2004年度久保ゼミリサーチペーパー 有権者登録制度と黒人の有権者登録運動 ルイス・ファラカンの有権者登録運動を通して 4年 石井 宏樹 1 はじめに 第一章 有権者登録制度とは何か。 第一節 有権者登録制度 第二節 有権者登録制度が採用された理由 第三節 有権者登録制度の現状 第二章 有権者登録制度の変遷と黒人 第一節 苛烈な有権者登録制度以前の黒人と投票権 第二節 黒人排除の有権者登録制度の成立 第三節 公民権運動と有権者登録制度の条件緩和 第三章 ルイス・ファラカン師の有権者登録運動。 第一節 ファラカンと NOI 第二節 ファラカンの思想・活動 第三節 ファラカンの支持者 第四章 ルイス・ファラカン師の有権者登録運動の方法 第一節 従来の有権者登録運動の方法 第二節 ファラカン独自の有権者登録運動の方法 第五章 結論 はじめに アメリカ大統領選挙において投票率の低下が選挙の度に問題視されている。1960年の大統 領選挙では、投票率は62、8%であったが、2000年の大統領選挙では51、2%まで低 下している。ポルスビーらはその原因として、政治的無関心をあげている。さらに、アメリカ の選挙における低投票率をよりうまく説明する要因として、有権者登録制度をあげている。 アメリカではいかに述べる通り、一定の年齢に達した者は地方選挙登録事務所で有権者登録 を行うことによって、初めて大統領選挙をはじめとする選挙で投票することが可能になる。こ のような制度が取られているのは多分に歴史的な理由による。そして、アメリカの民主主義に 対する考え方、つまり積極的に権限を行使することに重点を置いた考え方が現在でもこの制度 を採用している原因である。他の主要な民主主義国を見たときにこのような制度を採用してい るのは、オーストラリア、ニュージーランド、カナダなど数えるほどしかなく、日本やヨーロ ッパでは一定の年齢に達した有資格者を自動的に投票者名簿に登録する制度を採用している。 選挙における低投票率について大きく分けて2つの説明のしかたが存在する。一つは社会 心理的な要因を重視するものであり、もう一つは制度的な要因を重視するものである。社会心 理的要因を重視する説明としては、市民の義務という意識の欠如が投票率の低下を招いている 2 とするアーモンドとヴァーバの研究や、政党への愛着が薄いために投票率が上昇しないとする キャンプベルの研究などが挙げられる。制度的な要因を重視する説明としては、いくつかのも のが挙げられる。前出のキャンプベルは登録や選挙権取得のための条件が週の投票率に大きな 影響を与えているとする研究を行った。また、コンバースとラスクは法的な制度が投票率の低 下に大きな影響を与えていると考えた。近年の研究としては、ウォルフィンガーの研究が挙げ られる。 社会心理的な要因は、人々の政治への無関心と結びつく説明であり、そもそも投票へ行く気 を起こさなくなることにつながる。一方、制度的要因は、投票に行く気を起こしても実際に投 票することはできないということにつながる。アメリカで有権者登録制度が投票率低下の原因 とされる場合は後者を指す。 従来の研究では、上に挙げたように投票率に対して制度的な要素がどのように影響している のかという視点で考えられていた。しかし、60年代の公民権運動を通じて有権者登録制度の そもそもの趣旨である黒人排除が不可能になり、誰でも登録できるようになった。そして、未 登録者を登録させ投票させようとする有権者登録運動が盛んになってきた。 黒人による大規模な有権者登録運動としては、近年では虹の連合を結成して有権者登録運動 を進め、1984年に民主党の大統領候補をモンデールと争ったジェシー・ジャクソンと、1 995年に百万人の行進を行い、現在まで黒人に強い影響を持つネイション・オブ・イスラム の指導者であるルイス・ファラカンの行った有権者登録運動がある。近年の白人の有権者登録 運動については、1980年代の白人による党派的な有権者登録運動についてのピヴェンらの 研究がある。それによると、従来の戸別訪問や大規模なショッピングセンターでの有権者登録 運動に加えて、コンピューターを利用した新しい有権者登録運動が生まれている。 ネイション・オブ・イスラムは現在増加しつつある黒人のイスラム教徒の団体である。193 0年代に白人への憎悪を募らせた黒人たちをまとめたウォーレス・ファード・モハメドによっ て設立され、公民権運動の時代にはマルコム X がスポークスマンを務めたことで有名である。 ウォーレスの後を継いだ指導者エライジャ・ムハンマドが1975年に死亡するとネイション・ オブ・イスラムは教団名を変更し、通常のイスラム教とはかけ離れた独特な教義を、正当なイス ラム教のそれへ変えた。