小川能守宛松崎茂平書簡 小川家文書 い-104より こ こ に 展 示 し て お り ま す 書 簡 は 、岡 茂 こ と 松 崎 茂 平 か ら 大 変 な 蔵 書 家 で あ っ た 小 川能守にあてて出した、あることを依頼している文書です。 さてその内容は、 最近「油長」と「堀嘉」という二人の商人が書物商売に進出するにあたっ て、駸々堂と兔屋という当時の大書店からたくさんの安売り本を仕入れて売 り捌きたいので、書物仲間に入れてほしいと「古新」と私(茂平)に対して 言ってきています。とりあえずは同意をしてはいますが、そのような思いつ きで始める事業には危険もつきまとうこともあり、成功するという見込みも 立てられません。そこで蔵書家でいらっしゃる能守様にもご意見を伺いたい とともに、誠に突然のこととて恐縮ですが、従来ご購入されている書物のう ちでこの目録中の書物類に定価が分かるものがありましたら明朝までにご記 入いただきたい。 と い う 非 常 に 勝 手 と 思 わ れ る 書 簡 で す 。よ ほ ど 切 羽 詰 ま っ て い た と い う こ と で し ょ う が 、逆 に そ れ だ け 二 人 の 関 係 も 深 か っ た も の と も 考 え ら れ ま す 。 小 川 能 守 は た い へ ん な 蔵 書 家 で あ っ た だ け で は な く 、文 芸 全 般 に 造 詣 が 深 か っ た と こ ろ か ら 、狂 歌 や川柳に長じていた松崎茂平とはその関係で親交があったとしても何等おかしく は な い で し ょ う 。松 崎 茂 平 は 幕 末 の 頃 か ら 田 辺 福 路 町 で 荒 物 を 中 心 に 商 っ て い た 人 物 で す が 、 貸 本 業 も 兼 ね て い た こ と が 確 認 さ れ て い ま す 。「 古 新 」 は 古 金 屋 新 十 郎 と い っ て 炭 の 製 造 販 売 を 本 業 と し て い た 人 で 、文 面 か ら す る と こ の 人 物 も 貸 本 業 を 兼ねていたと考えるのが妥当でしょう。 ところで、小川能守が明治20年5月に記録したとされる田辺の各町の商店図 (『 田 辺 町 誌 』 所 収 ) に よ れ ば 「 油 長 」 と い う の は 、 田 辺 の 栄 町 か ら 秋 津 口 に 折 れ る角にあった中川長助商店(栄町30番地)がそれにあたると考えられますが、も う一つの「堀嘉」という商店は見 当たりませんでした。ちなみに、この当時田辺に はほかに娯目堂(栄町)と岡庄(本町)という「かし本」業を営んでいる店があっ たようですが、荒物や小間物商の中には「かし本」や新聞販売などを兼業していた 事例が多いことから、まだまだほかにもいたかもしれません。 こ の 話 の当 事 者 で ある 松 崎 茂平( 岡茂 =書 籍 部)と 中 川長 助( 油 長= 砂 糖 諸油 菓 子原料諸紙糸類ほか販売)とはそれぞれに明治31年9月に商業登記したことが 『紀伊毎日新聞』紙上に公告されていま す。 た だ 、こ の 話 の 顛 末 が ど う な っ た の か を 窺 わ せ る よ う な 資 料 が 小 川 家 文 書 の 中 に は 見 つ か り ま せ ん 。詳 細 が 不 明 な こ と は 残 念 な こ と で す が 、1 つ の 書 簡 を き っ か け として地域の貸本屋事情が少しは明らかになってきたことはうれしいことではな いでしょうか。 (文責:須山 高明)
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