1 環境政策と国際貿易 一橋大学大学院経済学研究科 石川城太

環境政策と国際貿易
一橋大学大学院経済学研究科
石川城太
はじめに
環境問題自体は古くから存在しているが、最近とくに地球規模での環境の悪化、
いわゆる地球環境問題が注目され1、環境問題に対する人々の関心が国際的に高
まってきている2。環境の悪化はもちろん人間の経済活動と密接に結びついている
わけだが、経済活動のグローバル化に伴い、とくに経済のグローバル化と環境との
関連がいろいろと取りざたされている。1986年から94年にかけて開かれた関税と
貿易に関する一般協定(GATT: General Agreements on Tariffs and Trade)のウルグア
イ・ラウンドでは、環境問題は直接の交渉対象ではなかったものの、このような流れ
を受け、世界貿易機関(WTO: World Trade Organization)設立の前文に、「環境の保
護・保全及び持続可能な開発」が明記された。また、この問題について検討を行う
ために、1994年のマラケシュ閣僚会議で、「貿易と環境に関する委員会(CTE:
Committee on Trade and Environment)」が設置されることになった。
現在、経済のグローバル化と環境との関連については、様々な視点からの議論
がある。たとえば、貿易の自由化が環境の悪化を加速させているので自由化を推
進すべきでないというような主張が、最近では一部の非政府組織(NGO: Non
Governmental Organization)を中心に見受けられる。つまり、「環境を悪化させるよう
な財に比較優位をもつ国は、自由化の促進によってさらにその財への特化が進む
ため、ますます環境が悪化する」といった主張である。とくに、このような環境の悪
化を主に被るのは途上国であることもあり、グローバリゼーションに強固に反対す
る NGO の活動が目に付くようになってきている3。他方で、このような主張とは逆
に、環境に対する所得効果の面から自由貿易を推進しようという考え方がある。す
なわち、「自由貿易の推進が所得の上昇をもたらし、ある程度まで所得が上昇する
と環境に対する評価・配慮が高まるので、自由貿易は環境によい影響を及ぼす」と
1
地球環境問題には、オゾン層の破壊、地球温暖化、酸性雨、熱帯雨林の減少、砂漠
化、海洋汚染、野生生物種の減少、有害廃棄物の越境移動などが含まれる。
2
たとえば、1992年には、リオ・デ・ジャネイロで地球環境サミットが開催された。ま
た、地球温暖化に対処するため、1995年から国連気候変動枠組み条約締約国会議
が毎年開かれている。
3
1999年にシアトルで開かれた第3回 WTO 閣僚会議では、翌年からの新ラウンドの
立ち上げについて決定するはずであったが、失敗に終わった。その理由の1つとし
て、NGO の反自由化・反グローバル化の際だった動きを挙げることができる。
1
いう考え方である4。
本章の目的は、環境と貿易との関係を論じることにある。しかし、上記のような貿
易(政策)が環境に及ぼす影響に関しては、かなり整理されてきているので5、本章
ではむしろ環境政策が国際貿易に及ぼす影響を経済学的な観点から整理・検討し
たい。以下では、まず、環境政策が国際貿易に及ぼす影響を概観し、次に、環境政策
の具体例として、多国間環境協定、環境ラベル、遺伝子組み換え体、及び環境税に
ついて詳しくみてみる。最後に、地球温暖化への対応として1997年に結ばれた京
都議定書で認められた温暖化ガスの国際的な排出権取引について若干の考察を
加える。
第1節
環境政策が貿易に与えうる影響
環境政策が貿易に与えうる影響を整理する際に重要なポイントとなるのが次の
2点であろう。
z
環境政策が自由貿易を阻害することはないのか。
z
環境政策が保護主義の隠れ蓑として利用されることはないのか。
これらの点について考察するために、厳しい環境規制が自国でとられるケース
を例にとってみてみよう。自国で厳しい環境規制が課された場合、その規制をクリ
アするために、自国企業のコストが上昇し、自国企業の国際競争力が低下する可能
性がまず考えられる。このような厳しい環境政策の例としては、たとえば、アメリカ
改正大気浄化法(1990年)や1990年代に入って次々に導入された北欧諸国の炭素
税などを挙げることができる。アメリカ改正大気浄化法はアメリカの産業界に多額
の負担をしいたと言われている。また、炭素税のように厳しい環境規制が生産段階
のものである場合には、輸出市場での競争力を失うだけではなく、環境規制の緩
やかな国が自国に対しても安い価格で財を輸出するという、いわゆる環境ダンピ
4
このような考え方は、いわゆる「環境クズネッツ曲線」に基づいている。環境クズ
ネッツ曲線については、たとえば、Grossman and Krueger (1991)を参照のこと。
