10 世紀における書記の私文書作成―マコネ地方を中心に― 発表者氏名:法花津晃 所属名:九州大学人文科学府博士後期課程 3 年 メールアドレス:[email protected] 概要: 10 世紀を通じて、文書作成者は公の書記から受益者である修道士に変化したと言われるが、 その実態はなお十分に検討されていない。本報告では、10 世紀のマコネ地方において活動した在俗 聖職者と修道士の書記を対象に、上記の変化を跡づけること目的とする。その際、各書記の文書作成 の活動領域(文書作成地、関連物件の地点)、文書化した法行為の内容、法行為に関与した人物に着 目する。 キーワード:書記、私文書、法行為の文書化、修道院と在地社会 1 はじめに 的作成文書の多い書記を対象にする(1~5 通が 103 近年、私文書を用いた中世初期の在地社会の実態 名、6~10 通が 8 名、11 通以上を作成しているのが 。以下、在俗聖職者の書記と修道院の書記に分 に迫る研究が活発に行われている。それに並行して、 8 名) 私文書それ自体に向けられた関心も高まり、文書作 け、文書作成活動の領域、彼らが文書化した法行為 成をめぐる状況、保存と伝来、そして文書作成を担 った書記に関する研究が散見される。 の 2 つの観点から分析を試みたい。 まずは活動領域について。在俗聖職者として多量 その中で、在地の法行為の文書化を担った書記に の文書を作成していたのは、Berardus(26 通)と ついては、10~11 世紀の公権力の解体に伴い、公の Deodatus(54 通)である。Berardus に特徴的なのは、 書記から受益者たる修道士の書記に変化したと言わ 文書作成地は 1 通を除けば全てが Mâcon であるが、 れている。だが、その移行の実態は十分に検討され 関連物件は Mâcon のパグス全域(ただし Cluny 近辺は ているとは言えない。本報告では、10 世紀のマコネ きわめて少ない)に及んでいる点である。対して、 地方で活動した在俗聖職者の書記とクリュニー修道 Deodatus は、文書作成地、関連物件所在地ともに 士の書記を対象に、各書記の文書作成地点、関連物 Cluny 北西部に集中している。 件の地点、利用した書式、法行為に関与した人物に 修道士の書記で対象とするのは、Teogerius(42 通) 、 着目することで、この変化を跡づけることを目的と Johannes(36 通) 、Jacob(11 通) 、Rodulfus(18 通) 、 する。 Benedictus(14 通)である。彼らの活動領域を大ま かに分類するとすれば、①Cluny 近郊で文書作成地 2 10 世紀の 世紀の書記の 書記の活動 と 関 連 物 件 が 集 中 し て い る 書 記 (Johannes 、 分析を始める前に、前提として 2 点を挙げておく。 Benedictus)と、②Cluny で文書を作成しているが、関 まず、ここで対象とする文書は在地の法行為を文書 連物件は広範囲な書記(Teogerius、Jacob、Rodulfus) 化した私文書であり、ゆえに王、教皇、大司教、伯、 司教が発給者である文書は除外される。次に、現時 となる。 次に、彼らが文書作成した法行為を活動領域に関 点では分析が 956 年までしか終了していないことを、 連づけて検討する(表 1 を参照)。まずは在俗聖職者 特に記しておきたい(最終的には 10 世紀全体を検討 について。ここで検討した書記の中で、werpitio と呼 した結果を報告予定)。 ばれる権利譲渡文書を作成しているのは Berardus だ 以上を受け、現段階での対象となるのは、910 年 けである。修道士は、この権利譲渡文書に関しては、 の修道院創建から 956 年の間に書記が記載されてい たとえそれが Cluny 近郊の物件であったとしても、 る私文書 495 通と、そこに記されている約 130 名の 彼の下に赴いているのである。また、Deodatus は、 書記である。書記全員を取り扱うのは困難なため、 修道院とは直接関係の無い法行為を在地において多 書記の文書作成に関する活動領域、法行為の種類な 量に文書化している点が挙げられる。 ど、傾向を把握しやすくするために、ここでは比較 興味深いのは、修道士の書記による法行為の文書 化である。①のグループの Johannes は、Cluny 近郊 特 定 地 点 に お け る 文 書 作 成 は Deodatus か ら で特に修道院と在地社会との物件の交換の文書に従 Rothardus の順に移行している点である。例えば 10 事していることが分かる。