野口英世

伝記編日
OTSUKA漫画ヘルむー文庫4
野口英世
漫画:浜田貫太郎
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日本医師会
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は伝記です。こういう偉人たちがいたからこそ医学が進
のことをもう一度思い起こして下さい。
日本学校保健会
歩し人聞が病気に打ち勝ち寿命が延びてきたのです。こ
この本を読むにあたって
人聞の発明や発見は偶然の機会によるものももちろん
あります。しかし多︿は、絶え聞ない努力ど強い信念、
そして何よりも使命惑を持っところに生まれて︿るので
す。この伝記編から偉大な業績の陰にある偉人たちのそ
ういう姿を読み取ってほしいと願っています。
会長村瀬敏郎
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野口英世博士
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野口英世
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清作の生家の
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記意碑には、日本語で﹁忍耐﹂。
フランス語で﹁忍耐はにガい、だガ
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実はあまい l﹂とあります。
あ伺
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清作の生家には 、清作ガきざみ
定つ芝のです。
巳は帰らないぞ -とか芝い決山
医学者にならなかっ芝らここ
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清 三々 清
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東 京 でのさだない下 宿
生活ガ始まりまし定。
医術開業試験(前期)は
月後の十月でし定。かなり
清作ガ東京に来てから一か
むずかしい試験ではあっ芝
ガ、清作はみごとに合格し
まし定。
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しかし、前期試験は合格
のんでくれまルだガ、院長
は、舎は人を雇い入れる気
皿脇先生は、院長先生にだ
はないといいます。
し疋ものの 、まだ後期の試
験ガ残っていましだ。でも、
院へ来だ血脇先生のことを
清作は、舎年の夏会陽医
らうことにしまし疋。
ないしょで清作を置いても
小便さん夫婦に芝のんで、
歯料医学院を定ずねま
思い出し 、先生のいる高山
血脇先生は困ってしまい
清作のふところは、さびし
くなっていまし芝。
先生や友だち
からもら った
お金も
然り少なく
なってきた
づ僻
きびし
かったから
ついつい
むだ遣いして
しまったなあ
27
清作は、目立だぬように
小使さんのてつだいをしま
しだ。
じつは、院長先生はこれ
をしっていましだ。そして 、
清作の勉強ぶりや圃きぶり
を見ていましだ。
主主
そして 、清作を正式に小
使として雇ってくれまし定。
清作は、後期の試験に合
格するには、ま定まだ勉強
ガ芝りない。もっとドイツ
詞樹齢凶刈 困割晶劃
ガできる学絞 へ行きだい・
そう思うと、血脇先生に相
談しましだ。いや 、相談と
いうよりもっと強引に定の
み込んだのです。
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清作は、医学を教える学
一八九七年十月、清作は
す。受験者八十名。そして
いよいよ後期試験に挑戦で
その時の合格者四名。
校に通うようになりましだ。
しかし、学校は遠いので 、
の笥かありまし定。
合格者の中に﹁野口清作﹂
学院の小使をやめ、学枝の
近くに下宿しなくてはなり
ません。
七年はかかるという試験
を、清作は一年、 一発で決
下宿代と 、学校の月謝で
十五円もかかります。血脇
めだのです。
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かし血脇先生は、いろいろ
な人の協力を得て、そのお
金を清作の定めに出してや
りましだ。
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血脇先生は 、清作ガ医師
の試験に合格しだら、故郷
に帰って医者になるのだろ
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作の話を聞いてなっとくし
ましだ。
いいじゃないか
き みは 今 は
りっぱな医者
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匿 事
学そをそ
院のあし
の仕だて
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5 高ま疋
で山しめ
し歯だに
芝科。{士
血脇先生はだいへん喜び
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・・細菌について研究かでき
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円片岡同怜同医陶随
なかっだからです。
ある日、清作は思い切っ
て、皿脇先生に学院をやめ
芝いと申しでましだ。
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食事つきですから、節約
すればなんとか生活できま
しだガ、清作はいつのころ
からかお金の使い方ガだら
しがなくなっていて、お金
を持っと遊び歩きましだ。
そのくせ、髪の毛はポサ
ボサ、着ているものはヨレ
ヨレ。
さすガに血脇先生もこ
怒り
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まし定。
その本を出版してもらえれ
ばお金ガ入る・:と、その日
大愚ある先生を怒らせて
は疋いへんです。清作はあ
やまりましだガ、もうお金
を借りることはできません。
清作は、故郷を出るとき
からの﹁宿題﹂・:細菌学の
本の(後編)翻訳をして、
そしてお金ガなくなると、
から、その難事業にとりか
かりましだ。
血脇先生や、友定ちから大
金を借りて遊ぶのです。
