第 90 号 - FPU兵庫

FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取)
F P U 第 16 連合会
(兵庫・岡山・鳥取)
機 関 紙
第 90 号
月刊 平和統一 NEWS
F P U 第 16 連合会
〒650-0022 兵庫県神戸市中央区元町通 7-1-2
ネオアージュ神戸元町 1001 号
TEL.078-360-0757 FAX.078-367-4323
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E-mail:[email protected]
H
HU
第 90 号
発行 FPU 第 16 連合会
UH
発行人 文 聖 純
2016 年 2 月 1 日
第30回平和統一セミナーが、神戸勤労会館(三宮駅前)にて開催されました。
2016 年温暖さの感じられる年明けの 1 月23日、JR 三ノ宮駅近く
の勤労会館にて、新井先生を講師にお迎えして、現代の世界にあって、
なお冷戦的な分断の構造を強固に残している北東アジアの中でも最大
の「冷戦」地帯である、韓(朝鮮)半島について語っていただきました。
今、この歴史的事実を改めて学ぶことへの重要さがひしひしと感じ
られる昨今、年月の過ぎ行くさなか、歴史に埋もれてしまうのではな
いだろうかとの危惧を、特に本日の聴講の主流として参加された「在
日」の有識者の方々が抱きだした折でもありました。
冒頭に文聖純 FPU 第16連合会/
兵庫会長代行が開講の挨拶として立
たれ、
「南北の統一について大いに役
立ち勉強になると思います」と語られ
ました。 講義は「南北の統一」を考えるとき避けて通れないのは韓(朝鮮)半島
の地政学的特性であることでした。半島を取り巻く4つの国家を無視しては半島
の統一はあり得ないと定義されました。取り巻く4つの国とは言うまでもなくア
メリカ・日本であり、ソ連(ロシア)・中国を意味します。
これらの状況を「四大強国と連動」と表記され、また、
「南北統一と国際環境」
と言葉を置き換えても良いと思われました。1945年の朝鮮半島の解放から3年後の韓国と北朝鮮のそれぞれ
の独立がありました。 1950 年から 1953 年にかけて民族にとって哀しみの大地と化した韓国(朝鮮)動乱
が勃発しました。半島を取り巻く国々の対立が和解(1972 年の米中和解)へと転じ、その出来事があっても南
北に分断された半島は統一しませんでした。
このセミナーで 1985 年に韓国政府が北方政策を進めていったことについて述べられました。これは「韓国
の南北統一政策と展開」と、統一のための環境造成を下地とするものでした。いうまでもなく「国造りをしてか
ら統一へと進みたい」というものでした。①先に建設・後に統一政策(1963~1979)②北方政策(1985~1992)
③太陽政策(1998~2007)朴正煕大統領から盧泰愚大統領、金大中大統領へとの一連の流れがありましたが、
結局は現在(2016 年)に至るまで南北の統一は成就しませんでした。
分断から 65 年を経て、なお緊張の緩まない韓(朝鮮)半島。南も北もそれぞれ新体制を作り上げました。21
世紀の北東アジアの平和はこの地域に周辺国も含めた平和の枠組みを作れるかどうかにかかっているのです。
NHKスペシャルとしての映像による韓国の北方政策と題して『朝鮮半島が動く~平和共存・南北はなぜ歩み
寄ったか』(1992 年 4 月)が 15 分間上映されました。また、盧泰愚大統領の回顧録として「私が日本の国会で
≪日本から釜山まで海底トンネルで来て私たちがともに肩を並べていこう≫と演説したのも、まさにそのような
構想を含んでいたのである」が本日の平和統一セミナーの中で最も印象に残った内容でした。
51 回目の韓国料理教室が今年初めて新長田駅前ピフレホールで開催致しました。
冬なので、風邪を引いたり体の調子が悪くなってメインメンバーの
方々何人が休む中で季節に合う 3 品を作りました、1 月なので大きな
メイン料理は 1. 餃子入りのトックと、2. 寒さに耐えた白菜のチヂミ
と、 ニラ、えごまの葉入りのチヂミ 3. 炭酸水につけた大根カクテキ
キムチを作りました。トックの作り方
は、牛肉を使った出汁にトックと餃子
を入れた一品でした。
白菜チヂミは白菜の本来の甘さを
生かしたシンプルな一品でヘルシー
なので無理して食べても良いでしょ
う。炭酸水に 30 分つけた大根カクテキキムチはまだ、一味違う歯ごたえがあり
参加された皆さんが簡単に作れるくらい良い料理でした。これからも春夏秋冬季
節毎にありますのでよろしくお願いします。
次回は 4 月 22 日に開催いたします。
平和統一聯合
Federation
for Peace
and
Unification
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月刊 平和統一 NEWS
第 90 号
««««««««««『平和統一メッセージ』»»»»»»»»»»
国を愛せない者は
神の国も愛することが出来ない
それで、これ民団の僑胞ね、今日初めて会った。統一教会のメンバーとして。民団にいる韓国の
血統を受け継いだ後孫として初めて会った。この若者達はどうだろうか?新しく希望をかけてみよ
うか。それは希望をかけてみられるような内容か、それは見ておかなきゃならん。そう思うんだね。
卒直な事言うんだよね。
だから、あんた違は訓練を受けなきゃならん。分りましたね。これは猛烈に訓練をする。韓国の