おそらく、修道院所領の 世紀前半の Donzy では、Deodatus は修道院への贈与 再編の取引に関わっていた書記であると思われる。 文書を 5 通作成している。これは、在地の人間が文 他方、②のグループの Jacob と Rodulfus は、Cluny 書作成者として選択したのは、修道士ではなく、 から若干遠方に位置する物件を主な対象とし、修道 Deodatus であったことを示唆している。しかし、10 院への贈与を文書化している書記である。おそらく、 世紀後半になると、司祭 Leotadus は Donzy 関連物件 彼らは新規の物件の獲得に関わっていた書記である を修道院へ 3 回贈与をする際に、Rothardus に文書を と思われる。このように、活動領域の点でも、そし 作成してもらっている(そのうち 1 通は Donzy で作 て法行為の文書化の点でも、修道院の書記の間には 成) 。このように、この文書作成者の変化に関する原 何かしらの役割分担があったことが示唆される。 因の 1 つは、人間関係の変化を挙げることができる 10 世紀中葉までの検討であるため、この時期は在 だろう。 俗聖職者の書記から修道士の書記への文書作成者の 移行は確認できない。修道士は Cluny 周辺で文書作 成に従事し、Mâcon 近郊での文書作成には関与して 4 まとめ 現段階では、10 世紀中葉までの分析であるため、 いない。他方、在俗聖職者 Berardus は、パグス全域 文書作成者の変化については十分な検討ができてい に及ぶ広範囲を対象としつつも、Cluny 付近および ない。しかし、10 世紀中葉までは、在俗聖職者と修 その西部の物件に関する文書はほとんど作成してい 道士の書記の間には活動領域の重なりは少なく、こ ないことが分かる。まだこの時点では、在俗聖職者 の変化は確認されないように思える。Deodatus と Berardus と修道士の書記の間では、領域的にも法行 Rothardus の事例のごとく、この移行が本格的に見ら 為の面でも住み分けがなされているといえる(特に 権利譲渡文書の作成) 。 れる、10 世紀後半であろう。10 世紀全体を検討した 上で、改めて文書作成者の移行の問題を明らかにし たい。 3 移行に 移行に関する一事例 する一事例 だが、10 世紀中葉を過ぎると、文書作成者の移行 参考文献 が確認されるようになる。ここでは先述の在俗聖職 [1] ZIMMERMANN, M., Écrire et lire en Catalogne 者 Deodatus の事例を取り上げたい。彼は、930-970 (IXe-XIIe siècles), 2 vol., Madrid, 2003. 年の間に、Cluny 北西部を中心におよそ 60 通の私文 [2] TOCK, B.-M., Scribes, souscripteurs et témoins dans 書の作成をしている。中でも、Donzy-le-National は les actes privés en France (VIIe-début XIIe siècle), 彼にとって重要な地点の 1 つであり、939 年から 953 年頃に活動している(文書作成地としては 3 通、関 Turnhout, 2005. 連物件は 6 通)は。 [3] ブノワ=ミシェル・トック(岡崎敦訳)「西欧中 他方で、修道士 Rothardus は、937-989 年の間に 世の私文書(10-13 世紀) 」 『史淵』144、2007 年、77-107 Cluny を拠点としておよそ 80 通弱の文書を作成し、 頁。 対象とする物件はパグス全域に及んでいる。しかし 10 世紀後半になると、この Donzy に関係する物件の 文書作成に従事するようになる(文書作成地 1 通、 関連物件 3 通) 。このように、かつて Deodatus が文 書活動をした地点で、修道士 Rothardus が 10 世紀中 葉以降に関与してくる事例は、他にも Les Liats (Deodatus は 930-960 年に 4 通、Rothardus は 964-989 年に 3 通)、Chevagny-sur-Guye(Deodatus は 947-953 年に 2 通、Rothardus は 964-989 年に 3 通) 、Mazilly (Deodatus は 946 年に 2 通、Rothardus は 957-989 年 に 6 通)などを挙げることができる。 興味深いのは、両者の文書活動時期は重なるが、 図表など 図表など [表 1]書記による法行為の文書化(910~956 年時点)
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