国立大学の入学式・卒業式等での国旗掲揚・国歌斉唱に関する文部科 学大臣の発言の撤回を求める憲法研究者声明 私たち憲法研究者の有志は、馳浩文部科学大臣が、卒業式などで国歌斉唱をしない方 針を示した岐阜大学の学長の判断を「恥ずかしい」と批判したことに抗議し、当該発言の撤 回を求めます。 馳浩文部科学大臣は、2016 年 2 月 21 日の金沢市での記者会見で、卒業式などで国歌斉唱を しない方針を示した岐阜大学学長に対し、「国立大として運営費交付金が投入されている中であ えてそういう表現をすることは、私の感覚からするとちょっと恥ずかしい」と述べたと報道され、続い て 23 日にも文部科学省での定例記者会見で「日本人として、特に国立大学としてちょっと恥ずか しい」との批判を繰り返しました。私たちは、日本の大学に所属する憲法研究者として、文部科学 大臣によるこのような発言は、以下のような理由で学問の自由と大学の自治を保障した憲法 23 条 の趣旨に反すると指摘せざるをえません。 この問題は、昨年 2015 年 6 月 16 日、下村博文前文部科学大臣が、全国 86 の国立大学の学 長に対し、卒業式や入学式での国旗掲揚と国歌斉唱を求めたことに始まりました。下村氏は、あく までも「お願い」であり、受け入れるかどうかは各国立大学の判断だと述べました。しかし、国立大 学の財政が、文部科学省の裁量に基づく資金配分に大きく委ねられている以上、「お願い」とは 言っても、その事実上の影響力は極めて大きなものです。将来的な資金配分での不利益の可能 性を恐れて、各国立大学の学長が、大臣の意向を過度に忖度し、「お願い」を受け入れざるをえ ないと判断してしまうかもしれない状況が作り出されました。したがって、下村氏の「お願い」自体、 大学の自治の観点からは大きな問題点を含むものでした。 馳大臣は、下村氏の「お願い」を受け入れず、国歌の斉唱を行わないと決めた岐阜大学を名指 しで批判しました。馳大臣の批判は、下村氏の要請が決して「お願い」にとどまるものではなかっ たことを証明するものです。もし、本当に「お願い」であったならば、馳大臣は、岐阜大学の学長の 判断に関して、「残念だ」とは言えたとしても、「恥ずかしい」などと批判を投げかけることはできな いはずです。各国立大学がその「お願い」を受け入れない判断をすることがますます難しい状況 になっています。かように、安倍内閣による国旗掲揚・国歌斉唱の要請は、事実上の強制力を有 するものであると評価せざるをえません。こうした事実上の強制力を伴うものであることが明らかに なった以上は、この要請は、国立大学の自律的な判断を否定しようとするものであり、憲法 23 条 の大学の自治の趣旨に反するものと言わざるをえません。 憲法 23 条が保障する学問の自由が大学の自治を要請するのは、真理を追究する学問研究が、 1 政治権力から独立して自律的に行われることが、結果として、より善き社会を作っていくことに貢 献するからです。逆に言えば、戦前の滝川事件、天皇機関説事件を引くまでもなく、政治権力が 大学の自治的決定や研究者の学問内容に干渉しようとするとき、その社会は誤った道を進んでい る危険があるのです。だからこそ、この問題には敏感に反応しなければならないと私たちは考えま す。 憲法学の通説的見解は、戦前の経験を踏まえ、政治権力は学問内容や大学の自治的決定に 絶対に介入してはならないと考えています。その理由は、一旦、政治権力の介入を受け入れてし まえば、それを限定するのは非常に難しくなるからです。 なお、馳大臣は、「恥ずかしい」という理由に関して、国立大学には国費が投入されているから ということを挙げていますが、この理由は成り立たないものです。なぜなら、そもそも国費を投入さ れていることを理由に、大学は、研究および教育の内容・方法に関する国のお願いを受け入れな ければならないのであれば、それは大学の自治がまったく保障されないのと同じだからです。学 問研究・高等教育機関であることを理由に国費が投入されている以上は、それに関する国民への 責任の果たし方は、大学自身が決めることができなくてはいけません。