女は、日本の男以上訓練を受けなきゃならない。そういう苦労をしなければならない。何故かとい
うと、韓国のエバはアダム国家の女である。日本の男はエバ国家の男である。アダム国のエバは。
エバ国の男に勝らなければならない。原理的な話なんだね。それは。いい物着ながら誇るんじゃな
いよ。そういう物を着なくても、日本の全ての統一教会に勝るような高らかな心情でもって。神の
心情圏を日本の地に起すような代表的な者にならなきゃならない。
先生自体そうだよ。日本の地に遊びに来ておるんじゃないよ。ここ日本に来たのは、見物して回
る為に来たんじゃないよ。疲れきったそういう立場にあっても、一つの国の為に。その国に対する為
に生命を懸けた愛国者が多い。それ以上の心情基準を持たなければ、天の世界に乗りきれる道を開
くことは出来ない。というのが先生の思想なんだね。アメリカに行ってもそうだよ。その峠を乗り
越えたその時にはね、休む。安全地帯だからね。峠を乗り越えない所であった場合には、死んだ場
合には怨讐圈によっておおわれてしまう。
こう見た場合に。民団の今後の行くべき道は如何なる立場や。それは追いに追われておるよ。そ
うだろ!そうだろ!君達は追われてきた。何処行くや。何処行くや。民団の十万近いその者達が、
北韓の北送船に送られていった。これを見て、今迄民団の青年が黙っておったのか。先生はたまり
きれないや。それは、そこに行ったら地上地獄にいって、炭坑に行って遭う苦しみを先生は良く知
っておるよ。策を構じないで落胆してただ見ていて、それっきりで解決するのじゃありません。
六十万の僑胞を救わなきやならん。そうするには。理論的に共産党を正面に打ち向わなければな
らない。又、武力でも戦わなけりゃならない。空手も習え。男としては、一人の男ぐらいは処理す
る力を持たなければならない。先生はそういう訓練されておる。月給袋に売られていくそういう牧
師じゃありません。街頭に立った場合には。たたかう者の友達である。正義に立って、そういう訓
練しておる。運動は、何の運動でもやれない事はない。自分に自信持てるような防備手段を、準備
しておかなきゃならない。何故かというと、街頭において活動する場合、共産党とぶつかり、これ
以上こらえるのは正義に拘わるという時、行動をやれるような主体的人間にならなきゃならない。
分りましたね。
将来あんた違は、民団において、僑胞において皆貴重な責任者だとして教育しなけりゃならない。
1975年5月12日
平和統一聯合
Federation
for Peace
and
Unification
杉並にて
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FPU第16連合会/兵庫 会長代行 文聖純
2016年丙申年2月を迎えることになりました。2月は旧暦で正月を迎えることになり、特に旧暦1月6
日は文鮮明・韓鶴子総裁の誕生日を迎えることになります。文総裁は生きていらっしゃれば96才を迎える
ことになり、最近、以前に増して文総裁の偉大さと課題を考えるようになりました。
文総裁はいつも、地球村の平和を願われ、超人種、超国家的な和解に加え、地球共同体としての成熟した
生活の道理を悟らせてくださり、教えてくださいました。
私たちに全ての力を尽くして、民族の統一と平和と繁栄、そして、確固たる信念を持つように指導してく
ださいました。愛人、愛国、愛天と共生共栄を教えて下さいました。また、天の法理と愛を全人類に見せて
くださり、神様に対して忠孝の삶(生き方)を見せてくださいました。多くの人々が、文総裁を8大チャンピ
オンとしてみています。
① 神様をよく知っているチャンピオン
② 人間をよく知っているチャンピオン
③ 霊界をよく知っているチャンピオン
④ サタンをよく知っているチャンピオン
⑤ イエス様をよく知っているチャンピオン
⑥ 聖書をよく知っているチャンピオン
⑦ 人類歴史をよく知っているチャンピオン
⑧ 家庭の価値をよく知っているチャンピオン
このようなイメージが私の胸には残っています。
生前、文総裁は神様に「神様!あなたは何の主義ですか?」と尋ねる(聞く)と神様は、「私は神主義であ
る」と答えるだろうとおっしゃいました。
「神様だから考えも一つで、二つではない」それでは神様は何をもって統一するのか?それは知識でもな
く、お金でもなく、権力でもない。世界観、家庭観、種族観、民族観、世界観、神様天宙観、神様の一つ主
義が昼も夜も24時間はもちろん若い世代、古い世代、老若男女を問わずいつでも端から端に通じることが
でき、縦横の前後左右に通じることができる理想的なその分母がある。それは真の愛である……。
その真の愛の母体は父母を愛すること、その後、夫婦を愛すること、その後、子を愛すること……。その
愛を拡大して天の国の愛を相続して、愛を受けることができる真の子女になること」とおっしゃいました。
「これが人間の道理であり天宙の道理で愛の統治世界に歴史観を結続させて神様が喜び、人類全体、人間
が喜び万物が喜ぶ世界である」とおっしゃいました。
このような基本的なことかも知れませんが、一番難しいことかもしれないので、あんなに沢山おっしゃっ
ていたんだなとも最近考えました。
私たちは、文総裁から沢山学んだ者として、基本に帰って、それらを最高の目標として生きていきたいと
思います。
金榮翯氏 平和統一聯合本部会長就任挨拶
明けましておめでとうございます。昨年中は平和統一聯合の各連合
の会長、事務局長には大変御世話になり、ありがとうございました。
本年もどうぞよろしく御願い申し上げます。
昨年末に平和統一聯合中央本部の大塚克己会長が任期満了に伴い
