら 得 ら れ る 3 つ の 基 本 要 素 は 、反 射 強 度 、平 均 ド ッ プ ラ ー 速 度 、さ ら に ス ペ ク ト ル 幅 で あ る( 図 1)。我々 が 運 用 し て い る ド ッ プ ラ ー レ ー ダ ー の 信 号 処 理 装置、米国 Sigmet 社製 RVP8 出力のスペクトル幅 W は以下のように与えられている [2]。 √ Variance W= , π R(0) Variance = 2 ln |R(1)| 2 |R(1)| Variance = ln 3 |R(2)| (1) for large SNR, (2) for small SNR. (3) こ こ で R(τ) は 気 象 エ コ ー か ら の 受 信 波 の サ ン プ リ ン グ 列 か ら 得 ら れ る 離 散 的 時 系 列 信 号 の 自己相関関数であり、τ はこの時の時間差(タイムラグ)、SNR は信号対雑音比である。 (2)、(3) 式は、一般に成り立つ以下の関係を用いている:ある関数 f (x) のフーリエ変換後の 関 数 F(k) は 、も と の 関 数 に 含 ま れ る 周 波 数 を 記 述 す る が 、い ま 、 f (x) を 正 規 分 布( ガ ウ ス 分 * 1 LOG/CFAR: Log-Amp/Constant False Alarm Rate. クラッターの振幅波高分布がレイリー分布に従うと仮 定してこれを対数増幅して平均値をとる。次に、対数増幅された本来のクラッターからその平均レベルを 減算すると直流成分が除去された CFAR 特性が得られる。一定振幅に揃えられたクラッターは、閾値を決 めてクラッターの誤警報確率を一定に抑えて目標の検出を可能とする。 表 1 紋別市設置ドップラーレーダー諸元 図1 レーダーアンテナ設置高 300 m アンテナビーム幅 水平/垂直 1.1 度/ 1.1 度 送信出力 70 kW 送信周波数 9410 MHz 繰り返し周波数/パルス幅 1000 Hz / 0.9 µsec ドップラーレーダー 3 基本要素 布、µ: 平均, σ2 : 分散, S 0 : 任意の定数) ( ) S0 (x − µ)2 f (x) = √ exp − 2σ2 2πσ (4) とし、これをフーリエ変換すると ∫ ∞ 1 F(k) = dx f (x)eikx 2π −∞ ( 2 2) k σ S0 exp − eikµ , = 2π 2 ( 2 2) S k σ 0 F(k) = exp − 2π 2 となる。k = 0, 1, 2 のとき F(0) = S0 , 2π ( 2) F(1) = S 0 exp − σ , 2π 2 ( ) 2 F(2) = S 0 exp − 4σ 2π 2 (5) (6) (7) (8) となるが、これらから σ2 を求めると以下のようになる。 σ2 = 2 ln F(0) |F(1)| or σ2 = 2 |F(1)| ln . 3 |F(2)| (9) 3 ドップラーレーダーのスペクトル幅データによる観測例 レ ー ダ ー に よ る 流 氷 の 最 大 探 知 距 離 は 、レ ー ダ ー ア ン テ ナ 高 に よ っ て 決 ま り 、紋 別 市 設 置 のドップラーレーダー(表 1)では 56 km である。流氷からの反射強度(Reflectivity、dBZ)は、 雲 な ど の 気 象 エ コ ー に 比 べ て 弱 い 。特 に 初 期 の 流 氷 は 薄 く・平 坦 な 場 合 が 多 く 、さ ら に 遠 距 離 に あ る 場 合 、電 波 伝 搬 上 の 性 質 に よ る 距 離 減 衰( 距 離 の マ イ ナ ス 7 乗 ) に よ っ て 一 層 微 弱 となる [3]。 レ ー ダ ー 観 測 期 間 中 の お よ そ 3/4 は 、反 射 強 度 で 判 別 が 可 能 で あ る 。残 る 1/4 は 主 に シ ー ク ラ ッ タ ー な ど の 発 生 に よ っ て 流 氷 と の 識 別 が で き な い 。こ の よ う な 場 合 、従 来 ま で は 時 間 経過による変化を追跡して識別を行っていたが、有効ではなかった。 図 2a 16 JAN 2012 05:35 REFLECTIVITY (dBZ) Antenna Elevation: 1.1 Max Range: 60 km Range circle apart: 20 km ※シークラッター海域内に見 られる傘状の回転ムラ(スポー ク)は、過去に近接の落雷によ りレーダーアンテナが故障し ていたため。 図 2b 16 JAN 2012 05:35 SPECTRUM WIDTH (m/s) Antenna Elevation: 1.1 Max Range: 60 km Range circle apart: 20 km SQI Threshold:0.4 dB 以 下 で は 、ス ペ ク ト ル 幅(Spectrum Width)表 示 に よ る 観 測 例 を 示 す 。観 測 例 は 、反 射 強 度 で流氷とシークラッターとが識別ができない事例のみを対象とした。 ス ペ ク ト ル 幅 の 最 大 表 示 距 離 は 、計 算 の 誤 り 率 を 防 止 す る た め に 最 適 な 閾 値(SQI: Signal Quality Index)を設定しているため反射強度よりも少なく、最大 53−55 km までとなっている。 