愛知県立旭丘高等学校漕友会会報 第3号 平成 12年 1月 15日 発行 発行者:〒461-0032 名古屋市東区出来町3丁目6の15 愛知県立旭丘高校内 愛知県立旭丘高等学校漕友会 TEL:052-721-5351 FAX:052-723-6825 事務局e-mail: [email protected] 山本芳敬(旭丘27回) [email protected]桑山栄一(旭丘19回) 漕友の発刊にあたって 旭丘漕友会会長 長谷川 誠 (7回) 「みなさまあけましておめでとうございます」 この「漕友」の配布が恐らく2000年頭になるだろうと思い新しい年のご挨拶か ら申させていただきます。 2000年問題という「問題」を越えて新しい世紀への入り口をくぐっただけに、新年以降に期待するものが大きいわけですが、 これも自然にやって来るものではなく、みんなの一層の努力が大切だと思います。 「漕友」の発刊につきましては、大変ご多 用の中を、桑山漕友会幹事長はじめ、多くのみなさまのご協力を得て参りました。厚く御礼申し上げます。 さて、1999年は、一中・旭丘のボートに係る者にとって、記念すべき年でもあり、大変うれしい年でありました。先ず、現役 諸君の大活躍であります。山本先生や選手の皆さんの寄稿文や報告にあります通り、国体で全国制覇、インターハイでの活 躍、女子クルーの活躍などうれしいニュースが続きました。旭丘ボート部は、かつて経験したことの無いほどの部員の充実を みています。これは、先輩諸氏の熱心な漕友会活動へのご協力の影響するところが大変大きいと思います。現役の諸君と先 輩の皆さんが触れ合っていただける機会が増え、 ボートをやってよかった話が若い皆さんに直に伝 わった結果ガ出ていると思います。 次に、漕友会の活動であります。津校との定期 戦では、60以上、50、40、30、20各年代も、現 役も全戦快勝しました。誠に意気盛んでした。又、 一年を通じ、マスターズレガッタや名古屋市民レ ガッタへの参加など幾つかの機会に相当数の会 員ガ出かけていただけました。何年振りかに握る オールの感触を今後も出来るだけ多くの方に味 わって頂きたいものだと願います。 現役の皆さんの一層のご活躍と、会員の皆さ まのご健勝とご発展をお祈り申し上げ発刊のご挨 拶と致します。 1 漕友会の発展を祈る 愛知県立旭丘高等学校長 野々部幸藏 漕友会の皆様には、ボート部の活動に対し物心両面にわたり温かいご支援を賜り、心より感謝いたしております。 ゴールに向かい皆で力を合わせ全力をふり絞る、いわばロウアウト精神は、現役の生徒諸君にしっかりと受け継がれ、息づいて います。 本年度の数々の輝かしい成果は、先輩から引き継いだ精神・根性と、日ごろの継続的な努力で身につけた技能の蓄積、そして漕 友会の皆様のご支援が結集しての結果と思います。 漕友会の益々の発展と会員の皆様のご健勝をお祈り申し上げるとともに旭丘高等学校ボート部の一層の躍進を期待していま す。 津高艇友会吉川昭一会長 旭丘高校漕友会長谷川誠会長 旭丘高校野々部幸藏校長 津高校松村勝順校長 99年8月22日津高対抗レガッタ懇親会において 2 この 1 年をふりかえって 山本芳敬(現ボート部顧問)(2 7 回) 1999 年。近藤教頭先生、戸田先生、青山コーチ(本校体育講師)のもと、今年も部員たちは記録を次々と塗りかえてくれま した。 5月 県高等学校総合体育大会で男子総合優勝 6月 中日本レガッタで男子ダブルスカル、男子シングルスカルともに 3 位入賞 7月 国体県予選で旭丘高校として出場権獲得 8月 岩手インターハイで男子ダブルスカル準決勝進出 9月 熊本国体で男子ダブルスカル優勝 10 月 県新人戦で女子舵手付フォア優勝+男女ともに総合優勝 熊本から帰ってきて、すぐ行われた新人戦では女子フォアが宿敵、猿投農林高校を破っての優勝。“熊本の優勝とおなじく らいのニュースでは。”と、OBから声がかかりました。また、男子舵手付フォア 1位、男子ダブルスカル3位、男子シングルス カル 1 位、2 位と 2 年生の総合力で男子も総合優勝。アベックで総合優勝することができました。2 年生の上位入賞に続き、 1 年生も何人かが決勝に残り、新種目の男子舵手付クオドルプルでは 1 位になりました。皆さま方からのご援助で進水した 新艇もフルに活躍しています。来年度のインターハイは岐阜県河辺漕艇場で行われます。皆さま方に応援に来ていただけ るよう部員共々がんばって参ります。OB・OGの皆さまのますますのご声援をお願いいたします。 国体優勝と同じぐらいの快挙? 向かって左から C河野 3 塩瀬 新人戦で猿投農林を破った女子フォアークルー S橋口 B村木 3 2佃 (99 年津高対抗レガッタにて) さらなるSTEP UPを目指して 旭丘高校ボート部コーチ 青山美紀 私は、1998 年 4 月から旭丘高校非常勤講師として勤めると同時にボート部のコーチとして過ごしてきました。 コーチについて 1 年半の間に、部員たちは大きく成長したと思います。レースのときは、選手よりも緊張している私の前を、 部員たちは力強い漕ぎで、トップで漕ぎ抜けていく。本当に頼もしい部員たちばかりです。 今シーズンを振り返ってみれば、いろいろな記録が並んでいますが、これは部員一人一人がお互いを助け合い励まし合 い自分を追い込み、そしてボートの楽しさとは何かに対して真剣に取り組んだ結果だと思います。しかし、この現状に決して 甘んじることなく、さらなる STEP UP を目指して、部員たちと共に今日も明日もまた、オールを握り一本一本漕いでいき たいと思います。 まだまだ未熟な私で毎日が勉強の日々ですが、一歩一歩前進していきたいと思います。OB、OGの皆様のご指導、ご声 援の程よろしくお願い致します。 向かって左から 青山コーチ 国体優勝の森島中江君 山本ボート部顧問 (国体祝勝会にて) 4 女子シェルフォア 男子シェルフォア(99 年10 月10日中部選抜にて) 岩手インターハイ 近藤千眞・佐藤弘明(3年) インターハイ。その切符を得たのは5月下旬のことだった。愛知県高等学校総合体育大会・男子ダブルスカル決勝。我々 はタイム的には頭一つ出ていたので、少し不安はあったが、優勝できるだろうと比較的落ちついてレースに臨むことが出来 た。レース展開は整調の佐藤と相談の結果、“先行逃げ切り”でいくことにした。 レース開始とともに我々はトップに躍り出た。しかし、他のクルーも意外に食い下がってくる。500 メートル過ぎあたりから、 差が広がってきて、このままゴールかと思いきや、ラスト 100 メートルでアクシデント発生。二位の猿投農林高校、三位の東 郷高校が差を詰めてくるも、落ちついて体勢を立て直すとそのままゴール。かくして我々はインターハイへの切符を手に入 れたのであった。 そして、その翌週の中日本レガッタでは三位ながらも、シングルスカルの森島とともに、旭丘にこの大会における初入賞を もたらしたのであった。 この試合の後からインターハイに向けての練習が始まったのだが、特に変わったことをした訳でもなくふつうのシーズン 中の練習であった。(だからといって楽であったという事ではない。) だが、この練習の中でクルーとしての様々な問題点が浮上してきた。我々はそれらを解決しようとしたがうまく行かず、ス ランプに陥ってしまった。そんなときにこの状況を打破する救世主が現れた。OBで北海道大学ボート部コーチの杉藤先輩 だ。先輩はほんの数日間指導して下さっただけだが、そのおかげで我々の艇速は大幅アップした。この頃から私の頭の中 に“もしかしたら全国優勝できるかも”という考えがよぎり始めた。その指導の成果もあって、合宿でのタイムトライアルでは 運河でのベストタイムを出すことが出来た。“これなら春の選抜で負けた小見川、愛川、新居に勝てる。”と、思いつつ、岩手 へとのりこんだのであった。 岩手は湿気が少なくて、暑くても過ごしやすく、民宿は、アットホームな雰囲気で、食事もおいしく、リラックスして過ごすこ とが出来た。 予選では、我々は、岡山の強豪関西、大分の日田、そして、春の全国選抜入賞の京都伏見工業のいる組で私は内心ビビ リまくりであった。ところが、レースが始まると、前半でもう我々はトップになり、結局そのまま、二位と約3秒差をつけ一位で ゴールしてしまったのである。しかも、予選トップタイムで。整調が前日亜脱臼したにも関わらず、こんな結果になるとは、私 5 は自分のした事ながら驚きを隠せなかった。これで、自分たちが優勝圏内にあることを確信した我々は、準々決勝でも中日 本レガッタ以来のライバル瀬田工業高校を下し、準決勝へと駒を進めた。準決勝で戦うクルーは再び滋賀の瀬田工業、こ れまたライバルの岐阜美濃加茂、そして、中部選抜以来一度も勝ったことのない静岡新居、予選で倒した伏見工業の5クル ーであった。準決勝は6艇中3艇が決勝へと上がれるので、瀬田と美濃加茂と伏見には勝てると思った我々は、前半流して 決勝のために体力を温存する方針でレース展開をすることにした。このとき、私の心の中には、自信を通り過ぎて、油断が 生じていた。レース開始。早速、周囲のクルーの姿が見えなくなる。それでも、なんとか上がれるだろうと、いつもより低いレ ートで漕ぐ。500メートル付近、自分たちより遅いクルーは 2 ハイしかいない。整調のレートが上がる。私もそれについていく。 何とか、何とか、させるか。結局、我々は、伏見工業にコンマ 6 秒差の僅差で破れ、決勝へ進出できなかった。こうして我々 の夏は終わった。 最後になりましたが、今までお世話になった皆様、どうもありがとうございました。 6 熊本国体遠征記 中江 保一(2年) 幸運にも私は 1999 年度鱒本末来国体へ愛知県代表旭丘高校クルーの一人として森島元君と共に参加させて戴く事が出 来ました。今回は、監督の山本先生やコーチをして戴いた青山先生をはじめ多くの方々に御尽力賜り、優勝する事が出来 ました。 インターハイの壮行会の際にも佐藤・近藤両先輩から期待の言葉を頂き大変励みとなりました。 私は、今回の大会で二度喜びを得る事が 出来ました。もちろん、一度目はレースを漕 ぎ切り優勝が決定した瞬間でした。二度目は 熊本から帰った後、校長先生を始めとして、 先生方・OB・OG 等多くの方々が私達の優勝 を共に喜んで下さった時でした、その時は優 勝する事が出来て本当に良かったと改めて 感じました。 さて、国体の試合について書かせて戴きた いと思います。 まず、夏休みの半ばに東海ブロック大会 (静岡・愛知・岐阜・三重東海四県の代表4艇 の中から東海代表の二県を決めるための大 国体予選 会)があり、二回の選考レースを共に 2 着で終了し、何とか熊本で行われる本戦への切符を手にする事が出来ました。本戦 では、熊本に到着した日から三日間の公式練習日があり、少しは会場斑蛇口湖の水に慣れる事が出来るかと思いましたが、 実際には二人の動きがうまく合わず、先が思い遣ら れるような練習でした。しかし、試合初日に予選のた めに出艇してみると前日まで合わなかったのが嘘の ように二人の息が合い、二位のクルーに6秒の大差 をつけて一位で予選を突破、試合二日目は敗者復活 戦のみの為、英気を養うことが出来ました。試合三日 日の準決勝は二着に4秒差をつけて決勝へと駒を進 める事となりました。決勝では、流石に少し緊張して いましたが、全力で且つ二人の息を合わせる以外に 何を考えても無駄だと思うと、気が楽になり伸び伸び と漕げたと思います。その所為か、決勝でも二着との 差は2秒半とかなり開き、実力を十二分に発揮した良 いレースが出来たと思います。 国体準決勝 最後に、私達を支え応援して下さった皆様、ありがとうございました。 7 目指していたもの 森島 元(2年) 私は平成 11 年 9 月 11 日から 4 日間、熊本で開催された国体に中江保一君とともに参加させていただき、優勝することが 出来ました。ここで私は自分が目指していたものについて書かせていただこうと思います。 私は国体参加に際して、目標を“自分の限界への挑戦”としていました。8 月中旬に行われた東海ブロック大会において、 静岡選抜クルーに約3秒もの差をつけられ、二着での国体出場決定でした。静岡選抜クルーは前評判の高いクルーで本戦 でも優勝候補に挙げられていました。私は本戦までの練習の間、何度も自分たちを静岡選抜クルーと比較しそうになりまし た。しかし、そうなる度に、私は、 “自分の限界への挑戦”をしてい るのだと自分に言い聞かせてき ました。それはつまり、他者との 相対比較の中に自分たちの自信 を見出すのではなく、絶対的に自 分たちがたどり着つける最高の ものへの挑戦であるという事でし た。そのために一切の妥協をす る事がなく、熊本へ行く頃には絶 対的な自信を持つところまで到達 することが出来ました。 本戦では、全国各地の予選を 勝ち抜いてきた強豪がそろって いました。しかし、自分たちの自 国体決勝 信は、他者との相対比較ではなく、自分たち の中の絶対的なものであったため、揺らぐ事 はありませんでした。そして迎えた決勝では、 自分たちの最高のレースをして優勝すること が出きました。“自分の限界への挑戦”の結 果、全国制覇ができたのだと思います。 最後になりましたが、私たちを熊本まで引 率して下さった山本先生やコーチしていただ いた青山先生、そして力強い応援の言葉を 頂いたボート部の佐藤・近藤両先輩、さらに は校長先生を始めとする先生方や OB・OG の方々に心から感謝したいと思います。 本当にありがとうございました。 