退任され、後任に私か重責を荷負うことになりました。どうぞよろしく
お願い申し上げます。本年の予定事業を成功させるために各連合会長を
始めとして各会員の皆様の御協力を御願い申し上げます。
さて本年も昨年同様「ピースロード」を日本全国から世界へ走破して
韓半島の南北統一と世界平和の一助となる様、アピールして行きたいと
思います。又、会員相互の親睦を図って参りたいと思いますので、一人
でも多くの会員の皆様の参加をよろしく御願い申し上げます。終わりに、
今年一年間、皆様にとって素晴らしい年となります様、御祈念申し上
げます。
平和統一聯合
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韓国民話
鳳仙花哀歌
月刊 平和統一 NEWS
第 90 号
②
阪神支部 支部長 尾道 宗継
ある日の夜、胸をえぐるような伽耶琴の音色を聞いて目が覚めた王は部屋の戸を開けて外を眺めた。煌々
とした月の光の中で消え入りそうに続く伽耶琴の旋律が王の胸に響いた。
「鳳仙……!」王はいきなりその音色が、鳳仙が好きでよく弾いていた曲だったことを思い出した。
「どうかなさったのですか?」目を覚ました王妃が近づいて心配そうに聞いた。
「伽耶琴の音色を聞いたら昔のことが思い出された」「伽耶琴ですって?」王妃は怪訝そうな顔をして王
を眺めた。「あの音色が聞こえないのか?」首を横に振る王妃を見ながら、やっと王は自分が幻聴を聞いた
ことを知った。
数年後、王は皇室の招請を受けて元に行くことになった。亡国の太子として抑留生活をした彼が一国の王
となって、また元の国の地を踏むことになり、万感胸に迫る思いがした。瀋陽に近づくにつれて王は胸が躍
った。夜毎、幻聴に悩まされながら罪悪感に苦しんでいた王は鳳仙に会って許しを請い、離れ離れになって
いた恋しさを一気に取り戻そうと思ったのだ。
瀋陽で公式の日程を終えた王は鳳仙を探すよう使いの者をあちこちに行かせた。ところが鳳仙の行方は分
からないままだった。彼女が住んでいた昔の家にも、鳳仙が演奏をしに出かけていた部屋にも消息を知って
いる人は誰もいなかった。高麗に帰国する日が近づいてくると王は焦り始めた。鳳仙に会わずにこのまま帰
る訳には行かなかった。帰国の前夜、王は臣下たちに悟られないように宿所を脱け出し、鳳仙との思い出が
残っている町を歩いた。
「自然は昔のままで何も変わっていないというのに、恋しい人はどこにいるのだろう!」石の欄干にもた
れて溜息まじりに呟いている王は服を引っ張る気配に振り返った。「どうぞお恵みください」高麗の流民の
ように見える女人が手を差し出して物乞いをした。「お前は高麗人か?」背くかのように首を振っていた女
人が王を眺めていたかと思うと驚きの声を上げた。「もしかして高麗の太子さまでは?」「そうだが……」
女人は驚いたように地面に座り込み大声で泣き始めた。「どうして今頃になっていらっしゃったのですか。
可哀想な鳳仙は……」「鳳仙、鳳仙といったのか?」王はハッとして
聞き返した。やっと探していた鳳仙の消息を聞くことができるのだ。
女人は妓女出身で鳳仙と実の姉妹のように過ごした間柄だった。無
口な鳳仙も彼女を実の姉のように慕い、自分の心のうちを隠すことな
く話したと言う。
「太子様が出発なさった後、鳳仙は高麗から消息が来るのを首を長
くして待っていたのです。ところが太子様からは遂に何の消息もあり
ませんでした。鳳仙は部屋の中に閉じこもって伽耶琴だけを弾いてい
ました。宴会の席にも出ず、寝食も忘れて、ただただ伽耶琴だけを弾
いていました。そんなある日、鳳仙の部屋で昼夜となく聞こえていた
伽耶琴の音がピタリと止まってしまったのです。私が行ってみたとこ
ろ、鳳仙が伽耶琴の上に倒れたまま死んでいたのです。どれほど伽耶
琴を弾いたのか十本の指から血をたらたら流しながら……」
女人の話を聞いて王は悲痛な思いを禁ずることができなかった。悔
恨の涙を流している王を見ながら女人は話し続けた。「私が鳳仙の死
体を伽耶琴といっしょに埋めてやりました。あの世でも太子様を恋し
がりながら伽耶琴を弾いていることでしょう……!」「鳳仙の墓はど
こにあるのか?」「参られますか?ここからそう遠くありません」
王は女人に案内を受けて鳳仙の墓に参った。土盛りもされていない貧相な墓が寂しく王を迎えた。王は鳳
仙の墓に酒をまき慟哭しながら異国で寂しく死んでいった彼女の魂の慰労をした。その時、墓のそばに咲い
ていた一輪の花に目がとまった。か細い枝に鮮紅色の花をつけている可憐な姿が王の心をとらえた。王はそ
のはなを鳳仙の化身と思い、大切に花の種を取り帰国した。その後、人々はこの花を鳳仙の魂が変わってで
きた花だといって鳳仙花と呼び、毎年鳳仙花が咲く時、女性は爪を鳳仙花の花びらの汁で染め、十本の指か
ら血を流して死んでいった鳳仙の魂を讃えると伝えられている。
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第 90 号
申 日東(シン イルトン)の履歴(歴史とイデオロギーの狭間で生きた)(1)
申 日 東(元章)民族学校教職歴22年 神戸市在住
この自分史は日東自らがアルツハイマーと宣告された後、殆ど盲目(0.02)で薄れ行く記憶を
辿りつつ、パソコンの音声を頼りに書き下ろした文です。書き漏らしたことも多く、また重複した
部分も沢山ありますが、短編集を読む感じで読んで下さい。
申日東は申桂承、李外順の長男として1935年3月17日に朝鮮慶尚南道昌原郡上南面鳳林里で生まれま
した。
