H.19 .10.2 放送講話 『 日本に「志」ある学生いる? 』 今日は、ガラッと趣を変えてヨーロッパの教育事情、ドイツの昔の「学生牢」、大学の 中にあった「学生の牢屋」の話をしましょう。 ドイツ、世界の金融の中心地、フランクフルトという都市から南へ約100 km 。ネッ カー川の河畔に沿って中世のたたずまいが残る古都、古い都「ハイデルベルグ」。 そこは、お城を中心に、ほとんどの建物が「赤色砂岩」という赤い砂を固めた材料で造 られていて、その色あいと周囲の緑とのコントラストが我々を未知の世界へ引き込んでい くかのような錯覚に・・・。とても美しい、幻想的な、とにかく日本では見られない景色 なのです。本当に何とも言えない眺めなのです。すぐに行くわけにはいかないでしょうか ら、インターネットで検索してみてください。 そこにドイツ最古の『ハイデルブルグ大学』があります。近年だけでもこの大学の医学 部から3人の「ノーベル医学賞」受賞者が誕生している、由緒ある大学なのです。その一 角に大変興味深い場所がありました。 なんと「学生牢(ろう)」なのです。18世紀後半から約130年余り、大学の風紀を 乱した学生を収容したのだそうです。2週間ほどの謹慎が普通で、1週間はパンと水、2 週間目に入って食事が与えられ、授業にも少し出させてもらえるのだそうです。中には生 活が苦しくなると、わざと悪さをする学生もいたそうです。 この学生牢の「壁」から「床」 、果ては「天井」にいたるまでビッシリと学生の落書き、 彫刻が刻まれ、中には写真まではめこまれているのです。これは単なるイタズラ程度のも のではありません。極めてレベルの高い芸術作品とも言えるもので、、当時の学生の「息 づかい」「思い」が伝わってくるような一見の価値あるものです。 ここの学生は、私が訪れた10年前、いや今でも自転車通学が主体なのです。車社会の ドイツといえども学生の車にはめったにお目にかかりません。周囲の人たちから見ても学 生は質素な暮らしぶりだと言います。 では日本はどうでしょう!? 豊か過ぎる生活、学問そっちのけでアルバイトに明け暮 れる諸君のなんと多いことだろうか・・。そこには「真の高等教育」を学ぶ姿勢に乏しく、 受験教育から解放された安堵(ど)感、失った(と感じているのかも知れない)青春を取 り戻そうと、いや親からの解放なのか・・?、この極めて大切な学ぶ時間を、ただただお おいにエンジョイしている学生諸君の姿のいかに多いことだろうか。 言い過ぎだろうか。 『大学はご臨終』という本の中で、著者である大磯正美氏は日本の大学生を「学生はボ ロットの群れ」、「日本の大学は1ドル700円」と痛烈に皮肉っていました。ロボット ではなくボロットです、大変な言い方ですね。その時は「なるほど!」と感心したもので す。知識偏重教育のゆがみだけとは言い切れない、中には学生の本分を忘れずシッカリ学 問、挑戦している諸君もいるわけですが、何かとてつもなく寂しいものを感じてしまいま す。本当の意味で「志の高い」学生を教育すること、育てること、今、大学教育、いや日 本の教育そのものに大きな転換と改革が要求されているのです。 一昨日79、昨日81、これは全校での遅刻者の総数です。毎日10%、一割以上の生 徒が遅刻をしていることになります。これが会社であればとっくに「倒産」しています。 生きていく上で、命の次に大切な「信用」を自ら放り出すなと君たちに訴えていますが、 「何とかしろ!」 先生方、厳しく指導、よろしくお願いします。 1 H.19 .10.9 放送講話 『 徳育の重要性 』 生徒諸君は「教育の3本柱」と言ったら、何かわかりますか。これは「知育」「徳育」 「体育」なのです。言われれば、「あー、そうか」とわかりますよね。このことは世界共 通なのです。 日本の教育では「学校教育」でこれらを全て担っています。世界を見渡すと必ずしもそ うではないようです。例えば、フランスではこの3つは分業となっています。知育は学校 で、徳育は家庭、そして体育は社会の役割というように分担しているのだそうです。 そういえば、夕方5時を過ぎるとパリのエッフェル塔のすぐ近くにある緑に囲まれた公 園、その中にある400m全天候型トラック、ちょっとした陸上競技場に多くの人たち、 年齢は様々な人たちが集まってきました。その走る人たち、多くのジョガーは思い思いに 談笑しながら、楽しそうに軽快に走っていました。体育施設が市民に開放され、そこで彼 らは健康・体力づくりを行っているのでした。 