小説『内観旅行』序章 小説『内観旅行』序章 ~ 天才営業ウーマンとの出会いと挫折をきっかけに始まる、自分探しの心の旅 ~ ●出会い 今から 10 年ほど前、私はある人物に出会いました。 それをきっかけに、私の人生はダイナミックに動き、 今も動き続けています。 ここでご紹介する物語は、 そんな私の体験を元に書かれたフィクションです。 1/13 小説『内観旅行』序章 1.プロローグ 「納得できません!」 オフィス中に響く大きな声だった。 朝礼が終わると、行き先を告げながら次々と部員が営業に出て行 く。 社員研修を請負う会社だけあって、朝のオフィスは見かけ上てき ぱきとしている。 浅井徳子もすぐに出るところだったが、「5分だけ・・・」と忍 田部長に呼び止められて、オフィスのコーナーにある部長席の前 に椅子を置き、向かい合って打ち合わせを始めていた。 かれこれ 15 分を経過した頃、その大きな声が発せられた。 声の主は浅井だった。めずらしく忍田部長にくってかかっている。 内勤の事務職員と、残っていた数人の営業部員の耳が、一気に二 人の会話に集中した。 浅井は前月度、新規顧客獲得と聡売上金額の、全国1位を同時に 達成していた。 これだけ成績を上げていても、更に高い要求をつきつけ能力を引 き出そうとする忍田部長は、浅井を怒鳴りつけることもしばしば あった。 しかし、このときばかりは防戦一方だった。 他部門の新人営業が、浅井が以前から追いかけていた見込み客に、 「浅井は辞めました」とウソを言って研修を受注したのだ。 2/13 小説『内観旅行』序章 社内の規定では新規顧客へのアプローチはフリーで、どの営業の 提案を選択するかは顧客の判断に任せている。 しかし嘘は当然ルール違反だ。 それでも、社内のゴタゴタを顧客にさらけ出すわけにはいかない。 部門長間で話し合った結果、売り上げは折半で分け合う。しかも、 今後の事を考えれば、良い提案と気配りのフォローで売り上げが 見込める浅井を担当に据えた方がいい。 それは誰もが理解できたが、浅井の力で今後上積みが見込める売り 上げまで、折半になるという。 浅井の数字は部の数字でもあるから、これには、恐らく部員全員 が納得しない。 この部門は以前にも、この「辞めました」事件を何度か起こして いたが、たまたま受注前に見込み客が教えてくれていたので、大 きな問題にはならずにいた。 この部門長にしてみれば、自部門の新人がそうまでして必死に取 ってきた受注を、無にしたくないのかもしれない。しかしそうだ としても、 「新人だから他部門の営業の名前まで把握していない し、本当に辞めたと思っていた」という苦しい言い訳が通ってし まうのは不自然だ。 至近距離で耳をそばだてていた八木啓一はそう思った。 部門長間の政治的取引か、何かのしがらみのせいか?結局この判 断の真相は、最後まで明らかにされることは無かった。 涙目のまま営業に出ようとする浅井に「少し疲れてないですか? 身体壊したらなんにもならないから無理しないでくださいね」と、 八木は声をかけた。 3/13 小説『内観旅行』序章 浅井は出社も退社も殆ど定刻どおり、直行直帰も当たり前だった が、毎日夜9時頃まで残業している自分より、よほど神経をすり 減らしながら仕事をこなしているように、八木には見えたのだっ た。 浅井は曇った表情を一変させ、無理に満面の笑顔をつくって「あ りがとう」と言うと、気持ちを切り替えるように、大きな声で行 き先と帰社時間を告げて出て行った。 2.目標達成1 八木がこの会社に中途採用されてから、3年が経過していた。 OA機器のメンテナンス会社を辞め、以前から興味のあった能力 開発の世界に入ってみようと再就職した 25 歳のときだった。 この会社の売れ筋商品であるハードな合宿訓練を、社員は必ず体 験しなければならない。商品を知らなければ売れないという、あ る意味当然の理由からだ。 