仮に文部科学大臣の「お 願い」を過度に忖度して、大学が、学問的・教育的な専門的判断を歪めるようなことをするならば、 それこそが学問研究・高等教育機関としての国民に対する責任の放棄です。国旗・国歌だけは例 外だ、という見解があるかもしれませんが、卒業式等での教育内容・方法の問題である以上は、そ こでの国旗・国歌の取り扱い方も大学の自治の例外ではありません。 大学がこの要求を受け入れるならば、その他の要求にも従わざるをえません。萎縮した研究者 は、権力に都合の悪い研究はしなくなるかもしれません。それが、日本社会にとって本当によいこ とでしょうか。 以上のように、国立大学の入学式・卒業式で国旗を掲揚し、国歌を斉唱するかどうかを決定する 権限は、各国立大学にあります。大学が決定したことを、文部科学大臣は受け入れなければなり ません。馳大臣による批判は、憲法 23 条の趣旨に違反することは明らかです。私たちは、馳大臣 に対し、発言の撤回を求めます。 2016年3月7日 国立大学の入学式・卒業式等での国旗掲揚・国歌斉唱に関する文部科学大臣の発言の撤回を 求める憲法研究者有志(50 音順) 愛敬浩二(名古屋大学)、青井未帆(学習院大学)、麻生多聞(鳴門教育大学)、足立英郎(大阪 電気通信大学)、飯島滋明(名古屋学院大学)、飯野賢一(愛知学院大学)、石川裕一郎(聖学院 2 大学)、石埼 学(龍谷大学)、稲 正樹(国際基督教大学)、井端正幸(沖縄国際大学)、今関源 成(早稲田大学)、植野妙実子(中央大学)、植松健一(立命館大学)、植村勝慶(國學院大學)、 内野正幸(中央大学)、浦田一郎(明治大学)、浦田賢治(早稲田大学名誉教授)、榎澤幸広(名 古屋学院大学)、江原勝行(岩手大学)、大河内美紀(名古屋大学)、大野友也(鹿児島大学)、 岡田健一郎(高知大学)、奥野恒久(龍谷大学)、小栗 実(鹿児島大学)、小沢隆一(東京慈恵 会医科大学)、片山 等(国士館大学)、金澤 孝(早稲田大学)、上脇博之(神戸学院大学)、河 合正雄(弘前大学)、河上暁弘(広島市立大学)、川畑博昭(愛知県立大学)、北川善英( 横 浜 国 立大学名誉教授)、木下智史(関西大学)、君島東彦(立命館大学)、清田雄治(愛知教育大学)、 倉田原志(立命館大学)、倉持孝司(南山大学)、小竹 聡(拓殖大学)、小林 武(沖縄大学)、小 松 浩(立命館大学)、近藤 真(岐阜大学)、斉藤小百合(恵泉女学園大学)、阪口正二郎 (一 橋大学)、笹沼弘志(静岡大学)、 志田陽子(武蔵野美術大学)、清水雅彦(日本体育大学)、清 末愛砂(室蘭工業大学)、菅原 真(南山大学)、高橋利安(広島修道大学)、高橋 洋(愛知学院 大学)、竹内俊子(広島修道大学)、竹森正孝(元岐阜大学理事・副学長)、多田一路(立命館大 学)、只野雅人(一橋大学)、塚田哲之(神戸学院大学)、長岡 徹(関西学院大学)、中川 律(埼 玉大学)、中里見博(徳島大学)、中島茂樹(立命館大学)、中島 徹(早稲田大学)、長峯信彦 (愛知大学)、永山茂樹(東海大学)、成澤孝人(信州大学)、成嶋 隆(獨協大学)、西原博史(早 稲田大学)、丹羽 徹(龍谷大学)、根森 健(新潟大学・埼玉大学名誉教授)、濵口晶子(龍谷大 学)、福嶋敏明(神戸学院大学)、藤井正希(群馬大学)、船木正文(大東文化大学)、前原清隆 (日本福祉大学)、松原幸恵(山口大学)、水島朝穂(早稲田大学)、三宅裕一郎(三重短期大学)、 三輪 隆(埼玉大学名誉教授)、村田尚紀(関西大学)、本 秀紀(名古屋大学)、元山 健(龍谷 大学名誉教授)、森 英樹(名古屋大学名誉教授)、柳井健一(関西学院大学)、山内敏弘(一橋 大学名誉教授)、横田 力(都留文科大学)、若尾典子(佛教大学)、脇田吉隆(神戸学院大学)、 和田 進(神戸大学名誉教授)、渡辺 治(一橋大学名誉教授)、渡邊 弘(活水女子大学)、渡辺 洋(神戸学院大学) 以上89名(声明の文科省提出後の賛同者 1 名を含む) 連絡先 成澤孝人(信州大学) 3
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