申玉順、申君子の2人の姉がいました。優しく美しい長姉は幼い頃狂犬に噛まれ高熱(40度近い)が2
週間も続きました。そのために知能が少し弱い人でした。(もう一つの日清戦争といわれている東学
〈1894年甲午〉農民戦争で、日本軍の朝鮮人皆殺し作戦の一環としての狂犬放ちがありました)生家は
貧しい農家でした。実は大地主農家だったのが1910年、日韓併合による殖民地政策で農地収奪にあい田
地田畑を没収され、貧しい一貧農にさせられたのです。日東の祖父、申宗均は東学徒で反日の闘士でした
ので、日本政府の国策会社である東洋拓殖会社の農地測量に届出をせずに、また、周囲の人々(朝鮮)に
も届出に応じないように反日指導をしていました。ゆえに、大地主だった広大な農地は日本政府に強奪の
憂き目に遭いました。
祖父の弟の均玄も東学徒で私塾(竜池学校)で反日教育の教師でした。
日本政府は、宗玄に「君の兄が土地を取り戻す為の裁判闘争をしている事も、収奪された土地が申家の
物である事も、充分承知しているが、日本政府の方針に従わずに法律により没収されたのだから、法に従
えば土地を取り戻す事も出来ます。君もこの私塾を日本政府の学校に移換すれば、君をその学校の校長に
迎え日本政府から月給をあげますから、その金で没収された農地を買い戻しなさい。便宜を図ってあげる
から日本政府に反抗しないようにしなさい。悪くはしません」と懐柔し、兄弟の仲を裂きました。
そのようにして申家の農地は宗玄の所有となりました。桂承は自分の土地であるべき農地で、叔父の農
奴にならざるを得ませんでした。申宗玄は自分の甥である桂承(日東の父)に「この土地は私が金で買っ
た土地だから君がまた買い戻しなさい」と言うので、一念発起して日本に渡り金を稼ぎ、農地を買い戻す
ことにしました。
1936年に日本の神戸に着き、神戸製鋼所に就職し、昼夜を問わず働いて毎月30円以上の金を故郷に
送りました。
日本の官憲は疑いを持ちました。ある日、葺合警
察署に逮捕され、
「お前、何か悪い事しているだろう。
正直に吐け」と言って有無を言わさず竹刀で殴り、
柔道場で10人がかりで順々に投げ飛ばされ何度も
失神しました。桂承は「私は日本語が分かりません」
と言いました。すると、「それは日本語じゃないか」
と言ってまた投げ飛ばすので、殺すなら殺せとばか
り口を閉ざして成すがままにされ、また失神しまし
た。警察官はバケツの水を掛け蘇生させ、幾度も拷
問しました。
何回か水を被って蘇生した時、流暢な朝鮮語で「本
当にお前、日本語を知らないのか」と話しかけてく
れる人がいました。それが在日朝鮮人を取り締まる
小西特務刑事でした。桂承は「はい、知りません、また、何の為に逮捕されてきて拷問を受けているのか
も分かりません」と言うと、小西特務刑事は「お前が毎月30円以上もの金を朝鮮に送金しているのが、
只事ではない何か悪い事をしているに違いないと言う嫌疑で逮捕されたんだ」と優しく言いました。
桂承は「昼は神戸製鋼所で働き、夜は阪神電車の地下工事で働き正直に稼いだお金です。調べてみれば
はっきりする筈です」と答えました。葺合署は実態を調べました。すると桂承の言うのと矛盾がありませ
んでした。釈放する前に特務刑事は「お前は中々根性のある男だ。私の養子になれば色々な便宜を図って
あげます」と言われ義理の親子になりました。
早速、小西特務刑事から連絡がありました。「桂承よ、朝鮮に行って労働者を集めてきなさい。多いほ
ど良いです」と言われました。桂承は小西特務刑事に言いました。「人はいくらでも連れて来れますが、
家を準備してください」と頼んでから故郷へ帰り、友人知人はもとより親戚の人も含めて、50世帯ほど
の若者のいる家族を連れて神戸へ帰って来ました。
神戸には朝鮮の慶尚南道昌原出身の「在日」が多いのはこの為です。
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雲水(くもみず)の行方や何処(いずく)なるらん
第 90 号
(21)
~韓(から)くに雲水の旅・昌寧に留まる~
FPU 兵庫 副会長
元臨済宗東福寺派 京都総本山東福寺 塔頭 即宗院
曺 小 煥
なおも観龍寺住持は日本からやってきた「在日臨済僧」に語った。「寺史には日本国のヒデヨシが 6 万
人の兵士を朝鮮国に送って戦争させた。その戦闘は 7 年間も続いた。日本人は同地で信じられないほど
多数の人々を殺し、多数の町や村を焼き払い、考えられる限りの暴虐を尽くしたのであった。また真冬に
なって川の水面がすっかり凍ってしまうと、遥か遠くの村まで出かけ、力づくで押し入ってきて、人や牛
や馬など(その他動くもの)の全てを持ち去った。特に若い婦女子は一人残らず兵士たちの主人である大名
のもとに集められ日本国へと連れ去られた、とあります。その折に当時の鐘楼堂の梵鐘閣にあった新羅時
代初期の国宝とも言うべき鐘が持ち去られたのです」彼は住持のその話を聴いて「私はその話を学生時代
に 16 世紀にオランダ人船長ヘンドリック・ハメルの書いた『朝鮮幽囚記』で読んだことがあります。60
年以上も前のことでしたが、今日は図らずも身近に接見することが出来て感動しました」と率直な感想を
住持に述べた。彼の周辺を堂塔伽藍が歴史の興亡、悠久の面影と香りをほのかに秘めて取り巻いていた。
食堂は韓国の寺院構図では珍しく境内に渓流を取り入れており、小さな池や滝の流れが見られる場所で
あった。食堂から眺めると最も近いところに小さな池が配してあった。住持が「曺スンニム、この池は九
龍神池と称され、昔この池に九頭の龍が住んでいたといわれます。現在でも、そのうちの1頭が生息して
