平成 20 年度 調査研究事業報告書 中小企業における事業承継 平成 21 年 3 月 財団法人 商工総合研究所 (要 旨) ○中小企業経営者の高齢化が進展している。経営者の高齢化により、事業の縮小、廃業増 加が予想され、事業承継への取り組み、対策が大きな課題となってくる。 ○子への事業承継は減少傾向にあり、親族以外への承継が増えている。内部昇格などを視 野に入れた承継計画の構想が必要であるが、内部昇格などの場合、個人保証、個人資産 の担保提供、株式の取得と資金調達、或いは経営と企業所有権(株主)の分離確保等の 問題をクリアしなければならない。 ○子への事業承継は減少傾向にあるものの、承継の本流であることに変りはない。後継者 としての社内外への認知、経営者としての資質確保のため、OJT、ジョブローテーション、 経営権の委譲等を計画的に行うことが望ましい。他社での就業経験、OffJT なども、人的 ネットワークの形成、学びと気づきの機会として有益である。これらを通して、経営に 関する「テクニカルスキル」、組織をまとめる「ヒューマンスキル」、戦略的思考能力な どの「コンセプチュアルスキル」の計画的な習得を図ることが、円滑な事業承継には必 要である。 ○事例企業が示すように、事業承継は経営環境の変化への対応など経営革新を行うための 契機でもある。事業承継を機に家業的体質からの脱却、差別化、新事業への展開等が行 われている。 ○M&A による事業承継を選択する企業はまだ比率としては低いものの、増加する傾向がみら れる。こうした背景としては後継者不在企業の増加に加えて、事業拡大の手段として M&A を選択する買い手企業の増加、仲介機関の増加といった要因があると思われる。 ○中小企業の M&A においては譲渡価格よりも、事業の存続と従業員の雇用・処遇を重視す る傾向が強い。大企業のように企業情報が開示されておらず、業態も多様であることか ら、M&A の相手先の探索・選定は取引金融機関や仲介機関を通じてなされることが多い。 また、株式非公開企業がほとんどであるため、当事者同士の合意が M&A 成立の前提であ り、当事者相互の信頼関係も重要となる。 ○取引価格の根拠となる企業価値の評価方法としては、純資産価額法による評価額に技術 力、営業基盤等の無形資産の価値をのれん代として上乗せする場合が多いが、実際の取 引価格は交渉次第である。また、基本合意契約後に実施される買収監査によって、不適 切な会計処理、不良債権、簿外債務、環境問題等が発見され、最終的な取引価格が大き く減額される場合もありうる。 ○M&A による事業承継は最後の選択肢である場合が多いが、M&A により、シナジー効果を発 揮して業績の伸長に結びつけている事例も少なくない。円滑、成功裏に事業承継を実現 するために、早い時期から検討、準備を行うとともに、日頃から外部からの評価を意識 して、自社の企業価値を高める努力が求められるところである。 目 次 はじめに ······················································································· 1 Ⅰ.事業承継の現状 ··········································································· 1 1.経営者の高齢化 ········································································ 1 2.事業承継の形態 ········································································ 3 Ⅱ.子への事業承継 ··········································································· 5 1.子への事業承継のメリット、デメリット······································· 6 2.子への円滑な承継を行うために··················································· 7 2.1 後継者の確保 ··································································· 7 2.2 事業承継の際に想定される問題点 ········································ 8 2.3 後継者教育 ······································································ 9 2.4 後継者としての認知 ······················································· 12 2.5 株式の集中 ··································································· 14 3.事業承継と経営革新 ······························································· 15 (補足)役職員への事業承継について················································ 16 〔事例〕 事例の概要 ·············································································· 18 事例1 ㈱生活の木 ·································································· 19 事例2 重光産業㈱ ·································································· 22 事例3 A 社 ··········································································· 26 事例4 上田運輸㈱ ·································································· 29 事例 5 ニシハラ理工㈱ ···························································· 32 事例6 B 社 ··········································································· 35 事例7 C 社 ··········································································· 37 事例8 中小企業大学校〔(独)中小企業基盤整備機構〕 ················ 40 Ⅲ.M&Aによる事業承継 ······························································· 43 1.中小企業におけるM&Aの状況················································ 43 2.事業承継策としてのM&A······················································ 43 2.1 後継者不在企業の増加 ···················································· 45 2.2 M&Aに対する意識の変化 ·············································· 46 2.3 買い手企業の増加 ·························································· 46 2.4 仲介機関の増加 ····························································· 47 3.M&Aによる事業承継とその課題············································· 47 3.1 M&Aの手法と具体的プロセス ········································ 47 3.2 中小企業におけるM&Aの特徴 ········································ 50 3.3 事業承継策としてのM&Aの課題 ····································· 53 [事 例] 事例の概要 ·············································································· 58 M&A事例1 ··········································································· 59 M&A事例2 ··········································································· 60 M&A事例3 ··········································································· 61 M&A事例4 ··········································································· 62 M&A事例5 ··········································································· 63 M&A事例6 ··········································································· 63 M&A事例7 ··········································································· 64 M&A事例8 ··········································································· 64 M&A事例9 ··········································································· 65 M&A事例 10 ·········································································· 65 はじめに 中小企業白書 2006 年版によれば、後継者不足による廃業数が約 7 万社、これにより失わ れる雇用者数は約 20~30 万人に昇ると推定されている。新規開業が低迷している現下の状 況を考えれば、事業承継の失敗に起因する廃業と雇用喪失の防止は大きな社会的な課題で ある。また、人材、技術、ノウハウなどを集めて組織化し、事業化することは、簡単なこ とではない。中には事業が承継されても経営環境の変化に対応できず存続が困難なケース もあるであろうが、後継者の確保或いは M&A などにより、既存の組織に蓄積された経営資 源が散逸することなく、事業を継続することができるのであれば、経済的にも大きな意義 がある。さらに、後継者、或いは M&A などによる事業承継は、経営組織などの変革、事業 の見直し、新たなスキルの付加などにより経営革新を遂げ、経営環境の変化に対応しうる 基盤を形成する機会ともなりうる。 このように考えると、事業承継の社会的・経済的意義は大きい。本稿では、減少傾向に はあるものの依然として事業承継の本流である親族への承継、もう一つは、今後の事業承 継にとって重要な選択肢となるであろう M&A に焦点を当て、事例調査、既存のアンケート 調査結果などに基づき、事業承継の現状、成功のポイント、課題について考察する。なお、 事業承継の問題としては自社株式の評価を中心とする相続税の問題があるが、本稿では主 として経営的観点から事業承継について考察する。 Ⅰ.事業承継の現状 1.経営者の高齢化 (図表Ⅰ-1-1)代表者の平均年齢(資本金規模別) (歳) 全社長平均 5億円未満 1,000万円未満 10億円未満 5,000万円未満 10億円以上 1億円未満 64 62 60 58 56 54 52 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02 03 04 (西暦:年) (出所)中小企業庁「中小企業白書(2006 年版)」 (資料)帝国データバンク「社長交代率調査」 1 代表者の平均年齢をみると、94 年以降、資本金 1 億円以上の企業の代表者の平均年齢が ほぼ横這いで推移しているのに対して、資本金 5,000 万円未満の企業では、年齢が上昇し 続けており、中小企業経営者の高齢化が進展している(図表Ⅰ-1-1)。 経営者の高齢化は事業縮小や廃業の要因となる。事業縮小や廃業を検討している企業に ついてその理由をみると、 「需要が頭打ち」、 「競争が激しい」が多いが、 「後継者がいない」、 「代表者の高齢化」の比率も一定の比率を占めており、特に小規模企業でこの比率が高い (図表Ⅰ-1-2)。中小企業では経営者が多くの事項に関与し、意思決定を行っている。また、 小規模企業では経営者自らが熟練技能者として現場で重要な役割を果たしている場合が多 い。このように、中小企業では企業の盛衰は経営者の能力、手腕によるところが大きい。 平均寿命が延び、現役で働ける期間が長期化しているとはいえ、中小企業経営者に求めら れる体力、精神的な負担は大きく、経営者の高齢化が進展することは企業活力の低下につ ながりかねない。さらに、経営者の高齢化の進展に伴い事業承継問題が本格化し、後継者 の確保難による廃業が増加することが予想される。 (図表Ⅰ-1-2)事業縮小や廃業を検討している理由 小規模企業 中規模企業 (%) 特 にな し そ の他 資 金繰 りが 苦 しい 労 働力 (人 手 )の 不足 後 継者 がい な い 代 表者 の高 齢 化 競 争が 激し い 需 要が 頭打 ち 35.0 30.4 28.4 30.0 25.6 25.0 20.1 19.7 16.3 17.6 20.0 12.7 15.0 11.2 10.0 4.9 3.7 2.0 2.9 1.4 2.0 1.0 5.0 0.0 (出所)中小企業庁「中小企業白書(2007 年版)」 (資料)(株)東京商工リサーチ「中小企業の経営実態調査」(2007 年 1 月) (注)1.中規模企業とは、中小企業のうち小規模企業(常時雇用する従業員数で卸売業、小売業、サ ービス業各 5 人以下、その他業種は 20 人以下、以下同じ)を除いたものを指す。 2.今後の経営方針で、 「事業縮小」または「廃業」と答えた企業が対象。それぞれの比率は「事 業縮小」(中規模企業 8.0%、小規模企業 16.3%)、「廃業」(同 2.2%、9.4%) 3.複数回答のため合計は 100 を超える 後継者の決定状況をみると、全体では 4 割弱が後継者を決めているが、 「未詳」とする企 業が 6 割弱ある。規模別には小規模企業ほど後継者を決めていない企業が多い(図表Ⅰ-1-3)。 資本金 5,000 万円未満の企業では、高齢化が急速に進展しており平均年齢が 60 歳に迫って いる。事業承継には後継者の選定、教育、社内や取引先などへの周知など時間を要する。 経営者が早い段階から事業承継を重要な課題と認識し自助努力を行うとともに、事業承継 2 問題の啓発、後継者教育等への支援、M&A のマッチングなど円滑な事業承継に向けた公的 支援の一層の充実が期待される。 (図表Ⅰ-1-3)後継者の決定状況 後継者あり 5.3 36.7 全体 後継者なし 大企業 57.4 1.0 56.6 32.8 小規模企業 0% 41.8 3.1 43.3 中規模企業 53.1 60.0 6.6 20% 未詳 40% 60% 80% 100% (出所)中小企業庁「中小企業白書(2007 年版)」 (資料)株式会社帝国データバンク「企業概要データベース」再編加工 (注)中規模企業とは、中小企業のうち小規模企業を除いたものを指す。 2.事業承継の形態 (主流は同族承継だが、形態は多様化) (図表Ⅰ-2-1)社長交代企業の社長就任経緯 創業 者 同族 継承 買収 内部昇 格 外 部招 へい 出向 分 社化 の一環 不明 1.6 全体 1 0 .8 4 3. 7 26 . 1 7.2 9. 3 1. 0 大 企 業 1 .5 11 . 6 48 . 3 1 6 .7 19 . 8 1. 5 中 規模企 業 6.4 4 1. 3 29 . 1 8 .1 1. 9 小 規模企 業 1 8 .7 0% 5 3 .0 2 0% 40% 1 7. 7 60% 80% 1 2. 2 3.2 4. 1 10 0 % (出所)中小企業庁「中小企業白書(2007 年版)」 (資料)株式会社帝国データバンク「企業概要データベース」再編加工 (注)1. 2006 年末時点のデータと 2001 年末時点のデータを比較し、社長が交代している企業につい て社長就任経緯を集計。 2. 中規模企業とは、中小企業のうち小規模企業を除いたものを指す。 3 主な事業承継の形態として、同族への継承、内部昇格、外部からの招聘、M&A がある。 中小企業で最も一般的なのは「同族継承」、次いで「内部昇格」である。特に小規模企業で は「同族継承」が 5 割を超えている。また、中規模企業では、 「同族継承」が 4 割強を占め 最も多いことに変りはないが、 「内部昇格」や系列親企業などからの「出向」の比率が高く、 承継の対象、形態が多様化している(図表Ⅰ-2-1)。 (減少する子への承継) 現経営者と先代経営者との関係で見ると、承継時期が新しくなる程、子(子息・子女) の比率が低下しており、もはや子であるという理由だけで、後継者となることを期待でき る時代ではなくなっていることを示している(図表Ⅰ-2-2)。これについては後で検討する が、価値観や生き方が多様化し、選択できる現代では、例え黒字であってもすんなりと子 が事業を引き継ぐとは限らず、事業への興味、魅力などを子が感じることが重要となって いる。従って、そのベースとなる仕事への動機づけ、意欲向上、生き甲斐、働き甲斐を重 視する企業づくりが事業承継面でも重要となっている。 (図表Ⅰ-2-2)先代経営者との関係の変化 子息・子女 子息・子女その他の親族 その他の親族 親族以外 親族以外 (承継時期) (承継時期) 6.4 6.4 79.779.7 20年以上前 20年以上前 20.2 20.2 48.648.6 5年~9年前 5年~9年前 41.6 41.6 0年~4年前 0年~4年前 0% 20% 20% 15.1 15.1 24.3 24.3 60.660.6 10年~19年前 10年~19年前 0% 13.9 13.9 20.4 20.4 40% 40% 60%60% 31.2 31.2 38.0 38.0 80% 80% 100% 100% (出所)中小企業庁「中小企業白書(2004 年版) 」 (資料) (株)東京商工リサーチ「後継者教育に関する実態調査」 (2003 年) 一方、子に代わり、 「親族以外」の比率が増加している。これは、図表Ⅰ-2-1で「内部昇 格」などの比率が高いことと整合的であり、子以外に役員・従業員の内部昇格を視野に入 れて事業承継を構想する必要がある。しかし、子以外への承継については、借り入れへの 個人保証や担保提供、株式の取得と資金調達、或いは経営と企業所有権(株主)との分離 など大きなハードルがあり、後で触れるような条件整備が必要と考えられる。 4 (M&A) 通常、経営者が事業承継を考える場合には、まず子への承継、次いでそれ以外の親族、 役員・従業員、そして第三者への売却・譲渡の順になる。従って、図表Ⅰ-2-1で「買収」 が少なかったことが示すように、現在のところ第三者への売却は例外的な位置づけとなっ ている。ただし、「出向」の中には売却の結果子会社となり、買収した「親会社」の役職員 が社長として「出向」する場合も考えられる。そのようなケースを考慮すると、社長交代 における M&A に関連する比率は「中規模企業」で 1.5%~13.7%程度、小規模企業で 1.9 ~5.1%程度となる。 中小企業白書(2006 年版)の調査によると、 「事業を何らかの形で他者に引き継ぎたい」 とする企業が 95.1%あり、うち 18.9%が「適当な候補者がいない」と回答している。