第 10 章 ギリシャ‐ローマの世界 序文) ギリシャ文明とローマ文明の統一

第 10 章
ギリシャ‐ローマの世界
序文)
ギリシャ文明とローマ文明の統一
…
・アレクサンドロス大王の統一事業
・ポエニ戦争
・ローマによる東方征服
→
ローマ帝国に様々な宗教・思想が存在する原因となる
ギリシャの宗教
「神々」の縞模様
古代ギリシャ…信仰と祭儀の点では多神教
各神は“∼の神”というように役割があり、それぞれに神話が存在す
る
多くの神は全国的な意味と同時に個々のポリスにも根ざしていた
→
各地域の祭儀と全国的文化の相互作用による宗教
供儀の重要性
ギリシャの宗教祭儀…神々に対する動物の供犠(全燔)
→
不死の存在である神々と死する人間との境界
宗教行為は日常生活と同類(市長=祭司)
英雄
神々と人間の中間的存在…半神半人(殖民市の父・昔の偉人)
←
都市・家族・各人
が英雄として大切にし、祀った
→
英雄は一般人より神々に近く、神々の子孫で、不死と考えられていた
宗教の中の諸宗教
① エレウシス派…行進、洗礼、秘密の行事(演劇、儀礼他)
② オルペウス教…菜食主義、自浄、霊魂の輪廻と解脱、肉食の禁止=供犠参加禁止=公民
生
活への参加禁止
③
ディオニューソス教…女性による酒神祭・舞踏、肉食、一種のカーニバル
④
ピュタゴラス主義…ピュタゴラスを聖人又は神とみなす
・霊魂再生の輪廻
←
食物禁忌により開放
・理論的・数学的学問と宗教との融合
・政治活動
哲学と宗教の諸目標
古代ギリシャにおける哲学…宗教、智恵の観念との並立
・ソクラテス以前の賢人による推論的な思想の開拓
・ ソクラテスの問答法による事物の定義あるいは本質の探究
→
これらがプラトンと、プラトン主義・新プラトン主義につながる
プラトン…霊魂の不滅、
「イデアの世界」の提唱
本質を探究し、知識を得(想起)
、
「善のイデア」に霊魂を到達させる
アリストテレスによるプラトン哲学の展開
→
ヨーロッパ思想に大きな影響
プラトン主義の密議宗教、新宗教、伝統宗教、公民の諸祭儀との並立
アレクサンドロス大王とその後:幾つかの新しい哲学運動
① エピクロス派…世界のあらゆるものは空中の原子からなる、神々は人間と不干渉、
適度の楽しみを求めて中庸を養い、アタラクシア(冷静の徳)の涵養
②
ストア派…神々=自然の緒力
賢人は死に冷徹に直面し、勇気と自制と現実主義を
持って悪と死に直面すべし
ローマの宗教
ヌミナと公民の徳
ローマの宗教…畏怖を引き起こす精霊(集合的にヌミナと呼ぶ)
・神々に焦点が当た
る
・初期ローマの公民としての礼拝…神々が常在し、好意的であるのを確かめることが
目的
→
祝祭日、戦車競争、格闘技が宗教的な意味合いを持つ
・各家庭での守護神・祖霊神に対する祭式
これらのシステムが、ローマ人が宗教的祭儀を大切にするようにしていた
ローマによるギリシャ文化・ヘレニズム文化の吸収
→ ローマ帝国の完成、ギリシャ‐ローマ文明の誕生へとつながる
もろもろの秘儀と哲学の伝播
ローマ帝国における多元主義・ローマ帝国に吸収された国における公民的な関心の
減退
→ 宗教の個人化
帝国主義的イデオロギーでの皇帝崇拝の下で、神秘主義的宗教の隆盛
① オリエントの神々
②
(例)イシスの至高性、復活の力を信仰
ミトラ崇拝…ローマの兵士階級が信仰
“生まれ変わった人々のクラブ”
牡牛の犠牲により、
「太陽神」と協力して生命を新たにすることが可能、との信仰
③
新プラトン主義…高い教育の階層が支持
プロティノスにより台頭、ポルフュリオス・ヤンブリコスなどにより発展
→
ユダヤ教の伝統とローマ帝国内の古代文化とを調整していたキリスト教徒
により利用(新プラトン主義により、異教からの分離、キリスト教神学の定式化が可能)
キリスト教の国教化・修道院制度の発展時・生活の責任と純粋性の再認識
の際、新プラトン主義を利用
パレスチナの宗教
ユダヤ人たちの栄枯盛衰
セレウコス朝下のパレスチナ…多くのペルシャからの影響
・復活の概念
・「黙示録」的予言の重視の増大
・メシア信仰
…
「ダニエル書」
