最もとイッシモ 言語構造が全く違うイタリア語と日本語、完璧な翻訳は

最もとイッシモ
言語構造が全く違うイタリア語と日本語、完璧な翻訳はほぼ不可能に近いことは、誰にも
想像できると思う。「頂きます」と“Buon appettito!” 、同じ状況で使うに言葉だが、それぞ
れの持つ意味は全然違う。さようならと Arrivederci, Addio, ありがとうと Grazie など、例
には事欠かない。一方、科学技術用語は万国共通、パソコン使用の際にダウンロードと
言おうが、scaricare と言おうが、全く同じ作業を示し、物理学で、materiale,
material, matière、物質は全く同じことを指す筈である。
前書が長くなったが、以下は「さようなら原発 1000 万人のアクション」が呼びかけている
脱原発を願う嘆願書をイタリア語に訳した際の逸話。
「さようなら原発」サイトからダウンロードできる外国語の嘆願書は、ドイツ語を除いて全て、
日本語の「最も危険なプルトニウム」をそれぞれの国の言葉で「地球上に存在する最も危
険な物質であるプルトニウム」という表現で訳している。「朋・アミーチ」は、プルトニウムは
物質ではなく元素という判断の下に Plutonio, il più pericoloso elemento esistente に
書き換えて一時的自己満足感に浸った。
しかし、その後、「物質を日常語と考えれば、『考え』や『美しさ』の様な抽象的なものに対
して、実在する物と言う意味で、サイトにある嘆願書の訳文は間違ってはいない」という意
見が現れた。「否、『元素』の方が正確な表現」と議論が活気づいてきた時点で、ハタと気
がついた。原文には物質と言う言葉も、元素と言う言葉も存在しないのである。存在しな
い言葉に振り回されていたのだ。そんな暇に、最ものイタリア語訳を探すべきだった。最
もに対応するイタリア語の言葉は、ほぼあり得ないにしても、、、、。
ところが、見つかったのだ!
最も危険なプルトニウムは Pericolosissimo Plutonio とほぼ同じ意味ではないか!
最ももイッシモ(…….issimo)も何かしら極端な状態を表す言葉だが、そこには他との比較
は含まれていず、最上級の表現ではない。
この発見に私は最高の気分である。
(10 月 8 日千の和)