向かって左から森島君、山本顧問、中江君 8 ボート部でしごかれて良かったなァと思うこと 損したなァと思うこと 元愛知一中端艇部員 志水 修(愛知一中63回) 私は昭和 10 年に旧制の愛知一中に入学し、その年の 5 月から、当時「端艇部」と、厳めしい漢字の名称がついていたボ ート部の新入生として、しごかれた 16 人の仲間の内の一人である。 久し振りの「漕友」再刊にあたり、何か書くようにとの、 編集者の要請に従い、現在 77 歳になった先輩の一人として、主として、現役の諸君の激励になるようなことを記してみたい と、筆を執った。 1. 剛毅木訥、ボートマン気質は、世界共通であること。 私は昭和23年に大学を出て、当時東亜高圧といっていた三井系の肥料会社へ入った。誰一人知る人もいない北海道の 砂川の工場に入って、独身寮の食堂で飯を食っていたら、「オイ、君はボートを漕いでいたのではないか?」と声をかけてき た男がいる。背格好と飯の食い方で判るという。この男は旧制二高でボートを漕いでいて東京工大出た林定男君である。そ の後大多喜天然ガスの社長になって、今はゴルフ三昧の生活をしているが無二の親友となった。 昭和36年に日化協の労働関係ミッションの一員として、イギリスの化学会社、CCIを訪問した。「労使関係を良好に保つ 要諦は、誠実さと相手側の立場を理解する事だ。」と熱弁を揮っていたリチャードソン主席部員は、お茶の時間に隣り合った ら、やはりケンブリッジ大のボートマンだった男で、「相手側の立場の理解」とは、「相手が、どういう理論構成で組合員大衆 を納得させられるかを、此方も考えて、それとなく団体交渉で教えてやる事だ。」と、その意訳を教えてくれた。この教訓は帰 ってから大いに役立った。 2. ボートマンは、権謀術策が苦手である。 昭和50年から、私は合併してできた三井 東圧化学の常務として3ッ程の事業部を総 括する立場に立ったが、それまでの丁々発 止とやり合う場面の多かった人事労政関係 と違って喋喋喃喃たる笑顔の裏で駆け引き する営業関係に手古摺った。 しかし世の中よくしたもので、暫くすると、ど この会社にもボートマンが居ることが分かっ た。特に大口取引先の三井物産と東レに多 いことで助かった。この方々は権謀術策が 苦手で、いつも単刀直入に自分の意見を述 べられる。他の担当者なら2週間かかる折 衝を2日で解決したこともある。もっとも、名 古屋の或るプラスチック工場に値上げを、交 渉に行ったら、相手方の購買部長がボート 部の2年先輩で、しごきしごかれた間柄。汗 を拭き拭き半分にして帰った事がある。 左 志水さん 9 右 長谷川会長 3.頑健な体力とローアウトの精神は社会に出てから、その力を発揮する。 企業間折衝でも、労使間交渉でも、最後は脳力ではなく、体力である。よくボート部の先輩でもある真野毅氏(最高裁判事、 東京弁護士会長)が口にされたが、どんなに膠着した折衝でも「朝の来ない夜はない。」のである。その為には、ボートで鍛 えた頑健な体力と全力を振り絞って最後まで漕ぎきるローアウトの精神が役に立つ。 既に紙数も尽きた。最後に損した話を一つ。 4.麻雀にゴルフ、賭事に手を出すな。 筋肉質のボートマンには、麻雀やゴルフ、ゲーム遊びや賭事は向いていない様である。これらの遊びと、ボートマン気質 は、全く正反対の物のようである。勿論、例外はあろうが、私自身、どれも20年を越す修練にも関わらず全く開眼していな い。 第 1 0 回 マスターズレガッタ参戦記 千田 勝二 (1 2 回) 去る4 月 25 日 我々12 回(昭和 38 年)卒業のボート部のクルーは、愛知池で開催された第 12 回マスターズレガッタに出 場した。当日は新緑がまぶしい好天の一日であったが、日頃の練習不足のため、散々な成績で深く反省している。実は昨 年のこのレガッタでは、ほとんどぶっつけ本番で出場して、シートを−をはづす者や心臓があぶつものやで惨めな成績に 終わり、今年はその雪辱を期すべく、4月 4 日、11 日、18 日に中川運河において特訓(?)をして参加した。コーチは卒業後、 長い間中部電力で現役として選手生活をした伊神君である。楽観的なお人好しか根源的な楽天家と言うべきか、もうこれだ けで優勝まちがいなし、とばかりに自信満々のエントリーだったのです。 昭和 35年に卒業した我々は、ある者は今や定年 を迎えようとするのに、このマスターズレガッタでは青年組と呼ばれている。今回の青年組クルーとしては 16 クルーがエン トリーし、13クルーが出場した。我々の出場した第6レース、青年組 予選は旭丘漕友会A、洲本RCA、関大08漕ごう会(こ れは昨年の優勝クルー)、津高艇友会 A、中部電力の 5クルーである。スタートして 300m までは何とか洲本クルーとならん でいたのだが、その後づるづるとはなされ、5 着でゴール。タイム的にもまったくだめで、決勝レースはおろか順位決定戦に も残れなかった。クルーメンバーはバウから友松靖夫、深山 靖、伊藤寿洪、千田勝二、コックスは伊神基博が舵をとった。 試合が終わってから岡崎の伊藤寿洪宅にて、旭丘漕友会実年組の丹羽忠司氏とかけつけた長崎博三君を加え、バーベ キュウパーティーを開催した。試合が終わってしまえば、ふがいなきレースの成績のことはすっかり忘れ、話題沸騰、諸説 ふんぷん、それでもまじめな話題も多く、最後には各人の考える現代の教育論にまで議論を闘わせた。 さて、パーティーで酔いがまわるに任せて、今後の我々に事業計画(?)を検討し、決定した。即ち、7 月 24 日、2S 日に千 田のヨットにて佐久島クルージングに出る08 月28日、29日には琵琶湖遠漕会を行う。10月 3 日に名古屋レガッタに出場す べく、9月の日曜日をすべて練習日とする、と言うものである。これはすごい!!来年のマスターズレガッタでは優勝まちが いなし、と早くも考えている 10 ボートとヨットとソーラーボート(2) 水谷晃(旭丘18回) 1998年2月15日に4時間を費やして累計が2530時間になりました。この時間は、私が日曜大工として、 5軒目のいえづくりに投入した作業時間です。 ’98年は、正月明けの1月11日(日)から1月18日(土)まで、本業のほうでイタリヤ出張が入り、仕事の結 果はともかく、毎日ベニスの高級ホテルから、007よろしく、木造にニス塗りボートの水上タクシーと陸上のタ クシーを乗り継いで相手の会社へ日参し、4日間で八軒のレストラン接待を受けるという、うれしさを通り越し た歓迎をされて、少々胃に負担をかけたせいもあって日曜大工のほうは、あまりピッチが上がっていません。 二階の十二畳洋間の板壁を貼っている最中です。 さて、先回の話に戻りますと、1993年5月2日 (日)に、7時間を費やして設計に着手したところで す。[会報の5月3日はミスプリントです。 13日、4日 と合計18時間で基本図面ができあがりました。1時 間手直しをしてから妻に図面の内容を説明して OK を取り付けました。5月30日(日)に、工事を依頼す る大工の浅野さんと、5時間かけて打ち合わせをし ました。[累計24時間] その後は週末毎に、一部取り壊す予定の作業場 内の片づけをボツボツやりました。今回の工事では、 体力の衰えを、機械力で補ってやろうと、大型特殊 車とユンボの免許を取って準備をしましたが、結局 使ったのはヒイラギの木を移植するために、水道屋の小型ユンボを借りて穴を掘ったのが一回あっただけでし た。大変な廻り道と、家計の圧迫をしていると、妻から大きな小言を受けました。そんな非難をかわすためで はありませんが、7月には19回生の田渕氏が副院長をしていた名南病院へ5日間の検査入院を計画しまし たが、充分な休養が取れたのと、病院食にも飽きたので、3泊で退院。残りの休日を利用して十時間ほどで 基礎図面を書きました。[累計88時間] 作業場の片付けは秋まで続き、10月10日には、 隣地に 7 時間かけて仮設の駐車テントを作って累 計は123時間になりました。 10 月23.24日の休日に弟二人を巻き込んで、作 業場の取り壊しを決行。完全な人海戦術でした。翌 週に雨ドイ・配水管の仮設工事を終わって、建設の 事前工事が終わりました。 11月3日の文化の日に、大工の浅野さんと土方 の山村さんとで水盛りをしました。[累計228時間] 『ここまで書いたところで、記録日記のほとんどを、 誤って,ゴミに出してしまったので、以後は記憶をた どって書きます。』 11 ボートとヨットとソーラーボート(3) 水谷 晃(旭丘18回) 1999 年 1 月 10 日に 5 時間を費やして累計が 2755 時間になりました。この時間には、私が日曜大工として、 5軒目の言え造りに投入した作業時間です。 ’99年は、正月明けの1月3日(日)にボート 部の総会があり、娘の槇と一緒に出席しました。 これは中3の槇が受験に際し、明和にしようか か、旭丘にしようか迷っていたので、ほんの少 し親のエゴを発揮して OB 又は OG の毒気の 当たらないか期待したわけで、結果は、ほぼ期 待通りでした。山本先生の配慮からか、われわ れのテーブルにはピチピチの一年生ギャル5人 が配置されており、どの子もハツラツとして、旭 丘を誇りにおもっていて、口々に「旭丘におい でよ」とラブコールをかけてくれたので、槇もそ の気になり、数日後には、中学の転任に志望 校を「旭丘」と連絡したのでした。しかし、世の中好いことばかりが続くわけではなくて、槇はその日を境に、大 カゼをひくハメにおちいり、冬休み明けの数日も含めて、学校を休みました。妻の直子になじられることしきり でした。 さて、先回の話に戻りますと、1993年11月3日の文化の日に水盛りをしました。大工の浅野さんは、一人 で材木のキザミをやりつづけました。年が明けて、あいさつに行ったところが、いつ建前ができるか不明の状 態。でも何とか、真冬日に建前の運びになりました。弟の旦が来てくれて、他の大工を尻目に、大活躍をした 様が、今もビデオに残っています。2日で片付くところが、余りにキザミに ミスが多くて、現場修正に時間がかかり、手待ちすることシキリ、で、2 倍の四日間かけて建前は終了しました。当然のことながら、リースのク レーンも倍かかったわけでして、もはや予算はあってなきがごとしの状態 となりました。この調子でミスは延々と尾を引き、9月の台風までに、外 の足場がはずせるメドがつかなかったので、7月3日(日)大工解任を決 意し、それまでに、ともかくも大動員をかけて、外壁の角波はりをまで終 えておき、第三者の立会人を置いて大工との交渉に臨み、会見をビデ オに収めつつ、最終は覚書に三者のサインをして、大工の解任劇は終 了しました。 何せこのときの浅野さんの日当は、二万円を超えていました、私が会 社からもらう給料を日割り計算した値とそんなに差が無くて、私めが毎 日働いたとしても、同じ日数を浅野さんが働いたとすると、いずれ貯金 が底をついたときには、家族がどうやって生活をしたらいいのかとの疑 問もあって、ギリギリの選択をしました。ともかくも、その安心からか、あ るいは関係が無かったのかはしりませんが、その年ジロウで野垣病院 へ約一ヶ月入院することになりました。工事も一時お休みです。 12 ストイシズムのススメ∼くまもと国体に出場して 岡林大祐(旭丘 4 4 回) 旭丘高校現役ダブルスカル、国体優勝おめでとうございます!実は私もこの秋「くまもと未来国体」に出場 いたしました。といっても種目は漕艇競技ではなくて山岳競技です。滋賀県成年男子チームとして参加し順 位は 18 位とまずまずでした。 あまりにもマイナーすぎてだれもその実態を知らないであろう国体山岳競技について説明したいと思います。 種目は、踏査・登攀(はん)・縦走の3種目あります。踏査は地図競技です。コース上に設置されたポイントを 地図に書き込みながら山道を走ります。地図の正確さとタイムで競われます。ポイントの位置は本番になって みないとわかりませんが、コースはあらかじめ公開されています。したがって重要となるのは、事前調査です。 我々は2度も熊本で合宿し、コースの詳細な測量をしました。 登はんはフリークライミング(岩登り)です。岩場に模した凹凸のついた人工の壁をどこまで上に登れるかで 競います(写真)。命綱のロープはついていますが、登るための道具はいっさい使わずに素手で登ります。競 技性を持たせるために、上に向かうと 90 度以上にオーバーハングしてきます。腕力だけでなく柔軟性とバラ ンス、ルートを見抜く能力などが必要とされます。 そして縦走は 15 キロの荷重を背負っての山登りです。純粋なタイムレースです。荷重はザックに詰まってさ えいれば、中身は水でも砂でも鉄板でも何でも可です。基本的に体力勝負ですが、荷物のパッキングの技術 も重要になります。 説明が長くなってしまいましたが、要するに実際の登山とはあまり関係がなく、かつとても過酷な競技という ことがおわかりいただ けたでしょうか。この 半年間、私は食事制 限をしながら仕事後 や休日にトレーニング をするというまさに禁 欲的な生活でした。け れども不思議と楽し かったのです!自然 の中で体を酷使する マゾヒスティックな快 感を感じながら、そん な非日常的な時間の 中で仕事を忘れてリ フレッシュすることが できました。 熊本国体にて 岡林君 13 「ボートと私 - 現在と未来- 」 樋口 満(厚生省・国立健康・栄養研究所)(旭丘 1 9 回) 1999年は母親の長期入院と死、東大・大学院時代の先輩、後輩の死などが相次いだつらいことの多かった1年で あったが、私自身はきわめて元気で多忙な日々を送っており、新しいいろいろな経験ができた1年でもあった。夏には 妻が勤続25年でリフレッシュ休暇がとれるので、イギリス旅行を計画していた。