5月に再び日本に帰れることを、とても嬉しく思っています。ただ、それがこのように痛ましい状況の中であ ることがとても悲しいです。余程のことが私を襲うことがない限り、私は来日をキャンセルするつもりは毛頭 ありません。昨年、私は個人的な理由からツアーをキャンセルせざるをえませんでした。その時、日本にい る大勢の私の友人たちや公演主催者、日本のマネジャーが私を強く支え、理解を示してくれました。このよ うな人々を、今年は落胆させるわけにはいかないのです。 私が今回選んだプログラムは、今の日本の状況にあまりにもふさわしいプログラムです。でもこれを選ん だ時には、もちろんこのようなことになるとは知りませんでした。私が愛するシューマンの魅惑的な幻想曲に 続いて、サム・ヘイウッドと私が演奏するのは、チェロのために書かれたもっとも悲劇的な傑作のひとつであ る、ショパンの晩年のソナタです。後年、ショパンが苦悩の中で作曲し、ところどころ現代的な雰囲気をもつ この作品は、複雑で、心を揺さぶり、内面的な葛藤と強さに満ちています。私は、人生の中でも最も困難な 時にこの作品を何度か演奏してきたので、自分にとってとても大きな意味をもつ作品となっています。ショパ ンはまた、サムがもっとも愛する作曲家でもあります。 この“ショパン好き”は、私の祖父であるユリウス・イッサーリスも同じで、祖父は幼い頃、よく枕の下にショ パンの楽譜を置いて眠ったそうです。サムと私のプログラムの後半は、そんな私の祖父が書いたチェロとピ アノのための「バラード」で、幕を開けます。(ユリウスは主にピアノの独奏曲を書きました。そしてすべての 作品にピアノが入っています。それは、まさにショパンと同じです。そして嬉しいことに、サムはショパンの作 品同様、ユリウスの音楽の演奏も得意としています。) 「バラード」は、私のチェロのヒーローであるパブロ・カザルスに捧げられたもので、美しい旋律をもつ、ノス タルジックな作品です。私はかつて、偉大なピアニスト、アンドラーシュ・シフが主催する音楽祭で、この作品 を演奏したことがあります。その時彼は、「こんな音楽を作曲してくれるおじいさんが私も欲しい」とコメントし てくれたのです! 「バラード」に続いては、まさに今、日本が経験していることのすべてを表している歌、ラヴェルの「2つのヘ ブライの歌」を編曲して演奏します。最初の歌はユダヤ教の葬儀でよく歌われるカディッシュです。もうひと つは「永遠の謎」と題された短いイディッシュの歌です。この演奏を先日の震災で犠牲になられた方々に捧 げます。 最後に演奏する作品は、もっともっと前向きな響きのあるものがいいでしょう。プーランクの魅力的なソナ タです。第二次世界大戦中に書き始められたこの作品には、激しいところもありますが、全体に漂うのは喜 び、祝う気持ちです。これこそが今、必要なものだと思うのです。 紀尾井ホールでのリサイタルには“別れ”という面もあります。このコンサートは、長年にわたり日本音楽 財団のご厚意により私に貸与していただいていたフォイアマン・ストラディヴァリウスのチェロを弾く最後のコ ンサートになります。私はこの楽器が大好きですので、別れを告げるのは悲しいことです。しかし、今、別の ストラディヴァリウスを弾く機会を得ましたので、フォイアマンにしがみつくのはわがままでしょう。ストラディ ヴァリウスを2台も必要とする人などいませんから。これはある意味でひとつの終わりと言えます。しかし私 と日本音楽財団とのつながりは今後も続きます。そして、私はこの先何年にもわたって来日を重ね、日本 (そして、他のどの国にもみられないような日本の音楽愛好家の皆さま)の数多くの素晴らしさをかみしめて いきたいと思います。 スティーヴン・イッサーリス Steven Isserlis
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