規定では7日で修了するリーダー養成訓練を、修了科目が足らず、 2日間も補講に費やした八木に対し、同期の中途採用で 10 歳年上 の浅井徳子は規定通りに修了してきた。 この研修で規定通りに修了できるのは全体の2割で、自社の社員 には更にハンデを負わせる。 結果、身内の規定修了者は1割に満たない。にも関わらず、浅井 はそれを主席で修了してきた。 人里離れた会社自前の訓練施設で、外界と遮断され、10 名単位の グループ分けをして、競わせながらリーダーとしての行動力を鍛 えていく。 4/13 小説『内観旅行』序章 斜に構えたような態度は許されない。メンツやプライドを木っ端 微塵にしてしまう仕掛けが随所に設けられており、挫折感と達成 感を繰り返し体験させながら、原則として全ての項目に合格する まで研修を続ける。研修中はリーダーとしての行動の真価が問わ れる。 八木としては二度と受けたくはなかったが、浅井にしても彼にし ても、いい研修だと思っていた。 入社半年の頃、棒グラフのプレッシャーに押しつぶされそうな八 木に対し、浅井は目標をつぎつぎとクリアし、さらに倍々ゲーム のように成績を伸ばし始めていた。 八木といえば成績は安定せず、上がったり下がったりを繰り返し ていた。 堀が深く、目鼻立ちのはっきりとした美人で、仕事の出来る浅井 は周囲から妬まれるようになっていた。しかし彼女の成績は悪口 を封じ込めてしまうほど、上層部を熱狂させはじめていた。 そして客に好かれるのと同じように、身近な人間ほど彼女を慕う ようになっていた。 3.目標達成2 この会社では、売上の目標設定は当然するが、行動にもノルマを 科す。それは、1日 100 本のアポイント電話であり、50 件の飛びこ み営業だったりする。 しかし、そのノルマを彼女がこなしていないのを、八木はよく知 っていた。 5/13 小説『内観旅行』序章 それは中身の無い行動目標が、こなすだけなら無意味で、無駄な 作業に過ぎないことを、浅井と成績の上がらない者との比較で証 明しているようなものだった。 彼女の営業日報や、提出を命じられている様々な営業活動のデー タは、部門長の判断で改ざんされ、真実の姿は上層部には伝わら なかったし、提出はしばしば滞っていた。 そういう彼女の一面だけを捉え、周囲ではウソの報告や書類提出 の遅延が横行していた。 八木はバカ正直に、無意味な数こなしの、およそ仕事とは言えな いような作業を、毎日のように繰り返していた。 それは最低限指示されたことだけはすることで、成績が上がらな いマイナス点をカバーしようとしていたに過ぎない。頭を使った り工夫をするということをサボっていることを、八木自身が自覚 していた。 奴隷のように、言われたことだけをするのは実は楽なのだ。そこ まで分かっていて、それを改善する方法が彼には分らなかった。 そして結果責任は指示を出した人間にあるのだから、自分はリス クを負わなくていい。それより、指示に従わない事で予想される 軋轢(あつれき)やペナルティーを覚悟の上で、思考錯誤しなが ら自分のやり方を追求することの方が、精神的タフさを必要とす る。 その意味で自分と浅井は対称的だと、八木は思っていた。 そもそも販売戦略・戦術において、顧客と直に接している最前線 からの情報は、それを立てる上で極めて重要な要素のはずだが、 この会社の場合、情報は改ざんされ、誤った報告が上がるので、 上からの指示もトンチンカンになる。 6/13 小説『内観旅行』序章 しかし、これは別にこの会社に限った事ではなく、トップの意向 が強くはたらく中小企業では当たり前のようにある。 その辺のところは実は社長もよく分かっていて、わざと社内に問 題が起きるように理不尽な仕掛けをし、それをネタに新しい研修 を考案しているのではないか?と、八木は疑っていた。 主任研究員という肩書きのこの会社の代表は、どうも利益を上げ ることより、自分の会社を実験室にした研修の研究開発に、より 興味があるようにしか、八木には見えなかった。 