イエス以前の勢力
① パリサイ派…改革派。肉体の復活を信じる
② サドカイ派…保守派。肉体の復活を信じない、「トーラー」の遵奉
③ ギリシャ文明に浸かったユダヤ人
④ ローマ占領軍に対する蜂起を企てる「熱心党員」
⑤ エッセネ派(クムラン共同体)…「トーラー」の遵守、隠遁生活
⑥ テラペウダイ…禁欲主義、瞑想生活
ユダヤ教の一派としてのイエスの運動
当時のパレスチナ…ローマ帝国とユダヤ人の宗教的対立
イエス…「神の王国」の再臨が近い、自分は「神」と親しい関係にあると説く
ヘブライ語聖書の解説、「救世主」であるとの主張
弟子たちによるイエス復活の信仰
→
原始キリスト教の誕生
パウロによる伝道旅行…異邦人たちのイエスの運動・ユダヤ教への接近を容易にする
「グノーシス主義」…ユダヤ教が母体、内容はマニ教に類似、悲観主義
ヘレニズム世界のユダヤ教徒とキリスト教徒
ローマ帝国でのキリスト教圧勝の原因
① ユダヤ教的一神教であるため、普遍主義的な視野を持っていたこと
② イエスにおける「神」‐人の一体
←
ギリシャ‐ローマ世界に親しみのある主題であ
←
教育ある人々に魅力を持たせたこと
ったこと
③ 3 世紀以降のプラトン哲学の導入
④ 聖餐の「神秘」が信仰への傾倒を強く意味付ける、奥義伝授の枠組みを伴っていたこと
⑤ 周期的な弾圧が集団の団結を強化したこと
⑥ 皇帝崇拝の形式主義と信仰の多様性が一貫した国家のイデオロギーの欠落をもたらし
た中、皇帝によるキリスト教認可、後の国教化で帝国再編につながったこと
⑦ 監督または主教などの堅実な制度・組織をもっていたこと
⑧ ライバル宗教に競り勝ったこと
初期キリスト教の諸次元
1)教義の次元:唯一の「神」が世界を創造し、「神」は基本的に善である
2)神話の次元:アダムとイヴの「失楽園」、
「神」による人間救済のための「救世主」
到来
キリストは人間の罪のために死に、信じる者は「神」の恩寵を入手
できる
3)儀礼の次元:典礼による秘蹟、聖体拝受・聖餐式
4)倫理の次元:愛が基本、女性の地位を高め、忠実で、高潔さを保つ
5)制度の次元:共同体を司教などが監督、司教内の序列、修道院制度
6)経験の次元:集会の中で「聖霊」による霊感を与えられて表現される「神の愛」
の感情
7)有形的な次元:美術、旧約聖書のギリシャ語訳・新約聖書
また彼らは、殉教者・聖人(キリストに殉じる者)の生涯に真理を見出した
ローマ帝国の宗教制度の全体像
・キリスト教徒・ユダヤ教徒
・ローマ神話
→
→
ローマ帝国の宗教環境に敵対的
哲学的な再解釈、儀礼の礼儀正しい遂行、帝国全土の諸地方神と
の統合
・皇帝崇拝をしない神秘主義
→
大いに多元的な顔を見せる
ユダヤ教の明確化
西暦 70 年の「神殿」破壊・135 年のシモン・バル‐コクバの反乱によるユダヤ人離
散・
キリスト教の「勝利」
→
ユダヤ教は自らの明確化を迫られる
・律法に通じた高名な聖者たちが指導者になる
・「ラビ」の地位の強化・ジナゴーグでの礼拝
・「神殿」での供犠から「トーラー」
(律法)と「タルムード」(口伝律法)研究へ
→
供犠の諸規則を研究することが供犠そのものの代用品(ウパニシャッドとの類似)
パリサイ派の「勝利」
→
→
聖職者のために作られた諸法則を共同体全体に適用
ユダヤ教徒において基本である「家族」という単位で行われる祝祭の儀礼が、
日常生活での諸規則の執行に彩りを与える
キリスト教との正反対の道を歩む
→
キリスト教が反ユダヤ主義を煽る
ギリシャ‐ローマ宗教の終焉
キリスト教の勝利
・コンスタンティヌス帝による公認
・325 年のニケーア公会議
・391 年からのテオドシウス帝による国教化
・教父達による諸宗教の総合的教義への吸収
結果‐キリスト教の中に二つの生活方式(ヘレニズム・ローマ帝国諸価値)の共生
→
4 世紀以降のギリシャ‐ローマ的諸価値の伝承
・キリスト教徒
→
自らを真の信仰者とみなす
・ユダヤ教徒
→
信仰それ自体を力説しない
疑問・質問
① 誰か新プラトン主義をわかりやすく解説していただけないでしょうか?