しかし、エライジャのスポークスマンであったルイス・ファラカンは従 来の協議を掲げてネイション・オブ・イスラムを再建し、自ら指導者となった。以前のネイシ ョン・オブ・イスラムは政治にかかわることを禁止していたが、ファラカンは自ら有権者登録を 行うなど政治に関与してゆくようになる。そして、1984年にジェシー・ジャクソンが大統領 選挙の民主党予備選挙に立候補すると、イスラム教徒の黒人の票を集めるためにファラカンと 協力し、このときファラカンの名は全米に広がることになった。 ファラカンは現在の政治を白人の有権者によって歪められた政治であると批判し、多数の黒 3 人の有権者を政治に参加させることで現在の政治に対抗してゆくことができると考えている。 そうした考えから、ファラカンは1980年代から積極的に有権者登録運動を行ってきた。整 った組織をもつネイション・オブ・イスラムは、こうした組織的な運動を行いやすい。また、ジ ェシー・ジャクソンの大統領予備選挙時にも、彼の行う有権者登録運動を教団が助けていたこと もありノウハウも十分に吸収している。 ファラカンの提唱する人種、経済的な自助、モラルについてのメッセージは教団に参加して いない多くの人々の心をも捉え、幅広い支持を得ており、1995年に開かれた百万人大行進 はそうした支持者が集まった大規模な有権者登録運動であった。この百万人大行進はメディア で大きく取り上げられ、ファラカンの動員力を示すことになった。 現在政治的動員力が最もあると考えられているファラカンの行ってきた有権者登録運動は従 来の登録運動と比較しても特徴的である。整った組織を用いた従来ながらの運動に加えて、フ ァラカンのカリスマ的な人気を利用した運動がある。ネイション・オブ・イスラムの教義を信 じるラッパーの歌が黒人の若者の中で流行している。それによって、彼の人気は黒人の若者の 間に広まっていて、最も有権者登録を行わせることが難しいと考えられている層の人々に対す る発言力が高まっている。 多数の人々をひきつけ、有権者登録を行わせるルイス・ファラカンの運動とはどのようなもの であろうか。ファラカンという現在最も黒人に対して政治的影響力を持つといわれる人物の運 動を考察することによって、有権者登録運動の新しい手法のもつ意味合いを考えたい。それに は、有権者登録制度がどのようなものであるか、どのような変遷をたどってきたのかを見てゆ く必要がある。そして有権者登録の変遷の中でのファラカンを考察してゆく。ファラカンの有 権者登録運動を考察するにあたっては、百万人大行進や通常の教団として行っている運動を対 象としたい。 近年の有権者登録運動についての研究としては、ピヴェンの白人の党派的な有権者登録運動 についてのものなどがあるが、黒人の有権者登録運動についてのものは少ない。さらに、ファ ラカンという宗教指導者の有権者登録に絞った論文は存在していない。ファラカンの運動を通 して有権者登録運動を考察するという点で本論文にはオリジナリティがあると考える。 第一章 有権者登録制度とは 有権者登録制度とは何 とは何か 第一節 有権者登録制度 アメリカでは選挙権が18歳以上のアメリカ合衆国市民すべてに認められる。ただし、有権 者が投票権を行使するためには、有資格者は市町村の地方選挙登録事務所で有権者登録する必 要がある。アメリカでは、大統領や連邦議会議員を選出する方法や投票資格について決定する 4 一切の権限が州に与えられている。アメリカ合衆国憲法第一条四節第一項がその根拠規定とさ れている。選挙権の行使について州に大きな権限が与えられていることについて、アメリカ合 衆国憲法は投票者の資格要件を明確に規定しなかったために、それを具体化するかなりの作業 は隔週の裁量に委ねられたという説明がなされる。1また、州に選挙権について決める権限が与 えられているのは,憲法制定時に連邦下院議員の選挙権について意見の一致に至らずに各州に 委ねた名残であるとの説明もなされている。そして,選挙権の行使についても,実際に選挙を 執行するのは州であるために,州ごとの相違が生じている。2 登録のためには、自分がアメリカ合衆国市民であること、18歳以上であること、この郡内 に居住していることなどを宣誓して、自分の住所・氏名を登録する。日本やヨーロッパのほと んどの国で採用されている自動登録制度と区別して、この制度は自発的登録制度と呼ばれてい る。予備選挙を採用している州では、同時に政党所属を届け出て予備選挙への参加資格を得な ければならない。 