留学のすすめ 坂口 翠 平成 21 年に文部科学省は「国際教育交流政策懇談会」を開催し、国際教育における交 流や協力の在り方について検討を行った。 そこでは、国際教育交流の重要性について次のように指摘している。 「グローバル化に伴い、地球規模での相互連結性が高まり、異なる文化・文明の接点が 大規模に広がっていく。このことは異なる倫理観・価値観の間での摩擦を生み出す危険性 が高まっていくことを意味している。このため、異なる文化・文明を理解、尊重し受け入 れる寛容さが国際的な摩擦を緩和し、平和な国際社会を維持する上で重要となる。また、 たとえ、文化・文明が異なる国や地域に属していても、共有できる倫理観や価値観がある ことに気付くことも同様に重要である。このような精神的寛容さを培い、共通の倫理観・ 価値観を確認するためには、実際に異文化・文明に属する人びとと接触する機会を増やす ことが重要であり、国際教育交流を通じた取り組みが必要である。」(注 1) また、平成 25 年に政府は「教育再生実行会議」を設置し、その第三次提言「これから の大学教育等の在り方について」において、「グローバル化に対応した教育環境づくりを 進める。」ことを第1の項目に掲げ、次のように述べている。 「社会の多様な場面でグローバル化が進む中、大学は、教育内容と教育環境の国際化 を徹底的に進め世界で活躍できるグローバル・リーダーを育成すること、グローバルな 視点をもって地域社会の活性化を担う人材を育成することなど、大学の特色・方針や教 育研究分野、学生等の多様性を踏まえた効果的な取組を進めることが必要です。また、 優れた外国人留学生を積極的に受け入れることによって、大学の国際化を促し、教育・ 研究力を向上させ、日本の学術・文化を世界に広めることなども求められています。そ のため、国は、交流の対象となる地域・分野を重点化したり、日本の文化を世界に発信 する取組を併せて強化したりするなど、戦略性をもって支援していくことが重要です。」 (注2) こうしたことからも分かるとおり、我が国にとって国際化の大きな流れの中で、単に外 国語教育に力を入れるだけではなく、国際理解を実体験を通じて深めていくことは喫緊の 課題であるということができる。 また、国だけでなく、地方自治体や各大学なども学生の留学支援に力を入れている。私 の母校である群馬県立女子大学でも、学生の海外留学を積極的に応援する体制が整えられ ている。「海外留学支援プログラム」によって、多くの学生が海外で学習し様々な経験を 積めるよう奨学金などが準備されている。お話を聞くと、毎年 100 名程度が奨励金を受け て海外へ留学しているようである。海外留学というと語学学習という印象が強いが、海外 でのインターンシップやボランティア、フィールドワークなどの様々な活動が対象になる ようである。また、 留学先での活動が単位として認定される。本人の努力次第では海外 留学に行っても、大学を 4 年間で卒業することが可能である。 このように、学生が海外留学する環境はますます整いつつあるといってよいだろう。 一方で、次のような新聞記事もあった。 -1- 『大学生、留学「意向なし」4割 強い内向き志向』 リクルート進学総研(東京)が今春大学に進んだ人に実施した調査で、海外留学の 意向がない学生の割合は 38.6 %に上り、意向のある学生を 5.2 ポイント上回ったこと が分かった。政府は留学生の増加を目指しており、両者の差は前回調査よりわずかに 縮まったものの、学生は「内向き」志向が強いようだ。 調査は今年 3 ~ 4 月に実施し、男女計 3256 人が回答。「留学したいと思わない」と の回答が 25.6 %、「あまり思わない」が 12.9 %で、留学に後ろ向きの学生は計 38.6 %だった。一方、「留学したい」は 17.0 %、「できればしたい」は 16.4 %で、前向き の学生は 33.4 %にとどまった。 留学に後ろ向きな理由(複数回答)として 44.0 %が「費用が高い」を挙げ、「外国 語が苦手」が 43.8 %で続いた。前向きな理由は「外国語で会話できるようになりた い」が 74.8 %で最も多く、「就職に有利」も 35.7 %に上った。男女別では、女子の方 が男子より留学に意欲的だった。 政府は人材育成のため海外留学を増やしたい考え。