5
平成12度版通商白書(第2章)は、貿易自由化の環境へのプラスの影響として①環
境に優しい製品・装置の貿易の増加やそれに伴う環境負荷が小さい製品への代替、
②環境負荷を低減する技術の国際移転、③所得の増加に伴う環境問題への意識の
向上と資金の確保、④環境資源を含めたより効率的な資源配分の促進や生産・消
費パターンの適正化、⑤環境関連の法規を見直す契機の付与、マイナスの影響とし
て①有害物質、有害廃棄物、希少動植物の移動による生態系の劣化、②関連技術の
囲い込みによる技術移転の阻害、③経済活動の増加による環境汚染の拡大、④環
境コストが価格に適切に反映されない場合の外部不経済の助長、⑤多国間環境協
定に基づく環境目的の貿易措置が十分に履行されなくなる恐れを挙げている。
2
ングの問題が生じる可能性がある。
他方で、自国の厳しい環境規制が、外国企業にとって貿易障壁になる可能性もあ
る。たとえば、デンマークの使用済み飲料容器の回収制度(1981年)は、環境保護の
ため、再利用可能な容器以外での販売を禁止し、なおかつ企業に飲料容器の回収
スキームの構築を課している6。したがって、実際にはビン以外での販売を不可能に
するものである。デンマークの国内メーカーは元々ビンで販売していたので、この
制度は国内メーカーに実質的な負担をもたらさなかった。しかし、外国のメーカー
は、デンマーク市場向けのものだけ容器をビンに切り替える必要が生じた。この制
度が外国企業にとって大きな負担となるは明らかであり、貿易障壁となりうる7。
さらに、自国の厳しい環境規制が、ある意味グローバル化を促進するという面も
ある。まず、生産段階での厳しい規制によって、直接投資が誘発される可能性があ
る。すなわち、自国で生産するとコストが高くなるために、環境規制の緩い国(とく
に途上国)に生産をシフトさせる誘因が生じる。また、廃棄段階での厳しい規制が、
結果として有害廃棄物の輸出をもたらすこともある。これらの環境規制は、当初環
境を保護する目的でとられる政策だが、環境における負担を外国(とくに途上国)
に押しつける結果となり、世界全体としてみれば環境にかえって悪い影響をもたら
しうる。直接投資によって投資先の環境が悪化した有名な例としては、三菱化成が
35%を出資したマレーシアでの合弁会社ARE(エイシアン・レア・アース)の事件があ
る。ARE社は、1982年からレア・アースの製造を開始したが、製造課程で生じる放射
性廃棄物を工場裏に野ざらしにしたために付近住民に深刻な健康被害をもたらし
た8 。
しかし、グローバル経済の中での厳しい環境規制が常に悪い影響をもたらすとは
限らない。厳しい環境規制に対応するためのイノベーションが活発になり、その結
果、環境保全に関連した財・サービスや技術の貿易が活発になって環境保全が進む
ような可能性もある。たとえば、アメリカで、1970年に当時世界で最も厳しい排ガス
6
類似の例として、ドイツの包装廃棄物に関する政令(1991年)が挙げられる。これ
は、ドイツで販売する製品のパッケージ(たとえば、段ボールや歯磨きチューブな
ど)については、メーカーが全部自費で回収してリサイクルしなければならないと
いうものである。
7
この問題で、デンマーク政府はローマ条約に反するという理由で EC 委員会によ
って欧州裁判所に提訴されたが、1998年に違反でない旨の判決が出ている。
8
結局、一旦は工場の操業停止が命じられたものの、最高裁でARE社は無罪となっ
た。しかし、そのときに三菱化成は工場の閉鎖を決めている。
3
規制だったマスキー規制が導入された。アメリカのビッグスリー(GM、フォード、クラ
イスラー)はこの規制をクリアするのは無理だと考えたが、ホンダがこの規制をクリ
アするエンジン(CVCCエンジン)を見事に開発し、その技術がアメリカのビッグスリ
ーにも提供されることになった。
以上、厳しい環境政策がグローバル経済の中で貿易どのような影響を及ぼすか
を概観してきた。グローバル化が進んだ現在においては、ある国の環境政策が国
境を越えた貿易や投資を通じて間接的な影響をもたらす、あるいは貿易に直接影
響をもたらすことがあることを述べてきたが、以下では、いくつかの環境政策をと
りあげてもう少し詳しく見ていきたい。
第2節
多国間環境協定と GATT/WTO との整合性
GATT/WTO の目的は、無差別待遇と互恵主義という基本原則のもと、各国の貿
易制限的な措置を取り払い、世界全体としての貿易の自由化を進めることにある。
WTO に貿易と環境に関する委員会が設置されたものの、現在の WTO には、環境と
の関係について直接規定した条項は存在しない。環境保全に関するものとしては、
WTO 協定の適用に関する一般的例外として、GATT20条において、(b)人・動物ま
たは植物の生命または健康保護のために必要な措置と(g)有限天然資源保全の関
