電気管理技術者が経験した東日本大震災 それは名古屋での勉強会のさなかに突然やってきました、異常に長い振幅の大きな揺れにも しやとの思いで妻に電話すると、奇跡的に繋がった電話の向こうでいつもは聞かない緊張した 震える声で「とてつもない地震で今からすぐ避難する」とのこと「私もすぐ帰るから、手元の 現金だけ持ってすぐに避難しろ」と言ったのが交代で電話をかけ続けながらの30数時間の焦 燥の北帰行の始まりでした。 会議場の事務局に飛び込んで、急いでネットで地震情報を調べると、釜石で津波第一波4. 5mの予報を確認、東北から参加していた仲間に仔細を伝え、急ぎ会場を後にしました。公共 交通機関は多分だめだろうとの予想で、まず一人はレンタカーを手配 残りの人間で食料等の 調達をし、レンタカーの到着時には車以外の交通機関のマヒ状態と通行可能のルート情報をお およそ収集し、4 人で交代しながらの不眠の帰郷が始まりました。 不通・渋滞に巻き込まれ、時にはナビ任せで見知らぬ道で渋滞を避けながら、焦燥で叫びた いような思いの 30 数時間まだ先を急ぐ大船渡の仲間に気仙沼に下ろしてもらった時は翌日の 夜半を過ぎていました。 妻とは、予てから万が一の場合にはと決めてい た避難場所で無事 1 時間後に再会したものの翌 朝からは介護施設に入所していた母の消息を尋 ねて瓦礫の町を歩き回り、情報の収集に避難所を 探し巡り、災害対策本部の避難者名簿を閲覧し、 張り紙の名を確認しを繰り返し翌々日の夕方に なって、何度目かの避難者名簿の追加で避難場所 が判明したのですが明かりの全くない瓦礫の町 の夜の移動は諦め、家に帰り着いたときには見た ことのない数の星が煌く、音のない真っ暗な夜に なっていました。 翌朝一番で家を出て瓦礫を越え、線路を歩き 4km ほどの距離を4時間かけて避難所にたど り着き、昼近くにやっと互いの無事を確認しあ いました。 次の日からは、瓦礫と化した街をくまなく歩 くことから始めました。どこが道なのかここは 何処なのか、自分の知っている故郷とはあまり にもかけ離れた現実に、身も心も震え、自分は 何が出来るのか、何をすべきなのか、瓦礫を登 り川と化した道路を渡りながら、三日間問いつ づけていました。 壊滅・流失し施設の形すらなくなった受託施 設が 16 件、全・半壊あるいは浸水被害を受け た受託先が 11 件、そのほとんどの施設内には 入ることすらかなわず背中に担いでいった機 器を取り出すこともないままでした。 それならば自分に出来ることからと思いを 定め、まずは他の受託先施設の安全確認を出来 るだけ終わらせ、あとは電気技術者としての知 識・経験・知恵を総動員して、相手が受託先であ ろうが無かろうが低圧であろうが何でもかでも、復旧・復興の助けに少しでも役に立てばと無 我夢中の2週間でした。 ようやく、電源復旧が始まってはみたものの 鉄塔の倒壊、送電線の断線、変電所も被災し使 用不能 3/4 のフィーダーが壊滅状態で、当然 テレコンは使用不能ですからすべて手探りでの 復旧作業です、電話は相変わらずの不通状況な ので毎日、徒歩で電力の配電指令に出向いて情 報収集の繰り返し、こちらの知りえた情報も提 供し協力ながらの毎日でした。 し か し 被災 事 業 所も よ う や く本 格 的 に 点 検・改修に取り掛かれるようになり、まずは浸 水被害だけで済んだ受電設備の洗浄ですが、電 気も水道もないので、タンクからの給水で使用 できるエンジン式の高圧洗浄機を持っている 技術者仲間から機械も手も借りての作業でし た。 次に、乾燥後は水没した可能性のあるトラン スについて、原則としては交換を薦めましたが 時間や資金の問題もあり、再使用を希望する事 業所については、外観・内部視認で問題ないと 判断したものは、耐電圧試験を実施し使用しましたが、再使用した7台のうち1φ30kVA 1台 が通電3日後にパンクしてしまいました。点検時にはテコをかけなければ開かないほど蓋は密 着しており電線のブッシング部分から?