いるという伝説があります」との説明を聴いてあらためて池の周囲に目をやると、今まで気づかなかった
のが、私の目に5,6人の婦人が合掌しつつ池の周りをぐるぐる回っていた。それ故にこの寺の名が観龍
寺なのだと彼は古代からの寺名の由来に納得ができた。
近くにある滝のせせらぎの音と清涼な空気は、日本にいた時とまた違った俗世の煩(わずら)わしい煩悩
(ぼんのう)を洗い清めてくれるかのようである。周囲が滝と良く調和していて、優雅そのものであった。
想えば彼の若い頃に修行していた京都・東福寺の境内にも(紅葉の名所と言われ)谷川もあり、池もあった
が韓国でよく見られる婦人達の合掌して池を巡る姿などは、つゆだに見かけることはなかった。
昼食は徹底的に韓国式精進料理であった。住持の話によると「当寺の畑と周囲の山々から採取したわ
らび・ぜんまい・せり・トラジ(桔梗の根)・人参をふんだんに使用しています。まさしく薬膳料理といえ
るでしょう。またそれらを乾燥して保存しているのですが、年に4回ほど漢方薬の仲買人が都会からやっ
てきて購入してゆきます。檀家の人々や遠方に居住する方たちからも申し込みが有って、それでもって寺
の維持に役立てているのです。充分に召し上がってください」とのことであった。食堂に全山の僧が集ま
った模様である。20代の青年僧から90代とおぼしき超高齢の老僧の姿も見受けられた。食後に彼は住
持からその1人ひとりを紹介してもらった。旅の途中で病に侵
され、そのままこの寺の僧侶の一員として住み着いたという経
歴の60代の僧が4人も居た。その時、彼は心の中で家族に先
立たれ、天涯孤独になったら此処へ訪ねてこようかな?という
思いがよぎった。
90代の超老僧が2人居られた。ひとりはこの寺の元住持で
若い頃は奈良の法隆寺で学僧(修行中の僧・学問の深い僧)とし
て、約20年間精進していたとのことであった。もうひとりの
超老僧は近郊の大学の元学長で、何もかも全てを投げうって出
家の道を選んでしまったと彼に語った。
ともに日本語が完璧であった。そのためかほとんど日本語が
通用し、彼にとっては異国?ともいうべきか、どうかと悩んだ
りする祖国の故郷に今、いることを忘れるほどであった。
住持は2人の老僧と食後のお茶話しに梵鐘閣のことについて当然、彼にも聞こえるであろう日本語で、
まるで寒山・拾得の如くに額(ひたい)を寄せ合って語り合うのであった。元住持が彼に述べた。「私た
ちは、3人とも90代です。鐘楼堂の梵鐘閣の鐘をどうするのかで長年悩んできました。太鼓のままで良
いのかと議論をこうして毎日のようにしています。幸い曺スンニムがお立ち寄りくださいました。是非、
思われることをお話しいただけたらと思います」と彼に述べるのであった。彼は一度、うなずいて3人の
超老僧を一人づつ眺めて話した。「檀家の寄進を受けて鐘にするか、それとも1595年以来の連綿と4
12年間も続いている太鼓にするか、私の決心は既に決まっています。今、此の場で即断することが出来
ます。私はやがて半島を一周ののちに、本寺の大本山である通度寺・トンドサにも立ち寄るつもりで居ま
す。寺歴を考察しましたら矢張り412年前のヒデヨシの壬辰倭乱(文禄・慶長の役)にさいし本尊であ
る仏像は奉安されていないままに現在に至っているとありました。ヒデヨシからの受難の歴史が、大本山
の通度寺と、末寺としてのこの観龍寺にのしかかっているのがまざまざと、私には見えるのです。400
年以上も待ったのですから、もう100年待てばいかがでしょうか」。
静寂な堂内の 4 人の老僧に刻が流れた。
<つづく>
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倒れる2本のオベリスク
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京都大学名誉教授・FPU京都会長 渡辺 久義
不思議な夢というものを私はごくまれに見ることがある。40 年ほど前の夢で、今でもありありと覚えて
おり、明らかに何らかの意味がありそうだが、何かわからないまま今日まできた。私は予知夢などというも
のを見たことが全くないので、これがそうだとは言わないが、ごく最近、ひょっとしたらこれだったのか、
と思えてきたことがある。私はその当時、今のような知識も興味もなかったので、意識の上で現在につなが
ることはない。
夢自体は単純で、私は京都あたりの大きなお寺の裏の墓地を歩いていた。かなり広く、日が当たっていて
気持ちがよかった。ごく普通の墓標がほどよい間隔で並ぶ中に、ひときわ背の高い、墓石の数倍か十倍もあ
りそうなオベリスクが、2 本並んで立っていた。オベリスクとは、古代エジプトに発すると言われ、わずか
に先細りの、石造の四角柱で、天辺がピラミッド型になった記念碑のことである。このオベリスクが――こ
こが目に焼き付いている光景なのだが――立ったまま並んで、同時に横へ動き出し、土を掘りながら進むの
で、土がむくむくと盛り上がった。しかし長くは続かず 2 メートルくらいで一緒に倒れ始め、私は大慌て
でお寺の軒下へ逃げた。そこで夢は終わった。
オベリスクなどというものを、私は平生思いもよらず、しかも倒れ方が尋常でない。この夢があまり不思
議なので、何人かの友人に話した。あるときは、ちょうど東西ドイツのベルリンの壁が崩れた時期だったの
で、それはソ連の崩壊を意味するのではないか、といった人がある。だとしたら、もう一つは何だろうと私
が言うと、彼はマルクス主義ではないかと言った。それでは似たようなものではないかと二人で笑った。こ
とほどさように謎は解けなかった。