私はヘンリーロイヤルレガッタを観戦 し、妻はガーデニング鑑賞の予定であったが、母親の看病に追われて、断念せざるをえなかった。まだまだ、人生長い のでこの旅はまたの機会にと考えている。 今年は春のマスターズレガッタ、夏の津高校との対校戦、さらに秋の名古屋レガッタといくつかのレースに参加して、 ボートの仲間と楽しいときを過ごすことができて幸せだった。とくに、夏の国体(熊本)で現役選手が優勝したことはほ んとうにうれしかった。現役選手が活躍してくれると OB も元気になれる。インターハイや国体のレース記録はインター ネットでチェックしていた。インターハイは決勝に今一歩で残れず残念であったが、国体では、決勝に残ったことで、3 位くらいに入ってくれればと思っていた。決勝の行われた9月14日は仕事をしていてもレース結果が気になって落ち 着かなかった。午後4時頃になって、少年男子ダブルスカル1位愛知・旭丘高と結果が出た。はじめは信じられなかっ たが間違いない。興奮が高まってきて、研究室の若手に仕事をすぐやめるように声をかけ、祝杯をあげに街に繰り出 した。学生スポーツでは勝利のみがすべてではないが、やはりこの勝利は OB として誇りである。現役諸君と彼らをサ ポートしてきた学校関係者と OB 各位に感謝したい。 ボートの競技力向上については、夏季国体終了直後に、日本ボート協会・佐野会長と懇談することができた。夏季国 体終了後、仕事の関係で熊本には2度行った。9月下旬の日本体力医学会と10月の秋季国体の開会式前日に開催 されるドクターズミーテイングである。いずれもスポーツ関係の会議なので、ひじょうにいい気分で熊本に出掛けること ができた。体力医学会では私が研究指導をしている大学院生(東大ボート部 OG)が女子ボート選手のパフォーマンス (ローイングエルゴ 2000m 記 録)と呼吸循環機能・筋力の関 係を発表した。また、10月の 日本体育学会(東大・駒場)で は男子ボート選手について同 様の研究発表を行った。これ までに、男子選手約100名、 女子選手約50名について体 力測定を行った。対象とした選 手は戸田に艇庫がある高校・ 大学のクルーばかりでなく、 OB である名古屋大学はもちろ ん、鹿児島の鹿屋体育大学 (インカレ・女子舵付フォア優 勝)にまで出掛けて体力測定 や血液検査を行っている。こ れらのデータは2000年7月に 19回卒 左から桑山 田淵 樋口 渡辺 14 フィンランドで開催されるヨーロッパスポーツ科学会議での発表を予定している。 私は「中高年者の健康増進・生活習慣病予防における運動・スポーツの効果」について20年くらい研究してきた。ラ ンニング、スイミング、ウオーキングなどいろいろなスポーツを愛好している中高年者を対象としてきたが、これからは ローイング愛好者を対象として研究を進めようと考えている。アメリカスポーツ医学会では健康・体力づくりのためには 呼吸循環機能を高める“有酸素性(持久性)運動”と筋力づくりをする“レジスタンス(筋力)運動”を併用することを勧め ているが、まさに、ローイングはこの両方の目的を同時に達成することができる効果的な運動なのだ、というのが私の 考えであり、これを実証するデータを今後、集めて いることになるので、マスターズレガッタなどに参 加されている OB 諸兄のご協力よろしくお願いしま す。 一方で、私は現在、JOC(日本オリンピック委員 会)の医科学・情報専門委員としてスポーツ選手 の栄養・食事管理を担当しており、2001年に設 立される国立スポーツ科学センターを拠点として、 日本選手の競技力向上のサポートをしていくこと になっている。私が現在行っているスポーツ栄養 に関するいくつかの研究には、学生時代にボート を漕いだ人たちが何人か係わっており、なにか因 縁めいたものを感じる。高校、大学とボート部に籍 を置き、多くの指導者、先輩、同輩、そして後輩に 巡り会えたことは、元来がわがままな私の人間形 成に大いに役立っていると確信しており、感謝して いるが、私のこれからの人生にとっても、ボート仲 間は家族と同様に大切で、かけがえのない存在で あるといえる。 C 樋口 (99年津高対抗レガッタにて) 15 今思う事 福井政彦(旭丘25回) 25期卒業の福井です。私は本田技研ボート部の監督をして、我が部では年に1−2回戸田コースで開催される大会に出場 しています。(お花見レガッタ、全日本軽量級選手権等 全日本選手権は休暇を5日とらなければならないので出場していな い) 通常は四日市や大台町で単独練習している我々にとって色々なクルーが練習している水域でのレースは他のクルーの漕 ぎを見る絶好の機会です。朝日レガッタや中日本レガッタでも一流のクルーは出場していますので、漕ぎを見るだけなら戸田 へ行かなくても目的は果たせますが、戸田に行ってコースの横に立つと他の水域とは違った思いがします。単純な性格の私 はここが日本ボートの中心なんだと思うだけで来てよかったと思います。 うちの部員も初めて戸田へ連れていくと東名高速から首都高へ入り東京のビル群に感激し、戸田コースの国立艇庫の前で スタート方向に向かって立ち感激します。又、選手にとっては試合の合間にボートショップに行ってトレーニングウエア、ボート ウエアを見るのも楽しいものです。 戸田でトップクラスの漕ぎを見て、ボート専用のコースを見て、有名クルーの艇庫を見て………オアズマンにとって、一度 は体験したいことではないでしょうか。因みに我が部では戸田での大会に出場することを選手が現役を続け更に上を狙うた めの動機づけに利用しています。 現役の皆さん、高校生のうちに戸田でボートを漕ぐ機会はほとんどないと思いますので、大学に行ってもボートを続けまし ょう。そして、いつかは戸田のレースに出てほしいと思います。 国体優勝祝勝会/新艇進水式にて 16 ボート競技の市民普及を夢見る 愛知県会議員 高木浩司(旭丘24回卒) 名古屋に戻って丸3年が経過し、懐かしい中川運河に再び触れ合う機会もできた。 その間を取り持ってくれたのはもちろ んボートである。25年前とは打って変わった素晴らしい漕艇センターが建ち、架け替え工事が進む東海橋は、橋中央にボ ート競技を眺めるテラスが設けられるという。まだまだ競技人口は多いとは言えないが、いつのころからか、名古屋祭りの 一環としての「市民レガッタ」も、定着してきたようだ。 もう20年も前、フランス北部の地方都 市ルアンへ知人を訪ねて遊んだ折、欧州 人の生活の中に溶け込んだ水上スポー ツ、カヌーやボートのある生活に羨望を感 じたものだ。郊外の至る所の池や川に、 艇庫、ボートハウスが点在し、老若男女 が余暇に、思い思いにオールを握る。水 面を滑るように走る爽快感を、普通の市 民が楽しんでいるのである。 そういえば、ボート競技が登場する映 画を立て続け観た。モスクワ五輪ボイコッ トを 巡るボート選手の苦悩を題材にした 「栄光と狂気」、ケンブリッジ対オックスフ ォードのボート対抗戦を描いた「トゥルー・ ブルー」。松山の女子ボート部が舞台の 「がんばって いきまっしょい」。NHKの朝 の連続ドラマ「やんちゃくれ」も女子校ボ ート部員だった。シングルスカルを気持ち よさそうに漕ぐシーンを毎朝楽しみに見て いた。 かっては一握りのエリート学生のマイ ナースポーツだったボート。成熟化したと いわれる日本社会の中で、市民が気楽に 楽しむゆとりが生まれつつあるとみるの は、いいすぎだろうか。ボート競技に青春 を燃やした経験を持つ、政治家の端くれと して、そんな条件を少しでも整えるお手伝 いができれば。新米議員の密かな夢であ る 左側杉(21回) 右側 高木(24回) 17 旭丘第18回卒業の伊藤です。 伊藤正志(18回) 一期後輩の桑山、田淵の両君がボート部OB活動に熱心なのにあおられて、微力ではありますが、拙文 を寄稿することで、協力させて頂くことになりました。 先ずは、母校旭丘の部創設以来初めての全国制覇に対しておめでとう、を言わせて頂きます。さて以下 は、その全国制覇に関しての、私にとっての後日談というべきものです。 先月末の11月26日(金)の夜、我が家に一本の電話がかかってきました。相手は、思いがけず大学時代 ボート部の後輩でした。実に30年振りの電話での再会( ?)でしたので、最初は何事か?と思いましたが、 聞いてみて驚きました。彼は、大学卒業後、故郷で高校の物理の教師をしているのですが、そこで、5年前 から、ボート部の顧問をしているとのことでした。なかなかボート部のある高校に勤務することができなかっ たけれど、ようやく念願がかなった、ということでした。それだけのことなら、別に何ということもないのですが、 私に「旭丘が国体で優勝したことを知っていますか?」と聞いてきたのです。「知っているも何も、ついこの 間も祝賀会に出席してきたばかり」と答えたところ、東北人特有の話し方で、話をしてくれました。彼のとこ ろでも、「ダブルスカル」を組んでいること、「ダブルスカル」のクルーは、二人とも2年生であること、インター ハイでは、4位、国体では、7位であったこと、殆どの国体出場クルーが県選抜であったのに、高校単独ク 18 ルーで出漕したこと等、本当に久しぶりに色々なことを話し込んでしまいました。 私も彼も、高校時代に「FIX」を漕いでいたので、彼は私の出身高校が旭丘であることを知っていて、その ため、インターハイの予選で自校と旭丘があたったことについては、懐かしい気持ちがになった、ということ でした。予選の結果は旭丘が1位、彼の高校が2位となり、共に準々決勝に進んだのですが、その後は組 み合わせの関係で旭丘は決勝には出漕できず、自校は決勝で4位となったことを教えてくれました。私の 母校の旭丘って強いな、とそのとき思ったそうです。 その後、熊本国体に出場した際も、インターハイと同様またも予選で旭丘とあたってしまい、その結果もま ったく同じ、旭丘が1位、自校が2位となってしまったことも教えてくれました。ところが今回は、旭丘は決勝 までまったく危なげない様子で、ついには優勝してしまった、と驚いていました。特に驚いたのは、インター ハイ、国体と2度続けて同じ相手に予選で負けたと思ったら、出漕メンバーが両大会ではまったく違ってい たことだ、と言っていました。層が厚いな、と感じたようです。本当にそうならばOBとしてはうれしい限りです。 幸い、来年西暦2000年のインターハイは岐阜の中津川で開催されるそうです。彼のクルーも2年生です ので連続出場が期待できそうで、うまくゆけば旭丘との3度目の対決もありえ、そうなったら本当に面白い なとか、名古屋は近いからそのときは会うことにしようとか、を話して、ついつい30年ほど前に戻ってしまっ たような会話になってしまいました。 長々と書いてしまいましたが、以上が後輩の国体優勝に関しての私の後日談です。 さて、最後に上記の 話の中での私の大学時代の後輩が顧問をしている高校とは、福島県会津若松市にある西会津高校です。 両校の現役高校生諸君の大いなる頑張りが来年以降も継続してなされることを希望して終わりとさせて頂 きます。 <参考> インターハイ(1999/08/07:田瀬湖) 予選7組 ①旭丘高 佐藤、近藤 3分22秒47 ②西会津高 小林、赤城 3分24秒45 国体(1999/09/11:菊地市斑蛇湖) 予選B組 ①愛知県 旭丘高 森島、中江 3分31秒82 ②福島県 西会津高 小林、赤城 3分38秒04 追記 現在、大学ボート部同期会を毎年やっておりまして、今年は10月下旬にたまたま中津川近辺で行いまし た.同期の1人が京大ボート部の総監督をしているので、その際、旭丘の国体優勝を伝えておきました。聞 くところによると、現役諸君の中には京大志望の人もいるようです。そのことも話したら大いに喜んでいまし た。また、たまたま京大ボート部OB会報「濃青(平成12年度第1号)」にも、来年大学受験するボート経験 者を紹介して欲しいとの記事がでておりましたので、私もあらためて、後輩高校生を京大ボート部に紹介し ようと思っております。 現在京大では、元全日本コーチの古川氏をコーチに招いて、強化に努めていま す。我と思わん人は是非入学、入部して欲しいと思います。 19 琵琶湖遠漕会 谷村龍兒(旭丘 1 2 回) 平成11年8月 28日,旭丘高校ボート部 第8期 丹羽忠司氏、第12期 伊神基博、伊藤寿洪, 千 田 勝 二、友松靖夫、深山靖, 谷村龍兒、第十九期 田渕哲雄 以上8名と遠漕支援者として参加していただいた 四水会の加藤みどり女史が滋賀県今津町役場に集合した。 今津町の琵琶湖湖畔は、白浜が広がる中,緑の松林のはずれにひときわ白い艇庫が目に付いた。朝十時、 太陽が容赦なく照りつける快晴の下、八人が乗り込んだボートは艇庫を後にした。 さすが「昔とった杵柄」、最初重く感じたオールやフィックス艇の重量感にもすぐ慣れ、数十本漕いだころに は六本のオールはぴったりそろっていた。無理をしないように漕手を交代したり、休憩時間を十分取ったりし ながらゆっくりしたペースで漕ぎ進んでいった。 竹生島は遠めにはお椀を伏せた形で、緑の樹々が島全体を覆って見えた。近付くと島の周りは岩が切り立 っており、ボートをつけるような場所が見当たらない。そのために観光客用の桟橋に隣接した船着き場にボー トを係留し、島に上がった。 すぐさま全く日陰のない、 しかも多くの観光客が行き 来する参道脇の石段に腰 を下ろした。空腹に耐え兼 ねて弁当にくらいつく姿は 日ごろの紳士のプライドを 忘れ,四十年前の晩から高 校生にタイムスリップして いた。 昼食後は高い階段を登 って景勝眺め、神社を参 拝した後出艇した。 