以下でも触れるが、そこで19世紀後半に政治腐敗を防止するという名目の下で、黒人と移 民の選挙権を剥奪するために有権者登録制度が採用されたのが始まりである。 現在、ノースダコタ州を除く49州で投票するためには登録する必要がある。登録の種類と しては、永久選挙人名簿登録と定期選挙人名簿登録がある。ほとんどの州で永久選挙人名簿登 録がされており、いったん登録すれば死亡、移転、公民権停止のいずれかの事態が起こらない 限り、登録が有効とされる。定期選挙人名簿登録では、州は毎年、2年毎、4年毎などに登録 することを要求する。これはわずかの州でしか採用されていない。 定期選挙人名簿登録では特に、費用がかさむ点、短期間に名簿を作成しなければならず、死 亡者に投票用紙が配布されたり、一定年齢に達していない者に選挙権が付与されるなどの間違 いが生じやすくなる。ピヴェンの研究では、死亡、移転、公民権停止などの理由により、選挙 権はないのに登録された状態の「役立たずの登録者」が増加している。3有権者登録上の問題の ために投票をすることができなかった人は,2002年選挙においては全体の4,1%に上る。 4 第二節 有権者登録制度が 有権者登録制度が採用された 採用された理由 された理由 有権者登録制度が導入されたときは、居住要件もなく、一部の州では帰化の手続きが終わっ てなくても市民であると宣誓すれば投票できた。移民や下層労働者、黒人の投票が政党マシー ンに取り込まれる際に不正、腐敗の温床となるという理由から、19世紀後半から20世紀前 半にかけての政治改革の中で厳しい有権者登録制度が採用された。 南部においては、特に黒人を選挙から排除するために読み書き能力テスト、非常に厳しい登 録制度が設けられた。以下でも触れるが、南北戦争後、修正憲法によって黒人の投票権は認め 5 られていた。この規定によって、黒人であることを理由とする投票権の剥奪は違憲とされるこ とになったので、州は憲法によって投票に関して認められた権限を行使して、違憲にならない ように黒人の選挙権剥奪を行おうとした。 さらに元来、アメリカには投票権の積極行使を尊重する考えがあると言われている。公民権 運動によって、選挙権剥奪が禁止され、上記の二つの理由が否定されるようになった。しかし、 現在でも有権者登録制度がなくなっていない。アメリカでも有権者登録には憲法上疑義がある という指摘はわずかに存在するが5、有権者登録そのものをなくそうという議論よりは、有権者 登録をより使いやすく開かれたものにしようという議論が主流であり、改革・立法がなされて いる。そうした中で、有権者登録制度が残っているのは、この理由である。 第三節 有権者登録制度の 有権者登録制度の現状 国勢調査局の最新国勢調査によると,2002年大統領選挙時における有権者登録への登録 率は66,5%であり,人口にすると約1億2814万人である。最新人口調査から読み取れ る傾向としていくつかの点が指摘できる。人種を基準として区別をすると,白人や,ヒスパニ ック以外の白人が登録率60%後半と高く,次に黒人が62,4%で続く。そしてアジア系と ヒスパニックは有資格者の半分程度の登録率で極めて低い。性別では,男性よりも女性の方が 3,2%登録率が高い。年齢によって区別をすると,年齢が高くなるにつれて有権者登録率が 高くなっている。また,学歴で見ると,高学歴になればなるほど登録率が上昇している。失業 者と就業者を比較すると,10%以上就業者の方が登録率が高い。地域別に見ると,中西部が 高く,反対に西部が有権者登録率が低いという結果になっている。 2004年の大統領選挙では,接戦が予想されたためブッシュ,ケリー両陣営供に積極的に 有権者登録運動を展開し有権者登録率が2000年に比べて3%増加し選挙権がある人口の7 1%に達した。登録者数にすると1000万人の増加したことになる。増加した新規登録者は 6割の人々が民主党支持者である。6 第二章 有権者登録制度の 有権者登録制度の変遷と 変遷と黒人 有権者登録制度は、現在は特定の人種や、階級を差別するための制度ではない。この制度が 事実上、選挙への参加の障壁となることは否定しがたい。しかし、従来のように明確に下層労 働者、特に黒人を選挙から排除するための制度として作られ、その目的を達成するように運用 がなされていた時代とは大きく異なっている。 現在、米国市民と認められれば、選挙の有資格者となり、有権者登録ができるようになって いる。以前は、黒人層などの有権者を排除するために定められた制度であったのに、現在では 活動家らが積極的に有権者登録を行うように呼びかける状況になっている。 