「新たな感動と豊かな生活を提供する」 ―二輪界の巨頭

「新たな感動と豊かな生活を提供する」
―二輪界の巨頭YAMAHA
北京師範大学全学生代表
見学日時:2011年6月1日(水)9:00~12:00
見学場所:ヤマハ発動機株式会社 静岡県磐田市新貝2500
見学概要
周知のとおり、YAMAHAは世界有数のブランドで、その傘下のヤマハ発動機株式会社は世界的に見て
も規模が大きく、優れた技術と品質で有名な多国籍企業である。1955年7月1日に日本楽器製造株式会社
から独立したヤマハ発動機株式会社の本社は静岡県磐田市にあり、子会社の数は106社を数え、日本、
アジア、ヨーロッパ、南北アメリカ大陸、オセアニアに至る35の国と地域に分布し、世界中で製品を販
売している。訪日3日目、第8回「走近日企・感受日本」訪日団のメンバーは、静岡県にあるヤマハ発動
機株式会社本社を見学に訪れた。
ヤマハ発動機側が全従業員そろって訪日団を迎えたいということで、時間調整のために約20分待機す
ることになった。
(会議室で説明に耳を傾ける様子)
担当者から「感動創造企業」というヤマハの経営理念や企業の沿革、日本国内に分布する工場、従業
員などについての説明があったほか、ヤマハについてさらに理解してほしいということで企業紹介ビデ
オが放映された。ビデオでは漁船の発動機やオートバイのエンジン、東南アジアやヨーロッパ、漁師や
オートバイのツーリングといった各地のさまざまな人々がヤマハ製品の素晴らしさについて語ってい
た。
その後、オートバイ組立てラインを見学した。工場の中の様子はまさに驚きの一言に尽きるものだっ
た。高度にオートメーション化された組立てラインが整然と並び、全く無駄というものがなく、効率を
高めるために最大限の努力がはらわれていた。特にラインの間を行ったり来たりして自動的に部品を送
る台車が印象的だった。この台車はラインの間に敷かれたレールの上を行き来するのだが、部品が必要
なところでピタリと止まるようになっていた。また、ミスを防ぐため、さらには人によりやさしくある
ために、この台車は音楽が流れるように作られており、作業員はいろいろなメロディによって部品の付
け忘れがないか確かめることができるようになっていた。作業員たちが活き活きと仕事をしている姿も
印象的だった。見学の途中で出会った作業員は誰もが笑顔で、情熱を持って仕事に打ち込んでいること
– 18 –
が見てとれた。ヤマハは文字通り「感動創造企業」だと思った。
Q&A
Q:各部品工場とヤマハの本社との距離は?震災の影響で部品工場の供給が不足して生産が間に合わない
ときはどうするのか?
A:各部品工場は本社から20キロ以内のところにあるので、生産には非常に便利である。部品の供給が
不足した場合は、部品工場と連絡をとって可能な限り部品を確保し、部品を合理的に配分して生産に支
障が出ないように努める。また、顧客ともよく協議して損失を最小限に抑えるようにする。
Q:2008年の世界金融危機のときもヤマハは高い売上高は維持したが、利益はそれほど多くなかったよ
うだが、それはなぜか?
A:2008年の金融危機のときは、東南アジアでは高い売上高を維持したが、欧米市場でのオートバイと
海運設備の売上げが大幅に減少した。ヤマハにとって利益の最も大きい欧米市場が不振だったことが、
売上高が多い割には利益が少なかった理由である。
Q:社会的責任の履行について
A:ヤマハは企業の社会的責任を積極的に果たしている。例えば「ビーチクリーン作戦&子ガメ放流会」
は、社員が海岸で貴重なウミガメの産卵のための環境を整えたり、子ガメを放流したりする活動で、人
と自然との共存を目指すものである。また「おもしろエンジン実験室」などの活動によって子供たちの
興味を育んでいる。さらに中国やベトナムの貧しい学生たちのために文房具を寄付するなどの教育支援
を行っている。2008年の四川大地震と今回の東日本大震災では、共に難関を克服すべくヤマハも物資の
援助を行っている。こうした社会的責任をきちんと果たすことができる企業こそが、人を感動させるこ
とができると同時に、成功を収めることができると信じている。
知っていますか?