ボートは島を周遊するよ うに左回りで進んだ後、無数の海鵜や白鷺が舞う竹生島を離れた。少し雲と風が出始め、暑さからの逃避条 件としてはよくなっていた。 次の目的地の菅浦港まではわずか四キロメートルの道程であるが強い逆風が行く手を阻み始めた。漕ぐ手 を止めればボートは風で広報に押し流されてしまう。そのためにコックスからは「イージーオール」(漕ぎ方止 め)の号令がなかなか出してもらえなかった。それは40年前に我々クルーがコーチを受けていた丹羽さんが そのときコックスをしておられたことも因縁めいていた。 菅浦港につくと同時に激しい夕立が襲ってきた。一生懸命漕いだおかげで間一髪のところで助かった。 夕方四時前に「国民宿舎・つづらお荘」に入ると、その足で風呂場へ行き汗を流した。後は全員が一部屋に 集まり、夕食をはさんで夜中までビールやウィスキーの水割りで会話がはずんだ。 翌日は再び快晴の下、ボートは進路を真西にとり、今津へと向かった。波が荒く,しぶきをかぶったり舷側か ら水が入ってきそうになったりしながらも,予定通り昼前には無事艇庫に到着した。今津町役場の係員が「オ ールがそろっていて安心して見ておれた」と労いの言葉で出迎えてくれた。 20 その後ボートを艇庫に収める作業が一苦 労であった。フィックス艇は重く、全員が「イ チ・ニイのサン」と声を掛け、少しずつ陸に上 げる苦労は40年前と同じであった。 心のどこかで「琵琶湖周航をしてみたい」と 願っていた夢が実現できた。しかも四十年ぶ りにフィックスを漕げた喜びと満足感も得ら れた。 われは海の子ではじまる「琵琶湖周航の 歌」(旧三高ボート部歌)は、郷愁の歌であ る。 旭丘高校時代の遠漕の場は伊勢湾であり、中川運河の艇庫を出ると、名古屋港、新舞子の浜を目にしな がら,常滑市まで漕いでいくのが毎週日曜日の練習であった。時には泊りがけで野間灯台まで足を延ばしたり、 夜光虫が明るく輝く夜の伊勢湾を漕ぎ進んだこともあった。 「琵琶湖周航の歌」に触れる時、遠漕や合宿所があった庄内川に面した下之一色の松林等がよみがえっ てくる。もちろん、琵琶湖・大津で開かれた全国大会レガッタ出場も思いでの一つである。 今回年齢を忘れて25キロメートルの距離を漕ぎきった心地よい疲れは、忘れていたロマンを感じた充実の 2日間であった。 今回琵琶湖遠漕を持ち掛けられたとき、「本当に出来るのか」と耳を疑った。それが実現できたのはいくつ かの幸運に恵まれたことによる。 一つ目はクルーのメンバーが八人そろったこと。 二つ目は、幻になっているフィックス艇が平成5年に京都大学ボート部OB会により復元されていたことであ る。船幅の広いフィックスでも舷側すれすれまで波があたってきたが、これが船幅の狭いシェルやナックル艇 では舳先が波の下に突っ込んでしまうため琵琶湖での遠漕はむつかしかった。 三つ目は、今回復元されたボートが今津町で管理保存されて、役場も土・日の休日にも拘わらず係員が出 勤し、ボートの艇庫からの出し入れにも協力していただけたことである。 なお、付け加えるなら、2日 間のボート使用料は無料で あった。 四つ目に忘れてならないの は、部外者である加藤さんに 参加頂けたことです。支援者 として役場から艇庫まで、あ るいは菅浦港から宿舎までク ルーや荷物を移動の面倒が 見て頂けたことです。 遠漕にご参加していただい た皆様,色々ご協力ありがとう ございました。 21 琵琶湖周航の記 旭丘 1 2 回卒 伊藤壽洪 1999 年 4 月 25 日(日)に行われたマスターズレガッタの後、残念会で一杯やっている時、12期同期の伊 神基博君がある情報を我々にもたらした。琵琶湖湖畔の今津町がフィックス艇を所持し、貸し出しもやってい るとの事である。同席の皆から、琵琶湖周航の歌のように遠漕をやろうと提案が有った。早速、翌日今津町 役場に電話してみたら、フィックス艇を所持し、貸ししだしをやっているとの返事。申し込み書の送付を依頼す る。滋賀県観光連盟に電話して宿泊等の情報をもらう。その結果を元に計画を立てて7月末か8月後半お盆 過ぎのどちらかの土曜、日曜の 1 泊2日で決行する事にする。7月末の土曜日曜は同期千田勝二博士のク ルーザーヨットで12期でクルーを組み、蒲郡ヨットハーバーから佐久島迄のクルージングが予定されており、 断念した。8月22日(日)は旭丘高校と三重県津高校との対抗レガッタが計画されており、駄目。よって、8月 の最も末の土曜、日曜日の8月28日、29日で計画した。 宿泊は竹生島の北側対岸葛尾半島の国民宿舎葛尾荘に 決め、皆に電話し、同意を取って周航計画書を今津町に5月 6日に提出した。このような早い時期に決定したのは同期の 北海道在住の竹川昌和君や東京在住の加藤澄一君等にも 参加のチャンスを広げるためと、名古屋在住の深山靖君のよ うな要職にある忙しい人物の参加をスムースにするための処 置であった。しかし、6月末時点での参加者は12期の常連メ ンバー6名しかなく、東京組、北海道組は参加は難しいとの事 であった。あちらこちらに参加要請の声をかけた結果、先輩で あり、我々12期ボート部現役時代の鬼コーチであった丹羽忠 司さん、19期旭丘漕友会副会長の田渕哲雄さんの承諾を 得た。これで一安心である。しかし、シキシマ製パン監査役の 谷村龍児君から陸上サポート隊の必要性を電話で受けた。 各人の大きな荷物を艇に全部積み込む訳にいかず、宿泊 の国民宿舎まで陸上輸送する必要があったのだ。私のカミサ ンに申し込んだら、当日勤務先の旅行会で駄目との事でオジ ャンとなる。和が飲み友達のGさんに駄目を承知で頼むとOK の返事。助かった。 8月28日土曜日朝10時今津町役場に集合した。メンバーはフィックス艇隊丹羽忠司体調以下、伊神基 博、千田勝二、深山靖、友松靖夫、谷村龍児、田渕哲雄、伊藤壽洪であり、サポート隊は G さんであった。フ ィックス艇のある艇庫まで市役所の職員の案内で来るまで 10 分行く。松林の中の艇庫でフィクス艇を見た時、 懐かしい気分と大きいなあという感嘆、こんな大きかったかなあという不安の気持ちが入り交じり、一寸複雑 な感慨にふける。早速艇庫から艇を出すのだが、ウィンチを使っても一苦労であった。10 時 50 分出艇する。 晴少し薄雲。無風。暑くはない。 22 鏡のごとき湖面を西に漕ぎ出す。ノーワーク、ライトパドルで快調に漕ぐ。今原稿を書いていても、その時の オールの音が聞こえるような気がする。嬉しい気持ちが高揚してくる。Coxの伊神君が「ナックルホァーの時と 大分違う。さすが往年の迷選手」と褒めてくれる。ナックルで練習して、マスターズレガッタ、名古屋レガッタに ちっとも勝てない我々としては複雑な気持ちになる。15 分もするとくたびれて、5 分の休憩を取る。段々くたび れて来て、5 分漕いで、5 分休憩までになる。友松靖夫君が差し入れてくれたジュースを飲むのが最も楽しみ になる。友松靖夫君は毎回行事の度に大量の飲み物を差し入れてくれる。今回も大量の飲み物が友松君に よりプレゼントがあり、準備されていた。 竹生島は今津の海岸では小さく見えただけであったが近寄ると、岩と松に覆われている鵜の多く生息して いる孤島という形容がぴったりの島であった。港は島の西側にあり、大きな観光船が引っ切りなしに接岸して いた。7Kmの距離を 1 時間 30 分漕いで、と言っても半分くらいは休憩していたが 12 時 2 0 分に竹生島に着 く。漁船溜まりに係留し、早速桟橋近くの路上で昼食、持参のビールのうまかった事。高価な入山料を払い 寺と神社に詣でる。アナウンスで漁船溜まりのフィックス艇を退けてくれと言ったのを聞き、慌てて下り、艇に 乗る。13 時 30 分、4Km 北の菅浦の港に向かって漕ぎ出す。島を離れた頃から風が出て来た。葛尾半島に 入ってから風が強まるばかり、夕立の気配が現れた。逆風で休憩に入ると流されて沖へ戻りそうである。雨が ぱらぱら降りだす。目的地の菅浦の港はすぐそばに見えるのが風で流され、波も出てなかなか到着しない。 15 時過ぎにやっと目的地菅浦の漁港に着く。前以て漁港係留の許可もとってあるので安心である。艇から 降りた頃雨が本格的に降り出し、雨宿り。陸上サポートの G さんの車で、国民宿舎へ行く。早速風呂に入り、 ビールを飲む。美味い。夕食前に全員したたか飲む。夕食は賑やかな懐古談に花が咲き、来年もやろうと意 気盛ん。 翌 朝 は 国 民 宿 舎 9 時前に出発。 9 時 15 分に出艇。コースは菅浦 の港から南南西8 Km の今津町の 艇庫を直接目指す。天気晴れ、風 は強い。波があり、スプラッシュを 度々やる。だが快適である。腹筋 が痛くバックが取れない。情けない。 オールを立てておくだけで相当進 む、場所によっては全く進まなかっ たりして悪戦苦闘。ナックル艇だっ たら最悪であったと慰め合いなが ら漕ぐ。今津町の艇庫の目印の 高層ホテルが近くなり、生け簀を 迂回して艇庫に着いたのは 11 時 であった。G さんの差し入れの弁 当とビールで無事帰還を祝う。次 回の健闘を予約して 12 時解散。 全員晴れ晴れした気持ちで帰途 に着いた。 朝日新聞1993年9月18日夕刊 23 ボート部時代、そして今 佐藤康行(旭丘 5 1 回) ボートを離れ一年三ヶ月程がたちますが、どうやらボートが私の生活とは切り離すことができないものとなっ ているようです。私は四月から浪人生としての生活を送っていますが、今でも毎日何度となくボートのことが頭 を過ります。あのレースで勝った大喜びや負けた時の悔しさ、楽しかったボート部、あの時こうしておけばよか ったのに……。 決して気持ちのよい終わり方ができなかったボート部でしたが、ボートを通して全国の人達と 出会えたことや、目標に向かって努力できたことなど三年間で得たものは何物にも変えることができないもの だと思います。また先輩方からも多くの事を学びました。特に、活動する部員が私を含めて二人となった一年 の冬練では、一つ上の島田先輩の練習に真摯に取り組む姿と、精神的な強さは深く印象的でした。今思うと、 あの冬が私のボートの原点だったのです。引退し、十月から何もわからない状態で受験勉強をスタート。納得 のいかないまま終わってしまったインターハイが、もう一度ボートをやろうという思いにさせてくれ、杉藤先輩の 元、北大で漕ぎたいという気持ちをエネルギーとして必死に勉強しました。ありがたいことに、同期の板藤もた すけてくれましたが、奇跡は起こりませんでした。そして今、予備校の授業のおかげで不思議なことに、勉強 が楽しいと思うようになりました。だけどちょっと前までは、私と競った選手は今も漕いでいるのに漕げないで いる自分に腹をたてたり、昨年のインターハイを思い出し落ち込んだりしていました。ボートをやっていなかっ たらこんな思いはしなかったのでしょうが、こんな状況でも勉強を続けてこれたのは、ボート部で培った何かが あったからこそだと思います。私の今すべきことは、北大に合格することです。その後、私はインターハイで達 成できなかった目標をインカレで達成するため再び夢へと漕ぎ出します。そしてその夢の達成を皆様にご報 告したいと思います。 24 現役諸君おめでとう! 旭丘19回卒 渡辺 豊 皆様今日は、旭丘第 19 回卒業の渡辺です。1999年は、ダブルスカルでの愛知代表旭丘ペア‐の熊本国 体優勝や、女子ナックルでの初めて猿投に勝利を収めるなど長い歴史の中でも輝かしい実績を残してくれた 現役大活躍をしてくれた年でした。OBとして非常に嬉しく思っております。選手たちの努力もさる事ながらこ の活躍は、旭丘高校校長先生を始めとする学校のボート部活動に対するご理解と直接ボート部を運営・指 導していただいておられる、山本先生、青山先生等の情熱と暖かい指導が花開かせたのだと思います。本当 にありがとうございます。欲張りな私としては、今年も、来年もと更なる活躍を期待しておる次第です。この思 いは私ひとりではなくOB皆の気持ちではないでしょうか。しかし、余りプレッシャーに感じないで下さい。プレッ シャーは自分をそしてチームをより向上させる原動力とするだけに止めてください。私達OBは1999年の活 躍が余りに素晴らしかったので少し欲を望みすぎの感じもしています。「旭丘漕友会」設立時の趣旨の一つで あった、ボートが好きで、ボートをやってきた事を誇りに思い、OBがその先輩方から受けてきた後援を旭丘ボ ート部が続く限り部の存続と発展に尽力する事を忘れずに嬉しい知らせを待ちたいと思います。 追記: 私は「旭丘漕友会」設立時の大事な時期に台湾に赴任(1995年1月∼1999年 2 月)しておりました。 赴任前の状況は、同じボートを愛する者同士でありながら「愛知一中・旭丘漕友会」の中で、選手に 腰痛の者が多い事に端を発する指導方法や、これまで長く利用してきた艇庫移転問題(旭丘がほぼ 独占利用を止めて新設する名古屋市の漕艇センターへ移転する事に対する是非問題)で意見の食違いが あり、どうすることが旭丘ボート部の将来にとって一番良いのかを討論していた時代でした。このむつかしい時 機に、「旭丘漕友会」 の長谷川会長を始め とする田渕副会長、 桑山幹事長他大勢の 皆様の多大なるご努 力で現在の隆盛を迎 えた事は、当時の舵 取りが正しかった事の 証明であると思います。 関係者の皆様本当に ご苦労様でした。この 場を借りて4年間力に なれなかった事をお 詫びすると共に、微力 ではありますが又「旭 丘漕友会」の活動に 尽力して行きたいと思 っております。 2番 渡辺君 (99 年津高対抗戦にて) 25 思いつくままに 田渕哲雄 (旭丘19回) 合宿、試合、練習。