また、 このうち役職員からの登用や社外からの招聘が上手く行かなかった場合には、82.1%が「売 却を検討する」と答えており、単純計算で 15.5%が M&A を検討することになる。このこ とから、M&A は事業承継の最終的な選択肢として今後増加する可能性がある。M&A につ いては第Ⅲ部で検討を行う。 Ⅱ.子への事業承継 事業承継の形態は多様化しており、役員・従業員などへの承継が増加している。しかし、 役員・従業員への承継のためには、乗り越えるべきハードルがあり、一定の条件が必要と 思われる。また、役員・従業員への承継の中には、子が成長するまでの中継ぎ的形態のも のも含まれていると考えられる。 (図表Ⅱ-1-1)後継者として希望する人材 子供・ 配偶者 0% その他 同族者 20% 非同族・ 役員従業員 40% 非同族 社外人材 その他 60% 80% 100% 7.7 66.2 全体 11.1 71.3 1~4人 11.0 4.0 11.0 5.6 3.6 8.6 6.4 5~9人 68.2 10.8 65.6 10~19人 12.2 63.0 20~29人 10.3 4.3 14.0 12.6 13.8 3.2 4.9 5.9 4.7 6.4 30~39人 40~49人 61.3 13.3 57.6 12.8 14.0 17.6 4.9 6.2 5.8 7.3 50~99人 59.1 14.0 16.5 3.1 8.9 100~199人 50.2 16.2 200~300人 50.0 17.6 20.5 4.2 8.3 19.4 (出所)信金中央金庫総合研究所「第 120 回全国中小企業景気動向調査」 5 4.6 先の図表Ⅰ-2-2 が示すように子への承継は減少傾向にあるとはいえ、依然として承継の 4 割を占めている。また、後継者として希望する人材をみても、子が約 6 割で第一位を占め ている。特に人材が不足がちな規模の小さい企業程この傾向が強い(図表Ⅱ-1-1)。 家業意識が薄れているとはいえ、中小企業ではオーナーの個人資産が経営に投入される ことが多く、企業の所有権と経営権を分離することへの困難さがある。自己の資産の一部 であり、自らの人生の証ともいえる企業の所有権と経営権を子に譲りたいというのが、多 くの中小企業経営者の希望であることは間違いない。従って、以下では子への事業承継を 実現し、また、将来的な発展を期すために必要な条件等を検討してみる。 なお、事例(事例1~5)については、(独)中小企業基盤整備機構から同機構の中小企 業大学校が実施する経営後継者研修を受講した企業の紹介を受け、お話を伺った。 1.子への事業承継のメリット、デメリット 親族への事業承継のメリット、デメリットについては通常次のような事項が指摘される。 (メリット) ・従業員や外部関係者に後継者としての正統性を認知されやすい。 ・経営者としての教育を早期から計画的に行うことができる。 ・自社株式、保証債務など経営者の資産・負債と事業を一体で引き継ぐことができる。 なお、このことは所有と経営の分離を回避できるため、中小企業の特徴でもある機動 的な経営が確保され、また、長期的な視点での経営を行いやすいというメリットにつ ながる。 (デメリット) ・子息・子女など狭い範囲内で少ない選択肢の中から後継者を選ぶことになるため、経 営者としての資質の適正さを担保できない可能性がある。 ・所有と経営が一体化していることの弊害として、公私混同が起きやすく経営上の公正 さを維持できなくなる可能性がある。 ・兄弟、親族が複数いる場合、親族間での対立や反発が起きる可能性がある。 この様なデメリットが顕在化すると、役職員の士気、経営の求心力の低下、有力役職員 の退職などが起こり、企業は衰退の途を辿ることになる。 このように子を後継者とするには、メリットがある反面デメリットもある。従って、デ メリットが生じないように留意し、後継者の選定と事業の引継ぎを進めることが必要であ る。以下、順次述べていくが、経営者としての資質が認められる子を候補者に選定すると ともに、現場・経営実務や社内外での研修などを通して、経営者に相応しい資質を賦与し ていく工夫が必要である。また、親族間での内紛を防止するためには、後継者を予め明確 にすること、相続財産の分配について予め取り決め、了承を得て置くことが望ましい。 6 2.子への円滑な承継を行うために 2.1後継者の確保 一般的に、親が子に対して事業を継いで欲しいという意思を明確に伝えることは少ない .. ようである。昔は長男がイエを継ぐのと同じ感覚で、家業を継ぐことが当然視されていた。 この思想の延長線上で、親は子がいずれは会社を継いでくれるという思い込みがある。そ して、自社に戻るまでの間は暫く自由にしてやりたいと考え、学校卒業後の進路を本人の 自由に任せる傾向があるようだ。その結果、子が他社や官界、アカデミズムなどへと進み、 その仕事が面白くなり、当初は会社を継ぐ意思があったとしても、その道で生きることを 選択する。やがて事業承継が必要になったときに、子が自社に戻る意思がないことが明ら かになり、その時に初めて事業承継を現実の問題として意識することになる。 このような事態を招かないためにはどうすれば良いのだろうか。そのためには、子がど ういう場合に事業を承継するのかを知る必要がある。先代経営者の子供が事業を承継した 理由をみると、 「家業だから」は今でも最も大きな理由だが、20 年以上前に承継した経営者 に比べるとやや比率が低下している。次いで「従業員・取引先への責任を果たすため」が 第 2 位を占め傾向的にも増加している。第 3 位は「会社経営に魅力を感じたから」であり、 20 年以上前の承継者に比べると比率が高くなっている(図表Ⅱ-2-1)。 (図表Ⅱ-2-1)先代経営者の子供の承継理由(承継時期別) 20年 以上 前 10 年~1 9年 前 5年 ~9年 前 0年 ~4 年前 ( %) 76.0 68. 3 6 8.1 69.6 80.0 70.0 60.0 4 3.5 44.7 50.0 40.0 30.0 18.4 20.0 10.11 0.6 10 .9 10.0 3 .9 10 .6 9. 7 9.6 8. 4 6.7 3. 2 4 .2 1.71 .5 3 .2 1. 9 1 .0 その他 自分で新しく事業を 始めるよりも効率的 だから 今までの会社や仕事 に不満があったから 従業員・取引先への 責任を果た すため 先代経営者に説得さ れたか ら 家業だから 将来性のある会社だ から 会社経営に魅力を感 じたか ら 0.0 3 4.7 2 6.8 1 8.6 1 7.3 17 .615.0 30 .23 1.9 29. 7 (出所)中小企業庁「中小企業白書(2004 年版) 」 (資料)(株)東京商工リサーチ「後継者教育に関する実態調査」(2003 年) (注) 複数回答のため、合計は 100 を超える。 つまり、子供の側の意識は変化しており、最近では家業であるという理由だけで会社を 継ぐわけではないことがわかる。取引先への供給責任を感じるような社会的意義の高さ、 7 会社経営への魅力を感じる事業内容や組織風土といったプラスαの要素が必要となってい る。 後継者研修に長らく携わってきたある有識者は、後継者を確保するためには経営者が自 分の経営ビジョン、生き甲斐などを子に語り、承継に対する自分の希望、意思を伝えるこ との重要性を指摘する。また、子が会社を継ぐ気になるためには、会社を魅力あるものと し、夢を持てる会社にすることが必要だと述べている。 .... 事例で見ると、ハーブ・アロマテラピー関連事業を展開する㈱生活の木(事例1)の重 永社長は、高校時代にアルバイトとして家業を手伝い、その経験を通して工夫すると手ご .. たえを実感できるという点に商売の魅力を感じた。また当時家業であった陶器卸・小売は SPA 1 的な業態であり、父達が企画・開発に取り組む姿に興味を感じたことが事業を継ぐ動 機となった。今、次代への事業承継に向けて準備に着手しているが、子が事業を引き継ぐ ためには、子が自らの生き方として選択する魅力が、事業、経営に必要と考えている。活 き活きとした楽しさを感じることができる事業、独自性があり自らの力を発揮できる魅力 的な事業をつくることが、後継者確保の王道だと考えている。また、 「味千ラーメン」を世 界に展開する重光産業㈱(事例 2)の重光社長は、事業を継いでもらいたいという親の気持ち が子に伝わるためには、親自身が事業に夢を持ちその実現に向けて頑張っている姿を見せ ることが大事なのではないか、と語っている。 後継者を確保するためには、業績、組織・体制などの条件を整備することも必要である が、阿吽の呼吸に期待するのではなく子に事業承継への希望を明確に伝えること、そして 自らが夢を持ちビジネスを通じてその実現に取り組んでいる姿を見せることが、求められ る。 2.2事業承継の際に想定される問題点 事業承継の際に想定される問題点として、「事業の将来性」、「後継者の力量」、 「取引先と の信頼性維持」を挙げる企業が多い。これらに比べると「借金の個人保証」、「相続等の税 金対策」の比率は低いが、役職員への承継の場合には個人保証が、また、好業績の企業で は自社株式評価などに起因する相続税が大きな問題となるであろう(図表Ⅱ-2-2)。この ように、業績や、承継の対象者などによって問題の重みは異なってくるが、 「事業の将来性」、 「後継者の力量」、「取引先との信頼性の維持」が事業承継に共通し、承継の成否の鍵とな る大きな問題と目されている。円滑な事業承継を行うためには、これらの問題について事 前準備や改善に取組む必要がある。 事業の将来性は事業承継に関らず、経営そのものに関る基本的かつ大きな課題であり、 ここでは取り上げない。ただ承継との関連で言えば、業績が赤字の場合でも後継者の努力 Speciality store retailer of Private label Apparel」の頭文字を組み合わせた造語。素材 調達、企画、開発、製造、物流、小売などすべての工程をひとつの流れとしてとらえ、サ プライチェーン全体のムダ、ロスを極小化するビジネスモデル 1 8 次第で黒字状態に復しうるだけの技術、ノウハウ、人材等の資源を社内に保有しておくこ とが必要である。 (図表Ⅱ-2-2)事業承継の際に想定される問題点(3 項目以内複数回答) (% ) 80.0 71.8 59.1 60.0 46.0 40.0 12 .9 20.0 7. 7 7.4 6 .7 5. 4 1. 6 その他 個 人 資 産取 扱 い 社 員 の 不平 ・ 不 満 相 続 等 の税 金 対 策 後 継 者 の不 在 先 代 経 営者 の 影 響力 借 金 の 個人 保 証 取 引 先 との 信 頼 性の維持 後 継 者 の力 量 事業の 将来性 0.0 11 .4 (出所)信金中央金庫総合研究所「第 120 回全国中小企業景気動向調査」 以下では、後継者の力量や取引先など外部との信頼維持に関連する問題について検討す る。 2.3後継者教育 (1)後継者に求められる資質 後継者の力量とは具体的に何であろうか。後継者に必要な資質に関する調査によると、 「販売企画実行力」、「市場動向の先見性等」、「経営理念・実践力・行動力」、「従業員統率 力」の比率が高い(図表Ⅱ-2-3)。後継者の力量とは具体的にこれらの能力が高いことを指 すと考えられる。つまり、状況を把握・分析し事業展開の方向を定め、必要なヒト、モノ、 カネなどの経営資源の調達プランを描き、社内を統率し、実行していくことが経営者が担 うべき役割と認識されている。大企業の場合は各部門が機能を分担し組織的に対応するこ とができるが 2 、中小企業の場合人材の数に限りがあることから、経営者に多面的な能力が 求められ、また、経営者が現場の中核戦力であることも多いため、企画実行能力等現場に 近い能力も求められている。 先天的にこれらの能力に恵まれていることがベストだが、教育と経験の積み重ねによっ て能力を一定水準に高めることは可能である。そこで、次に後継者の教育・育成という観 点から事例に基づいて論を進める。 2 優れた人材が多いとされる大企業といえども、これらの能力のすべてを具備しているトッ プはそう多くはないであろう。現実的には、部門責任者を登用し組織力で対応される。大 企業トップは最終決断者として振る舞い、各部門を調整し統率し、人事権等を行使して実 行に向けて全社をコントロールしていくことに本質的な機能がある。 9 (図表Ⅱ-2-3)後継者に必要な資質(3 項目以内複数回答) 43.4 38.1 37.4 22.7 17.8 1 6.1 15.4 8.4 0.9 その他 I T関 連 知 識 技術知識 財務関連知識 豊富な現場経験 取引先等との交渉 力 従業員統率力 経営理念・実践 力・行動力 市場動向の先見性 等 販売企画実行力 (%) 70.0 58.5 60.0 50.0 40.0 30.0 20.0 10.0 0.0 (出所)信金中央金庫総合研究所「第 120 回全国中小企業景気動向調査」 (2)社外就業 今回子息が後継者となった事例は 5 社あり、うち 4 社で後継者が学校卒業後他社に就職 していた(残りの 1 社も他社に就職する予定だったが、父が高齢だったため早く社業に従 事し、経営を学んだ方が良いという周囲の勧めで、大学卒業後に直接承継する会社に入社 している)。他社での就業体験は、人脈、知見を広めることができる、自社とは異なる経営 ノウハウや運営スタイルを学ぶことができるというメリットがある。事例企業の場合も、 他社での就業経験から学んだことを経営に活かしている。 .... ㈱生活の木(事例 1)の重永社長は、父と相談の上で卒業後大手コンビニチェーンに就職 した。これには店舗網の拡大などチェーン展開の方法を学ぶという目的があり、そこで学 んだノウハウが現在の多店舗展開に活かされている。そのほか、店長を経験したことで経 営者の責任の重さ、商売の厳しさ辛さを身を以って体験した。また、A 社(事例 3)の社長 は大手エレクトロニクスメーカーに就職し、そこで自由闊達に議論が行われる風土、製造 現場を意識した設計の重要性、コストと品質に対する意識などを学び、自社に持ち込んで いる。上田運輸㈱(事例 4)の上田社長は大手通信機器系のソフトウエア会社で、IT 活用 の企業経営における重要性、サラリーマンとして働く人の思い、目線を知り、IT 活用、人 材育成等、現在の経営に役立てている。 ただし、他社での就業期間が長くなると、その仕事が面白くなったり社内で責任ある地 位についたりして、会社に戻るタイミングを失する可能性がある。また、会社に戻っても 他社の方法を押しつけ社内で孤立したり、他社とのギャップを感じて失望するケースがあ る。従って、他社への就職については、予め就業期間を定めることが望ましい。事例の 4 .... 社では、予め期間を定められていたのは㈱生活の木の 1 社であるが、先代の働きかけ等そ れぞれ事情は異なるが、いずれも 3、4 年程度で会社に戻っている。 10 (3)社内外での教育 教育には、実際の業務の中で知識と経験を身につけてスキルを高めていく OJT と、業務 を離れて知識や理論などを学ぶ OffJT がある。事例企業は中小企業大学校での経営後継者 研修受講者を対象としたため、他社での就業後会社に戻り、その後中小企業大学校の経営 後継者コースで学び、本格的に社業に就いている。 (経営後継者研修) OffJT の代表的なコースとして(独)中小企業基盤整備機構(旧中小企業事業団)が実施 する経営後継者研修がある。研修の詳細については事例 8 に記した通りであるが、座学、 ケーススタディ、ゼミナールを通して、経営オペレーションのための知識・技法である「テ クニカルスキル」の習得、経営者として重要な、人に働きかけ組織をまとめていく「ヒュ ーマンスキル」、経営理念、ビジョン、戦略的思考能力など「コンセプチュアルスキル」の 習得を狙いとして、ほぼ1年間に亘って実施されている(図表Ⅱ-2-4)。 (図表Ⅱ-2-4)(独)中小企業基盤整備機構 経営後継者研修のカリキュラム編成 □経営 戦 略 □ マーテ ィ ング □ 財務 管 理 □人 的 資源管 理 □ 情 報化 ・ 国際 化 ●企業経営と経営戦略 ●経営戦略概論 ●戦略策定プロセス ●戦略的経営計画立案 ●経営革新と第二創業 ●企業経営とマーケ ティング ●マーケティング 概論 ●マーケティング 戦略策定手法 ●販売分析手法 ●財務と企業経営の 関連性 ●決算書の仕組みの 理解 ●経営分析の進め方 ●資金管理手法 ●設備投資採算計画、 利益計画策定手法 ●人材マネジメント 戦略と組織活性化 ●人的制度設計技法 ●目標管理と賃金体系 ●労働時間と雇用管理 ●人的資源管理を取り 巻く法環境 ●企業経営と情報技術 ●企業情報化の導入方法 ●経営環境のグローバル化 が与える影響 ●効果的な国際展開 モデル □ 経営 法 務 □ 経 営基 礎 ●中小企業を取り巻 く経営環境の理解 ●経営学の概要 ●経営シミュレショ ンゲーム ●生産機能と流通機能 テクニカルスキル ● 経営 オペ レー シ ョン の ため の知 識・ 技法 □ 能 力開 発 □経 営者 マ イン ド開 発 ●企業経営を行う意義・ 使命 ●経営理念、哲学 ●企業経営とビジョン ●経営者の責任、役割 ●ビジネスと法律の関連性 ●契約・取引関連法務 (民法) ●手形・ 小切手法、商法 ●財産管理と法律 ●コンプライアンス経営と 企業の社会的責任 ●事業承継に必要な税知識 コンセプチュアルスキル ● 組織 全 体を 見なが ら 各機 能 や関 連 を見 抜く能 力 ヒューマンスキル ●人 に 働きか け、 組 織を ま とめ て いく能 力 ●経営トップのビジネス マナー ●経営トップのリーダー シップ ●論理的思考による問題 解決 ●戦略的思考と意思決定 ●コーチング ●ロジカルプレゼンテー ション ●傾聴・アサーション ●ファシリテーション (出所)同機構 第 29 期経営後継者養成プログラム パンフレット 事例企業は他社で実務経験を積んだ後、この研修を受講している。財務、マーケティン グ、生産管理等、経営全般の基礎知識を習得でき、経営問題を全体的な枠組みの中で関連 付け、問題解決を図ることができようになったという効果が大きいようである。また、各 後継者は事業承継後、家業を脱し成長していくためには、組織・制度の整備、経営戦略や 11 経営計画が重要であることに気づき、その導入、定着を進めている。具体的な経営に関す る知識の習得もさることながら、このように全体像を意識する経営観、戦略的対応と計画 ... の重要性への気づきの基礎がこの時期に培われたことが研修の大きな成果であったように 思われる。 また、研修参加者はほぼ同年代であり、後継者に共通する悩み、経験などを語り合い、 これを通じて事業承継への不安が弱まり、研修期間中に承継の意思が固まっていくという。 (社内での教育) 研修を終え、会社に戻ってからは OJT により、社内の業務を順次経験している。これは、 自社の現場を知り、業務内容に通じるととともに、従業員とのコミュニケーション、意思 疎通を図り、信頼感を醸成するための重要な機会である。このプロセスは先に述べた、経 営オペレーションのための知識・技法である「テクニカルスキル」、経営者として重要な、 人に働きかけ組織をまとめていく「ヒューマンスキル」を実践的に身につけるための重要 なプロセスである。 やがて地位が上がり役員に就任し権限を委譲され経営業務を経験する。そして入社後 15年程度で社長に就くのが、事例の平均的パターンである。事例から見ると、現場を経 験しながら徐々にステップアップしていくのが承継の望ましいパターンであり、事業承継 は計画性を持って時間をかけて行う必要がある。 .... 計画的な事業承継の例は㈱生活の木(事例 1)のケースで典型的に見ることができる。大 手コンビニチェーン勤務を経て、25 歳で父の経営する会社に入社。経営後継者研修を受講 後、本格的に社業に従事し現場経験を積んだ。その後、33 歳で取締役経営室長に就任し、 ヒト、金、情報に関する経営を任され、対銀行交渉、採用、社内の人事を取り仕切った。 また、39 歳で社長に就任するまでの間に、組織・体制の整備を進めている。父は経営室長 に就任した頃からアドバイスをする立場へと一歩引いて経営を任せるようになり、また、 現社長が経営に集中できる環境を整えるため、時間をかけて計画的に株式の移転を進めた という。 2.4 後継者としての認知 (1)社内外からの認知 後継者として社内外から認知されることも重要なポイントである。新田次郎の小説『武 田勝頼』では、武田家の衰退、滅亡の原因を、後継者を予め明確にし周囲に認知しなかっ たことに求めている。この小説では、信玄が生前に勝頼を後継者とすることを配下の武将 達に周知していなかったため、有力武将が心服していなかったこと(同輩の中での有力者 程度と見做していた)、このため自らの力を認めさせるために戦さを繰り返して一時は勢力 を伸長させたが(同時に多くの費用を費やし、重課により領民の信望を失ったともされる)、 最終的には劣勢な長篠の戦いに突入して大敗を喫したと描いている。