続,人生を決めた汽笛の音

解説
続,人生を決めた汽笛の音
岩 本 太 郎
Taro IWAMOTO
理工学部電子情報学科
教授
Professor, Department of Electronics and Informatics
1.はじめに
蒸気機関車はほぼ退役した過去の機械である.私
は蒸気機関車に魅せられ,機械屋としての人生を歩
むきっかけになったことはすでに前稿で述べた.本
稿では私が学んだ蒸気機関車の技術について,とく
に現在多用されている内燃機関との違いを含めて述
べてみたいと思う.
2.往復機関(reciprocating engine)
2. 1
ピストンとクランク
図1
エネルギー源から機械的動力(主として回転運
単動機関と複動機関
動)を取り出す代表的な方法として蒸気機関や内燃
機関に用いられているのは,ピストンの往復運動を
これに対し,蒸気機関の場合はピストンの両側に
クランク軸で回転運動に変換する方法である.図 1
蒸気の圧力が作用し,押しと引きができる複動機関
に内燃機関と外燃機関である蒸気機関の構造の比較
である.内燃機関が押ししかできないのに比べる
を示す.
と,内燃機関の 2 サイクルエンジンに対して 2 倍,
内燃機関の場合は,コネクティングロッドにより
4 サイクルエンジンに対して 4 倍の時間,連続して
ピストンが直接クランク軸につながっていて,運動
出力が出せる.しかし,蒸気機関車ではクランク軸
する部分の質量が小さいために高速化に適してい
は車輪につながっていて,内燃機関のように減速機
る.また,ピストンには一方向からだけ力が作用す
を用いて回転力を増大することができない.
る単動ピストンであり,爆発力が作用していないと
シリンダから蒸気が漏れないようにシールするた
きは慣性力または他のピストンの力で回転力を維持
めには,ピストンロッドはスイングできないので,
している.
ピストンとクランク軸の間に直線運動するクロスヘ
― 60 ―
内燃機関の場合は弁の開閉にはカムを用いてい
ッドを介在させて運動を伝達している.
往復の力が等しくなるためには,蒸気の圧力を受
て,カム軸とクランク軸との位相角を可変にした
けるピストン両側の受圧面積が等しくなければなら
り,カムを切り替えたりして弁の動作を制御してい
ない.ピストンの後ろ側の受圧面積はピストン面積
る.
からピストンロッドの断面積を引くので,ピストン
蒸気機関車の場合,蒸気の制御は車輪の回転に合
の前側にはピストンロッドと直径が等しい尻棒を取
わせてピストンバルブを前後に動かすことで行って
りつけて,受圧面積を等しくしている.蒸気機関車
いる.この方式にも大別してリンクモーション,ラ
のシリンダ前面に棒が突き出しているのは何だろう
ジアル,ワルシャートの 3 形式があるが,近代的な
と思っていたが,この尻棒とこれをカバーする尻棒
形式であるワルシャート式バルブギヤを図 3 に示
案内だったのである.
す.
コネクティングロッドがつながる動輪のクランク
2. 2
ピンの先端にはにはリターンクランクが取りつけら
バルブギヤ
バルブは機関の出力を制御する重要な役割を負っ
れていて,その先端はクランクより 90 度位相がず
ている.4 サイクル内燃機関の場合はきのこ形弁体
れ,クランク径よりも小さい半径の円運動を行う.
を用いるポペットバルブであるが,蒸気機関では古
この運動をエクセントリックロッドが拾い,加減リ
くは図 2 に示す D 型バルブであったが,現代の主
ンクを揺動させる.加減リンクは円弧状のリンク
流はピストンバルブである.いずれも弁の開閉のタ
で,その内側の溝にピストンバルブにつながるラジ
イミングと開き量が重要である.
アスロッドのピンがはまっていて,加減リンクの動
D 型弁はワットの会社で働いていたウィリアム
きをスライドバルブに伝える.これがスライドバル
・マードックが開発したものである.それまで蒸気
ブの主となる動きになる.これにクロスヘッドから
機関は吸気と排気の二つの弁を個々に作動させてい
つながるリンクの動きを少し加えることで,スライ
たが,それを一つの弁で代替した D 型弁は,その
ドバルブの動作の位相を少し早めている.ラジアス
後 100 年間使われた.D 型弁は弁の外側から給気
ロッドの先端は上から吊り下げられていて,その位
し,内側から排気するが,ピストンバルブは内側か
置が変わると加減リンクの振れ幅が変化し出力を加
ら給気し外側から排気するので,バルブの動作は逆
減できる.加減リンクの中心に来れば停止,また中
になる.
心より上にあげるとピストンバルブが逆に動くの
で,機関車をバックさせることができる.
停止も逆転もできるところは内燃機関のエンジン
とは異なるところである.内燃機関にはエンジンと
車輪の結合を分離するクラッチやトルクコンバータ
と逆転ギヤが不可欠であるが,蒸気機関車にはそれ
図2
バルブの形式
図3
― 61 ―
ワルシャート式バルブギヤの動き
図4
グレズリー式バルブギヤ
図5
が無く,機関の出力が車輪に直結している.