実際、営業活動の時間を割いてまで優先される、俳優養成所のよ うな訓練が、社内で頻繁に行われていた。 もちろん、モルモットの優先順位は、成績の上がらない者からで ある。 4.目標達成3 平成不況といわれる中で、この研修会社でも営業は苦戦を強いら れていた。経費節減の矛先は、社員研修にも向けられている。 ところが、八木のいる企画営業第1部だけは別だった。夏には年 初にたてた部門の売り上げ目標を達成してしまったのだ。 そこそこ好調な営業が何人かいたこともあったが、部門の成績を 引っ張ったのは浅井だった。 10 人いる営業の、総売上の実に 40%あまりを、浅井ひとりで稼ぎ 出していた。 浅井には既に3人の部下がいたが、うまく使っていた。必要な企 画書の作成や書類の郵送などの処理を部下にやらせ、自分はでき 7/13 小説『内観旅行』序章 るだけ営業に専念できるようにしていた。 与えた仕事には始めのうちチェックを入れるが、次第に部下に全 て任せるようにしていった。 もちろん部下にもノルマがある。そこで部下の見込み客先に同行 し、バックアップすることで部下の数字もつくっていた。 これによって浅井の部下達は、OJT(オン・ザ・ジョブ・トレ ーニング)で彼女の営業ノウハウを学ぶことができた。 秋、会社の創立30周年を記念して、全国の営業成績優秀者を都 内のホテルに集め、パーティーが行われた。 浅井は全国営業拠点の百数十人の営業社員中、年間売り上げ第一 位の表彰を受けた。忍田部長の手腕も高く評価され、最優秀部門 として表彰された。 浅井は3年前の入社当時、営業先でトップセールスになると吹聴 しまくっていた。そんな浅井を、営業先の人事担当者や社長も面 白がっていた。 「3年で一番になります」と宣言していた浅井の目標は言ったと おりになった。 彼女は「部門で3番になりました」「全社で5位です。もう一息 です」というように、節目節目で自分の成長を自分の顧客に報告 していた。 そうすることで有言実行が認められ、客からも信用され応援もさ れた。そして、確実に浅井ファンをつくっていった。 実際、入社1年の頃には新規の営業をしなくても、新規開拓がで きていた。顧客が新規を紹介してくれるからだ。 8/13 小説『内観旅行』序章 浅井は研修を受注するとき、決して顧客の希望をそのまま受けな い。まず許される予算内でどんな研修をすれば最も成果を出せる かを、徹底的に考えた。 「出来の悪い社員を、厳しい研修で叩き直してくれ」などという 要望には、 「原因は社長にあるのでは?」などと手厳しい。わざ と怒らせることすらあった。 研修に失敗すればリピートは望めない。クライアントの現状把握 とフォロー、根回しなど、成果を出すことにこだわっていた。 しかしそれは、結果として信頼を勝ちとることになった。 受賞のスピーチでは、自分の歩んだ営業でのエピソードの他、成 果を出したクライアント企業のPRも忘れなかった。 5.目標達成4 パーティー会場のステージに上がり、社長から記念品を授与され、 彼女は感涙にむせんでいた。 このイベントには、クライアント企業と成績優秀者だけしか参加 できなかったので、八木はこのパーティーの様子を浅井から聞い た。 八木と浅井は一度も同じ班になったことがなかった。しかし同期 のよしみで、浅井は八木に優しかった。 成績の上がらない彼の相談にもよくのっていた。八木は浅井に、 一般人には無いスター性のようなものを感じていた。 9/13 小説『内観旅行』序章 「浅井さんて、近い将来テレビとかに出ちゃうような気がするん ですよね」 「あらっ本当?さんまちゃんと共演できるかしら」 「できちゃうかもって思えるんですよ。有名人になっても僕のこ と忘れないで下さいね」 お世辞を言っているつもりは無かったが、そう言われて嬉しそう なリアクションをする浅井を、八木は可愛いとさえ思った。 