清作という人はネ
一方では
のら
金使いが
荒かったり
したけれど
また一方では
すごい努力家
だったんだ
野口︿ん
おい
少しは
寝たら
どうだ
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4
、+・
いや
いい の です
三時 間
寝れば
33
学 菅Z
の 野町
翻徹三
訳 三す
をは
み出
菅野は、清作ガ順天堂医
菌の
院にいるよりも、伝染病研
清作は、血脇先生、順天
堂医院の佐藤進院長などの
つ 権1
病
芝 鼠ぃ研
。 。ヲ
宅
ほ岡崎内陀い陥陳情剛院聞
に、問手として入ることガ
できましだ。
北里柴三郎樽士
イ乍の染
研
究
所
を
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究所にでも行って、もっと
α
コ
勤
め
疋
伝
。
細
菌
学
呈三塁差
だ よ2
細 役?
じっくり勉強するようすす
ちの英
1じ 月 斤 性t
上接
めまし定。
の所
来直
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でき
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疋て
ガ研
、究
なにもきせて
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思ったのに・
助手には
もっと
いろいろ
研究できると
だ
守清 は
問所
もに
な入
くつ
34
奥 急=気 大
さいと思
んで閏あ
を帰いる
見 みり て 先
とい苦
生
いいしそかそ
うくんれらん
も す で に 手 てな
の り い は 紙主折
い 早三清 の
ま 速 Tイ乍奥
し な 。 妻2
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だい東ガい津
。 も 京 腎 Zだ の
の に 臓5。 小
ガ 何 病3 林
か で 先
舞 玄、 、生
し、はさ
だ先会ん
。生津ガ
のに病
清作は、東一切から持って
来芝くすりを飲ませ、っき
まかせてよ
お父さんが
死んでからも
おはか参り
てのだて
ちゃんと
" さ 気 護ご
。 涙さん は の
を は 治主力
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、り い
ガ清まあ
しイ乍しつ
してあげるよ
し こ 生 れJ 厚 三
まろとのい
し に 奥 病 看f
35
っきりで看病しましだ。
うん
これからの
おまえも
人生で
これを
忘れては
いけない
霊丈
ま
奥
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ご 先 さ 手て
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ではる、ガ、
ほっとし疋ある 日、清作
は小林先生にこんなことを
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話し出しまし
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糸川
先生
この小鋭の立
由
﹁野々口精作﹂という
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人物がでてきます
ぽ(と同じように
医学生なんです
そしてその人物は
ふしだらな生活を
続けてやがて
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自殺してしまうのです
﹁うぜんでも
同じような名前で不ゆかいです
ぽ︿は名前を
かえようかと思っています
36
英世
アメリ力ヘ
レ と ろ のメはレ
ろメ
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て力答いあ
ににえら 、
37
ある目、英世は、所長の
フ;よそア私フそ
、定
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つつししい
てだだ やで
く英ガいす
北里博士に呼ばれまし定。
勺うや︽
すうに
今 ア メリカから
フレキスナ!という
博士が日本に来ている
そ の 博士が この 研究所 を
見た いとお っしゃる
きみ通訳と案内役を
やってくれないか
熱山に案内して回る英世
に、北里博士はもちろん 、
フレキスナ │博士も喜びま
しだ。
れ世の
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まのちとを博士
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ここで英世は、大手柄を
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求、各は昌喜
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そのころ、日本ではじめ
す 派 uま い 清 二 三 い
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横査の結果、高熱に苦し
ぺい
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て、外国力らくる船に伝染
語痛λが吠末件患者せ士
湯
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ことを発見しだのです。
これゆ
々スト
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ペストは、
わずか五年前、北里博士ガ
ホンコンではじめてその病
原菌を発見しだばかりで 、
一般にくわしく知られてい
ませんでしだから、患者の
発見は大ニュースでし定。
ら本ガスにで
れ か ら ト あ 、北
てら医ガく英里
いも師はり世博
芝医団やまを士
ガて
病患者ガいないかどうかを
。
海港検疫医官時代の
。
英世
。 。
職匡 官2
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さ 里 ガ 横1
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ま士要する
し は で る 法す
芝 、 し 「 律2
。 英 疋 海?