する措置があるのみである。
現在、様々な環境問題とくに地球環境問題に対処するために複数の国が集まっ
て 様 々 な 政 策 措 置 を 施 す 協 定 、 い わ ゆ る 多 国 間 環 境 協 定 ( MEA: Multilateral
Environmental Agreements)が多数存在している9。そして、これらの多国間環境協定
には,一定の環境目的を達成するための貿易措置が数多く含まれている。しかし,こ
の中には、自国の管轄権が及ばない環境や地球規模の環境の保全を目的とした貿
易制限措置、あるいは多国間環境協定の非締約国の環境政策の変更を促すための
貿易措置を認めているものもある。
したがって、これらの貿易措置が GATT/WTO の基本原則に反する際にどの程度
例外が認められるかという点が問題視されている。過去に、多国間環境協定に基
づく措置と GATT/WTO 協定の整合性が直接争われた事例はない。しかし、環境保
全を名目とした一方的な貿易措置が導入された事例のパネルにおいては、GATT2
9
多国間環境協定の例としては、絶滅の恐れのある野生動植物の種の国際取引規
制に関するワシントン条約(1975年)、オゾン層を破壊する物質の貿易規制に関する
モントリオール議定書(1987年)、有害廃棄物の国境を越えた移動及びその処分の
規制に関するバーゼル条約(1992年)などがある。
4
0条の一般例外は自国の領域内の環境保護を目的とした措置だけであるという判
断や他国の政策の変更を強要するようなものは GATT20条の一般例外と認められ
ないとの判断が出ているものもある。たとえば、アメリカが1990年から翌年にかけ
てメキシコからのマグロの輸入を一方的に禁止した事例がある。これは、メキシコ
の漁法がイルカを混獲するため、イルカを保護するという理由で、アメリカの国内
法である「海洋哺乳動物保護法」に基づいてとられた一方的貿易措置である。メキ
シコが GATT に提訴しパネルが設置され、1991年にアメリカの措置は GATT 違反で
ある旨のパネル報告が提出された10。
したがって、今後、多国間環境協定と GATT/WTO との整合性をどのように図って
いくかが大きな課題といえる。整合性をどうとるかについては、GATT の規定を環
境目的を明示的に含む形に修正する方向11や多国間環境協定に基づく措置に何ら
かのガイドラインを作成するという方向が模索されている。しかし、何か問題が生じ
たときには個別に対処すべきであるという立場をとっている国もある。
第3節 環境ラベル12
環境を保護するための政策・制度の1つとして環境ラベル制度がある。環境ラベ
ルの目的は、環境に関する情報をラベルなどに表示することによって消費者に環
境負荷の少ない商品の選択を容易にしてそのような商品の消費を相対的に高める
こと、さらに、その結果として、企業に環境負荷の少ない商品の生産及び開発を促
進させることにある。1977年に西ドイツが最初の環境ラベル「ブルー・エンジェル」
を導入して以来、環境への関心の高まりを受けて、環境ラベル制度を導入する地
域・国が増えてきている13。日本でも「エコマーク」が1989年に導入された。
10
類似の例として、ウミガメを保護するという名目でアメリカが一方的にとったエ
ビの輸入規制を挙げることができる。1997年に、タイ、マレーシア、パキスタンの要
請で、パネルが設置され、アメリカの措置が GATT11条(数量制限の一般的禁止)違
反であるとの判断がなされた。しかし、その後アメリカの対応が不十分として、マレ
ーシアが2000年に再度 WTO に提訴したが、2001年6月、パネルは、マレーシアの
訴えを退け、アメリカ勝訴という判断を下した。
11
たとえば、GATT20条を修正してその一般例外に「環境保護に必要な措置」を付
け加えるなど。
12
環境ラベルの詳細については、たとえば、Abe et al. (2000)を参照のこと。また、
国際標準化機構の環境マネージメントシステムの国際規格「14001」や環境対策に
投じた費用や効果の収支をまとめた「環境会計」も環境ラベルと同様な効果をもち
うる。
13
たとえば、スカンジナビア諸国の「ホワイト・スワン」、アメリカの「グリーン・シール」
5
環境ラベルは、以下の3つのタイプに分類できる。タイプⅠは、第三者機関が製
品の環境負荷に関する評価を行い、審査の結果、基準に適合した製品にシンボルマ
ーク(ラベル)の使用を認めるものである。現在、エコマークをはじめ、ほとんどの環
境ラベルがこのタイプである。エコマークは、企業などからの申請をもとに財団法
人日本環境協会によって認定されている14。タイプⅡは、企業が自主的に自社の製
品やサービスの環境に関する主張をシンボルマークや広告などで行うものである。
リサイクル可能及びリサイクル材料含有率の主張などはタイプⅡのラベルである。
