EU統合とヨーロッパ諸国の宗教的多様性 欧州憲法におけるキリスト教の扱いに付随した対立 北川 晶子 「欧州のための憲法を制定する条約」(欧州憲法条約)の草案作成過程、イタリア、ポ ーランド、リトアニア、マルタ、ポルトガル、チェコ、スロバキア、スペイン、アイルラ ンドや法王庁が条文に”Christianity”, あるいは “the Judaeo-Christian tradition”への 言及を要求した。 この主張はフランスを中心とした政教分離の国々の強い反対にあった。結局、「キリス ト教」という明記のないまま、2004 年 6 月 18 日に IGC は議長国アイルランドによる妥 協案で合意に達した。 何故いくつかの国々からこのような意見が出され、議論になったのか?そこにはヨーロ ッパ諸国には多様な宗教政策が関係している。欧州憲法条約の法的拘束力や条文上の扱い 方次第で加盟国内におけるその宗教政策への影響の懸念が考えられる。 そこで、本論文では 第一章として歴史的な「キリスト教」の欧州統合への貢献を述べ、第二章で欧州憲法条約 の宗教条項を分析する。第三章で現在のヨーロッパにおける宗教状況に触れ、第四章で全 EU 加盟国が現在、締約している欧州人権条約と人権裁判所の判例を参考に、欧州憲法条 約発効後の展開を推測した。 ヨーロッパにおいて、歴史的なキリスト教の影響力は大きく、欧州統合の推進的役割を 担ってきた。支配層や思想家は「キリスト教」は欧州に共通する価値とみなした。しかし、 平和のための統合であっても、個人の自由も基本的人権も存在していなかった。 現在における欧州統合の動きとはEUであり、2003 年には「欧州憲法条約」が成文化 した。宗教条項に関して述べるなら、ヨーロッパにおける民主国家間での多様な宗教的自 由のあり方を集大成したものだと言える。 憲法条約の宗教条項を分類すると、以下のようになる。 行政:前文、第Ⅱ-82[Ⅱ-22]条 司法:第Ⅱ-70[Ⅱ-10]条、第Ⅱ-74[Ⅱ-14]条、第Ⅱ-81[Ⅱ-21]条 立法:第Ⅲ-118[Ⅲ-3]条、第Ⅲ-124[Ⅲ-8]条、 第Ⅰ-52[Ⅰ-51]条 前文、第Ⅱ-82[Ⅱ-22]条では、概念的な内容であり、EU 行政の指針である。 第Ⅱ-70[Ⅱ-10]条、第Ⅱ-74[Ⅱ-14]条、第Ⅱ-81[Ⅱ-21]条は欧州人権条約の宗教条項であ る第 9 条、第 14 条、第 1 議定書 2 条とほぼ同じ文面である。欧州人権条約を法的根拠と した、欧州人権裁判所の判例を参考に欧州憲法条約の発効後の司法的解決が予測される。 第Ⅲ-124[Ⅲ-8]条では差別対抗の措置として、「欧州法律」または「欧州枠組法律」を定 めることができるとした。 しかし、第Ⅰ-52[Ⅰ-51]条では「構成国における教会および宗教組織または宗教共同体」、 また「思想的および非信仰的組織」の「国内法上の地位を尊重」を明記している。 憲法条約は EU 共通の指針を提示し、司法的解決や立法が可能にする。 しかし、現在のヨーロッパ諸国の政教関係は多様である。大まかに、三つに分類できる。 すなわち①政教分離制度(フランス、エストニア、スロヴァキア、スロヴェニア、ハンガ リー)②公認宗教制度(スペイン、ポルトガル、ドイツ、アイルランド、イタリア、ベル ギー)③国教制度(ギリシア、デンマーク、マルタ、英国)である。 政教分離制度は憲法で政教分離を明示するとともに宗教的自由を保障する憲法を有する。 公認国教制度とは、国教を廃止して、俗権と教権とを分離しながらも、国家が政教協約(コ ンコルダ)を締結した特定教会・教派と国家との協力関係を維持するものである。 の国教制度とは、国家が特定の宗教・宗派を公のものとして認めることである。 各国の政教関係や宗教制度は、その国の成り立ちや歴史に密接に関わりがある。 その国に固有の政教関係に、EU および、憲法条約がどれほどの影響力を持つのか。 司法的解決に関しては、欧州人権裁判所の判例(コキナキス判決、ホフマン判決、パロ =マルチネ判決、シャアル・シャローム・ヴェ・ツェデック判決)を参考に推測できる。 人権条約および人権裁判所は、宗教的自由を強く保障している一方で、各締約国の固有の 政教関係や宗教政策を問題とすることは避け、各国の自由にゆだねる。また、人権裁判所 の判決により確認された条約違反を改善する権限は国内秩序に属する。 この姿勢は、多様性を銘(モットー)とするEUで継承されると考えられる。 立法権の行使について、憲法条約は EU が「権限付与の原則」により成り立つ組織であ ることを確認したうえで(Ⅰ-11[Ⅰ-9]条 1 項、2 項)、 「補完性原則」および「比例性原則」 により謙抑的に行使するもの (Ⅰ-11[Ⅰ-9 条]1 項、3 項、4 項) と定める。 他方で、憲法条約はEUがEU法をEU市民や企業に対して直接に強制する権限を規定 していない。EU法の強制は究極的には構成国の国家権力に委ねられている。 多様性の中の合同を果たした、EU の宗教は今後どうなるのか?それは、その都度の対 処・判例を積み重ねていくしかないように思われる。 実際に、懸念されるような欧州憲法条約の発効による EU の法的拘束力や影響は大きく ない。しかし、欧州憲法条約という枠組みのもと、加盟国の国内における宗教に関する法 制度や政教関係の調和や EU 化が期待される。
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