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世 。 港 ミで
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そ 疫2
の
医 いそ
こ えを埼
38
いと思うようになりましだ。
ますます戸メリ力に行き芝
英世は、帰国してからは
ガ、それを伝え聞いだ小林
くれると言ってくれましだ
弥寿平は五百円を出して
のもとで講師をしなガ5、
ってき芝英世は、皿脇先生
先生に叱られて東京に戻
作ろうとしないのか
なぜ 自 分 で
そのお金を
他 人 に た よ る のか
きみはなぜ
へん怒りましだ。
先生は、英世を呼んでだい
疋さじ
、んみ
あおの
、
の金
皿脇先生は 、そんな英世
をみて 、方々力らお金を借
りなんとか戸メリ力に行か
せてやり芝いと思いまし定。
39
それでも戸メリ力への夢を
捨て切れずにいましだ。
八 ゃを そ
子 ごつ し 八
弥 ゃご て 子
寿 すう 舎 と
平 ごし で は
でても、
すく芝却
。れくな
日
1
:
1
フレキスナ│博士は、突
を感山させましだ。
えの熱山さと努力で博士ら
定。ここでも英世は持ちま
英世は、博士の友だちの
ミ 山チ工ル博士とともに 、
毒蛇の研究に取り組みまし
然やって来定日本の青年に
五
そのこ沼戸メリ力に行く
には、汽船で十八日もかか
=.
いましだガ、しつこ
す言葉
りまし定。そして、フレキ
かに
りは
ま 、
。
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三
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車
で
も
40
毒蛇の研究はりっぱな本
にまとまりまし定。
てく学カ
〈
校は
れ 実与を
るヵ }出
。勉メ
強 I
_
)
力
につださだし
刻 喜だ ら ん 過かて
み こ 、 の 去こま
込とこ人を疋
み を こ 々 13¥ 、
ま、まのり自
し あ で 援土力 分
芝 ら こ 助 5え の
。だらがつ歩
めれなてい
いよいよ研究発表の目、
ノ
てなか芝て
両博士は 、育名な科学者だ
みなのリ
研で
究、実
に英力
熱 予世 ガ
中 手は も
しまの
ますい
しまう
疋すフフ
l
山かつくきそ
ちに英世を紹介しまし定。
ヒデヨ・ノゲチの名は、
で、
不
1
、
明
広く戸メリ力に知られるよ
ゐ 会え
わたしは
びんぼうな家に育ち
左手のやけどを
笑われてきた
いつか見返してやろう
偉くなってやろう:・と
がんばってきた
そして自分の力で
ここまで来たと
思っていたが
そうではないんだ
たくきんの人々が
わたしをここまで
育ててくれたのだ
41
うになりまし定。
人でどア
をはこメ
英世は、人は力とともに
徳(りっぱな山やおこない)
ガなければいけない・・・とつ
アレ?