② バビロニアに捕囚になり、開放された後神殿を再建するほどの意欲を見せたユダヤ人が、
ローマ軍による破壊の後なぜ再建しようとしなかったのか?また、なぜユダヤ教の学問化
を進めたのか?
③ なぜキリスト教出現前のギリシャ・ローマにおいて、これほど多種多様な思想あるいは
哲学が誕生したのか?.
第 10 章の意見
この章は、およそ紀元前 4 世紀から後 4 世紀までのギリシャおよびローマにおける宗教の
変遷が記されている。
ギリシャについて述べた部分は、ほとんどがギリシャ神話から成っている。動物を焼燔
の犠牲にする方法はユダヤでも行なわれており、
また、神と人間との間のいわば仲介役であった英雄もカトリックで言う聖人の役割に似た
ところがあると言えるであろう。各ポリスがそれぞれ神を信仰していたということも、ど
こか日本の神社の役割に似た雰囲気がある。
このようにしてみると、どれだけ遠く離れた地においても、宗教(その祭式や役割)は
似かよることがある、ということがお分かりいただけるであろう。この現象は恐らく心理
学などと通じる面もあり、研究してみるとさらなる共通点が見えてくることもあるだろう。
さて、自らが設定した3つの問いに順次回答していきたいと思う。まずは①について。
はなはだ私的であるが、何を言っているのかわからない思想家・哲学者が、カントとプラ
トンである。そこに手をつけるのは億劫で(というよりぜんぜん理解できなかったので)、
授業の際に誰か参加者に詳しく解説していただきたいと思ったが、不幸にも発言はなかっ
た。そこで今回、自らの拙い知識の中で解答してみたいと思う。
新プラトン主義はプロティノス・ポルフュリオス・ヤンブリコスらによって発展したが、
ここでは本文にも記載されているプロティノスとヤンブリコスの論理についてまとめる。
まずプロティノスの論理であるが、プラトンの体系における認識可能な「形相」を含んだ、
単に「一なるもの(ト・ヘン)」として知られる至高の「神」がいて、「ヌース」と呼ばれ
る「知性」の形で流出する。この「ヌース」には更なる流出「プシュケー(霊魂)」があり、
空間的・時間的「形相」がその中に内在している。この「プシュケー」は人間の霊魂が降
りていく、
物質世界との瀬戸際にいる。物質世界は人間の霊魂を罠にかけており、
「一なるもの」は上
昇しようとする人間の霊魂に対して「エロース」を広げる。ヤンブリコスは神への祈りを
継続することによって神々による霊魂の受け入れを広げ、人々の中にある神々の領域を開
き、
次第に人々の中に神々との合一を完成させ、最終的に人々は至高に導かれる、という論理
を説いた。
(正直、これを書いている時点でもはっきり理解できてはいない)
続いて②であるが、私は理由を以下のように推測する。新バビロニア帝国によって最初
の神殿が取り壊された後、西暦前 538 年に神殿再建の許可がアケメネス朝ペルシャからお
りたことで、ユダヤ人は神殿を再建できた。
「第一神殿」の時は、時の政府による宗教に対
する寛容な政策と、
政府の後ろ盾を得ていたため、再建できたのかもしれない。また、民族が団結しており、
ユダヤ教(当時はまだ確立されてはいなかったが)に対立するほどの有力な思想が無かっ
たことも理由の一つにあげられるかもしれない。しかし、
「第二神殿」の時はローマ軍によ
って
徹底的に神殿が破壊され、多くのユダヤ人が殺され、生き延びた人も大半は離散(ディア
