私と「おばあちゃん」 福山大学 人間文化学科 交331301 趙思蒙 「初めまして、小川です、よろしくお願いします。 」 「あ、初めまして、交換留学生の趙思蒙と申します。よろしくお願いいたします。 」 これは、私と「おばあちゃん」との初めての出会いでした。 福山大学のキャンパスに、一人の特別な「年長の学生」がいます。その方の名前は小川 です。小川さんは大学生よりも熱心で、毎日、定刻より早く教室に来て予習復習をし、授 業中一心不乱にメモを取ります。人生は、いろいろな出会いによって成り立っていると言 います。私は、小川さんとの出会いにすばらしい縁を感じます。 日本語に自信が持てない私は、日本人学生となかなか話すタイミングがつかめず、まし てや友たちになることは不可能に近いです。小川さんはそんな私を気にかけ、熱心に日本 人学生と話す場を作ってくれました。それだけでなく、ほぼ毎日自分で作ったみかん茶と お菓子などで私をもてなし、一緒に難しい古典版の「源氏物語」を読み、時には自分の人 生経験も教えてくれます。小川さんに今でも勉強する理由を聞くと「人生というのは長い ようで短いもんですよ。悔いの残らないように、今自分がしたいことをするんじゃないで すか」というすがすがしい答えが返ってきました。 もしこれまでの人生で一番悔やむことは何かと聞かれたら、それはもうこの世にいない 祖母に、自分の気持ちを伝えられなかったことです。中学校のとき、小さい頃から私に愛 を注いでくれた祖母がガンで亡くなりました。今でも、その日の出来事が鮮明に脳裏に刻 まれています。あの日、祖母は久しぶりに退院し、うちで療養していました。テレビを見 ていた私をベッドに呼び、何か言いたげでしたが、そこへ急に電話のベルが鳴り響きまし た。それは、友たちからの遊びの誘いでした。祖母も「それなら、気をつけて行ってきな」 と優しく言ってくれました。まさか、それが祖母の最後の言葉になろうとは思ってもみま せんでした。その日の夜、祖母は急に危篤に陥り、私が病院に駆けつけた時には、もう言 葉すら出なくなっていました。何度も何度も「おばあちゃん、おばあちゃん」と叫ぶ私に、 祖母はただ静かに涙を流すだけでした。祖母はそのまま永遠に私の世界から消えました。 中国では「親孝行しようとするときには、もう親がいない」という言葉があります。その 日から私の心にぽっかり大きな穴が開いていました。 小川さんはある時私にこう言いました。 「いつか、結婚式に必ず呼んで!私がどこにいよ うが、必ず見に行きますから」と。その時、思わず涙があふれ出ました。その時から小川 さんは私にとって特別な存在になりました。彼女からのすべての親切は私にとって祖母が 異国にいる私を温かく見守ってくれているように思えるのです。そして、私も彼女の苦手 なパソコン作業のお手伝いをしたりして、こっそり親孝行しているのです。小川おばあち ゃんとの暖かい交流は知らず知らずのうちに私の心の穴を塞いでくれました。 初めて飛行機で眺めた日本の風景は、まるで昨日のようです。そのとき、見知らぬ土地 への不安からか、窓際で見えたうねうねした日本の輪郭は、よそ者を排除しようとする警 戒線にしか見えませんでした。しかし、今の私には、日本でのおばあちゃんができたので す。生身の人間の愛情にはけっして国境はないのです。ご清聴ありがとうございました。
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