刊ぺlジのときと
同じだなあ
お母さん
おじいちゃん
おばあちゃん
田中先生
きかい先生
モモコ先生
ユカちゃん・:
叫 べ lジと同じで
こいつ
誰か一人
忘れてんだよなあ
42
血清
療行示
英世が研究を 続けた
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げヲえ
22弓
ロックフェラー医学
ご~ =- ~
研究所
島内9 L
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溝 fの に
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血液をt ってしばらくその
kうめい
、 透明なう
ままにし てお ︿と
かた
わずみ液と、赤黒い固まりに
分かれます。そのうわずみ液
が血清 。
ど
毒、,(例えば蛇の)や病原磁
を、ある動物仁移すt その血
清仁、その毒や病気をやっつ
ぷっしつこうたい
ける物 質 (抗体)ができます 。
めた
その抗血清を人に与・ λると、
その人は毒や病気 にうち・勝つ
カを 得ます 。
英世が研究したのは蛇の奇で、
1 0'
;Ai
この毒をヤギに注射し、そ のヤ
ギの抗血清を使 ・λぱ、蛇にかま
れた人は死なずにすみます。
まんよ
英世の毒蛇の研究も一段
長吾;
や
落ついてしまいましだ。英
︿
句
世はこんどはトラホームの
空のう
「毒│一
作うし
るちま英
こ勝す世
をに学年
とつ。は
でく研ア
すす究ン
一年後、戸メリ力に
帰つ疋英世は、世界にほこ
mZ聞
の
ロックフェラー露呈
一等母子として迎えられまし
定。そしてさらに、 =歪後に
ことにしまし定。
43
病 な
気方
u
病原菌の研究にとりかかる
きさの
皿:
'
.
9
t
8-?九
は準正員、五年後には副正員
になります。
ガ疋
でくこ
りはマ
梅毒
な
か
ぱ
、
い
ま
す
。
そのころドイツで梅毒の
病原薗ガ発見され、医学界
の話題巳なっていまし定。
間巳ある西インド諸島定
けの病気でしだガ、それが
戸ツという聞に広ま わ疋病
気で、ひどくなると脳をお
かされ、死んでしまいます。
は 婚えの
フフも研
メし究
リての
力
の
人
で
だ 夫?ぃ 入 鏡 も
梅毒も恐ろしい伝染病、ま
さに人類の敵です。
英世は、この梅毒の新し
い発見方法をみつけ疋り、
ま芝、死んだ患者の脳から
梅毒の病原菌をみつけ出し
だり、医学上大きな働きを
します。
世界中でこの病気の研究
をしている医学者はだくさ
んいましだガ 、ノゲチの努
力ガ勝つ疋のです。
メお英
I
_
) 嫁 品世
つにま英を寝
疋つし世のる
ん 結己こ
さは
そく芝のぞ時
う す ガ 愛Rい 間 研
で や 、 相通て を 究
す さ 宝 ) い 惜 u熱
。しとにるし山
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奥もきヒで、
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ん く おて イ 微 つ
44
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病核 ~. 5
英
気じに世
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を│マ毒
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け き 狂 t研
ま 大 犬i
究
そき病
1
2
そんなあり、英世のもと
に一通の手紙ガ日本から届
きまし定。それは、血脇先
生のもとで一緒に勉強しだ
友だちからぐ中に英世の
田シ力の年老いだすガ疋を
し定。
写し芝写真ガはいっていま
しかしその白も、一九一
八年十一月十目、六十五歳
でてくなります。
45
シ世
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力に十芝とだ英
は 、五 。 熱 ち 世
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山もは
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ま 、し
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。
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まい疋
。
熱病の調査、研究の定め南
かけます。
戸メリ力の工ク戸ドル へ出
患者や病原菌をもったネズ
ミなどの血をす つだ力ガな
かだちしてか かる伝染病。
高熱と寒けで
、 血を吐い た
りする。
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医│
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五
十
世一
界歳
の
医短
学い
界 生}
に 涯f
残で
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芝芝
46
. 1907 (明治 40
年 ) 31歳
ア メ リ 力 ・ベ ン シ Jレノぜこニア大会酔より、
T'(
‘ ,
,
(
マ ス ア ー ・オ ブ ・サ イ エ ン ス の 学 イ 立 を 贈 ら れ る。
・
1911 ( 明 治 叫 年 ) 35
歳
京都議酋大学(今の京都大学)より
医 学 博 士 の 学 位 を 贈 ら れ る。
・
よ位ぃ
々の
1914 (大正 3年 ) 38
歳
う 、 か 偉い
東京帝国大学(今の東京大学)より
。勲1
ら 大目
章;
贈?な
なら足
理学博士の哨立を員曽られる。
・
・
1915 (大正 4年 ) 39
歳
帝 国 学 士 院 よ り、 主 主 均 百 を 贈 ら れ る。
1918 (大正 7年 ) 42
量
生
に
Aの
、
エ ク ア ド Jレ 名 誉 軍 医 監 、 陸 軍 大 佐 に 任 命 さ れ る。
グ ア ヤ キ ル 大等監、キ 卜一 大 学 よ り 、 名 誉 畢 伺 受 の
L主 bご
う
見 名合
世
て 誉ょ
界野
みあ中口
まるの英
し 学?国 世
どれ跡
でだを
称 号 を 貝 曽 ら れ る.