激しい生活を送ってきたが、苦しさや、悩みは洗練されてしまった。 心に残っているのは埒も無いことが 多い。 岐阜国体は高校2年であったが、試合前日の宿の中で、「どれだけ呼吸を止めていられるか」の競争になった。 私は といえば、1分20秒くらいは息を止めていられた。1分30秒も過ぎるころは唇がしびれたり、つめが青くなってくる。競争に意 味があるとすれば、誰が我慢強いか、あるいは、あるいは、いや実は意味の無いこと。みな1分20秒前後で脱落した。最後 に残ったのは、私と青木君であった。このとき青木君は2分を超えた。私はといえば1分40秒で力尽きた。 ボート部といえば高校では「はずれ組」という変わり者の集まりということになっていた。無理も無い。朝は朝練習、昼は昼練 習。午後はといえば2時50分に授業が終わる。それに、2時55分だかの古出来町発の市電に乗るのである。クラスにはなじ みが少なかった。 「かわりもの」のもうひとつの理由は「勝ちにこだわっていた」ことにあった。 当時、東京オリンピックの余韻で「参加することに意義がある」、勝ちにこだわることはスポーツの意義を惑わすものである というスポーツ観が主流で「絶対に勝つ」と意気込んでいたわれわれボート部は他の運動部の同級生とも違うものを感じてい た。今思えば同級生たちはもっと感じていたかもしれないし、逆にその違いを感じてすらいなかったかもしれない。 当時、ク ラス対抗球技大会があり、それくらいは出場しようと、当時のクルーで話し合った。ところが当時のコーチとコックスは「まかり ならん、ボートの練習大事」。がこの時コックスは3年生の川島さんであった。上級生のコックスと下級生の漕手とが意見対立 してしまった。多数決をとった記憶は無い。「そんなら練習で4分きってみろ」といわれて、「4分くらいきったるわ」。「艇の上で は(コックスの)言うことを聞いても艇を降りたら対等だ」と上級生相手に話し合った。この後の運河の練習は、感激であった。最 後のラップに今も耳に残るコックスの叫び。「いくぞ!いくぞ!いくぞ!59秒!」。以来練習では、関八峡でも恵那峡でもナッ クルにさえ、トヨタ自工さえ負ける気はしなかった。 このときのことからか先輩たちからは「おめらのクルーは言うこときかんやつばっかしだ」という評価をいただいた。今もユ ニークな漕手のそろったクルーであった。(クルーの紹介はまたの機会にしたい) しかしこのころをピークにシーズンを迎え 力が強くはならなかった。残念だ。筋力トレーニングの不 足とありがたいことではあったが、先輩たちの系統立たな い助言に、漕ぎ方をまとめきれなかったことによるのでは ないかと思っている。身長で10センチ以上、体重で15キ ロ以上の違いのある漕手、これらをひとつに纏め上げる のは、なかなか大変である。クルーの思いあがりもあった。 残念だ。 思えば、全国大会優勝という大事業は一人や、一世代で 成し遂げようとするのではなく行く世代もかけて目指して いく事業であった。この覚悟を得るには、幾十年の時間が 必要であった。私達の2,3年間もこの事業を支えた。そし て実現した。覚悟が空想ではなくなった。こんなうれしいこ とは無い。 これからも好いときも悪いときもあると思う。校歌にある とおり「やまずすすまば」また「花咲く未来はひらけん」。 左 田渕さん 右 樋口満さん 共に 19 回卒(津高対抗レガッタにて) 26 1999年 2000年 そして2001年 旭丘高校漕友会幹事長 桑山栄一(19回) (1)1999年 旭丘高校ボート部黄金時代 1 月3 日 漕友会の新年会兼総会(東天閣) 10数年前から若手OB の新年会を毎年1月 3日に行ってきたが、2年前から漕友会がその新年会に相乗りして、総会を兼ね ることになり2回目である。 若手OB の意見を取り入れ、全国に散っている若手や大学生が里帰りをする正月に総会を開くこと とした。 非常にいいことである。 まず、約半数が高校卒業後 6 年以内の若い学生であり、非常にラフで楽しい。 総会となれ ば、とかく肩ぐるしくなるが、儀 式の部分はきっちりと行い、後 は肩を張らない交流が大切だ と思う。 現役や若手にとって も、大先輩の話が直接聞ける 唯一の機会であろう。 また、 OB にとってもボート部の現状 が、非常によくわかる。記録を 知り 人を知ることが出来る。 我々熟年にとって一番の収穫 は、「気持ちが若くなること」 「若者の気質がわかること」で あろう。 1999 年の新年会/総会には OB45 名と 20 名の現役生が参加した。現役がたくさんいることは、OB として非常にうれしいこと である。 例年どおり漕友会の総会、乾杯、現役の自己紹介、年代別に OB の自己紹介と現役への激励、校歌、応援歌の合唱、 記念撮影の順で終始和やかに行われた。 4 月25 日 マスターズレガッタ(愛知池) 香港での展示会と重なり、2年連続で小生参加できず、非常に残念であった。 同じ19回卒の田渕君に世話係をお願いし、漕 友会として幼年組(40 歳代),青年組(50 歳代)、実年組(60 歳代)の各年代に出場した。 全国規模の大会であり、年々出場クル ーが増加している。 OB にとって、毎年楽しみな大会である。 27 7 月26 日 7月中旬津高艇友会対抗レガッタの案内と、新艇基金への寄付のお願いを郵送したところ、1中62回卒(昭和12年卒)諸角寿 友先輩のご令嬢土屋眞理子様よりお手紙を頂戴し、1 月末に諸角先輩がお亡くなりになった悲報を知りました。 ご丁寧なお手 紙とともに漕友会への寄付金も頂戴いたしました。 この場をお借りしてお礼申し上げると共に、諸角先輩のご冥福を心よりお 祈り申し上げます。 8 月10 日 岩手高校総体準決勝の日 ボート部顧問の山本先生から、ことしの現役は「かなり良いのではなく、すごく良い」との情報を得ていた。インターネットでリ アルタイムで結果が掲示されているのをチェックしていた。 予選最高タイムで準決勝に進出した近藤/佐藤ペアーがコンマ 6 秒差で決勝進出ならず。 8 月22 日 まことに残念であった。 第 1 3 回津高艇友会対抗レガッタ(三重県津市岩田川漕艇場) 待ちに待った岩田川です。 漕友会の都合で7年ぶりとなります。1998年より津高戦はまだかまだかと漕友会会員各位より催 促を受けていました。 旭丘高校野々部校長、近藤教頭、そして漕友会顧問吉田先生と OB35名、現役9名が参加しました。 主 催者の津高艇友会の皆様からの心からの歓迎を受け、抜けるような青空の下、現役各種目と各年代の OB のレースが、恒例ど おり行われました。 漕友会再興の勢いがその結果に現れ、現役戦OB 戦全勝となりました。 レガッタと懇親会には、新聞社各 社が取材に訪れ、その記事が翌日の紙面を賑やかしました。 レガッタの後懇親会が行われ、旧交を暖めました。 津高艇友 会の皆様、心からのご歓迎本当にありがとうございました。 第13回旭丘漕友会・津艇友会対抗戦 平成11年8月22日 岩田川 30歳代 KF 決勝300m 着順 50歳代 KF 決勝3 着順 00m 旭丘漕友会 1 1 '19 " 09 旭丘漕友会 A 4 1 ' 34 " 46 津高艇友会 2 1 ' 20 " 65 津高艇友会 A 2 1 ' 26 " 90 旭丘漕友会 B 1 1 ' 25 " 02 津高艇友会 B 3 1 ' 30 " 06 現役男子 WS 決勝500m 旭丘 佐藤・近藤 1 1 '41 " 38 津高 西嶋・吉田 2 1 ' 59 " 04 20歳代・現役女子 SF 決勝1000m 津高 坂井・山田 3 2 ' 00 " 23 旭丘漕友会 1 4 ' 28 " 99 津高艇友会 3 6 ' 42 " 56 旭丘高 2 4 ' 32 " 51 40歳代 KF 決勝300m 旭丘漕友会 A 1 1 '20 " 16 津高艇友会 3 1 ' 25 " 61 60歳代KF決勝300m 旭丘漕友会 B 2 1 ' 24 " 59 旭丘漕友会 1 1 ' 26 " 03 津高艇友会 A 2 1 ' 28 " 34 津高艇友会 B 3 1 ' 44 " 91 現役男子 SS 決勝500m 旭丘高 中江 津高 旭丘高 青山 森島 1 1 '53 " 91 3 2 ' 13 " 02 2 1 ' 56 " 33 28 30 歳代クルー 30 歳代レースのゴール手前 (手前旭丘漕友会) 20 歳代クルー 29 40 歳代クルー(実は全員 50 歳代) 開会式 60歳超OBクルー 50 歳代クルー 30 31 9 月14 日 くまもと国体決勝の日 くまもと国体に森島/中江ペアーが行っているのは,知っていたが、2 年生でもありあまり期待していなかった(失礼)。インター ネットでのチェックも国体ではしていなかった。 夕方4時旭丘高校の近藤教頭から会社に電話が入り、 ダブルスカルで優勝と の連絡を受ける。 思わず聞き返す。 現実と知り、大声を張り上げ立ち上がった。 漕友会関係の連絡は私からする旨を伝え、 早速長谷川会長に電話をする。 本当に自分のことのように嬉しかった。 漕友会関係者に片っ端から連絡を入れたが、かなり の人が優勝を知っていた。 夜、熊本の山本先生に電話をして、おめでとうとありがとうを言う。 「もう、ニコニコです」の言葉が 印象的でした。 指導者として最高の日だと思う。 私にとっても最高の日でもあり、一生輝き続ける日だ思う。 OB 会の休止状態の時、若手 OB と現役の新年会に出席して、現役の1年生が一人だけとか、愛知県で勝つことが目標とか OB として非常に寂しい時代がありました。 漕友会が再興され僅か2年で自分が果たせなかった夢を現役が叶えてくれた記念 すべき日でした。 国体といえば、各県が点数獲得のため選抜クルーを組んでくる中、旭丘高校単独クルーが優勝。 山本先生 はじめ高校の関係者の皆様に深く感謝いたします。 また、この優勝の陰には、前顧問の加納先生、元顧問吉田先生 長尾先 生はじめ多くの関係者のご苦労があります。 9 月14 日 本当にありがとうございました。 悲しい知らせあり 夜、私と同じ 19 回卒の樋口満君に国体優勝の連絡をした。 彼は、インターネットですでに優勝を知りもうすでに祝杯まであ げた後であった。 電話の中でお母様が9 月はじめにお亡くなりになったことを聞いた。 樋口君は、親子2代のボート部OBで す。 お父様樋口真清さんは、端艇部選手で愛知1中61回(昭和13年卒)の大先輩であり、現在の旭丘高校漕友会の前身でも ある愛知 1 中旭丘高校漕友会にご尽力頂きました。 樋口君のお父様と友気楽さから、よくご自宅に立ち寄らせていただきまし た。 その際、お母様がお茶を入れてくださり、いろいろと世間話をさせていただきました。 本当に明るくフランクなお母様でし た。 しばらく病の床にあるとは伺っていましたが………、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。 10月17日 新艇進水式兼国体優勝祝勝会 突然の召集とはいえ30余名のOBがかけつけま した。 現役の参加も30名にのぼり、秋晴れの 下、賑やかに進水式が行われました。 新艇へ の寄付金の募集は1999年1月3日の総会にて 発議され、2−3回の手紙にてお願いして参りま した。 目標の100万円には僅かに届かなかっ たものの90余万円のご寄付を頂きました。 愛 知1中の超 OB から大学生まで幅広い年代の皆 様80余名から寄付を頂いたことは、非常意義深 いと思います。 「できる限りの援助はするから、 現役がんばれ」との一人一人の思いが寄付金の 中に詰まっていると感じました。 この場をお借り して、深くお礼申し上げます。 さて、進水式は、会長と校長先生の挨拶のあと、 男子艇が「鯱光Ⅱ」、女子艇が「金鯱」と命名され シャンペンで清められました。 ピカピカのクオド ルプル2艇(当日は、シェルフォア用リガーが取り 左から長谷川会長 野々部校長、吉田顧問、近藤教頭 32 付けられ、シェルフォアでしたが……)は、現役に よる初漕ぎのあと、OB により試漕が行われました。 艇庫 の周りを少し漕ぐだけでしたが、OB の本当に嬉しそうに、 また晴れ晴れした姿が印象的でした。 長谷川会長と野々部校長によるシャンペンかけ 男子艇 女子艇 「金鯱」 OB による試漕 全員での記念撮影 33 「鯱光Ⅱ」 左から 青山コーチ 森島君 中江君 山本先生 決勝戦のビデオ観戦 進水式と試漕会のあとは、いよいよ待ちに待った祝勝会です。 本当に身内60余名だけのささやかな祝勝会でしたがボート 部員であること ボート部 OB であることの喜びを満喫しました。 私が現役だったときの顧問吉田先生の「全国制覇をして長 年の夢が叶って鼻が高い」の言葉がいつまでも耳に残りました。 また、全員で決勝戦のビデオを見ましたが、その時部屋全 体に何ともいえぬ一体感があり、できたら毎年このような祝勝会ができればと思いました。 祝勝会の後、野々部校長先生が、新艇に現役艇のコックスとして試乗されました。初めてボートに乗るとのことでしたが、「お お、すごいすごい」との言葉を言われ、ボートの良さを認識されたようでした。 食欲だけは現役時代と同じ 12月某日 これからもご支援下さい。 最後に吉田顧問の指揮の下 応援歌校歌斉唱 漕友年内発行断念 同期19回の渡辺君と田渕君と「漕友」の編集会議を行う。 時間的な問題により年内の発行を断念する。 誠に残念である。 1月3日の総会で皆様に渡すがベストとだが、今年は、1999年である。キリのいい2000年に発行しよう。 「まとまり」もい いが「あきらめ」も早い19回卒である。 (2)2000年 2000年の予定 申し訳ありません。 新たな出発へ向けて (恒例行事) 34 3月 マスターズレガッタへの参加要請 現役もがんばり実績を上げています。OB も負けないぐらいの実績を作ろう。とりあえず、全国レベルの大会、マスタ ーズレガッタでの優勝だ。 4月末 マスターズレガッタ 40歳代 8月 こぞってご参加下さい。 (愛知池) 1クルー、50歳代 市民スポーツ祭 3クルー、60歳代1クルーの参加をします (中川運河) 若手諸君健闘を祈る。 8月 琵琶湖周航フィックスの旅 (琵琶湖) 1999年に12回卒の伊藤壽洪さん中心の有志が行った企画を漕友会の行事として行ったらとの要望があります。漕友会 として、有志を募り夏の行事にしてみたい。 10月 名古屋レガッタ (中川運河) 例年通りローピッチ、ミドルピッチには参加したいと思います。 津高艇友会対抗レガッタ 2001年に旭丘高校ボート部設立100周年にあわせて大々的に行いたいと思います。2000年は休止の年となります。 (3) 2001年 ボート部設立100周年 ボート部設立 1 0 0 周年に向けての準備作業 明治 34 年4月(1901年)当時の愛知一中校長、日比野寛先生の英断によって愛知一中端艇部が設立され、平成13年(200 1年)で設立100周年を迎えます。 ボート部にとっても漕友会にとっても節目の年となります。 過去100年を振り返ると共に、 新たな100年に向けての出発の年でもあります。 通常の行事に加え、記念行事を行い新たな100年を迎えたいと思います。 建設的なご意見をお待ちしています。 端艇部創設の一挿話 伝記「日比野寛」(青井東平・那須秀一編集)・教育上の着眼・の1 節より 尚、日比野が在職中職員会議というものを開かなかったが、只1 回だけ就任3年目に開いたことがある。 これも教師を遇する道に厚かったいい例であるかもしれないが、 受持ち講義以外にあまり教師を雑務に使わなかったのは専心授 業うちこまねばならない為と、全く自由に時間を与える為であっ た。 この只1回の職員会議というものも、短艇部の新設の諮問だった。 全部の職員は賛成であったが、生徒1人当たり1円50銭の徴収案 には反対する人があった。日比野は「短艇部の新設の可否を問う ために、諸君は賛成したので会議はこれで終了したのだ。後の経 費は校長の責任においてやるのだから心配はいらん」と。後にも 先にもこれが只1回の会議であった。 ○ 新造短艇 短艇七艘の中4艘は競艇用に充て其の艇名を波越、日吉、瑞浪、 八剣と定められ他の三艘は練習艇にて千早、草薙、霊鷹と艇名を 日比野寛元校長 附せられ34年10月1日より使用を許されたり(犬飼、阿知波造船建造) 35 36 37 38 39 1999 年度会費納入者ご芳名(敬称略) 1中 59 ー 62 回 田中康夫 和田次郎 樋口真清 鈴木道辰 1中 63-74 回 志水 修 久田敏夫 稲田 昭 岩田鐵也 石井敏彦 川本文彦 鈴木幸平 平田哲也 向井孝太郎 山元収 長谷川誠 旭丘 8 ー 14 回 丹羽忠司 尾関繁俊 伊藤寿洪 加藤澄一 千田勝二 竹川昌和 川本義明 旭丘 15 ー 20 回 鈴木熙人 溝口輝彦 水谷晃 桑山栄一 田渕哲雄 樋口 満 名倉英一 旭丘 20-23 回 杉山 章 杉光 伊藤利裕 関口藤太 佐分敦郎 大田 均 内堀典保 旭丘 23-31 回 樋田 毅 高木浩司 玉本 福井政彦 三吉秀吉 鈴木邦治 河村直彦 旭丘 32-42 回 河辺太加志 加藤庸之 渡辺浩司 川村剛 杉藤洋志 深見徳行 吉原慎一 旭丘 43-45 回 浅村和史 早川真 岡林大祐 佐藤綾人 朝倉健夫 笹田泰治 山下英幸 旭丘 45-46 回 鬼頭典子 宮澤大介 森田哲也 丹羽淳一 内藤佐和子 服部省治 鈴木隆容 旭丘 46-47 回 篠田朱里 土弘真史 加藤敬暁 丸山洋一郎 橋本佳延 服部慶子 木崎彰久 旭丘 49-50 回 原雄一郎 青木一誠 青木大 木村慎佑 野田友則 旭丘 3 ー 7 回 晃 荒川三郎 1999 年度寄付金納入者ご芳名(新艇寄付金を含む)(敬称略) 1中 55-60 回 山田司馬男 5,000 田中康夫 20,000 和田次郎 5,000 樋口真清 20,000 1中60 ー62 回 伊藤弘之 20,000 鈴木道辰 30,000 荒川三郎 5,000 諸角寿友 10,000 1中62 ー66 回 林 博夫 5,000 久田敏夫 11,300 志水 修 30,000 川島光晴 10,000 1中67 ー70 回 山本達郎 10,000 高橋和雄 5,000 澤木秀夫 5,000 1中 74 回 稲田 昭 10,000 岩田鐵也 5,000 顧問 吉田邦夫 15,000 長尾 久 10,000 旭丘 3 ー 6 回 石井敏彦 10,000 川本文彦 5,000 鈴木幸平 15,000 平田哲也 25,000 旭丘 7 ー 10 回 向井孝太郎 長谷川 誠 83,000 丹羽忠司 10,000 尾関繁俊 20,000 旭丘 12 回 伊藤寿洪 30,000 加藤澄一 15,000 深山 靖 5,000 千田勝二 5,000 旭丘12 ー14 回 竹川昌和 20,000 近藤富夫 30,000 杉浦 実 10,000 川本義明 5,000 旭丘14 ー18 回 山崎雅彦 10,000 堀 悟 20,000 溝口輝彦 5,000 水谷 晃 5,000 旭丘 19 回 桑山栄一 26,000 田渕哲雄 10,000 渡辺 豊 15,000 樋口 満 65,000 旭丘20 ー23 回 杉山 章 10,000 名倉英一 5,000 杉 光 15,000 伊藤利裕 5,000 旭丘 23 回 加藤信介 5,000 佐分敦郎 10,000 大田 均 10,000 内堀典保 10,000 旭丘24 ー26 回 高木浩司 30,000 玉本 晃 5,000 福井政彦 5,000 岡部好男 5,000 旭丘26 ー29 回 水谷保幸 10,000 家田安啓 5,000 爐 泰男 5,000 三吉秀吉 5,000 旭丘29 ー32 回 石嶌純男 5,000 鈴木邦治 5,000 河村直彦 5,000 河辺太加志 13,000 旭丘33 ー40 回 加藤庸之 5,000 渡辺浩司 15,000 河村剛 5,000 深見徳行 5,000 旭丘 43-45 回 浅村和史 5,000 早川 真 10,000 朝倉健夫 5,000 森田哲也 10,000 旭丘45 ー49 回 早川典子 10,000 山田篤司 5,000 木崎彰久 5,000 二村朱美 5,000 5,000 秋田 豊 5,000 氏名不明 3,500 旭丘高校 校長 野々部幸藏 10,000 40 第22回信毎諏訪湖レガッタ 日時:5月**日(土)・**日(日) 会場:長野県下諏訪町漕艇場(1000m) 少年男子舵手付きフォア 予選 着順 旭丘高校 (愛知) 4 恵那高校 (岐阜) 5 敦賀工業 (福井) 2 盛岡第三高校 (岩手) 3 加茂高校 (岐阜) 1 決勝 3 3 3 3 3 ' ' ' ' ' ' 51 58 41 50 38 " " " " " " 67 33 57 決勝へ 46 決勝へ 11 敗復 八百津高校 盛岡第三高校 旭丘高校 科技高豊田B 恵那高校 (岐阜) (岩手) (愛知) (愛知) (岐阜) 着順 5 4 1 3 2 3 3 3 3 3 ' ' ' ' ' 51 58 41 50 38 " " " " " 67 33 57 46 11 (長野) (岐阜) (愛知) (福井) 着順 4 3 5 1 6 2 3 3 3 3 3 3 ' ' ' ' ' ' 33 33 46 31 52 31 " " " " " " 33 14 48 01 69 35 少年女子舵手付きフォア 予選 着順 諏訪清陵高校 (長野) 3 盛岡第三高校 (岩手) 2 旭丘高校 (愛知) 4 加茂高校 (岐阜) 1 4 4 4 4 ' ' ' ' 19 15 20 12 " " " " 40 74 決勝へ 84 46 決勝へ 敗復 諏訪清陵高校 恵那高校 旭丘高校 若狭高校 着順 2 1 3 4 4 4 4 4 ' ' ' ' 13 08 16 24 " " " " 18 42 51 64 少年男子ダブルスカル 予選 着順 加茂高校B (岐阜) 4 敦賀工業高校B(福井) 6 諏訪清陵高校A(長野) 3 岡谷南高校 (長野) 2 諏訪清陵高校B(長野) 5 旭丘高校 (愛知) 1 3 4 3 3 3 3 ' ' ' ' ' ' 51 23 51 43 57 42 " " " " " " 94 99 35 50 64 35 準決勝 着順 加茂高校B (岐阜) 4 大沢野工業高校A(富山)6 美濃加茂高校 (岐阜) 3 旭丘高校 (愛知) 2 科技高豊田 (愛知) 5 敦賀工業高校A(福井) 1 3 4 3 3 3 3 ' ' ' ' ' ' 51 23 51 43 57 42 " " " " " " 94 99 35 50 64 35 着順 旭丘高校 (愛知) 5 八百津高校 (岐阜) 4 恵那高校 (岐阜) 6 岡谷南高校 (長野) 3 大沢野工業高校A(富山) 2 美濃加茂高校 (岐阜) 1 3 3 3 3 3 3 ' ' ' ' ' ' 45 44 51 40 38 38 " " " " " " 75 20 91 83 00 41 少年男子シングルスカル 予選 着順 旭丘・森島 (愛知) 2 小浜水産・前川(福井) 6 八百津・交告 (岐阜) 4 大沢野工業・野口(富山) 3 科技高豊田・井戸(愛知) 5 猿投農林・佐々野(愛知) (愛知) 1 3 4 4 4 4 3 ' ' ' ' ' ' 57 28 11 10 22 55 " " " " " " 21 準決勝へ 56 43 01 61 29 準決勝へ 予選 着順 加茂・粕谷 (岐阜) 5 4 旭丘・中江 (愛知) 2 4 岡谷南・山田 (長野) 棄権 小浜水産・平野(福井) 1 4 美濃加茂・古田(岐阜) 3 4 八百津・小林 (岐阜) 4 4 ' ' ' ' ' ' 23 07 47 92 05 13 15 " " " " " " 着順 小浜水産・山口(福井) 1 大沢野工業・藤澤(富山) 2 恵那・三井 (岐阜) 5 若狭・横山 (福井) 3 旭丘・山下 (愛知) 4 3 4 4 4 4 ' ' ' ' ' 59 05 29 10 21 " " " " " 62 準決勝へ 01 準決勝へ 76 65 95 着順 八百津・小林 (福井) 2 大沢野工業・藤澤(富山) 1 若狭・横山 (福井) 3 旭丘・山下 (愛知) 5 小浜水産・前川(福井) 4 4 4 4 4 4 ' ' ' ' ' ' 17 13 28 44 34 " " " " " " 99 準決勝へ 52 準決勝へ 37 74 97 準決勝 着順 美濃加茂・古田(岐阜) 5 小浜水産・山口(福井) 3 恵那・篠原 (岐阜) 4 旭丘・森島 (愛知) 1 岡谷南・今井 (長野) 2 八百津・小林 (岐阜) 6 ' ' ' ' ' ' 11 00 01 57 58 18 " " " " " " 04 32 69 62 24 79 加茂高校 (岐阜) 敦賀工業高校 (岩手) 旭丘高校 (愛知) 科技高豊田A (愛知) 恵那高校 (富山) 大沢野工業高校(岐阜) 決勝 予選 敗復 41 4 4 4 3 3 4 30 20 05 決勝へ 決勝へ 決勝へ 決勝へ 準決勝へ 準決勝へ 準決勝へ 準決勝へ 準決勝へ 準決勝 着順 大沢野工業・藤澤(富山) 5 小浜水産・平野(福井) 3 猿投農林・佐々野(愛知) 1 諏訪清陵・下鳥(長野) 2 旭丘・中江 (愛知) 4 大沢野工業・野口(富山) 6 4 4 3 4 4 4 ' ' ' ' ' ' 08 01 57 00 07 14 " " " " " " 12 63 準決勝へ 17 準決勝へ 80 準決勝へ 07 83 決勝 着順 旭丘・森島 (愛知) 4 猿投農林・佐々野(愛知)1 諏訪清陵・下鳥(長野) 3 小浜水産・山口(福井) 5 小浜水産・平野(福井) 6 岡谷南・今井 (長野) 2 3 3 3 3 3 3 ' ' ' ' ' ' 54 52 53 58 59 52 " " " " " " 16 10 18 70 11 77 準決勝 豊田北高校A 猿投農林高校A 旭丘高校 科技高豊田B 着順 3 1 2 4 3 3 3 3 ' ' ' ' 38 32 33 39 " " " " 80 93 88 48 決勝へ 決勝へ 着順 3 1 2 4 4 4 4 4 ' ' ' ' 15 11 14 30 " " " " 49 67 23 67 決勝へ 決勝へ 着順 3 1 2 4 3 3 3 3 ' ' ' ' 41 38 40 55 " " " " 52 06 10 75 決勝へ 決勝へ ' ' ' ' 38 21 54 03 " " " " 09 77 35 18 第53回愛知県高等学校総合体育大会漕艇大会 第47回全国高等学校漕艇選手権大会愛知県予選 日時:5月22日(土)・23日(日) 会場:愛知池漕艇場(1000m) 少年男子舵手付きフォア 予選 旭丘高校 豊田北高校A 東郷高校B 着順 1 2 3 3 3 3 ' 40 " 69 準決勝へ ' 45 " 83 準決勝へ ' 46 " 79 着順 3 1 2 4 3 3 3 3 ' ' ' ' 着順 2 1 3 4 4 4 ' 18 " 31 ' 00 " 73 準決勝へ ' 31 " 25 ' " 着順 2 1 3 4 4 3 4 4 ' ' ' ' 着順 2 1 3 3 3 3 ' 48 " 26 準決勝へ ' 40 " 67 準決勝へ ' 56 " 70 ' " 東郷高校A 旭丘高校 猿投農林高校A 豊田北高校A 着順 3 1 2 4 3 3 3 3 ' ' ' ' 47 43 45 47 " " " " 41 東海総体へ 84 全国・東海総体へ 95 東海総体へ 82 少年男子シングルスカル 1次予選 旭丘D・金田 猿投農林A・佐々野 豊田北A・三宅 東郷C・奥田 着順 4 1 2 3 4 3 4 4 ' ' ' ' 23 54 18 20 " " " " 1次予選 着順 54 豊田北D・森 4 4 32 2次予選へ 科技高豊田A・吉田 3 4 15 2次予選へ 旭丘B・中江 1 3 56 猿投農林B・小林 2 4 1次予選 東郷B・菱川 旭丘A・森島 豊田北B・牧瀬 科技高豊田C・井戸 着順 4 1 3 2 4 4 4 4 ' ' ' ' 39 01 17 10 " " " " 1次予選 09 豊田北C・前野 06 2次予選へ 東郷A・小嶋 01 旭丘C・山下 54 2次予選へ 着順 2 4 1 4 3 4 ' 20 ' 13 ' 20 " 46 " 23 " 97 2次予選へ 2次予選へ 1次予選 東郷B・菱川 旭丘A・森島 豊田北B・牧瀬 科技高豊田C・井戸 着順 4 1 3 2 4 4 4 4 ' ' ' ' 39 01 17 10 " " " " 1次予選 09 豊田北C・前野 06 2次予選へ 東郷A・小嶋 01 旭丘C・山下 54 2次予選へ 着順 2 4 1 4 3 4 ' 20 ' 13 ' 20 " 46 " 23 " 97 2次予選へ 2次予選へ 決勝 旭丘高校 科技高豊田A 猿投農林高校A 猿投農林高校B 少年女子舵手付きフォア 予選 旭丘高校 猿投農林高校A 豊田北高校B 決勝 猿投農林高校B 猿投農林高校A 東郷高校 旭丘高校 少年男子ダブルスカル 予選 東郷高校A 旭丘高校 豊田北高校B 決勝 36 26 32 36 07 56 08 11 " " " " " " " " 10 東海総体へ 17 全国・東海総体へ 76 東海総体へ 88 敗復 豊田北高校A 猿投農林高校B 旭丘高校 豊田北高校B 80 東海総体へ 18 全国・東海総体へ 27 東海総体へ 42 42 準決勝 科技高豊田 旭丘高校 猿投農林高校A 猿投農林高校B 2次予選へ 2次予選へ 1次敗復 豊田北D・森 東郷C・奥田 旭丘C・山下 東郷B・菱川 着順 3 1 2 4 4 4 4 4 ' ' ' ' 30 16 16 43 " " " " 10 1次敗復 着順 22 2次敗復へ 科技高豊田A・吉田 2 4 95 2次敗復へ 豊田北B・牧瀬 1 4 48 旭丘D・金田 3 4 2次予選 東郷A・小嶋 旭丘B・中江 旭丘A・森島 豊田北A・三宅 着順 3 1 2 4 4 4 4 4 ' ' ' ' 14 03 07 48 " " " " 41 72 準決勝へ 56 準決勝へ 17 準決勝 東郷A・小嶋 猿投農林A・佐々野 旭丘A・森島 科技高豊田C・井戸 着順 3 1 2 4 4 3 3 4 ' ' ' ' 01 50 54 11 " " " " 18 46 決勝へ 17 決勝へ 70 決勝 着順 3 1 2 4 3 3 3 4 ' ' ' ' 54 51 53 07 " " " " 79 東海総体へ 15 全国・東海総体へ 27 東海総体へ 42 3 5 3 3 ' ' ' ' 27 47 27 35 " " " " 42 準決勝へ 80 94 89 少年女子舵手付きフォア 敗復 着順 京都高校選抜 (京都) 2 3 加茂高校 (岐阜) 1 3 豊田北高校A (愛知) 3 4 旭丘高校 (愛知) オープン 4 ' ' ' ' 54 53 11 05 " " " " 99 準決勝へ 77 準決勝へ 14 29 少年男子ダブルスカル 予選 着順 豊田北高校B (愛知) 3 若狭高校A (福井) 4 旭丘高校 (愛知) 1 諏訪清陵高校B(長野) 2 3 3 3 3 ' ' ' ' 44 48 29 40 " " " " 03 02 65 準決勝へ 37 着順 3 2 1 4 3 3 3 3 ' ' ' ' 29 26 25 29 " " " " 12 39 50 92 少年男子シングルスカル 予選 着順 旭丘C・森島(愛知) 2 美方・大同(福井) 3 美濃加茂B・西原(岐阜) 1 豊田北A・牧瀬(愛知) 4 3 3 3 4 ' ' ' ' 41 53 40 02 " " " " 84 96 21 準決勝へ 65 予選 宮川A・大滝(三重) 東郷A・小嶋(愛知) 加茂C・丹羽(岐阜) 旭丘A・中江(愛知) 3 3 3 4 ' ' ' ' 59 46 59 08 " " " " 46 82 準決勝へ 02 32 敗復 着順 若狭・横山(福井) 2 3 猿投農林B・小林(愛知)1 3 科技高豊田B・大森(愛知) 棄権 旭丘D・金田(愛知) オープン 4 旭丘B・中江 猿投農林A・佐々野 旭丘A・森島 猿投農林B・小林 ' 21 ' 16 ' 27 " 42 " 76 " 91 2次敗復へ 2次敗復へ 4 4 4 4 ' ' ' ' 19 07 22 22 " " " " 85 49 30 84 準決勝へ 準決勝へ 準決勝 着順 科技高豊田A・吉田 3 4 旭丘B・中江 1 3 猿投農林B・小林 2 4 豊田北B・牧瀬 4 4 ' ' ' ' 09 59 01 11 " " " " 86 79 30 32 2次敗復 豊田北B・牧瀬 東郷A・小嶋 豊田北C・前野 旭丘C・山下 着順 2 1 3 4 決勝へ 決勝へ 第44回中日本レガッタ 日時:5月29日(土)・30日(日) 会場:愛知池漕艇場(1000m) 少年男子舵手付きフォア 予選 着順 旭丘高校 (愛知) 1 科技高豊田B (愛知) 4 美方高校 (福井) 2 豊田北高校A (愛知) 3 決勝 旭丘高校 八百津高校A 瀬田工業高校 岡谷南高校 敗復 (愛知) (岐阜) (滋賀) (長野) 着順 科技高豊田A・吉田(愛知)3 旭丘C・森島(愛知) 1 東郷B・長尾(愛知) 2 豊田北C・三宅(愛知) 4 43 準決勝 着順 瀬田工業高校 (滋賀) 2 加茂高校 (岐阜) 1 旭丘高校 (愛知) 3 猿投農林高校B(愛知) 4 3 3 3 3 ' ' ' ' 23 19 28 28 " " " " 90 62 28 80 準決勝 豊田北高校A 旭丘高校 加茂高校A 東郷高校A 着順 2 1 3 4 3 3 3 3 ' ' ' ' 33 27 36 42 " " " " 92 95 90 07 着順 2 3 4 1 3 3 4 3 ' ' ' ' 49 54 09 42 " " " " 25 54 72 83 (愛知) (愛知) (岐阜) (愛知) ' 57 ' 50 ' ' 11 " 76 " 08 " " 33 決勝へ 決勝へ 決勝へ 準決勝へ 準決勝へ 敗復 東郷A・小嶋(愛知) 美方・大同(福井) 加茂B・加納(岐阜) 旭丘B・山下(愛知) 着順 2 3 1 3 3 4 オープン 4 準決勝 着順 猿投農林B・小林(愛知) 3 旭丘A・中江(愛知) 1 諏訪清陵・下鳥(長野) 2 美方・大同(福井) 4 3 3 3 3 ' ' ' ' 54 52 09 10 " " " " 50 08 準決勝へ 97 70 準決勝 着順 旭丘C・森島(愛知) 1 美濃加茂B・西原(岐阜)2 瀬田工業・池田(滋賀) 3 東郷A・小嶋(愛知) 4 3 3 3 4 ' ' ' ' 46 47 59 03 " " " " 73 14 53 47 ' ' ' ' 50 44 47 56 " " " " 85 86 決勝へ 75 49 決勝 着順 旭丘C・森島(愛知) 3 旭丘A・中江(愛知) 4 猿投農林A・佐々野(愛知) 2 東大津・松田(滋賀) 1 3 3 3 3 ' ' ' ' 38 39 37 37 " " " " 83 57 88 66 決勝へ 第46回東海高校総合体育大会 日時:6月19日(土)・20日(日) 会場:静岡県天竜市営漕艇場(1000m) 少年男子舵手付きフォア 予選 着順 旭丘高校 (愛知) 4 八百津高校 (岐阜) 5 二俣高校 (静岡) 2 科技高豊田 (愛知) 1 宮川高校B (三重) 6 天竜林業高校 (静岡) 3 少年男子ダブルスカル 予選 着順 津高校 (三重) 5 沼津東高校 (静岡) 除外 旭丘高校 (愛知) 2 美濃加茂高校 (岐阜) 1 宮川高校B (三重) 4 恵那高校 (岐阜) 3 少年男子シングルスカル 予選 着順 沼津工業・加藤(静岡) 4 旭丘高校A・森島(愛知) 3 天竜林業・長谷川(静岡) 1 恵那・篠原(岐阜) 2 津・青山(三重) 6 美濃加茂B・古田(岐阜) 5 敗復 3 3 3 3 4 3 ' ' ' ' ' ' 42 44 29 28 12 35 " " " " " " 4 44 " " 40 " 37 " 14 " 46 " 48 3 3 4 3 ' ' ' ' ' ' 3 3 3 3 4 3 ' ' ' ' ' ' 55 47 45 46 51 57 17 68 75 決勝へ 06 決勝へ 90 21 " " " " " " 89 04 91 決勝へ 86 決勝へ 65 18 08 決勝へ 91 決勝へ 98 44 敗復 旭丘高校 天竜林業高校 八百津高校 着順 (愛知) 2 3 (静岡) 1 3 (岐阜) 3 3 決勝 着順 猿投農林高校A(愛知) 4 八百津高校 (岐阜) 2 浜松西高校 (静岡) 6 美濃加茂高校 (岐阜) 3 新居高校 (静岡) 1 旭丘高校 (愛知) 5 予選 着順 二俣・宮地(静岡) 2 美濃加茂A・吉田(岐阜) 棄権 猿投農林・佐々野(愛知) 1 宮川・長谷川(三重) 4 旭丘・中江(愛知) 3 ' 42 ' 34 ' 48 " 05 " 07 " 10 3 3 3 3 3 3 ' ' ' ' ' ' 43 37 49 41 37 46 " " " " " " 34 73 41 07 48 71 3 ' ' ' ' ' 53 " " " " " 71 決勝へ 81 75 79 決勝へ 3 3 3 宮川・長谷川(三重) 旭丘高校A・森島(愛知) 美濃加茂B・古田(岐阜) 着順 2 1 3 4 3 4 ' 00 " 49 ' 58 " 02 決勝へ ' 06 " 56 天竜林業・長谷川(静岡) 恵那・篠原(岐阜) 旭丘高校A・中江(愛知) 二俣・宮地(静岡) 猿投農林・佐々野(愛知) 旭丘高校A・森島(愛知) 着順 1 2 5 6 4 3 3 3 4 4 4 3 ' ' ' ' ' ' 52 55 04 04 00 57 " " " " " " 49 93 19 49 69 92 ' ' ' ' ' ' 16 18 23 27 29 30 " " " " " " 少年女子舵手付きフォア 89 熊本国体へ 決勝 着順 78 猿投農林高校 1 3 18 旭丘高校 2 4 71 東郷高校 3 4 86 39 決勝 敗復 着順 津・青山(三重) 3 5 旭丘高校A・中江(愛知) 1 4 沼津工業・加藤(静岡) 2 4 52 59 54 ' 00 ' 01 ' 04 " 63 " 08 " 50 ' 51 ' 03 ' 04 " 67 " 20 " 07 決勝へ 決勝へ 第54回国民体育大会愛知県大会 日時:7月18日(日) 会場:愛知池漕艇場(1000m) 少年男子舵手付きフォア 決勝 科技高豊田A 旭丘高校 猿投農林高校 豊田北高校 科技高豊田B 東郷高校 着順 1 2 3 4 5 6 3 3 3 3 3 3 44 東海大会へ 少年男子スカル系 決勝 旭丘高校・森島 猿投農林高校・佐々野 旭丘高校・中江 東郷高校・長尾 着順 1 2 3 4 3 3 3 3 ' ' ' ' 41 46 50 56 " " " " 38 ダブルで東海ブロック大会へ 43 シングルで東海ブロック大会へ 06 ダブルで東海ブロック大会へ 50 平成11年度全国高等学校総合体育大会 第47回全日本高等学校選手権競漕大会 日時:8月6日(金)∼10日(火) 会場:岩手県東和町田瀬湖漕艇場(1000m) 少年男子ダブルスカル 予選 伏見工業高校 関西高校 西会津高校 旭丘高校 日田高校 潮来高校 (京都) (岡山) (福島) (愛知) (大分) (茨城) 着順 3 5 2 1 4 6 3 3 3 3 3 5 ' ' ' ' ' ' 26 29 24 22 29 28 " " " " " " 準々決勝 39 準々決勝へ 秋田高校 93 新潟南高校 45 準々決勝へ 旭丘高校 47 準々決勝へ 瀬田工業高校 60 大村高校 54 稚内高校 着順 (秋田) 3 (新潟) 4 (愛知) 1 (滋賀) 2 (長崎) 5 (北海道)6 3 3 3 3 3 3 ' ' ' ' ' ' 31 34 28 30 41 43 " " " " " " 02 79 76 63 64 39 準決勝へ 準決勝へ 準決勝 小見川高校 伏見工業高校 新居高校 美濃加茂高校 旭丘高校 瀬田工業高校 (千葉) (京都) (静岡) (岐阜) (愛知) (滋賀) 着順 2 3 1 6 4 5 3 3 3 3 3 3 ' ' ' ' ' ' 30 31 30 37 32 34 " " " " " " 90 決勝へ 72 決勝へ 20 決勝へ 18 37 15 着順 3 1 2 4 3 3 3 3 ' ' ' ' 48 36 39 57 " " " " 01 86 51 46 熊本国体へ 熊本国体へ 準決勝 着順 滋賀選抜 (滋賀) 4 3 旭丘高校 (愛知) 1 3 福井選抜 (福井) 2 3 