関連性理論における推論のはたらき

関連性理論における推論のはたらき
人文学部行動科学課程
人間学履修コース
言語学専攻
渋木
指導教員
4年
航
福田一雄教授
目次
序 論 ............................................................................................................... 2
第 1 章 関 連 性 理 論 に お け る 発 話 解 釈 .............................................................. 3
1.1. 関 連 性 と 発 話 解 釈 過 程 ......................................................................... 3
1.2. 想 定 ・ 文 脈 ・ 認 知 効 果 ......................................................................... 6
1.3. 推 論 に よ る 表 意 と 推 意 の 算 定 ............................................................... 9
1.3.1. 表 意 .............................................................................................. 9
1.3.2. 推 意 ............................................................................................ 12
1.4. 言 語 に コ ー ド 化 さ れ て い る 情 報 .......................................................... 13
1.4.1. 概 念 的 コ ー ド 化 ........................................................................... 13
1.4.2. 手 続 き 的 コ ー ド 化 ........................................................................ 14
1.5. ま と め ............................................................................................... 14
第 2 章 関 連 性 理 論 に よ る 発 話 分 析 ................................................................ 16
2.1. 伝 達 に 成 功 し た 場 合 ........................................................................... 16
2.2. 伝 達 に 失 敗 し た 場 合 ........................................................................... 20
2.2.1. 誤 解 と 修 正 .................................................................................. 21
2.2.2. 解 釈 停 止 と 修 正 ........................................................................... 22
2.3. ま と め ............................................................................................... 25
第 3 章 言 語 の 解 釈 的 用 法 と 推 論 ................................................................... 27
3.1. 言 語 の 解 釈 的 用 法 .............................................................................. 27
3.2. 非 字 義 的 発 話 表 現 の 分 析 .................................................................... 28
3.2.1. 関 連 性 理 論 と メ タ フ ァ ー .............................................................. 28
3.2.2. 慣 用 句 ・ 諺 の 分 析 ........................................................................ 30
3.3. ま と め ............................................................................................... 35
結 論 ............................................................................................................. 37
注 ................................................................................................................ 39
参 考 文 献 ...................................................................................................... 39
出 典 ............................................................................................................. 40
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序論
私たちは普段、ことばを用いて意思を伝達し、他者とコミュニケーションをと
っ て い る 。そ の 具 体 的 な 形 式 は 多 種 多 様 で 、そ れ こ そ 無 数 に 存 在 す る と 思 わ れ る 。
その無数の形式の中には、言葉で伝えたいことを直接的に表現しているものもあ
れば、間接的に表現しているものもある。表現の長さも、長いものから短いもの
まで様々だ。同じような内容を伝えることができる表現がいくつもあって、それ
ぞれが直接的であったり間接的であったり、また長い表現であったり短い表現で
あったりするというのは、特に珍しいことではない。このように、伝達には多種
多様な、無数の形式が用いられている。にもかかわらず、大抵の場合私たちの伝
達は成功し、時折失敗する。私たちの伝達はいかにして成功へと導かれ、またい
かなる場合において失敗するのか。
伝達が成功あるいは失敗するということは、1 つの見方として、話し手の言語
表現の解釈に聞き手が成功したか、あるいは失敗したかということであるとも言
えるだろう。したがって、ことばによる伝達を考えるためには、ことばの解釈の
側面に注目する必要がある。そのためには、関連性理論の考え方を手掛かりにす
る の が 有 効 だ ろ う 。 関 連 性 理 論 は 、 Grice の 発 話 解 釈 理 論 を 下 敷 き に 、 そ れ を 修
正、発展させる形で登場した理論である。この理論は、関連性という単一の原理
に基づいて発話解釈が行われるというものであり、その発話解釈においては推論
が重要な役割を果たすとしている。
本論文ではこの理論に基づいて、推論のはたらきによって発話が解釈される仕
組 み や 、発 話 解 釈 が 失 敗 す る 場 合 を 分 析 す る 。第 1 章 で は 、分 析 の 前 段 階 と し て 、
関連性理論の提唱する発話解釈の仕組みをおおまかに見ていく。第 2 章では、日
本語による発話の成功例及び失敗例を挙げ、どのようなプロセスにより発話解釈
が成功するのか、また、どのような要因で発話解釈が失敗するのかという点につ
いて分析する。第 3 章では、慣用句や諺、メタファーなど、非字義的表現を含む
発話を取り上げる。慣用句や諺といった非字義的表現を含む発話は、それを含ま
ない発話よりも効果的なものであるように思われる。後に詳述するが、慣用句や
諺は、それらが用いられる形式によっては、辞書的な意味以上の意味を伝達して
いるように筆者は思う。このことについて、関連性理論における非字義的表現の
分析方法を捉えた上で考察していく。
関連性理論では推論のはたらきが発話解釈において重要な位置を占めるため、
個々の現象における推論のはたらきに注目することで考察を進めていきたい。
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第 1 章 関連性理論における発話解釈
具体例の分析に進む前に、まずは関連性理論の枠組みを捉える必要がある。
日 常 の 言 語 使 用 の 場 面 に お い て 、私 た ち は 様 々 な 形 式 の 言 葉 を 発 し て い る 。ま た 、
そうした発話を何気なく、それも瞬間的に解釈している。普段は気にも留めない
が、私たちは、その形式が無数に存在しうる発話を、瞬間的に、そして当たり前
のように解釈しているのである。果たして、発話解釈はどのように行われている
の だ ろ う か 。本 章 で は 、関 連 性 理 論 に お け る 発 話 解 釈 過 程 が ど の よ う な も の な
のか、概観していく。
1.1. 関 連 性 と 発 話 解 釈 過 程
発 話 解 釈 の 仕 組 み を 説 明 す る モ デ ル に は 、 大 き く 分 け て コ ー ド モ デ ル (code
model)と 推 論 モ デ ル (inference model)が あ る 。コ ー ド モ デ ル と は 、話 し 手 が 相 手
に伝えたい情報を、日本語とか英語といったコードに変換、聞き手に発信し、聞
き手は受けとったコードを解読、元の情報を復元することで伝達が行われるとい
うものである。一方推論モデルは、話し手が何かを伝えようとして発する発話を
証拠に推論によって解釈を行うというものである。関連性理論は、この推論モデ
ルに修正を加えた修正推論モデルに基づいており、発話解釈における推論の役割
を重視しつつ、意味論的コード解読と推論の相互作用によって発話解釈が行われ
るとする。
関連性理論における発話解釈の過程を少し具体的に見ていこう。まず、関連性
理論では、人の心を入力系と中央系の大きく2つに分ける。入力系は様々な刺激
(視覚刺激や、聴覚刺激など)を中央系に運ぶ。中央系は、推論などの発話解釈
処 理 が 行 わ れ る 場 で あ る 。 中 央 系 に 運 ば れ た 刺 激 は 概 念 表 示 (conceptual
representation)と い う 心 的 な 表 示 に 変 換 さ れ 、こ こ か ら 非 論 理 的 特 性 を 取 り 払 っ
た 論 理 形 式 (logical form) 1 が 発 話 処 理 の 計 算 を 受 け る と さ れ る 。 こ の 論 理 形 式 か
ら推論によって発話の表意が派生され、表意や文脈を手掛かりに推意が派生され
る こ と で 発 話 の 解 釈 が な さ れ る と す る 。 こ の 解 釈 過 程 は 関 連 性 の 原 則 (principle
of relevance)に 基 づ い て い る 。
関連性とその原則は次のようなものである。
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(1) 関 連 性
ある想定がある文脈中で何らかの文脈効果をもつとき、そしてそのときに
限りその想定はその文脈中で関連性をもつ。
(Sperber and Wilson 1995 2 , 邦 訳 147 頁 )
(2) 程 度 条 件 1: 想 定 は あ る 文 脈 中 で の 文 脈 効 果 が 大 き い ほ ど 、そ の 文 中 で 関 連
性が高い。
程 度 条 件 2: 想 定 は あ る 文 脈 中 で そ の 処 理 に 要 す る 労 力 が 小 さ い ほ ど 、そ の
文脈中で関連性が高い。
(Sperber and Wilson 1995 2 , 邦 訳 151 頁 )
関連性理論において、発話が伝達するのは話し手の想定である。詳しくは後述す
るが、想定とは、個人が持っている世界に対する認識である。この想定が文脈と
の相互作用により、何らかの文脈効果、例えば聞き手の世界に対する認識を改め
るような効果をもつとき、その伝達された想定は当該の文脈中で関連性をもつと
される。その関連性の程度は、文脈効果が大きいほど、発話の解釈にかかる労力
が小さいほど大きくなる。
(3) 関 連 性 の 第 1 原 則
人間の認知は、関連性が最大になるようにできている。
(4) 関 連 性 の 第 2 原 則
全ての意図明示的伝達行為は、それ自身の最適の関連性の見込みを伝達す
る。
(5) 最 適 な 関 連 性 の 見 込 み
(a) 意 図 明 示 的 刺 激 は 受 け 手 が そ れ を 処 理 す る 労 力 に 見 合 う だ け の 関 連 性
がある。
(b) 意 図 明 示 的 刺 激 は 伝 達 者 の 能 力 と 優 先 事 項 に 合 致 す る 最 も 関 連 性 の あ
るものである。
(Sperber and Wilson 1995 2 , 邦 訳 318-333 頁 )
関 連 性 の 第 1、 第 2 原 則 は そ れ ぞ れ 認 知 原 則 、 伝 達 原 則 と も 呼 ば れ 、 前 者 は 人 間
の認知資源は最も関連性のあるものの処理に当てられるということを、後者は発
4
話に代表される意図明示的伝達行為
2
は、その行為は最低でも聞き手がそれを解
釈するに値するほどの関連性があり、かつ話し手に可能な限りの最善の伝達方法
であるということをその行為自体が伝達するということを示している。関連性理
論では、こうした原則に基づいて推論を中心とした解釈が行われるとしている。
ここで、発話解釈に関わる推論にも説明を加えておきたい。推論には帰納的推
論と演繹的推論があるが、関連性理論において、発話解釈過程に関わるのは演繹
的推論である。すなわち、前提が真であれば結論も真であるような推論である。
ここでは有名な例を 1 つ挙げておこう。
(6) 前 提 : 全 て の 人 間 は 死 ぬ 。
前提: ソクラテスは人間である。
結論: ソクラテスは死ぬ。
東 森 ・ 吉 村 (2003)に よ れ ば 、 発 話 処 理 過 程 に 関 わ る 推 論 規 則 は 演 繹 規 則 の う ち の
削除規則であると考えられる。
(7) 連 言 (and)除 去 : a. Input: (P and Q)
b. Input: (P and Q)
Output: P
Output: Q
(8) 肯 定 式 : Input: (ⅰ ) P
(ⅱ ) (if P then Q)
Output: Q
(9) 否 定 式 : a. Input: (ⅰ ) (P or Q)
b.
