燦々とふりそそぐ太陽の季節が到来した。そこで今回取り上げるのはサスペンス の名作「太陽がいっぱい」(60年仏伊合作、写真上)。フランス語の原題を意訳せず にそのままうまく口語表現した邦題は名タイトルのひとつに数えられるだろう。イン ターナショナル版の英語タイトルは「パープル・ヌーン」であり、真っ赤に煌々と照り つける真昼の太陽をイメージさせる。 戦後フランス映画の旗手として注目されたルネ・クレマン監督(写真下)は、第二 次世界大戦におけるナチスへの抵抗を描いたレジスタンスものを得意とし、「鉄路 の戦い」「鉄格子の彼方」「禁じられた遊び」など社会派リアリズム作品でわが国にお いても高く評価された。とくに「禁じられた遊び」はナルシソ・イエペスのギター主題 曲が大ヒットし、優れた反戦映画の代表作として名を馳せた。ところが、突如転換するのが「太陽がいっぱい」からである。当時フラ ンスで50年代を駆け抜けるように疾走して早逝した大型美男スター、ジェラール・フィリップと入れ替わるように現れたのがアラ ン・ドロンであった。ドロンはたちまち甘い二枚目スターとして人気が沸騰した。クレマンはアメリカの女性ミステリ作家パトリシア・ ハイスミスの犯罪小説「才人リプレー氏」の映画化権を獲得し、ドロンを主演に据えた。こうして映画化された「太陽がいっぱい」は ニーノ・ロータの名曲の効果もあってたちまち大ヒットし、わが国においても興行的に成功したばかりでなく批評家からも絶賛され た(キネマ旬報ベストテン第1位)。 本邦公開当時はまだ原作は翻訳されておらず、角川文庫から刊行されたのは封切りから10年以上を経た71年のこと。原作は 犯罪心理小説を得意としたハイスミス女史らしい展開で、先天的犯罪者というか詐欺師の若者の異常心理を鮮やかに描いてい る。クレマン監督は映画化するにあたって、主人公トムが観客の同情を引くような貧しい若者という設定は原作どおりにして、その 倒錯した心理をいくぶん和らげた。トム(ドロン)は資産家の御曹司であるフィリップ(モーリス・ロネ)に取り入ってその恋人マルジュ (マリー・ラフォレ)もろとも財産をかすめ取ろうと目論む。クレマンがレジスタンス映画を得意とした経歴から、左翼系の批評家は プロレタリア対ブルジョアの階級闘争だと論じた。 トムがフィリップを殺したあと、かれに成りすますためにサインを練習する有名な場面がある。大きなスクリーンにフィリップのサ インを映写して、トムがその上から何度もなぞって練習するシーンだ。淀川(長治)さんは誰よりも早くトムのフィリップに対する恋 愛感情を見抜き、トムがフィリップと同化しようとしているのだと説いた。作家の吉行淳之介などから考えすぎだと揶揄される結果 となったが、原作ではトムがフィリップに片想いする設定となっていて、翻訳されてみると淀川さんの指摘が正しかったことがわ かった。いや、私などは淀川さんが原作を知っていたのではないかと疑っている。あるいは、淀川さんの盟友にミステリ通の双葉 十三郎がおり、それこそ原書でミステリを読みあさる双葉だったから、彼からそういう情報を得ていたということも考えられる。 それから40年近く経って、ようやく原作に忠実に映画化されたのが、マット・デイモン(トム)、ジュード・ロウ(フィリップ)主演、ア ンソニー・ミンゲラ監督の「リプレー」(99年)である。クレマン版と違うのは、トムとフィリップの配役を逆にしたこと。明らかにトムの 風采をごくありきたりの若者とする一方、話の成り行きとしてトムがひと目惚れするフィリップのほうを美青年としたことだろう。なか なか説得力のある配役だった。 「太陽がいっぱい」の中でも名場面といわれるのがマルセイユの市場をトムがそぞろ歩くシーン。屋台の 上で首を斬られて血を吹く鮮魚のクローズアップが鮮烈で、この若者の異常心理と重なった。何しろドロン が半袖シャツを着て物憂げに歩き回るだけでも絵になる。名手アンリ・ドカエのカメラワークの手柄だ。そ の少し前の場面で、フィリップの友人がたまたまマルセイユに来ていてトムを見かけ、トムがフィリップ名義 で宿泊していることをつきとめて真相に迫ろうとするや、先手を打ったトムに殺されるところがある。殺害現 場のホテルの一室から男の死体を運び出して通りに停めた車に乗せようとすると、人が向こうからやってく る。咄嗟にトムは死体を立たせて抱え込んで、酔っぱらいの友人を介抱しているように見せかける。このへ んの演出は、クレマンの腕が冴えわたっていてうまい。この一連の場面は、まるで猫がネズミの死体を弄 ぶ残虐さを想起させてぞっとさせる。 それから、この映画の幕切れがあざやかなのはよく知られたことだが、これも原作とは違う。洋上のヨットでトムに刺殺されたフィ リップは帆布にくるまれて海中に投げ捨てられるのだが、実はこの遺体がヨットの綱に引っかかった状態のままずっとヨットに寄り 添っていたのだ。ヨットが陸揚げされると徐々に海中からその姿を現すあたりの意外性はすごい。すべてうまくいったと満足げに海 岸のテラスで寛ぐトム。物影から刑事が店の女に耳打ちすると、女がトムを呼びに行く。何も知らないトムが女に促されて席を立つ ところで映画は終わる。原作では主人公のトムは完全犯罪に成功してまんまと逃げおおせている。当時の映画倫理コードにおい ては、やはり勧善懲悪が求められていて、犯罪の逃げ得は許されなかった。 クレマンは、戦前のジュリアン・デュヴィヴィエほどではないにしろ、フランスの名匠の中ではとくにわが国で愛された。本国フラ ンスにおいては個性派の監督を映画作家と呼び、単なる職人監督と区別する潮流が台頭すると、娯楽映画に転向したクレマンな どはあまり顧みられなくなった。「太陽がいっぱい」も本国より日本でのほうが名声が高いと思われる。このヒットにあやかろうと「太 陽は傷だらけ」「太陽が目にしみる」「太陽が知っている」(いずれも欧州映画)など、原題とは無関係な「太陽」を安易に冠した邦題 が続くことになる。難解で鳴る巨匠ミケランジェロ・アントニオーニの秀作「太陽はひとりぼっち」は同じアラン・ドロンが主演して、 ジョヴァンニ・フスコ作曲のテーマ音楽がヒットしたというのも、やはり題名効果だろうか。この映画の原題は「日食」を意味するので まったく「太陽」と無関係でもないが、便乗したのは明らかだ。 クレマンはデュヴィヴィエとともに再評価されてもよい名匠だと思う。(2015年7月1日)
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