な お 、以 下 に 上 げ た 図 の 地 形 は 、全 て 紋 別 レ ー ダ ー サ イ ト を 中 心 と し て 北 西 か ら 南 東 方 向 の 斜めに海岸線があり、その上側が海に当たる。 3.1 2012 年初到来時の流氷 図 2a の反射強度による表示では、シークラッター域が 60 km に及んでいる。 60 km 以遠に あ る エ コ ー は 雲 で あ る 。画 面 中 心 の 紋 別 か ら 方 位 15−70 度 、距 離 50 km に シ ー ク ラ ッ タ ー が 途切れている海域が観測されるが、これを流氷とは断定できない。図 2b のスペクトル幅によ 図 3a 21 FEB 2012 19:30 REFLECTIVITY (dBZ) Antenna Elevation: 1.1 Max Range: 60 km Range circle apart: 20 km 図 3b 21 FEB 2012 19:30 SPECTRUM WIDTH (m/s) Antenna Elevation: 1.1 Max Range: 60 km Range circle apart: 20 km SQI Threshold: 0.4 dB る 表 示 で は 、シ ー ク ラ ッ タ ー 域 の ス ペ ク ト ル 幅 は 、同 図 に あ る カ ラ ー バ ー か ら 、0.5−1.1 m/s と な っ て お り 、こ の 海 域 内 に は 流 氷 は 存 在 し て い な い 。し か し 、紋 別 か ら 方 位 20−55 度 、距 離 47−53 km に 流 氷 が 点 在 し て い る こ と が 判 る 。流 氷 の ス ペ ク ト ル 幅 は 、海 岸 線 を 示 す グ ラ ンドエコーと同様に小さく 0.1−0.2 m/s となっており、シークラッター域とは明らかに異なっ ていることが判る。また、本画面の 60 km 内には雲エコーが無い。 3.2 従来では識別不可能なシークラッター内に埋もれた流氷の検出例 図 3a の 反 射 強 度 表 示 で は 、シ ー ク ラ ッ タ ー 域 が 65 km ま で 達 し て い る こ と だ け が 判 る が 、 流 氷 の 存 在 は 全 く 識 別 で き な い 。し か し 、図 3b に よ る ス ペ ク ト ル 幅 表 示 で は 、シ ー ク ラ ッ タ ー 域 内 で 海 岸 に 平 行 し て 沖 合 い 30 km に 雲 エ コ ー(Spectrum Width: 1.5 m/s)が 重 畳 し て 北 西 か ら 南 東 方 向 へ 移 動 し て い る 。流 氷 の 存 在 は 、1. 紋 別 の 北 28−37 km、2. 紋 別 か ら 方 位 55 図 4a 4 APR 2012 14:00 REFLECTIVITY (dBZ) Antenna Elevation: 1.1 Max Range: 60 km Range circle apart: 20 km 図 4b 4 APR 2012 14:00 SPECTRUM WIDTH (m/s) Antenna Elevation: 1.1 Max Range: 60 km Range circle apart: 20 km SQI Threshold: 0.4 dB 度 、距 離 20−33 km( こ こ か ら 東 の 方 向 に 筋 状 に 4. ま で 延 び て い る )、3. 方 位 20−40 度 、距 離 45−56 km、4. 方 位 50−85 度 、距 離 45−56 km( 筋 状 の 流 氷 )、5. 方 位 95 度 、距 離 56 km の 各 海 域に明らかに流氷が検出されている。 3.3 退去期の流氷 図 4a では、シークラッター域が 60 km を越え、これに雲エコーが海域全体に重畳している ように観測されるが、流氷エコーは全く識別できない。図 4b では、流氷が 1. 海岸線に平行し て沖合い 25 km に帯状に長さ約 75 km、さらに 2. 北東方向に 40 km に帯状に長さ 20 km、3. 北 方 向 50 km、4. 北 北 東 ∼ 北 東 方 向 50 km 等 々 に 流 氷 域 が 明 確 に 識 別 で き る 。本 図 は 、図 4a で は 識 別 が 全 く 不 可 能 な 例 に も か か わ ら ず 、ス ペ ク ト ル 幅 表 示 に よ っ て 流 氷 の 識 別 が 良 好 な 例 である。 図 5a 24 FEB 2012 06:30 REFLECTIVITY (dBZ) Antenna Elevation: 1.1 Max Range: 60 km Range circle apart: 20 km 図 5b 24 FEB 2012 06:30 SPECTRUM WIDTH (m/s) Antenna Elevation: 1.1 Max Range: 60 km Range circle apart: 20 km SQI Threshold: 0.4 dB 3.4 気象エコー通過の影響を受け、流氷域に部分的な誤り域が発生した例 図 5a では、シークラッター域が約 50 km に及んでいるが、強力ではない。方位 345−90 度、 距離 36−50 km の広い海域に筋状のエコーが現れているが、これが流氷かあるいは雲によるも の で あ る か は 識 別 で き な い 。