勝頼は決して凡庸な 12 頭領ではなかったが、後継者として認知されていなかったことが焦りを招き、武田家衰退 の大きな要因となったと描いている。 後継者が社内から認知されていなければ、求心力と意思統一の欠如、経営トップに必要 な情報が集中しない等の事態が起き、組織力を弱めてしまう。また、意思決定の円滑さを 欠き、意見対立などから内紛に至る懸念、さらに中核的人材の社外への流出などにより、 競争力が低下する懸念もある。このような危険を防止するためにも、人間関係、信頼関係 を構築し、また、後継者が経営者として適正な資質を保有することを証明する機会を設け る必要がある。このような意味でも、社内教育におけるジョブローテーション、権限委譲 などは重要なプロセスである。従業員の歓心を得るために迎合する必要はないが、この間 に従業員との間に信頼関係を形成するよう努め、活発な意見交換、オープンな企業風土を 醸成するよう努力しなければならない。 また、販売先や仕入・外注先、金融機関などの外部からの認知も重要である。面識がな い人が突然社長になった場合、経営方針、経営者としての力量などが未知なために、取引 継続に対して不安を抱かれる場合がある。従って、後継者に権限委譲をする時にはこのよ うなことも考慮し、営業、仕入・外注、対銀行取引などに関連する部署を経験するように、 配慮することが望ましい。 A 社(事例 3)やニシハラ理工㈱(事例 5)のケースでは生産関係の部署を主に経験し、 この間に主要な販売先や仕入れ・受注先との面識を得た。他方、財務・資金などの部署は 未経験だったが、ベテランが社内に残っていたことなどが、取引銀行の信頼を得たようだ と語っている。事例でみる限り、製造業では後継者が生産関係の部署を担当することが多 く、財務、総務・人事などのセクションを経験していないが、このような場合未経験の特 に重要部署については、信認が厚い補佐役が配置されていることが重要である。 (2)経営理念、方針について 経営理念は経営者が保持すべき価値観と事業展開の方向、従業員に求めるものを明ら かにしたものであり、選択を求められたときの拠り所である。例えば、マネをしない独自 のものをという企業理念を持つ企業は、世の中に良く売れ、儲かるものがあっても、単純 にそれを仕入れ、販売するという行動にシフトすることはしない。先代と後継者の間で価 値観や経営方針が大きく異なると、従業員の働く動機、仕事の内容、進め方などに混乱が 生じ、経営に大きな支障が生じる。従って、事例企業では、技術重視、顧客第一、感謝と ........... 奉仕、マネをしない独自のもの等、先代の理念を引き継いでいる。もっとも、事例企業で は、先代の時代には理念の原型はあっても従業員に明示されていない場合が多かった。そ こで、 「明るい豊かな社会の実現を目指すと共に、全社員の物心両面の幸福を追求する」 (上 田運輸㈱)、 「厳しさとやさしさの融合」「一人一人の責任ある仕事によってお客様に喜びと 感動を与え、共に幸福になる」(重光産業㈱)、 「信頼される技術と誠意」(ニシハラ理工㈱) など、後継者の代になってその精神を基に、新たな価値観や方針を付加して経営理念とし 13 て制定、明示している。 ただ、経営理念は存在するだけは実質的に機能しない。事例企業は経営理念の重要性を 理解し、経営理念に照らしながら行動指針、経営計画などへと具体的に展開している。 (3)古参経営幹部との関係 事例企業のケースでは、多くの企業が先代が創業者にありがちなワンマン経営の弊害(役 員・従業員には指図どおりに動けばよいという体質があった)から脱し、役員・従業員が 権限と責任に基づいて目標達成に向けて担当業務を遂行するよう組織などを変革している。 この過程で変化についていけず職を辞した役員や従業員が存在した。 古参幹部とはできるだけ意思疎通を図り、支援、補佐を受けることが望ましく、意見の 違いある場合には納得するまで話し合う必要がある。しかし、認識、方針が異なり、納得 を得られない場合には、万やむを得ずやめさせる決断も必要となる。 2.5 株式の集中 中小企業では、個人保証も含めて個人資産が事業に投入されることが多く、経営者の資 産と事業が密接不可分の関係にある場合が多い。また、株式が分散している大企業とは異 なり、中小企業では少数の株主に株式が集中するため、役員選任などの重要事項に対する 介入を防ぎ安定した経営権を確保するためには、株式の過半数ないし 3 分の 2 以上を経営 者やその同族が保有することが必要になる。 事例企業の中には、承継時点において役員・従業員株主が存在し、同族以外に株式が分 散していたケースがある。経営者はその状態でも経営自体には特段支障はないと考えてい たが、将来に亘って考えると会社との関係が疎遠な株主が増加し経営に支障が生じる可能 性があるため、経営者が株式を買い取り、持株比率を増加させている。また、同族といえ ども、将来的には関係が希薄化していくため、これを嫌い経営者及び同族の中でも身近な 親族に株式を集中している。 事業承継には個人資産の相続という面があり、親族間の紛争の種となる危険性がある。 紛争を防止するような十分な調整の下に、現預金や有価証券等流動性の高い資産は兄弟姉 妹が相続し、後継者は株式や事業に係る資産を相続するなど、事業運営に支障を来たさな いような考慮が必要である。なお、この観点からは、種類株式を利用して議決権を制限し た株式、拒否権付株式等、経営権と資産を分離する形で対応することも検討の価値があろ う3。 3 企業は、通常の株式のほか、定款で定めることにより権利内容の異なる種類株式を発行す ることができる。取締役の選任・解約に関する議決権などを制限した「議決権制限株式」、 重要な事項については、株主総会の決議のほかにその株式保有者の同意が必要となる「拒 否権付種類株式」などを発行することができる。後継者に経営権を集中するためには、後 継者以外の親族に議決権制限株式などを保有させ、後継者には普通株式のほか「拒否権付 種類株式」を付与するなどの方法がある。 14 また、業績が良好な企業では、自社株式の評価が高くなり相続税を借入で調達しなけれ ばならない場合があることに留意する必要がある。なお、税制改正により、自社株にかか る課税については納税猶予が認められることになり、相続税問題の緩和に寄与することが 期待される 4 。 3.事業承継と経営革新 環境変化に対応し、あるいは先取りして事業内容や組織など、経営変革が必要になる場 合がある。しかし、社内、社外との旧来のしがらみや過去の成功体験など、事業転換、組 織改革等にとって障害となるものがある。また、これまでの経験などにとらわれ、変化が みえにくいこともある。 後継者の場合そのような制約が少ない。また、育った時代環境が異なること等から新た な発想で事業を見詰めることができるため、事業承継を契機として第二創業を進めること ができる。 A 社(事例 3)は、90 年代半ば、現社長が企業を引き継いだ頃にバブルの崩壊、大企業 の海外生産の急激な進展に遭遇した。同業他社が次々と海外生産を開始し、同社もアジア での生産に踏み切るか否かの決断を迫られたが、現社長が海外を視察し考え抜いた結果、 国内生産を続ける決断を下した。ただし、当時主力としていた量産品では同業他社、海外 生産との競合が激しく存続困難と判断し、多品種少量で高付加価値を実現できる特殊品を 目指すこととした。社内全体が一致団結してこれに取り組むために、これを体現する象徴 的かつシンプルな標語として「『大きい、小さい、面倒くさい』を迅速に」を制定した。こ の路線転換の結果、同社は先端分野で高い評価を得、地域の雇用にも貢献している。 ㈱生活の木(事例 1)は、陶器卸・小売からハーブ・アロマテラピー関連事業へと事業内 容を転換し、心の安らぎ、豊かさを求める生活者のニーズをとらえ、堅調な業績が続いて いる。古参社員の中には陶器事業へのこだわりから新規事業の拡大に不本意で辞めた人も いたが、その中で新事業に手ごたえと面白さを感じた社員が残り、現社長が採用・育成し た社員と共に新事業への転換を進めた。 ...... 重光産業㈱(事例 2)は、先代が地元中心に展開していた味千ラーメンのFCチェーンを、 チェーン展開のシステムを強化し、中国を中心とする世界へと拡大している。また、上田 運輸㈱(事例 4)は、新規参入が多く競争の激しい運輸業界にあって、通関業務、輸出入代 行サービスなどグローバル化の進展をにらみ、他社との競合が少なく差別化できる分野を 開拓し、事業拡大を進めている。 めっき専業メーカーのニシハラ理工㈱(事例 5)も鉛フリーへのいち早い対応、部品の軽 「中小企業経営承継円滑化法(略称)」(2008 年 10 月 1 日施行)により、取引相場のな い株式の評価について、一定の要件を満たす場合に自社株にかかる相続税額の 80%が納税 .. 猶予されることとなっている(2009 年度税制改正によりこの制度が創設され、2008 年 10 月 1 日以降の相続について遡及適用される予定)。 4 15 量化・小型化に伴う実装時の不具合を解消するめっき技術の開発など、高度化する顧客の ニーズに応え、技術と品質で顧客の厚い信頼を獲得している。また、顧客の製品企画・開 発段階から試作、量産まで、めっき専業メーカーとしての技術とノウハウでサポートする プロセス・サポート・エンジニアリングに力を入れている。 これらの企業にほぼ共通しているのは、経営者の力に大きく依存する家業では発展を望 めないと考え、家業からの脱皮に取り組んだことである。組織を改革して責任者を定め、 経営計画を導入、目標達成に向けて役員、従業員が責任を持って行動するよう、制度を改 めている。計画策定には各部門の従業員が参画するなど、現場の意見が反映される場合が 多い。また、従業員が生き甲斐を感じ、活き活きとして働ける企業風土など、従業員の創 意工夫、自立性を促し、従業員を重視する姿勢が認められることも共通している。 「新しい酒は、新しい革袋に盛れ」 5 という諺がある。古いという理由ですべてを否定す ることは正しくない。しかし、新たな事業展開に踏み出す時には、組織、意識の変革が必 要となる場合が多い。このような意味で、事業承継は企業活性化・発展の新たな礎、第二 創業の契機としても重要である。 (補 足) (役職員への事業承継について) 今回の事例では子への承継以外に、役職員からの登用に関連して B 社、C 社からお話を 伺うことができた。事例のポイントは次の通りである、 B 社(事例 6)のケースでは、内部昇格による事業承継を予定し後継者を育成していた。 しかし、後継候補者の後から入社した常務の実力が勝っていたため、候補者が自信と意欲 を失い承継を辞退した。また、その常務も独断専行型で社内の人望がなかったため、結局 は子息が事業を承継し、新たなブレーンと共に新体制で経営に当たっている。このケース では、親族以外から後継者を登用する場合、能力、実力に優れ、衆目の評価が一致する人 物を登用しないと、承継が不調に終わることを示している。 これに対して、C 社(事例 7)は内部から昇格した社長が経営の任に当たり、堅調な業績 が続いている。C 社は創業者一族から分離独立した会社であったこと、株式が役職員等に広 く分散しており、特定株主の意向が経営を左右する可能性が低いこと(経営者の経営自由 度が高い)、社長は常務から昇格したがその実力について衆目の認めるところであったこと、 などが内部昇格者による承継、事業引継ぎを可能にしている。また、今後の承継を考慮し、 賃貸していた本社工場の期限切れと共に、新たに土地、建物を取得し、個人資産の担保提 供が不要となる条件を整えた。借り入れに際しての個人保証も行っていない(業績が良く、 安定していることも理由である)。個人保証や個人資産の担保提供が必要となると、経営候 5 新しい思想や内容を表現するには、それに応じた新しい形式や方法をとるべきだという 意。新約聖書の「新しいぶどう酒を古い革袋に入れると、ぶどう酒は革袋を破りぶどう酒 も革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ」から来ている。 16 補者が限定され有能であっても後継者に登用できなくなることを避けるためである。 役職員の内部昇格の場合、能力評価を含めてその正統性に対して特に同僚間での不満が 発生しやすく、有力役職員の退社等、社内の統一、統制などの面で問題が生じる可能性が ある。また、個人保証や個人資産の担保提供なども問題となる。本人が了解しても家族の 反対に会うことが多く、会社が充分な資産を持つなど負担を軽減する対策が必要となる。 また、経営者の親族が成長するまでの中継ぎ的な登板の場合は別として、株式が経営者 以外の特定の株主に集中していると、主要株主との対立などにより重要な経営決断を下す ことができず、結果、対策が遅れるなど経営の機動性を確保できない恐れがある。従って、 株式の観点からは株式の分散、経営と企業所有権の分離の確保など一定の条件が必要とな ると考えられる。 17 〔事例の概要〕 事例 NO 社名 事業承 他社就 入社後社 継者 業経験 長就任ま の有無 での期間 子 1 有 14 年 事業の特徴等 先代が営む陶器卸・小売からハーブ・アロマテラピー関連事業へ転換。 「自然・健康・ 楽しさを提供する」を経営理念に 90 店舗の直営店、通信販売、卸売などを通じて製 ㈱生活の木 品を供給、同事業に関連するカルチャースクール運営なども行う。 子 2 無 約6年 先代がつくった熊本ラーメンの源流の一つである「味千ラーメン」を、国内外に FC 展開。立地に合わせたメニュー構成、店舗規模・設計など FC 店との相互利益の精 重光産業㈱ 神で事業を展開。 3 A社 4 上田運輸㈱ 子 約 11 年 光学高性能レンズを主力製品とし、量産品を手がける他社と一線を画し、小ロット、 多品種、高付加価値品をターゲットに国内で事業展開。 子 子 5 有 ニシハラ理工㈱ 有 有 約8年 先代が起こした貨物自動車運送事業をベースに、通関業務、輸出入業務の代行サー 14 年 ビスなど、他社と競合しない高付加価値分野のサービスを強化・拡大している。 ... 技術と品質で顧客の厚い信頼を得ているめっき専業メーカー。製品の企画・設計か ... ら試作、量産までのあらゆる段階で、めっきに関するノウハウを活用し顧客をサポ ート。 6 B社 7 C社 子 ... 社内で後継者を育成したが、他に実力に勝る役員がいたため、社内の関係がいびつ となり不調に終った。最終的に子が承継し、新体制で事業を推進。 内部昇 社内で頭抜けた存在だった常務が社長に就任、業績を立て直した。会社が資産を取 格 得し、個人保証、個人資産の担保提供など事業承継への障害を軽減。 18 事例1 株式会社 生活の木 訪問日:2009 年 1 月 29 日(木) 代表取締役社長:重永 創業:1955 年 忠 氏 所在地:東京都渋谷区 業種:ハーブ・アロマテラピー関連事業(開発・製造・販売、カルチャースクール運営等) 従業員数:450 名 1.事業承継の経緯 (事業の概要) 自然の恵みであるハーブを活用した、自然、健康、心の豊かさの提供をコンセプトに事 業を展開している。アロマテラピーに関連する原材料の輸入、製品企画・開発・製造、販 売までを一貫して行い、全国に展開する 90 店舗の直営店、通信販売、及び卸売により製品 を供給しているほか、アロマテラピーに関するカルチャースクールを 18 校、インド・スリ ランカの伝統療法であるアーユルヴェーダのトリートメントを提供するサロンなども運営 している。 未曾有の不況時においても、心のやすらぎ、豊かさを求める生活者のニーズをとらえ、 業績は堅調に推移している。 (社長就任までの経歴) 社長は現在 48 歳。大学卒業後、大手コンビニエンスストアに入社、3 年間の勤務を経て、 25 歳頃に父が経営する会社に入社した。入社後、まず 1 年間、中小企業大学校の経営後継 者研修で経営を学んだ後、本格的に社業に従事した。 (入社動機等) 高校時代にアルバイト代わりに家業を手伝い、工夫すると顧客の手ごたえを実感できる 商売が面白いと感じた。同社は、陶器の卸・小売を行っていたが、企画・開発を行い販売 する SPA=製造小売的な業態であった。ブレーンをつくりそれを広げ、得た情報を基に共 に考え、企画・開発に取り組む父たちの仕事振りを魅力に感じ、いずれは事業を継ぎたい と考えていた。ただし、家業である陶器の卸・小売に興味があったのではなく、事業を行 うことそれ自体に興味があったのだという。これが、後の取扱製品の転換、ハーブ関連ビ ジネスへと事業分野の変更につながっていく。 (他社勤務から学んだこと) 大学卒業後、コンビニエンス・ストアに就職したのも、父と相談のうえ決めたことであり、 店舗網の拡大などチェーン展開の方法を学ぶ目的があった。また、父との間で、期間は予 め 3 年間という取り決めがあった。 19 店長も経験したが、パートが休んだときには 24 時間働きづめとなることがあり、また、 冠婚葬祭にも思うように出席できないなど、店舗経営の難しさ、商売の厳しさを身をもっ て学んだ。また、店舗運営システム、フランチャイズの展開方法、出店戦略などを学び、 予算 BS、PL の作成を通じ、財務管理の重要性を認識した。 (事業承継) 社業に本格的に取り組んでからは、現場での全ての実務を経験した後、33 歳で取締役経 営室長に就任し、ヒト、金、情報に関する経営を任された。対銀行交渉や採用、社内の人 事、社長に情報が集中しかつ社内で情報が共有される情報システム作りを行った。 2001 年、39 歳で社長に就任したが、それまでの間にコンサルタントの力を借り、人事、 給与、人事考課等の制度を整備した。また、自ら手がけてきた商品開発、営業等を担当す る専門部署を創設し、各部署に統括者を置くなど、会社として機能するための組織づくり を進めた。経営者一人がすべてを仕切り、引っ張っていく家業では、成長の限界があるた めであり、家業から企業への変革に取り組んだ時期であった。 先代は現社長を経営室長に登用した時から、アドバイスする立場へと一歩退き、経営を 任せるようになったという。また、現社長が経営に集中できる環境を整えるため、時間を かけ計画的に株式の移転を進めた。親族等の株式を買い取り、設立した持株会社に株式を 集中し、現社長を持株会社の主要株主とすることにより所有と経営の一致が図られた。 このようにして、時間軸に沿ってプランニングされた事業承継により、社長に就任した ときには、内外ともに後継者としての信認を充分に獲得し、また、経営支配権も確立して いた。 2.事業承継と経営改革 (新たな事業分野の拡大) 組織・体制の整備による家業から企業への変革、会社の基礎作りとほぼ平行して、新規 事業の拡大、そして事業転換が行われた。ハーブ関連事業はすでに先代の頃から用途開発 などに着手していたが、約 15 年前、現社長が経営室長に就任した頃から事業として取り組 むこととなった。そして、社長就任時期と相前後して、商品開発、店舗出店など、新規事 業分野への取り組みを本格的に進めた。 古参社員の中には従来からの取扱品である陶器事業へのこだわりが強く、新規事業の拡 大に不本意で会社を辞める人も何人かいた。その中で、新事業に手ごたえと面白さを感じ る社員が残り、また、人事を担当した頃に採用した社員が育っていた。これらの社員が中 核となって新事業への転換が進んだ。 社長に就任した頃は事業転換の途上であり、従来の主力製品から新事業へとシフトして いた時期であったため売上が低下していた。このため、赤字でのスタートとなった。しか し、新事業に特化した後、事業は急速に成長した。2008 年の年商は 01 年の 3 倍以上、従 20 業員数も 143 名から 441 名へと増加し、この間増収増益が続いている。 ①新事業がやすらぎと豊かな心を求める生活者のニーズを捉えたこと、②「文化創造企 業」として新製品の企画・開発、カルチャースクールの開催などにより、自然の恵みを取 り入れた生活スタイルなどを提案、発信するとともに、顧客との交流を通して生活者のニ ーズを受容し、CS(顧客満足度)の向上が図られていること、③社員が活き活きと楽しく 働ける職場風土、好きなことへの挑戦を奨励する企業風土など、ES(従業員満足度)の向 上を重視する経営方針とこれによって実現される高いモラール、これらが相俟って新事業 を成長させる原動力となっている。 (経営理念づくり) 経営理念は企業の行動を律し、事業の展開方向を規定する重要なものと考えている。こ のため、経営理念を明示しこれに基づいて、事業目的、経営姿勢、価値基準などを具現化 している。経営理念の大前提は「自然・健康・楽しさを提供する」ことであり、これを通 じて顧客の満足度向上、社員の生活を豊かにすることなどが、掲げられている。 