東京の地下都市計画の可能性

東京の地下都市計画の可能性
松田達(松田達建築設計事務所)
久保隆行(森記念財団都市戦略研究所)
バブル期に、各ゼネコンや都市コンサルは、東京都心における多くの大規模地下開発案を提案し
た。都市開発の進んだ東京において、地下は残された数少ないフロンティアのひとつであり、そ
のため「ジオフロント」という名称が定着した。バブル期が去り、夢のような超巨大開発は少な
くなった。しかし、バブル期に生まれた大深度地下という概念は2001年に大深度法として施行さ
れ、都心における現実的な地下利用の可能性が高まってきた。ここでは、地下空間の計画につい
ていくつかの側面から検証し、問題点とその可能性を考察してみたい。
バブル期のジオフロント計画
80年代、東京には二つのフロンティアがあった。一つはウォーターフロント、もう一つはジオフ
ロントである。ウォーターフロントの開発は、千葉、横浜を含む東京湾岸一帯にわたって広く行
われ、80年代から90年代にかけて、湾岸一体は大きく様変わりした。一方、ジオフロント計画は、
ほぼすべてが計画案で終わったものである。清水建設のアーバン・ジオ・グリッド構想は、10km
ごとのグリッド・ステーションが地下でネットワーク化し、東京全土を覆うもの。大成建設のア
リス・シティ構想や熊谷組のオデッセイア21構想は、ネットワーク上に地上と地下をつなぐ巨大
構築物を配置し、その中央から自然光を採り入れ地下に交通施設を入れるもの。フジタのジオ・
プレイン構想は、地下の空間を飛行機が超低空飛行で飛ぶことにより、東京と大阪を50分でつな
ぐもの。いずれも壮大で夢のような計画である。東急建設は、実際に神奈川県相模原市に、大深
度地下空間実験室をつくり、地下空間における様々な実験を行っている。また、早稲田大学の尾
島俊雄は大深度地下の研究者として知られるが、都心部を中心としたクモの巣状の大深度地下ラ
イフラインを提案するとともに、アップゾーニング部とダウンゾーニング部というマクロな都市
計画提案も行っている。
清水建設「アーバン・ジオ・グリッド構想」(出典:http://www.shimz.co.jp/theme/dream/underground.html)
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フジタ「ジオ・プレイン構想」(出典:http://www.jsce.or.jp/contents/hakase/tunnel/18/index.html)
尾島俊雄研究室「大深度地下ライフライン」(出典:http://www.ojima.arch.waseda.ac.jp/~g4/daishindo.htm)
北米の地下空間利用
欧米では、実際に地下の様々な有効利用が進んでいる。アメリカのミネアポリスにあるミネソタ
大学には、80年代に地下空間センター(Underground Space Center)が設けられるなど、地下空
間利用に関する研究が進んでいる。実際、多くの施設が地下にあり、地下図書館や半地下学生寮
もある。地下の巨大ネットワークで知られるのがカナダのトロントとモントリオールである。ト
ロントの地下ネットワークはPATH(パス)と呼ばれる。1950年代に地上の混雑解消を目的として
地下歩行ネットワークが検討され、冬期の寒さ対策、地上の景観保全、地下鉄へのアクセスの良
さなどの理由から、その拡大が進んだ。1960年代後半から1970年代前半までは、市が一部建設費
の負担も行い、その後は民間中心に開発が行われた。モントリオールの地下街も巨大である。そ
の名も地下都市(Undrground city / la Ville souterraine)といい、面積は1,200万平米に及
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ぶという。基本的に高層ビル同士が地下で結ばれ、またそれらと地下鉄が結ばれていることによ
ってネットワークが生まれているという点が特徴的であり、制度的には、民間のビルが地下に公
共通路を設けることにより、容積率の割増を受けられるといった仕組みもある。
トロントのPATH(出典:http://www.vtpi.org/tdm/tdm128.htm)
ヨーロッパの地下空間利用
