0・ 当社大阪 難歯センターの岸本和 男さん (聴 覚 7織 、勤続 36年 目 )か ら寄せられたものです。 t致 響 と門司港 の繰子が日に浮 かぶ史子 です ねェ。 オネ さんの生まオ 全 国 の 当社 障 がい社員 の皆 さん 、こん に ちは !!大 阪義 歯 セ ンター の岸本 です。私 の故郷 は北 九 州 の 門 司で、 このお話 を しま しょ う。 今 か ら 5年 前 、勤続 30年 の特別休 暇 を利 用 して 故郷 の 門司 に 45年 ぶ りに行 つ て 来 ま した。鹿 児 島本 線 の 小森 江駅 で 降 りて 、 門 司港 駅 までの バ ス に乗 らず 、少 し上 り坂 を歩 きな が ら、海 と町 の 風 景 を眺 めて い る と、懐 か し い この 風 景 が今 で も残 つて い ま した。 途 中 で葛葉 す。 3丁 目に着 き、 こ こが 私 の生 まれ た所 で 小 さい 頃は古 い木造 の建物 が 多 く、ここに住 んでいた 当時 を鮮 明 に覚 えています。 今 、 まわ りを じつ く り眺 め る と大 き く変 わ っ た もので す。 45年 前 の記憶 と比 べ る と古 い 木 造建物 は消 え 、 一 戸建 てや マ ンシ ョン が 多 く見 られ ます。海 の近 くにあ らた 国鉄 (現 」 R西 日本 )の 貨物線 レール が 消 え道 路 とな つて ま した。小森 江 か ら葛 葉 へ 向か うと右側 に 風 師 山 (か ぜ しや ま)が あ ります 。 この 山は 九州 国定公 園 の一 部 で 山頂 か らは海 峡 を行 き 交 う船や 関門橋 、巌流 島な どが 見渡 せ 、 そ の景色 は一 見 の価値 が あ ります。 高尾 山や 函館 山 の 展 望 に も負 けま い絶景 で す。風 師 山 のふ も とに 古 い 慈 眼寺 (じ げん じ)が あ って 、 こ の お 寺 の お墓 はみ な立派 にな つ て ま した。 や っ と門司港 に着 きま した。 この港 は 日本 有数 の 貿易 港 と して繁 栄 した町 で す。 そ の後 、 関門鉄道 トンネル の 開通 、終戦 そ して新幹線 の 通過 な どで交通 の 要所 か ら次 第 にお いて 行 かれ レ トロの 町 に 変 わ りま した。「 弓司港駅舎 は 大正 3年 フ レンチル ネ ッサ ン様 式 の木造建 築 と して 昭和 59年 に銅 葺 き (ど うぶ き)屋 根 が修理 され 、屋 根 の 下 には時計 が あ り、外壁 塗装色 が あ っ た。 昭和 63年 に駅舎 と して 、 は じめて 国 の 重 要 文化財 に指 定 され ま した。駅舎 の 近 くに あ る旧大 阪商船 、 旧門司三 井倶 楽部 、 旧門司税 関な ど明 治 。大正 時代 の 雰 囲気 を残 す建築群 を保 存 、修復 、復 元 した もの です。 現在 で は 「門 司港 レ トロエ リア」 と して生 まれ 変 わ り年 間 200万 人 以 上 の 人 が訪 れ る観 光 地 として新 た な歴 史 を歩 も うと しています。 岸 本和 男 さん 57歳 は ここ葛 葉 (く ず は )で 生 まれ ま した。 45年 ぶ りに郷 里 を訪 ね感 傷 にふ け る 岸本 さん で した。 の ま。 は 二 ● :[[]11彙変 測で ti『:ぅ 合成 写真 に加 工 した もので す。 _存_ [ん 7.当 社・四国・機上町にあるクラウンセンター績上の張 谷 報、勤続4年 )か ら寄せられ春した。 lた に きさみ )さ ん (聴 覚 2 昌美 (け ι 象 本 さ ん は キ ロ 緒 客 に ス 麦 慣ン tて き た ょ ぅ です ネ。 皆 さん こん にちは。 ccAの 張谷 昌美です。「絆」新 聞第 50号 発行おめで と ぅござぃ ます。今回は勤続 3年 研修 に参加 した様子 を紹介 しま す。 5月 24∼ 25日 まで勤続 3年 研修 が あ り 参加 しま した。24日 朝、大阪本 社近 くのギ コ ビル ウ 前に集 合 しま した。3年 前 の新入社員研修で仲 良 くな った友達 と久 しぶ りの再会 と な りま した。 ギ コ ゥビル か らは貸 し切 リバ スに乗 車、車 中で友達 とた くさんお話 ししま し た。