タイプⅢは、ある製品のライフサイクルを通じて環境負荷の状況(たとえば、製品の
資源消費量、エネルギー消費量、大気放出物、固定廃棄物など)を定量的に表示し
ようとするものである。現状では、このタイプのラベルは非常に少ないが、日本で
は、複写機・プリンターなどに例が見られる。
しかし、環境ラベルが、透明性の問題、認定基準の相違の問題、取得コスト15の問
題などから貿易障壁になるとの危惧が主に途上国から表明されている16。すなわち、
「先進国の環境ラベル制度によって、途上国の商品が先進国市場で差別され、途上
国の輸出を阻害している」という懸念である。透明性の問題とは、環境ラベル取得
のための基準が曖昧である、あるいは審査が不透明で公平さを欠く場合があると
いったものである。認定基準の相違の問題としては、環境ラベルの認定基準が国や
地域によって異なり、ある国ではラベルを添付できてもそのままでは他の国ではラ
ベルを添付できないといったようなことが生じる。取得コストに関しては、認定基準
が高いとそれをクリアするために多額のコストとを負担しなければならない、ある
いは高度な技術が必要となるがそのような技術が導入できないなどの問題が生
じる可能性がある。
さらに、環境ラベル(とくにタイプⅢ)は製品のライフ・ステージ全て(前工程、製
造工程、物流、使用・消費、廃棄)での環境負荷を総合的に評価したものであるべき
という考え(いわゆるライフ・サイクル・アプローチ)があるが、この考え方が同種の
などがある。また、先進国だけではなく、インド、ブラジル、ジンバブエなどの途上
国でも導入されている。
14
2001年3月31日現在で、エコラベルは、類型数68、商品ブランド数4352、認定企
業数1591となっている。
15
さらにコストとして、環境ラベルの使用料も挙げられる。たとえば、エコマークでは、
標準小売単価が千円未満の場合、使用料は2年間で8万円である。
16
コロンビアは、先進国の環境ラベルなどの環境措置によってコロンビアからの輸出
が実際に阻害されていると主張した。
6
産品(like products)には同等の待遇を与えるべきという WTO の基本理念と緊張
関係に立ちうる。すなわち、WTO では生産工程・生産方法(PPMs: Processes and
Production Methods)の相違のみから製品を差別してはならないから、製品の特性に
関連しない PPMs に着目した環境ラベル制度が WTO の基本理念に反するという
考え方がある17。
現 在 、 環 境 ラ ベ ル の 国 際 規 格 作 り は 国 際 標 準 化 機 構 ( ISO: International
Organization for Standardization)の主導で行われているが、今後規格の策定にあっ
ては、各国の制度をどうハーモナイズしていくかを検討すると同時に WTO とも十
分な議論を重ねていく必要があるだろう。
第4節
遺伝子組み換え体
バイオテクノロジー(生物工学)の発展によって、近年遺伝子組み換え技術を用
いて作られた農作物が多数登場した。これらの農作物は、たとえば、除草剤に対す
る抵抗力、病害虫に対する駆除力、貧弱な土壌や過酷な気候でも収穫があがるよ
うな形質などを有しており、生産量の増大と生産コストの減少に役立つと期待され
ている。しかし、一方では、遺伝子組み換え食品の安全性や遺伝子組み換えによる
自然環境・生態系への影響を懸念する声が高まってきている18。
このような懸念から遺伝子組み換え作物・食品の貿易に影響が生じてきている。
とくに、EU は全ての遺伝子組み換え食品は既存の食品と同等でないとの判断に立
つと同時にその安全性に強い疑念をもち、1997年に施行された新規食品及び新規
食品成分に関する規則で遺伝子組み換え食品を含めた新規食品の市場流通前の
17
製品の特性に関連する PPMs に着目した基準・認証制度は、WTO では貿易の技術
的障害に関する協定(TBT 協定:Agreement on Technical Barriers to Trade)によって
ルールが規定されている。
18
たとえば、BT コーン(殺虫性の蛋白質を作り出す土壌細菌遺伝子を組み込んだト
ウモロコシ)の花粉を蝶(オオカバマダラ)の幼虫に摂取させたところ多数が死亡し
たとの報告がアメリカの研究者グループによってなされた。また、フランスのバイオ
企業アベンティス社が開発した遺伝子組み換えトウモロコシ「スターリンク」は、アレ
ルギー症状を起こす恐れがあるとされている。スターリンクは、アメリカでは飼料用
としてのみ認められているが、2000年9月にアメリカで環境 NGO が食材への混入
を指摘し、アメリカ環境保護局が栽培認可を取り消すなどの大問題となった。また、
日本国内では食用としても飼料用としても認められていないが、アメリカ産の輸入