6 本論文は、特に黒人指導者の有権者登録運動に焦点を当て、それがどのように行われており、 どの程度の実績を上げたのかを調べるものである。そのためには、有権者登録制度がどのよう に変遷していったのか、そしてその背景にはどのような社会状況があったのかについて述べる 必要がある。 以下では、有権者登録制度が成立する以前と以後、そして有権者登録制度を大きく変えた投 票権法などを含む一連の公民権運動の影響、近年の有権者登録運動の萌芽とそれを支える国民 有権者登録法などについて黒人の視点から述べる。 第一節 苛烈な 苛烈な有権者登録制度以前の 有権者登録制度以前の黒人と 黒人と投票権 マシーン政治などによって黒人とボス政治家の癒着が問題視される以前は、選挙権を剥奪す るという趣旨での有権者登録制度は存在しなかった。17世紀のアメリカ植民地時代の初期の 段階で、黒人を終身奴隷として扱う法律がヴァージニアで制定されるなど、奴隷制度が確立し た。黒人をモノとみなし、白人のみによる民主主義が確立したため、黒人には投票権などは認 められなかった。 黒人の投票権が認められたのは、南北戦争での奴隷解放後のことである。最初に黒人に投票 権を与えようとしたのは、連邦議会の革新派の議員であった。黒人にも白人と同様に南部諸州 を支配する権限を与えるために黒人の投票権を認めようとした。北部諸州は黒人への投票権賦 与にあまり乗り気ではなかった。しかし、黒人に投票権を付与することによって常に野党的存 在の南部を支配しようと試み、再建法を制定した。これによって、南部11州に対して黒人に 投票権を与える法的義務を課した。さらに、修正憲法第十四条、十五条を制定した。前者では 投票する権利を奪った州に対して当該州に割り当てられている連邦議会議員の人数を減ずると 規定した。後者では、いかなる州も人種、皮膚の色、以前奴隷であったという理由で投票する ことを拒否したり、あるいは投票権を奪ったりすることができないと規定された。 有権者登録制度自体は、19世紀初期に最初は北部で導入された。マサチューセッツ州とメ イン州、コネティカット州などが最初に有権者登録制度を、行政のメカニズムとして導入し、 登録名簿に名前が記載されていないものは投票できないものとした。有権者登録制度は、新し いルールやテストを課すという目的と、ある者には投票権の行使を困難にし、ある者には容易 にするという目的で作られた。しかし、19世紀後半に導入されたような黒人に対してのみ厳 格な条件は存在しなかった。この有権者登録制度で、問題とされたのは財産の条件であり、そ れを財産評価人が有資格者のところまで行って、調査して登録を行うというやり方がとられて いた。 第二節 黒人排除の 黒人排除の有権者登録制度成立 7 ポピュリズムが民主党の主流になるとともに、民主党の有力地盤であった南部諸州では低所 得層の白人と黒人が提携して、白人の支配層を攻撃する可能性が強まった。このとき、白人と 黒人の間の溝を深くするために導入された政治的制度が有権者登録である。人頭税や読み書き テストを条件とすることで、黒人の投票権行使を事実上に不可能にした。7 投票権を持つ黒人が増加し、黒人による投票参加がなされるようになると、政府に官職任命 権をもつ政党と、官職任命権が可能にした、世話役としての政府と結びついた選挙民との依存 が起こるようになった。票は政府の公職を支配するための資源であり、政府の公職を支配する ことが今度は、政党の指導者が票を組織するときに用いる官職任命権につながる。こうして政 党マシーンが有権者を取り込んでマシーン政治が行われるようになった。マシーン政治は、投 票権を有する労働者や黒人などの多い大都市で行われ、多くの人々を動員した。ブリッジスは、 マシーン政治の研究において、黒人等の投票権が早くから広く認められていたことがマシーン 政治の広がりの説明として重要であると述べている。 こうしたマシーン政治の弊害を防止するという名目の下で、改革と称して登録についての条 件など投票権を制限する方法が実現された。8黒人に対する差別感情の強い南部諸州でも有権者 登録に条件が付けられるようになった。黒人の投票権を明確に否定することは、アメリカ合衆 国憲法修正第十五条によって認められないため、投票権に対して黒人であることに言及しない 条件をつけた。それによって、憲法規定には反しないが、黒人の選挙権を侵害することのでき る制度を作り上げた。 ジョージア州では、税の支払いが投票権の行使のために一般的な条件となって以降、投票税 が課せられるようになり、1877年に導入されると投票率は著しく低下した。1890年に はミシシッピ州でも、2ドルの投票税を支払うこととされた。