聞き取 りに くい時、分か らない時は 皆 さんは紙 に書いて くれま した。「道 の駅」で休憩 してゃ曇ごはんは「能勢うどん」といぅ有 なうどんを べ 食 ました。とてもおいしかった 名 です。研修先の当社が運営する 「みらい館」 に着きました。このみらい館にはむかし当社が使 用 した 道 具 、機 器 、機械 等 の展示 説 明 の ほか全 国 の な備 品や 資料 が 展 示 され て ま した 。 歯科 医院 や 同業者 か ら贈 られ た歴 史的 嶋渡 (し ま ど)館 長 に よ る義 歯 の歴 史 の お 話 を頂 きま した。木 製義 歯 か らゴム床 、 レジン 床 、金属床 と発展 して きた様子 な どです。 会場 を奥猪名 (お くぃ な)健 康 の郷 に してハ ー 移 トア クテ ビテ ィで コ ミュニ ヶ― シ ョン を 高 めるた めの トレー ニ ン グを しま した 。 その 中で一 番難 しか っ た こ とはヘ リ ウム ン リ ク で した。 ヘ リウム リン ク は人 差 し で 指 リン クを地 面 まで皆 と同 じよ うに っ ゆ く りと下げ る こ とで 分 か りに くか っ た で す。 夕食 は バ ー ベ キュー で皆 とお しゃべ りしなが らた くさん 食 べ ま した。 楽 しか っ たで す 。 25日 は 朝起 きて す ぐラジオ 体操 をキチ ン と しま した 。朝 食 後 はハ ー トァ クテ ビテ ィでチ _ム ビル デ ン グ を高 め る トレー ニ ン グを しま した スパ 。 ィ ダー ネ ッ トでペ ァ と一 緒 に 下か ら上 に立 ち上が る トレー ニ ン グ を した 時 、 ペ ア と合 図 して 立 ち上が る事 が 出来 て 良か っ たで す 8こ れ が終 わった ぁ と、「報・ 連 。 相」 の座 学 が あ りま した。「報・ 連 。相」 は社 会人 と して 大 切 なので忘れ ない ょ ぅぃっ も仕事 で 場 気 を付 けたぃ と思 い ます。 奥猪 名 健 康 の郷 を後 に して 新 大 阪 駅 で解 散 しま した。 この二 日間、短 い 研修 で したが 同期入社 の 皆 と楽 し く協 力 して過 ごせ ま した。 とて も良か っ たで す。 当社は節 目毎に研修 を します。入社 3年 、 5年 、 lo年 研修で す。後は Lま す。左端の張谷昌義さんは筑波ろ う技工 科卒後 に入 3年 研修では兵庫・京都に近い大阪府能勢町に 永年勤続表彰で特別休暇 と旅 行費用等が支給 さ 社 され 今年で 4年 目にな ります。 △担′ ァ1夕 ‐ )ュ ニ ある当社が 営する諄らιlttr歯 菫書饉館ヽ ゎ士′ ハ i ● _` ´ 8。 当社石:II県 金:R工場の示野和恵さんから寄せられ参した。(聴 覚2級 、勤続 目) この新 同 癸 行 のわ 駅 に は 、 凍 名 ふえ きS藁 さイに、「 ホ考承 ネ講 '2年 座 ?」 のみ 掲 きた く さん 違 っ て くイtま tた 。 と こ ろが 彼 女 の`S配 は す せ ず 、 ち の 子考 さん `争 のな名 で さ えや っ と今 回お 載 とな りま tた も ゴメ ンナサ イ ね。 示野 和 恵 皆 様 、お 疲 れ 様 です 。 私 の 趣 味 は水 泳 と言 い た いの です が 、事 情 に よ り、 ジム を辞 め た の で 、ち ょっ と変 更 です 。 私 は海 の 景 色 が好 き な の で 、 ラ ッセ ンの ジ グ ソ ー パ ズ ル が好 きです 。 写 真 の パ ズル は 私 の 誕 生 日に友 人 か らパ ズル セ ッ トを くれ て 、私 が はめ て 完 成 した物 です 。 も っ と い ろ ん な ラ ッセ ンの パ ズ ル した い け ど… お金 が ら 断念 。 眺 め るだ けで気 持 ちが安 らぎ ます ご あ とは 、缶 コー ヒーの お まけに付 い て い るスー パ ー カ ー を集め て ま した 。気が付 いた ら、引 き出 し一 段分 にな り、今後 は集 め ませ ん が 、スーパ ー カ ー が好 きなので 、書か せ て もらい ま した 。車 の免許 は取得 して ませ ん ヽ事故 に怖 くて … 。 他 に映画 が好 きです 。