(ⅱ ) (not P)
Input: (ⅰ ) (P or Q)
(ⅱ ) (not Q)
Output: Q
Output: P
(東 森 ・ 吉 村 2003, 15 頁 )
発話の解釈過程では、関連性の原理に基づいてこのような推論規則がはたらいて
いるとされる。
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1.2. 想 定 ・ 文 脈 ・ 認 知 効 果
前述のとおり、関連性をもつということは、ある想定がある文脈中で何らかの
文脈効果をもつということである。以下、ここで言われている想定や文脈、認知
効 果 ( 文 脈 効 果 3) を 取 り 上 げ る 。
Sperber and Wilson(1995 2 )に よ れ ば 、想 定 (assumption)と は「 個 人 が 現 実 世 界
の表示として扱う思考のこと」である。百科事典的知識や、願望、予測など、人
が心的に表示しうるさまざまな論理形式とも言える。想定には確信度の強弱があ
り、例えば、明確な知覚経験に基づいた想定は強いものになる傾向があるし、誰
かから伝え聞いたことに基づく想定であれば、その強さはその人に対する信頼度
に比例すると考えられる。また想定は、概念の構造化された集合体でもある。人
はさまざまな想定をいくつももっており、こうした想定の集合を認知環境
(cognitive environment)と 呼 ぶ 。
(10) あ る 事 実 が あ る 時 点 で 一 個 人 に と っ て 顕 在 的 (manifest)で あ る の は 、そ の 時
点 で そ の 人 が そ れ を 心 的 に 表 示 し 、真 、ま た は 蓋 然 的 真 と し て そ の 表 示 を 受
け入れることができる場合、そしてその場合のみである。
(11) 一 個 人 の 認 知 環 境 (cognitive environment)は 当 人 に と っ て 顕 在 的 で あ る 事
実の集合体である。
(Sperber and Wilson 1995 2 , 邦 訳 46 頁 )
さ ら に 想 定 は 、 発 話 解 釈 の た め に 文 脈 (context)と し て 選 び 出 さ れ る 。 今 井 (2001)
によれば、文脈は次のように定義することができる。
(12) 発 話 の 解 釈 に 当 た っ て 、 発 話 の 解 読 的 意 味 と 共 に 推 論 の 前 提 と し て 使 わ
れる想定。
(今 井 2001, 12 頁 )
関連性理論における文脈とは、単に発話における先行テキストや、周囲の状況だ
けを言うものではない。そこにはあて推量や仮説など、聞き手の世界についての
様々な認識が文脈として選ばれうる。文脈は発話解釈のために選ばれる想定であ
り 、 世 界 に つ い て の 聞 き 手 の 信 念 と 仮 定 の 部 分 集 合 で あ る (Blakemore 1992 , 邦
訳 39 頁 )。
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そ し て 認 知 効 果 (cognitive effect)と は 、聞 き 手 の 認 知 環 境 を 修 正 す る こ と で あ る 。
これは認知環境、すなわち既存の想定の論理形式と、発話によってもたらされた
新 し い 想 定 の 論 理 形 式 を 比 較 し 、「 認 知 環 境 が 、 互 い に 矛 盾 す る 2 つ の 論 理 形 式
を含まないという意味で一貫性を維持しながら、もっとも信頼できる利用可能な
想 定 の 論 理 形 式 で 認 知 環 境 を 満 た す 」 よ う に 行 わ れ る (東 森 ・ 吉 村 2003, 13 頁 )。
関連性理論では、
「 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン に お け る 話 し 手 の 意 図 は 、聞 き 手 の 認 知 環
境 を 修 正 す る こ と 」 (東 森 ・ 吉 村 2003, 13 頁 )で あ る 。 認 知 効 果 に は 、 文 脈 含 意 、
既存の想定の強め、既存の想定の削除という3つのタイプがある。
文脈含意は、既存の想定と発話によってもたらされる想定を組み合わせ、それ
を前提に推論した結果、引き出される帰結である。これを認知環境に加えること
で認知環境を修正する。次のような例を考えてみよう。
(13) a. If Bill came, the party was a success. ( 旧 情 報 )
b. Bill came.
(新情報)
c. The party was a success.
(文脈含意)
(東 森 ・ 吉 村 2003, 16 頁 )
(13a)の 想 定 を 聞 き 手 が あ ら か じ め 持 っ て い て 、 (13b)の 想 定 を 知 っ た と す る 。 聞
き 手 は (13a)と (13b)を 前 提 と し て 推 論 し た 結 果 、 (13c)と い う 帰 結 を 引 き 出 す こ と
が で き た 。(13c)は こ の 例 に お け る 文 脈 含 意 で あ り 、こ れ を 聞 き 手 が 認 知 環 境 に 加
えることで、修正がなされる。
既存の想定の強めは、話し手が持っている既存の想定に対して、さらなる証拠
や確信を与えることによってなされる。前述の通り、想定には確信度の強弱があ
るが、これは発話で受けとった新しい情報によって影響を受ける場合がある。話
し手から与えられた新しい情報が話し手のもつ想定の確信度を強めることで、話
し手の認知環境は修正される。この修正方法は、既存の想定の論理形式を書き換
えるのではなく、確信度を強めることで達成される。
(14) a. If Peter, Paul and Mary came to the Party, it was a success.
b. Peter came to the party.
c. Paul came to the party.
b. Mary came to the party.
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(15) a. If the party broke up late, it was a success.
b. The party broke up late.
(16) The party was a success.
(東 森 ・ 吉 村 2003, 16-17 頁 )
(14)の 想 定 を 前 提 に 推 論 し 、 帰 結 と し て (16)が 引 き 出 さ れ た と 仮 定 し よ う 。 こ の
推 論 が 行 わ れ た 後 、 つ ま り 、 (16)が す で に 聞 き 手 の も つ 想 定 で あ る と き 、 こ れ に
続 い て 、 (15)の 想 定 を 前 提 に 推 論 を 行 っ た 場 合 を 考 え る 。 具 体 的 に は 、 聞 き 手 が
(15a)の 想 定 を す で に も っ て お り 、 新 情 報 と し て (15b)を 知 っ た 場 合 で あ る 。 こ の
推 論 の 結 果 、 再 び (16)の 想 定 が 引 き 出 さ れ た 。 (16)は 既 存 の 想 定 で あ り 、 新 し い
想 定 と し て 認 知 環 境 に 加 え る こ と は で き な い 。 し か し 、 (14)だ け で な く (15)か ら
も (16)が 導 か れ る こ と で 、 (16)の 確 信 度 は 強 く な る 。 こ う し て 既 存 の 想 定 が 強 め
られ、認知環境が修正されている。
既 存 の 想 定 の 削 除 は 、新 情 報 と 旧 情 報 が 矛 盾 し た 場 合 に 生 じ る 。前 述 の よ う に 、
認知環境の修正は新情報と旧情報を比較し、その結果は、認知環境が互いに矛盾
するような論理形式を含んではならない。与えられた新情報と旧情報が矛盾する
場 合 に は 、確 信 度 の 弱 い 方 が 削 除 さ れ る こ と と な る 。新 情 報 の 確 信 度 が 弱 い 場 合 、
認 知 環 境 は 修 正 さ れ な い が 、旧 情 報( す な わ ち 既 存 の 想 定 )の 方 が 弱 い 場 合 に は 、
既 存 の 想 定 が 削 除 さ れ 、 認 知 環 境 が 修 正 さ れ る 。 東 森 ・ 吉 村 (2003)で は 、 次 の よ
うな例が挙げられている。
(17) A knows Russian.
(18) A does not know Russian.
(東 森 ・ 吉 村 2003, 17 頁 )
(17)は あ る 人 物 ( B と す る ) が 、 ロ シ ア 語 の 本 を 持 っ て 図 書 館 か ら 出 て く る A
と い う 人 物 を 見 て 形 成 し た 想 定 で あ る 。 そ の 数 日 後 、 B は A が ”I wish I knew
Russian.”と 言 う の を 聞 き 、 (18)の 想 定 を 形 成 し た と す る 。 こ の と き 、 旧 情 報 (17)
と 新 情 報 (18)は 矛 盾 し て い る 。し か し 、A 自 身 の 言 葉 か ら 形 成 さ れ た (18)の 方 が 、
旧情報より確信度が強いと考えられる。よって、旧情報が削除され、新情報が認
知環境に残り、修正がなされる。
以上、3 つの認知効果について概観した。繰り返しになるが、ある想定がある
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文 脈 中 で 認 知 効 果 を も つ と き 、そ の 想 定 は そ の 当 該 の 文 脈 に お い て 関 連 性 を も つ 。
発話においては、新情報として聞き手に与えられた想定が、文脈含意や既存の想
定の強め、あるいは削除をもたらすとき、その想定はその発話解釈で使われた文
脈において関連性をもつのである。そして、これらの認知効果が大きいほど、想
定の関連性は大きくなる。
1.3. 推 論 に よ る 表 意 と 推 意 の 算 定
関連性理論では、発話は解釈の処理を受けられる論理形式に変換され、ここか
ら 推 論 に よ っ て 表 意 や 推 意 と い っ た 発 話 の 想 定 を 派 生 す る 。 Sperber and Wilson
(1995 2 , 邦 訳 147 頁 )に よ れ ば 、明 示 的 に 伝 達 さ れ る 想 定 は 表 意 (explicature)で あ
り、伝達はされているが明示的でない、つまり非明示的に伝達されている想定は
推 意 (implicature)で あ る 。 ま た 、 こ こ で 言 わ れ て い る “ 明 示 的 で あ る ” と は 次 の
ように説明されている。
(17) 発 話 U に よ っ て 伝 達 さ れ る 想 定 は 、 そ れ が U に よ っ て コ ー ド 化 さ れ る 論 理
形式の発展であるとき、かつその場合のみ明示的である。
(Sperber and Wilson 1995 2 , 邦 訳 221 頁 )
解釈過程の中で、発話は意味論的なコード解読を受け、論理形式に変換される。
明示的であるか否かということは、ある想定がその論理形式の発展によるものな
のか、そうでないのかということであり、したがって、表意と推意はその観点か
ら 区 別 す る こ と が で き る 。す な わ ち 、発 話 U の 論 理 形 式 を 発 展 さ せ た 想 定 が そ の
U の 表 意 で あ り 、U に よ っ て 伝 達 さ れ て い る が 論 理 形 式 の 発 展 に よ ら な い 想 定 が
U の推意であると言うことができる。以下、表意と推意の創出プロセスを見てい
きたい。
1.3.1. 表 意
表意は、発話の論理形式に語用論的推論を加えることによって発展され、創出
される。この語用論的プロセスには、一義化、飽和、自由拡充、アドホック概念
形成の 4 つがある。
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(ⅰ ) 一 義 化 (disambiguation)
発話に用いられた言語形式が複数の語義をもっている場合、発話の関連性を達
成する過程で、語用論的にその語義が 1 つ選択、決定される。
(18) The child left the straw in the glass.
(Sperber and Wilson 1995 2 , 邦 訳 226 頁 )
(18)で 使 わ れ て い る straw は 、 飲 み 物 を 飲 む 際 に 使 う ス ト ロ ー か 、 麦 わ ら を 意 味
する。しかし、この発話においてはストローの意味として解釈されるだろう。こ
の例では、派生される表意がより関連性の高いものになるよう、推論によってス
トローという解釈が選択され、決定されている。
(ⅱ ) 飽 和 (saturation)
真偽判定可能な明示的意味を完成するために、発話に使用されている言語形式
が要求する価を文脈から補うことを飽和と言う。代名詞や指示詞の指示内容を決
定 す る 場 合 が 飽 和 に 含 ま れ る 。代 名 詞 や 指 示 詞 は 、単 数 か 複 数 か 、男 性 か 女 性 か 、
遠いか近いか、といった意味をコード化していると考えられており、その意味が
提 示 す る 条 件 に 沿 っ た 指 示 内 容 、す な わ ち 言 語 形 式 が 要 求 す る 価 を 文 脈 か ら 補 う 。
(ⅲ ) 自 由 拡 充 (free enrichment)
飽和に対して、言語形式の要求する価ではなく、より自由に何らかの要素を語
用論的に補うことを自由拡充という。飽和では真偽判定に必要な価を補うが、自
由拡充で補う要素は必ずしも真偽判定に必要ではない。
(19) a. Jack and Jill went up the hill [together].
b. Sue got a PhD and [then] became a lecturer.
c. Mary left Paul and [as a result] he became clinically depressed.
d. She took out her gun, went into the garden and killed her father
[with the gun, in the garden].
e. I’ll give you £10 if [and only if] you mow the lawn.
f. John has [exactly] four children.
