企画書 黒人野球リーグ~ニグロリーグ~(仮) もうひとつのメジャーリーグ(仮) ~黒人野球選手の輝ける歴史~ ~歴史の闇に埋もれたもうひとつの最高峰野球リーグ~ ~アメリカの生んだ光と影を、黒人野球リーグから探る~ ~人種の壁に阻まれた、超一流プレーヤーたち~ 企画 有限会社ラップ 花田雪 企画趣旨 すでに消滅した黒人野球リーグ、二グロリーグの歴史を紹介 1800年代後半から1960年まで存在した「ニグロリーグ」。現在では考えられない事ですが、 戦前、戦後のアメリカには、まだ人種差別が色濃く残り、メジャーリーグは白人選手のみが所属する プロ野球リーグでした。そんな人種差別のあおりを受け、誕生したのが二グロリーグと呼ばれる黒人 だけの野球リーグ。当然、メジャーリーグのように華やかなものではなく、メジャー球団が遠征中に 空いたスタジアムで試合をしたり、地方や中米に巡業するなどして、リーグは運営されていました。 「黒人」であるというだけで、メジャーリーグという世界最高峰のリーグで日の目を見る事の出来なかっ た数多くの選手たち・・・ しかし、当時の二グロリーグのレベルはメジャーリーグと比べても遜色なかったと言われ、 事実、メジャーリーグ選抜と二グロリーグ選抜のエキシビジョンマッチでは、二グロリーグが勝ち越して いる、という記録も残っています。 現在では、アフリカ系アメリカ人はもちろん、多くの中南米出身選手など、アメリカ以外の選手も 活躍するようになったメジャーリーグ。その扉を開いたのが、彼ら「ニグロリーガー」だった事は、 あまり知られていません。 そこで今回は、アメリカのスポーツの歴史の闇の部分である、「ニグロリーグ」を題材とした企画を ご提案致します。 書籍概要 体裁 B5版 144~192P 発売日 2011年11月~3月(野球のオフシーズン) ※もしくは2012年4月15日(ジャッキー・ロビンソンデ―) ジャッキー・ロビンソンが黒人として初めてMLBに出場した事に ちなんで、MLBではこの日、ほとんどの選手が彼の背番号であり、 全球団で永久欠番になっている42番を背負ってプレーする。 企画・編集 モリトモ企画、有限会社ラップ 構成案① 二グロリーグの歴史~創世記~ 二グロリーグ誕生~消滅までの歴史 二グロリーグが誕生した時代背景から、リーグ全盛期、メジャーとの統合に よる衰退、消滅までの歴史をレポート。 アマチュア野球チーム同士が組織化し、リーグ化 1862年の奴隷解放宣言を機に、60年代後半から特に東海岸を中心に アフリカ系アメリカ人の野球チーム設立の動きが高まり、各都市にチームが 形成されていく。 しかし、フィラデルフィアの「ピュティアンズ」というチームのオーナーが、当時の 全米野球選手協会への加盟を申し込んだものの、球界が参加を認めないなど、まだまだ 「人種差別」が色濃く残っていたため、チーム、選手はあくまでも「アマチュア」として 試合を行っていた。 構成案② 二グロリーグの歴史~プロ化~ チーム数の増加やリーグの盛り上がりで、プロ契約する選手も現れる アマチュアとして試合を重ねていくうちに、リーグの人気は上昇。 徐々にプロ契約を結ぶ選手が現れ始める。 リーグのレベルも飛躍的に向上し、実は1879年にはウィリアム・エドワード・ホワイトと いう選手が、メジャーリーグに出場を果たしている。 ※したがって、ジャッキー・ロビンソンが「MLB初の黒人選手」と言われているのは、 厳密には間違い。正確には「近代MLB初の黒人選手」が正しい。 1885年には、アフリカ系アメリカ人初のプロ野球団「キューバン・ジャイアンツ」が誕生。 それに追随して、多くのプロ野球チームが設立され、いくつかのリーグが生まれるも、 そのほとんどが運営上の問題などからわずか数年で消滅している。 1880年代後半からは、メジャーリーグで有色人種排斥の流れが強まり、有色人種の選手が 所属するチームとの試合を拒否する球団も出始める。この結果、1900年頃までに、 メジャーリーグから有色人種の選手が姿を消すことに。 構成案③ 二グロリーグの歴史~巡業チーム時代~ リーグではなく「巡業」で成功を収めるチームが増える プロリーグ化がなかなかうまくいかない現状の中、1890年代から「キューバン・ジャイア ンツ」がリーグに所属しない巡業プロチームとして興行を成功させる。 