放牧を活用した 肉牛繁殖経営モデル

特集
飼料費高騰への対応
放牧を活用した
肉牛繁殖経営モデル
独立行政法人 農業・食品産業技術総合研究機構
中央農業総合研究センター関東飼料イネ研究チーム 上席研究員 千田 雅之
牧草生産と表現)や稲発酵粗飼料生産(以下、イ
飼料価格高騰への畜産経営の対応
ネWCS生産と表現)と比較してみましょう(表)
。
牧草やイネWCS生産では10aあたり乾物1t
飼料費が経費の中で高い割合を占める畜産にお
(繁殖牛150日分)以上の飼料を確保することがで
いては、飼料調達のあり方が経営を左右します。
きます。20a前後で繁殖牛1頭に年間必要な飼料
飼料資源のバイオエタノール利用や原油高に伴う
を確保できます。1kgあたり50円の購入飼料に
輸送費増加による飼料価格高騰は、輸入飼料に依
置き換えられるとすれば10aあたり5万円以上の
存したわが国の畜産経営を圧迫しています。この
生産額になります。しかし、栽培や収穫調製・運
ため、食品製造副産物の飼料利用や遊休農地の飼
搬に多額の機械投資や燃料、資材を必要とします。
料利用など国内飼料資源の活用が急がれます。と
また、牛舎での給餌作業、排せつ物の処理、堆肥
りわけ、諸物価が高騰する中で農林地価格だけは
の運搬散布作業にも経費を要します。これらの経
低下傾向にあり、効果的な活用方法が見出せず荒
費は条件により異なりますが、牧草では7万円以
廃地が増加の一途をたどる現状です。
上、イネWCSでは11万円以上になります。した
したがって、農林地をいかに経営の中に取り入
れるかが、今後の畜産経営の最大の課題といえる
がって、転作田でこれらの飼料生産を行うために
は、多額の助成措置が必要になります。
でしょう。その際、牧草サイレージや稲発酵粗飼
放牧では一定の土地面積で何頭の家畜を何日養
料生産は、燃料やフィルム資材など収穫調製や運
えるか(牧養力)が重要な経済性指標になります。
搬に多くの化石燃料を必要とするため、輸入飼料
繁殖牛の場合、10aあたり野草地で20頭・日、牧
よりも割高になったり、環境負荷を与えかねませ
草地で60頭・日程度になります。したがって、放
ん。これに対して家畜に青草を直接採食させる放
牧飼養に必要な面積は牧草地では61aになります。
牧は、飼料の収穫、運搬、給餌、排せつ物処理、
1日1頭の飼養にかかる経費を450円とすれば、
堆肥運搬散布の一連の作業を削減するため、省力
化や経費削減が期待されます。
表 農地の畜産利用の経済性比較
(10aあたり)
それでは、放牧にどれくらいの用地が必要であ
牧草生産 イネWCS 牧草放牧
り畜産経営の改善にどれほどの効果があるのか、
収量(kgDM)
1,600
1,050
また、放牧飼養を前提としてどのような畜産のビ
牧養力(繁殖牛扶養力、頭・日)
229
150
繁殖牛1頭当たり必要面積(a/頭)
16
24
61
単価(円/kgDM、頭・日)
50
50
450
粗収入(円)
80,000
52,500
27,000
資材・燃料費(円)
13,518
69,786
4,350
機械・牧柵償却費(円)
17,500
18,360
5,200
飼料生産運搬作業(時間)
6.0
2.9
給餌排せつ物処理(時間)
22.9
15.0
費用計(円)
74,304
114,996
13,471
収支(円)
5,696
−62,496
13,529
ジネスモデルが描けるのか、本報告では、肉用牛
繁殖経営を対象にこうした点について述べてみま
す。
農地の放牧利用の経済性
放牧管理(時間)
放牧利用にかかる経費や一定面積から確保でき
る飼料資源について、牧草サイレージ生産(以下、
60
2.6
注:茨城県常総市での調査事例。労働時間は小数点第2位以下を四捨五入、
労賃単価を1,500円/時間として費用計算。
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特集
飼料費高騰への対応
牧草地の粗収益は3万円弱になります。前述の飼
料生産と比べて粗収入は低くなりますが、使用資
材や作業は少なく費用を要しないため牧草やイネ
WCS生産より経済的です。放牧は低投入技術で
あり、遊休農地の増加が問題となっている中山間
地域や転作対応として有力な土地利用技術と言う
ことができます。
それでは、この放牧を活用して生業として成り
立つ畜産経営が描けるでしょうか。結論を言えば
図1 土地資源を最大限に活用する親子放牧で
放牧導入は繁殖経営の省力化やコスト低減・所得
兼業畜産を実現―島根県隠岐―
増に効果はありますが、それらの効果は周年舎飼
飼養と比べて10%程度にとどまります。その理由
金生活者にとどまらず、JAや役場職員、渡船業
は放牧方法(季節放牧、妊娠確認牛の放牧)にあ
や漁師の方が仕事のかたわら、繁殖牛を20∼50頭
ります。現在一般的に行われている放牧時期を5
も飼っています。公共牧の存在がこうした兼業畜
月∼10月の半年間、放牧対象を子牛の離乳した妊
産を可能にしています。牛は親子ともに冬季3か
娠牛とする限り、放牧延べ頭数は延べ飼養頭数の
月間を除き公共牧に放牧します(図1)。お産も
4分の1程度にとどまります。また、子牛は季節
公共牧での自然分娩が一般的です。冬期間は個人
を問わず舎飼飼養が一般的であり、舎飼用の飼料
牧(かつて農地だった場所が多い)に補助飼料