これにより、ミシシッピ州の投 票率は読み書き能力との併用で17%にまで落ち込んだ。黒人は当時、奴隷身分から解放され てはいたが大変貧しかったために投票のために税を支払うことは不可能であった。 1890年に、ミシシッピ州は読み書き能力テストを実施した。このテストは、州憲法の「理 解」を確かめるものであった。選挙から排除されたものの中でも白人には例外的に投票権を行 使できるようにするための措置であった。 「理解」を確かめるということで、白人には簡単な文 章の読み方を、黒人には憲法の解釈などを行わせるなどしてこの目的を達成した。同じ目的を 達成するために、模範的人物規定が設けられた州もあった。よい人物に当たるかどうかは、州 の役人が決定することができた。 また、祖父条項も南部諸州の州憲法に盛り込まれた。規定の内容は、有権者の祖父が選挙権 を有していなかった場合には、その有権者には知能テストや投票税などの条件を課すとするも のである。南北戦争終了以前に投票権を有していた白人の子孫と、当時投票権を有していなか った黒人の子孫とを差別するために定められた。 8 その他には、居住条件も盛り込まれた。黒人が白人よりも頻繁に住居を変えることを計算し た上で、南部では、長期の居住条件を課した。ミシシッピ州では、州に2年、選挙区に1年以 上住んでいなければ登録が認められなかった。 また、有権者登録制度自体も州の立法によってよりコストが高く、より面倒で、より有権者 に不便な制度へと変わった。有権者登録制度の運用において、従来のように州や郡の役人等が 有権者を訪問して行うのではなく、有権者が州や郡の地方選挙登録事務所に行って登録をしな ければならない制度に変わった。これらの登録事務所は黒人の居住地区から離れていることが 多く、黒人にとって非常に不便であり、有権者登録を行うについて、制度上の障害があったと 言える。また、有権者登録の認定も黒人に対して非常に厳しいものであった。ルイジアナ州の 登録事務処理では、登録申請書に記入された文字が枠からはみ出しているという理由で、登録 係員が1500名の申請者のうち1300人の有権者登録を認めないなど事務処理のレベルで も黒人に対して厳格な措置が採られた。 これらの一連の規定、制度の運用によってミシシッピ州の投票率は80%から17%に、サ ウスカロライナ州の投票率は83,7%から18%に落ち込むという結果になった。南部全体 では、大統領選挙での投票率をみると1896年選挙においては57%あったものが、192 4年には19%にまで低下した。特に、黒人の投票率の低下についてみると、黒人の人口が3 0%以上を占める郡において、19世紀初頭における黒人の大統領選挙の投票率は5%にまで 低下した。そして1924年にまでなると0%となり、合衆国憲法で投票権が保障されていな がら、黒人の投票は事実上不可能になった。 第三節 公民権運動と 公民権運動と有権者登録制度の 有権者登録制度の条件緩和 19世紀後半から20世紀前半にかけて、黒人の投票権は、州議会や州政府の政治的、法的 な措置によって事実上行使することが不可能になった。しかし、1950年代からの教育、雇 用、住居、選挙、司法等の分野における人種差別に抗議し、人種間の権利の平等を要求する公 民権運動が高まった。その中で、様々な登録条件を要求することや、事務処理などの制度の運 用によって黒人を差別してきた有権者登録制度も変革された。 その変革においては、市民と裁判所が大きな影響を持った。キング牧師やマルコム X 師をは じめとする黒人による運動が、政府や州を動かすことになった。連邦最高裁判所もウォーレン コートが非常にリベラルな判決を下し、有権者登録制度の緩和に大きく寄与した。この点、ア レン・M・ポッターは、選挙に関する重要な問題は20世紀の中ごろまでは州の立法府や行政府 によって処理されてきた。しかし、1950年代から60年代にかけて市民、連邦政府ならび に連邦最高裁判所が有権者の資格条件およびその剥奪に関する問題など選挙制土壌の諸問題に 対する改革運動にかかわるようになった。それに伴って、州の自由裁量も小さくなっていった 9 と指摘する。 投票税支払い条件については、連邦議会によって投票支払い条件の撤廃の勧告がなされ、1 951年までにすべての州で投票税規定が撤廃された。そして、1964年に合衆国憲法修正 二十四条が制定され、予備選挙を含む連邦公務員選挙で投票税を課すことが禁止された。連邦 最高裁判所においても、ハーパー対ヴァージニア州選挙委員会判決で連邦レベル以外の選挙に おいても人頭税が未納であることを理由に投票権を剥奪することは違憲であるとした。