品からスターリンクが発見されたため、遺伝子組み換え食品が大きな問題として脚
光を浴びた。
7
安全性審査と表示を義務化した19。さらに1999年からは、人体や環境への影響が不
透明として新たな遺伝子組み換え作物の承認を行わない方針をとってきた。これ
に対して、遺伝子組み換え作物の主たる開発・生産・輸出国であるアメリカは、この
ような EU の予防的対応が科学的な根拠に基づいたものではなく、「偽装された」
貿易制限措置、すなわち保護主義につながると批判してきた20。しかし、つい最近に
なって、EU は、遺伝子組み換え作物の生産・販売の新規認可を2002年8月までに
再開することを決めた21。
遺伝子組換え食品の安全性の評価などの国際的な調和をはかるための議論・検
討は、現在、経済協力開発機構 ( OECD: Organization for Economic Cooperation and
Development)やコーデックス委員会(FAO/WHO 合同食品規格委員会)で進められ
ている。また、遺伝子組み換え作物の貿易に関する WTO のルールについてみると、
現行では、衛生植物検疫措置の適用に関する協定(SPS 協定:Agreement on the
Application of Sanitary and Phytosanitary Measures)がその規律を対象としていると
いえる。SPS 協定は、GATT に食品衛生や植物検疫・動物検疫上の各国措置に対す
る貿易ルールが規定されていなかったため、ウルグアイ・ラウンドで合意されたもの
である。SPS 協定の目的は、衛生植物検疫措置が偽装された貿易制限措置となる
ことを防止し、各国の措置の調和をはかることにある。しかし、SPS 協定でも、リスク
に関する科学的証拠が不十分な場合には入手可能な適切な情報に基づいた暫定
的な衛生植物検疫措置の採用、すなわち予防的対応を一応は認めている22。
19
従来、添加物については遺伝子組み換え食品の表示規制の適用範囲外だったが、
2000年1月10日の新たな規制によって、添加物も GM 食品と同じ規制の下に置か
れることになった。
20
も ち ろ ん 、 ア メ リ カ 合 衆 国 政 府 も 食 品 医 薬 品 局 ( FDA: Food and Drug
Administration)が安全性をチェックしている。いままでに認可した遺伝子組み換え
食品・飼料は、13作物51品種(2001年3月13日現在)である。日本での認可状況は、
厚生労働省認可のもの(食品用)が6作物35品種(2001年3月30日現在)、農林水
産省認可のもの(飼料用・加工用)が5作物29品種(2001年3月27日現在)である。
日本では、環境に対する影響の審査については農林水産省、安全性評価及び審査
については厚生労働省が行っている。
日本経済新聞2001年2月16日夕刊。
22
遺伝子組換え食品のアメリカ-EU 間の摩擦に似たものとして、EU がアメリカやカ
ナダからの肥育ホルモン牛肉の輸入禁止の措置を講じたケースを挙げることがで
きる。EU が消費者の不安などを理由に1989年から肥育ホルモン剤を使用した牛肉
21
8
このような遺伝子組み換え作物の安全性をめぐる問題が貿易に与える影響とし
ては次の2点が挙げられよう。まず、遺伝子組み換え食品の表示の問題である。こ
れは、すでに述べた環境ラベルの問題と本質的には全く同じである。なぜなら表示
自体が、環境ラベルと同じような効果をもつと考えられるからである。EU をはじめ
として、日本、オーストラリア、ニュージーランドなどの国では、遺伝子組み換え食品
である旨の表示をする方向にあるが、アメリカやカナダでは、栄養素の改変など既
存の食品と明らかに異なる場合には表示を義務づけらているものの、遺伝子組換
え食品であるかどうかの表示は現在義務づけられていない。
日本では、2001年4月から遺伝子組み換え食品である旨の表示義務と遺伝子組
み換え食品の安全性審査及び表示の法的義務化が実施された。安全性審査を受け
ていない遺伝子組換え食品又はこれを原材料に用いた食品は、輸入、販売等が法
的に禁止されている。
次に、遺伝子組み換え食品に対する安全性の問題は、世界の貿易構造に大きな
影響を与えうる。これは、最近消費者(需要者)が遺伝子組み換え食品の消費(需
要)に慎重な姿勢を顕著にとり始めたことによる。遺伝子組み換え作物の最大の生
産地であるアメリカでさえ、このような傾向がみられる。
実際に生じている貿易構造の変化の例として、トウモロコシを挙げることができ
る。日本のトウモロコシ輸入量は年間約1600万トンで世界で最大であるが、2000年
に日本でアメリカ産のスターリンクの混入が確認されて以来、日本のトウモロコシの
調達先がアメリカから中国、南アフリカ、ブラジルなどに切り替わった。これによって、