の収穫や放牧管理に関わる労力や経費を含める
(購入飼料)を給与しながら放牧します。子牛出
と、慣行の放牧導入の効果は限定的なものにとど
荷時までの発育(日増体重)は雌700g、雄870g
まります。
と本土の子牛よりも100g以上も低いですが、産
豊富にある農林地資源を最大限に活用し繁殖経
営の発展を図るためには、放牧期間の延長と放牧
肉成績は良好で子牛の市場評価は本土よりも高く
なっています。
対象牛の拡大が欠かせません。以下では、この課
隠岐は離島のため燃料や購入飼料価格は本土よ
題をクリアして生業として成り立つ繁殖経営のビ
りも2割も高いため、土地資源を最大限に活用す
ジネスモデルを紹介します。
る飼養方式として広大な公共牧で親子放牧が行わ
れ、島に定住する人々の生業の一つになっている
放牧を活用した繁殖経営モデル
のです。分娩間隔の延長や高い事故率など生産性
が低下する面はありますが、今後のわが国の国土
1)公共牧の親子放牧による兼業畜産モデル
保全、畜産経営のあり方の模範になります。
ー島根県隠岐−
島根県沖70kmの日本海に浮かぶ隠岐諸島は、
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2)超早期離乳・人工哺育技術と組み合わせた周
島全体が急傾斜地で表土が薄く、市場からも遠い
年放牧モデルー長崎県諫早市−
など典型的な条件不利地域です。また、人口の減
九州では温暖な気候を利用し放牧期間の延長を
少と高齢化の進展も著しい地域です。しかしなが
図る取り組みが多くみられます。諫早市のA牧場
ら、荒廃した農林地が少なく、一部の島では全体
(経営主56歳)では、夏秋用の牧草として暖地型
がシバ草地で覆われ、その植生は観光資源や魚礁
永年草(バヒアグラス)、冬春用の牧草として晩
の保全にも役立っています。この土地保全の主役
生種イタリアンを組み合わせて通年放牧に取り組
が繁殖経営なのです。放牧地は公共牧と呼ばれ、
んでいます(図2)。さらに、超早期離乳・人工
島に住む人はだれでも放牧できます。公共牧は隠
哺育技術を併用し、すべての繁殖牛を通年放牧可
岐全体で約4,400ha存在し、繁殖牛1,600頭とその
能にしています。この方式により繁殖牛の給餌・
子牛の重要な飼養基盤となっています。畜主は年
排せつ物処理、及び採草作業が大幅に削減されま
図2 超早期離乳と周年放牧で繁殖牛を
図3 飼料イネのストリップグレージング;
9頭から30頭に増頭―長崎県諫早市―
地際から1∼2cmの高さまで飼料イネを
食べ尽くすなど残飼は少ない―茨城県常総市―
す。また、畜舎は分娩と子牛の哺育育成用のスペ
ースがあれば充分です。この結果、繁殖牛頭数は舎
飼時の9頭から30頭に飛躍的に拡大しています。
3)飼料イネと放牧を活用した大規模肉牛経営モ
デルー茨城県常総市−
最後に、飼料イネと放牧を組み合わせた繁殖牛
の周年放牧による繁殖経営モデルを紹介します。
この事例は当初、耕種農家が約14haの水田に飼
図4 イネWCSを活用した冬季放牧;
料イネを栽培し、肉牛農家(繁殖牛50頭飼養)が
電気柵等を利用した飼料への糞尿排せつ回避が
ポイント―茨城県常総市―
飼料イネの収穫運搬・堆肥散布を行っていました。
肉牛農家では飼料基盤の確保はできましたが農作
業時間が増え、家畜の飼養が疎かになっていまし
せることなく、より広い農林地の保全管理を図り
た。そこで、省力効果の顕著な放牧を取り入れ、
つつあります。
利用面積を24haに拡大し、以下のようにして繁
以上のように繁殖経営の発展を図るためには、
殖牛の周年放牧に取り組んでいます。①妊娠確認
放牧を活用して豊富に存在する農林地資源を最大
された繁殖牛を対象に4月∼9月は水田及び遊休
限に活用する創意工夫、すなわち、超早期離乳・
畑約12haでイタリアンやミレット、野草で放牧
人工哺育や親子放牧、イネWCSを活用した冬季
飼養(1頭あたり30a)。②10月∼11月は約1.5ha
放牧などが重要になります。また、放牧には農林
の飼料イネを立毛のまま放牧利用(1頭あたり5
地の利用集積が必要であり、耕作農家や集落、営
a、図3)。③12月∼3月は周囲の水田4.5haから
農集団など地域と協力した取り組みが欠かせませ
収穫したイネWCSを収穫圃場または排水の良い
ん。
圃場で放牧給餌(1頭あたり15a、図4)。残りの
イネWCS約6haは牛舎で飼養する授乳牛や育成
牛に給与します。飼養管理に手間のかかる繁殖牛
の約半分を通年放牧するため、春から秋の自給飼
(せんだ まさゆき)
プロフィール
昭和59年 岡山大学農学部卒業、農林水産省入省
平成10年 近畿中国四国農業研究センター
料生産にゆとりを持って取り組めるようになると
平成15年 中央農業総合研究センター、畜産経営研究
ともに、牛舎にも通年余裕ができるため増頭も可
室長を経て、平成18年より現職 放牧や畜産利用につ
能になりました。この周年放牧により、繁殖牛の
いて、経済面及び環境面からの評価研究、放牧や飼料
飛躍的増頭(50頭から80頭)を図りながら、労働
過重になることなく、また、飼料自給率を低下さ
イネを活用したビジネスモデルの開発と実践研究に携
わる。
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