蒸気機関のサイクル
後述する 3 気筒機関の場合,車体の中央にある 3
つ目のシリンダの弁装置は車輪から直接運動を取り
込むことができない.そこで,3 つのシリンダが 120
度位相がずれていることを利用し,左右 2 つのバル
ブ軸の動きから,図 4 に示すリンク機構を用いて 3
つ目の弁の運動を作り出している.
A, B, C の 3 点を水平移動して集めると,図の右
図6
ラップ
に示すように 120 度位相がずれた回転運動になる.
したがって,A と C のバルブ軸の動きから,B の
体の前後に厚みを増やすことでラップを設けてい
バルブ軸の動きを作ることができる.リンク機構の
て,バルブが閉じるのを早めている.また,基本と
巧みな使い方である.
してバルブはピストンより位相が 90 度先行してい
るが,実際はリードの分だけさらに位相を進めてい
2. 3
るのである.
バルブタイミング
蒸気の持つエネルギーを有効に使用するために
バルブタイミングは蒸気機関の性能に大きく影響
は,高圧の蒸気をシリンダに閉じ込めて膨張させ,
するので,長年の経験からこのような工夫がなさ
低圧にして排気することが必要である.ワットは,
れ,ワルシャート方式のような複雑なリンク機構に
蒸気は膨張する力があるので,途中で蒸気の供給を
発展してきたものと思われる.
止め,残りの工程は膨張力で作用させることを思い
つき,1776 年に特許を取った.このカットオフは
蒸気の消費量を抑制し,蒸気機関の効率を高めるの
2. 4
蒸気機関の運転
機関車の出力を制御する要素はもう一つある.図
7 に示すように,背中にあるこぶの一つは水から蒸
に貢献している.
図 5 に蒸気機関のサイクルを示すが,給気をピス
気を分離する蒸気溜になっていて,その中に蒸気量
トンの戻り行程の終端より少し早めに開き(リー
を調整する加減弁がある.つまり,自動車のアクセ
ド),往き行程の途中で締め切って(カットオフ)
ルに相当するのがこの加減弁であり,変速機に対応
膨張させる.排気は往き行程の終端より早めに開
するのが加減リンクである.この二つを使って速度
き,戻り行程の途中で締め切って給気が始まるまで
の制御を行っているのである.
出発時のトルクが必要なところでは,バルブが大
圧縮する.
バルブの弁の厚みは給,排気口の幅と同じに取る
きく開くように加減リンクを下げ,加減弁を大きく
のが基本であるが,このようにバルブ開閉のタイミ
開く,速度が速くなれば加減リンクを中央位置に近
ングを調整するため,図 6 に示すようにバルブの弁
づけ,加減弁を絞る.惰性で走行するときは加減リ
― 62 ―
図8
図7
コンパウンド配置
蒸気溜の中の加減弁
ンクを中央位置(ミッドギヤ)にする.
前述したように,トルコンやクラッチのある内燃
機関とは異なり,蒸気機関車ではピストンと動輪が
直接結び付いている.このため,蒸気の供給を停止
図9
3 気筒配置
して惰性運転する場合もピストンは前後に動き,排
気口から逆に煙を吸い込んだり,シリンダ内に真空
が発生して走行抵抗となる.これを避けるため,ピ
ストン前後の蒸気室をつなぐバイパス装置や外気を
吸い込む蒸気室空気弁が設けられている.
2. 5
図 10
コンパウンドとマレー
マレー式機関車
日本の蒸気機関車はほとんどが 2 気筒である.し
かし,外国では 3 気筒や 4 気筒の機関車がある.高
見えない.C 53 は私の好きな機関車であるが,台
圧蒸気を 2 段階で使用すると効率がいい.つまり,
車枠内にシリンダとクランクがあるので保守性に難
高圧シリンダからの排気をさらに低圧シリンダに入
点があり,ほかの形式では 3 気筒は採用されなかっ
れて,2 段階で蒸気圧を利用するのである.当然大
た.
出力が達成できる.これがコンパウンド・エンジン
マレー式複式機関車は,図 10 に示すように,シ
である.圧力が低い分だけ低圧シリンダは高圧シリ
リンダと駆動輪のセットを前後に 2 式持つ機関車で
ンダに比べて直径が大きい.2 気筒だけれど,左右
ある.9020 形式などいくつかのマレー式蒸気機関
でシリンダ径を変えてコンパウンドにしているもの
車が輸入された.一方を高圧シリンダとし,他方を
や,図 8 に示すように,外国では 4 気筒にして内側
低圧シリンダとする場合が多い.箱根など勾配が厳
シリンダと外側シリンダで低圧と高圧を使い分けて
しい路線に投入された.日本では輸入したものは少
いるものがある.
しあるが,国産はされなかった.前の台車は本体か
日本で 2 気筒ではない数少ない国産機関車は,幹
ら切り離されて首を振るので,蒸気を送る管には複
線で特急列車を引いて活躍した 3 気筒の C 53 と,
雑な構造の球面継手が必要となり,保守も難しい.
これを作るため参考として輸入した機関車 8200(C
このため,日本ではマレー式は根付かなかった.
