不登校からの自信喪失の日々を振り返って

第 10 回北海道いじめ・暴力・ひきこもり治療研究会
2007 年6月 30 日(土)札幌市教育文化会館 1 階小ホール
体験談2−②
不登校からの自信喪失の日々を振り返って・・・
K.Y.(30代男性)
私は母子家庭で育ち、生活は楽な方ではありませんでした。小学校では先生の暴力、暴
言、威圧的な態度が毎日のようにあり、辛くてたまりませんでした。先生が間違っている
と思っても、それを口に出して言えば、なおさら激怒するので我慢するしかありませんで
した。当時は親にそのことを話せませんでした。子供の頃は大人の言うことは正しく、自
分が悪いから体罰を受けたのではないかと思っていたのです。結局耐えられず、5年生の
3学期から不登校になりました。そして、気持ちを切り替えて中学校には行こうと思いま
したが、そこでも先生方の体罰が待っていました。中学2年生で、また私は不登校になり
ました。たまに外に出ると店員や知らない人から「不登校をしている悪いやつだ」と後ろ
指をさされました。それからは独学で勉強をすることになり、計り知れない不安と絶望の
毎日でした。
16歳の時に初めて実父に会いました。不安や絶望は相当なものでしたが、父に認めても
らいたい思いから、高校へ行きながらアルバイトをしました。しかし、無理がたたって体
をこわし留年しました。その後、専門学校や大学進学もしましたが、負けたくない気持ち
と裏腹に、続けることができませんでした。同学年の人との年齢差や勉学に対する不安、
孤独との闘いもありました。精神的な不安や葛藤が限界を越え、人がいるところでは体が
しびれて動けなくなり、5分もいられない時もありました。両親と同居することになりま
したが、そこには父の溺愛する義理の妹がいました。父には、私はうっとうしかったのか
もしれません。自分は単なる居候のように思われ、居場所がないように感じました。自分
とは違い、すべて順調に進んでいる妹への羨望もあり、母に対して暴力をするようになり
ました。自分の心の苦しみを暴力という方法で訴えることしかその頃の自分にはできませ
んでした。今まで耐えてきたものが大きなパワーとなって吹き出てきた感じでした。私は
その危険な力を回避するために自ら、拳を壁や鏡に打ち付け拳を潰そうと努めたりしまし
た。
私を心配した母は、札幌太田病院に是が非でも入院させなければならないと強く思い入
院になりました。悔しい思いがありましたが、それよりも母に暴力してしまったという重
大な過ちに気づき、罪滅ぼしもかねてまじめに入院生活を送ることを決心しました。退院
後、デイケアに通いました。そこでは色々な人達とのコミュニケーションがあり、人間関
係の勉強には最も良い環境だと思いました。
これまでの自分の経験から、親や教師の関わりは、子に強い影響を及ぼし、子が社会適
応困難となる原因にもなると思います。問題を抱えた子にとって一番必要なのは、自分が
受け入れられているという体験を充分に持つことです。親が子を甘やかすことは駄目だと
思いがちですが、自信を根こそぎ失った自分の場合は、甘やかされてもそれが原因でわが
ままにはなりませんでした。やっと安心できたのです。私の場合、小学校の頃からつまず
き、順調な学生生活を送ってこなかったため、今でも普通の学生を見るのが恐いのです。
自分にはなかった10代、20代の青春がうらやましく、ぬぐい去れないコンプレックスにな
っています。札幌太田病院のデイケアでの経験は、学校での部活経験も友達との語らいも
なかった自分にとって新鮮なものでした。今でも落ち込んだり弱音を吐くことはありま
す。しかし、日々その中で楽しみを見つけ出して、これから悔いのない人生にしていきた
いと思います。