(東 森 ・ 吉 村 2003, 37 頁 )
10
上 の 例 で 、 [ ]の 部 分 は 自 由 拡 充 で 補 っ た 要 素 で あ る 。 こ れ ら の 要 素 が な く て も 真
偽判定自体は可能であるが、関連性理論では、真偽判定可能な最小限の形式は表
意として不十分であり、自由拡充やアドホック概念形成によってさらに肉付けさ
れる必要がある。
(ⅳ ) ア ド ホ ッ ク 概 念 形 成 (ad hoc concept construction)
次のような例を考えてみよう。
(20)[ レ ス ト ラ ン で 出 さ れ た ス テ ー キ に ナ イ フ を 入 れ て ] This meat is raw .
(東 森 ・ 吉 村 2003, 39 頁 )
raw は 「 生 の 」 と い う 意 味 を コ ー ド 化 し て い る と 考 え ら れ る が 、 (20)で は 生 肉 が
目 の 前 に あ る わ け で は な い 。 こ の 場 合 の raw は 、「 生 の 」 と い う 意 味 が 「 十 分 に
調理されていない」というような意味に緩められて使われている。このように、
発話の論理形式に含まれる語彙概念を、文脈にあうよう語用論的に調整して、そ
の場限りのアドホック概念を形成することで関連性のある表意を得ることができ
る 。 (20)は 語 彙 概 念 の 広 め /緩 め (widening/loosening)の 例 で あ る が 、 反 対 に 語 彙
概 念 の 狭 め /強 め (narrowing/strengthening)が 起 き る 場 合 も あ る 。
人 は 様 々 な 単 語 を 用 い て い る が 、同 時 に 単 語 よ り 何 倍 も 多 く 概 念 を も っ て い る 。
それゆえ、単語にコード化しきれない概念が存在する。文脈に基づいてアドホッ
ク概念を作り上げることで、そういったコード化しきれない概念を有限の数の単
語を使って伝えることが可能になるのである。
以 上 、表 意 を 創 出 す る 4 つ の 語 用 論 的 プ ロ セ ス に つ い て 見 て き た 。関 連 性 理 論
では、表意は意味論的コード解読だけでなく、そこに推論が加わることによって
創出される。つまり、語用論的推論が発話解釈に大きく貢献していると考えられ
ているのである。また、表意が意味論的解読と語用論的推論によって派生される
ということは、表意に明示性の程度が生じるということでもある。表意形成の過
程で、意味論的解読の貢献が大きければ明示性は大きくなり、語用論的推論の貢
献が大きければ明示性は小さくなる。
11
1.3.2. 推 意
推意は、表意と同じく発話によって伝達される想定である。表意とは異なり、
伝 達 は さ れ て い る が 明 示 的 で は な く 、発 話 の 論 理 形 式 の 発 展 で は な い も の で あ る 。
推意は、記憶から、または表意と文脈の相互作用から推論によって派生される想
定 で あ る 。 推 意 に は 、 前 提 推 意 (implicated premise) と 帰 結 推 意 (implicated
conclusion)の 区 別 が 存 在 す る 。推 論 に よ っ て 発 話 解 釈 を す る 際 、そ の 推 論 の 前 提
として使われる推意が前提推意、推論の帰結として派生される推意が帰結推意で
ある。次のような例を考えてみよう。
(21) a. ピ ー タ ー : Would you drive a Mercedes?
b. メ ア リ ー : I wouldn’t drive ANY expensive car.
(Sperber and Wilson 1995 2 , 邦 訳 236 頁 )
ピーターの質問に対して、メアリーは直接答えていない。このとき、ピーターは
(21b)を ど の よ う に 解 釈 す る の だ ろ う 。 ピ ー タ ー は 、 (21b)が 最 適 な 関 連 性 を も っ
て い る と 見 込 ん で 推 論 を 解 釈 す る 。(21b)は ピ ー タ ー が 高 級 車 に つ い て の 百 科 事 典
的 情 報 を 記 憶 か ら 呼 び 出 す よ う 仕 向 け て い る 。 そ の 情 報 の 中 に (22)が 含 ま れ て い
るとしよう。
(22) A Mercedes is an expensive car.
(Sperber and Wilson 1995 2 , 邦 訳 236 頁 )
記 憶 か ら 呼 び 出 さ れ た (22)の 想 定 を 含 む 文 脈 で 処 理 さ れ る と 、 (20b)は (22)の よ う
な文脈含意を生み出すと考えられる。
(23) Mary wouldn’t drive a Mercedes.
(Sperber and Wilson 1995 2 , 邦 訳 236 頁 )
こ こ で 行 わ れ た 推 論 は 、(21b)の 表 意 と 、記 憶 か ら 呼 び 出 し た (21)を 前 提 と し 、(22)
を 帰 結 と し て 導 い て い る 。 ま た 、 (22)と (23)は 明 示 的 で は な い が 、 話 し 手 が 聞 き
手に伝達しようとした想定、すなわち推意であると考えられる。このとき、前提
と し て 使 わ れ た (22)は 前 提 推 意 、 推 論 の 帰 結 と し て 生 み 出 さ れ た (23)は 帰 結 推 意
12
である。
上 の 例 で は 、 前 提 推 意 (22)は 記 憶 か ら 呼 び 出 さ れ た 想 定 だ が 、 前 提 推 意 が 聞 き
手によって作り出される場合もある。その場合は、聞き手がもつ想定スキーマを
呼び出して、それにそって推意を作ると考えられる。
また、推意には強弱がある。話し手の発話が話し手に特定の推意を引き出すよ
う強く仕向ける場合、これは推意が引き出されるかどうかの責任がより多く話し
手にあるとも言えるが、そのような推意は強い推意である。一方、詩的メタファ
ーのように、推意が引き出されるかどうかは聞き手の推論に依るところが大きい
ような場合、その推意は弱い推意であると言える。推意の強弱はその推意の創出
に対して話し手または聞き手が責任を負う度合いによって様々である。
以上、関連性理論における表意と推意の創出について見てきた。表意が推論の
前提として使われうるということから、表意がまず確定され、それから推意が引
き出されるようにも思えるが、
「 両 者 が 相 互 調 整 し な が ら 、時 間 的 に は 同 時 進 行 で
派 生 さ れ る 場 合 が 多 い と 関 連 性 理 論 で は 考 え る 」 (東 森 ・ 吉 村 2003, 54 頁 )。
1.4. 言 語 に コ ー ド 化 さ れ て い る 情 報
聴覚刺激や視覚刺激のような形で聞き手に受けとられた発話は、その解釈過程
においてまず概念表示に変換され、論理形式を付与される。これは言語にコード
化された情報の解読という意味論的プロセスによってなされている。言語にコー
ド 化 さ れ て い る 情 報 は 、概 念 的 な も の と 手 続 き 的 な も の に 区 別 す る こ と が で き る 。
1.4.1. 概 念 的 コ ー ド 化
言語には、概念表示の構成素となる要素をコード化しているものがある。
(24) Peter told Mary that he was tired.
(東 森 ・ 吉 村 2003, 76 頁 )
(24)に お い て 、 told や tired は 論 理 形 式 の 構 成 要 素 と な る 概 念 を コ ー ド 化 し て い
ると考えられる。名詞や動詞、形容詞など、内容語の大部分は概念をコード化し
ており、発話解釈の際には意味論的解読プロセスによって概念表示の構成要素と
して表意の形成に貢献する。
13
1.4.2. 手 続 き 的 コ ー ド 化
概念をコード化しているものに対して、それら概念からなる概念表示をどのよ
うに推論するべきかという指示をする、手続き的な情報をコード化しているもの
がある。
(25) You’re no longer a little kid. So you must make up your own mind.
(今 井 2001, 37 頁 )
(25)で 用 い ら れ て い る so は 、 概 念 を コ ー ド 化 し て い る の で は な い 。 し か し 、 so
に よ っ て ”You’re no longer a little kid”と ” you must make up your own mind”
の間に、前者が後者の根拠となるような関係性が分かる。この両者の関係性は、
聞 き 手 が (25)を 解 釈 す る 際 の 推 論 に 制 約 を 課 す 手 続 き 的 情 報 で あ る 。 つ ま り 、 so
は両者の関係性という手続き的情報をコード化しているのである。手続き的情報
は、制約を課すことで話し手が意図した解釈へと聞き手の推論を導き、解釈にか
かる労力を少なくすることで関連性を大きくしていると考えらえる。
手 続 き 的 情 報 を コ ー ド 化 し て い る も の と し て so や after all な ど の 談 話 連 結 詞
が挙げられるが、代名詞もそこにどのような価を補うべきかという手続き的情報
をコード化している。また、命令文、疑問文、感嘆文などの言語形式は手続き的
コード化の典型である。
1.5. ま と め
第 1 章では、関連性理論における発話解釈過程についておおまかに見てきた。
関連性理論では、修正推論モデルに基づき、発話解釈を言語的コード解読と推論
の相互作用によるものとして捉えている。発話はまず、それがコード化している
概念的情報や手続き的情報の意味論的解読によって概念表示に変換され、そこか
ら非真理条件的要素を除いた論理形式に推論を加えることで表意が派生される。
表意はさらに文脈との相互作用により、推論の結果として帰結推意の創出に貢献
する。関連性理論では、推意の算定はもちろん、表意の算定にも推論のはたらき
が必要不可欠であり、発話解釈における推論の役割を重視している。
発話解釈は、以上のようなプロセスで、関連性の原則に基づき行われる。関連
性があるとは、ある想定が、ある文脈の中で認知効果をもつことである。人は、
14
心の中に現実世界の表示としてさまざまな想定をもつ。このような個々の想定の
集合を認知環境と呼ぶ。認知環境は、いわば人がもつ世界に対する認識の総体の
ようなものである。この認知環境を、新たな想定を加えたり、既存の想定を強め
たり、あるいは削除する事によって認知効果が生まれる。
関連性の原則は、その発話が当該の想定を伝達するために可能な限り最も関連
性の高い形式であり、発話解釈の労力に見合うだけの関連性があるということを
示している。この原則を前提に発話解釈が行われるのである。
15
第 2 章 関連性理論による発話分析
私たちは普段、多種多様な形式を用いて言葉による伝達を行っている。発話の
具体的な形式が伝えたい想定に対して直接的である場合もあれば、間接的な場合
もある。同じ想定を伝える発話であっても、発話の長さ、すなわち、コード化さ
れている情報量が多かったり少なかったりする。多種多様な、それこそ無数の具
体的な形式を用いているにも関わらず、たいていは伝達が成功する。しかし一方
で、伝達は必ず成功するわけではなく、時に失敗することもある。なぜ伝達が成
功しうるのか、また、なぜ失敗しうるのか。本章では、日本語による具体例を関
連性理論の解釈モデルに沿って分析していく。
2.1. 伝 達 に 成 功 し た 場 合
まず、日常の感覚では容易に解釈されるように思われる例を取り上げよう。
(1) a. 島 村 : 君 は ま た 早 起 き な ん だ ね 。
b. 駒 子 : 昨 晩 眠 れ な か っ た の よ 。
(川 端 康 成 『 雪 国 』 ,111 頁 )
駒 子 の 発 話 は 、島 村 の 発 話 を 否 定 す る も の と し て 解 釈 で き る 。こ の 発 話 の 解 釈 は 、
次 の よ う に 考 え ら れ る 。ま ず 、発 話 を コ ー ド 解 読 し た 結 果 、(2)の よ う な 論 理 形 式
が引き出される。
(2) 昨 晩 眠 れ な か っ た 。
さ ら に (2)に 語 用 論 的 推 論 を 加 え 、 (3)の よ う な 表 意 が 派 生 さ れ る と 思 わ れ る 。
(3) 駒 子 は 昨 晩 全 く 眠 れ な か っ た 。
「 駒 子 は 」 を 飽 和 に よ っ て 、「 全 く 」 を 自 由 拡 充 に よ っ て 補 っ た 。 推 論 は 、 (3)の
表意と文脈を前提に行われる。この例では、睡眠だとか早起きに関する百科事典
的だとか、常識的な知識が呼び出され、文脈として使われるだろう。その推論は
次のようなものだと考えられる。
16
(4) a. 早 起 き と は 一 度 眠 っ た の ち 、 朝 早 く 目 覚 め 布 団 か ら 起 き 出 す こ と だ 。
b. 駒 子 は 昨 晩 全 く 眠 れ な か っ た 。
c. 駒 子 は 早 起 き で は な い 。
(4c)の 帰 結 推 意 は 、 島 村 の 既 存 の 想 定 「 駒 子 は 今 朝 も 早 起 き を し た 」 に 矛 盾 す る
が 、 本 人 か ら 聞 い た 分 、 こ の 想 定 よ り も (4c)の 確 信 度 の 方 が 高 い 。 よ っ て 既 存 の
想 定 は 削 除 さ れ 、(4c)が 認 知 環 境 に 加 わ る 。こ う し て (1b)は 認 知 効 果 を 生 み 出 し 、
関連性が達成されるのである。
この例のような発話を、私たちは、特別な含みのあるものとして解釈すること
は普段ないだろう。しかし、そのような何気ない発話であっても、字義通りでは
ない推意によって解釈されていることがあり、このことが意識されることはあま
りない。発話解釈において推論は、それだけ当たり前に、かつ瞬間的に行われて
いる。
次の例もそのような発話の一種である。
(5) ( 島 村 が 宿 泊 し て い る 宿 の 従 業 員 で も 芸 者 で も な い 葉 子 が 、 そ の 宿 で 働 い
ているのを見て)
a. 島 村 : 手 伝 い の 人 ?