この頃の浅井は明確に次の目標を描き始めていた。 しかし、八木は相変わらず自分の目指すべき姿が見えてこないで いた。 6.愛される理由1 「相談があるんですが、近いうち一緒に飲みに行きせんか?浅井 さん忙しいから、浅井さんの都合に合わせますから」 「じゃー今夜どう?今夜ならあいているわ」 浅井のアフター5のスケジュール表は3ヶ月先までほぼ詰まって いた。 それでも空いてさえいれば、彼女は付き合ってくれた。 その日は、自分の住む日本橋浜町の清潔感のある焼肉レストラン に、浅井は八木を連れて行った。 10/13 小説『内観旅行』序章 その店に入ると、店主も店員も彼女を見るなり零れんばかりの笑 顔で迎え入れ、奥の落ち着ける個室へと案内した。 浅井も、「こんばんはぁ!おじゃましまぁーす」と、店員ひとり 一人に笑顔で挨拶している。まったく客然としていない。 そして八木は、浅井に至れり尽くせりの接待を受けてしまった。 「相談をお願いしたのはこっちなのに…」八木は少し戸惑ってい た。 まず彼が下座に座ることを許さなかった。 注文のメニューも、彼の好みや希望を聞きながらも、「コレ絶対 お勧めだから」、と、考える負担を彼に与えることは無い。 八木は何を相談するでもなく、すっかり癒されてしまった。 浅井は八木に、会社に知れるとまずい事まで話した。 浅井が自分を信用してくれているということが、彼は素直に嬉 しかった。 7.愛される理由2 この3年間で彼女のつくりあげた人脈はスゴイの一言だった。 浅井は一部上場企業の社長とまで、飲み友達になっていた。 友人関係にある企業のトップ同士と浅井の3人で、月イチで飲み 会をしている。 守秘義務があるからと内容は教えなかったが、マスコミに出る前 11/13 小説『内観旅行』序章 のインサイダー情報まで話題に含まれていたという。 この店を出ると、目の前の大通りを一直線に 200 メートル程行き、 右に折れて都営地下鉄浜町駅の入り口がある。 店の前でその日の礼を言って浅井と別れ、八木はこの一直線の道 をほろ酔い気分で歩いていた。 「今日は有難うございました」 「こちらこそ、とっても楽しかったわ」 歩きながら二三度振り返り手を振る。その度に、浅井も白い歯を みせて微笑みながら手を振っていた。 そんな別れ際の余韻を楽しみながら、その 200 メートル歩いた直線 道路の角を右に曲がろうとしたとき、八木は信じられない光景を 後方に見た。 そこには、浅井がまだ立っていて手を振っているのだ。 八木は感激のあまり持っていたカバンを放り出し、飛び上がって 両手で手を振ってそれに応えた。 自分は浅井にとっての客ではないし、自分と仲良くしたところで 何の得にもならない。 彼女にとっての1時間の価値を考えると、八木は申し訳なくなる のだった。 八木の住む地元に、彼行きつけのスナックがある。ドアを出て、 帰りのほんの 10 メートル程先の角を曲がるまで、店の女の子やマ マが、ドアの外で見送っていたことはなかった。 12/13 小説『内観旅行』序章 別にそれで普通だと思っていたし、期待もしていなかったが、浅 井からこんな接待を受けてからというもの、八木は気になるよう になってしまった。 後になって、「あの時は感激しました」と八木が言うと、「相手 が思いがけない事をするのが好きなの」と、浅井は笑みを浮かべ ながら言った。 八木はそのとき思った。営業はテクニックではない。売らんかな の下心は、すぐに見透かされてしまう。どうしたら相手が喜んで くれるか?それを常に考えること。報酬は金銭ではなく、相手の 喜びそのものと思うべきなのかもしれない。 図らずも、浅井の行動が自分に教えてくれたのだと、彼は思うの だった。 小説『内観旅行』序章 おわり 等身大の成功プロジェクト 湯川健一 13/13
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