N.o19

平成26年6月13日(金)No.19
小鹿野町立三田川中学校
☎75-2220
http://www.ogano.ed.jp/sanchu/
メ-ルアドレス [email protected]
皆さんで三田川中学校の学校教育目標を言ってみましょう。
そうです。「礎を固め、未来に伸びる生徒」です。
今日の講話朝会も礎を固め、未来に向かって伸びていった人の話をします。
さて、この人はいったい誰でしょうか?
川島永嗣さんが中学生の時に固めた礎は、もちろんサッカーです。
それでは、川島永嗣さんについて紹介します。川島永嗣さんは、1983年
生まれの31才です。
小学校は、与野八幡小学校で、サッカーは地元のスポーツ少年団に入ってい
たそうです。中学校は与野西中で、この時から本格的にキーパーポジションを
目指します。
高校は、埼玉県立浦和東高等学校の出身です。高校卒業後、浦和レッズの入団テストを受けます
が、失敗します。この時、大宮アルデージャに佐々木則夫というコーチと出会います。この出会い
から、Jリーグでも活躍する選手となっていきます。ちなみに佐々木則夫という方はその後、日本
女子サッカー代表監督となっていきます。
川島選手は、その後、名古屋グランパスエイト、川崎フロンターレ、と移籍をした後、ベルギー
という国に行き、リースセSKに所属します。現在は、同じベルギーのスタンダールリエージュで、
活躍しています。
小学生の頃の川島さんは、あんまりサッカーに夢中になっていたわけではありませんでした。与
野八幡スポーツ少年団で本格的にサッカーを始めたのは5年生になってからでした。人数の少ない
スポ少だったので、あらゆるポジションをこなしたようです。でも走ることがあまり好きではなか
ったようです。
中学生になると地元の中学校の与野西中のサッカー部に入部します。この中学校のサッカー部が
たまたま強いチームだったことから川島さんの礎はサッカーへと固まっていきます。特に、柏悦郎
先生からは、
「漠然と練習をするのではなく、考えて練習をしなさい」と繰り返し指導を受けます。
中学校卒業する時には、埼玉県でも有名にゴールキーパーとなっていくのです。
高校は、埼玉県立浦和東高等学校へ進学していきます。埼玉県でも大変有名なサッカーの強い高
校で、3年間で、冬の国立競技場を目指す選手権、国体、高校総体と高校サッカー3大会にすべて
出場することができます。毎日がサッカーづけですから勉強は限られた時間しかありません。当時、
川島選手を担任していた数学の佐藤先生と私は友だちなのですが、佐藤先生の話では、とにかく授
業中の集中力はすごかったと話してくれました。「教師の話を聞き洩らさぬように真剣に聞き、ポ
イントを素早く書き写す」そんな真剣に学ぶ態度は、サッカーから培われたのかもしれませんね。
今では、英語、ドイツ語、ベルギー語、イタリア語はペラペラだそうです。すごいですね。
礎を固めた中学校時代を振り返り、川島さんは、「準備する力」という本の中でこのように書い
ています。
中学生のころは、ただただ「負けたくない」、「上手にならなくては恥ずかしい」という
反骨心が行動力となっていた。だから友達より多く練習もした。小学生の時はダメだったが、目
の前のことを精いっぱいに無我夢中でこなした結果、自分の努力が目に見えて現れた。と振り返っ
ています。
さあ、いよいよ明日から、2014FIFAワールドカップブラジル大会が始まります。
日本は、日曜日にアフリカにあるコートジボアールという国と戦います。強敵ドログバ選手のシ
ュートを川島選手がセーブする瞬間が楽しみです。
みんなで、応援しましょう。
「やるべきことは必ず実行する。可能性があるのに実
行しない自分は嫌い。」
川島選手の言葉です。
今日は、中学生の時、サッカーと出会い、サッカーを礎とし
て固め、反骨心を行動力とした川島永嗣さんの話をしました。
6/12講話朝会より