b. 番 頭 : は あ 、 お 蔭 さ ま で 、 人 手 が 足 り な い も ん で ご ざ い ま す か ら 。
(川 端 康 成 『 雪 国 』 ,124 頁 )
番 頭 の 発 話 は 、 島 村 の 質 問 に 対 し て 肯 定 で 答 え て い る と 解 釈 で き る 。 (5b)の 論 理
形式と表意は次のようなものだろう。
(6) a. お 蔭 さ ま で 人 手 が 足 り な い 。( 論 理 形 式 )
b. 宿 は お 蔭 さ ま で 繁 盛 し て お り 、 忙 し く て 人 手 が 足 り な い 。( 表 意 )
表 意 (6b)は 聞 き 手 に (7)の よ う な 前 提 推 意 を 引 き 出 さ せ る だ ろ う 。
(7) 人 手 が 足 り な い と き 、 手 伝 い が 欲 し い 。
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この前提推意と表意を用いて、次のような推論が行われる。
(8) a. 葉 子 は こ の 宿 の 従 業 員 で も 芸 者 で も な い の に 、 今 こ の 宿 で 働 い て い る 。
b. 宿 は お 蔭 さ ま で 繁 盛 し て お り 、 忙 し く て 人 手 が 足 り な い 。
c. 人 手 が 足 り な い と き 、 手 伝 い が 欲 し い 。
d. 葉 子 は 手 伝 い に 来 て い る 。
よ っ て (5b)か ら 帰 結 推 意 (8d)が 引 き 出 さ れ る 。し か し 、解 釈 は こ こ で 完 了 し な い 。
聞 き 手 で あ る 島 村 は 、 (5a)の 質 問 を し た 時 点 で お そ ら く 次 の よ う な 推 論 を 行 っ て
いる。
(9) a. 葉 子 は こ の 宿 の 従 業 員 で も 芸 者 で も な い の に 、 今 こ の 宿 で 働 い て い る 。
b. 従 業 員 で な く て も 、 手 伝 い と し て 臨 時 に 働 く こ と は あ り う る 。
c. 葉 子 は 手 伝 い に 来 て い る 。
つ ま り 、 聞 き 手 は (5a)の 発 話 を す る 時 点 で (9c)を 想 定 と し て す で に も っ て い る の
で あ る 。こ の 既 存 の 想 定 (9c)は (5b)か ら 引 き 出 さ れ た 帰 結 推 意 (8d)と 一 致 し て お り 、
し た が っ て (5b)の 発 話 は 「 葉 子 は 手 伝 い に 来 て い る 」 と い う 想 定 を 強 め 、 認 知 効
果を生み出す。ここで関連性は達成され、この発話の解釈は完了する。
次の例では、発話によって与えられる情報量と解釈の可否について見ていきた
い。
(10) a. 島 村 : 君 は こ こ の 芸 者 の 三 味 線 を 聞 い た だ け で 、 誰 だ か 皆 分 る か ね 。
b. 駒 子 : そ り ゃ 分 り ま す わ 、二 十 人 足 ら ず で す も の 。都 々 逸 が よ く 分 る わ
ね、一番その人の癖が出るから。
(川 端 康 成 『 雪 国 』 ,72 頁 )
(10b)は (11)の よ う な 論 理 形 式 と (12)の よ う な 表 意 を も つ と 考 え ら れ る 。
(11) 二 十 人 足 ら ず で あ る か ら 、 分 か る 。 一 番 そ の 人 の 癖 が 出 る か ら 、 都 々 逸 が
よく分かる。
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(12) 二 十 人 足 ら ず と い う 聞 き わ け る の は 難 し く な い 人 数 で あ る か ら 、 駒 子 は こ
の温泉街の芸者の唄う長唄を聞いただけで、誰が唄っているのか全員聞き
分けることができる。長唄の中で一番その人の唄い方の癖が出る部分だか
ら、都々逸の部分がよく聞き分けられる。
「 三 味 線 」は ア ド ホ ッ ク 概 念 を 形 成 し 、
「 三 味 線 を 使 っ て 演 奏 す る 長 唄 」と し て 解
釈される。ところで、日本語では要素の省略がよく起こる。省略された要素は、
おそらく表意の派生が完了する時点では補われているものと思われる。しかし、
それはいつ補われるのだろう。論理形式から表意を拡充する推論によってだろう
か。疑問文に対する返答など、単語発話や句発話で、統語的省略がなされている
と見なせる発話の論理形式は「音形をもたない場所に空の統語範疇を伴う、完全
な 文 の 形 式 を も つ も の と 見 な さ れ る 」 (東 森 ・ 吉 村 2003,37 頁 )。
こ の 例 は 先 に 見 た 2 例 よ り も 長 い 発 話 で あ り 、発 話 か ら 与 え ら れ る 情 報 も 多 い 。
しかし、この場面において伝達を成功させるためにはこれだけの情報量を発話に
コ ー ド 化 す る 必 要 が あ る と い う こ と で も な い だ ろ う 。例 え ば 、(10b)の 発 話 を 次 の
ように分割する。
(13) a. そ り ゃ 分 り ま す わ 。
b. 二 十 人 足 ら ず で す も の 。
c. 都 々 逸 が よ く 分 る わ ね 。
d. 一 番 そ の 人 の 癖 が 出 る か ら 。
そ し て 、 (10a)の 返 答 と し て そ れ ぞ れ が (10b)の 代 わ り に 発 話 さ れ た と 仮 定 す る 。
(13a)が 発 話 さ れ た 場 合 、「 駒 子 は こ の 温 泉 街 の 芸 者 の 唄 う 長 唄 を 聞 い た だ け で 、
誰が唄っているのか全員聞き分けることができる」という想定を伝達し、聞き手
の も つ 想 定 を 強 め て 、 認 知 効 果 を 生 み だ す と 考 え ら れ る 。 (13b)(13c)(13d)に つ い
て も 、表 意 を 算 定 し 、(14)(15)(16)の よ う な 推 論 の 結 果 、同 様 の 結 論 を 導 き だ せ る
だろう。
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(14) a. こ の 温 泉 街 に い る 芸 者 の 人 数 は 20 人 足 ら ず で あ る 。
b. 20 人 程 度 な ら ば 、 駒 子 は 長 唄 を 聞 い て 、 ど の 芸 者 が 唄 っ て い る の か 分
かる。
c. 駒 子 は 長 唄 を 聞 い て 、 ど の 芸 者 が 唄 っ て い る の か 分 か る 。
(15) a. 駒 子 は 長 唄 が 聞 き 分 け ら れ れ ば 、 ど の 芸 者 が 唄 っ て い る の か 分 か る 。
b. 駒 子 は 長 唄 の 中 で も 都 々 逸 の 部 分 が よ く 聞 き 分 け ら れ る 。
c. 駒 子 は 長 唄 を 聞 い て 、 ど の 芸 者 が 唄 っ て い る の か 分 か る 。
(16) a. 駒 子 は 長 唄 が 聞 き 分 け ら れ れ ば 、 ど の 芸 者 が 唄 っ て い る の か 分 か る 。
b. 唄 い 方 に は 一 番 そ の 人 の 癖 が 出 る か ら 、 長 唄 は 聞 き 分 け ら れ る 。
c. 駒 子 は 長 唄 を 聞 い て 、 ど の 芸 者 が 唄 っ て い る の か 分 か る 。
このように発話によって与えられる情報が少なくても、適切な文脈を選び推論を
することが可能なら、十分解釈可能である。むしろ、関連性理論の考えでは、与
えられる情報量が多いほど発話処理にかかる労力は大きくなり、その増えた労力
に 見 合 う 分 の 認 知 効 果 が 得 ら れ な け れ ば 、 関 連 性 は 小 さ く な る 。 (10b)の 発 話 は
(13)の 発 話 に 比 べ て 処 理 労 力 が 大 き い が 、
「 駒 子 は 長 唄 を 聞 い て 、ど の 芸 者 が 唄 っ
ているのか分かる」という想定に対する証拠を複数挙げ、想定の確信度を強めて
いる。その結果、既存の想定を強める度合いが大きくなり、認知効果も大きくな
っていると考えられる。
2.2. 伝 達 に 失 敗 し た 場 合
日常の言語使用を振り返ってみると、人の伝達は時に失敗する場合がある。例
え ば 、誤 解 が 生 じ る 場 合 や 、
「 何 が 言 い た い の 」と 聞 き 返 さ れ る よ う な 場 合 だ 。前
者は、聞き手の解釈が話し手の予想と異なっていた場合として、後者は、聞き手
が発話から何らかの解釈を引き出すことが出来ず、停止してしまった場合として
考えることができ、区別することができるだろう。以下、伝達が失敗した例を、
誤解が生じた場合と、解釈が停止した場合に分けて見ていきたい。
20
2.2.1. 誤 解 と 修 正
例えば、次のような例を考えてみる。
(17) (勉 強 は い ま ひ と つ だ が 運 動 の 得 意 な 山 田 一 郎 と 、勉 強 も 運 動 も 得 意 な 山 田
太 郎 と い う 人 物 に つ い て A は 知 っ て お り 、ま た B も 二 人 を 知 っ て い る と A
が思っている場合において)
A: 山 田 君 が マ ラ ソ ン 大 会 で 優 勝 し た そ う だ よ 。
B: 彼 は 勉 強 も 運 動 も 得 意 だ ね 。
A: そ っ ち の 山 田 君 じ ゃ な い よ 。
この例は、A は山田一郎について話しているのだが、B はそれを山田太郎につい
て 話 し て い る も の と 誤 解 し て し ま っ た 、と い う も の で あ る 。B は A の 発 話 を 、次
のように解釈していると考えられる。
(18) a. 山 田 君 が マ ラ ソ ン 大 会 で 優 勝 し た そ う だ 。( 論 理 形 式 )
b. 山 田 太 郎 君 が 校 内 マ ラ ソ ン 大 会 で 優 勝 し た そ う だ 。( 表 意 )
B は 、(18a)に 推 論 を 加 え て (18b)を 作 り 出 す 。そ の 過 程 で「 山 田 君 」は 、「 山 田 太