これに よって、黒人は投票税を支払っていなくても有権者として登録を行うことが可能になり、すべ ての選挙で投票することができるようになった。 有権者登録を行う際に課される読み書き能力テストについては、形式的には黒人と白人に対 して平等にテストを課しているという主張によって一時は違憲判決を免れた。しかし、196 5年の投票権法によって司法省に投票手続きを監視する権利を認め、州が読み書き能力テスト 行う場合には司法長官の行政指導を受けなければならないとされた。そして、1970年の投 票権法改正において、登録の条件としての読み書き能力テストは全国のあらゆる選挙で停止さ れた。 祖父条項はギン対アメリカ合衆国判決で連邦最高裁判所によって違憲とされ、居住期間要件 も次第に条件が緩和され、1970年投票権法によって全国共通の基準が設定され、ある州に 30日間居住すれば、その人に投票権を奪われるようなその他の理由がない限り、すべての市 民が大統領選挙に投票できるようになった。 有権者登録制度の事務処理上の差別についても、連邦議会によって登録申請上の小さな誤り を理由に投票する権利を剥奪してはならないとされた。 第三章 ルイス・ ルイス・ファラカン師 ファラカン師の有権者登録運動 19世紀末から20世紀初めに厳格な条件と事務処理によって黒人の投票権行使を阻んだ有 権者登録制度も、1950年代から始まる公民権運動の流れの中で、連邦政府や連邦裁判所の 関与を経ながら法的には完全に有権者登録を行えるようになった。そして、1993年に制定 された国民有権者登録法によってさらに登録を行いやすくなった。そうした中で、1960年 代から黒人の有権者登録を促進するための運動がさらに加熱することになった。 1980年代、そうした黒人有権者登録運動を行ったのが、民主党の大統領候補に立候補し たジェシー・ジャクソン師であった。そして1990年代に最も大きな動員力を誇り、大規模 な有権者登録運動を行ったのがネイション・オブ・イスラム(NOI)のルイス・ファラカン師であ る。ファラカンは、1984年の大統領選挙でジャクソンに協力している。本章では、ファラ カンその人と NOI について概観する。 10 第一節 ルイス・ ルイス・ファラカンと ファラカンと NOI ルイス・ファラカン ファラカンは、1933年5月11日にニューヨーク市に生まれる。彼の母は、貧しいなが らも彼が幼いときより音楽、文化、歴史について教育した。彼は黒人新聞、黒人雑誌に囲まれ た。NOI の自伝では、こうした母の姿について厚く書かれている。勤勉、勤労、独立の精神、家 庭生活の重要性など彼が現在唱え続けている主張は、彼の幼少期の家庭環境が大きな影響を与 えていると考えられる。 幼いときより習ったバイオリンの才能を発揮し、ショービジネスの世界に入る。その時期に、 NOI のエライジャ・ムハンマドと出会い、家族で改宗し、教団の活動に専念することになった。 教団の中で、彼はマルコム X の下につき、劇や音楽の才能を生かして、エライジャのメッセー ジを広めるとともに資金集めにも尽力した。そして、1956年以降 NOI の11番寺院の院長 になり、NOI の中でその寺院を最も強力な寺院にするなど、教団の中で確固たる地位を築いてい った。そして1965年には、エライジャのスポークスマンとして教団を代表するようになる。 そして1975年エライジャが死亡すると、息子のウォーレスがエライジャの掲げたイスラ ムの信仰を捨て、正統なイスラムの信仰へ転換した。ファラカンは、1978年に穏健なウォ ーレスの教団から脱退した信者を再結成して、エライジャの教えを掲げて NOI を再建した。 NOI を再建したファラカンは、ニューヨークでラジオ番組を持つようになり、エライジャの教 えを全国へ広めた。また、1979年から NOI の新聞であるファイナルコール紙を作り、NOI の 信仰や自らの演説や紙面に載せ、信者に伝えている。1980年代に入ると、NOI のための活動 として、ファラカンは従来から行っているラジオ番組に加えて、テレビに登場したり、インタ ーネットが普及し始めるとインターネットでも自分の演説などを行うようになった。そして百 万人大行進を成功させ、現在最も動員力のある政治指導者とされている。 ネイション・オブ・イスラム(NOI) 現在、アメリカには推定で600万人から800万人のムスリムがいると言われている。そ の中でイスラム国からの移民のムスリムを除いた、ネイティブのムスリムはほぼ黒人であり、 アメリカ在住のムスリムの約40%を占めている。9イスラムへの改宗者はほぼすべてが黒人で あり、そのうちの多くは元キリスト教徒である。