エッセイ・小論文 ■ 優秀賞 柴田 えみ子(しばた えみこ)さん・63歳/北海道旭川市在住 昭和41年3月船橋学園女子高校を卒業。 昭和48年3月清和短大を卒業後、塾講師となる。 デコボココンビで 「人の喜びが何十倍にもなって、自分に還ってくるんだね」友 人の朝子が満面の笑顔を向ける。85歳の彼女と63歳の私。無 二の親友だ。二人はこの日、老人施設でミニコンサートを開いた。 彼女のピアノと私のハーモニカは、広いホールいっぱいに広がっ た。彼女が少し背を丸めて弾くのは「太陽がいっぱい」や「ある 愛の歌」 「水色のワルツ」。私は「赤とんぼ」や「荒城の月」 「月の 砂漠」だ。大きな拍手と共に終了後は必ず人垣ができる。 「すごい ね」 「何歳?」 「親子なの?」 「なつかしくて涙が出た」その帰り道、 彼女が言ったのが冒頭の言葉だ。 音楽好きの私達は、二人だけで歌を歌ったり、ピアノやハーモ ニカを楽しんでいたがある時、障害者のコンサートに誘われた。 実は彼女、1級障害を持ち酸素ボンベを持ち歩いている。何を今 更、恥をかくだけとしり込みをする彼女。私も同感だった。リュ ウマチなど沢山の障害を持ち高齢でもある彼女。働き続け五人の 子を育て上げた時には還暦だった私。後はもう老いるだけ。煩わ しい事は嫌だった。しかし一度のつもりの出演で、私達は激変し た。音楽を通して広がる笑顔や絆の素晴らしさが心を震わせた。 これを機に練習に力がこもった。世間がグーンと近づき、話題は 格段に広がった。 不思議な事に生き方や終焉に対しても真剣に問うようになった。 「ぴんころで死にたいね」と彼女。 「ぴんころでは周りがショック だから、一週間ぐらい看病されてからがいいわ」と私。 「看病が何 -2- 年にもなると子供が大変だね。延命治療は絶対拒否!」 「私も!延 命拒否を署名しとかなくちゃ」と言う訳で早速、行動開始。手続 きを済ませた。 彼女は言う。 「私達、今進化してる?」 「してる、してる」 「でも さぁ、これって老い支度ってやつだよね。…もう老い支度か?」 「もうって朝ちゃんは85だよ。私が、もうなら分るけどさ」 「何 言ってるの!あんたと私、20歳しか違わない、いっしょや」 「え! 20歳もでしょう?」ふんと鼻を鳴らす彼女。それでも私達は誓 い合った。 元気なうちに身辺整理をし、自分に出来ることで社会参加をす る事。笑いの輪を広げる事を。限界集落でのコンサートは、そん な思いをいっぱい込めて開催した。若者がギター演奏をかって出 てくれた。嬉しかった。若者との交流もいいものだ。ポスターや 歌集作りにも力が入った。当日の様子は、新聞にも載った。村の 人たちは漬物や煮物を持参し、お茶をすすりながら聞いてくれた。 「やいや、若返ったよ」 「久しぶりに声を出して歌ったよ。楽しか った」と満面の笑顔、笑顔。こちらこそと涙が滲んだ。 「老人が笑 って生きる社会じゃなくちゃね。笑う門には福来る!」と彼女。 今更と愚痴っていたのが嘘のようだ。 「そうだ!人を集めてお笑 い寸劇もしようよ。台本、書くからさ」と私も無謀な発言をする。 しかしこれも実現した。寸劇「ぴんころ」は沢山の市民の笑いを 誘った。誰言うともなく「ぴんころ劇団」と名前まで付いた。 流されるまま何の主体性も持たずに生きていた二人。始めは社 会のためにと気負っていたが、そうじゃない。まずは自分自身の -3- 生き方だ。はつらつとした笑顔を、率先して社会に向ける事だ。 「老人パワーを見てもらわなくちゃ!」と彼女。 「老人って、もし かして私も入ってる?」 「当たり前!」20歳の齢の差は時に微妙 な感情を生む。 「ひとが見たらやっぱり親子だね」 「親子じゃない。 友達!」そんな言い争いをしながら、酸素ボンベを引いて歩く8 5歳と、二人分の荷物を引っ下げて歩く63歳が、今日もコンサ ート会場に向かう。 完 -4-
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