位しか思い浮かばないのですが、いずれかから内部に 浸水した海水が、絶縁油の温度上昇による対流により攪拌され絶縁破壊に至ったものと考え、 今後はすべて絶縁油の交換が再使用の条件と考えています。 現時点で廃止した事業所14件、設備改修で復旧した事業所 9 件、施設を再新設したあるい は再新設中の事業所2件、最初に見た被害状況からは思いもよらぬ復旧・復興です。東北人の 何ものにも負けぬ、粘り強さと芯の強さを見た気がします。 次は、名古屋での会議の最中に飛び出して帰ってきたので、多くの方々から励ましを頂きその 返事代わりにお送りしたレポートに書き添えたものです、参考になればと思いまとめてみまし た。 震災で気がついたこと色々【①】です。 緊急時は、携帯が混雑してかかり難くなる停電とともに中継局が機能不全になり、まったく 使えなくなりました。地下街・ビル街は停電即アウトと思ったほうが良いでしょう。電話が使 えるようになったのは、数日後に移動中継車が来てからでした。混雑してかかり難くなったの は、それ以降です。また、かける側が機能していても受ける側の中継局がダメなので繋がりま せん。 名古屋からの車中でかけ続けていました。自分の携帯はアンテナが3本も立っているの に・・・繋がる訳は無かったのです。 ※緊急時は公衆電話がかかり易い 公衆電話・固定電話ともに通信回線がずたずたになってだめでした。仮に線路が大丈夫でも、 電気がないので交換機や中継器がどの程度機能するのか疑問です。また、上記と同じ理由で受 け手が被災地の場合繋がりません。考えてみれば当たり前のことなのですが、日頃の便利さに 慣れきっていて思いもよりませんでした。今回のような大災害時は、通常の連絡手段は、まっ たく機能しないと思ったほうがいいと思います。 伝言ダイヤル等も、電話(携帯も含む)が機能して初めて使えます。無事の一言が聞けない 為に、どれだけの人々が胸が張り裂けそうな思いで何日もの間過ごしたのでしょうか。スマー トフォンの機能アップよりも、停電でもダウンしない電話を目指して欲しいものです。方法は いくらでもあるでしょう、緊急対応がもっとも求められるのが電話だと思います。 気がついたこと色々【②】 ※ストーブについて 我が家は25年も前に、喘息の息子のために自分で基本設計と気密・断熱仕様を指示して造 った高気密・高断熱住宅です(でした・・)、ただしリスク分散のためにオール電化にはしま せんでした。そういう訳で排気ガスを生じる石油ストーブの類は1台もありませんでしたが、 万が一の大停電のためストーブを買っておこうと数年前から言い続け、やっと昨年買ったとこ ろでした。この石油ストーブが、今回の震災でもっとも役に立ちました。 まずは暖がとれるということ(当たり前ですが),これは体温調整能力の落ちた現代人の低体 温症という命取りの危険から守ってくれるということです。湯沸し・調理ができるということ、 私のところでは前述のリスク分散の考えで LP ガスを使っていたのですがガスの補充(ボンベ交 換)が予測できない状況では、ついでに使える熱源は重要です。今回の震災が暖かい季節であ っても、調理器具として使えたと思います。 ※燃料について 灯油については、ボイラー給湯なので 90L のタンクと常時 2 缶程度の予備を持っていたので、 当面、心配せずにすみました。ガソリンは、発電機用に 10L 程度の買い置きしかなく、津波に 生き残った妻の車も半分位と発電機が有っても、なかなか使えず苦労しました。 我々の仕事は常に非常出動がありますので、常時満タン にを今後は心していこうと思います。また、車両用に 20L,発電機用に 10L は最低備蓄が必要だ と痛感しました。 気がついたこと色々【③】 今後の大災害時に一番先にやらなくてはならない手続き 警察署にいって(今回は津波で警察署も被災したので、自治体等に一時移転先を確認しまし た)緊急車両の許可をもらうこと。私の場合、仕事の内容を話し各需要家の高圧受電設備や付 近の配電線路の被害状況や安全確認等を調査し、電気の早期復旧の為に電力会社を支援してい る旨を話しもらうことができました。