アメリカ産トウモロコシの日本向け輸出価格が下落し、トウモロコシの国際相場が大
きく影響を受けている23。また、未認可品種の日本への流入を防止するためには抜
き取り検査が必要となるが、それが輸入コストを上昇させるという問題も生じてき
ている。
遺伝子組み換え体に関しては、環境の面のみならず貿易の面からも、安全性の
審査を中心とした国際的な統一ルールを策定し、さらにその国際的な流通をきちん
と把握できる体制作りが急務といえる。
第5節
環境税
の輸入を全面的に禁止したため、アメリカは1996年に WTO に提訴した。パネルは、
EU の措置が国際貿易に対する差別または偽装した制限をもたらすとして、SPS 協
定に反すると認定した。
23
日本経済新聞2001年5月30日朝刊。
9
経済理論においては、環境悪化の問題は外部不経済の1つの例としてとらえられ
ており、外部不経済を内部化するような措置がとられれば市場経済の機能が回復
し、効率的な資源配分が達成されるとの立場に立つ。たとえば、汚染の垂れ流しを
しているような企業・産業には、いわゆるピグー税を課して、汚染の社会的な費用
を彼らに負担させれば外部不経済が内部化されることになる。とくに、OECD は汚
染者支払い原則(PPP: Polluter-Pays Principle)を1970年代に採択した24。
しかし、環境税を実際に導入しようとするといくつかの問題に直面する。まず、一
般的な問題として、課税水準と課税対象の特定が挙げられる。また、税収の使途の
問題である。税収中立との立場に立てば、所得税など他の減税がセットでなされる
べきであるが、環境税の税収は環境対策に用いられるべきという考え方もある。さ
らに、エネルギーなどの必需品に課税される場合には逆進性の問題も生じることに
なる。
次に、貿易との関連でいうと、国境措置の問題がある。一部の国だけで環境税が
導入される場合、その国に立地している企業が国際競争力を失う可能性がある。し
たがって、たとえば、輸出する分の財に関しては国境で税金を払い戻すというよう
な国境措置が必要となりうる。現在北欧諸国を中心に地球温暖化の対策の1つとし
て炭素税が導入されているが、国際競争力維持を意識した措置がとられている。
たとえば、1991年から導入されたスウェーデンの炭素税では、ガソリン、ディーゼル、
石炭、天然ガスなど化石燃料の炭素含有量に応じて課税されるが、産業用燃料使
用には50%の減税措置が講じられている25。
炭素税に関してさらに付け加えれば、一部の国だけが炭素税を導入したときに、
24
理論的には、汚染を社会的に最適な水準にするために、課税とは逆に補助金を供
与するという方法も可能である。すなわち、汚染を減少させることに対する補助金
である。OECD はこのような補助金に反対するだけではなく、環境保全の観点から
は、全般的な補助金の禁止を唱えている。なぜなら、たとえば、エネルギーの使用
に対して補助金が供与されると、省エネの技術革新が妨げられることになるから
である。
25
日本でも、最近、炭素税導入の機運が高まってきているが、環境省の最近の試算
によると(日本経済新聞6月21日)、炭素税の導入だけで温暖化ガスの排出量を201
0年時点で1990年と比較して2%削減する場合、炭素1トンあたり約1万3千円から3
万5千円の炭素税の導入が必要となる。もし税収を温暖化ガス削減のための技術
開発に充てるとすれば、炭素1トンあたり約3千円の税率となる。炭素1トンあたり3万
円の炭素税をガソリン1リットルあたりで換算すると約20円に相当する。ちなみに、
ガソリン1リットルあたり、石油税やガソリン税などで現在約60円の税金がかかって
10
「炭素リーケージ」という問題も生じうる。炭素リーケージというのは次のようなも
のである。たとえば、自国が炭素税を導入したことにより、化石燃料に対する需要
が大きく低下すればその国際価格が低下する。この場合、確かに自国では温暖化
ガスの排出量は減るが、化石燃料国際価格の低下が他の国での化石燃料の消費を
促し、そこでの温暖化ガスの排出量が増えてしまうことになる。結果として世界全
体としてみれば温暖化ガスの排出量が増加してしまう可能性もありうるのである。
さらに、交易条件の変動による所得の変動が国際的規模での所得の再分配を生じ
させ、それが貿易構造に大きな影響を及ぼす可能性もある。とくに石油輸出国機構
(OPEC: Organization of Petroleum Exporting Countries)諸国が炭素税による交易条
件の悪化によって悪影響を受ける可能性が指摘されている。
第6節
排出権取引26
地球温暖化防止を話し合うため1997年末に京都で行われた国連気候変動枠組
み条約第 3 回締約国会議(COP3: The 3rd Session of the Conference of the Parties to