また、経営姿勢では、 「マネをしない独自のものを」、 「一環流通体制」 、 「コンシューマー・ インの商品・サービス開発」などが掲げられているが、これらは先代時代に明示されてこ そいなかったが、単なる卸売ではない製造小売として企画・開発・販売などの企業行動の 中で実践されていたものであり、それがなければ、安易に売れるものを仕入れて売ること になりかねなかった。その意味では、基本的な経営理念は実質的に現在にまで受け継がれ、 新事業の展開の中でも、企業の DNA として生き続けているといえる。 経営理念は事業の中で実践されてこそ意味がある。そこで同社は次のステップとして、 中長期、短期の経営計画を作成、実行に取り組んだ。計画は定性的、定量的に作成され、 今では社員が作成に参画し、今期なすべきことを明確にし、自主的に行動するようになっ てきたという。 3.その他 (経営後継者研修を受講して) 現社長は入社後、ほぼ 1 年近くに亘り、中小企業大学校の経営後継者研修を受講した。 学んだことについて自社の状況を担当者に照会し、財務、人事、自社の課題、改善案など を実践的に考えることができた。また、ここで学んだことが、組織、諸制度の整備、経営 理念、経営戦略、経営計画の重要性を認識することなり、後に経営改革を進める契機とな っている。 同期生の殆どは後継者候補として同じ境遇にあり、古参社員との関係、銀行との付き合 い方、苦労話、経営陣としての悩みなどを聞くことができたことも、得がたい経験となっ た。 21 (ネットワークの重要性) 社長は隔月で年 6 回交流会を主催している。経営者や芸術家など分野を問わず、情熱を 持って何かに取り組んでいるヒトが参加する交流会である。回数を重ねほぼ 50 回になる。 会を主催しているのは、人との交流が好きで、多様な分野の人材と交流できることが楽し いからである。このほかにも経営後継者研修の OB のネットワークなどがあり、能動的に 自らネットワークをつくるように行動している。 自分一人でできること、得られる情報には限りがある。仲間が増え、輪が広がることで 活動できる世界が広がる。多様な視野でものをみることができ、生活や経営のヒントも得 ることができる。事業で必要が生じた場合には、それに近い分野の人にアクセスし、教え を受けることができる。ネットワークの存在は、経営、生活面で重要なものだと考えてい る。 (後継者問題) 父が承継を進めやすいように準備してくれたように、後継者への円滑な承継を重要な経 営課題と考えている。事業承継は 10 年単位で進める必要があると考え、税理士、銀行、コ ンサルタントなどと相談しながら、既に株式の取扱など承継の準備を進めている。 子息が事業を引き継ぐ気になるためには、経営状態が良いだけではいけない。事業経営 を自らの生き方として選択するだけの魅力があることが重要である。事業を通じて活き活 きとした楽しさを感じることができ、また独自の分野で力を発揮できるような、魅力的な 事業づくりを行うことが、後継者確保の王道だと考えている。 事例2 重光産業 株式会社 訪問日:2009 年 2 月 12 日(木) 代表取締役:重光 創業:昭和 47 年 克昭 氏 所在地:熊本県熊本市 業種:飲食業(ラーメンチェーン店展開) 従業員数:64 名 1.事業承継の概要 (事業の概要) 先代がつくった熊本ラーメン 6 の源流の一つ、 「味千ラーメン」を国内外にFC(フランチ ャイズ)展開している。国内に 105 店舗、中国を中心とする海外に 330 店舗(08 年 11 月 現在)を展開、熊本の味、のれん、伝統を大事に守りつつ、日本の味「ラーメン」の市場 6 乳白色の豚骨スープ、ニンニクに褐色のたれ「千味油」を加え、豚骨スープにコクと風味 を醸し出したラーメンが熊本ラーメンの特徴であるとされている。 22 を海外にまで拡げている。 (社長就任までの経歴) 重光社長は 1968 年生れ、現在 40 歳である。97 年、父の死去に伴い 28 歳の若さで社長 に就任した。大学卒業後、父が経営する会社に入社した。父はラーメンのスープづくりを 研究しその味を基にラーメン店を FC 展開、店舗数は当時 200 店に達していたという。将 来は事業の後を継ごうと考えていたが、一旦大手飲食チェーンへ就職し、そこでチェーン 展開のノウハウ等を学ぶつもりであった。しかし、父が 60 代後半と高齢であり、父の下で 働いて早く会社経営に携わった方が良いという周囲の声が強く、同社に入ることになった。 入社後直ぐに直営店の店長を経験した。その傍ら毎月 1 週間、数ヶ月に亘って中小企業 大学校が実施する経営管理者研修を受講した。経営全般に亘る知識を身につけたほうが良 いという父の判断だった。店は順調だったが、忙しい中で時間を割かれるのは辛く、また 経営実務に携わっていなかったので専門的な研修について行くのは大変だったが、受講者 は 40~50 代の経験に富んだ経営者が多く、経営実務や経営体験談などを教えてもらい、有 意義な経験をした。 25 歳の時、同じく中小企業大学校が実施する経営後継者研修を受講した。ほぼ 1 年間に 亘っての泊り込みでの研修であり、商品開発、人事・財務管理などを、短期間で学ぶこと ができた。 研修後会社に戻り、店舗の第一線から離れ常務となり営業を担当した。FC の巡回指導、 新規オープンの手伝い、加盟店の募集のほか、配達、百貨店の催事、イベントへの参加な ど何でもやった。 97 年、28 歳の時に父の死去により社長に就任し、FC200 店を展開する会社の経営全般 に亘り責任を持つ立場になった。社内では入社後 6 年を経ており、多くからは後継者とし て認知されていた。中には不安を抱く取引先もあったが、FC 店の巡回指導を行いチェーン 店の経営者との面識があったこと、年 2、3 回行われる納入業者との会合にも出席していた こと、また、父のブレーンも残っていたことから、取引先も安心し特段の問題は生じなか った。総務などの管理畑、スープや麺をつくる製造は経験していなかったが、これもブレ ーンの補佐を得て特に支障はなかった。 (株式の保有) 株式は相続により社長が約半分所有し、同族で 100%を保有している。姉には換金しやす い資産を相続してもらい、株式等会社経営に関る資産は社長が相続した。相続税が発生し たが、資産の殆どは自社株式であるため売却できず、借金をして税を支払った。今でも、 流動性に乏しい中小企業の自社株式が課税対象となることに釈然としない思いを抱いてい る。 23 2.事業承継と経営改革 (まずは現状維持に努め、体制を整備) 社長就任当時、店舗は熊本を中心に九州に展開されていたがほぼ飽和状態にあり、成長 するためにはエリアを拡大する必要があった。しかし、味を守り、質の均一性を維持しな がら店舗を拡大することは難しい。このため、2、3 年は現状維持に努めたという。周囲か らは父と同レベルでの能力を期待され、経営者としての重圧と責任を感じた。しかし、や がてそれは無理と割り切り、できるところから少しづつ変えようと考えるようになった。 .... .. まず、着手したのはイメージの変更だったという。ロゴをラーメンから拉麺に変更し、 ....... ...... 看板も黄色地に赤文字から赤地に黒文字に変えた。外装も板を多用した和風っぽい雰囲気 に変えた。またこの間に、従来から行われていた FC 店の支援・教育指導、店舗での麺など の材料保管、工場でのスープ、麺、食材の製造と物流などについて、多店舗展開と味の均 質性を維持するための体制見直しが行われたものとみられる。 実際、97 年以降 4~10 店舗程度だった新規出店は、2001 年 14 店、2002 年 18 店、2003 年 27 店と大幅に増加している。海外への出店が加速し、国内での出店エリアも拡大してい る。 (海外展開) 同社は中国での FC 展開に成功したが、重光社長はその要因として、味を守れたこと、信 頼できるパートナーを確保できたことを挙げる。94 年に台湾、95 年北京に出店したが、そ の時は、現地のパートナーに恵まれなかったこと、味を現地好みに合わせすぎたために失 敗したという。その後、96 年に中国の貿易会社社長らから FC 展開の申し入れがあり、現 地パートナー2 社との合弁で、味千(中国)控股有限公司の前身となる現地法人を設立した。 今度は味を変えず、現地パートナーも質の維持、FC 展開に積極的に取り組み、急速な店舗 展開が進んだ。味千(中国)控股有限公司は 2007 年香港市場に上場し、飲食店の成長企業 として評価されている。重光産業は上海郊外の工場でスープを製造し FC 店に供給、店舗展 開・運営は現地のパートナーに任せているという。 中国での急速な拡大は氏の社長就任以降のことだが、それ以前に既に布石となる店舗、 意欲的で信頼できるパートナーが確保されており、たまたま拡大する時期に巡り合っただ けと語る。しかし、それを受け継ぎ中国での拡大を決断、展開に必要な仕組みを整え、そ して日本のラーメン=豚骨ラーメンという意識を定着させたのは、現社長の手腕によると ころが大きいと考えられる。 現在、中国を中心に、シンガポール、タイ、インドネシア、アメリカなどに展開してい る。原点である「味千ラーメン」の味を守り、安全で安定した味を供給することを基本と しつつ、現地の素材や食文化を取り入れた新商品を開発して、現地の人々に受け入れられ ている。熊本の味「味千ラーメン」を世界に広め、世界中のよりよい素材を「味千ラーメ ン」にフィードバックすることも将来の視野に入れている。 24 (FC とは相互利益の精神) 国内 FC については、同社で予定地周辺のマーケティング調査、立地条件に即したメニュ ー構成、店舗規模等の提言、損益試算を提供し、オーナーを交えて店舗設計を行う。FC 本 部は麺、スープなどの食材を提供し、味、サービスなどについてスーパーバイザーが定期 指導を行う。 ロイヤリティは固定制で月 1 万 5 千円と低額である。通常 FC では売上高に対する比率 でロイヤリティが定められる。これに対し、同社が固定制をとっているのは店に利益がで る仕組みでなければ関係が長続きしないし、味を守るために必要な信頼関係が結べない、 という父の代からの考え方を踏襲したものである。 重光社長は信頼と協力を大事にし、 「食材の供給だけでも利益は出ている。お互い協力し て店が繁盛してくれればそれでいい」と語っている(日経ビジネス 2009 年 1 月 26 日号)。 これは中国ビジネスについても同じであり、味千(中国)控股有限公司の売上は 120 億円 (2007 年)に達しているが、重光産業の海外収入は 3 億円程度に止まっている 7 。 (経営理念) 先代の頃には社訓として「感謝と奉仕」があり社内に浸透していた。重光社長はこの社 訓を踏まえて、「厳しさとやさしさの融合」、「一人一人の責任ある仕事によってお客様に喜 びと感動を与え、共に幸福になる」という経営理念を定めた。目標として経営方針と経営 計画を策定し、これに基づいて事業が遂行されるため、経営理念が直接的に意識されるこ とはないが、重光社長は経営理念とは組織が共有すべき価値観であり、事業がそれに照ら .... して外れていないかをチェックする重要なものさしだと考えている。 年度方針では全体の方針を定める。2008 年度の方針は、「オーナー満足度が日本一高い FC を目指す」であり、これを基に営業、総務、製造の各部門が何をやれば良いかを考え部 門ごとに定める。また、経営計画は方針を踏まえて社員参画のもとに作成され、毎年年度 初めの 7 月に発表会を開き、全体、部門ごとに計画を発表している。 このように重光社長は先代の考え、方針を受け継ぎつつ、事業として遂行する仕組みを 整え、伝統の味を内外に広めることに成功しているといえよう。 (現場の声を聞く) 中小企業大学校の経営後継者研修を受けた後、暫く後継者コースの先輩の会社で働かせ てもらったことがある。現場の人が何を考え、会社や経営者をどう見ているのかを知りた いと思い、製造業の現場で従業員の人と一緒に働く経験をした。そこで、経営者の考えが 味千中国から 2007 年に支払われたフランチャイズ手数料、技術指導料は約 8900 万円、 食材などの供給は約 2 億 7 千万円であり、税務当局の担当者から「海外から取るフランチ ャイズ手数料が安すぎる」とまでいわれたという。また、味千中国の潘慰 CEO は、「重光 社長とは深い信頼関係がある。我々のやり方を尊重してくれるし、我々も日本と同じ味を 提供するためとても努力している」 と語っている(以上日経ビジネス 2009 年 1 月 26 日号)。 7 25 現場で理解されることの難しさ、経営者と現場間にはズレがあることがわかった。 この経験から、現場の状況を知りその声を経営に活かしていくことが重要だと考えてい る。経営者と現場とのずれを調整し、乖離を少なくすることが、職場のモラール向上、リ スク回避など事業を遂行する上で重要だと考えるためである。しかし、経営者が全ての現 場を知ることはできないため、現場の本音を伝えてくれるブレーンを持つことが重要だと 考えている。 (経営課題) 飲食業の FC 展開で重要でありかつ難しいのは均質の味とサービスの維持である。そのた めには、FC 店に質の維持・向上に努力してもらうことが重要である。そのためにも、スー パーバイザーによる店舗指導、FC のシステム面の改善等に注力していく必要がある。 また、同じ味に固執していると顧客から飽きられてしまう。熊本ラーメンの原点として の味は守るが、一方で食材、調味料などを工夫し、顧客の嗜好の変化等に合わせて変えて いく努力、新商品の開発も重要である。 3.その他 (後継者の確保には夢が必要) 子供は親がいやだと思ってしている仕事を継ぎたいとは思わない。親が夢を持ち、子や 従業員に語り夢の実現に向けて頑張っている姿を見れば、子にその気持ちが伝わり親の夢 を引き継いで実現しようと考えてくれるのではないか。親が会社をどうしたいか考え、夢 を持つことが、先ず大事だと思う。 事例3 A 社 訪問時期:2009 年 1 月 創業:1929 年 会社創立:1949 年 業種:光学部品製造 従業員数:約 360 人(含むパート) 1.事業承継の経緯 (事業の概要) 同社は、半導体、液晶製造装置などの産業機械や、デジタルカメラなどの映像用機器用 光学高性能レンズを主力製品としている。量産品を手がける他社と一線を画し、小ロット 多品種、高付加価値品をターゲットとしている。 26 (社長就任までの経歴) 現社長は現在 51 歳。大学卒業後、大手エレクトロニクスメーカーD 社での 4 年間の勤務 を経て、26 歳頃に同社へ入社した。まず、経営全般について学ぶため、中小企業大学校の 経営後継者研修を受講した後、現場の一社員からスタートした。主に生産関連を担当した が、95 年、前社長の突然の死去により 37 歳で社長に就任した。 (入社動機等) 同社は戦前から光学関連に携わる歴史ある企業であるが、氏が大学卒業後に就職したの はエレクトロニクス関連の D 社であった。エレクトロニクスは、当時光学と最も縁遠い分 野であったというのが D 社を選んだ理由であった。従って、その時点では、社業を継ぐこ とは意識していなかったという。ところがある日、家庭用ビデオ機器の開発を企画してい た D 社、しかも現社長が所属する部署に、突然父が現れた。ビデオ機器に必要な光学レン ズの企業を探していた D 社が父の経営する会社を知り、依頼を受けた父が訪問したという。 これは全く偶然の出会いであった。また、最も縁遠いと思ったエレクトロニクスと光学 の間に関係が生じたことに、社業との運命的な関係を感じ、これが入社を決意する契機と なった。 (他社勤務から学んだこと) D 社では設計等開発関係の仕事に携わった。入社後 10 ヶ月にわたって研修を受けた。当 時の D 社には技術者であっても、製造現場を体験させるという方針があった。研修中には 様々な現場の加工実務を体験したが、これは大学でソフトウエアを学んだ氏にとって貴重 な経験となった。また、本配属後は、設計した図面を現場で修正され戻されるという経験 を何度もした。このような経験を通じて、製品を構成するすべての部品が高い精度である 必要がないこと、高い精度が必要な部分を見極めて設計することの重要性、現場のつくり やすさを意識した設計の重要性、つまり品質とコストに対する高い意識を学ぶことができ た。 また、D 社は画期的な新製品の開発に意欲的なことで定評があり、上下関係、先輩、後 輩の別なく自由闊達な雰囲気で意見を述べ、活発な議論が行われていた。氏は、新製品、 新技術の開発、良いものづくりを追求するには、このような企業風土が重要であると感じ た。 (事業承継) 父の会社に戻ってからは、製造現場の仕事を一から経験することを自ら志願し、現場の 掃除から始めた。先輩達とお互いに言いたいことを主張し、レンズ作りに取り組んだ。議 論にタブーはなく、理想とする D 社に近い自由闊達な企業風土、雰囲気が形成されるよう になった。 27 90 年代半ば、ちょうど企業を引き継ぐ頃に、バブルの崩壊、コストダウンを目的とした 大企業の海外生産の急激な展開が起きた。同業他社も次々と海外生産を開始し、同社もア ジアでの生産に踏み切るか否かの決断を迫られた。 この頃、父が死去した。突然の事態であり、充分な引継ぎ、準備が行われていない状況 での社長就任であった。それまで、殆ど社内で生産面を担当してきたため、総務、経理方 面を経験したことがなかった。対外的には大手取引先との面識がある程度で、後継者とし ての外部関係者への周知が十分に行われていなかった。このため就任直後には、新社長の 経営手腕等を見定めるため、金融機関など多くの関係者が会社を訪問してきたという。し かし、かねての仕事ぶりなどから社内で厚い信頼を得ており、幹部、先輩社員等からの支 援・協力を受けることができた。社内のバックアップにも支えられ、外部との信頼関係も 築くことができた。 (株式の所有状況) 中小企業の特性である機動力を確保するには株式の集中、経営支配権の保持が重要であ る。社長就任時の自社株式の所有は微々たるものであった。二人の姉には主に自社株式以 外の資産を相続してもらい、母と自身が株式の大部分を相続した。現在、50%をやや超え る程度を社長が保有し、母が第二位の株主となっている。相続に際しては多額の相続税が 発生したため、借入で資金を調達した。 2.事業承継と経営改革 (国内での生き残りを決断) 海外生産に踏み切るか否かを決断するにあたり、氏はアジアを視察した。海外での生産 を業として行うことが適切か否かを考えた結果、たどりついた結論は国内で製造業を続け ることであった。国内で生き抜く方法を考え、それを構築できなければ会社を閉めると社 員に明言した。当時主力としていた量産品では、同業他社、海外生産との競合が厳しく存 続は困難であり、多品種少量で高付加価値を実現できる特殊品を目指すこととした。社内 全体が一致団結して取り組むために、これを体現する象徴的かつシンプルな標語として 「『大きい、小さい、面倒くさい』を迅速に」を制定した。 量産と少量生産では使用する設備も異なる。工場内の自動化機械を撤去し、倉庫内で眠 っていた古い汎用機械を引っ張り出し、メンテナンス、改造を行い生産ラインを編成した。 この路線転換について、社内でいろいろな意見があったと思われるが、社内が分裂せず、 一致団結してこの転換を進めることができたという。それまでに築いてきた自由闊達な雰 囲気、企業風土が、この状況の中で有効に機能したものと推測される。徹底的な本音での 議論を経なければ、このような重要な路線転換において、社内のベクトルを揃えることが 難しいためである。 この路線転換の結果、同社は先端分野関連での技術力で高い評価を得ているほか、従業 28 員数も、社長就任時の約 200 人から約 360 人へと増加し、地域の雇用にも貢献している。 3.その他 (経営後継者研修の受講) 入社後ほぼ 1 年近くに亘り、中小企業大学校の経営後継者研修を受講した。経営全般に 亘る知識を習得するためであるが、特に後継者という同じ立場にある多くの仲間と出会え たことが、自身にとって最も有意義だったという。経営者は孤独であり、愚痴をこぼした り相談することができる相手はそういない。このような知己を得たことが貴重な財産とな っている。年一回現役、OB の合同研修会があり、このような輪が続き、広がっている。 事例4 上田運輸 株式会社 訪問日:2009 年 2 月 3 日(火) 代表取締役社長:上田 創業:1952 年 真氏 所在地:石川県小松市 業種:一般貨物自動車運送、倉庫、物流管理サービス、通関業務、輸出入代行サービス等 従業員数:103 名 1.事業承継の概要 (事業の概要) 一般貨物自動車運送、倉庫を柱として、物流管理サービス、通関業務、輸出入代行サー ビス等へと事業分野を拡大している。流通経路の効率化、物流コスト削減、ジャストイン タイムなどの顧客ニーズに対応した最適な物流システムを提供するため、物流システムの 構築、ソリューションサービス、IT 活用を積極的に進めている。