黒人改宗者の多くが正統なイスラムに改宗す るが、一部が NOI などの特異な教義を持ったイスラムに改宗する。現在、NOI の信者は正確に公 表されていないが、一万人から十万人の間だと推定されている。10 NOI は、1930年にデトロイトでウォーレス・ファード・モハメドによって設立された。当 時、大恐慌によって職を失った黒人は、福祉事業からも切り捨てられ、仕事を失った白人から 迫害を受けていた。そうして白人への憎悪を募らせた黒人たちは福音書を棄てて、原生的な救 11 済者を望んだ。そこで、絹織物の行商人であったフォードがそうした黒人たちをひきつけ、NOI を設立した。 設立後3年間で8000人の信者を獲得すると、ファードはその中にいたエライジャは教団 内で急速に力をつけ、教団の牧師の中の長になった。そして、1934年にファードが姿を消 すと、教団の指導者となり、自らをアラーの預言者と名乗るようになる。 エライジャの教義はコーランを聖典としながらも、黒人社会に広まっているその教義にはコ ーランの影響はきわめて小さい。エライジャの教えたイスラムは、アメリカ黒人のための信仰 としてのイスラムであり、正統派のイスラムとは教義の面でかなり大きく異なっている。特に、 神と預言者に関する教義が正統派のイスラムとは違い、創造主であるアッラーは黒人男性であ ると説き、現代の神はファードの姿をして現れたとされている。そして、エライジャは神であ るファードから啓示を受けた預言者であると位置づけた。そして、白人を悪魔と呼び、神であ る黒人と敵対する存在としてみていた。こうした点が、現在でも NOI をカルト団体とする見方 につながっている。 そして1947年マルコム X が入団すると、 彼はエライジャのスポークスマンとして活躍し、 NOI の教義である黒人と白人の隔離を訴え、ブラックナショナリズムを提唱した。今日、NOI の 政治活動でも大きな役割を果たすヒップホップ歌手の中でも、マルコム X のカリスマに引かれ て NOI の教義に親しむようになったものは多い。しかし、マルコム X は1964年にメッカ巡 礼に参加したのをきっかけに、従来の NOI の教義に対して疑問を抱くようになり、独立した団 体を設立して脱退した。 1975年に指導者であったエライジャが死亡すると、それを引き継いだウォーレスがブラ ックナショナリズムが色濃く出ている教義を正統なイスラムのそれに入れ替え、教団名も NOI からアメリカ・ビラリアン共同体に変更した。また、教団内での人種に対する考え方も変えよ うとし、白人を悪魔と呼び、現政権の転覆を主張したものから、人種の調和、兄弟愛、アメリ カの愛国心を公言するようになった。こうした、変更に対しては従来の NOI の信者からの反発 も強く、脱退者が多く出た。 1978年にそうした脱退者を集め、ファラカンは、会員を黒人に限り独立の社会の構築を 目指す新しいネイション・オブ・イスラムを再び設立した。そして、近年、「百万大行進」や「百 万家族大行進」などの巨大な黒人運動を行い、有権者登録を行うなど政治との関わりが大きく なってきている。 第二節 ファラカンの ファラカンの思想・ 思想・活動 従来のNOIの得意な教義を大規模な改革を行い、正統なイスラムに変更したファードに反 発した者たちによって現在のNOIは再結成された。それは、エライジャの特異な教義を受け 12 継いだこととなり、穏健なファードの団体とは相容れない極端な教義を信じるものであり、フ ァラカンの教えが及ぶ範囲は狭くならざるをえなそうである。 しかし、実際のファラカンの動員力を見ると、多くても10万人といわれるNOIの信者の 数を軽く上回る数の人々を集めることができる。ファラカンの行った史上最大規模の黒人運動 である百万人大行進は、警察発表でも40万人を集めたとされる。 ファラカンに動かされる人々は、ファラカンのどんなメッセージに惹かれて彼を支持するの であろうか。そして、異端的な教義と信者数を超えた多くの人々の支持との間にある矛盾はど のように解消されるのか、考察したい。 ファラカンは、エライジャのNOIを再建したことからもわかるように、現在でも勤勉、勤 労、節制、自助の精神、共同体意識などを非常に重視しており、彼のメッセージの中核になっ ている。そしてそれらが具体的な問題に対する主張の中でどのように表れているか、見てゆき たい。 まず、ドラッグ・犯罪についてである。黒人の若者の間ではコカインやヘロインをはじめと するドラッグが広まっており、犯罪の原因ともなっている。そして、黒人たちの多くは、政府 がそうした状況の起こりやすい社会にしているとの不満を持っている。