しかし、そのフランスでも体育の重要性が問われ始めたということでした。学校で体育 の時間を確保しようという動きが出てきたというのです。10年近く前の話ですが、そこ で体育の先生の確保と、そこへ希望する体育の専門家の希望が殺到するという事態が生じ ていました。学校での体育の重要性がフランスでも再確認され始めたのです。ギリシャ、 アメリカでも体育を除いては分業という考え方に近いものがあります。 さて、本題に戻りますが、ギリシャ正教やキリスト教を中心としたそれぞれの国に根ざ した宗教が、国民の生き方のバイブルとなっています。これは日本の場合とだいぶ異なっ ていることは皆さんも勉強しているはずです。特に「徳育」、いわゆる道徳心を養い、人 格を高めることを主とする教育のことですが、一般的には「躾(しつけ)」とも言います ね。その生き方を、宗教を通して、日常の生活の中で問いながら時間が進んでいることに 注目したいのです。昨今の日本の社会情勢を考えると、言葉を失うような悲しい殺傷事件、 秩序の乱れ、また、性に関する事象の氾濫など、日本の将来が思いやられる事態が蔓延す る、まさしく「日本沈没!」が危惧されてなりません。高等教育への憧れ、知識偏重教育 の中で軽んじられてきた「心の教育」、勉強さえすれば家の仕事・役割は果たさなくても よい、などといった考え方を、今すぐに、真剣に考えないと大変な未来を迎えることにな ります。 ギリシャの先生方との懇談の席上、「日本には3つの宗教があるそうですが、それぞれ 何%くらいか」、また「先生個人の宗教によって子どもに影響があるのか」、と質問され ましたが、困惑と同時に、この辺にも意識の違いを感じさせられたものです。 知育・徳育・体育という教育の3本柱が分業であるべきかどうかは別として、それぞれ の立場で実践を通して、キッチリと教えること、特に「徳育」に関して、家庭教育を出発 点に人間の生き方を真剣にかつシッカリと考え、毅然とした姿勢で教えていくことが急務 であると考えています。そのことを先生方にもお願いしているところです。 「是は是、非は非」、「良いことは良い、悪いことは悪い」と、その場面・場面で示し てあげることが絶対に必要なのです。生徒諸君もそのことを身体全身で覚えていてほしい のです。 「いいことはいい、駄目なことは駄目」なのです。まず家庭で、そして地域・学校で教 え、声をかけなければいけないことなのです。 2 H.19 .10.16 放送講話 『 中越大震災から丸3年! 』その1と、厳しい本校就職戦線 【「ほらっ、キラリと光るものが!」 昨日の久々の全校集会で話しましたが、人間は、 「一人ひとり、誰でも、いいもの、いい個性、光るものを持っているのです。」 現在、全校生徒754人。全員、みんなが同じはずがないじゃないか!それぞれの力、 個性を伸ばす努力をしてごらん!それには時間がかかるのです!】と話しましたね。 来週23日は、あの未曾有の「中越大震災」からちょうど丸3年目を迎えます。4月の 始業式の時、1年生はまだ姿を見せていませんでしたが、そこで話したように、私はその 震源地、しかも土曜日の夕方、5時56分でしたが校長室にいたのでした。少し振り返っ てみます。 早口になりますが勘弁してください。 「ドドーン!」という大きな音とともにやってきたとんでもない縦揺れ、一瞬身体が宙に浮いたよう な感じだった。それに続く立っていられないほどのグラグラという大きな左右の揺れに、多少の事では 驚かない、さすがの私も、とてつもない異常さと恐怖心で思わず校長室の机の下に隠れてしまった。何 秒間であったのか、大変長く感じられたものだった。「とうとう来たな!それにしても凄い規模だ!」 今までに感じたことのない恐怖が何回も体中を走った。 私の後ろからは、本や書類の入った二段重ねのロッカーが倒れてきていた。いつ倒れてきたのかよく 覚えていない。とにかく、揺れがおさまるとすぐに管理棟の廊下へ出た。正直なところ生徒、教師が校 内に何人いるかはわからなかった。しかし、その時間帯、年配の警備員さんが校舎内巡回に出ているは ず。「遠くに行っていないでくれ。どうか無事でいてくれ!」と念じながら「警備員さん、大丈夫です か!」、「校舎内に生徒、職員はいないか!」とありったけの声を出して叫んだ。ひょっとして涙声であ ったのかもしれない。 「私は大丈夫です」と、警備員さんの声が。事務室から比較的近いところにお られた。続いて、管理棟の一番端にある進路指導室から一人の教師の声がした。 