・
1920 (大正 9年 ) 4
4
.
歳
ベ ル ー ・リ マ 大 学 医 学 部 名 誉 教 授 の 称 号 を 贈 ら れ る。
・同 年
この本をかくにあたり 、次 のような文献を 参考
にさせていただきました 。
-中 山茂著 野 口 英 世 ・ 土 橋治重著 野口英
世 ・ 馬 場正 男 著 野 口 英 世 ・ 神 戸 濠 箸 吉 弁
忠 商 野 口英 世 ・ ブ ル lガイドパ ック 会 津 、
蔵王、 仙台 ・ 学 研 新 世 紀 大 辞 典 ・ そ の 他
47
メ キ シ コ ・ユ 力 ? ン 医 科 大 学 よ り 名 誉 医 学 博 士 の 学
f
立 をR
曽ら才1る 。
・
1921 (大正 10年 ) 45
歳
ア メ リ 力 ・ブ ラ ウ ン 大 学 及 び エ ー Jレ 大 学 よ り ド ク ト
ル ・オ ブ ・サ イ エ ン ス の 名 誉 学 位 を 贈 ら れ る。
・
・
・
1923 (大正 12年 ) 47
歳
帝 国 学 士 院 会 員 と な る.
1924 ( 大 正 日 年 ) 48
歳
フ ラ ン ス の レ ジ オ ン ・ ド ・ヌ-)レ微調Eを 目 曽 ら れ る。
1925 (大正 同 年 ) 49l
最
・
'
.
.
コ ー ベ Jレ 賞 牌 を 贈 ら れ る。
フ ラ ン ス ・ノぐリ大学より、
ド ク ト Jレの名誉学イ立を且曽
ら れ る。
ぜ L
ご
・
い
正五イ立の動章受講t"
1928 (
目
召
手口3今三) 亨E呈
云
( AI
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.
う
~.l (じっじ...ニ,
L.
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寛
有=
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二事Eさ才、、丸E 日.ぅ'e.を員個らオ1る 。 フ ラ
" うえ さニ うあう O A
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ン ス 政 府 よ り 防 疫 功 労 金 牌 を 贈 ら れ る。
ニの本を作った先生方
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曇
函
浜田貫太郎(はまだ・かんたろう)
昭和 5 年東京生まれ。東京J~業大学・~~学部中選、
日本芸術学院卒。代表作にミ ニミニ ミクロ君、
まんが活、 1'tちゃん釣り歩きなど。著~I f-に'!lt1J
物のひみつ J'つりのひみつ J'つり入│吋 J'海づ
り入 I
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Iづり入門 J'ヘラブナ釣り入門 J'
つ
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'存夏秋冬つりの本J
'かんちゃんの
りの小百科
没1
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1
かま〈ら使利帖J なE。
監修委員
村瀬敏郎(日本学校保健会会長)
矢野
亨(日本学校保健会副会長)
和久井健三(日本学校保健会専務理事)
大園真彦(日本小児科学会会長)
協
)
I
頂天堂大学医学部教授)
カ 酒井シヅ(
修
第川森ビル八階
例 日本学校 保 健 会
東京都港区虎ノ門ニ│三│一一一一
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尚、二の冊子についてのお問合せは 窓口3
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)世界を駆けぬけた生涯
行函
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漫 画 ヘ ル シ l文 庫 伝 記 編
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@ 野 口英世
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船 日 本 医 師会
l 二八│一 六
東京都文京区本駒込 ニ
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大塚製薬株式会社
東京都千代田区神田司町二│九
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ま
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48
日本学校保健会編
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三l
克服
2,
8
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姿聖書 ・運 動 ・乗 物 酔 い と 平 衡 機 能
)半校生 活とか ら だのパランス ,~"~
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心
臓
手
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