郎君」という価を飽和のはたらきによって補われる。これは言語形式がコード化
している「山田という姓の男性」という情報や「この山田君は話し手が知ってい
る 人 物 で あ る 」と い っ た 見 込 み を 手 掛 か り に 、
「山田太郎は勉強も運動も得意であ
る 」と い う 想 定 が 文 脈 と し て 選 ば れ 、
「マラソン大会で優勝できるのは運動が得意
な人だ」といった想定とともに推論が行われ補われたものだろう。しかし、この
飽和の結果が話し手の伝達したかった想定と異なっていたために、誤解が生じて
しまったのである。
一 方 A は 、B の 発 話 を 受 け て 、B が 自 分 の 発 話 を 自 分 の 意 図 し た よ う に 解 釈 し
て い な い こ と に 気 づ く 。も し A が 意 図 し た よ う に 伝 達 が 成 功 し て い れ ば 、B の 発
話 に お け る「 彼 」は 山 田 一 郎 の は ず で あ る 。し か し 、そ の 場 合 得 ら れ る 想 定 は「 山
田一郎は勉強も運動も得意である」となり、彼がもつ想定と矛盾する。そこで A
は B が「 山 田 君 」の 解 釈 に 失 敗 し た の だ と 仮 定 し 、そ れ を 示 唆 、修 正 す る 発 話 を
するのである。
この例で起きた誤解は、表意を形成する際の飽和に失敗したのが原因だが、そ
21
の失敗は解釈のために選ばれた文脈が間違っていたことに由来する。これは聞き
手 の 解 釈 能 力 に も 左 右 さ れ る こ と だ が 、話 し 手 は 発 話 に よ っ て 様 々 な 証 拠 を 与 え 、
ある特定の想定を文脈として引き出すよう聞き手に仕向けることができる。その
意味では、誤解が生じるか否かということに対する責任は、話し手、聞き手の双
方にある。
(19) (つ ま ら な い 映 画 を 見 た 後 の 会 話 )
浩介: 面白いよな。
真緒: つまんなかったよ。
浩介: いや、さっきの映画じゃなくて。ひとの縁というのはわからないも
んだ、というようなことが言いたかった。
(越 谷 オ サ ム 『 陽 だ ま り の 彼 女 』 ,47 頁 (筆 者 に よ り 一 部 改 変 ))
この例は、浩介が真緒と十数年ぶりに再会し、休日を一緒に過ごすまでになっ
たことに感慨し、
「 面 白 い よ な 」と 言 っ た と こ ろ 、真 緒 に 映 画 の 感 想 を 述 べ た と 誤
解 さ れ 、 そ れ に 対 し て 訂 正 を し て い る と い う も の で あ る 。 こ の 例 も (17)と 同 様 、
誤解の原因は、解釈のための文脈選択を誤ったことである。二人で映画を観終わ
った後の会話であり、
「 そ の 映 画 は つ ま ら な か っ た 」の よ う な 映 画 に 関 す る 想 定 を
引き出しやすくなっていると思われる。それゆえ、真緒はそういった文脈に基づ
いて浩介の発話を解釈し、映画についての感想だと誤解した。また浩介は「さっ
きの映画じゃなくて」と、自分の発話が映画に関係する文脈で処理されるのは適
切ではないことを述べ、誤解を示唆、訂正している。
2.2.2. 解 釈 停 止 と 修 正
誤解の場合は、聞き手の解釈が話し手の意図したものとは異なるとはいえ、発
話 の 解 釈 自 体 は 完 了 さ れ て い た 。一 方 で 、こ れ か ら 挙 げ る 例 は「 何 が 言 い た い の 」
と聞き返されるような場合であり、このとき、聞き手は発話を解釈しようと試み
た が 、関 連 性 の あ る 解 釈 が 得 ら れ な か っ た と 思 わ れ る 。こ の よ う な 例 を 、便 宜 上 、
解釈停止の場合とし、発話解釈を進めていく上で何が起こっているのか見ていき
たい。
22
(20) 真 緒 : 親 っ て す ご い ね 、 ち ゃ ん と 感 じ 取 る ん だ ね 。
浩介: 何を?
真緒: 私の命が短いこと。
(越 谷 オ サ ム 『 陽 だ ま り の 彼 女 』 ,289 頁 )
真緒の発話に対する浩介の発話から、聞き手である浩介は真緒の発話をうまく解
釈 出 来 て い な い と 考 え ら れ る 。真 緒 の 発 話 の 論 理 形 式 は (21)の よ う な も の で あ る 。
(21) 親 は す ご い 。 ち ゃ ん と 感 じ 取 る 。
こ こ か ら 推 論 に よ っ て 要 素 を 補 い 、表 意 を 派 生 す る の だ が 、こ こ で 問 題 が 起 き る 。
(22) 親 は す ご い 。 な ぜ な ら 親 は ち ゃ ん と X を 感 じ 取 る か ら だ 。
通 常 な ら ば 、下 線 部 X が 飽 和 さ れ て 表 意 が 形 成 さ れ る は ず で あ る 。し か し こ の 例
では、浩介の発話からも窺えるように、X の値が決定できずにいる。これは、X
を決定するための推論が、何らかの原因で失敗したものと考えられる。例えば、
推論に用いる前提条件が欠けているような場合だ。もし推論に必要な前提条件を
引き出すことができ、推論がなされていたなら、その結果はどうあれ、何らかの
帰結を導き出すことができるはずである。先に見た誤解の例でも、結果的に話し
手の意図したものとは違ったが、前提条件として文脈を引き出し、推論によって
表意を作り出している。しかし、この例では、表意の創出が完了していない。し
たがって、X の値を決定する推論に必要な前提条件が欠けており、表意の算定が
途中で止まってしまっている可能性が考えられる。
あるいは、何らかの前提条件を引き出し推論を行ったが、十分関連性を達成で
き る よ う な X の 値 が 導 き 出 せ な い と い う 場 合 が 考 え ら れ る 。こ の 場 合 、X の 価 自
体は何らかの形で補えたが、それが関連性を達成できなかった。その結果、聞き
手 は や む を 得 ず「 何 を ? 」と い う 発 話 で 関 連 性 を 得 ら れ る X の 価 を 話 し 手 に 尋 ね
たのである。その発話に対して話し手が自分の意図していた価を答えることで、
聞き手は関連性のある解釈を得られ、解釈失敗の状態が修正される。
い ず れ に せ よ 、適 切 な 文 脈 が 選 べ な か っ た た め に X の 価 を 求 め る 推 論 に 問 題 が
生じた結果、このような解釈停止が起きたと考えられる。聞き手にとって関連性
23
のある解釈を得られたかという点では異なるが、解釈停止の原因は誤解が生じた
場合と同様であると言える。
(23) 佐 知 子 : あ な た っ て 、 本 当 に す ば ら し い か た ね 。 見 な お し た わ 。 あ た し が
さびしさにたえきれなくなった時、こんな提案をして下さるなん
て。にくらしいほどのアイデアね。
隆二: いったい、どういう意味なんだい、それは。
佐知子: もう一回この部屋へとまろうという手紙をいただいた時は、あた
し、うれしくて涙が出たわ。
(星 新 一 『 ノ ッ ク の 音 が 』 ,71 頁 )
(23)は 、 佐 知 子 と 隆 二 の 夫 婦 が 喧 嘩 を し て 別 居 し て い た が 、 お 互 い の 元 へ あ る 旅
館のある部屋に来るようにという手紙が届き、その手紙に従ったところ、2 カ月
ぶりに夫婦が再会できたという場面である。実はこの手紙はすべて佐知子の自作
自演であり、隆二は佐知子に手紙を出したことなど身に覚えがないのである。こ
の例で問題になるのは、佐知子の発話の「こんな提案」や「アイデア」である。
(23)の 表 意 は 次 の よ う に な る だ ろ う 。
(24) 隆 二 は 、 本 当 に す ば ら し い か た だ 。 佐 知 子 は 隆 二 を 見 な お し た 。 佐 知 子
がさびしさにたえきれなくなった時、隆二がこんな提案をして下さるな
んて思いもよらなかった。隆二のアイデアはにくらしいほどの素晴らし
いアイデアだ。
「こんな提案」や「アイデア」は自由拡充される必要がある。しかし、それらが
隆二によるものであるというところまでは意味を限定できるが、聞き手である隆
二は、自分がそのような提案をした覚えがないため、いわば空の要素を補う形に
なる。ゆえに「こんな提案」や「アイデア」が隆二によるものであるという解釈
は 関 連 性 を も た な い 。こ の と き 、他 の 関 連 性 の あ る 解 釈 に 辿 り つ け な け れ ば 、(23)
のように「いったい、どういう意味なんだい、それは」という発話がなされ、話
し手はそれに対する返答で、聞き手に新たな解釈のための手掛かりを与えるので
ある。
24
2.3. ま と め
本章では、日本語による伝達の成功、あるいは失敗例を取り上げてきた。私た
ちは普段様々な発話を行い、それを解釈しているが、発話はその言語形式がコー
ド化している情報だけでなく、その都度選ばれた文脈と相互作用し、推論によっ
て解釈されている。このプロセスはほとんど意識されることがないほど当たり前
に、そして瞬間的に行われる。また発話は、純粋にそれ自体だけでは解釈不可能
である。もちろん、発話が聞き手に与える情報も解釈には必要だが、それと同様
に関連性の原則によって導かれた文脈や推論が大きな役割を果たしているのであ
る。全く同じ言語形式も、解釈の際に選ばれる文脈が違えばその結果算定される
想定も異なるものになる。だからこそ、具体的な形式が無数にある発話を私たち
は解釈できるのだろう。
ところで、関連性の原則は、発話が解釈する労力に見合うだけの関連性をもっ
ていることをそれ自身が伝達するのだとしている。関連性理論においては、発話
が長い、つまり与えられる情報量が多いほど、解釈にかかる労力が大きくなるの
で、それに見合うだけの認知効果を生み出せなければ、その発話は関連性を達成
で き な い 。 し か し 私 た ち は (10)の よ う に 、 質 問 の 返 答 に 様 々 な 補 足 的 情 報 を 付 け
加える場合がある。このとき、その返答は付け加えた情報に見合う以上の認知効
果 を 生 み 出 さ な く て は な ら な い 。 (10)で は 、 付 け 加 え た 情 報 が 前 提 と な っ て 推 論