the United Nations Framework Convention on Climate Change)では、拘束力を持つ議
定書、いわゆる京都議定書が採択された。この議定書には2つの重要な取り決めが
盛り込まれている。1つは38の先進国における温暖化ガスの削減目標が明確に設定
されたということである27。OECD 諸国と旧ソ連及び東欧諸国から成る附属書 I 国
は、2008年から2012年の間に全体で1990年比5.2%の削減を行うとしている。こ
の目標達成のために、各国は国別の目標レベルを約束した28。
もう1つは、「京都メカニズム」と名づけられた3つの措置、すなわち排出権取引、
共同実施、及びクリーン開発メカニズムが認められたことである29。これらのメカニ
ズムは、目標実施の上で附属書 I 国にかなりの柔軟性を与えることになる。実際の
ところ、日本のような一部の国では、これらのメカニズム、特に国際的な排出権取
いる。
26
排出権取引の詳細については、たとえば天野(1997)や佐和(1997)を参照のこと。
27
京都議定書では、温暖化ガスとして、二酸化炭素、メタン、亜酸化窒素、ハイドロフ
ルオロカーボン、パーフルオロカーボン、六フッ化硫黄の6種類が対象となってい
る。
28
たとえば、EU、アメリカ、日本、ロシア、オーストラリアの目標はそれぞれ、-8%, 7%, -6%%, 0%, +8%である。
29
共同実施とは、附属書 I 国内で温暖化ガスの排出量を削減する共同プロジェクト
であり、クリーン開発メカニズムは附属書 I 国と非附属書 I 国との間で行われる共
同プロジェクトである。プロジェクトによって達成される削減量は、参加国にクレジッ
トとして配分される。
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引なしでは目標を達成できないと考えられている30。本節では、温暖化ガスの国際
的な排出権取引のメリット・デメリットについて整理・検討する。
まずメリットの方から考えてみよう。第1に、炭素税など他の政策と比較して定量
的効果を把握しやすいことが挙げられる。世界あるいは国全体としての排出量を
一旦決めてしまえば、排出権取引の仕組みがうまく機能する限りにおいては、定量
的効果は明らかであろう。また、地球温暖化に強い危惧をもつ主体が排出権を購入
した場合に、その排出権を行使しない可能性も考えられる。このようなことが起こ
れば、排出削減効果はより高められることになる。
第2に、一律の排出規制よりも効率的であることが挙げられる。通常、企業あるい
はプラント単位で排出削減のコストは異なる。削減コストの相違がある場合には、一
律に排出量を規制するよりもそれらの間で排出権の取引をさせた方が効率的であ
る。この場合、排出権市場が完全競争的であれば、排出権価格は、各経済主体の限
界排出便益、それを裏返せば限界排出削減費用に等しくなるはずである。課税で
排出量を削減する場合には、本来税率はこの限界排出削減費用を反映したもので
なければならないが、実際に限界排出削減費用についての情報を入手するのは極
めて困難である。完全競争下での排出権取引は、排出権の価格という形で限界排
出削減費用を明らかにすることになる。
第3のメリットとしては、資金の流れが考えられる。今後排出権取引が途上国に広
がっていった場合、先進国が途上国から排出権を購入すると考えられる。なぜなら、
途上国の方が相対的に排出削減コストが低いからである。したがって、先進国が途
上国から排出権を購入すれば、途上国に資金が流れることになる。とくに、それが
地球温暖化対策資金として用いられれば、よりよい効果を与えることになる。
しかし、排出権取引は以下のような問題も抱えている。まず、排出権の割り当て
の問題である。具体的な手段としては、競売、過去の実績に基づくもの(グランド・フ
ァーザー・ルール)、GDP に基づくもの、人口に基づくものなどが考えられる。どのよ
うに排出権を割り当てるかについては、所得分配が絡んだ大変難しいといえる。ま
た、割り当てを1年ごとに行うのか、ある程度中・長期的な期間をにらんで行うのか
といった期間の問題も生じる。さらに、前借りや繰り越しといった措置を認めるのか
というような議論も割り当てに付随して生じる。
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これらのメカニズムのルールは、2000年11月の地球温暖化防止ハーグ会議
(COP6)までに合意されるはずであったが、いまだにルールは決まらず、最近にな
ってアメリカが議定書自体の不支持を表明するという事態に陥っている。
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次に、実際に市場が成立するのかという問題がある。また、市場が成立したとし