スポラ)したため、団結とは程遠い状態にあった。また、キリスト教がユダヤ人のみなら
ず異邦人からも信者を獲得し、勢力を拡大したことにより、相対的にユダヤ教は勢力が弱
まり、
また「イエスを殺害した」との汚名を着せられるようになった。そのため、2 度目の神殿再
建に踏み切れなかったのではないか?と私は考える。そして彼らは神殿がなくなったため、
神への犠牲に代わる行為を探すようになり、たどり着いた先が学問であった。ユダヤ教は
トーラーの専門家である
「ラビ」の地位を高め、ジナゴーグでの礼拝を重要視し、
『タルムード』の解釈に精を出す
ようになったのである。また、ユダヤ教の各家庭に諸祭儀を励行するようにもした。それ
が、
「神殿」という大きなシンボルを失ったユダヤ教の存在を、内外に示す行為であったの
かもしれない。
最後に③であるが、もともとギリシャ人は“考えること”が好きな国民だったから、と
いうことも考えられる。
(これほど多くの思想家・哲学者が出たのは、中国の諸子百家にも
似ている)とか、
「生きるとはどういうことか?」、または、
「人はどのように生きればよい
のか、死ぬとどうなるのか?」
と言う問いもギリシャの思想を語る上で重要である。例えば、最初にあげた、
「万物の根源
は?」の問いに、タレスは「水」、ピタゴラスは「数」、デモクリトスは「原子」と実に多
様な答えが出されている。それぞれの哲学者が上記のような疑問に回答し、それを指示す
る弟子たちが集って、
教団あるいは学園が生まれ、更なる発展形が生み出される、ということを繰り返すうちに
多様になった、とも考えることは可能であろう。
私はこれほどまでに多様な思想・哲学が登場したもう1つの理由として、ギリシャ神話の
存在をあげたい。ギリシャ神話には数多くの神々が登場する。
(ゼウス、ヘルメス、アルテ
ミスなど名前はお聞きになったことがある人も多いだろう)その神話の中にはそれぞれの
神々に伝説があり、
それぞれ、
“月の神”、
“酒の神”、
“戦争の神”と役割がある。それをギリシャの各ポリスは
それぞれに決めた神を崇拝したのである。
「オリュンポスの 12 神」だけでも神が 12 あるわ
けであるし、それ以外にも神、あるいは英雄を崇拝していたのであるから多種多様になる
のは必然的なことであったのかもしれない。
さて、キリスト教はいかにしてギリシャのような多宗教地域をも包含するような世界宗教
へと発展したのであろうか?「世界の諸宗教
Ⅰ
秩序と伝統」の 250・251 ページにある、
キリスト教勝利の原因をまとめて、3 ページに記したが、私は、理由をもうひとつ挙げたい。
それは、教理面の話である。
人々はなぜキリスト教に惹かれたのか?私はイエス、あるいはパウロの唱えた、神の愛・
隣人愛にひかれたのでは?と考える。原罪を背負った人類を助けるために神はイエスを地
上に送り、イエスは全人類のために贖罪を行なった、というどこかドラマティックな教理
が支持された、ということも考えられるかもしれない。
ギリシャやローマについて考察するとき、その地の哲学や神話を考慮せずにはいられない。
なぜなら、その哲学が紀元後のヨーロッパに多大な影響を与えてきたし、その神話は今で
も私たちを引き込む魅力があるからである。そしてキリスト教が今日にいたるまで、ヨー
ロッパ・アメリカを形作ってきたのである。
ギリシャ‐ローマの世界は思索と神への畏敬とに満ちた世界だったのかもしれない。