がなされ、既存の想定を強めているものとして分析した。発話で与える情報が多
かろうと少なかろうと、それに見合うだけの認知効果が与えられれば、話し手か
ら聞き手への伝達は成立するのである。
一方で、伝達が失敗する場合もある。本章では、誤解が生じる場合と、聞き手
が解釈を停止してしまう場合に区別して分析を行った。誤解が生じる場合は、聞
き手が発話を解釈する際に、文脈の選択を誤ったために、表意を創出する推論の
結果が話し手の意図したものと異なる場合として考えられる。この場合、聞き手
が辿りついた解釈は、聞き手が関連性のあるものとして判断した解釈である。ま
た、解釈停止の場合は、発話解釈において、表意を創出する推論が適切な文脈を
引き出せないなどの理由で、関連性のある価を補えなかった場合である。この場
合、仮に何らかの文脈を選んで推論を進めたとしても、処理労力に見合うだけの
関 連 性 が 得 ら れ な け れ ば 、そ の 解 釈 は 破 棄 さ れ 、発 話 解 釈 は 停 止 す る と 思 わ れ る 。
両者には、聞き手自身が妥当だと思える解釈を引き出せるか否かという違いがあ
25
るが、適切な文脈が選べなかったために、表意の算定における推論に問題が生じ
たことがこれらの伝達失敗を引き起こすようだ。
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第 3 章 言語の解釈的用法と推論
第 3 章 で は 、慣 用 句 や 諺 と い っ た 非 字 義 的 発 話 表 現 に 注 目 し て い く 。こ の よ う
な表現は、関連性理論では言語の解釈的用法として分類される。以下、言語の解
釈的用法とはどのようなものなのか見た上で、具体的な例の分析を進めていく。
3.1. 言 語 の 解 釈 的 用 法
関 連 性 理 論 で は 、 言 語 に は 記 述 的 用 法 (descriptive use) と 解 釈 的 用 法
(interpretive use)と い う 2 種 類 の 用 法 が あ る と さ れ る 。例 え ば 、あ る 発 話 が「 そ
の命題形式がその状況に当てはまるという理由で、ある状況を表すことができる
場 合 」 (Sperber and Wilson 1995 2 , 邦 訳 279 頁 )が あ る 。 こ の と き 、 発 話 は 現 実
の状況の表示として用いられている。このような用法が、記述的用法である。記
述的用法は、その発話が現実の状況を正しく記述しているか、あるいは間違って
記述しているかというところに力点がある。言い換えれば、言語の記述的用法は
真偽に関する用法である。
一 方 で 、発 話 は 現 実 の 状 況 を 表 示 す る ば か り で な く 、
「2 つの命題形式が類似し
ているという理由で、やはり命題形式をもつ他の表示、例えば思考を表すことが
で き る 場 合 」 (Sperber and Wilson 1995 2 , 邦 訳 279 頁 )が あ る 。 こ の よ う な 、 あ
る 表 示 を さ ら に 解 釈 し て 表 示 す る 言 語 の 用 法 が 、解 釈 的 用 法 で あ る 。こ の 用 法 は 、
元の表示に対してどの程度忠実であるのかという点が重要であり、類似性に基づ
く 用 法 で あ る 。 (1b)は 解 釈 的 用 法 の 例 で あ る 。
(1) a. I earn £797.32 pence a month.
b. I earn £800 pence a month.
(Sperber and Wilson 1995 2 , 邦 訳 284 頁 )
(1)の 話 し 手 は 、 月 に 797 ポ ン ド 32 ペ ン ス の 収 入 が あ り 、 収 入 が ど れ く ら い あ る
の か 聞 か れ た と し よ う 。 こ の 場 合 、 事 実 を 正 確 に 記 述 し て い る の は (1a)で あ る 。
し か し 、 (1b)が 質 問 の 答 え と し て 不 適 切 と い う こ と に は な ら な い 。 聞 き 手 が 収 入
の 厳 密 に 正 確 な 額 を 知 り た い の で な け れ ば 、(1)の 発 話 は ど ち ら も 同 じ よ う な 想 定
を 伝 達 し 、 認 知 効 果 を 生 み 出 す だ ろ う 。 そ の 意 味 で (1b)の 解 釈 的 用 法 に よ る 発 話
は、現実に、もっと言えば話し手の現実に対する認識に十分忠実なものである。
(1)の よ う な ル ー ス ・ ト ー ク だ け で な く 、 メ タ フ ァ ー の よ う な 文 彩 も 解 釈 的 用
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法 の 一 種 で あ る 。関 連 性 理 論 で は 、
「この緩い使用と詩的メタファーという最も特
徴 的 な 例 を 含 む 種 々 の 「 修 辞 的 な 」 例 と の 間 に は 切 れ 目 は な い 」 (Sperber and
Wilson 1995 2 , 邦 訳 286 頁 )と 考 え ら れ て い る 。
以上のように、言語は解釈的用法と記述的用法とに区別することができる。解
釈 的 用 法 と は 発 話 や 思 考 な ど の 表 示 を さ ら に 解 釈 し 、表 示 す る 用 法 で あ る 。一 方 、
記述的用法は、現実の状況を厳密に記述する用法である。しかし、あらゆる発話
は基本的レベルでは話し手の思考を表示するのに用いられる。それゆえ、そのレ
ベルにおいて発話はすべて解釈的なものであり、その次のレベルで解釈的、また
は記述的に使用されるのである。このことは、別の見方をすれば、あらゆる発話
は 話 し 手 の 思 考 の コ ピ ー で は な く 、類 似 し て い る も の で あ る と い う こ と で も あ る 。
言葉はルースに使われているということも、これを示している。したがって、関
連性理論ではルース・トークが意味理解の出発点であると考える。
3.2. 非 字 義 的 発 話 表 現 の 分 析
ここからは、メタファーや日本語慣用句などの非字義的発話表現に焦点を当て
ていきたい。上述の通り、メタファーは言語の解釈的な用法として、ルース・ト
ー ク と 地 続 き の も の で あ る 。ま た 、日 本 語 慣 用 句 は 慣 習 度 の 高 い 表 現 で は あ る が 、
その具体的な形式はメタファーを含む比喩的なものが多い。したがって、関連性
理論によるメタファーの分析が日本語慣用句を考える上でも手掛かりになると思
われる。以下、関連性理論においてメタファーがどのように扱われているのか触
れ、それを手掛かりに日本語慣用句の分析を行う。
3.2.1. 関 連 性 理 論 と メ タ フ ァ ー
関連性理論において、メタファーは次のように分析される。
(2) (ⅰ ) 関 連 性 理 論 の 標 準 的 な 分 析 で は 、弱 い 推 意 の 束 、す な わ ち 、複 数 の 思
考 を 経 済 的 に 伝 達 す る 方 法 が メ タ フ ァ ー で あ り 、創 造 的 な メ タ フ ァ ー
に な れ ば な る ほ ど 、弱 い 推 意 が た く さ ん で き る 。推 意 が 、数 が 少 な く
て強いほど、そのメタファーは慣習的である。
(ⅱ ) メ タ フ ァ ー 発 話 と 思 考 と の 間 に は 、 100%と は い か な い が 何 ら か の 類
似性が含まれている。
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(ⅲ ) メ タ フ ァ ー や 誇 張 表 現 や そ の 他 の 多 く の 修 辞 的 用 法 は 、単 に ル ー ス ・
トークの特別な場合にすぎないと考える。
(東 森 ・ 吉 村 2003, 145-146 頁 )
まず、比較的慣習的なメタファーの例を挙げる。
(3) This room is a pigsty.
(Sperber and Wilson 1995 2 , 邦 訳 287 頁 )
これはかなり慣習的なメタファーであり、少数の強い推意が伝達される。伝達さ
れる推意が1つだけということもありうる。この例であれば、呼び出し可能性の
高い次のような想定を呼び出して、表意との相互作用の結果、推意を引き出す。
(4) 想 定 : A pigsty is very filthy and untidy.
推 意 : This room is very filthy and untidy.
豚小屋は汚くて乱雑しているということは定着しており、したがってアクセス可
能 性 が 高 い 。 そ の よ う な 想 定 か ら は (4)の 強 い 推 意 が 容 易 に 引 き 出 さ れ る 。
一方で、創造的メタファーは多くの弱い推意を伝達する。
(5) 発 話 : Son encre est pale ‘ His ink is pale .’
想 定 : (a) Leconte de Lisle’s writing is ‘ pale. ’
(b) Pale means weak.
(c) Pale means lacking contrast.
(d) Pale means fade.
(e) Pale means sickly.
(f) Pale means not last.
(g) Pale means not to put one’s whole heart into one’s work.
推 意 : Leconte de Lisle’s writing is weak.
Leconte de Lisle’s writing lacks contrast.
Leconte de Lisle’s writing may fade.
Leconte de Lisle’s writing is sickly.
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Leconte de Lisle’s writing will not last.
Leconte de Lisle’s writing does not to put his whole heart into his
work.