私 は人混 みが 苦 手な の で 、映画館 は二 回 しか 行 って ませ ん ヘ レ ン タル で す 。 トホ ホ アメ リカ の ドラマ の『 ボー ンズ 』 シ リーズ 、『 ワイル ドランナ ー 』 シ リー ズ 、『 トラ ンス フ ォーマー 』がお気 に入 りです 。 ラブ ス トー リー が苦手 です 。ア クシ ョン、 SF,ホ ラー を見 ます 。 これ か らの暑 い 日 にはホ ラー が いい か も (笑 )刺 激 が大 きいの には控 えるけ ど亀 缶 コー ヒーのおまけに付 いて くるスーパー カー (左 写真 )細 か くて 分 か りに くい け ど、 を集 めま した。 いつたい どの くらい缶 コー ヒー を ラ ッセ ンの ジグ ソー パ ズル を完成 させ た もの です (3点 ) r fr 飲みま したか ?体 に悪 い と思 いますネエ 夕.職上祐太郎さん籠 購 2級 ,28歳 )の 寄稿置す。 彼 は石川 県 の 遊 学館 高校 で ゴール キー パ ー 、筑 波 ろ う学校 歯科 技 ェ科 (3年 制 )を 経 て 、鶴 見大 学歯科 技 工研 修 科 (2年 課程 )修 了。 病院 勤務 。 昨年長 野 市 で開催 の ア ビ リン ピ ッ ク歯科 技 工 競 技 で金 賞受 賞 、 ろ う男子サ ッカー 日本代 表 、決勝 トーナ メ ン ト進 出 な らず ∼ デ フ リン ピック・ソフィァ 大会 に参加 してみ て∼ !! ‐ 総合 病院 国保 旭 中央病 院 村上 祐太郎 7月 26日 ∼ 8月 4日 、ブル ガ リア の ソフ ィア市 にて 第 22回 夏季デ フ リン ピ ックが 開催 され ま した。そ こに男子サ ッカ ー 日本 代表 として参加 して きた ので 、報告並 び に感想 を以 下 に記 します。 ■試合結 果 0勝 2敗 1分 け (予 選 リー グ 4位 ロシア 2-5× ナイ ジェ リア 2-2△ (90分 間出場) アイル ラ ン ド 1-20 ●予選 リー グ ) ※ナイ ジェ リア と得失 点差 が同 じ→ 大会規 定 に よる コイ ン トス→ 結果 4位 ● 13-16位 決 定戦 サ ウジア ラ ビア 11-10 アル ゼ ンチ ン 1-3× (90分 間出場 ) 結果 は 16チ ー ム 中 14位 で した。 ア ジア王者 と して挑 み ま したが 、期待 に応 え られず この よ うな結 果 にな って しまい 、 なん とも言 えない悔 しさが残 つて しまいま したが 、後悔 は してい ませ ん。 出来 る こ とは全 てや って きま した。 ろ う者 の 日本代表 と して 、伸 間、 ス タ ッフ と共 に世界 に 挑 んだ こ とを とて も誇 りに思 い ます 。そ して 、今大会 で得 た 経験 を活 か して今後 の サ ッカー 活動、 人生 の糧 に してい きた い と思 い ます 。応援 して頂 い た 皆様 、本 当にあ りが と うご ざい ま した。 ■ 2週 間 の ブル ガ リア生活 で ビック リ した こと ソフ ィア 市 か らバ ス で 1時 間離れ た所 にあ るホテル に 15日 間滞 在 しま した。 ・ 周 りは牧 場や畑 だ らけで何 も無 く、毎 日どれ ほ どの牛や馬 を見 か けただ ろ うか …。 ・ ブルガ リア人は ns』 の時は首を振 り、 No』 の時は うなずき、 日本 とはIE反 対なので相手 『 『 の言 つている事に対 し勘違 い して しまつた事 もあり、変な感じ だった。 日本代表聴 覚 障害 サ ッカ ー 選 手 イ レブ ン : (後 列左 か ら二 人 目が村 上選 手 ) ′ ││ハ 村 上祐太郎 選 手 の雄 姿 (15) 卜移彰 摯 ■三 ´ し義 今年 はデ フ リン ピ ックが 開催 され た ブル ガ リア (大 関琴欧 州 の 国 )ヘ サ ッカ ー の代 表選 手 と して参加 蜜薔諏腱週蔵 "1で にえても薔針 よ 工の 発 をは■率 です。叡品はひとつひと `う っ鼻 なり、顧 家の書料 こ峰 (恙 者 )の 考 えオ、お 子も標 々です。ちれ は会 社 こおヒ 式 を羨 けて今 日に 至っ 匁 久 になった47年 前 からあらゆる日筆 に表R半 承 ι ております。この記 事を舞り4に 読 み、ちな のオ がえ 駐ぼ 感ビ‡tた 。 