少し北米と違った事例も見ておきたい。ストックホルムは、地盤がほぼ岩盤であることが知られ
ている。そのため歴史的に岩盤との戦いがあり、19世紀末にダイナマイトが発明されてから、削
孔技術と発破技術を用い、ようやく本格的に地下空間が掘削されるようになった。特に有名なの
が美しい地下鉄駅であり、露出した岩盤の表面に壁画や彫刻が施されるなど、芸術的な地下空間
が生まれている。北欧は全般的に地表面近くまで岩盤である都市が多い。ヘルシンキも、岩盤を
開発した地下空間が多く見られ、巨大な地下空間システムを構築しつつある。ヘルシンキ市では
巨大化し、複雑化する地下空間利用に対し、さらなる有効利用や、地下資源保護を目的として、
2009年に地下のマスタープランを定めた。地下に都市計画を定めたという重要な先行事例のひと
つである。パリの地下利用も挙げておこう。パリはカタコンブと呼ばれる地下墓地や20世紀初頭
の地下鉄の導入など、歴史的にも地下利用に関して積極的である。地下空間を用いた代表的な都
市開発の例として、4区のフォーラム・デ・アールが挙げられる。もともと市場だった場所が、
複数の地下鉄線が乗り入れするとともに、巨大なショッピング・センターとして再開発された
(1979年)。特に地下三階に位置するプラス・バスと呼ばれる地下広場は、地下であることをあ
まり感じさせず、また周囲の地下フロアにも自然光がよく入るように設計されている。
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ストックホルムの地下鉄駅(出典:http://hokuouzemi.exblog.jp/i123/)
ヘルシンキの地下都市計画マスタープラン(出典:http://www.hel.fi/)
地下居住の事例
ところで、地下に居住することはできるのだろうか。人類は、地下に住むことを拒否してきたわ
けではない。例えば、トルコのカッパドキアは、初期キリスト教徒が使用したという多くの地下
都市があることが知られている。なかでもカイマクルの地下都市は、凝灰石を掘られてできた巨
大なもので、地下八階まで確認されている。観光客は地下四階まで入ることができる。台所、食
堂、教会、ワイナリーなどがあり、下水道や通気口も備え、二万人が暮らしていたという一大都
市である。地下住居は世界各地に散見する。スペインのアンダルシア地方にはクエバスと呼ばれ
る横穴住居がある。中国の黄土高原にはヤオトンと呼ばれる地下住居が知られ、横穴式のものも
あるが、下沈式のものは中央の穴を中庭として、そこから向かい合うように四方に横穴を掘って
いく。チュニジアのマトマタでも窪みから横穴を掘った穴居住居がある。ヨーロッパ、アジア、
イスラム圏と、かなり多様な地域で人類は地下に居住している。日本は、むしろ世界的に珍しい
カプセルホテルが存在する国でもある。日本人に居住に関する適応力がないようには思えない。
地下居住のイメージは一般的にはあまりよくないかもしれないが、カプセルホテルやネットカフ
ェに寝泊まりすることより、地下居住の方が難しいとは言えないだろう。
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カイマクル地下都市(出典:http://www.kaymakli.net/)
地下空間のメリットとデメリット
以上を踏まえつつ、地下空間利用のメリットとデメリットをまとめておこう。メリットとしては、
まず温度と湿度が一定であること。湿度は高いが、恒温性は居住環境にとってプラスとなる。実
際、北米、北欧など寒冷地での利用が多い。また耐震性がある。地震時の地下の加速度は、地下
数十メートルで、半分以下に減少する。地震の多い日本においては特に地下の有効性が高い。ま
た特に欧米では、地上の都市景観を保全できることも地下利用の根拠となっている。そして地上
の計画に比べて、地下は圧倒的に使われてない場所が多い。大深度地下は、ほぼ未開拓の領域で
あるといってよい。バブル期の日本では、都心の急激な地価高騰に対する解決策のひとつだった。
放射能遮断性もある。デメリットとしては、まずコストが高いこと。そして採光、通風がとりに
くいといった環境的な問題が大きい。既存の地中埋設物によって工事がしにくいこともある。ま
た地下では一度つくったものは、壊したり新しいものにつくり替えにくい。外部がなく、位置や