私は、アメリカのワシントン DC のワシントン記念塔が、オベリスクだということは知っていた。イル
ミナティというものの秘密性が急速度で暴かれていくにつれて、アメリカのワシントン DC の都市計画が
イルミナティによるもので、この記念塔も彼らの New World Order のシンボルであることは知っていた。
これは彼らにとって、ピラミッドと同じ異教の神(反キリスト)を象徴するものらしい。これは欧米のほと
んどの主要都市に存在するようである。しかし、私の夢で、もしこれが倒れたのだとしたら、もう一つはど
れだろうか?(もちろん私の夢を解いてくださいと言っているのではない。真剣に考えていただきたいのは、
私の指摘する次の事実である。)
私は今、隠されていたものが次々と暴かれていく中で、最も重要で貴重なものは、ますます増えていくイ
ルミナティ離脱者による証言だと思う。このところ私たちのブログ(創造デザイン学会)の翻訳記事は、も
っぱらそれに当てられているので是非ご覧いただきたい。これらは彼らの内部告発というより、想像を絶す
る悪と残酷の世界からの悲痛な SOS である。我々はこういう世界があることを知らなかった。少なくとも
内部者の口から聞いたことはなかった。彼らは我々の敵ではある。彼らはこの地球を完全に支配して、我々
の人口を 5 億に減らし奴隷化しようとしている。にもかかわらず、あるいはむしろ、だからこそ、我々は
協力して彼らを救わなければならない。彼らの内部からの情報提供によって、我々はようやく事情が分かっ
てきた。魂を悪魔に売らなければ生きていけない人たちがいるのである。これは彼らの神であるルシファー
との契約である。
まず我々は現実を知らなければならない。彼らは世界的に影響力をもつほとんどあらゆる機関を支配して
いる。例えば、我々の読む新聞記事は、すべて彼らによって操作されている。NWO の実現の妨げになる情
報はすべて排除される。我々は離脱者たちの証言によって、我々自身が、実はどういう存在であるかをも知
、、
ることになった。彼らを鏡として初めて自分がわかる。その知識の上に立って、はじめて我々は彼らと有益
、
な戦いをすることができる。人類の進歩のための戦いをすることができる。それは自分との戦い、自分を乗
り越える戦いである。それは霊的レベルの戦いであって、殺しや復讐の戦いではない。
離脱者の中でも、特別に聡明な女性スヴァーリの証言によって、我々大多数が認めたがらない――実は認
めないように操作されている――悪魔の実在とヴァチカンの正体を知った。これについては「スヴァ―リと
の独占インタビュー(4):ヴァチカンにおける子供の生贄」を読まれたい。解説にも書いたが、この中で
ぎょっとするのは、この凍り付くような生贄の儀式が終わった後で、参加者が New World Order に対す
る終生の忠誠を誓わせられるところである。このフレーズは、父ブッシュ大統領が、1991 年初めて米下
院で口にし、続いて数人の政治家がこの言葉を用いた。これは、イルミナティを通じて、米政府とヴァチカ
ンが一体化していることを示すだろう。――私はこれを読んだとき、ヴァチカン聖堂のサン・ピエトロ広場
の真ん中に、もう一本のオベリスクが立っていたことを思い出した。
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渡来の元となる朝鮮半島の氏について
月刊 平和統一 NEWS
第 90 号
日本家系研究学会 与那嶺正勝
友人には慶州の出身者が多い。
なぜかウマが合うというか不思議な縁を感じることがある。
李氏、崔氏、金氏など懐かしい感覚が出てくるのである。
最近出会った友人は清州金氏だと言っていたので、 すこし調べてみた。
なんでも祖父の代に北朝鮮から38度線を越えて南へ逃れたので族譜がよくわからないといっていたから
である。
日本では東京大学の東アジア研究所なる部署があって古い朝鮮の族譜を集めている。その中に清州金氏族譜
旧序があり読んでみて唸った。
先祖は高麗時代に新羅の敬順王の八男から出た一族であるとある。
やっぱり慶州に連なる一族であったのだ。
ただ、 清州金氏は族譜が実に多く、 途中で不明な部分があるため韓国国立図書館でも全部調べるというこ
とは大変難儀なことである。
同じ世代は同じ漢字を使うため同姓同名も族譜には度々出てくるので混乱してしまう。
また、 全部漢文であるため、 現在のハングルしか知らない人には読めない。
例えば、こんな具合である。
我東氏族金為最盛而系出鶏林金続者乃国中之甲族也
昨年六月、あるご婦人から夫の先祖が分からないので調べて欲しいと依頼があった。なんでも海本という苗
字であるが先祖は朝鮮半島から渡来した家系であるという。
海本という苗字は日本でも400年前の戦国時代からあるので珍しい苗字ではないが祖父の代に半島から
一人で渡って来たというので、 最近の日本の戸籍謄本を調べると確かに韓国の河東郡琵琶邑から来た金と
いう氏であることが分かった。
また、金海金氏であることも判明したが、河東郡には 27 の族譜があり氏名も20余もある。その中に金海
金氏の族譜はないので現地に行くしかないとお断りした。
河東郡には金さんは実に多い。全州金氏や南宮金氏など様々であり金氏だけで調査は膨大な調査となること
は明らかである。
朝鮮半島の氏は 285 である。
日本から渡来した岡田、小島、長谷、魚金、網切を含めてである。
豊臣秀吉軍の朝鮮乱入の時に秀吉軍を抜けて朝鮮側になって戦った沙也可という将軍の一族は現在は金海
金氏の一族に含まれている。
私の考えるに、沙也可はヤサカという苗字ではなかったろうか?