編集後記 1.今 号 もた くさんの原稿や トピ ックスが集 ま り盛 りだ くさん とな りま した。掲載 を翌月号に延 ば し 25日 )東 京 で開催 の日本歯科技工士会主催のタウン ミーテングを取材 しこの掲載 の余 白を残 して何 と 2週 間前 の 8月 13日 には編集完了 したのです。 て頂 いた 2名 にはお詫 び しま した。 8月 (日 2.5ペ ー ジ掲載 の椿雄一郎氏です。堺 ろ う学校歯科技 工科 が廃上 になって も、 ここの卒業生が情報 収集や歯科技 工の研修等で困 らない よう団結 を呼び掛 けてその事務局を務 めています。堺 ろ う学 校 の卒業生で歯科技 工に従事 している者は、おおよそ 50名 とつ かんでお られます。母校 が無 く なるとはつ らい ものです。 また椿氏を中心に大阪府歯科手話作成委員会 は毎月集まって活動 を継続 中です。歯科医師、技 工士、衛 生士、一般 の方がメンバ ー です。 3.歯 ART美 術館 の 8、 9月 の特爾u展「お遍路のrふ 限」を入手 しま した。 3人 の作家展 を楽 しめます。 特に歌洋 ― (う た よういち )氏 はお遍路 さんが休憩・仮眠す る 「ヘ ロン小屋」をす でに 47棟 ボ ランテ ィアで建設 されたそ うです。 社内便 送付先 和 田精密歯研 東京 事業所 顧間 三好博 文あて 携帯 電話 080-1503-9711 携帯 メール [email protected] パ ソ コ )/メ ー^ル h― [email protected] =醐 丈 自宅 手紙宛先 h一 [email protected] Fax専 :264-0026千 用 043-254-3035 葉市若葉 区西都賀 4-11-12 _、 //_ 投票 で決めたず新社名 に愛着を持ち みんな ︲ すが一半 上 場仝 幸 (自 動 車半 品 叡逹 ) の2べ 日社次 のS.時 吐 露ど3い まtた 。 0、 世 界 国 内面 12 ,′ ホ でつくり上ぜさ う雰欄気が生まれたい 鰊 指示 待ち でなくい. 劇の 一一 静 製 警 膠 ″ 鬱 上記 の 「会社 は人 生逍場」は維 して経営している一そ 13版 ‐ ヽ 社の発 た めにこの仕事 をや る の経験から ︲ △´ 展一 ﹂はヽ人が成長して 木 1曜 橿 いくことと同じだと思 っている。 ・ 年間一 後半の加一 難一r一 ■■体質の強い会社はず 一 ︱, ◆ こ の欄 は 、第 一線 で活 躍 し て い る経 済 人 ︵ 学 者 な ど 社 外 筆 者 の執 筆 に よ る も の です 。 一 腫簾 霧仁雙饉語が“ FI鬱鰍弯 乱:=二:`』 L抵 :: ` l● 襲=渉 鷲/を i ま ` :4・ ニ ぼL溝・逃融 量 ■ )● ′ ヒ 一 建 築家 凛ことば &書 の 倉」り人 口写真家 二 人の遍路物語作 品展 一 譲爵豫ハ摯タ ヘ滅′ 鰹 メ磁外 完成 ヘ ン ロ小屋 写真・ 模 型他展 示 妬 辻慶樹 こと 厳壕鼻、 月h晟義 ‐ ‐ 葦 二 鶴 罐 1言 4ヽ . 申 饉願鮨醸醸彎 警 ― ― 饉願願饉鐵 聾婁 .‐ 1 2‐ ‐ 薇咤無 1.1等 亀 ン 壷 じ 西敏明多 博 響 罐 」 住 競 m■ 1111鷲 鯉=ギ黙卦 轟猥 ‡ │ 鞣 攀厄 鏃 =な 炒 畿参 秋驚 9月 療101名 購(上 )申 込先着難 会費 2,500湾 (懇 親会費) 14‐ .PMl:00JR人 栗寺El駅 集合、八業寺参諄 AR磯 遍絡道― 輌館まで歩きま魂‐ を歯 ‐秦繊館で作品難賞後澪くの躍 :荘 にで │ 1 1 ‐│ 議晨者3人 と懇幾会 6 │‐ (海 避の311荘 に希望者:ま 宿 '轟 苺籠).││ 8月 1日 (木 )-9月 27日 (金 ) AM 10100-PM 5:00(会 期 中 は無 体 ) 檸桑諄 砕現八璽 香 川 県高松 市 庵 治 町 生 の 国 3180-2 TEL:087-871-0666 FAXi087-871-0667 http //ha一 art com/ 入館料 :(個 人/団 体20人 以上) 大人 (18歳 以上)600門 /500間 中・ 高校生200円 /100円 小学生以下…無料 ″∫ f・ 静藤ビ 饉 `じ
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