就職活動の早期化が留学の支障 になっているとの指摘があり、経団連は就活解禁時期を 16 年の卒業生から繰り下げ、 大学 3 年生の 3 月にする。 ただ、留学に後ろ向きな理由として「就職活動に支障がある」を挙げたのは 3.6 % だった。同総研の小林浩所長は「就活への配慮より、奨学金制度の整備や外国人と接 する機会を増やすことが(留学生増加に)効果的だ」と話している。(注 3) 様々な理由はあると思われるが、実際には大学生の留学に関する意欲は伸びていないの が現状といえるのである。 私は、高校生の時から 1 年半、フランスに留学した経験を持つ。なぜ英語圏ではないフ ランスに行ったのか、とよく驚かれるが、私の場合、語学留学ではなくバレエ留学であっ たこと、そしてオーディションに合格したのが、フランスの学校だったためフランスへ留 学することとなった。オーディションに合格し、留学が決まったのは新学期が始まる約 4 ヶ月前であり、フランス語は挨拶程度しか理解できない状態での留学であった。なにもわ からない状態で異文化に飛び込んだのであるが、 「この留学がなければ今の自分はいない」 と言えるほど、私の価値観は大きく変わり自分自身成長したと感じることができる経験と なった。留学の目的はバレエテクニックの向上であったが、ここでは、それ以外に私が留 学で感じたことを述べていきたい。 まず、語学についてである。前掲した新聞記事にもあるように、留学に後ろ向きな理由 として、外国語という壁がある。私も留学する際の不安の一つはフランス語であった。し かし、三ヶ月もするとクラスで使われるフランス語は理解できるようになり、半年もする と日常生活ではそれほど不自由しなくなったように思う。つまり語学は行けばどうにかな るのである。コミュニケーションには、正しい文法で話すことよりも、話そうとする意欲 と人柄である。「助けて」と言えることができれば、助けてくれる人がほとんどである。 わからないことは調べ、話すきっかけさえ自分でつくることができれば、語学は伸びるの -2- ではないかと思う。また、私が住んでいた寮には十数カ国から来る留学生がおり、共に生 活をしていた。彼らとは英語で会話することも多かった。しかし、私は英語が苦手で高校 の英語の授業はほとんど理解していなかった。私が使える文法と英単語は中学校の内容ま でであったが、音楽や映画の話で盛り上がったり、誕生日パーティを開いたりと非常に充 実した寮生活であった。私の語学に対する意識は、正しく話せて、正しく理解できること よりも、文法や単語がおかしくても伝い合えることへと変わっていった。留学で伝い合え る楽しさ嬉しさを感じたことで、フランス語も英語も勉強し、大学入学後もフランス語の 授業を履修したり英語のサークルに所属したりと語学の勉強に励んだ。私は「語学が苦手 だから」留学しないのではなく、「語学が苦手でも」「語学が苦手だからこそ」留学する すべきだと考える。 次に、異文化についてである。私が、留学して最も驚いたことが、ストライキの多さで ある。バス会社、タクシー会社、鉄道会社、医療機関までもがストライキをするのである。 ストライキが起これば、バスの本数や電車の本数は減り、医療機関も緊急患者以外は診察 しないといった状態になる。私も一週間続く腹痛で病院に行ったところ、ストライキ中で あるため、診察できないと言われてしまった。また、私が住んでいた街には、日本のよう にコンビニがなく、スーパーマーケットも土曜日の午後から休みである。一見不便なよう に感じるが、時間がゆったりと流れ、日本のようにせかせかと働き疲れ切っているような 人は見かけないのがよさでもある。先進国フランスなのだから、日本とそれほど変わらな いように感じるかもしれないが、住んでみると全く異なるのである。ビザの手続きが上手 くいかない、部屋にネズミや蟻の大群が出没する、お金を払って洗濯をしたのに汚れて戻 ってくるなど、住んでいる中で予期せぬ出来事が起こったり、困難に直面することもしば しばあるが、そのお陰で、そんなこともある、なんとかなるさとポジティブかつ柔軟に物 事を捉えることができるようになったと感じる。異文化に触れることで、異文化の良さを 知るだけではなく、広い視野で物事を考えることができるようになり、自分の幅が広がる のである。 