(東 森 ・ 吉 村 2003, 148 頁 )
上は詩人ルコント・ド・リールについての小説家フロベールのコメントである。
この発話の関連性を確立するには、広範囲にわたる非常に弱い推意を探す必要が
あ る 。そ の た め に は 、文 脈 を 何 段 階 か に 拡 張 し な く て は な ら な い 。そ れ が (a)~(g)
の想定である。この想定をもとに多くの弱い推意を引き出すのである。メタファ
ーの創造性が豊かであるほど聞き手はより多くの弱い推意を生み出すことができ
るが、発話から解釈のための強い証拠を得られないため、どのような弱い推意が
どれだけ引き出されるのかは解釈する側の知識や能力に左右される。しかし、そ
の発話がどのように解釈される可能性があるのかを予見しているという点では、
話し手がその発話の解釈に責任を負う。
3.2.2. 慣 用 句 ・ 諺 の 分 析
前述のように、慣用句には比喩的なものが多く、したがって言語の解釈的用法
の一種として捉えることができるだろう。慣用句や諺は、慣習度の高い比喩表現
で あ り 、少 数 の 強 い 推 意 を 伝 達 す る も の と 考 え ら れ る 。ま た 慣 用 句 に は 、
「ような」
な ど の 要 素 を 含 む 直 喩 的 な( し た が っ て 隠 喩 (メ タ フ ァ ー )と は 区 別 さ れ る よ う な )
表 現 が あ る 。佐 藤 (1978)に よ れ ば 、隠 喩 が「 類 似 性《 に も と づ き 》、類 似 性《 に 依
存 し 》 て い る 」 の に 対 し て 、 直 喩 は 「 類 似 性 《 を 提 案 し 》、 類 似 性 《 を 設 定 す る 》
も の 」 (93 頁 )で あ る 。 し か し 、 両 者 と も 、 あ る 要 素 と 要 素 の 間 の 類 似 性 に 着 目 し
た表現である。本論文の分析ではこの点が重要であり、両者の相違点は重要では
ないと考える。よって以下の分析では、両者を特に区別せず、慣用句や諺がどの
ような推論過程で解釈されるのかという点を中心に見ていきたい。なお。以下に
挙げる具体例には必要に応じて筆者が下線を加えた。
早速、次のような例を考えてみる。
(6) (そ ろ ば ん の 得 意 な 鈴 木 君 が 、 会 計 係 で 活 躍 し て い る 状 況 で )
鈴木君は水を得た魚のようだ。
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「 水 を 得 た 魚 の よ う 」と い う 慣 用 句 は 、直 喩 の 形 式 を と っ て い る 。こ の 慣 用 句 は 、
(7)の よ う な 文 脈 を 引 き 出 す よ う 聞 き 手 に 強 く 仕 向 け 、 (8)の よ う な 強 い 帰 結 推 意
を引き出すだろう。
(7) 水 を 得 た 魚 は 、 相 応 し い 環 境 で 生 き 生 き と 活 動 し て い る 。
(8) 鈴 木 君 は 、 相 応 し い 環 境 で 生 き 生 き と 活 動 し て い る 。
日常的な感覚から言えば、
「 水 を 得 た 魚 の よ う 」は 辞 書 的 に「 そ の 人 に 合 っ た 環 境
で生き生きと活躍する」という意味であり、慣用句を含んだ発話は表意として慣
用句の辞書的意味を伝達するのだと考えたくなるかもしれない。しかし、その意
味は、表意を派生する論理形式からの推論による拡充では補うことができない。
よって、発話の推意としてとらえられる。
次の例も「水を得た魚」を用いた表現である。
(9)
高校1年の時にオートバイで転倒して左肩の神経を断裂し、左腕が使え
なくなった。30歳を過ぎた頃から健康増進とリハビリを兼ねて水泳を始
めると、水を得た魚になった。みるみる力をつけ、全国障害者スポーツ大
会には07年の秋田大会、09年の新潟大会、11年の山口大会と1年置
きに出場し、片腕が使えない「S8」クラスのバタフライでいずれも優勝
してきた。ぎふ清流大会は持てる力を出せば確実に県代表になれる実績を
持つ。
(『 毎 日 jp』
<http://mainichi.jp/area/gifu/news/20120105ddlk21050028000c.html> )
上の例は、羽賀さんという、パラリンピックを目指す水泳選手について書かれた
も の で あ る 。 (6)の 例 と 同 様 に 、「 水 を 得 た 魚 」 が 用 い ら れ て い る が 、 水 泳 選 手 に
ついての発話で用いられることによって、発話がより効果的なものであるように
感 じ ら れ る 。こ の よ う な 例 は ど の よ う に 解 釈 さ れ る の だ ろ う 。ひ と ま ず 、(6)と 同
様の解釈が可能だと思われる。
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(10) 表 意 : 羽 賀 さ ん は 水 泳 を 始 め る と 、 水 を 得 た 魚 に な っ た 。
前提推意: 水を得た魚は、相応しい環境で生き生きと活動している。
帰結推意: 羽賀さんは水泳を始めると、相応しい環境で生き生きと活動す
るようになった。
(10)は (9)の 「 水 を 得 た 魚 」 を 含 む 下 線 部 を 分 析 し た も の で あ る 。 下 線 部 は (6)
と 同 様 、 (10)の よ う な 推 論 に よ っ て 強 い 推 意 を 伝 達 す る だ ろ う 。 し か し 、 伝 達 さ
れ る 想 定 は そ れ だ け だ ろ う か 。(9)の 例 か ら は 、水 中 で 生 き 生 き と 魚 の よ う に 泳 ぐ
姿が鮮明に浮かび上がってくる。
こ の こ と は お そ ら く 、 次 の よ う に 説 明 で き る 。 聞 き 手 は (9)か ら 、 (10)の よ う な
想 定 だ け で な く 、 (11)の よ う な 想 定 も 引 き 出 す 。
(11) 水 を 得 た 魚 は 、 生 き 生 き と 泳 ぐ 。
この想定は、
「 水 泳 選 手 で あ る 羽 賀 さ ん 」と「 水 を 得 た 魚 」の も つ 類 似 性 に よ っ
て、
「 水 を 得 た 魚 」が も つ 慣 用 句 と し て の 辞 書 的 な 意 味 に 対 す る 、言 わ ば 周 辺 的 な
想定
4
が 活 性 化 さ れ 、 呼 び 出 さ れ た も の だ と 思 わ れ る 。 (11)と 表 意 か ら 、 次 の 推
意が引き出されるだろう。
(12) 羽 賀 さ ん は 、 生 き 生 き と 泳 ぐ 。
(12)を 引 き 出 す 推 論 は 、 発 話 に 含 ま れ る 類 似 性 に よ っ て 強 く 導 か れ た も の と 思
わ れ る 。 し た が っ て 、 (12)は 比 較 的 強 い 推 意 で あ る と 考 え ら れ る 。 (9)の 発 話 は 、
(10)の よ う な 慣 習 性 に 導 か れ る 推 意 と 同 時 に (12)の 推 意 を 伝 達 す る 。こ の こ と は 、
(6)の よ う な 慣 用 句 を よ り 一 般 的 に 使 用 し て い る 表 現 よ り も 大 き な 認 知 効 果 を も
た ら し 、発 話 が も つ 関 連 性 を 高 め る 。そ れ ゆ え に (9)の よ う な 発 話 が 効 果 的 な も の
として感じられるのではないだろうか。
このような例をもう少し見ていきたい。
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(13) と こ ろ で こ の カ ニ 、 大 海 原 を 回 遊 す る ア カ ウ ミ ガ メ の 体 を 、 ち ゃ っ か り す
みかにすることもあるのです。アカウミガメは、ゆったりと海を泳ぎ、ア
カウミガメを襲う動物も少ないので、カニにとっては、まさに大船に乗っ
た気分でしょうか。でもアカウミガメが砂浜に上陸して産卵する時は要注
意。砂の上に振り落とされたり、卵と一緒に砂の中に埋められてしまうこ
ともあるのです。大船に乗ったと思っても、なかなか安心してばかりもい
られないようです。
(国 土 交 通 省 中 部 地 方 整 備 局 名 古 屋 港 湾 事 務 所 『 み な と 情 報 誌 【 め い こ ~ る 】』
<http://www.pa.cbr.mlit.go.jp/NAGOYA/meicall/vol1/naisho.html> )
表意: アカウミガメの体をすみかにすると、カニにとっては、まさに大船
に乗った気分だろうか。
前 提 推 意 : a. 大 船 に 乗 っ た 気 分 と は 、信 頼 で き る も の に 任 せ て 、安 心 す る
気分だ。
b. カ ニ に と っ て ア カ ウ ミ ガ メ は 大 船 だ 。
c. 大 船 と は 海 を 進 む 大 き な 乗 り 物 だ 。
帰 結 推 意 : a. ア カ ウ ミ ガ メ の 体 を す み か に す る と 、カ ニ に と っ て は 、信 頼
できるものに任せて、安心する気分だろうか。
b. カ ニ に と っ て は ア カ ウ ミ ガ メ は 海 を 進 む 大 き な 乗 り 物 だ 。
発話から、カニにとってのアカウミガメと大船との間に類似性があることがわか
る。
「 ま さ に 」と い う 要 素 は そ れ ら に 強 い 類 似 性 が あ る こ と を 示 唆 し て い る 。こ の
類 似 性 か ら 前 提 推 意 b や c を 引 き 出 し 、そ れ を 元 に 帰 結 推 意 b を 導 き 出 す 。解 釈
者はこの例を解釈することで、一般的な慣用句の意味に基づく理解のほかに、カ
ニがアカウミガメの背中に乗って波に揺られている情景を思い浮かべるだろう。
このような辞書的意味にとどまらないプラスアルファの想定が、発話の内容を豊
かにしているのではないだろうか。
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(14) ■ 地 震 が 原 因 で 火 災 に 。 火 災 保 険 は で る の ?
いいえ。火災保険ではなく、地震保険での支払いになります。
ただし、建物が半焼以上・家財が全焼した場合は、地震火災費用として保
険 金 額( 補 償 額 )の 5 % が 支 払 わ れ ま す 。
(地震火災費用保険金をつけてい
る場合)まさに焼け石に水ですが。
(『 保 健 研 究 所 の 火 災 保 険 相 談 』 <http://www.11kasai.com/06konna.html> )
表意: 地震火災費用保険金をつけている場合、火事に遭った建物に対する
保険金額はまさに焼け石に水である。
前 提 推 意 : a. 焼 け 石 に 水 を か け て も 、 少 な い た め に 効 果 が 上 が ら な い 。
b. 焼 け 石 に 水 を か け る こ と は 、焼 け た も の 対 す る 効 果 の 薄 い 方
策だ。
帰 結 推 意 : a. 地 震 火 災 費 用 保 険 金 を つ け て い る 場 合 、火 事 に 遭 っ た 建 物 に
対する保険金額は少ないために効果が上がらない。
b. 地 震 火 災 費 用 保 険 金 を つ け て い る 場 合 、火 事 に 遭 っ た 建 物 に
対する保険金額は焼けたもの対する効果の薄い方策だ。
先ほどの例と同様、
「 ま さ に 」が「 火 事 に 遭 っ た 建 物 に 対 す る 保 険 金 額 」と「 焼
け石に水」との間の類似性を示唆している。同じ慣用句を一般的な形で使用した
場 合 と 比 べ て 、「 援 助 な ど が 少 な く て 効 果 が 上 が ら な い 」 と い う 意 味 だ け で な く 、
「炎に焼かれた」という、要素と要素の間で類似している内容を顕在化すると思
われる。繰り返しになるが、こうした発話は、慣用句や諺を使用した発話から通
常 得 ら れ る 強 い 推 意 に 加 え て 、類 似 性 か ら 引 き 出 さ れ る 想 定 が 伝 達 さ れ る こ と で 、
同じ慣用句や諺を一般的な形で使用した場合と比べ、大きな関連性を生み出すと
思われる。
以上、慣用句や諺を含む発話を見てきたが、最後に疑問が残る。慣用句や諺の
ような非字義的表現を使わなくても、それらを用いた場合と同じ、少なくともそ
の主だった意味は伝達できるにも関わらず、人はなぜ、非字義的表現を用いるの
だろうか。
端的に言えば、非字義的表現は思考の経済的な伝達方式であるからだ。経済的
であるとは、少ない発話で、多くの思考を伝達できるということである。創造的
メタファーは多くの弱い推意を伝達するものであると述べたが、その弱い推意の
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1 つ 1 つを発話として表示することも可能なはずである。しかし、発話が多くな