◇ヤマハ発動機株式会社の前身は日本楽器製造株式会社
1887年、山葉寅楠がオルガンの修理工場を設立。ブランド名YAMAHAはこの創始者の名字の日本語の
発音に由来する。
1900年、山葉が日本初・アジア初のピアノを製造。
1950年、川上源一が第4代社長に就任。新製品の開発に取り組む。
1955年、オートバイ製造部門が日本楽器製造株式会社から独立し、ヤマハ発動機株式会社となる。
(1階ホールの博物館に置かれた2台のピアノ)
– 19 –
ヤマハによって音楽の町となった浜松市には世界最大の楽器博物館がある。大小のコンサートホール
がいくつもあり、音楽関係のポスターを町のあちこちで見かける。
◇ヤマハの社章の意味は?
山葉寅楠によって日本楽器製造株式会社の社章として採用された「音叉」のマークは、3本の「音
叉」、即ち楽器の調律器具をモチーフにしたもので、「技術」「製造」「販売」の3部門がそろって世界
に羽ばたくことを意味している。現在では更に「顧客」「社会」「個人」という、企業を経営する上で
の重要な要素の意味も込められており、顧客のために想像を超えるような価値を産み出し、企業の社会
的責任を果たし、全ての従業員が誇りに感じられる企業環境を創出するための象徴となっている。
◇それぞれの市場の需要に応え、製品の多様化とグローバル化に着目
ヤマハはオートバイのエンジンのみならず、レース用車両、オートバイ、レクリエーション用車、
ボート、電動自転車、無人ヘリコプター、ゴルフカート、車椅子など多岐にわたる製品を生産してい
る。
(1階の博物館に置かれたボート)
◇ヤマハと中国
ヤマハと中国との関係は、中国が改革解放政策下にあった1970年代まで遡ることができる。
1975年、北京で開催された日本技術譲渡展覧会に参加。
1976年、広州ヤマハ展覧会を開催。
1981年、広州ヤマハメンテナンスサービスセンターを設立。
1986年、ヤマハ発動機株式会社北京事務所を設立。
– 20 –
感想
ヤマハ発動機の歴史はさまざまな挫折と喜びに彩られている。統計によれば、会社設立当初、日本国
内のオートバイメーカーは既に150社以上を数え、それがヤマハにとって大きな壁となっていたが、創
業者と従業員は「世界最高の製品を作る」「世界に通用しない商品は商品ではない」という思いで生産に打
ち込んだ。その後、日本や海外のモーターレースに参加することで、自らの製品の性能をアピールし、
ブランド力の確立に努めた。
今日、ヤマハは自らを「感動創造企業」と位置づけ、知恵と情熱、困難に立ち向かう精神で全世界の
人々のために感動を創造し続けている。
ヤマハが「感動創造企業」たり得ているのは、挑戦を旨とする企業魂のみならず、市場のニーズを探
り、高品質の製品を生産し続けているからである。ヤマハの技術者たちは自らアジア、アフリカ、ヨー
ロッパ、アメリカの市場を視察し、それぞれの市場で異なる環境とそれによって生ずるさまざまなニー
ズを自ら体感し、世界各地の顧客の声に耳を傾け、こうした従業員の体験や顧客の反応からアイディア
が産み出されている。
ヤマハの40年にわたる中国市場の開拓には少なからぬ障害もあったはずだ。まず、欧米の消費者と
違って中国の消費者は冒険心に欠け、レース用オートバイやモーターボートのようなマリン製品に対す
る需要が少ないことに加え、中国の道路関連法令の規制によって、オートバイは高速道路を走行するこ
とができず、ツーリングを楽しむ消費者が二輪車を購入したがらないという事情がある。
とは言え、ヤマハはこれからも積極的に社会的責任を果たし、「感動創造企業」として更に多くの喜び
と感動を私たちに与えてくれることだろう。
– 21 –