52)がある.ただし,これはコンパウンドではな
く,蒸気圧が等しい単式である.図 9 のように中央
に斜めに 1 気筒配置されているが外からはほとんど
― 63 ―
3.走行装置
3. 1
イコライザー
機関車には動輪や先台車,従台車があり,多くの
車輪でその重量が支えられている.これらの車輪は
接地性を良くするためばねで支えられているが,伸
図 11
イコライザ
びたばねのところは荷重が少なくスリップしやす
い.そこで図 11 に示すような車輪の荷重を均等化
するイコライザが適用されている.前後の車輪の板
ばねをリンクで結び天秤のように一点で支える.こ
図 12
れにより接地力は均等化される.結合される車輪は
ワイパーブレードのイコライザ機構
2 つの領域に分けられ,つまり 3 点支持となって安
定化するのである.イコライザはばねがない場合も
接地力を均等化する効果があり,自動車では図 12
に示すように,ワイパーのゴムをウインドシールド
に密着させるために応用されている.
接地力を均等化するイコライザ(equalizer)は,
図 13
先台車
ばねを使わず簡単な構造で実現できるサスペンショ
ン機構として強く印象に残った技術である.
3. 2
先台車と従台車
図 13 に示すように,動輪の前後に小径の先台車
や従台車を置くことがある.その車輪の数や配置は
車両形式により異なるが,目的は機関車の重量を分
図 14
散して軸重を減らすことと,カーブで動輪のフラン
復元機構
ジにかかる横荷重を軽減することにある.このた
め,台車はイコライザ機構の中に組み込まれ,荷重
の配分を受けている.また,台車には重力やばね力
を利用して車体の中心に戻るような復元力を発生さ
4.その他
4. 1
連結器
せる機構が付いており,これによって車体をカーブ
昔の車両の連結器は,図 15 に示すようにチェー
の内側に寄せる効果があるので,動輪のフランジの
ンをフックに引っかけ,順ねじと逆ねじを組み合わ
レールとの接触力を軽減している.図 14 の左側は
せたターンバックルで締め上げるというものであっ
斜面を利用して重力により中心位置に復元する力を
た.連結に人手が必要で,時間もかかり作業の危険
発生させる方式,右側は平行リンク機構により復元
も伴った.その後,げんこつのような形の自動連結
力を発生させる方式である.
器が開発された.これは車両を押し当てるだけで結
合ができる.
連結器はどの車両とも結合できることが求められ
る.このため,一部の車両だけ新型連結器に変更す
― 64 ―
ターンバックル
バッファ
フランジ
図 16
図 15
双頭レールと T 型レール
車輪は単純な円筒形であったが,レールの進化と
連結器
ともに車輪の内側端面にレールから外れないための
出っ張り(フランジ)が設けられた.動輪の数が多
ると,運用に支障が出る.日本ではいち早く,1925
い蒸気機関車ではカーブを走行するときに中央の動
年 7 月 17 日,たった 1 日だけ列車の運行を全面休
輪のフランジがカーブの内側のレールに強く当た
止して,本州各線の全車両の連結器が同時に一斉に
る.このため,中央の動輪だけフランジを無くして
自動連結器に交換された.他国に先駆けて思い切っ
いるものもある.
た改革を行った歴史的快挙として記録されている.
蒸気機関車では車輪の輪心とタイヤは組み立て式
従来のねじ式連結器はばねが内蔵されたバッファ
になっているものが一般的である.輪心はスポーク
を押し当てることで車両間のガタつきを除いてい
式からボックス式になった.軽量で強度が高い構造
る.自動連結器は連結作業を簡単で素早くできるよ
である.
うにした功績は大きいが,連結器の間にすき間があ
るのでガタつきがあり,車両の間に小さな衝突が生
5.まとめ
じて乗り心地が良くない欠点がある.現在は連結器
蒸気機関車の魅力を機構の面から解説した.蒸気
が密着する改良型自動連結器が開発され,電車には
機関車は産業の発展時期に進化し,社会の発展に大
これが適用されている.
いに寄与した.しかし,私には機構の宝庫としての
魅力が大きい.すでに役割を終えた機械ではある
4. 2
が,先人の知恵がここかしこに見える.この知恵を
レールと車輪
現在のレールは図 16 の右側に示すように,上部
借りて,今後の研究活動に生かしていきたい.
が太くて下部が幅広い T 字型をしているが,初期
のレールは L 字型であったり,鉄と木材を重ねた
参考文献
ものであったりした.その後,図 16 の左側に示す
斎藤
ように上下対称で,すり減ったら逆向きに取り付け
て 2 度使える鉄製の双頭レールが使われたこともあ
晃
細川武志
片野正巳
蒸気機関車 200 年史,NTT 出版
蒸気機関車メカニズム図鑑,グランプリ出版
1 号機関車から C 63 まで
Ltd
る.鋳鉄から鋼のレールになって,初めて安定して
蒸気機関車スタイルブック
走行できるレールになった.
蒸気機関車全史①,②
― 65 ―
機芸出版社
学習研究社
NEKO PUB. Co.