さらに、通関業務、輸出 入業務の代行サービスを行うなど、他企業と競合しない高付加価値分野でのサービスを強 化・拡大している。 (社長就任までの経歴) 現社長は 1995 年、33 歳で社長に就任した。大学卒業後、大手通信機器系のソフトウエ ア会社に就職した。将来社業を継ぐものだとは思っていたが、就職に際して、予め将来の レールを定められ生き方の自由度が狭められていることを思うと、本当にやりたいことは 何なのかを考え悩んだこともあったという。ソフトウエア会社を選んだのは、システムエ ンジニアリングが当時の花形だったこと、これからはコンピュータの時代であり、システ ムエンジニアリングの会社で仕事をすることが将来的にプラスになると考えたこと、など が動機であった。 2 年余り勤務した後、25 歳の時に母が急死したため家に戻り、父が経営する現在の会社 29 に取締役として入社した。入社後、得意先への顔つなぎ、人脈形成の意味で、すぐに有力 荷主である地元企業に 1 年半出向した。26 歳で中小企業大学校の経営後継者研修を約 1 年 受講した後、本格的に社業に従事した。社長就任までの間、日中は現場業務に従事しそれ 以外の時間で総務、経理などの仕事を経験してきた。 33 歳で社長に就任したが、会長となった先代がなお経営の実権を握っており、名実とも に社長として経営を差配するようになったのは、就任 1 年後、先代が亡くなった時からで あった。 (他社勤務から学んだこと) ソフトウエア会社勤務では、サラリーマンとして働く人の思いや目線を知った。この経 験から、働く人の意欲向上、活き活きと働くための動機付けが、組織の発展に重要不可欠 であることを認識した。 また、IT の重要性、業務での活用の仕方などへの理解が深まり、IT を積極的に活用した 効率的な物流システムの構築や、顧客への提案など、現在の事業展開に活きている。 (株式の保有) 同社は株価対策も兼ね、投資育成会社から投資を受けていたが、事業承継に伴って株式 の保有比率を高め経営支配権を確かなものとすることで、事業に専念できる環境を整えた いと考えた。そこで先代の株式に加え親族が保有していた株式を取得した。親族といえど も、将来その子息等へ株式が移転し疎遠な関係の株主が増えると、経営に支障が生じるこ とを懸念したためである。現在の株式保有率は社長が 39%、投資育成会社が 30%となって いる。 2.事業承継と経営改革 (組織改革、人材育成へ) 先代の頃は典型的なワンマン経営であり、営業活動、価格交渉、対銀行との折衝など、 殆どすべてに亘り自ら最後の詰めまで仕切っていた。社長に就任した当時、従業員は 50、 60 人程度いたが、先代が決めたことを指示通りに行えば良いという習性が染み付き、人材 が育っていなかった。また、組織面では、社長、専務以外には部長、課長などの中間管理 職を置いておらず、従業員が権限と責任を持って仕事を遂行するという体制になっていな かった。 事業を引き継いだ当時、成長している顧客が多いにもかかわらず自社の業績が相対的に 伸びていないと感じたが、原因は社長の力に大きく依存するこのような家業的な体質にあ ると考えた。そこで、自分で考え、行動できる人材の育成、特に幹部社員の育成を課題と した。 引き継いだ当初は無我夢中であり、3 年ほど経ち経営者としての経験を積み、一段落して 30 からは今後どうすれば良いかという不安に襲われたという。そのような中で、組織の改革、 人材育成などに取組んできたが、改革へと大きく舵をとれようになったのは、承継後 10 年 を経たこの 2、3 年のことだという。 2008 年にはコンサルタントを交え、プロジェクトチームをつくり、新たに経営理念を制 定した。先代の頃は顧客第一など考え方としては漠然とあったが、社内に浸透していると いう程のものではなかった。新たに制定した理念は「明るい豊かな社会の実現を目指すと 共に、全社員の物心両面の幸福を追求する」という理念であり、これが同社の事業方針、 事業展開、経営計画の基本となる。このプロジェクトに参画したメンバーは、将来を担う 中核的な人材であり、社内教育、人材育成の意味もあった。社員へのアンケート等を踏ま えて新たなロゴマークもつくった。 2006 年には新社屋、倉庫3棟を新・増設した。取引先、地域など社外のイメージが高ま ること、家族に対して従業員が誇りを持つことができ、モラールが高まること、有能な人 材の採用、などを狙いとしたもので、自身が社長となった後、初めてともいえる大きな投 資であった。この投資には、家業から企業への転換を象徴する意味も込められていた。 (新たな事業の展開) 運輸業界は新規参入が多く、競争の激しい業界である。その中で、現社長は、同業他社 との競合を避け、差別化できる分野を開拓し、事業拡大を図っている。2002 年には「通関 業者」の許可を取得し、通関業務を開始した。経済のグローバル化に伴い海外との輸出入 が拡大しており、輸出入業務を契機に取引先を開拓し、国内の物流サービスへと拡大でき る可能性も計算したうえでのことである。また、IT を活用した取引先の仕入れから納品ま での物流一括請負なども、積極的に進めている。 一方、以前に参入した産業廃棄物分野の事業はうまくいかなかった。運搬という共通点 はあったが、専業とする企業に比べると中間処理等、事業に重要なノウハウが乏しかった ためである。また、本業と異なるため多額の設備投資へのリスクもあった。 新たな事業については、どこまで投資するか、どこで退くかを見定めながら、ヒトがあ まりやっていない分野で、かつ、保有している経営資源とのシナジー効果がある分野へと 展開する方針である。また、新事業を展開するためにも、組織・体制の整備と人材の確保・ 育成は重要な課題である。 3.その他 (経営後継者研修) 先に述べたように、当社に戻った後中小企業大学校の経営後継者研修を受講し、1 年弱の 短期間で経営全般について学ぶことができた。そのため、経営課題の把握、分析、解決へ のアプローチ方法などの見当がつくようになり、これに沿って社内で検討し課題解決に取 り組んだり、場合によってはコンサルタントに依頼するようになった。また、従業員の研 31 修派遣についても自社の課題に即して適切なテーマやコースを選択している。つまり、経 営の全体像、個々の問題の関連性などに対する土地勘ができたことが、事業展開や問題解 決など、経営の要所々々で役に立っている。 また、研修を通じて事業を継ぐことへの不安が薄れていった。一緒に学んだ同期生は地 域や業種が異っていたため、様々な問題などを率直に話すことができた。どの会社も同じ ような問題を抱えていることがわかり、気が楽になることもあったという。なお、この研 修には現常務も一緒に派遣され、現在、社長の片腕として活躍している。 事例5 ニシハラ理工 株式会社 訪問日:2009 年 1 月 30 日(金) 取締役社長:西原 敬一氏 創業:1951 年 所在地:東京都武蔵村山市 業種:めっき加工 従業員数:160 名 1.事業承継の経緯 (事業の概要) 半導体、電子部品を主体とするめっき専業メーカーであり、技術と品質で顧客の厚い信 頼を獲得している。鉛フリーへのいち早い対応、部品の軽量化・小型化に伴う実装時の不 具合発生を解消するめっき技術の開発など、高度化する顧客のニーズに応えて技術開発の 実績を挙げてきた。携帯電話関連では高い世界シェアを持つ分野を保有している。 (社長就任までの経歴) 現社長は大学で建築学を学んだ後設計事務所に入社し、将来も建築関連の仕事を続ける つもりであった。めっきと全く関係ない分野を専攻したことが示すように、事業を引き継 ぐことは考えていなかった。設計事務所に 5 年余り勤務した頃、父から中小企業大学校の 経営後継者研修を受講するように勧められた。受講するためには設計事務所を退職し、派 遣元となる父の会社に入社しなければならない。迷いはあったが、「研修を受講してもその 後会社に止まる必要はない、どこへ行っても経営の知識は必要であり、事業を継ぐ、継が ないは別にして行ってみたらどうだ」という言葉が背中を押し、父が経営する会社に入社 した。1980 年 28 歳の時である。 研修の同期生の多くは経営者の子息であった。彼らは社業を継ぐことを普通のことと考 えており、その影響で自分も後を継がなければならないのか、と漠然と考えるようにはな ったという。研修終了後、給与、研修費用を会社に負担してもらっていたことへの負い目 もあり、暫くは会社の仕事に従事することにした。会社へ戻った後も 3 年程は会社を辞め る機会を窺っていたが、結婚を機に後継者となることを決心した。 32 入社後、技術開発、品質管理、営業などの部署を担当し、主任、課長などを経て常務へ と昇進したが、父が体調を崩して入院、その後死去したため 94 年 42 歳で社長に就任した。 父は病気治癒後に会社へ復帰する積りであったため、殆ど引継ぎは行われていなかった。 社内では後継者として既に認知されており、主要な取引先とも面識があったため、これら の面では問題はなかった。やや不安だったのは直接的に携わったことがない人事、財務、 経営計画等だったが、ベテランの役職者がいたため支障はなかった。 (他社勤務から学んだこと) 建築設計事務所の仕事は、注文主との打ち合わせから見積もり、完成までを担当し、最 初から最後まで責任を持ってやるスタイルであった。このため、計画をつくり、全体像を 把握し、完成までのリスクを評価し、管理する必要があった。この点は経営にも通じてお り、役に立ったと考えている。 (株式の保有) 理由ははっきりしないが、同社は役員や従業員が多くの株式を持つ非同族的な色彩があ った。社長就任時に所有していた株式はわずかであったが、経営に批判的な株主もいない ため、そのままでも特に事業の運営に支障はないと考えた。しかし、株式売買に際しての 価格評価の問題、時が経つにつれて次第に関係が疎遠な人に株式が移転する可能性がある ため、徐々に社長が株式を買い取り、現在 60%を社長が保有している。社長は自分が株式 を多く保有する必要性は特にないが、その場合にはしかるべき人に保有してもらうことが 重要だと考えている。 2.事業承継と経営改革 (家業から企業へ) 事業の承継には特に問題はなかったが、会社が今のままで良いのかという疑問は持って いた。というのは、先代は創業者にありがちなワンマン経営であり、自ら行動しすべてを 仕切っていたため、従業員は指図どおりに動けばよいという体質があった。しかし、右肩 上がりの時代であればそれでも良かったが、バブルが崩壊し経済が低迷する状況の中では、 従業員が仕事に取組み、自ら考え、工夫し、数字を含めて責任を持って行動することが重 要だと考えた。 そのためには、権限と責任が明確になる組織・制度の整備が重要と考えた。そこで、 ISO9002 の取得に挑戦した。ISO は方針に基づいて定められた規定に則って運営されるこ とが重視される。従って、ISO の導入により管理体系が整備されると考えたためである。ISO を推進し、制定した規定を遵守するためには、リーダーが重要である。そこで、部下等に ISO の導入、規定どおりに実行することの重要性を説明し、納得・遵守させることができ る、行動力と信頼性を備えた人材をリーダーに当てた。こうして ISO の導入、実践を通じ 33 て組織・制度が整備されていった。 (家業から企業へ) ISOを通じて組織は整備されたが、ISOは管理のためのルールであり、ルールを守ること と品質を向上させることは別であった。そこで次の段階では、TPM 8 、品質工学を導入し、 4 年間に亘る現場を中心とした実践的活動と教育を通じて、品質改善、コスト削減に取り組 んだ。 また、社長に就任後 3、4 年経ち ISO を導入した頃に、もはや待っていて仕事をもらえる 時代ではない、取引先への提案が受注の鍵だと考えた。そのためには、事業展開の方向性 を戦略的に考え、従業員に明示し、戦略、方針に沿った経営計画を策定すること、そして 従業員が目標を設定して行動することが重要だと考え、経営計画の策定に取り組んだ。 このようにして、家業から企業へと変革が進められていったが、指示待ちに慣れていた 役員のなかには、変化について来ることができず会社を去る人もいた。一方、変革を社長 と共に考え若手を引っ張るために苦労してきた、当時の部課長級の人たちが現在の経営陣 の中枢を占めている。 (プロセス・サポート・エンジニアリング) 同社の経営理念は「信頼される技術と誠意」である。先代の時代には明文化されていな かったが、昭和 30 年代半ばから続くグループ研修などを通じて、他社に技術的に負けられ ない、納得のいくものをつくりたいという思想があった。この経営理念はそれを明文化し たものだという。 この経営理念は高い技術力を保持することの重要性とともに、技術だけでは顧客との関 係が成立しないこと、人間関係、信頼関係が取引の重要な基盤であることを謳ったもので ある。ここ 7、8 年力を入れてきたプロセス・サポート・エンジニアリングは、この理念を 戦略的に展開したサービスである。これは、製品の企画・開発の段階から試作・量産に至 るあらゆるプロセスで、めっき業として培ってきたノウハウを活用し、顧客をサポートし ていこうとするものである。顧客は、電気特性、めっきの色、熱による変色防止、組み立 てのスピードを上げること等々、様々なニーズを持っている。これを企画・開発段階から それぞれのプロセスで提案し、ともに良い製品を作りあげることに貢献するというもので ある。提案営業が重要と考えるからこそ、何に対して提案するかを方向付ける必要性があ る。プロセス・サポート・エンジニアリングはそれを明示したものであり、「信頼される技 術と誠意」という同社の経営理念を、戦略的に展開し具現化したものである。 提案するためには、顧客のニーズを引き出さなければならない。そのためには人間関係 8 TPM(Total Productive Maintenance)とは、生産システム全体の総合的効率化を追及する企業 体質づくりを目標として、"災害ゼロ・不良ゼロ・故障ゼロ"などあらゆるロスを未然防止する仕組み を現場現物で構築するため、生産部門をはじめ、開発・営業・管理などのあらゆる部門にわたってト ップから第一線従業員にいたるまで全員が参加し、小集団活動により、ロス・ゼロを達成すること。 34 を初めとした信頼関係が築かれている必要がある。また、ニーズに対応できるためには、 普段からニーズをある程度予見した技術開発を進めておくことも必要である。プロセス・ サポート・エンジニアリングでは、技術と誠意の重要性がさらに強く打ち出されたものと なっている。 3.その他 (経営後継者研修を受講して) 経営後継者研修では、ゼミナールで経営計画を学んだことが役に立った。全体のバラン スの中で、事業を展開するプロセスや進め方を考えることの重要性を知った。これが社長 に就任後、組織整備や経営計画の必要性を感じる遠因になったと考えられる。また、ここ での同期生たちとの出会いが、先に述べたように後継者であることを予感する契機ともな った。 (後継者問題について) 社長は現在 57 歳。子息がいるが後継者問題については、今のところ考えていない。後継 者問題に関する目下の課題は、誰が後継者になっても運営できる会社、体制づくりである と考えている。 事例6 B社 訪問日:2009 年 1 月 創業:1968 年 業種:電源装置、充電器、医療機器等設計・製造 従業員数:約 70 名 1.事業承継の経緯 (事業の概要) 変圧器主体に事業を展開してきたが海外等との競合が激化していることから、企画・開 発力を活かし、部品、技術を応用できる充電器、医療機器へと事業分野を多様化している。 (事業承継計画の遅延) 同社は 1968 年、現会長が 30 歳のときに創業し、以来 40 年に亘って社長として経営に当 たってきた。当初の予定では 60 歳で後継者に社長の椅子を譲るつもりであった。しかし、 経営の自由度が高い自立した企業であることを方針としていたこと、電源装置は多くの製 品に使われるという性格があったことから、特定企業からの受注に依存せず、自社製品の 開発・販売や OEM 生産を行ってきた。これらのことから業績の変動が大きく、安定した経 営体制を構築できなかったことが、事業承継の予定を狂わせたという。 35 (社内からの登用を予定) 現会長は親族への承継にこだわらず、子息には自由な職業選択をさせた。次男は会社に 入ることを希望したが、同業他社に就職させた。将来戻ることがあった場合にその経験が 生きると考えたためである。結局、次男は他社で技術職としての経験をした後、94 年に 23 歳で同社へ入社した。最終的に次男に適性があれば後継者とすることもありうるが、この 時点では社内から後継者を登用する方針であった。 (社内に生じた力関係の歪みと承継計画の綻び) 最終的には、2008 年に自身は会長に退き、次男に経営を譲ったが、ここに至るまでには 多くの紆余曲折があった。この間に二名の社長候補者がおり、社内での経験を積ませ、経 営者研修を受講させたが、結局二名とも後継者となることを辞退した。直近の二番目の候 補者のケースでは、後に外部から招聘した常務取締役が、海外事業、新製品の開発に力を 振るい、社内で力を持ったことから事業を引き継ぐ自信と意欲を失ない、後継辞退に至っ たとのことである。 常務は有能であったが独断専行が多く、社内での人望がなかった。短期的に業績を上げ ることに集中し、仕入先や従業員に対する要求が厳しかったため、社内外の不満が強かっ た。また、従業員の福祉と社会に貢献するという同社の経営理念にも反していたため、後 継者とする考えはなかった。 (次男を後継者に) 二番目の候補が最終的に社長を辞退したのは、05 年頃であった。この事態に直面し、最 終的に血族である次男を後継者とする意思を固めた。次男は入社後 14 年間に、技術職を経 て東京出張所の開設に当たり、営業を担当してきたが、本社に戻し専務に就任させた。社 内には専務を次期社長とすることを明らかにし、金融機関などの外部関係者にも後継者と して紹介した。08 年、次男が社長に就任し、そのブレーンを新たに取締役として登用した。 社長は会長に退き新社長を補佐する新体制がとられた。 2.事業承継に際して生じた問題 (旧役員の退任で社内の結束力回復を図る) ここで問題になったのが常務の扱いである。独断専行型の常務が引き続き在任していた のでは、社内がまとまらず経営に支障が生じる。常務が担当していた海外事業で問題が生 じていたこともあり、翌年の株主総会での常務解任を決断した。 (親族以外からの登用の問題点) 事態はこのようにして収まったが、後継予定者が実力的に常務取締役より劣っていたこ ... とが、社内の権力関係をいびつにし、承継辞退という事態をもたらし、事業の承継を遅ら 36 せることになった。また、事業承継の遅れと混乱により社内は統一を欠く状態に陥った。 同社の事例は親族以外からの後継者登用の困難さ、つまり社内で認知されるためには、親 族から登用する場合に増して、後継者としての能力、実力を見定めることの重要性を示唆 している。 現在、同社は新社長とそのブレーンを中心に社内の結束力を回復し、新たな体制の下で 事業の推進に当たっている。 事例7 C社 訪問日:2009 年 1 月 創業:1972 年(親会社の電子事業部門を分離し新会社として設立) 業種:電気関連機器等設計製作 従業員数:135 名 1.事業承継の経緯 (事業の概要) 同社は、電気、電子、電波、電力の応用器具、特に制御に関連する技術をコアとして多 様な分野に事業を拡げてきた。最終ユーザーは官公庁が多く、着実に業容を拡大してきた。 (薄い同族色) 1972 年、親会社の電子事業部門が分離され、同社が設立された。当初は親会社のオーナ ー等が社長を兼任していたが、事業承継を契機に親会社の業績が悪化したことから、親会 社は株式を大手電気会社 A 社に全額譲渡した。 これにより同社は A 社の孫会社となったが、 系列色があると受注に悪影響があることから、経営陣及び一部従業員が A 社から株式を全 額取得し(MBO、EBO)、同社は独立した企業となった。その後段階的に増資を行い、現 在の株主は役員、一部従業員約 37 人、現社長は筆頭株主ではあるが 15%程度を持つに止ま り、同族会社の色彩は薄い。 (社長就任に至る経緯) 現社長は 5 代目である。取引先出身である前社長の高齢化により、経営陣は顧客を中心 にその後継者を探した。しかし、中小企業は個人保証などを行わなければならず、自分の 資産を投げ打つ覚悟がないと引き受けられないことがネックとなり、数人から断られた。 そこで、97 年、常務であり社内 NO2 の地位にあった現社長が 50 歳で社長に就任した。社 内では頭抜けた存在として衆目の一致するところであり、ほぼすべての社員が納得した。 また、現社長は取引先、金融機関等対外的な経営活動を担当していたこと、先代の社長が 引き続き代表権を持った会長に就任したこともあり、引継ぎに伴う対外的問題は特に生じ 37 なかった。