ギリシャ・オリンポス紀行 (8) SCMC 守屋益男 テルモピレスの戦い メテオラからアテネに向かう途中、古戦場・テルモピレスを見学する。この地は対ペル シャ戦争の激戦地で、BC480 年、ギリシャ征服に来たアケメネス朝ペルシャ遠征軍 10 万が テッサロニキからアテネに向かった折、峻険な山と海に挟まれた巾約 15 メートルのテル モピレス街道で、待ち受けていたスパルタの重装歩兵 300 を中心とするギリシャ連合軍 5 千と激突し、ギリシャ軍はペルシャ軍に 5 万 の損害を与えて全滅したという。古戦場には ギリシャ兵士の銅像と解説板があり、当時の 激戦の模様は歴史家ヘロドトスによって伝え られている。また、この史実は「THE BATTLE OTHEROMOPYES」邦題「スリーハンドレット」 という題名でハリウッド映画が作成されてい る。 「テルモ」=「熱い」、 「ピレス」=「門」、 直訳すれば「熱い門」とガイドから教えられた。 テルモピレスのギリシャ兵銅像(撮影 守屋益男) パルテノン神殿 アテネのホテルに泊った一行は 6 月 24 日、アテネ観光に出発した。アテネがギリシャ の首都となったのは 1834 年で、BC168 年、ギリシャがローマ帝国の属州となった以後 2,000 年間、外国に支配されて続けてきた。それは 4 世紀~11 世紀の東ローマ帝国、13 世紀~ 19 世紀のトルコによる支配と続き、1822 年、トルコとの戦争によりようやく独立を果た している。従って、その間に破壊され略奪された文化遺産は夥しいものがあるという。 バスはシンタグマ広場を通ってアクロポリスへ向かう。シンタグマとは憲法という意味。 1843 年、ここで初めて憲法が公布されたことに由来している。その後 1975 年、ギリシャ は国民投票によって王制が廃止され、共和国新憲法が制定された。日本も将来このように ならないものかと思う。 パルテノン神殿が立つアクロポリスはシンタグマ広場の西、約 1 キロにあった。石段を 登って上に進むとその荘厳な全容が現れる。建築されたのは BC432 年、ドーリア様式で、 円柱の溝が 20 本で上端に装飾が無い柱が特徴だという。神殿はアテネの守護神・女神ア テナイを祀ったもので、永い間保たれていたが、トルコの占領時代に火薬庫として使われ、 戦争時、攻撃を受けて爆発炎上し、現在のような姿になった。1806 年、オスマン帝国の許 可を得たイギリス人が、焼け残った神殿の内部にあった彫刻や壁画をはぎ取って持ちかえ り、大英博物館へ売り飛ばした。それらは現在、 大英博物館で「パルテノン・マーブル」として展 示されていて、それら文化遺産の返還をギリシャ 政府が求めて交渉中とのこと。観光はこのほか民 主主義発祥の地・アゴラ、オリンピア・ゼウス神 殿跡などを見て回り、翌日は午前中、国立考古学 博物館を見学し、ギリシャ美術の粋を堪能、後ろ 髪を引かれる思いで、午後の飛行機で帰国の途に 就いた。(完) パルテノン神殿前にて(撮影 瀬政光彦) -7-
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