「生徒が一人います!」 「怪我はあるのか?」という問いに、「ありません!」 「それでは、すぐにグランドへ出なさい!」 と叫びながら進路指導室の方へ走った。すでに戸が倒れ、ガラスが散乱している状態だった。その生徒 は女子生徒で、グランドではなく体育館と講堂にはさまれた駐車場に身を小さくしながら震えていた。 その教師に彼女を校舎正面の前庭へ連れていってもらった。校舎内を見わたしたが幸い他には誰もいな いようなので、私も正面玄関前の前庭へ移動、避難した。生徒1名、教師2名そして警備員さんと私の 5名が顔を見合わせ、信じられない体験に、驚きは言葉にならず、目を通じて確かめ合うとともに、無 事避難できたことにひとまず安堵の胸をなでおろしたものだった。 しかし、それからなんと約30分の間にさらに2回の震度6強の余震が来たのだからたまらない。安 堵の胸をなでおろしたはずの我々を、「この先どうなるのだろうか?」という言い知れない不安と恐怖 心が襲ったのは言うまでもない。 そんな中で生徒諸君、高校生も頑張りました!それも併せ来週にこの続きを話します。 さて、9月末から就職試験、第一次の結果が続々出てきています。実は私も大変に驚い ています。合格者が50%にも遠く及ばないのです。私の勤めていた去年までの高校は、 50名前後の就職希望者でしたが、昨年は第一次合格が86%でした。不合格だった3年 生には申し訳ないのですが、残念ながら、日頃の「生活」の、「勉強」の結果がそのまま 出てしまったと言ったら、言い過ぎでしょうか!? とにかく次のチャンスに向け、万全 の準備を行い、全力を振り絞り、必死な思いで挑戦してください。 3 H.19 .10.23 放送講話 『 中越大震災から丸3年! 』 その2 ~ 生徒から「意見書」が届きました! ~ 「地震」第2話の予定でしたが、緊急の話題を提供します。 とにかく今日は、生徒諸君に伝えたいことがあります。 先週金曜日のマラソン大会、お疲れ様でした。その閉会式で、私はかなり厳しい「檄」 、 即ち「もっとシッカリ取り組め!」と発奮を促しました。そのことに関して、学校生活を 真剣に考えているある女子生徒から校長宛の【意見書】をもらいました。 その概要は、 「校長先生は、私たち生徒に向かって怒鳴りましたね。私はとても悲しかったです。 生徒の中には態度の悪い者もいますが、中にはちゃんと授業を受けて、先生の言う事を 聞いている生徒もいます。頑張っている生徒に対してとても失礼じゃないかと思います。 もう少し生徒達に愛情を持って接してみてはいかがでしょうか?そして生徒達の目線で 物事を考えて見てはどうでしょうか。怒ってばかりいては生徒はついてきませんよ。」 というものです。 私は、恥ずかしく思う反面、嬉しく思いました。 「私の配慮が足らなかったんだ、と反省しました。あの場面で、『頑張っている生徒に は申し訳ないが』と二度付け加えながら訴えたつもりでしたが、それが諸君に伝わらな かったとしたら私の力不足です。申し訳ありません。」 しかし、私の真意も理解してもらいたい。「怒鳴ってばかり、と言うが私が怒鳴ったの かちどき は他にありましたか? あの体育祭で、君達の頑張りに「勝鬨」をあげたことを思い出 してください。生徒諸君も乗ってきてくれたじゃないですか!皆さんに頑張れる人間に なってほしいのです。社会で胸を張って生きていける向陽卒業生を育てたいのです。」 ただ、この生徒は 「これは先生に対して悪口を言うためではありません。そして高山 校長先生が向陽高校をよりよい学校に変えてくださることを願っています。」と結んでく れました。 ありがとう! 皆で力を合わせ「素晴らしい学校」にしようじゃないか。 今日23日、新潟県中越地方を襲った最大震度7の「中越大震災」からちょうど丸3 年目、その日を迎えました。地震の発生した午後5時56分、そしてその後もこの地震 が原因で尊い命を失われた68名の方に、心から「黙祷」を捧げたいと思います。 いつ襲ってくるかわからない天災、地震や自然災害に備え、それに対する「心構え」と 「勇気」そして、それを乗り越えるために皆が協力する「助け合いの心」が大切です 来週、今回触れたかった地震の話の続き、そして特に、高校生の頑張った「事実」 、「本 当にあった努力の姿」について触れてみたいと思います。 明日から2年生は沖縄「修学旅行」です。一人ひとりが「忘れえぬ思い出」を一つでも いいから作ってきてください。健康に気をつけ、事故のないよう、元気に行ってらっしゃ い! 4 『中越大震災から丸3年! 