唐津ジュニアローイングクラブ(佐賀) 3 3 ' ' ' ' 41 34 38 40 " " " " 30 60 62 34 決勝へ 準決勝へ 第54回国民体育大会東海ブロック大会 日時:8月15日(日) 会場:三重県大台町奥伊勢湖漕艇場(1000m) 少年男子ダブルスカル 1回戦 宮川高校 旭丘高校 静岡選抜 岐阜選抜 (三重) (愛知) (静岡) (岐阜) 着順 4 2 1 3 3 3 3 3 ' ' ' ' 52 33 30 38 " " " " 2回戦 岐阜選抜 静岡選抜 旭丘高校 宮川高校 92 60 08 82 (岐阜) (静岡) (愛知) (三重) 第54回国民体育大会夏季大会ボート競技 日時:9月11日(土)∼14日(火) 会場:熊本県菊池市斑蛇口湖ボート場(1000m) 少年男子ダブルスカル 予選 着順 唐津ジュニアローイングクラブ(佐賀) 3 旭丘高校 (愛知) 1 西会津高校 (福島) 2 函館水産・網走向陽(北海道) 4 新潟南高校 (新潟) 5 3 3 3 3 3 ' ' ' ' ' 39 31 38 40 54 " " " " " 77 82 準決勝へ 04 準決勝へ 32 51 着順 2 1 3 4 3 3 3 3 ' ' ' ' 18 16 18 19 " " " " 35 17 50 61 決勝 京都選抜 旭丘高校 鳥取県選抜 静岡選抜 (京都) (愛知) (鳥取) (静岡) 45 第32回愛知県高等学校新人体育大会ボート競技 第11回全国高等学校選抜競漕大会愛知県予選 日時:10月2日(土)・3日(日) 会場:愛知池漕艇場(1000m) 少年男子舵手付クォドルプル 決勝 着順 旭丘高校 1 猿投農林高校 2 東郷高校 3 科技高豊田 4 3 3 3 4 ' ' ' ' 47 50 56 00 " " " " 12 45 97 24 少年男子舵手付フォア 予選 猿投農林高校B 東郷高校 豊田北高校A 旭丘高校A 豊田北高校C 着順 5 3 2 1 4 4 3 3 3 3 ' ' ' ' ' 20 52 45 45 59 " " " " " 89 34 32 決勝へ 29 決勝へ 37 着順 4 2 1 3 5 3 3 3 3 3 ' ' ' ' ' 43 27 26 29 43 " " " " " 45 83 決勝へ 34 決勝へ 23 98 着順 1 2 3 4 4 5 ' 20 " 65 決勝へ ' 29 " 83 ' 00 " 69 着順 1 2 3 4 3 3 4 4 ' ' ' ' 51 55 11 13 " " " " 18 中部選抜へ 92 中部選抜へ 84 07 少年男子ダブルスカル 予選 東郷高校B 科技高豊田A 豊田北高校 旭丘高校 東郷高校D 着順 2 3 4 1 5 4 4 4 4 4 ' ' ' ' ' 18 22 47 14 53 " " " " " 66 決勝へ 94 94 18 決勝へ 55 少年男子シングルスカル 予選 猿投農林C・樋口 旭丘B・中江 猿投農林A・小林 豊田北A・森 東郷B・宮島 旭丘D・中川 着順 5 1 2 6 3 4 5 4 4 5 4 5 ' ' ' ' ' ' 31 23 41 36 54 11 " " " " " " 旭丘D・中川 猿投農林B・曽根 豊田北B・那須 豊田北A・森 着順 2 1 4 3 4 4 5 5 ' ' ' ' 52 37 12 09 準決勝 東郷B・宮島 猿投農林A・小林 旭丘A・森島 猿投農林B・曽根 猿投農林C・樋口 着順 4 2 1 3 5 4 3 3 3 4 ' ' ' ' ' 11 48 47 58 20 敗復 猿投農林高校B 豊田北高校C 東郷高校 豊田北高校B 旭丘高校B 少年女子舵手付フォア 予選 猿投農林高校A 旭丘高校A 猿投農林高校C 決勝 旭丘高校 猿投農林高校A 豊田北高校 猿投農林高校B 敗復 少年女子舵手付クォドルプル 決勝 着順 猿投農林高校A 棄権 旭丘高校 2 4 猿投農林高校B 1 4 ' ' 15 ' 07 " " 43 " 93 予選 旭丘高校B 科技高豊田 猿投農林高校A 豊田北高校B 着順 4 1 2 3 4 3 3 4 ' ' ' ' 25 51 57 05 " " " " 59 99 17 51 決勝 東郷高校 科技高豊田 旭丘高校A 豊田北高校A 猿投農林高校A 豊田北高校C 着順 4 2 1 3 5 6 3 3 3 3 3 3 ' ' ' ' ' ' 26 24 23 25 27 38 " " " " " " 15 53 56 29 66 09 敗復 猿投農林高校C 旭丘高校 猿投農林高校B 着順 3 4 1 3 2 4 ' 11 ' 56 ' 10 " 08 " 19 " 71 決勝 科技高豊田A 旭丘高校 猿投農林高校 東郷高校A 東郷高校B 豊田北高校 着順 2 3 1 4 5 6 3 3 3 3 3 4 ' ' ' ' ' ' 36 36 34 37 49 13 " " " " " " 19 96 86 62 15 74 76 98 準決勝へ 00 準決勝へ 26 17 48 予選 旭丘C・石川 猿投農林B・曽根 東郷A・長尾 旭丘A・森島 豊田北B・那須 旭丘E・木村 着順 4 3 2 1 5 6 4 4 4 4 5 5 ' ' ' ' ' ' 43 33 29 17 06 23 " " " " " " 28 98 15 22 69 31 " " " " 62 準決勝へ 80 準決勝へ 77 15 準決勝へ 敗復 旭丘E・木村 旭丘C・石川 東郷B・宮島 猿投農林C・樋口 着順 4 1 2 3 5 4 4 5 ' ' ' ' 16 43 57 07 " " " " 78 24 38 30 " " " " " 42 17 決勝へ 32 決勝へ 20 決勝へ 21 準決勝 旭丘D・中川 東郷A・長尾 旭丘B・中江 旭丘C・石川 豊田北A・森 着順 4 2 1 3 5 4 3 3 4 4 ' ' ' ' ' 05 58 56 04 24 " " " " " 43 79 19 55 90 46 決勝へ 決勝へ 中部選抜へ 中部選抜へ 決勝へ 中部選抜へ 中部選抜へ 準決勝へ 準決勝へ 準決勝へ 準決勝へ 準決勝へ 決勝へ 決勝へ 決勝へ 決勝 東郷A・長尾 旭丘B・中江 旭丘A・森島 猿投農林A・小林 猿投農林B・曽根 旭丘C・石川 少年女子シングルスカル 予選 旭丘・木村 東郷A・早川 豊田北B・宮前 決勝 旭丘・木村 東郷A・早川 猿投農林・薮 東郷B・牧田 豊田北A・加納 着順 3 2 1 4 5 6 3 3 3 3 4 4 ' ' ' ' ' ' 着順 2 1 3 4 4 5 ' 59 " 05 ' 39 " 23 決勝へ ' 02 " 70 着順 除外 1 2 3 4 4 4 4 4 ' ' ' ' ' 51 47 42 52 04 11 15 17 36 57 " " " " " " 36 95 中部選抜へ 81 中部選抜へ 32 46 25 敗復 旭丘・木村 東郷B・牧田 豊田北A・加納 豊田北B・宮前 着順 2 1 3 4 4 4 4 4 ' ' ' ' 34 30 45 49 " " " " 93 56 24 04 決勝 着順 八百津高校 (岐阜) 8 加茂高校 (岐阜) 5 旭丘高校 (愛知) 3 天竜林業高校 (静岡) 4 美方高校 (福井) 1 科技高豊田 (愛知) 2 大沢野工業高校(富山) 6 沼津東高校 (静岡) 7 3 3 3 3 3 3 3 3 ' ' ' ' ' ' ' ' 29 23 22 22 20 21 24 27 " " " " " " " " 79 71 01 73 81 79 45 98 決勝 恵那高校 加茂高校 旭丘高校 八尾高校 美方高校 沼津東高校 猿投農林高校 若狭高校 3 3 3 3 3 3 3 3 ' ' ' ' ' ' ' ' 50 44 46 37 41 46 43 55 " " " " " " " " 04 81 94 58 59 75 32 35 予選 着順 津・青山(三重) 除外 大沢野工業・野口(富山) 3 3 旭丘A・森島(愛知) 2 3 諏訪清陵B・三井(長野) 7 4 沼津東・殿岡(静岡) 5 3 新潟・田口(新潟) 6 3 美濃加茂・西原(岐阜) 1 3 美方・武長(福井) 4 3 ' ' ' ' ' ' ' ' 44 36 05 46 57 33 46 " " " " " " " " 08 40 18 80 79 77 45 " " " " " 00 中部選抜へ 79 中部選抜へ 05 08 " " " " " " " " 02 46 79 94 37 21 決勝へ 36 決勝へ 14 決勝へ 決勝へ 決勝へ 第13回中部高校選抜競漕大会 日時:10月9日(土)・10日(日) 会場:木曽三川公園コース(1000m) 少年男子舵手付きフォア 予選 着順 敦賀工業高校 (福井) 6 加茂高校 (岐阜) 3 小松高校 (石川) 8 宮川高校 (三重) 5 八尾高校 (富山) 4 旭丘高校 (愛知) 2 天竜林業高校 (静岡) 1 新潟高校 (新潟) 7 少年女子舵手付きフォア 予選 着順 加茂高校 (岐阜) 3 小松高校 (石川) 7 旭丘高校 (愛知) 2 岡谷南高校 (長野) 6 美方高校 (福井) 1 新潟南高校 (新潟) 4 二俣高校 (静岡) 除外 宮川高校 (三重) 5 少年男子シングルスカル 予選 着順 諏訪清陵A・小泉(長野)7 旭丘B・中江(愛知) 2 八尾・岡本(富山) 3 宮川・西村(三重) 9 小松商業・北野(石川) 8 八百津・交告(岐阜) 5 小浜水産・平野(福井) 1 新居・戸倉(静岡) 6 新潟南・木下〔新潟) 4 決勝 着順 小松商業・北野(石川) 7 八尾・岡本(富山) 5 旭丘A・森島(愛知) 2 小浜水産・平野(福井) 3 美濃加茂・西原(岐阜) 1 旭丘B・中江(愛知) 4 大沢野工業・野口(富山)6 新潟南・木下〔新潟) 8 3 3 3 3 3 3 3 3 ' ' ' ' ' ' ' ' 31 20 38 27 24 18 17 32 3 4 3 4 3 3 43 09 41 03 37 51 " " " " " " " 55 " 05 92 20 決勝へ 03 95 決勝へ 72 3 ' ' ' ' ' ' ' ' 3 3 3 4 3 3 3 3 3 ' ' ' ' ' ' ' ' ' 48 36 40 22 50 46 31 46 42 " " " " " " " " " 78 60 決勝へ 15 39 17 06 88 決勝へ 68 67 3 3 3 3 3 3 3 3 ' ' ' ' ' ' ' ' 41 38 33 33 32 37 41 44 " " " " " " " " 75 24 16 91 21 19 53 07 52 全国選抜へ 全国選抜へ 全国選抜へ 全国選抜へ 47 (岐阜) (岐阜) (愛知) (富山) (福井) (静岡) (愛知) (福井) 着順 7 4 6 1 2 5 3 8 全国選抜へ 全国選抜へ 全国選抜へ 全国選抜へ 全国選抜へ 全国選抜へ 全国選抜へ 全国選抜へ 決勝へ 決勝へ 愛知県立旭丘高等学校漕友会 1 9 9 9 年度会計報告 1.収入の部 2.支出の部 昨年度繰越 722,312 利子等 704 新年会徴収分 新年会費用 269,866 漕友 2 号送料 44,860 現役援助金 新年会会費 247,000 津高戦案内葉書 漕友会年会費 157,000 津高戦祝儀 寄付金 37,500 振込分 315,000 16,000 100,000 津高戦遠征費 66,961 祝勝会案内送料 27,450 漕友会年会費 214,000 祝勝会費用 寄付金 764,300 その他連絡費 173,250 78,118 祝勝会徴収分 祝勝会会費 118,000 漕友会年会費 小計② 1,091,505 5,000 寄付金 90,000 3.次年度繰越金(新艇建造費) 津高対抗戦徴収分 ①−② 対抗戦会費 1,379,311 55,000 漕友会年会費 備考:科目別集計 寄付金 会費・寄付金等(現金) 小計① 50,000 漕友会会費 376,000 10,000 寄付金(新艇寄付金を含む) 951,800 諸行事会費 420,000 2,470,816 編集後記 遅れ遅れになってしまいましたが、何とか発行できました。 1999年は、漕友会にとって最高の年となりました。 漕友会の雑用 係を勤めてきた私の夢は、いつか現役が全国制覇をしてその美酒を味わうことでした。 東海地方で屈指の進学校であること、 また、他のボートが強い高校に比べ練習場から非常に離れていること等々多くのハンデキャップを乗り越えての国体優勝は、本 当に価値あることと思います。 OB会が元気だと現役も元気になる、現役が元気だとOB会も活気付く。 これも偏に漕友会会員の 皆様のご支援ご鞭撻の賜物です。 本当にありがとうございました。 2001年には、大きな行事 「ボート部設立100周年事業」が 控えています。 今後ともよりいっそうのご支援をお願い申し上げます。 表紙「漕友」の文字は、足立翠泉の書 足立翠泉 千葉県我孫子市在住 師: 略歴: 現在: 山本南陽 毎日展毎日賞 長谷川誠会長の実姉で旭丘5回卒 金子鴎亭 創玄展・準大賞 日展入選 各地海外展、グループ展、個展等 毎日書道展審査会員、創玄書道会審査会員、近代詩文作家協会評議員、玄翠会主宰 マーサル学院講師、千葉県書道協会理事、我孫子市文化連盟理事、我孫子市書道連盟副会長 48 桑山栄一(旭丘19回卒)
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