これに追随する形で、各球団もこぞって巡業を行うようになる。 1990年にはキューバの野球リーグがアフリカ系アメリカ人の参加を認め、 「黒人野球」はより盛り上がりを見せる。また、米・キューバ間の交流も盛んになり、 アメリカ人だけでなく、キューバ人やアジア人などもチームに所属する 「多国籍化」が進んでいく。 ※オール・ネイションズというチームには、日本人選手が所属していたという 記録も残っている。 構成案④ 二グロリーグの歴史~2リーグ化~ チーム数の増加に伴い、2リーグ制が確立される “巡業”が主流だったニグロリーグに、新たな風が吹いたのが1920年。 第一次世界大戦が収まったころ、ルーブ・フォスターが中心となり、球団所有者との 会合を経て、アメリカ北西部を中心とした二グロ・ナショナルリーグが発足。 3年後には東部を中心としたイースタン・カラード・リーグが発足し、両リーグ間では 1924年からワールドシリーズも行われるようになる。 この頃から、クール・パパ・ベル、マーティン・ディーゴなど、後の記録にも残る 人気選手が生まれ、リーグは人気を博すが、大恐慌の影響や、リーグの生みの親 ルーブ・フォスターらが経営から手を引いた事により、リーグは一時的に衰退。 1928年にはイースタン・カラード・リーグが、1931年には二グロ・ナショナル・リーグが 崩壊してしまう。 構成案⑤ 二グロリーグの歴史~全盛期~ 多くの伝説的名選手を輩出したリーグ全盛期 2リーグ制は一時崩壊したものの、ニグロリーグの火は絶えず、1933年には 二グロ・ナショナル・リーグが復活。続いて1937年に二グロ・アメリカン・リーグが 結成され、再び2リーグ制が確立される。 この頃、サチェル・ペイジ、ジョシュ・ギブソンをはじめとする、伝説的なスター プレイヤーが多く誕生し、東西対抗のオールスターゲームも行われるようになる。 メジャーリーグとの交流も徐々にだが盛んになり、メジャーリーガーたちをことごとく 退けるニグロリーガー達は、当時のアフリカ系アメリカ人から絶大な支持を受け、 リーグは全盛期を迎える。 ※実際にニグロリーグとメジャーリーグの親善試合では、ニグロリーグが勝ち越している 構成案⑥ 二グロリーグの歴史~衰退・消滅~ ジャッキー・ロビンソンの出現で多くの黒人選手がメジャーに 1947年、ニグロリーグ出身のジャッキー・ロビンソンがメジャーリーグ、ブルックリンド ジャースに入団。新人王を活躍するなど、華々しい活躍を見せる。 これを機に、他のメジャー球団もニグロリーグから多くの選手を引き抜き、 1948年、二グロ・ナショナル・リーグが解散。二グロ・アメリカン・リーグも1960年に 消滅した。 ニグロリーグはおよそ90年に渡って活動してきたが、「消滅」という言葉よりも、 厳密にはメジャーリーグとの「統合」という言葉が当てはまる。 現在でも、多くのアフリカ系アメリカ人がメジャーリーグでプレーしており、 アメリカのスポーツ史において、「ニグロリーグ」の存在は決して無視できない 大きな功績を残している。 構成案⑦ 二グロリーグの全貌 リーグとしての概要を紹介 年間何試合やっていたの?チーム数は?選手数は?リーグとしてのレベルは? といったニグロリーグについての基本的な知識を紹介します。 内容案 ・年間試合数(レギュラーシーズン、巡業、遠征など) ・チーム数(いくつものリーグが混在し、創設・消滅を繰り返した歴史も) ・主な参加球団の紹介(球団名・チーム旗・本拠地・歴史など) ・メジャーリーグとの対戦成績 ・他リーグとの交流 ・「黒人リーグ」であるがゆえの苦労(試合会場の確保、待遇など) 構成案⑧ 二グロリーグが生まれた背景 「人種差別」が生んだ野球界の歪な歴史 ニグロリーグの存在は、アメリカの「人種差別」の歴史と重なります。 「ニグロリーグの歴史」でも触れましたが、1860年代の奴隷解放宣言で、一時的に 「黒人」は人権を認められ、「白人」と同じ人間であるという風潮が流れました。 事実、この時代には少数ではありますがアフリカ系アメリカ人がメジャーリーグで白人 とともにプレーしていたことも事実として残っています。 