嫁と姑は他人ではなく実の母娘 ある結婚式でのことです。新婦の父親が、新郎の両親にこんなあいさつをしました。 「お宅さまの娘さんを、長い間育てさせていただき、ありがとうございました。きょう、お 返しさせていただきますので、何とぞよろしくお願いいたします」と。 天 理教では、夫婦や親子、兄弟、真関など、すべての人間関係は、親神様がそれぞ れのいんねんを見定めて組み合わせてくださるのであり、結婚も嫁に行くのでは なく、 いんねんある家に帰らせてもらうのだと教えられます。新婦の父親のあいさつは、こ の教えに基づいたものでしが、その奥にはきっと、嫁ぎ先でも本当の 娘のようにかわ いがられてほしいという願いが込められていることでしょう。 どこの家でも、母親と娘は仲がいいものです。お嫁に行ってからでも、娘が帰ってくる と一晩中でも話は尽きません。母は娘の幸せを願い、娘は母の幸せを思いやります。 ところが嫁と姑となると、なかなかそうはいきません。話はぎこちなく、思いやりの心も すくないようです。ひどい場合には姑の嫁いびり、嫁の姑いびりに発展することもあり ますが、その根底には、嫁と姑は、結局は赤の他人であるという思いがあるのではな いでしょうか。 家 事の中心である主婦が一人の場合は問題ありませんが、お嫁さんが入ってきて、 中心が二つできることによって混乱や争いが起きるのでしょう。最近では嫁と姑 だけ でなく、親子も、兄弟もバラバラで、家族が孤立化してきており、それが青少年の問題 など、社会に大きな悪影響を及ぼしているといわれています。 お嫁さんは他人ではなく、自分の娘である。娘がかわいければ、嫁も同じようにかわ いい。そんな大きな心になれば、家族みんながつながって、まとまりのある陽気な家 庭となることでしょう。 中 には、とんでもないお嫁さんがいます。お姑さんが一生懸命にご馳走を作っても、 ありがとうの一つも言えない。部屋を片付けないので、見かねてちょっと掃除 をした ら、えらい剣幕でどなりこんでくる。みんなの食事が終わったころに、ノコノコ起きてくる。 しかし考えてみれば、そういう娘など、よくいるものです。 自分の娘と思えば、腹も立ちませんし、かわいくもあります。娘と嫁の差別をしいてい ないか、よく反省して、温かい血の通った嫁と姑になっていただきたいものです。 (中臺勘治『天の理に沿う─家庭の幸せ、働く幸せ、健康の幸せ』天理教道友社刊か ら)
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