また、現社長は従前から会社債務について債務保証を行っていたため、その点 での支障もなかった。 2.事業承継と経営改革 (実質赤字の解消) 引継ぎ時の課題は実質赤字の状態にあった会社を建て直し、黒字転換を果たすことであ った。赤字の状態では、金融機関の信用、協力会社からの仕入価格、大手企業からの受注 等、あらゆる面で大きな悪影響が生じる。そこで赤字を絶対に出さないことを第一の経営 方針とした。 (ヒト、組織の改革) 赤字の根源はヒトにあると考えた。年功序列制により能力面で適正を欠く人が管理職に なり、人材育成も行われない状態にあった。この結果、組織全体が停滞に陥っており、そ れが問題の根源であると考えた。就任後にまず着手したのは、組織の見直しであった。社 員全員と面接し、社員が抱く将来像、要望を聞いた。その結果、社員が年功序列制を望ん でいないこと等がわかり、年功序列的な賃金体系を能力給主体の賃金体系に改めた。また、 部制廃止、グループ制の採用、能力不足の管理職の大量降格、若手の一部のグループ長へ の登用など、実力本位、能力重視の改革を断行した。実行に際しては、降格者、抜擢者、 一人一人と面接し、本人が納得したうえで実施したという。 また部門内、部門間での意思疎通が悪く、聞かれないと教えないという状態であった。 この状況を改善し明るい活気のある職場にしようと、厳しい資金状況の中、一人 3 千円、 年 6 回使用可能な会議費を予算化し、部門内、部門間の意思疎通の場づくり、風通しが良 く、情報が共有される職場づくりに努めた。 社員には国家資格取得を奨励した。技能者には電子機器、電気機器、回路接続の 3 種に ついての国家資格取得を方針とした。初年度の挑戦では全員が失敗したが、全員取得しな ければ製造を止め、アウトトソーシングすることも辞さない覚悟を固め、社内で宣言した 結果、2 年目には全員が取得に成功した。 中小企業は大企業とは異なり、組織力や企業の名前で勝負することはできない。従って、 事業を発展させるためには、大企業に増して、社員一人一人の能力と意欲の向上と、適材 適所への登用が重要となる。人材育成、適材適所の登用などを進めた結果、社内活性化、 技術力向上等の好循環が形成され、業績は引継ぎ 3 年目に黒字転換を果たした。以後同社 の業況は、安定的な拡大が続いている。 現在は、無線技術士、電気主任技術者、電子機器組立技能士、電気工事士などの国家試 験取得を奨励しており、正社員は全員が何らかの資格を保有している。また、技能系だけ でなく、設計関連の資格取得への挑戦も奨励しており、具体的に 8 種類の資格を提示し、 社内での勉強会、研究会を奨励している。 38 3.次期承継に向けて (後継者の決定及び社内外への認知) 現社長は後継者を育成すること、及び企業をベストの状態で引き継ぐことが使命と考え ている。次期後継者を現役員の中から選定し、既に 2 年前に役員会で公表しており、銀行、 主だった取引先、協力会社にも、そのことが伝えられている。 (承継に伴うネックの緩和) 同社は、2 年程前に土地を購入、社屋・工場を新たに建設した。以前の工場は借家であっ たため借り入れに際しては、役員の個人資産の担保提供と個人保証が必要であった。これ では、後継者のみならず役員も対象が限定されてしまい、企業の発展力が損なわれてしま う。新社屋・工場を取得したのはこれを担保とし、役員の個人資産の担保提供、保証負担 を失くすためでもあった。現在同社の借り入れについて、個人保証、役員の個人資産の担 保提供はないとのことである。 また、後継者は経理の経験が乏しいことから、今春には手形を廃止し現金払いとし、財 務管理・経理面での不安をなくすことにしている。 4.経営理念について (経営理念は企業の行動を律する) 同社の経営理念は、時代の変化を的確にとらえ、自己革新を怠らず改革に挑戦し、社会 (顧客)から必要とされる企業であるとともに、従業員の満足度を高めることである。こ の理念に立脚すれば、例えば、受注において量産ものと、高スキルを要し短納期、コスト 的に厳しいもの、いずれかの選択を迫られた場合、後者を受注する行動につながるという。 その取引自体をとれば採算的には厳しいが、取引先の信頼を勝ち取ることができる。さら に、このような受注の採算を改善する企業努力が長期的には自社のスキルの向上につなが る。この結果、取引先から真に必要とされる企業となりうると考えるためである。また、 量産ものを生産すると不況時に従業員を解雇することが必要となり、従業員の満足度を高 めることにはならない。 現社長は、経営理念とは究極の状況下で、企業のあり方、行動を律するものとして重要 視している。但し、後継者が経営理念を引き継ぐことは大事だが、後継者が置かれた状況 の中で、経営方針を体現するために経営理念に変更を加えたり、新たな経営理念を定める ことも必要なことだと考えている。 39 事例8 中小企業大学校東京校 [(独)中小企業基盤整備機構] 訪問日:2008 年 12 月 9 日(火) 面談者:研究主幹 渡辺和幸氏 1.中小企業後継者に関する研修の概要 ①経営後継者研修 (狙い) 経営後継者に求められる知識・スキルの習得、経営者マインドの開発、リーダーシ ップ、問題解決などの能力開発を行う。 ・定員 20 名 ・期間 10 ヶ月、1980 年以降毎年実施しており 2008 年度で 29 回目(関西校でも 21 回実施したが、現在は東京校に集約) ・受講料 1,125 千円 ②経営管理者研修 (狙い) マネジメントの基本、経営ビジョン・戦略の立案能力、創造的なリーダーシップ能 力を発揮するための自己革新など、経営革新を実行、推進するうえで不可欠な、経営 管理者の能力の習得・向上を目的として実施。 既に戦力となっている社員については、長期間に亙って仕事から外し研修に派遣す ることは難しい。経営管理者研修は、このような既に戦力化された経営幹部のために 設けられたコースであり、期にもよるが参加者の 3 割程度が後継者である。後継者の ための専門的、実践的、高レベルの研修としての機能を持つ。 (東京校のケース) ・定員 30 名 ・期間 5 日/月×12 ヶ月(東京校、関西校、それ以外は 6 ヶ月程度のコースを設定) ・受講料 532 千円 2.研修の狙い・特徴 ①経営後継者研修 (狙い、対象) 座学、ケーススタディ、ゼミナール等を通して、経営オペレーションのための知識・ 技法である「テクニカルスキル」の習得、経営者として重要な、人に働きかけ組織をま とめていく「ヒューマンスキル」、経営理念、ビジョン、戦略的思考能力など「コンセプ チュアルスキル」を習得することが、研修の狙いである。 原則 22 歳以上 35 歳以下の経営後継者候補、あるいは経営幹部候補で、自社での実務 40 経験が2~3 年程度の人を対象とした研修である。他社勤務を経て自社に戻ったが後継者 となる意思が定まらないなど、事業を継ぐことに迷いを持つ人が多い。 (研修効果-後継者としての意思が固まる) 派遣企業は後継者としてのスキル、能力の獲得・向上を期待するとともに、本コース への派遣が後継者としての意思固めの契機となることを期待している。コースの特徴の 一つは、自社の経営課題や今後の経営戦略の検討・策定を、ゼミナール形式できめ細か な個別指導を行うことにある。自社の経営、課題などの分析を行うことにより、自社に 関する情報が増加し、長所、問題点、改善すべき課題等も明確になる。これらの結果、 自社への認識が深まり、経営への興味が湧いてくるという。また、承継の対象としての 企業像、事業展開に対する自己の考え方などが明確になってくるという効果もある。 同じ立場にあるコースのメンバーとは、経営者になることへの恐れ、悩み、期待など、 問題意識を共有しており、率直に自己の意見などをぶつけあうことができる。また、メ ンバーの業種が多様なため、異なった経験やものの見方、スキルなど「相互啓発」を深 めることができる。さらに、メンバーとの交友関係は生涯にわたって続き、このネット ワークは貴重な資産となる。 多くの事業家による講義、交流を通じて、様々な経営理念や経営者の考え方に接し、 経営者としての自覚や心構えを形成し、目指すべき経営者像を考えることも、研修の狙 いである。 これらの研修を通じて、殆どの参加者は信頼できる仲間を得、自社への理解が深まり、 自己の抱負などが持てるようになり、後継者としての意思が固まるとのことである。 研修の締めくくりとして、各社の経営者出席の下で、自社の将来構想に関するゼミナ ール論文の発表会が行われる。経営者はこの発表会で、後継者が自社をどのように見、 どのようにしたいと考えているのかを知る。この発表会は、社長と後継者の意思疎通、 相互理解のための貴重な場であり、以降のコミュニケーションの契機となる。 ②経営管理者研修 このコースは、人材育成、生産管理、財務、経営計画・戦略の策定など、経営分析手 法やマネジメント手法の習得、自己革新力、経営ビジョン・戦略の立案能力など、経営 者として重要な経営革新遂行能力の向上を目的としている。座学のほか、演習、グルー プ討議を多く取り入れた、受講者自身が考える「参加型」の研修であり、ゼミナールで は、参加者が自社の状況に即して、現状把握、課題整理、経営革新プランの策定など、 自社の経営革新を実現するための研究レポートを作成する。 ゼミナール論文(研究レポート)については、中間、最終の 2 回発表会が行われ、最 終回は経営者立会いの下実施される。経営者の目の前で、他社の参加者とのレベルが比 較されるため、参加者の研修への取り組み態度は真剣であり、自社経営での実践を意識 41 した高レベルのものが作成される。 参加型、実践を意識した研修であることに、このコースの特徴がある。 3.研修を行ううえでの工夫等 経営後継者研修については、座学による知識習得以外に「やってみる」ことが重視され、 ゼミナールでの自社の現状分析などが行われているほか、下記の点について配慮されてい る。 ①「気づき」の機会の提供 経営者として重要な基礎的、根源的な能力は、ヒューマンスキルとコンセプチュアル スキルである。これは座学で習得することが難しく、自分で考え、体験して身につける ことが重要である。そこで、経営者などいろいろな人の話を聞くことにより、「気づき」 の機会を多く提供するように配慮している。 ②ネットワークの構築 修了生は 600 人を超えている。研修終了後も同期生間での交流は各自で適宜行われて いるが、大学校では多様な経験やノウハウ、問題意識を持つ OB との縦の交流、ネット ワークの形成が重要と考え、年 1 回合同研修会を実施している。合同研修会では基調講 演会、テーマ毎にディスカッションが行われている。 後継者問題の関連で言えば、事業承継を経験した OB の貴重な経験が参考になるとい う。例えば、事業承継は株式の後継者への譲渡、権限の委譲、後継者以外の親族への財 産分与等、計画的に行うことが望ましい。しかし、後継者が事業を承継することを決め ても、事業承継の時期、ステップ等の話しを切り出しにくいというジレンマがある。親 の側でも後継者と定めても、元気であるうちはなかなか実際の承継に踏み切らないとい う事情もある。後継者はこれらの問題で悩みを抱えることがあり、OB が持つ経験と知恵 は大きな力になる。 4.その他 ①企業が後継者に期待していること 現経営者は、行政等の支援機関・金融機関と後継者のネットワークが、自身が持つネ ットワーク以上に拡がることを望んでいる。このため、後継者と諸支援機関等とのネッ トワーク形成支援への期待がある。 ②派遣企業への要望 ゼミナールの要は受講生による自社分析であり、そのためにはデータ等の経営資料が 必要である。しかし、中にはデータ公開に消極的な企業があり、その場合、受講生が研 修を実のあるものにできない。参加企業には是非研修に必要な資料を提供して欲しい。 42 Ⅲ.M&Aによる事業承継 1.中小企業におけるM&Aの状況 M&A(Mergers and Acquisitions:企業合併・買収)の裾野は拡大しており、中小企業 が当事者となるM&Aの件数も増加している。未上場企業のM&Aの状況をみると(図表 Ⅲ-1-1)、未上場企業が当事者(売り手または買い手)となるM&Aの件数は 2000 年に 1,000 件を超え、2006 年には 2,000 件に近づいている。その後、やや減少しているものの、依然 として 1,700 件近い件数を示しており、M&A件数全体の約7割を占めている。 (図表Ⅲ-1-1)未上場企業が当事者となるM&Aの件数 未上場企業間のM&A件数 未上場企業が当事者となるM&A件数 M&A総件数 未上場企業が当事者となるM&Aの比率(右目盛) (件数) (%) 80 3000 2,775 2,725 2,696 75.6 2500 72.8 72.6 70.0 70.3 72.0 69.3 2,211 70 67.8 1,997 2000 1,907 1,752 62.0 1,867 1,728 1,653 1,635 1500 2,399 70.4 1,688 1,609 60 59.6 1,272 1,169 1,109 1,306 1,162 1000 834 752 697 602 517 500 373 187 409 429 652 716 688 50 484 238 0 40 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 (出所)株式会社レコフ 『MARR』 2009 年 2 月号より作成 2. 事業承継策としてのM&A 1997 年に設立された株式会社ストライクは中堅・中小企業を対象にM&Aの仲介を行っ ており、1999 年にはM&Aの仲介サイト「SMARTTM」をネット上に開設して運営してい る。 43 同社によれば、急激な景気後退もあり、買収候補企業が一時的に減っているが、中長期 的な傾向としては売却希望企業、買収希望企業の数は増えている。こうした背景としては、 ①世代交代期を迎えている中小企業の後継者難、②M&Aへの抵抗感が薄れてきていると いった売却希望企業側の状況がある。2008 年末までに同社が仲介して成立したM&Aは 84 件であるが、その売却希望企業の 9 割以上はオーナー企業であり、32 件(38%)は「後継 者不在」がM&Aの要因となっている。また、経済全体として市場の拡大は期待できず、 縮小に向かう市場もある中で、売上の伸長、事業の拡大の手段としてM&Aを選択する企 業が増えてきているという。 後述するように大阪商工会議所では 1997 年からM&A支援事業を行っているが、 その「M &A市場」に売却希望の申し込みを行った 177 件の申込理由をみると、 「後継者不在(健康 上の理由を含む)」が 85 件(48.0%)と最も多くなっている(図表Ⅲ-2-1)。一方、買収ニ ーズ登録を行っている 238 件について、その登録理由をみると、 「既存事業の商圏拡大」 「関 連異分野への多角化」「新規事業の展開」「他地域への進出」 「人材・ノウハウ・技術等の獲 得」が並んでいる。 (図表Ⅲ-2-1)M&Aの理由 売却希望企業の申込理由 (1997年~2009年2月) 申 込 理 由 後継者不在(健康上の理由を含む) 業績不振・リストラ 企業体質の強化 別事業を展開したい その他 計 件数 85 40 24 9 19 177 構成比(%) 48.0 22.6 13.6 5.1 10.7 100.0 買収ニーズの登録理由 (1997年~2009年2月) 登 録 理 由 既存事業の商圏拡大 関連異分野への多角化 新規事業の展開 他地域への進出 人材・ノウハウ・技術等の獲得 その他 計 件数 構成比(%) 133 55.9 58 24.4 17 7.1 15 6.3 8 3.4 7 2.9 238 100.0 (出所)大阪商工会議所HPより作成 このように、M&Aによる事業承継が増加してきている背景としては、後継者不在の企 業が増加しており、M&Aに対する抵抗が薄れてきていることに加え、中小企業において も、M&Aを企業成長、事業拡張の戦略と位置付ける企業が増えているという買い手企業 側の要因も無視できない。また、中小企業のM&Aについて情報提供やアドバイス、仲介 を行う機関、専門業者も増加してきている。 44 以下では、こうした要因についてみていきたい。 2.1 後継者不在企業の増加 第Ⅰ章でみたように、後継者を決めていない中小企業が多くなっている。また、子への 事業承継が減少し、親族以外への承継が増加している(図表Ⅰ-2-2)。 M&A事例 1、2、3(後掲)にもみられるように、子息がいても他の企業等に就職してお り、親の事業を継ぐ意思はないため、子息への事業承継は断念するというケースが増えて きている。また、M&A事例 10 のように、親族に承継しても、事業になじむことができず、 第三者に経営を譲渡するという事例も現われてきている。 (図表Ⅲ-2-2) どのような事業承継を望むか (「後継者を決めていない」、ないしは「後継者がいない」企業) 事業に展望がないの で廃業するつもり 0.9% まだ承継について考 えていない 15.7% その他 3.5% できれば親族内で承 継したい 10.0% 後継者がいないので 廃業するつもり 0.9% できれば会社を譲渡・ 売却したい 15.7% 従業員・役員に承継 するつもり 47.4% 外部から招聘するつ もり 6.1% (出所)(独)中小企業基盤整備機構「事業承継に係る親族外承継に関するアンケート調査」(2007 年 11 月) 親族による後継者がいない、もしくは子息がいても事業を承継する予定がない中小企業 を対象に(独)中小企業基盤整備機構が行ったアンケート調査によれば、「後継者を決めて いない」あるいは「後継者がいない」企業への「どのような事業承継を望むか」という質 問については、「従業員・役員に承継するつもり」という回答が 47.4%で最も多く、「まだ 承継について考えていない」(15.7%)と「できれば会社を譲渡・売却したい」(15.7%) がこれに次いでいる(図表Ⅲ-2-2)。 このように、親族による承継ができない場合、第二の選択肢は役員、従業員への引き継 ぎあるいは社外からの人材招聘であるが、Ⅰ章や後掲のM&A事例にもみられるように、 後継者となる人材を社内で育てることはなかなか容易ではないし、外部から人材を招く場 合は社内との融和も課題である。さらに、親族以外への承継の場合は、株式を買い取る資 金の調達や役員個人保証の引き継ぎも大きな問題となる。 45 2.2 M&Aに対する意識の変化 親族による承継、役員・従業員への引き継ぎ、社外からの招聘のいずれも採用できない 場合、M&Aよる事業承継という選択肢を検討する企業が増えている。中小企業基盤整備 機構のアンケートによると、「後継者を決めていない」あるいは「後継者がいない」企業で は、28.1%がM&Aについて経験したり、検討を行ったりしたことがあり、M&Aへの心 理的抵抗についても、 「抵抗がさほどない」あるいは「抵抗はない」と答えた企業が約 50% を占めている(図表Ⅲ-2-3,4)。 (図表Ⅲ-2-3)M&Aの経験・検討の有無 (図表Ⅲ-2-4)M&Aへの心理的抵抗 わからな い 16.2% ある 28.1% 抵抗はな い 27.7% ない 71.9% (出所)図表Ⅲ-2-2 に同じ 非常に抵 抗がある 8.3% 抵抗があ る 22.3% 抵抗がさ ほどない 25.5% (出所)図表Ⅲ-2-2 に同じ M&Aによる事業承継は、①企業が存続することにより従業員の雇用を守り、取引先に 迷惑をかけない、②社名、ブランド、技術等の承継も可能、③買収先から経営資源の支援 を受けることで事業の再生・発展が可能となるといったメリットが期待できる。これまで、 M&Aについては「身売り」といった負のイメージも強かったが、後継者候補がいない、 あるいは未定であるという中小企業ではM&Aによる事業承継を検討する企業、M&Aへ の心理的抵抗があまりないという企業も増えてきているのである。 2.3 買い手企業の増加 M&Aは既存の企業あるいは事業を引き継ぐため、買い手企業にとっては、①新規事業 参入や事業拡大にかかる時間の短縮、②既存の販路、生産拠点等を獲得することによる市 場シェアの拡大、③技術、ノウハウ、ブランド、優秀な人材等の経営資源を一括して獲得 できる、④実績のある既存事業であるため収益やリスクの予想がしやすいといったメリッ トが期待できる。M&Aを新規事業への進出、新市場の開拓、新たな営業基盤の確保のた 46 めの企業戦略のひとつと位置付ける中小企業も増えてきている。 また、(財)中小企業総合研究機構がM&Aを実施した中小企業を対象に行ったアンケー ト調査では、M&Aを今後も実施するかについて、「今後も積極的にやりたい」7%、「機会 があればやりたい」50%となっている。ヒアリング事例でも以前にM&A(企業買収)の 実績のある企業が買い手となっている事例も複数あり、M&Aを自社の成長戦略としてい る企業が現われてきていることがうかがえる(図表Ⅲ-2-5)。 (図表Ⅲ-2-5)M&Aを今後も実施するか あまりやりたいと は思わない 2.4% 今後も積極的に やりたい 7.1% 特に考えていな い 40.5% 機会があれば やりたい 50.0% (出所)(財)中小企業総合研究機構「中小企業のM&Aに関する実態調査」(2008 年 3 月) 2.4 仲介機関の増加 中小企業のM&A仲介を行う専門企業が現われている他、証券会社、金融機関等もM& Aの仲介業務に力を入れている。 公的機関でも中小企業のM&Aに関する相談やマッチング支援を積極的に行っている。 先にも紹介した大阪商工会議所は 1997 年から公的機関としては初めて「匿名方式による非 公開企業のM&A市場」という中小企業のM&A支援事業をスタートし、2009 年 2 月まで の成約件数は 25 件となっている(図表Ⅲ-2-1)。また、東京商工会議所では 2000 年から中 堅・中小企業のM&Aを支援する「東商M&Aサポートシステム」を運営しており、2007 年度までに 22 件の成約実績を上げている他、関東圏の商工会議所とも連携してM&A支援 事業を展開している。 3.M&Aによる事業承継とその課題 3.1 M&Aの手法と具体的プロセス M&Aの手法としては、株式譲渡、事業譲渡、合併、会社分割等の手法があるが、中小 企業のM&Aにおいて主に用いられるのは株式譲渡と事業譲渡である(図表Ⅲ-3-1)。 47 (図表Ⅲ-3-1)M&Aの手法 株式譲渡 株式取得 買 新株引受 収 株式交換 M&A 全部譲渡 事業譲渡 合 併 一部譲渡 会社分割 (株式譲渡) 株式譲渡は発行済株式の譲渡によって売り手企業の経営権を譲り渡すという方法である。 この場合、単に株主が変わるだけで、社名、従業員、取引先、債権・債務、許認可等をそ のまま引き継ぐことになる。この手法は、手続きが比較的簡単であることから、中小企業 のM&Aでは、最も多く用いられている。売り手企業側としては、社名、取引先、従業員 雇用の継続というM&Aに際して重視する条件を実現するのにも適した方法であり、株主 は株式売却代金を受け取ることで創業者利益を実現できる。 買い手企業にとっても、売り手企業の持つ有形・無形の資産をスムーズに引き継げると いうメリットが期待できる一方、不良資産や簿外債務まで引き継いでしまうという危険性 がある。このため、買収監査(デューデリジェンス)の実施が重要となる。 (事業譲渡) 事業譲渡は株式売却に比べると手続きは煩雑となるが、売り手企業の債権・債務がその まま承継されることはなく、譲り受ける事業、資産を選択することが可能である。売り手 企業にとっても、不採算部門のみを譲渡することもできる。 (M&Aのプロセス) M&Aによる事業承継を行おうとする企業は、まず買い手となる企業を探さなければな らないが、多くの場合は専門的な知識・ノウハウを有する機関に相談したり、仲介やアド バイスを依頼することになる。必要に応じて仲介委託契約、アドバイザリー契約、秘密保 持契約を結び、譲渡の条件、価格等を検討し、条件を基に買い手企業の探索に着手する。 48 買い手候補企業が見つかれば、具体 的な条件についての交渉が行われ、基 (図表Ⅲ-3-2)M&Aの手順 本的な条件について合意に達すれば、 基本合意契約が結ばれる。この後、 事前相談 買い手企業側の買収監査が行われ、 その結果に基づいて価格、条件につ いての調整、交渉が行われ、合意に 仲介業者・アドバイザーとの契約 秘密保持契約 企業評価、譲渡条件の検討 至れば最終的な売買契約が締結され、 譲渡の実行、代価の支払・受取がな される(クロージング) 。 M&A実行後も円滑な業務の引き 買い手企業の探索、選定 継ぎのため譲渡企業の前経営陣が一 定期間会社に止まることが多い。 買い手企業とのコンタクト 買収条件の交渉 (仲介手数料) M&Aの仲介手数料は一般的には 着手金(数十万円~数百万円)+成 基本合意契約 功報酬という形をとっており、成功 報酬については「レーマン方式」と 買収監査(デューデリジェンス)の実施 いう取引金額に一定の割合を乗じて 算出する報酬体系を採用している (図表Ⅲ-3-3)。これは金額が大きく 最終条件の調整 なれば料率が下がる方式であり、 5 億円以下の部分は手数料 5%、5 億円 超の部分は金額が高くなるに応じて 最終契約書の締結(クロージング) 譲渡の実行、対価の受取 1~4%と低率になっていく。また、 通常は最低報酬額(500 万円程度か ら数千万円と幅がある)を設定して 業務引き継ぎ 取引先、社内への説明 いる。 企業規模あるいは取引金額が小さ くても、仲介に要するコストは大企業の場合とさほど変わらないという面もあり、料金体 系は取引金額が少額であるほど割高に設定されており、小規模な企業、売却価格が小さい (高く売れない)企業にとっては仲介手数料の負担は大きく、M&Aに取り組む上での障 害の一つとなっている。 49 (図表Ⅲ-3-3) M&A仲介手数料の例 (1)着手金(数十万円~数百万円) (2)成功報酬(一例) 取 引 金 額 等 手数料率 (注 1) 5 億円以下の部分(注 2) 5% 5 億円超~10 億円以下の部分 4% 10 億円超~50 億円以下の部分 3% 50 億円超~100 億円以下の部分 2% 100 億円超の部分 1% 但し、通常は最低成功報酬金額(500 万円程度~数千万円)を定めている (注 1) 業者によって基準が異なる(例:①取引金額(株式譲渡価額)、②取引金額(役員退職金を含 む)、③総資産額) (注 2) 3億円以下の部分を 8%に設定するケースもある。 3.2 中小企業におけるM&Aの特徴 (譲渡価格よりも従業員の雇用・処遇を重視) 大企業のM&Aにおいては譲渡価格が最も大きな要素であるが、中小企業においては、 M&A事例1、2にも見られるように、事業を継続し、取引先に迷惑をかけない、従業員 の雇用を維持するということが主要目的であり、売却価格にはあまりこだわらないという 傾向がみられる。2006 年版中小企業白書では、中小企業のM&A市場は価格よりも従業員 の雇用を第一に考える「ウェットな市場」であると指摘している。中小企業基盤整備機構 が行った調査では、企業譲渡の際に希望することとしては、「役員・従業員の雇用確保、処 遇」(77.7%)が第1位、「会社の更なる発展」(58.1%)がこれに次いでおり、「企業の譲 渡(M&A)価格」(32.8%)は第3位である(図表Ⅲ-3-4)。また、企業譲渡を行う場合の障 害と考えられるものとしても、「役員・従業員の雇用・処遇問題」(57.5%)が第1位とな っている(図表Ⅲ-3-5) 。 (企業情報の不足と多様な企業特性) 未上場企業がほとんどであり、オーナー企業も多い中小企業では企業情報が開示されて おらず、得られる情報が乏しい。また、企業譲渡を検討しているという情報が漏れること で、従業員の動揺・離散、販売先や金融取引への影響もありうるため、中小企業のM&A においては情報の秘匿が重要である。こうした要因から、中小企業のM&Aにおいては当 事者企業に関する十分な情報を得ることが困難となっている。 50 (図表Ⅲ-3-4)もし企業譲渡(M&A)をする場合に希望すること(複数回答) 0 10 20 30 40 50 60 70 役員・従業員の雇用確保、処遇 80 (%) 77.7 会社の更なる発展 58.1 企業の譲渡(M&A)価格 32.8 経営理念の継承 32.4 自社技術の有効活用 26.4 債務(借入金)の弁済 19.6 社名を残す 18.2 その他 2.0 (出所)図表Ⅲ-2-2 に同じ (図表Ⅲ-3-5)もし企業譲渡(M&A)をする場合の障害と考えられるもの(複数回答) 0 10 20 30 40 役員・従業員の雇用・処遇問題 37.0 取引先の理解 27.1 株主の了解 18.8 企業風土の違い 18.2 取引銀行の了解 16.8 障害は特にない 15.4 事前に情報が漏れること 14.7 債務超過 14.0 業績不振(売上減少など) 11.0 累積赤字 9.9 信頼できる相談者がいないこと 9.6 先代社長からの会社であること 8.9 家族の了解 その他 60 57.5 役員・社員の了解 不採算事業がある 50 6.5 1.0 3.1 (出所)図表Ⅲ-2-2 に同じ 51 (%) また、中小企業、中でも中小製造業の業態は極めて多様であり、専門的な分野に特化し ていることが多い。限られた情報から、その事業内容、製品、技術、サービス、企業特性、 経営実態等を把握し、M&Aの相手先として相応しい企業であるか否かを判断することも また容易ではない。 こうした点から、中小企業のM&Aにおいては、取引金融機関や仲介機関等を通じて相 手先を探索する場合が多くなっている。 (当事者相互の理解と信頼関係も重要) 株式を公開していない企業がほとんどの中小企業にあっては、大企業で見られるような 敵対的買収や公開買付はあり得ない。当事者同士の合意がM&A成立の前提である。 売り手企業の経営者には、自分が育ててきた会社に対する思い入れがあり、会社を売却 することに心理的抵抗を感じている場合もある。また、先にみたように企業譲渡に際して の最も重要なことは売却価格ではなく、役員・従業員の雇用確保であり、企業の更なる発 展、経営理念の継承、自社技術の有効活用等も気になるところである。 したがって、M&Aに際しては双方の経営者同士の信頼も重要になる。中小企業基盤整 備機構が事業承継に係るM&Aを実行した企業を対象に行った調査によれば、最終的に譲 渡先を決定した要因としては、「従業員の雇用を確保できた」(83%)に次いで「譲渡先が 信頼できる会社であった」(67%)があげられている(図表Ⅲ-3-6)。ポストM&Aの企業 経営が軌道に乗り、成果を上げるためにも、事前に相互の理解を深め、信頼関係を持つこ とが重要である。M&A事例2では長年にわたって家族ぐるみの付き合いがあった経営者 に事業を譲渡しており、M&A事例3、5でも両社長の企業経営に関する考えが一致した ことが円滑な事業承継の重要な要因となっている。 (図表Ⅲ-3-6)最終的に譲渡先を決定した要因(複数回答) 0 10 20 30 40 50 60 70 従業員の雇用を確保できた 83 譲渡先が信頼できる会社であった 67 社名を残すことができた 50 自社の持つ技術の継承が可能だと感じた 42 29 譲渡価格が高かった 21 借入金の返済が可能であった その他 90 (%) 80 8 (出所)(独)中小企業基盤整備機構「中小企業の事業承継に係る企業譲渡に関するアンケート調査」(2007 年 12 月) 52 3.3 事業承継策としてのM&Aの課題 (企業価値の評価) M&Aにおいて売却価格は極めて重要な要素であり、その基準となるのは企業価値の評 価である。中小企業の場合は、株式市場で取引される株価に基づいて企業価値を算定でき る上場企業と異なり、M&Aの検討に際して、改めて企業評価を行うことが必要となる。 図表Ⅲ-3-7 は中小企業における企業評価の主要な方法について整理したものである。 (図表Ⅲ-3-7)企業評価の方法 企業評価のタイプ ① 代表的な手法 コスト・アプローチ 簿価純資産価額法 資産から負債を控除(簿価による) (資産価値による評価) 時価純資産価額法 資産から負債を控除(時価に再評価する) インカム・アプローチ DCF法 ② (収益力またはキャッシュ 収益還元法 フローによる評価) ③ 算 出 法 将来の予想キャッシュフローから算出 将来の予想純利益から算出 マーケット・アプローチ 類似会社比準法 (市場価値による評価) 市場価額法 類似の上場企業の株価を基準に対象企業の株式価値を算出 類似企業の買収価格を基準に対象企業の企業価値を算出 これらの方式のうち、中小企業では純資産価額法を採用する場合が多い。DCF法等の インカムアプローチについては、予想キャッシュフローないしは予想収益の前提となる将 来の事業計画が必要となるが、中小企業の場合、精度と信頼性を持つ事業計画を作ること は必ずしも容易ではない。類似会社比準法についても、中小企業の場合は上場企業と比較 することは適切でない場合が多い。中小企業の場合は、財務諸表を基礎に算出する客観的 かつ簡便な純資産価額法が適しているといえよう。 (図表Ⅲ-3-8)実際の評価方法 類似会社比準価額 方式 2.4% その他 9.5% 純資産価額方式 28.6% 収益還元価額方式 59.5% (出所)図表Ⅲ-2-5 に同じ 53 (財)中小企業総合研究機構の調査によれば、実際のM&Aにおいて採用された評価方 法は、 「純資産価額方式」が 59.5%、 「収益還元価額方式」28.6%、 「類似会社比準価額方式」 2.4%、「その他」9.5%となっている(図表Ⅲ-3-8)。 ところで、この純資産価額法による企業価値では、企業の技術力、営業基盤、将来性等 の価値が反映されていない(インカムアプローチの場合はこうした要素が企業価値に反映 される)。このため、こうした無形資産の価値をのれん代として上乗せして譲渡価格とする 場合が多い。 M&A事例1、2では円滑な承継を重視し、金額にはあまりこだわっていないが、M& A事例3、4、5のように自社の持つブランド力、技術力、営業基盤等を売却希望価格に 反映させ、買い手企業と交渉している事例もある。 これらの事例にみられる通り、実際の取引価格は、上記のいずれかの方法で理論的に算 出された企業価値とは別である。多くの場合、買い手企業の買収希望価格と売り手企業の 売却希望価格は一致しないが、それぞれの価格の根拠となっているのが、これらの算定方 法であり、算出された価格を基に交渉が行われることになる。実際の取引価格は売り手と 買い手の交渉次第であり、のれん代、技術力、営業基盤といった要素については、それら のメリット、将来の業績への貢献を示すことで、買い手を納得させなければならないであ ろう。 一般的に言って、財務内容が良好でない企業、中でも債務超過企業は売りにくい。先に も述べたように、こうした企業では純資産価額法等による企業価値にのれん代を加えても 低い金額にしかならず、仲介手数料を差し引くといくらも残らない、あるいは最低報酬額 を下回ってしまい、M&Aを断念するという場合もある。但し、M&A事例7、8のよう に財務内容が芳しくなくても、優秀な技術陣、パッケージソフトの商品力等が評価されれ ば、M&Aが成立する可能性はあるといえよう。 基本的な条件について合意に達し、基本合意契約を締結すると、買い手企業による買収 監査(デューデリジェンス)が実施されることになる。これは売り手企業の財務内容、債 権債務、事業環境について精査し、企業の実態把握と問題点・リスクの検討を行うもので ある。買収監査の結果、不適切な会計処理、不良債権や簿外債務、土地の汚染等の環境問 題が発見されれば、取引価額(企業価値)が大きく減額される可能性もある。中小企業は 税法基準で財務諸表を作成していることが多いが、買収監査で資産評価を修正される場合 が少なくないようである。 (マッチングの重要性) M&Aが成立しやすいかどうかは売り手企業の業種によっても異なる。中堅・中小企業 のM&A仲介を専門に行っている株式会社ストライクによれば、同社のM&A情報サイト 「SMARTTM」上で買い手候補が多い業種は、ソフトウェア・システム開発、人材派遣・ アウトソーシング、調剤薬局、ビルメンテナンス、インターネット関連事業、食品スーパ 54 ー、ドラッグストアチェーン、外食チェーン、介護関連業、運送・物流業等である。これ らの業種は同業者によるM&Aの場合、営業基盤、店舗・営業所網、人材等の資源を活用 して、直ちに事業拡大に結びつけやすいという特徴を持っている。これに対して、中小製 造業の場合は、その製品、技術、製造設備等が細かく分かれ、特化しているため、買収希 望企業のM&Aニーズとピンポイントで合致しないとマッチングは難しいという面もある。 M&A事例でも、ドラッグストア(事例6)、ソフト開発(事例8)、運送業(事例9) では、買収ニーズを持つ複数の企業が現われているが、製造業ではM&A事例4、5のよ うに、事業内容が特殊専門的であるため、マッチングに時間を要する場合も多い。適切な 買い手企業を得れば、事業の発展に結びつけることも夢ではない。仲介機関がネットワー クを活用してマッチングの機能を発揮していくことが求められる。 (円滑な引き継ぎと企業文化の融和) M&A実行後は円滑に引き継ぎを行い、異なる企業文化を如何にして融合していくかと いった点も重要である。 M&A成立後、社内や取引先への公表、説明も重要である。事例でも朝礼で双方の社長 が全従業員に説明を行い、取引先にも両社長が出向いて説明している。また、多くの事例 では、売り手企業の経営者が一定期間、会社に止まって、引き継ぎを行っている。 (シナジー効果の発揮) (独)中小企業基盤整備機構が事業承継に係るM&Aを実行した企業を対象に行った調 査によれば、M&Aへの総合評価としては、「非常に満足」42%、「やや満足」29%と 7 割 以上が満足しており、不満は 8%に止まっている(図表Ⅲ-3-9)。 (図表Ⅲ-3-9)M&Aへの総合評価 やや不満 非常に不満 0% 8% 普通 21% 非常に満足 42% やや満足 29% (出所)図表Ⅲ-3-6 に同じ また、M&A後の事業の推移については、 「順調に業績を伸ばしている」という回答が 63% 55 であり、「事業形態が変わってしまった」(4%) 、「業績が低迷している」 (8%)といった回 答はわずかである(図表Ⅲ-3-10)。M&Aによる事業承継の件数はまだ少ないものの、円 滑な事業承継を行い、業績伸長を達成している企業の比率が高いといえよう。 (図表Ⅲ-3-10)M&A後の事業の推移(複数回答) 0 10 20 30 40 50 順調に業績を伸ばしている 63 経営理念も引き継がれている 事業形態が変わってしまった 業績が低迷している 分からない、知らない 70 (%) 60 21 4 8 17 (出所)図表Ⅲ-3-6 に同じ ヒアリング事例をみても、射出成形機メーカーS1 社(M&A事例1)は大手機械メーカ ーF社のグループ会社となったことにより、海外への販売拡大が可能となるとともに、機 械の制御盤、部品をF社と共通化することで、開発・調達コストも削減できた。また、F 社にとっても自社で製造していない立型射出成形機を取り扱うことで、ユーザーの要望に 広く応えることができるようになり、両社にシナジー効果がもたらされた。M&A事例3 ではB3 社はS3 社を買収することにより念願の自社ブランド商品を持つことができた。M &A事例4、5は異業種の企業によるM&Aであるが、B4 社は有望な新事業への進出を果 たし、S5 社は企業グループ内での連携効果で業績も伸びているとのことである。 他の事例もM&Aによって売り手企業の持つ営業基盤、人材、商品等を引き継ぐことで 事業の発展に結びつけている。 (円滑な事業承継への課題) 事例を見てもM&Aによる事業承継は他の方策を検討した後に最後に辿り着いた選択肢 であることが多いが、M&Aによる事業承継も余裕のあるうちに着手することが必要であ る。相手企業の探索、選定に長い期間を要する場合もあるし、業績順調な時期であれば、 企業価値も高く、買い取りニーズを持った企業も探しやすく、譲渡価格、条件の面で有利 なM&Aを実現する可能性も大きい。逆に、時期を失すればM&Aによる事業承継もでき ず、廃業に追い込まれるということもありうる。M&Aを選択するか否かにかかわらず、 早い時期から、自社の事業承継について検討、準備を進めるべきであろう。 また、有利なM&Aを実現するには、日頃から外部からの評価を意識して、自社の企業 56 価値を高める努力が求められる。財務内容を充実し、収益力を高めることに加えて、適正 な会計処理等により、企業の透明性を高めることも必要である。 57 [M&A事例] (事例の概要) No. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 業 種 売手 射出成形機製造 買手 樹脂成形加工 売手 切断加工機製造 買手 鋸刃製造 売手 建築資材卸売 買手 建築資材卸売 売手 産業用機械製造 買手 合成樹脂製品製造 売手 輸送用機械部品製造 買手 産業用機械製造 売手 ドラッグストアチェーン 買手 ドラッグストアチェーン 売手 配管・空調工事業 買手 ビルメンテナンス 売手 ソフト開発・販売 買手 システム開発 売手 貨物自動車運送 買手 貨物自動車運送 売手 スポーツ施設設計・施工 買手 企業向け総合サービス 仲介機関 - 手 法 株式譲渡 特 色 等 M&A後に大手機械メーカー からも出資を受ける - 事業譲渡 取引金融機関 株式譲渡 取引金融機関 株式譲渡 取引金融機関 株式譲渡 仲介専門業者 株式譲渡 仲介専門業者 株式譲渡 仲介専門業者 株式譲渡 仲介専門業者 株式譲渡 仲介専門業者 株式譲渡 58 旧知の経営者への事業譲渡 異業種企業による買収 異業種企業による買収 売手企業は実質債務超過 子息への事業承継後にM&A M&A事例1 S1 社は立型射出成形機の分野では国内トップシェアを占めた実績も持つ年商約 30 億円 の機械メーカーである。