そうであるなら多分、先祖は高麗からの渡来人である。血の縁は濃い。
渡来人は実は3世紀から7世紀に掛けて最も多かった。
当時は日本にも苗字はなく、また朝鮮半島に於いても王族や貴族や中国からの渡来による一部の人々のみが
氏を名乗っていたのみで、氏を名乗る家は希少だった。
先ほどの清州金氏が途中の先祖が不明なのは、本宗家は氏を名乗っていても分家となると具体的に名乗って
いなかった可能性が高い。
朝鮮半島で氏の使用が一般化したのは高麗文宗(1047年)以後のこととされている。それでも常民や奴
婢には氏はなく、その氏の歴史は李朝も末期のころである。
日本の苗字も似たようなもので1000年ごろの平安時代の武士の誕生とともに苗字は始まった。平民が苗
字を皆なのったのは明治五年以後のことである。
しかし、 面白いことに常民も奴婢も本当は氏があったといわれている。
日本の平民も江戸時代の墓を見ると本当の苗字が入っている家が多い。
調査してみると文字化されていない先祖の伝承にはそれなりの意味が含まれておりかえって文字化された
系図の方が、問題が多いのは日本だけではないであろう。
日本の系図は矛盾が多く、 その多くは渡来したことを隠していることが多いのである。天照もアマ(遠い
という意味、 アッチのア)と太陽する(テヤンする)という造語である。太陽という漢語は大分新しく、
その動詞形が照らするという日本語になっている。
神様も渡来するのである。 仏教しかり、 キリスト教しかり。
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月刊 平和統一 NEWS
第 90 号
錦山 文潤國先生の詩
蓬莱山 봉래산
白雲満地老松花
誤入蓬莱仙路斜
五畝桑麻己長處
琪花瑤草正芳華
백운만지로송화
오입봉래선로사
오묘상마이장처
기화요초정방화
봉 래 산
흰 구름 높이 이고 노송의 꽃가루가 땅에 가득하니
잘못 들어온 봉래산에 신선의 길이 비스듬히 나 있네
다섯 이랑에 심은 뽕나무와 삼이 세차게 자리난 곳에
곱고 아름다운 꽃과 풀들이 마냥 피어나 향기롭네
蓬莱山
白雲高く 老松の花粉 地に満つ
蓬莱山に 誤りて入らば 路斜めなり
五本の畝(うね)に 桑木人参すでに 繁茂せり
美麗にして 花と草まさに 芳しく華やかなり
FPU兵庫 渉外部長 金 豊 鎬
航行を左右する風はどうやって予測する?
ヨットを操る最大のポイントは、つねに風をつかむこと。海上で微妙に変化する風向きを正確に予測すること
が、ヨットを早く走らせる極意である。実際、オリンピックに出場するようなヨットマンは、周辺の海面のわず
かな色の変化や皮膚感覚から、風の強さと向きをつねに感じとっているという。大型船の場合、ヨットを操るほ
どの繊細さは必要ないが、つねに風力と風向きを予測しながら航行しているのは同じこと。低気圧が発生し、風
が強まりそうなときには、航路を変更することもあるし、暴風域を避けて大回りすることもある。もちろん、船
には風速計が搭載されているので、風に関するデータはいつでも入手可能である。さらに最近は、気象衛星によ
って観測した天気図が送られてくるので、天候を正確に予測できるようになっている。また、海上の風の強さを
判断する目安として、「ビューフォート風力階級」というものが設定されている。海面の波の状態と風の強さの
関係を表したもので、気象庁では、これをもとに、日本独自の 12 階級の風力階級を決めている。これによると、
風力階級「0」が油を流したような静かな状態で、
「1」がうろこに似たさざ波が出る状態。
「3」は小さな波にな
り、波頭が砕け始め、白波もみえる。「6」は大波が出始め、しぶきが飛び、波頭が泡立つ。「9」は高い波にな
り、うねりだす。しぶきで視界がさえぎられる。「11」は山のような大波で、視界が極端に悪くなる。そして、
最大の「12」は、海上が泡としぶきに閉ざされ、海面が完全に白くなる颶風となっている。
船の通信はどんな方法をつかっている?
