日が照っています

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かささぎの
わた
はし
渡 せる 橋 に
お
しも
しろ
置く 霜 の
み
白 きを見れば
よ
ふ
夜ぞ更けにける
おおとものやかもち
大伴家持
〈声に出してよんでみよう〉
カササギノ ワタセルハシニ オクシモノ
.
シロキオミレバ ヨゾフケニケル
ぎょう
だん
こ ご
じょし
いっぱん
*ワ 行 オ 段 の「を/ヲ」は、古語では [wo] と発音し、助詞以外の 一 般 の語にも用い
せいき
ごろ
られていました。11世紀初め 頃 、ア行オ段の「お/オ」が [o] から [wo] に変化したため
りょうしゃ
く べつ
うしな
両 者 の発音の区 別 が 失 われ、さらに 17~18 世紀頃、両者ともに [o] と発音されるよ
いた
うになり、現在に 至 っています。
星
鳥
い み
〈どんな意味だろう〉
たなばた
かささぎ
はね
なら
おりひめ
( 七 夕 の夜) 鵲 が( 羽 を 並 べて 織 姫 を)渡らせた橋に
おりる霜が白いのを見ると
夜が更けたのだなあ・・・!
かささぎ
あま
がわ
けんぎゅう
ひこぼし
* 鵲 は、鳥の名。中国の伝説で、 天 の 川 の両岸に引き裂かれた 牽 牛 ( 彦 星 )と
しょくじょ
おりひめ
かささぎ
つら
織 女 ( 織 姫 )が7月7日の夜、1年に1度だけ会える時、 鵲 が羽を 連 ね、天の川
か
つゆ
を渡れるよう橋を架ける、と言います。なお、霜や 露 が「おりる」ことを、古語では「置
く」と言いました。
牽牛・天の川・織女
かいせつ
〈 解説 〉
たなばた
夏の 七 夕 伝説を冬に結びつけて対照させ、ロマンチックに詠み上げた歌です。当時の
あこが
さ
知識階級は、先進国である中国の文化に強く 憧 れていました。満天の星と冴えわたる冬
しも よ
せいれつ
の 霜 夜に、身のひきしまるような 清 冽 さを感じさせる一首です。
さくしゃ
しゅってん
〈 作者 と 出 典 〉
おおとものやかもち
まんようしゅう
作者の 大 伴 家 持 (?~785)は、奈良時代の人。現存する最古の歌集である『 万 葉 集
へんしゃ
れきにん
』(8世紀頃成立)の 編 者 と考えられています。中央や地方の諸官を 歴 任 しましたが、
政治的には必ずしも恵まれませんでした。
しんこきんわかしゅう
この「かささぎの」の歌の出典は『新古今和 歌 集 』(13 世紀頃成立)で、『万葉集』に
いこくじょうちょ
ろまん
はありません。このため、家持の作かどうか疑う説もありますが、異国 情 緒 と浪漫あふ
れる詠みぶりは、家持の作にふさわしい、と見る説もあります。
『万葉集』所収の家持の歌としては、次のような歌が有名です。
あらた
新 しき
年の始めの
はつはる
初春 の
今日降る雪の
し
よごと
いや重け吉事
かさ
(新しい年の始めの初春の今日降る雪のように、ますます 重 なれ、良い事よ)
うらうらに
はる び
照れる 春 日に
ひばり
雲雀上がり
こころかな
心 悲 しも
一人し思へば
(うららかに照っている春の日に、雲雀が空高く上がり、心は悲しいなあ。一人で物思い
にふけっていると・・・)
かすみ
春の野に
霞 たなびき
がな
うら 悲 し
この夕かげに
うぐひす
鶯 鳴くも
うぐいす
(春の野に霞がたなびいて、なんとなく悲しい。この夕暮れの光に、 鶯 が鳴いている
なあ。)
その
くれなゐにほ
春の 苑
紅
匂ふ
もも
桃 の花
した て
下 照る道に
い
をとめ
出で立つ乙女
くれない
じゅか
(春の庭園に、 紅 色に美しく映えて咲く桃の花よ。その花の色が照り映える樹下の道
い
おとめ
に立ち出でてたたずむ乙女よ。)
わ
やど
我が 宿 の
むらたけ
いささ 群 竹
吹く風の
音のかそけき
いく
この夕べかも
(私の家の 幾 ばくかの竹に、吹く風の、音のかすかな、この夕暮れであることよ。)
少年と少女