動物慰霊碑 寄 稿

寄 稿
動物慰霊碑
大丸 秀士
日本人の動物に対する態度を解きあかす一助になれ
ばと,動物を慰霊する碑を探し歩いている.広島県内
では畜魂碑,鶏魂碑,魚魂碑,弔鯨碑,貝塚,鳥獣供
養碑,筆塚,蝮鼠供養碑,忠犬碑,狼塚など 120 余
基,さらに備後に多い牛馬供養の馬頭観音 900 余基を
「犬魂碑」がある.動物を殺処分しなければならない
われわれの気持ちを整理する意味もある.ちなみに
ペットの火葬を受け入れる広島市の火葬場には「動物
供養」碑が 3 か所にある.こちらは飼い主の心の整
理で,伴侶の供養を願い花が絶えない.
訪ねた.動物の供養を願い石仏や石造物を造立するの
は,江戸時代後期から盛んになる.世界でもこれほど
数多く動物慰霊碑を作る民族は少ないだろう.広島県
内で獣医師に縁のある動物の供養碑を追ってみよう.
広島市安佐北区可部の 191 号線沿いに「家畜魂神
碑」がたたずむ.建立者は鈴木利助獣医で,明治 25
年の建立.可部には牛市が立った.往時は正月市だけ
で千数百頭も取引された.その牛市に関与する碑だと
理解されている.牛市には獣医の詰所もあった.何百
始めに比治山の「馬魂碑」では,広島県獣医師会が
と集まった牛の中に死亡するものもいて,それを憐れ
んだか.鈴木氏の書簡でもあればはっきりするのだが.
県北の道を行けば道端にいくつもの馬頭観音が並ん
毎年 9 月,碑を前に動物慰霊祭を開催する.この馬
魂碑はもともと似島にあった.昭和 12 年,地元の浜
本乙松が検疫所で死亡した馬を哀れに思い陸軍に寄贈
したものだ.似島には馬匹検疫所があり,外地から
帰った軍馬を検疫し殺処分となった馬を焼却した.そ
の焼却炉は被爆者を火葬した経緯もあり移設保存され
ている.戦後,陸軍跡地に小学校を建てるため,碑は
浜本のもとに帰る.庭先に放置された碑に藤村開業医
が気づき,獣医師会が働いて比治山に移設した(写真
でいる.馬頭観音は馬が草を貪り食うように衆生の煩
悩を取り払う.頭に馬頭を抱くので馬や牛の守護仏と
され江戸後期から昭和初期までさかんに建立された.
西城町大佐にひときわ大きな馬頭観音が 2 基ある.
大佐村馬医の田邉瀧平らが明治 9 年,獣医の田辺岩
1).馬魂碑は軍馬の碑から馬一般を慰霊する碑とさ
れた.中国新聞には原爆で亡くなった馬を弔うとも記
載された.車の発達とともに馬が消え,現代では獣医
もペットに生業の軸を移す時代である.馬魂碑は平成
19 年から動物すべてを慰霊する碑とすることになった.
広島県動物愛護センターに「いつくしみ」の碑が,
広島市動物管理センターにも「いつくしみ」の碑と
写真 1 比治山の馬魂碑
太郎が明治 34 年に建立したものだ.昔の獣医が巡回
して瀉血治療した場所には「血取り馬頭」と称する馬
頭観音が建立される例がある.過激な治療で命を落と
すものがあったのか.
広島市中央卸売市場食肉市場には高さ数メートルも
のりっぱな畜魂塔がある(写真 2).大正 10 年旧と畜
場に建碑,被爆をくぐり抜け現在地に移設された.年
2 回の慰霊祭を継続しているが,動物に対する精神文
写真 2 広島市食肉市場の畜魂塔
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広島県獣医学会雑誌 № 29(2014)
化の価値ある財といえる.広島は軍都であり軍需用の
缶詰生産が盛んだった.宇品の糧秣廠にも屠畜場や牛
肉の缶詰工場があった.その写真の中に畜魂碑がある
が,碑の顛末は分からない.
町に獣医の先達が「牝牛生體解剖供養塔」
(明治 26
年)
「牛馬生體解剖記念之碑」
(明治 36 年)を残した
(写真 3)
.室内実験でないとはいえ,医用動物の慰霊
碑としては最古と言えそうだ.獣医警察学など伝染病
の予防対策が当時の教科書となり授業が高度化してい
く中で,備後の獣医たちは学びの場を作り研鑽してい
たに違いない.われわれ獣医の歴史遺産であるので,
破損し人目につかなかった「牝牛生體解剖供養塔」は
獣医は医学の基礎分野でも大きな貢献を果たしてい
る.実験動物を扱う機会も多い.一殺多生の思想のも
とに多くの命を奪っている.犠牲となった動物を慰霊
するために医歯薬系のほとんどの大学には「実験動物
慰霊碑」がある.県下でも広島大学医学部や広島市衛
生研究所に設置されている.最先端医学に従事する科
神石高原町と広島県獣医師会が道の駅「さんわ 182
ステーション」に移設し衆人が見学できるようになっ
た(写真 4).
学者がきわめて祭祀的な慰霊祭を行うのを,海外の研
究者が奇異に感じるという.欧米では宗教上,動物供
養 は な い が, 動物の命を絶 った一 種 の罪 悪感 か ら
ちょっとしたメモリアルを飾ることはあると聞く.
実験動物医学を本格的に始めたのは北里柴三郎であ
る.ワクチン製造で犠牲になった動物のために,大正
3 年,現在の東京大学医科学研究所に「家畜群霊塔」
という慰霊碑を作った.これが日本で最初の実験動物
食事のたびに口にする「いただきます」を,業界レベ
ルに押し上げた作法が動物慰霊碑の建立なのかもしれ
ない.この作法をとおして私たちの生活が動物に依存
していることを忘れないようにしたい.
他の慰霊碑(可部町,西城町)を写真 5,6 に示し
のための慰霊碑と考えられていた.ところが神石高原
た.
動物の命を生産,加工,消費するそれぞれの立場で
さまざまな動物慰霊碑が現在も作られている.個人が
写真 3 破損し放置された解剖供養塔
写真 4 移設した牝牛生体解剖供養塔
写真 5 可部町の家畜魂神碑
写真 6 西城町の馬頭観音
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