ればなるほど、解釈にかかる労力は大きくなる。強い推意を伝達するメタファー
で あ っ て も 、 同 じ よ う な こ と が 言 え る 。 (3)の 例 は 、「 こ の 部 屋 は と て も 汚 く て 乱
雑 で あ る 」と い う 強 い 推 意 を 伝 達 す る 。で は な ぜ 、
「この部屋はとても汚くて乱雑
で あ る 」と い う 直 接 的 な 発 話 で は な く 、(3)を 選 ぶ の か 。そ れ は 、直 接 的 な 発 話 で
伝 達 で き る 以 上 の 意 味 を (3)が 伝 達 可 能 だ か ら で あ る 。 (3)の 発 話 は 、 直 接 的 な 発
話では言い表せない汚さだとか、乱雑さを伝達している。それらは、強い推意と
同様に「豚小屋」から引き出されたイメージである。慣用句や諺も同様に、辞書
的意味だけでなく、魚が泳ぐイメージだとか、大きな船が海に浮かんでいるイメ
ージを伝達していると考えられる。辞書的な意味とは別に伝達されるそれらの周
辺的なイメージは、ある発話において用いられている慣用句や諺と、その発話に
含まれている要素との類似性が高い場合に推論によって引き出され、強い推意と
して解釈者に顕在化されるのである。
3.3. ま と め
本章では、メタファーなどを含む言語の解釈的用法と推論過程について取り上
げた。関連性理論では、言語には記述的用法と解釈的用法があるとされる。記述
的用法は、発話を現実の状況の表示として用いるものであり、現実の状況を正し
く記述しているか否かという真偽に力点がある。一方、解釈的用法は、思考など
何 ら か の 表 示 を さ ら に 解 釈 し て 表 示 す る 用 法 で あ る 。解 釈 的 用 法 は 真 偽 で は な く 、
元の表示にどれだけ忠実であるかという点に力点があり、類似性に基づく用法で
ある。ルース・トークやメタファーなど、文彩の多くは解釈的用法の一種で、こ
れ ら 1 つ 1 つ の 言 語 現 象 は 個 別 の も の で な く 、地 続 き の も の で あ る 。言 語 は 解 釈
的用法と記述的用法に区別できるが、根本的なレベルにおいて、あらゆる発話は
話し手自身の思考を解釈して表示したものであり、したがってそのレベルではあ
らゆる発話は解釈的なものである。別の見方をすれば、あらゆる発話は話し手の
思考のコピーではなく、類似しているものであり、ルースに使われている。関連
性理論においては、ルース・トークが意味理解の出発点である。
また、メタファーは思考との間に何らかの類似性を含む表現であり、弱い推意
の束を経済的に伝達する方法である。弱い推意が多く伝達されるほど、より創造
的なメタファーであると言えるが、関連性に見合うだけの推意が引き出されるか
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どうかは聞き手の推論能力に大きく左右される。反対に、慣習的なメタファーは
少ない強い推意を伝達するので、その解釈はどちらかといえば話し手の側により
大きな責任がある。
慣用句や諺の多くは、解釈的用法の一種として捉えることができる。これらの
表現は慣習度の高いメタファーとして、少数の強い推意を一般的に伝達するもの
と分析できるだろう。しかし、ある発話に含まれる要素とその発話で用いられて
いる慣用句や諺との類似性が高い場合、通常の使用においては辞書的意味に対す
る 周 辺 的 イ メ ー ジ の よ う な 形 で 伝 達 さ れ て い る も の が 、推 論 に よ っ て 引 き 出 さ れ 、
さらなる強い推意として伝達されると考えられる。
本章で見てきた非字義的発話表現は、少ない発話で多くの思考を伝達すること
ができ、その意味で思考の経済的な伝達方式である。このことは、何らかの思考
を伝達するために、字義的な表現だけでなく非字義的な表現を用いる理由でもあ
る。たくさんの弱い推意を伝達する創造的メタファーはもちろんのこと、慣習的
メタファーや慣用句、諺は、強い推意として伝達される辞書的意味だけでなく、
周辺的なイメージも伝達するという点で経済的な伝達方式であると言える。これ
らの非字義的発話表現によって伝達される周辺的イメージは、前提推意を引き出
す過程で、当該の非字義的発話表現に用いられている要素の百科事典的知識にア
クセスすることで引き出されるのだろう。発話に含まれる要素と慣用句や諺との
類似性が高い場合には、それらを前提推意として推論を行い、その結果強い推意
をさらに引き出すのだと考えられる。
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結論
関連性理論では、発話解釈を関連性の原則に基づいた、コード解釈と演繹的推
論の相互作用によるものだとしている。発話のコード解読によって引き出した論
理形式に推論を加えることで表意を派生し、その表意や既存の想定を前提とした
推論によって推意を引き出す。つまり、発話解釈には推論のはたらきが必要不可
欠なのである。本稿ではこの理論を手掛かりに、発話解釈過程における推論のは
たらきに注目することで、冒頭で挙げた問題を考察してきた。
第 1 の問題は、なぜ解釈が成功、あるいは失敗するのかというものだった。発
話の解釈のためには、表意と推意が算定される。両者はどちらも推論のはたらき
によって派生される。推論は前提とする想定が変われば帰結も変わる。これは全
く 同 じ 形 式 の 発 話 で も 、文 脈 次 第 で 様 々 な 想 定 を 伝 達 し う る と い う こ と で も あ る 。
つまり、どんな形式の発話も、関連性の原則に基づいて正しい文脈が選ばれ、推
論が行われさえすれば、関連性を満たす解釈が可能ということであり、解釈が成
功しうるということである。
一方で、発話の解釈が失敗する場合も存在する。第 2 章では、誤解の場合と解
釈が停止した場合を区別して考察した。両者の違いは、推論による表意算定の結
果 、聞 き 手 自 身 が 妥 当 だ と 思 え る 表 意 に 行 き あ た っ た か ど う か と い う こ と で あ る 。
誤解の場合は、妥当だと思える表意に行きあたったが、表意を派生する際に推論
で 補 っ た 値 が 話 し 手 の 想 定 と 異 な っ て い た と い う も の で あ る 。一 方 、解 釈 停 止 は 、
表意を派生する際、補う値が見つからないか、あるいは値を補っても妥当だと思
える表意が算定できなかった場合である。このように解釈プロセスに注目した区
別が可能だが、両者で起きている問題も、その要因もあまり差異はない。すなわ
ち、これら解釈失敗の要因は、適切な文脈が選べなかったために表意を算定する
推論に問題が生じたことである。
第 2 の問題は、非字義的表現を含む発話に関するものである。慣用句や諺は、
それらが使われている発話の中の要素と類似性をもっている場合がある。このと
き、その発話表現は慣用句の辞書的意味だけでなく、言ってみればその周辺にあ
るようなイメージの一部を聞き手に強く想起させる。このような表現は、言語の
解釈的用法の一種である慣習的メタファーと同様、辞書的意味を強い推意として
伝達する。それに加えて、当該の非字義的表現が持つ周辺的イメージの一部も強
い推意として伝達すると考えられる。この周辺的イメージは、前提推意を引き出
す過程で、当該の非字義的発話表現に用いられている要素の百科事典的知識にア
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クセスすることで引き出される。発話に含まれる要素と慣用句や諺との類似性が
高い場合に、それらを前提推意として推論が行われ、辞書的意味とは別の強い推
意がさらに引き出される。これはおそらく発話の関連性に貢献するものである。
また、3 章で取り上げた非字義的発話表現が字義的な表現よりも効果的なものと
して感じられるのは、少ない発話で多くの思考を伝達する経済的な伝達表現であ
るためだ。言い換えれば、非字義的発話表現は解釈に成功した場合、より大きな
関連性を得やすい表現なのである。創造的メタファーは一つの発話で弱い推意の
束を伝達するが、慣習的なメタファーや慣用句、諺も、引き合いに出された要素
の百科事典的イメージを強い推意と同時に伝達していると思われる。
非字義的発話を含む表現の中でも、以下の例は分析が困難だった。
「然し物も極度に達しますと偉観には相違御座いませんが何となく怖しくて近
づき難いものであります。あの鼻梁などは素晴しいには違い御座いませんが、
少々峻嶮過ぎるかと思われます。古人のうちにてもソクラチス、ゴールドスミ
ス若くはサッカレーの鼻などは構造の上から云うと随分申し分は御座いましょ
うがその申し分のあるところに愛嬌が御座います。鼻高きが故に貴からず、奇
なるが為に貴しとはこの故でも御座いましょうか。下世話にも鼻より団子と申
しますれば美的価値から申しますと先ず迷亭位のところが適当かと存じます」
寒月と主人は「フフフフ」と笑い出す。
(夏 目 漱 石 『 吾 輩 は 猫 で あ る 』 133-144 頁 )
こ の 例 に お け る「 鼻 よ り 団 子 」は 、
「 花 よ り 団 子 」を も じ っ た も の で あ る 。
「鼻」
と「 花 」の 発 音 の 類 似 性 や 、鼻 に つ い て の 議 論 を し て い る と い う 文 脈 が こ の よ
う な 変 化 を 可 能 に し た の だ と 思 わ れ る 。 こ の 例 で は 、「 花 よ り 団 子 」 と 「 鼻 よ
り 団 子 」に 他 の 例 と 同 様 の 推 意 を 引 き 出 す よ う な 類 似 性 が 感 じ ら れ る 。し か し 、
他 の 例 の よ う に メ タ フ ァ ー と し て 捉 え る の は 難 し い 。お そ ら く 、3 章 で 取 り 上
げ た 例 は 性 質 的 な 類 似 性 を も つ も の だ っ た の に 対 し 、こ の 例 は 言 語 形 式 に 類 似
性 が あ る と い う 点 が 重 要 で あ る 。実 際 こ の 例 か ら は 、花 の 美 し さ よ り も「 花 よ
り 団 子 」の 辞 書 的 意 味 が 強 く 伝 わ っ て く る よ う に 思 う 。こ の よ う な 例 を 推 論 の
はたらきに注目して分析することは今後の課題としたい。
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注
1) Sperber and Wilson(1995 2 )に よ れ ば 、概 念 表 示 は ひ と つ の 心 的 状 態 で あ り 、
ひとつの脳の状態である。
「 心 的 状 態 と し て の そ れ は 、う れ し い と か 悲 し い と い う
ような非論理的な特性をもち得る。また脳の状態としてのそれは、ある期間の間
の あ る 時 間 に 、あ る 脳 の 中 に あ る と い う よ う な 非 論 理 的 特 性 を も つ 」(Sperber and
Wilson 1995 2 , 邦 訳 85 頁 )。 こ の よ う な 非 論 理 的 特 性 を 概 念 表 示 か ら 取 り 除 い た
ものが論理形式であるとされている。
2) 意 図 明 示 的 伝 達 行 為 と は 、「 あ る 情 報 を 相 手 の 頭 の 中 に 表 示 さ せ た い ( 思 わ
せ た い )」 と い う 情 報 意 図 と 、「 話 し 手 が 情 報 意 図 を も っ て い る と い う こ と を 相 手
に伝えたい」という伝達意図の両方をもつ伝達行為である。発話は意図明示的伝
達行為の代表的なものである。
3) Sperber and Wilson(1995 2 )で は 、 文 脈 効 果 (contextual effect)と 認 知 効 果
(cognitive effect)の 2 つ の 術 語 が 用 い ら れ て い る が 、
「個人における文脈効果とは
認 知 効 果 」 で あ る (Sperber and Wilson 1995 2 , 邦 訳 324 頁 )。 こ れ は 個 人 の 考 え
の変化であり、人間のように内省力のある認知システムにとっての文脈効果であ
る。本稿では両者の区別について扱わないが、術語を統一するために引用を除い
て認知効果の語を用いることとする。
4) 私 た ち が 普 段 、そ の 表 現 が も つ 辞 書 的 な 意 味 を 主 に 伝 達 す る 目 的 で 慣 用 句 や
諺を用いる。その意味で、慣用句や諺の辞書的意味(強い推意)を中心的に伝達
されるものと捉え、
「 魚 が 生 き 生 き と 泳 ぐ 」イ メ ー ジ の よ う に 中 心 的 で は な い が 慣
用句や諺によって伝達される想定に対して「周辺的」いう表現を用いた。
参考文献
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出典
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