その昔、船の通信といえば、
「ト・トン・ツー・ツー」というモールス信号による無線通信だった。たとえば、
1921 年(明治 45)4月15日、タイタニック号が沈没したときにも、モールス信号による SOS が発信された。
しかし、1999 年、国際的な安全通信は「GMDSS(世界海洋遭難安全システム)」へ安全移行された。GMDSS
の特徴は、人工衛星などを利用したデジタル通信によって、モールス信号を打つような特殊技能を身につけなく
ても、乗組員の誰もが簡単に連絡できることにある。その結果、いまでは、モールス信号は使われていない。
現在、もっとも広く利用されているのは、人工衛星をつかった衛星電話(インマルサット)である。赤道上空
3 万 7586 キロの軌道上に打ち上げられた 4 基の衛星を経由することで、船舶電話とのあいだで、音声通話や
FAX 通信、データ通信などの送受信ができる。 この衛星電話の登場で、船の安全は大きく増やしたといえる。
たとえば、かつては海洋上で機関が故障したさい、モールス信号でやりとりしながら、修理を進めていたのだが、
現在では電話や FAX を利用できるため、修理に要する時間が大幅に短縮され、漂流事故の危険性は大きく減っ
ている。また、クルーズ客船から、自宅の家族に簡単に電話をかけられるようになるなど、衛星電話の恩恵をも
っとも、受けたのは、船舶業界という声もある。さらに、最近はインターネットを利用できるクルーズ客船も増
えつつある。便利といえば便利な話だが、そのいっぽう、「昔はクルーズ客船に乗れば、仕事を忘れてのんびり
できたのに、いまは仕事の電話がかかってくる」という嘆きの声も聞こえてくる。
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月刊 平和統一 NEWS
活動内容
1 月07 日 常任理事会 定例役員会 開催
1月22日 第51回韓国料理教室 開催
1 月 23 日 平和統一セミナー 開催
『千字文』と韓国語〔23-1〕
曺 小 煥
推 位 譲 國
밀 추
すい
おす
벼슬 위
い
くらい
사양 양
行事案内
2 月 04 日 常任理事会 定例役員会
2 月26 日 韓国語教室
3 月 05 日 平和統一セミナー
나라 국
じょう
ゆずる
第 90 号
こく
くに
すいいじょうこく=くらいをおし、くにをゆずると
読む。
漢字入りの意は(皇帝の)位を推(ゆず)り、国
비로소문자를
を(臣下)に譲った。
推と譲はともに譲ることである。
尭(ぎょう)は陶唐(とうとう)氏と号し、位を
譲って舜に与えた。尭は天下を収めた52年の間に
9年も洪水に襲われ、自分自身に徳がないことを知
った。
丹朱という子を生んだが、その子は不肖で、国を
治める能力がなかった。尭は舜が親孝行であること
を聞いて、舜を召し、自分の娘を妻にさせた。名を
娥皇(がこう)といった。
舜とは後の舜帝のことである。三王(夏・殷・周の
三つの王朝)の祖である。
∴『千字文』よもやま話(61)
いよいよ、この4字の句に大古の帝王の名が本格
的にその功績とともに表面に現れてきた。理想の王
者であり、やはり聖人とされた人たちである。19
50年代までは当時の日本の江戸時代からの学問の
主流であった。詩吟が詠(うた)えて、漢詩が読め
ることが教養人の必須とされた。私の中学、高校時
代は未だその名残りが歴然としてあった。
推=すい、おす・うつりかわる。推敲=すいこう、
おしてたたくの意。ゆずる。
位=い、くらい、ところ、位置、方角、品格。
譲=じょう、ゆずる、あたえる、ことわる、なじる、
せめる。
国=こく、くに、領地、都、ふるさと、土地。
編集後記
■*周囲から「シャキシャキしてますね」とい
われる日々が近頃多くなった。
「健康を維持す
るために地道な努力を重ねています。荘健さを
保ち続けて、2016年12月にくる83歳の
私の誕生日を迎えるのが目標です。そのために
は時々、5時間から10時間ぐらいはゆっくり
のんびりと、何も考えずに歩くことに集中して
います」と答えている。
*知人、友人に2015年に書きためた手記類
を年末に年賀状代わりとして配布したところ、
偶然にも同じ質問が3点も寄せられた。その質
問は私が生くる限りはあるものと思うので此
処に取り出してみることにした。(2014年
12月1日に本誌の76号に発表したもので
ある)。物議を生じたのは「その老人の名はヒ
デヨシと呼ばれていた」のくだりである。質問
の主旨は「天下を統一した人物なのになぜカタ
カナなのか?」であった。私は答えた。
「なあ
に、大した事はない。ただ漢字はあの男には勿
体なくて使わなかっただけのことだ」と述べた
のである。
*年賀状の1枚に次の事が書かれていた。「日
韓の関係が一歩前進し、喜んでいます」であっ
た。日本と韓国の両政府が昨年、「慰安婦」問
題解決策として合意した内容についてであっ
た。複数の世論調査が発表され、世論は二分し
ているとあったが「在日」を犯罪者として決め
つけ、憎悪、敵意をあおり、人間としての尊厳
を傷つける勢力(ヘイトスピーチ・差別扇動行
為)の行動が少しでも鎮圧され、やがておぞま
しき行為が消滅すればこれに越した事はない。
(曺)
■真なる愛は
与えても与えても
なお与えたい心です
『自叙伝より』
(樹)
投稿記事募集
機関紙
月刊『平和統一 NEWS』
<編集委員会>
委 員 長
文 聖 純
副委員長
曺 小 煥
編集局長
福田秀樹
編集委員
朴 文 恵
編集委員
金 豊 鎬
編集委員
廣瀬純子
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ています。
FAX.078-367-4323
E-mail:[email protected]
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