』 その3 H.19 .10.30 ~『高校生の頑張り』~ 2年生、お帰りなさい。全員が無事に帰って来てくれてホッとしています。特に「伊 江島」での民泊体験が大変感動的で、別れの港では多くの生徒が涙したことを聞いて、 たくさんの「心のお土産」を持ち帰ってくれたのだなと大変嬉しく感じています。いい 修学旅行になりましたね! 前回2回の放送で出来なかった、地震のその時の続きと、「高校生の頑張り」について 触れてみたいと思います。 最初は、また少し早口になりますが勘弁してください。 【ドドーンという大きな音とともにやってきたとんでもない縦揺れ、一瞬身体が宙に浮いたような感 じだった。・・・今までに感じたことのない恐怖が何回も体中を走った。・・・】 しばらくすると、何人かの生徒が我々のいる玄関前に集まってきた。他校での練習試合や近くの陸上 競技場からの部活帰りの生徒が4名、ジャスコや街の中で地震に遭遇し学校へ避難してきた生徒が12 名、隣の高校の女子生徒が1名、総勢18名となった。皆が口々にその時の恐怖を言葉少なに話し、今 の無事を喜んでいた。しかし携帯電話が通じなくなり、離ればなれになった家族とは連絡が取れない。 次第に不安も募って行く様子が手にとるようにわかった。 学校のグランドにはすでに10数名の親子 連れが避難していた。そのほとんどがお年寄りと子ども連れの女性。余震が次々と襲って来る中で、グ ランドのほぼ真ん中あたりで互いに身を寄せ合いながら恐怖や寒さと戦っている姿がとても痛々しく映 った。地震発生から3時間、午後9時近くになり、少しずつ落ち着きを取り戻すなかで、逆に寒さを感 じるようになってきていた。このままの状態で避難している方々や生徒達を外に置くわけにはいかない。 グランド脇の物置からブルーシートや断熱シート、運動部の部室からウオーマーをありったけ出して、 避難者や生徒に配布した。多少は寒さをしのげそうな状態になり、皆さんの顔が少しほころんだのを覚 えている。その後、無傷であった武道場に避難していただき、ストーブを探し出し暖をとってもらった。 その頃には教師の人数も少し増えていた。学校を心配するとともに、住んでいたアパートが損壊した り、また恐怖の思いも手伝い、若い先生方そしてその奥様も学校へ駆けつけてきた。なんとか自家用車 でたどり着いた教師も多く、その自家用車の中へ生徒を寝かせ、我々は野宿をすることになった。真ん 中に1台のストーブを囲み、ラジオに耳を傾けながらほとんど一睡もすることもなく・・。しかしなが ら、 その晩はなんともいえない「満天の星空」が我々を見守っていてくれた。 小千谷市内全域 が停電になり、地球本来の姿に戻ったがゆえに、あんなにも美しい輝く星の大群が寒空に現れたのだ。 気温7度ということだったが、その寒さと恐怖とともに、一抹の郷愁を感じたことも事実だった。 そのような避難所生活の中、高校生諸君は皆んな頑張りました! それぞれの避難所で食事の配分のお手伝いをしたり、お年寄りの話し相手や肩もみをし たり・・。また、自宅ばかりではなく近所の壊れた住宅の後片付けに汗を流しました。 一方その頃は「推薦入試」の出願そして試験が始まる時期でした。受験する生徒は「涙 を流しながらも必死に勉強しました。」避難所は9時に消灯です。初めはロウソクの明か りや懐中電灯を頼りに・・。段々と避難所に「学習室」が設けられましたが、とても満足 に勉強できる環境でないことは皆さんも想像できますね。しかし、目指す進路達成、大学 合格に向け、まさしく「必死に」勉強したのです。「こんな所で勉強できるか」などと文 句を言っている状況ではありません。心身共に疲れ果てている中、生徒は一心不乱に取り 組んだのです!そして、小千谷西高校として、今までに類を見ない成果を収めることがで きました。新潟大学5名、北海道教育大学・都留文科大学各1名の7名の他、国公立短期 大学6名と、昨年までは1~2名しか合格できなかったことが嘘のような結果を出してく れたのです。まさしく「神がかり」でした。「火事場の馬鹿力」と言ったら怒られるかも しれませんが、人間は苦しい時こそ、その思いが明確であれば「力を発揮」できるのです! また、地域の復旧・復興にあたってくれた高校生に地元小千谷の市民の皆さんが改めて 「高校生の素晴らしさ」を誉めてくださいました。 「やればできる!」 5
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