図 5b で は 、方 位 345−60 度 、距 離 30 km 以 遠 の 広 い 海 域 に 図 5a と 同 様 な 複 雑 な 筋 状 の シ ー ク ラ ッ タ ー が 発 生 し て い な い エ コ ー が 観 測 さ れ る 。こ れ は 流 氷 に よ る 消 波 作 用 に よ っ て シ ー ク ラ ッ タ ー が 発 生 し て い な い 海 域 と 推 測 で き る 。ま た 、紋 別 か ら 東 方 向 に 幅 が 約 10 km 連 続 し た エ コ ー が 認 め ら れ る 。こ れ は 本 来 で あ れ ば 流 氷 域 と 考 え ら れ る が 、実 際 は 紋 別 か ら お よ そ 20 km 以 内 の 海 域 は 流 氷 で は な か っ た 。こ れ は 気 象 エ コ ー の 影 響 で ス ペ ク ト ル 幅 表 示 に 誤 り が 生 じ た 結 果 か 、あ る い は そ の 時 の 状 況 が 流 氷 や グ ラ ン ド エ コーと同じスペクトル幅であった結果と考える。図 5c にドップラー速度表示を示したが、海 図 5c 24 FEB 2012 06:30 VELOCITY (m/s) Antenna Elevation: 1.1 Max Range: 60 km Range circle apart: 20 km SQI Threshold: 0.4 dB 図 6 スペクトル幅によるヒストグラム 側に見える赤の領域が雲エコーであり紋別を中心に陸側の南東方向から海上へ出て東北東へ 向きを変え 5 km/h 以上の速さで移動していることが判る。 図 6 は、図 2b から 5b のヒストグラムである。4 例は共に本報告の主旨から海面や雲による ク ラ ッ タ ー が 顕 著 な 例 の み を と り 上 げ た に も か か わ ら ず 、4 月 4 日 14 時 の 1 例 を 除 い て 流 氷 や地形とクラッター域が明確に分れている。 4 おわりに ド ッ プ ラ ー レ ー ダ ー 観 測 に お け る ス ペ ク ト ル 幅 デ ー タ の 利 用 は 、航 空 機 の safty flight の 例 を み て も 反 射 強 度 や ド ッ プ ラ ー 速 度 に 比 べ る と 非 常 に 限 ら れ て い る 。こ の 理 由 は 、大 気 の 乱 れなどの厳しい気象現象に対する信頼性の問題によるとされている [4]。 我々が行ったドップラーレーダーによるシークラッター海域に埋もれた流氷の検出は、 1 シーズン の 短 期 間 の 観 測 結 果 か ら で は あ る が 、強 力 な シ ク ラ ッ タ ー の 発 生 時 に お い て も 極 め て 有 効 で あ る こ と が 判 っ た 。し か し 、こ れ に 激 し い 気 象 エ コ ー が 重 畳 す る と 、部 分 的 に 誤 りが発生することを認識した。 本 来 、レ ー ダ ー に よ る 気 象 エ コ ー の 反 射 因 子 は 、任 意 の 距 離 に お け る レ ー ダ ー ア ン テ ナ のビーム幅とパルス幅によるサンプリング体積内の多数の降水粒子の集まりとされている。 一 方 、流 氷 や シ ー ク ラ ッ タ ー の 場 合 は 、レ ー ダ ー ア ン テ ナ 高 か ら の 俯 角 に あ た る 、ア ン テ ナ ビ ー ム 幅 と パ ル ス 幅 に よ る サ ン プ リ ン グ 面 積 内 の 種 々 の 形 状( 凹 凸 )の 集 ま り や そ れ ら 流 氷 表 面 の 複 素 誘 電 率 で 決 ま る も の と 考 え ら れ る 。さ ら に 、レ ー ダ ー ア ン テ ナ か ら 放 射 さ れ た 電 波 は 、物 標 か ら の 直 接 波 と そ の 前 面 域 で 一 旦 反 射 し て か ら 本 来 の 物 標 か ら 反 射 さ れ る 間 接 波、いわゆるマルチパス波の合成による複雑な伝播経路を経ると考えられている [3]。本報告 で は 流 氷 に 気 象 エ コ ー の 原 理 を そ の ま ま 利 用 し た が 、ど の よ う な 場 合 に 利 用 で き る か な ど の さらなる検証が今後に残された課題である。 参考文献 [1] Aota, M., 1973: On the Discrimination between Sea Ice and Sea Clutter in Drift Ice Radar Observation. 海と空, 49, 9–20. [2] SIGMET, Inc., 2006: 5.3.5 Spectrum Width Algorithms. RVP8 User’s Manual August 2006, p.5-35. [3] 大 井 正 行, 田 畑 忠 司, 1978: 流 氷 観 測 レ ー ダ ー に お け る 反 射 電 力 の 距 離 減 衰 に つ い て. 低 温科学物理篇, 37, 125–129. [4] Fang, M., Doviak, R. J., 2001: Spectrum width statistics of various weather phenomena. National Severe Storms Laboratory Report, Norman, Oklahoma, 62pp.
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