最後に日本独自の良さについて述べていきたい。日本にいると気付かないのが日本の良 さである。私も留学するまでは、外国に強い憧れを感じるのみで、日本の良さなど感じて いなかった。留学したことによって、日本という国を客観的に見ることができるようにな り、良さや素晴らしさを感じるようになった。例えば、どこへ行ってもトイレに困らない こと、24 時間営業しているお店があること、清潔であること、どこへ行ってもサービス が充実していること、服でも物でもに種類やデザインが豊富であること、治安が良いこと、 和食の良さ等、日本にいると当たり前で気付かないことに多く気付かされた。また、良く も悪くも日本人には謙虚さ、思いやり、協調性という特徴がある。フランス人には自己主 張、自国への誇り、遠慮のなさという特徴がある。どちらが良い悪いではなく、それぞれ の特徴を生かしていくことが大切であると考える。しかし日本しか知らなければ、その良 さや特徴に気付くことはできないし、いつの間にか、謙虚にしているのがよいなどという 固定観念に縛られていることもある。日本にいては得ることができない気付きや価値観を 得ることができるのが留学という経験の魅力である。 ここで、人見知りで人前で話すことが苦手な私がなぜ海外に憧れを持っていたのか、な ぜ言葉がわからないフランスという国でも留学しようと思ったのか述べておきたい。まず -3- は、海外について話してくれる大人が周囲にいたことが大きいと思う。私の保育園時代の 先生はモンゴルの話をよく聞かせてくれた。また、小学校高学年の時の担任の先生は、自 分が北極やアマゾンに行った話をスライドとともに聞かせてくれた。それらの話は初めて 聞くことや不思議なことが多く、自分もいつか自分の目で外国にある美しいものや不思議 なものを見てみたいと思うようになった。また、私には留学をしている友人や先輩が数人 いた。自分もいつか留学するものだと思い込んでいたし、彼らができるのだから自分もで きるのだろうと軽く考えていた。私には外国や留学に関する情報があり、抵抗が少なかっ たことが言葉も知らない土地にでも行こうと思えた要因だと考えられる。留学を促すため には、留学費用の助成など制度的なことはもちろんのこと、外国の魅力や留学の魅力を伝 えていくような教育環境が重要であると考える。また、「留学=語学を勉強する」という 考え方がまだ強いように感じる。言葉はコミュニケーションのツールでしかなく、留学で は言葉を通して何を学ぶのかが重要なのではないだろうか。語学を勉強する留学だけでは なく、ボランティアでの地域開発、医療、科学、建築、美術等、自分の興味のある分野で の留学が広がることを期待する。言葉の先に学びたいことがあれば、言葉の壁は超えられ ると思う。 まとめ 「経験」は、人間の価値観を大きく変えるものではないだろうか。例えば、外国で生活 をした経験は、今、日本で暮らす外国人の立場になって考えることができることにつなが るだろう。物の価値観や見方は変わっていってよいものだと思う。それが生活の変化につ ながる思う。以前とは違った価値観を持つことによって、より多くの人たちと共感するこ とができるようになるのではないだろうか。 日本には日本の価値観というものがある。それは大事にしなければならないが、わたし たちは、それが日本独特の価値観であることに気付かない場合がある。それによって、外 国の文化や外国の人々に偏見や誤解を持つことがあるかもしれない。 日本の文化を正しく理解することは、外国を知ることが近道なのかもしれない。留学を して、外国に長期滞在すればその国の普段の生活模様が見えてくる。そして、はじめて日 本と海外との違いを体で感じることができると思う。 経験は素晴らしいと思う。それは、かけがえのないものであり、人生を手助けしてくれ るものである。自分の普段いる場所を外から見ることはきっと役に立つ。そうした意味で 私は「留学のすすめ」を主張したい。 (注 1)平成 21 年 1 月 文部科学省「国際教育交流政策懇談会」配付資料 (注 2)平成 25 年 5 月 28 日「教育再生実行会議」第三次提言 (注 3)平成 25 年 8 月 18 日 「日本経済新聞」記事より抜粋 -4-
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