グレコのコンサートで感じた大人になることの難しさ

 先ごろ、シャンソンのジュリエット・グレコが来日して、コンサートをおこなった。1927年生
まれのグレコだが、ほぼ2時間、休憩もはさまず、立ちっぱなしでうたいつづけた。シャンソン歌手
が聴衆から受ける拍手は、グレコのような超ビッグな歌い手であっても、オペラ歌手ほどには長くな
い。必然的に、グレコは、ほとんど矢継ぎ早にといった感じでうたいつづけた。
グレコの声に衰えはまったく感じられず、これぞシャンソンといいたくなるような、陰影にとんだ
見事な歌唱をきかせてくれた。グレコによってうたわれた歌はどれも、ききての胸を鋭く抉った。デ
ビュー当時からトレードマークになっている黒い衣装に身をつつんだグレコの、ステージ上での存在
感は圧倒的だった。
コンサートをきいているときはグレコの年齢を意識しなかった。家に戻って後、ところで、何歳だ
ったのであろうと思って調べてみて、1927年生まれだということを知った。1927年生まれ!
今きいてきたばかりのグレコの歌唱を思い起こすと、彼女の現在の年齢が信じがたかった。
コンサートでグレコはジャック・ブレルの「懐かしき恋人の歌」をうたった。この歌には、
「私たち
には才能が必要だった、大人にならずに老いるという才能が」とうたう、
「大人になれずに老いつつあ
る」男をぎくりとさせずにおかない一節がある。むろん、歌では、このことばが逆説的な意味で使わ
れている。
老いるのは簡単だが、大人になるのは、一般的に思われているほどには容易でない。その結果、自
分のことは棚にあげていわせていただくが、老人ばかりふえて、大人は減少の一途をたどっている。
そんな時代だからなおのこと、見事に大人になった人を見ると、うれしくなる。
うつむいて「傘がない」とうたっていた井上陽水も、気づいてみれば、1948年生まれ、青年と
いうには、やはり、ちと無理のある年齢になっていた。その井上陽水が、「飾りじゃないのよ涙は」、
「ダンスはうまく踊れない」、「ワカンナイ」といった自作の十一曲をジャズにしてうたったアルバム
「Blue Selection」をだした。
フォークを青春の日の歌といえるのであれば、ジャズは大人の夜の音楽であろう。井上陽水は、こ
の「Blue Selection」で、青春の日の歌を、本来は遠いところにあったはずの、大人の夜の音楽に完
璧に衣装直ししてみせて、ききてを唸らせる。オリジナルも、もちろんよかったが、衣装直して、そ
の魅力をさらに一層のものとしている歌も少なくない。
井上陽水にとって、老いはまだまだ先のことにしても、このアルバムでの、見事な大人ぶりには感
服のほかなかった。今、ぼくたちがするべきことは、周囲に跋扈しているちゃらちゃらしたガキ・ミ
ュージックを嘆くことではなく、この見事な大人の歌に清き一票を投じることかもしれない。
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