E社長は 30 年以上前の事業承継時に相続税の支払いで苦労した経 験があった。創業者である先代社長(父)の急逝により、社長は 38 歳の若さで当社の経営 を引き継ぐことになったが、相続税の対策、資金の準備は全くなされていなかった。相続 税の延納を選択し、顧問の公認会計士の指導を受けつつ、15 年の年賦でようやく支払うこ とができたのである。相続税の支払いを終えた時、E社長は顧問の公認会計士から、これ からの 15 年間で計画的に次世代への引き継ぎを準備するようにというアドバイスを受けた。 E社長(当時 53 歳)も先代が亡くなった年齢である 68 歳までに路線を定め、元気なうち に事業承継を行いたいと考え、準備を進めてきた。 E社長には子息が一人いたが、当時、大学院の学生で研究畑志望であったので、 「好きで なければ無理をして引き継がせる必要はない。」と考え、親族による事業承継は断念した。 次の選択肢としてE社長が選んだのは社員への事業承継であったが、当社の資産はE社 長が事業を引き継いだ頃の3倍になっており、株式公開とセットにしなければ社員への承 継は困難な状況であった。そこで、E社長は株式公開に向けて「責任を委譲するから、権 限を発揮せよ」との方針で、後継者となる社員を育て、組織活動、管理体制の整備を目指 したが、なかなか思うような人材を育てられなかった。約 10 年間、こうした試行錯誤を続 けるうちに、バブル崩壊、低成長への移行といった形で当社を取り巻く環境は大きく変化 した。当社の業績も思うようには伸びず、株式公開ができる状況ではなくなった。15 年計 画の残りの期間が 5 年を切ったこともあり、社員への事業承継はあきらめ、M&Aにより 他の企業に事業を“引き継いでもらう”という途を選択したのである。 取引銀行等を通じて、当社事業の引受先を探す中で紹介されたのが樹脂成形加工メーカ ーである上場企業のB1 社であった。B1 社は当社の金型のユーザーでもあり、当社が多様 な機械をユーザーと共同で開発してきた実績を高く評価していた。B1 社は①現在の事業を 維持し、顧客に迷惑をかけない、②当社の社名とブランドを残す、③社員を全員引き継ぐ という3つの条件を全て了承したうえ、当社と共同して次世代の新製品開発に取り組むこ とにも合意した。 こうしてS1 社は全株式の約 70%をB1 社に譲渡して同社の子会社となった(B1 社はさ らに社員持株会の株式も引き継いで持ち株比率は約 92%となった)。その後、B1 社が取引 先である大手機械メーカーF社(B1 社が導入している機械はほとんどがF社製である)に 対し、射出成形機の海外販売についての支援を依頼したことをきっかけにF社との提携が 進み、現在S1社はF社から出資も受けている(B1 社からF社に当社株式の 34%を譲渡)。 出資比率ではB1 社の方が大きいものの、当社の事業に関してはF社との結びつきが強いこ ともあり、後継の社長もF社から派遣されている。なお、上記の3条件についてはF社も 引き継いでいる。 当社はF社のグループ会社となったことにより、これまで弱かった海外への販売拡大が 59 期待されている。また、機械の制御盤、部品をF社と共通化することで、開発・調達コス トの削減も可能となった。F社にとっても自社で製造していない立型射出成形機を取り扱 うことで、ユーザーの要望に広く応えることができるようになり、両社にシナジー効果が もたらされた。 E社長はB1 社への株式売却後も1年間は社長として留まった後、前述の通りF社から派 遣された後継社長にバトンタッチした。社長退任後は役員からも降りて、身軽な相談役に なった。そして「トップダウンの方針、計画に関しては組織活動に慣れたF社からきた経 営陣に任せ、相談がなければ何も言わないが、現場からのボトムアップについてはまだ心 もとないので、気づいたことをどんどん指摘する。指摘は命令ではないが、妥当と思うな ら工場長以下で実行してもらいたい。」と社内に宣言し、毎日製造の現場を見て回っている。 当社は財務内容良好で、200 件を超える特許を保有する等、技術力には定評があり、国内 トップの実績、ブランド力もあったが、売却金額にはブランドや技術力の価値はあまり反 映されておらず、取引金融機関や税理士からは「欲がなさすぎる」と言われたという。よ り高く売ろうと思えばブランドや技術力の評価面で頑張ることもできたかも知れないが、 3つの条件が守られて事業が円滑に承継されるのであれば、金額についてはあまりこだわ らないというのがE社長の考えであった。 社内には売却が決定してから説明したが、動揺はなかった。相互補完関係にあり、シナ ジー効果が発揮できるような大企業のグループ会社となれたことで、従業員も安心し、喜 んでいるとのことである。 M&A事例2 切断加工機を製造販売するS2 社は年商約 2 億円の小規模企業ながら、当社が独自に開発 した「ダイヤカットマシン」は切断材料を選ばない、切断のスピードが速い、材料の切断 ロスが少なく切断面がきれい、刃の寿命が長く刃の価格も安いといった特徴を持ち、宇宙 開発、航空機製造、宝石・セラミックス・石英ガラス加工、半導体製造等の多様な分野で 採用されている。このダイヤカットマシンの開発者でもあるG社長(78 歳)には2人の娘 がいるが、自ら製品を開発し、全国に売り歩いた社長の苦労をよく知っていることもあり、 娘、娘婿達はいずれも会社を継ぐ意思はなかった。そこで娘たちとも相談し、長年にわた って家族ぐるみの付き合いがあったB2 社のH社長に事業を承継してもらうことにしたの である。 H社長とは父親の代からの付き合いで、4~5年前から事業承継について打診していた という。仲介業者、アドイザー等は介さず、両社の社長同士で話し合って条件を決定。弁 護士に依頼して契約書を作成し、契約を締結した。具体的には新たに設立した新会社に事 業譲渡するという形をとった。G社長は社名、ブランド、事業を引き継ぎ、顧客や社員に 迷惑をかけないということを重視し、円満な承継を心掛けた。互いに欲張らず、割り切る 60 気持ちがないとM&AはできないのではないかというのがG社長の考えである。G社長は 新会社の株式は持っていないが、会長として新会社にも顔を出して引き継ぎを見守ってい る状況である。 事業を引き継いだB2 社は刃物、のこぎりのメーカーで、S2 社の仕入先の一つであるが、 ダイヤカットマシンについては刃物もS2 社独自の製品である。現在、ダイヤカットマシン を始めとするS2 社の製品はB2 社を通して販売しており、B2 社にとっては新たに有力な 取扱製品を持つことができたことになる。 M&A事例3 自社ブランド商品も持つ中堅建築資材卸売業者S3 社の2代目社長であるI氏は既に 70 歳を越えており、早い時期に後継者を決める必要に迫られていた。I社長の子息は全く別 の企業に就職して働いており、事業を継ぐ意思はなかった。当社の役員にも後継者になら ないかと打診したが、やはり難色を示され、残された選択肢はM&Aによる事業承継だけ となった。 I社長は当初、M&Aについて親戚の企業経営者や取引金融機関、税理士、M&A仲介 業者等にも相談していたが、複数の先に相談したり、仲介を依頼したりすることは情報漏 洩に結びつく可能性もあると考え、仲介は取引金融機関 1 先に絞ることにした。 I社長は従業員の雇用維持、現在の事業の継続、売却金額といった売却条件に関して大 まかな考えを持ってはいたが、具体的な条件については金融機関のアドバイスを受けてか ら決定する方針であった。その結果、社名とブランドの継続を条件とすることとし、売却 希望金額については金融機関から示された複数の案の中から純資産価格にのれん代を上乗 せした金額を採用した。 I社長は交渉の候補先として同業者数社を提案。これを受けて、金融機関がそのうちの 1社であるB3 社に話を持っていったところ、当社の持つブランド力に興味を示し、具体的 な交渉に入ることになった。 B3 社も同じく建築資材卸売業であるが、かねてから自社ブランド商品を持ちたいと考え ていた。従業員、事業、社名、ブランドをそのまま継承することについて問題はなかった が、買収金額に関してはS3 社の希望価格とB3 社の主張する評価額との間には大きな隔た りがあった。 S3 社の財務内容を見ると、自己資本比率は 10%程度であったが、最近の競争激化の中 で減収減益傾向が続いており、収益力は低かった。買い手であるB3 社では独自に収益力を 基に企業価値を算定していたため、その金額は低いものであった。 当初、I社長は売却価格にはあまり執着しないと言っていたが、具体的に交渉が進むに 中で、自社の企業価値にもこだわりを示すようになった。仲介の金融機関が中心となり、 交渉を重ねた結果、両者が歩み寄る形で決着。全株式の譲渡という形でM&Aが成立した。 61 なお、M&Aに際して第三者による買収監査等は行わず、買い手であるB3 社の財務部門が 独自に財務内容の査定を行った。 I社長はS3 社の役員に対しては以前に後継者にならないかと打診した経緯もあり、早い 段階から売却の話をしていた。従業員や取引先への説明は譲渡契約の締結後に行ったが、 買い手が有名企業であったこともあり、動揺は見られなかったとのことである。 M&A後はB3 社の社長がS3 社の社長を兼務しているが、両社は距離的に離れているた め、B3 社から役員を派遣している。I社長は引き続き顧問として勤務し、円滑な引き継ぎ に努めている。企業経営に対する両社長同士の考え方も合っており、移行は順調に進んで いるとのことである。 M&A事例4 産業用機械メーカーS4 社は高い技術力を持ち、増収増益を続けていたが、創業者である J社長は既に 70 歳を超える高齢で親族内に後継者もいないことから、事業承継が大きな課 題となっていた。創業時から社長を支えてきた役員数名もまた高齢であり、社内にも後継 者候補となる者はいなかった。J社長は外部から後継者を招くことを考え、大手企業から これぞと思う人材を引き抜いてきたこともあったが、中小企業の経営になじむことができ ず退社してしまった。 こうした状況の下、J社長は取引金融機関に事業承継問題について相談し、M&Aにつ いても検討することになった。J社長の基本的な要望は事業の継続、現在の会社の存続と いうことであり、具体的な条件については取引金融機関の方から提案するよう依頼したが、 自社の技術力、のれん代等についてかなり高い評価をしていた。 取引金融機関はこの条件で買手企業を探したが、S4 社の事業の内容が特殊・専門的であ ること、および売却希望価格を高めに設定したことから、買手企業が見つかるまでには1 年以上の期間を要した。 買手企業B4 社は合成樹脂製品製造と全くの異業種であったが、事業は安定的に推移し、 内部留保も充実しており、新たな柱となる事業を持ちたいと考えていた。B4 社はS4 社の 持つ高い技術力と事業の将来性を評価し、S4 社の売却希望価格を認める形で交渉がスター ト。第三者の買収監査を経て企業価格は減額されたものの、J社長の納得する範囲内で決 着。社長と役員の保有するS4 社の全株式をB4 社に譲渡する形でM&Aが成立した。 S4 社の社内への説明については、幹部社員には契約前、一般社員には契約締結後に行っ た。J社長が従来から後継者は若い人にしたいと公言していたこともあり、B4 社のような 若い社長に引き継がれることを皆歓迎していた。 S4 社の社長、役員は数年間そのまま顧問として残ることになっている。また、両社は距 離的にも近いため、B4 社の社長がS4 社の社長も兼務して、週 1 回程度顔を出す程度であ り、役員等の派遣もない。また、S4 社は社員の平均年齢も高く、技術・技能の承継も課題 62 となっていた所であるが、B4 社の指導を受け、これまでできなかった社内規定の整備、管 理手法のマニュアル化、若手人材の採用・育成にも取り組んでいく方針である。 M&A事例5 輸送用機械部品を製造するS5 社は高い技術力を持つ優良企業で財務内容も良好であっ たが、K社長には子息がおらず、親族内、社内にも後継者候補はいない状況であった。好 調な業績を反映してS5 社の株式の評価額が上昇していく一方、社長も 70 歳近い高齢とな っており、事業承継対策が喫緊の課題となっていた。当社は複数の取引金融機関に相談を 持ちかけていたが、うち1先の仲介によりM&Aが成立した。 S5 社の事業内容が特殊であることに加え、S5 社が自社の技術力、収益力に自信を持ち、 安い価格では売却する意思がなかったこともあり、M&Aが成立するまでには 10 社以上の 企業と交渉を重ねた。買手企業であるB5 社は産業用機械製造販売と全くの異業種企業であ ったが、関係子会社に輸送用機械部品等を製造している企業があり、グループとしてのシ ナジー効果も期待できることから、両社のマッチングに成功した。 売手企業側の主な条件は、事業の継続、社員、取引先等を引き継ぐことであり、社名の 存続についてはこだわっていなかったが、優良企業としての知名度も高いため、買い手と してもS5 社の社名を残すことにメリットがあると判断した。 売却価格は純資産に営業権(のれん代)を上乗せする形で算出され、全株式の取得代金 の他に役員退職金等の形で支払われた。 S5 社の従業員に対しては譲渡契約締結後に朝礼の場で両社長が揃って説明。主要取引先 については締結後に両社長が一緒に説明に回った。 M&A後、B5 社からは役員と経理担当者が派遣されているが、K社長も向こう3年間は 会長として勤務し、円滑な引き継ぎに努める予定となっている。事業も順調であり、グル ープ内連携の効果で受注は増えているとのことである。 両社ともM&Aの結果に大変満足しているが、成功の要因としてはふさわしい相手先の マッチングができたこと。両社の社長の経営に関する考え方等が一致し、信頼関係ができ たことがあげられよう。 M&A事例6(株式会社ストライクによる) S6 社は県内に 12 店を展開する地方のドラッグストアチェーンである。業績は順調であ ったが、大手ドラッグストアチェーンの地方展開が進展する中で、自社単独での事業継続 に不安を感じていた。L社長はまだ 50 歳代であったが、後継者となる親族はおらず、自分 自身の健康状態にも次第に自信が持てなくなっていたことから、チャンスを捉えて有利な 条件で全国チェーンへのM&Aを成立させたいと考えていた。 63 M&A仲介専門のストライクに依頼した結果、ドラッグストアの全国チェーンを展開し、 M&Aの経験も豊富なB6 社と合意し、株式譲渡によるM&Aが成立。 S6 社の店名、従業員はそのままB6 社が継承、L社長は引き続き相談役として残ること になった。 M&A事例7(株式会社ストライクによる) S7 社(配管・空調工事業)は、数年前に取引先である中堅ゼネコンの倒産により深刻な 経営危機に見舞われたが、血のにじむような努力により、漸く会社の再建を果たした。M 社長はまだ 60 歳代前半であったが、後継者不在と建設業界の将来に対する不安もあって、 今後の事業の継続・拡大に対する意欲の衰えを感じており、当社の経営を引き継いでくれ る企業を求めていた。 S7 社は株式会社ストライクとアドバイザリー契約を結び、買い手企業を探したが、漸く 再建に目途をつけたとはいえ、財務内容はまだ万全とはいえないという事情もあり、候補 企業探しは難航した。 そうした中、B7 社(ビルメンテナンス業)が当社に興味を示した。B7 社は中堅ながら 無借金経営の優良企業であるが、工事部門の技術者が不足しており、S7 社の優秀な技術陣 は大きな魅力であった。両社の社長は会合を重ねて互いの事業内容を知り、相互理解を深 めて、約半年後に買収条件に合意。買収監査を経て、株式譲渡契約を締結し、S7 社は過半 数の株式を譲渡してB7 社の傘下に入った。 S7 社の社名、従業員の処遇は従来のままとし、M社長も当面は現職にとどまった。一方、 B7 社はS7 社をグループ化することで、これまで弱点であった工事部門の強化を果たす一 方、S7 社も改修・営繕工事事業の拡大が可能となった。 M&A事例8(株式会社ストライクによる) S8 社はパッケージソフトの開発・販売を行っている。製品であるパッケージソフトの評 価は高いものの、営業力が弱いことから業績は今一歩の状態であった。N社長(60 歳)は 後継者がいないこともあり、資本力、経営力のある会社に経営を引き継いでもらうことで 現状を打破したいと考えていた。 株式会社ストライクに相談し、数社から引き合いがあったが、実質債務超過の状態であ ることから、提示される買収価格は低いものであった。一方、N社長は自社の製品には絶 対の自信を持っており、自分自身の退職金という意味からも売却価格にこだわったため、 なかなか成約には至らなかった。 交渉を重ねる中で、N社長の姿勢も製品が残り、従業員をそのまま引き継ぐという条件 が満たされれば、売却価格にはこだわらないという方向に軟化し、B8 社(システム開発) 64 がS8 社のパッケージソフト価値を最大限に評価して提示した条件を受け入れ、株式譲渡に 合意した。 N社長は株式譲渡後も数年間は社長として会社に残り、引き続き経営に携わることにな っているが、B8 社の関係会社となったことで、パッケージソフトのバージョンアップと営 業力の強化を実現することが可能となった。 M&A事例9(株式会社ストライクによる) S9 社は 40 台のトラックを保有し、東京都内を拠点とする自動車運送業者である。O社 長は 60 歳を超え、健康にも自信を持てなくなってきていたが、親族にも社内にも後継者と なるべき人材はいなかった。また、ガソリン価格高騰等の影響を受けてS9 社は厳しい収益 状況が続いており、事業の将来性にも不安を感じていた。 地元の金融機関に相談したところ、M&Aによる事業承継という方法があることを教え られ、株式会社ストライクを紹介された。同社の運営するM&A情報サイトに情報を掲載 したところ同業者を中心とした十数社から問い合わせがあり、交渉を進めた結果、東海地 方で運送業を営むB9 社とのM&Aが成立。S9 社はB9 社の企業グループに入り、従業員 の雇用も維持された。 買い手企業B9 社はM&Aによって、東京都内に営業拠点を確保するとともに、S9 社の 持つドライバー、車両等の資源を活用することで事業の強化・拡大が可能となった。 M&A事例10(株式会社ストライクによる) S10 社は大手民間企業や学校法人を顧客にグラウンド、テニス場等のスポーツ施設の設 計・施工を行っている企業である。市場の縮小傾向もあり、近年は売上が減少していたが、 財務内容は良好であった。創業者である先代社長が亡くなった後、子息のP社長が経営を 引き継いだが、当社事業に対して先代のような熱意を持つことができず、むしろ意欲のあ る優秀な経営者に事業を託したいと考えるに至った。 一方、B10 社は企業の管理部門向けに総合サービスを提供して事業を拡大している企業 であり、福利厚生施設サービスの部門に参入して、事業分野の拡大とサービスメニューの 充実を図りたいと考え、S10 社の買収に応じた。 65 参考文献 1.(財)全国中小企業情報化促進支援センター『中小企業の円滑な事業承継の進め方』 2008 年 10 月 同友館 2.信金中央金庫総合研究所「中小企業の事業承継問題の現状と留意点」 -子以外の第三者への承継という選択肢を検討する必要性- 信金中央月報 2008.4 3.信金中央金庫総合研究所「第 120 回中小企業契機動向調査-特別調査 後継者問題に ついて-」2005.7.5 4.(独)中小企業基盤整備機構 平成 18 年度 経営支援情報センター ナレッジリサーチ事業 「事業承継に関する研究~親族内承継におけ る後継者の事業承継の円滑化の条件~」2007 年 3 月 5.(独)中小企業基盤整備機構 平成 19 年度 経営支援情報センター ナレッジリサーチ事業 「事業承継に係る親族外承継に関する研究~ 親族外承継と事業承継におけるM&Aの実態~」2008 年 3 月 6.(社)中小企業研究センター『中小企業の事業承継に関する調査研究~永続的な成長企 業であり続けるための事業承継~』調査研究報告№122 平成 20 年 12 月 7.(財)中小企業総合研究機構「中小企業のM&Aの実態に関する調査研究」2008 年 3 月 8. (財)岐阜県産業振興センター『中堅・中小企業の事業承継とM&A報告書』2008 年 3 月 9.中小企業庁『中小企業白書』2004、2006、2007 各年版 66 平成 21 年 3 月 執 筆 者 財団法人 : 商 主任研究員 吉見 隆一(Ⅰ、Ⅱ) 主任研究員 望月 和明(Ⅲ) 工 総 合 研 究 所 東京都江東区木場5-11-17商工中金深川ビル TEL:03-5620-1691 FAX:03-5620-1697 E-mail:[email protected]
© Copyright 2024 Paperzz