ても、排出権取引がうまく機能するためには、市場が完全競争的であることが必
要となるが、その条件が満たされない可能性もある。取引主体が政府になるのか、
民間になるのかによっても市場のパフォーマンスに大きな差が生じうる31。また、二
酸化炭素は民生部門からも随分生じており、これら民生部門をうまく市場に組み込
んでいく必要がある32。
さらに、排出量の監視をどのようにするのかという問題もある。とくに、個々の排
出源全てを監視することは明らかに不可能である。また、京都議定書では森林など
による温暖化ガスの吸収を認めているが、その場合には吸収源も監視する必要が
でてくる。いずれにせよ、監視機能が十分に働かない場合には、売り手側は割り当
て以上の排出権を売る、買い手側は購入以上の排出をするといった不正が生じう
る。またそれに伴い、不正行為をどのように罰するかということも問題となる。とく
にそれが国際的な不正の場合にはなおさら問題は複雑になるだろう。
おわりに
本章は、環境と貿易の関係の一側面として、環境政策が貿易にどのような影響を
及ぼすかについて具体的な整理・検討を行ってきた。グローバル化が進んだ経済に
おいては、一国の政策が貿易や投資を通じて他国にも影響を与える。もちろん環境
政策もその例外ではない。そのため、本来環境を保全するための政策が、グローバ
ル経済においては思わぬ副作用をもたらすことがありうる。たとえば、世界全体と
してみれば環境をかえって悪化させたり、環境は改善するとしても貿易を阻害した
りする可能性がある。したがって、環境政策を導入する際にはグローバルな視点か
らの事前評価が大切である。また、環境保全を名目とする「偽装された」貿易制限
措置の見極め、そしてその排除も重要である。
一部の NGO に見られるように、環境と貿易は対立するものであると安易にとら
えられることがあるが、それは明らかに誤りである。たとえば、本章で取りあげた国
際的な排出権取引は、環境政策であると同時に貿易政策でもある。今後、環境保全
と貿易の自由化との両立を極力図っていくことが大切であり、そのためには、国際
的に統一されたルールを早急に構築・運用していくことが必要である。
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この点について、詳しくは、Ishikawa and Kiyono (2000)を参照のこと。
1997年度の二酸化炭素排出量は約12億3100万トンであり、そのうち家庭から生じ
ているものが約1億5000万トンである。民生部門全体では総排出量のうち約4分の
1を占める。
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参考文献
天野明弘『地球温暖化の経済学』日本経済新聞社、1997 年。
環境政策における経済的手法活用検討会『環境政策における経済的手法活用検討
会報告書』2000 年。
経済産業省通商政策局編『2001 年版不公正貿易報告書』2001 年。
佐和隆光『地球温暖化を防ぐ
-20世紀型経済システムの転換-』岩波書店、1997
年。
通商産業省『平成12年版通商白書』2000 年。
K. Abe, K. Higashida, and J. Ishikawa, "Eco-labelling, Environment, and International
Trade", forthcoming in Issues and Options for the Multilateral, Regional, and Bilateral
Trade Policies of the United States and Japan, ed. by Robert Stern (University of
Michigan Press).
G. M. Grossman and A. B. Krueger, "Environmental Impacts of a North American Free
Trade Agreement", in The Mexico-U.S. Free Trade Agreement, ed. by P. M. Garber
(Cambridge : MIT Press), 1993, pages 13-56..
J. Ishikawa and K. Kiyono, "International Trade and Global Warming", Discussion
Paper 2000-CF-78, Center for International Research for the Japanese Economy,
University of Tokyo, June 2000.
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