後日、協会長名の警察に対する依頼文がメールで配信さ れていたことが判りましたが、ネットが開通したのは震災後3週間以上たってからでした。 1ヶ月以上の地域、いまだ開通していない地域もあります。今後を考えると、自家用電気設 備波及事故防止会議等の場で非常時には,早期復旧のため被害調査・施設の安全確保等を実施 し復旧作業を支援する旨の 確認文書を決議・作成し(従来、実施していることの確認・明文 化です)事前に、警察等と協議しておくことがベストではないかと思います。 誠に失礼ですが、協会長の依頼文書よりも電力会社の名前の入った支援確認文のほうが警察 では、通りが良いことは間違いありません。 非常時には、車検証・免許証・身分証明書(各協会等で発行しているもの)とその文書があ れば容易に許可証を発行してもらえるとおもいます。 ・ 許可証があると、一般車両の入れない地区でも入ることができる (全てではありませんが) ・ 高速道等の緊急車両のみ可の道路がつかえる。 (これは、非常にありがたいです) ・ 駐車場所が見つからないとき、通行の支障にならなければどこにでも駐車できる。 (緊急時には助かります) ・ ガソリン等の給油が優先的に受けられる。 (これが一番かもしれません) おまけに、警官・自衛官等に敬礼されバリケードをよけて通してもらえる。・・等々 これは余談ですが 今回の規模の災害になりますと、東北電気技術者協会で会員の安否確認でさえ3週間以上か かったと覚えていますので、事後ではどのようなすばらしい指示も、プランも役には立ちませ ん。災害発生直後からあらゆる通信手段は絶えてしまうことを前提に、技術者個々が自立的に 動きやすいよう事前に、準備することが一番の対策だと私は思います。 気がついたこと色々【④】 ※車両用ステッカーについて これは、私の先輩が栗駒大地震のときに作成したものを参考にしたものですが先輩は自衛隊 並にでっかい文字で車の横いっぱいに「災害復旧緊急支援」と磁石式のステッカーを貼ってい たのですが、今回は復旧のスパンがあまりにも違いすぎ相当長期に亘り、通常の点検と復旧作 業が混在することが考えられたので A4 たて半分に赤文字で「災害復旧支援」とし車の前後に 貼って日々動いています。 これも、役所等に行ったときに一般車両とは区別して駐車させてもらう等、利点があります し、直後の混乱時には一目で区別できるので緊急車両としてスムーズに扱ってもらえます。こ れも事前に作って車載しておくのがよいと思います。 ※発電機について(工事用レンタル発電機) 今回の震災では、比較的早く復旧した私の住む地区でも 10 日、40 日以上たった今日現在で もまだ停電している地域があります。特に、壊滅的な被害のあった地域では、いまだ見通しす らありません。 今回の地震・津波で軽被害で済んだ事業所でも電気がない為に多大な二次被害が出ました。 地元のの酒蔵では東京から発電機を運んで何とか発酵の温度管理をクリアしたと喜んでいま したが、冷蔵庫の商品が全てだめになったと頭を抱える方もいました。また、介護施設・知的 障害者施設等では長期間の停電は入所者の 精神状態にもよくない影響が出ていると職員 の方から伺いました。 これらを考えると、常日頃からレンタル業者ともコンタクトを取り、非常時の発電機の手配を も考慮しておく必要があるのではないかと思っています。 電気工事業者さんでレンタル業者さんと懇意のかたがいる可能性がありますのでその辺も 事前に、確認をされてもいいかもしれません。 ちなみに、水産関係の冷蔵庫(低温/-40 度、超低温/-50℃級)の場合数千万から数憶の商 品が入っています、今回私の聞いたところでは冷蔵庫1つでイクラ 12 億の被害というのもあ りました。 日本電気管理技術者 ISO ネットワーク (社) 東北電気管理技術者協会 所属 大森電気管理事務所 大 森 宏 TEL 0226-23-1442 FAX 0226-23-0253 携帯 080-6016-6442 e-mail [email protected]
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