しかし、アメリカの「人種差別」は根強く残り続け、結局1900年頃までに、 メジャーリーグでプレーする有色人種の選手はリーグから排除される結果に。 皮肉にも、それを機に「ニグロリーグ」は繁栄し、多くの名選手を輩出。 メジャーリーグと遜色ないレベルのリーグを形成していきました。 「ニグロリーグ」が存在しなければ、野球の歴史は大きく変わっていたかもしれません。 ベーブ・ルースやサイ・ヤングの記録を軽々と抜いてしまっていたかもしれない名選手 たちが、歴史に名を残すことなく、ひっそりとその選手人生に幕を下ろしていた。 それが、ニグロリーグの現状です。 時代背景とともに、そんな「ニグロリーグ」が直面していた現実を紐解きます。 監修者候補 佐山和夫 慶應義塾大学文学部英米文学科卒業。会社員、和歌山県立田辺高等学校などの公立高校の英語教師をへて、独立して「田辺イングリシュアカデミー」を 開く。日本ペンクラブ、三田文学会、アメリカ野球学会(SABR)、スポーツ文学会(SLA)に所属。第3回潮ノンフィクション賞、和歌山県文化奨励賞、第4 回ミズノ・スポーツ・ライター賞、ジョセフ・アストマン賞、アメリカ野球学会のトウィード・ウエッブ賞などを受賞。初代アメリカ野球学会会長のク リフォード・カックラインとは親友である。 著書 [編集] 『史上最高の投手はだれか』(潮出版社,1984年)ISBN 9784267010316 『黒きやさしきジャイアンツ』(ベースボール・マガジン社,1986年)ISBN 4583025807 『我が名はケンドリック』(講談社,1991年)ISBN 4-06-205195-8 『黒人野球のヒーローたち : 「ニグロリーグ」の興亡』(中央公論社,1994年)ISBN 4121011767 『早慶レガッタの午後』[1](ベースボール・マガジン社,1994年)ISBN 4583031645 『二つのホームベース:白球が知る日系二世戦争秘話』(河出書房新社,1995年)ISBN 4309009913 『デイマジオとモンロー:運命を決めた日本での二十四日間』(河出書房新社,1995年)ISBN 430901027X 『「ジャップ・ミカド』の謎:米プロ野球第一号を追う』(文藝春秋,1996年)ISBN 4163515208 『59歳のドジャースキャンプ体験記』(小学館,1996年)ISBN 4093871973 『野球はなぜ人を夢中にさせるのか:奇妙なゲームのルーツを訪ねて』(河出書房新社,2000年)ISBN 4309013481 『メジャー・リーグを100年分楽しむ』(河出書房新社,2001年)ISBN 4309014232 『明治五年のプレーボール:初めて日本に野球を伝えた男 -ウィルソン』(日本放送出版協会,2002年)ISBN 4140807113 『松井秀喜の「大リーグ革命」』(講談社,2003年)ISBN 4062567431 『野球、この美しきもの。:アメリカン・ベースボールと秋田野球』(ブックダム,2005年)ISBN 4880651419 『日米野球裏面史:美少女投手から大ベーブルースまで』(日本放送出版協会,2005年)ISBN 4140810653 『日本野球はなぜベースボールを超えたのか:「フェアネス」と「武士道」』(彩流社,2007年)ISBN 9784779112805 『レッドソックスはなぜ松坂投手をとったのか:ヤンキースとの終わりなき闘い』(三修社,2007年)ISBN 9784384023640 『大リーグ・フィリーズ10,000敗:"友愛の町"球団が負けても負けても愛されるわけ』(志學社,2008年)ISBN 9784904180020 『大リーグを超えた草野球:サッチとジョシュの往くところ』(彩流社,2008年)ISBN 9784779113543 『ベースボール聖地物語.1:バットとボールのある風景』(響文社,2009年)ISBN 9784877990572 『古式野球 : 大リーグへの反論』(彩流社,2009年)ISBN 9784779114410 『わが名はケンドリック:来日米人第一号の謎』(彩流社,2009年)ISBN 9784779114892
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