月) の 無念を思い、追悼するささやかな取 り組みを 続けてい ます 。3 年 9 月 1 0 日 は、龍彦発見から 2 0 生きる私たちにとつ 年とな ります 。この事件は 'を てどのような意味を持 つているので しようか 。それ ぞれに者え、語 り合う機会 に したいと思い ます 。 :9月10日 (本)18:30∼ 19:30 日0寺 会場 : 塩 の 道 ち よ う じ や 帆 塩の道博物田 く内容 > ‐ 歌 : 柳 澤 和 夫 と後 藤叶 圭 まちへ行こう1 の仲間たち 籠彦 ち ゃんを恙 れ な い ]の 私たちは、オウム真理教の狂気の犠牲とな り大田 地に埋められてい た坂本龍彦ちやん ( 当0 寺1 歳 2 ヶ いのちの星」ほか テーマ曲 「 母 ・都子 さ んの手 紙 」 朗読 : 黒 川恵理 子 「 語り : 傘 木 宏夫 「事件か ら学ぷ 」 ※ 参力0 費無 料 ( カ ンパ にご 協 力 い ただ けれ ば幸 い で す ) 慰霊碑前追悼 の集 い L に来訪 され る こ とに呼応 して 、慰 坂本弁護 士 と交友 の あ った音楽家 な どが例年巡 ネ 霊碑前 で の追1 卓の集 い を行 い ます。多 くの 皆 さま に一 緒 に手 を合 わせ て い ただ けま す よ うお願 い 申 し上 げます。 と き : 9 月 9 日 ( 水) 1 2 時 ∼ ( 約3 0 分間) ところ : 慰 霊 碑 前 ( 大町ダム横 ・高瀬渓谷緑地) 一 ン 演 奏 者 : 松 本 克 己 さん ( 日本 フィル ハ ー モ ニー 交 響 楽 団 第 ヴァイオ リ 奏 者 ) 他 主 催 : 「龍 彦 ち や ん を 忘 れ な い 」 実 行 委 員 会 まちへ行 こう 1 」プロジエクト実行委 員会、N 1 0 地 域 づくリエ 房 国民救援会大 北支部、「 塩 の道ちょうじや」 実行委 員会 、( ―社) 縁家 「 協 力 : 「愛とヒューマンのコンサー ト」 連絡先 : N P O 地 域 づくリエ 房 ( 代表 傘木宏夫) Mal:npO@Omach org 7601 E‐ 398-0002)Tcl&Fax:026122‐ 大町市仁科町 3302(〒 MemoHal 1 9 8 9 年、 オ ウ ム 真 理 教 ( 現 : ア レフ ) の 狂 気 に よ り、 坂 本 弁 護 士 ― 家 が 殺 害 され ま した。 一 人 息 子 の 龍 彦 ち ゃん は 当時 1 歳 2 ヶ 月 で した 。 約 6 年 後 の 1 9 9 5 年 9 月 、大 町 市 の 日向 出 で龍 彦 ち ゃ ん の 遺体 が 発 見 され ま した。 父親 の 堤 ( つ つ ふ ) さ ん は新 潟 県 上 越 市 名 立 で 、母 親 の 都 子 ( さ と こ) さん は 富 出 県 魚 津 市 の 、 それ ぞ れ 出 中 で 見 つ か り ま した。 坂 本 堤 さん は 、 社 会 正 義 を貫 く信 念 あ る弁 護 士 で した。 オ ウ ム 真 理 教 の 偽 り をい ち早 く見 抜 き、 子 ど も を教 団 に と られ た親 た ち に代 わ っ て 、 危 険 を承 知 で教 団 と交渉 した 最 初 の 人 で した。 生 前 、 坂 本 堤 さ ん は ヴ ァ イ オ リ ン を 、 都 子 さん は フ ル ー トを愛好 し、 そ ん な 二 人 を最 初 に結 び つ け た の は障 が い 者 を支援 す るボ ラ ンテ ィア 活 動 で した 。 ホ ち ゃ ん誕 生 の 報 せ に 、病 院 へ と恙 ぐ堤 さん は 、 車 中 か ら 大 きな 落 雪 を見 た こ とが 、 龍 彦 ち ゃん の 名 前 の 出 来 に な っ た そ うで す。 偶 然 に も龍 の 子 伝 説 の あ る この 大 町 の 地 に埋 め られ て い ま した。 遺体 発 見 後 、 弁 護 士 団体 の 手 で 各 地 に慰 霊 碑 が 造 られ 、 1 9 9 9 年か ら は 生 前 親 夫 の あ っ た 日本 フ ィル ハ ー モ ニ ー 交響 楽 団 の 有 恙 に よ っ て 音 楽 巡 礼 の 取 り 組 み が 行 わ れ 、 私 た ち も これ を受 け入 れ て きま した。 高瀬 渓 谷 緑 地 公 園 ( 大 町 ダ ム 下 手 ) に 籠 神 湖 の シ ンボ ル で あ る 「母 龍 に ま ・の 像 と並 ん で 、 坂 本 一 家 の 風 霊 碑 が あ り ま す。 石 製 の 二 つ た が る泉 小 太 F F」 ・ さん、上 が 絶 彦 ち ゃ ん で 、 の 輪 は坂 本 一 家 を表 し、左 下 は堤 さん、若 下 は t F子 ひ と つ の 石 か ら振 り出 され ま した 。 台座 に は 事 件 に つ い て 、 裏 面 に は都 子 さ ん が 1 歳 に な ろ う とす る龍 彦 ち ゃん の 元 気 な よ うす をつ づ っ た 手 紙 の 一 部 が 記 され て い ま す。 な お 、 龍 彦 ち ゃ ん が 埋 め られ て い た場 所 は、 こ こで は な く 日向 出 の 出 中 で す。 ぶ教 ヨ1 は今 も 多 く、 社 会 正 義 の た め に た た か っ た坂 本 弁 護 この 事 件 か ら学 、 士 の 遺 恙 に思 い をは せ つ つ 、 大 町 の 地 に埋 め られ た龍 彦 ち ゃん を追 悼 す る祈 ロい た だ け れ ば幸 い で す 。 りの 輸 に ご 参 カ (約 30分 間 ) つ り掘 置 Cl どなたでも参 加できます。 ぜひ一 緒に手を合わせてく ださい。 ― 大 町ダ ム 大町エ 高瀬 川 ” レ (正午) ︱ ギ 9月 9日 (水)12時 高瀬 渓谷緑地公 園 (慰霊碑) 篭うヽ初 慰 霊碑 前 追 悼 の集 い
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