方向感覚が失われやすい、閉所であることへの圧迫感など心理的なマイナス要因もあるだろう。
地震時の地下の加速度(出典:『地下都市は可能か』平井堯編著、鹿島出版会、1991)
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入り組んだ地上と地下
現在、東京の地下空間は、地下鉄、地下街、インフラを始め、様々な形で利用されているが、そ
の全体を知るための見取り図はない。筆者は、過去に東京の地下フィールドワークを行ったこと
があるが、その際、地下を知るための地図が見当たらなかったことが印象的だった。おそらく、
防衛上の問題もあるのだろうが、地上がGoogle MapやGoogle Earthによってこれだけ詳細に見ら
れることと対照的に、東京の地下地図を描くことは、現状できない。一方、地上と地下の境界と
なる東京の地表面についても、単純ではないことを触れておかないといけない。宗教学者の中沢
新一は『アースダイバー』で、縄文海進紀の海岸線地図を現在の東京に重ねあわせる。すると山
の手にフィヨルド状の複雑な境界線が現れ、神社や寺院、墓地など霊的なものを感じさせるもの
は、大方、岬の部分に現れるという。中沢が岬に目をつけるのと対照的に、皆川典久と石川初ら
による東京スリバチ学会は、すり鉢型地形の窪みに注目する。その付近に思いがけない風景が現
れてくるというのだ。要するに、現在の東京は均質ではなく、無数の境界線と起伏が書き込まれ
た多様な空間である。このような微地形の発達した東京をわかりやすく知る経験の一つは、地下
鉄が地上に出る瞬間であろう。わりと浅い位置を通る丸の内線の茗荷谷から後楽園あたりや四谷
駅付近、銀座線の渋谷駅付近など、地下鉄は突然地上に姿を表す。東京の地下と地上は必ずしも
明確な境界線に切り分けられるものではなく、いくつものラインによって縫い合わされているよ
うな入り組んだ関係を持っている。だから、地下を単なるフロンティアとして捉えるよりも、歴
史と地層の織り込まれた空間として捉えるべきであるのだ。
Earth Diving Map(出典:『アースダイバー』中沢新一著、講談社、2005年)
広場や公園の地下空間
さて、一つ具体的な例を挙げておきたい。広場や公園の地下を利用できないかという提案である。
東京の広場のなかでも、皇居前広場はとりわけ大きな空間である。もちろん、となりには皇居が
あるわけであるが、この皇居と皇居前広場という関係は、ニューヨークのセントラル・パークと
メトロポリタン美術館の関係を想起させる。セントラル・パークの大きさが340ヘクタール、メ
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トロポリタン美術館の敷地が13ヘクタールであるのに対し、皇居(115ヘクタール)と皇居外苑
(115ヘクタール)を合わせた面積は230ヘクタール、皇居前広場の面積は35ヘクタールである。
内堀通りによって二分された皇居前広場の一方を敷地と見立てれば、かなり近いオーダーとなる。
美術館は、例えば直島に安藤忠雄による地中美術館があるように、自然光をあまり必要しないビ
ルディング・タイプである。収蔵品にとっては、直射日光がなく、温湿度とも一定な地下空間は、
良好な収蔵場所となるだろう。また、広場は防災拠点でもあり、その地下空間を避難時にも利用
できるようにしておくことは、理にかなっている。例えば、中国の広州開発区では、巨大な都市
開発の中心軸が大きな緑地となっており、その地下は都市機能を担いながら防災拠点としても計
画されているという。皇居前広場は、地下道で東京駅と直結できるので、アクセシビリティも非
常に高い。もちろん、皇居前広場である必要はないし、美術館である必要もない。しかし、この
ような大きな広場や公園の地下に、防災拠点を兼ねた地下構築物をつくることの可能性を考える
ことは、何らかの意味があるだろう。
皇居前広場(左)とメトロポリタン美術館(右)の大きさ(出典:http://maps.google.com/)
広州開発区の計画(出典:広州市珠江新城核心区建設事務所発行、広州市珠江新城核心市政交通項目、2009 年)
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