こうした問題に対して ファラカンは、ドラッグの広まりを悪魔の計画と呼び、コカインやマリファナによって若者た ちの力、怒りや憎しみを外にではなく自分たちに向けさせるための試みであると言う。そして、 ドラッグの拡散が、犯罪に、特にファラカンが最も懸念する黒人による黒人へのストリート犯 罪や暴力につながることを恐れている。 NOIはそうしたドラッグの拡散に対して、優先的課題として直接的な行動をとっている。 NOIには、訓練を受けた兵隊の組織であるフルーツ・オブ・イスラムが存在しており、19 80年代後半から大都市を中心にパトロール活動を行い、ドラッグの広まっている黒人居住地 を周り、 「ドラッグの撃退者」としての役割を果たそうとしている。こうした活動は、ニューヨ ーク・タイムズで紹介されるなどして、市民の尊敬を勝ち取っている。 貧困についてファラカンはどのように考えているか。貧困に対してはファラカンは、自助独 立の精神を持つべきだと考えており、アメリカの福祉制度を拒絶している。ファラカンは、優 遇政策や福祉政策が黒人の依存心を強め自立を妨げていると捉えており、国家に福祉政策を要 求するよりも、黒人の独立を助けるプログラムに着手している。代表的なものが、1985年 より始まったPOWERプログラム(People Organized and Working for Economical Rebirth) であり、そこでは、飲食業や服職業、出版業の黒人による起業を促進している。こうして「福 祉から現場へ」のスローガンを実現しようとしている。 家族について。ファラカンはこれ最も重視している。彼は、黒人家庭の崩壊が黒人社会の発 展を妨げている最大の問題であると考えてきた。ファラカンは、家族の理想として、独立し、 13 高い倫理観を持ち、家族を守ることのできる夫と、温和で思慮深く、夫や子供、家庭にしっか りと気配りのできる妻による核家族を考えている。そして、夫は他の神など信じないように、 自分の妻以外の女性に目を向けるべきではないと述べている。こうしたファラカンの主張は非 常に保守的なものである。 しかし、女性に対しては、エライジャが女性を男性よりも劣った存在と捉えていたのに対し て、宗教的な男女差別に否定的であり、積極的に登用した。「神は性別論者ではない。」との発 言に現れている。しばしばNOIは男性限定の会合などを開いているが、そうしたファラカン の考えを反映して、近年積極的に女性限定の会合を催している。また女性登用の点では、アヴ ァ・ムハンマド師とティネッタ・ムハンマド師が教団の中でも重要な教義の解釈者、スポーク スマンとして活躍している。そして福祉政策には反対しながら、女性の雇用の機会均等を図る 積極的差別是正措置には肯定的である。 ただし、同性愛者について、ファラカンは嫌悪感を抱いている。神の与えた秩序に反するも のとして、病んだ社会を産むことになると非難している。 黒人の政治参加について、エライジャは政治活動には反対していた。黒人の経済的独立を重 視し、ファラカンもそれを重視している。しかし、ファラカンはエライジャの死後、禁止され ていた有権者登録を自ら行い、有権者登録運動を行うなど積極的に政治とかかわろうとした。 しかし、基本的にNOIは悪魔の社会は変えることはできないと考えており、悪魔の民主主義 に参加することは拒否するべきであると考えている。 しかし、ファラカンはジェシー・ジャクソンの選挙活動に協力している。政治との拒絶を基 本としながら、政治にかかわってゆこうとする姿勢の間にはどのような考えがあるのか。それ は彼の第三勢力構想にあると考えられる。彼は、黒人を中心に社会的周辺に追いやられている さまざまな人種、民族、宗教集団によって構成される党派性のない政治連合を構築しようとし ている。ファラカンは現行の制度に強い不満を持っている。その中で、有権者登録運動などそ うした現行の制度に対して抵抗してゆくことで、この第三勢力構想を実現しようとしているの ではないかと思われる。有権者登録運動は、現行の制度の下で、非白人と白人の間で登録率に 差が生じている制度の現状に抗する意味合いが含まれている。 では次に、ファラカンの強力な動員力と極端な教義の矛盾はどのように解消されているので あろうか。この点については、極端な教義が変容していると言える。ウィーレスを中心とする イスラム教団や北米イスラム協会などの正統派イスラムに対しては、ファードやエライジャに 対する名称を、従来と変更することによって、正統なイスラムに接近させようとした。 黒人協会に対しては、エライジャはキリスト教を奴隷制の宗教と呼び、白人を悪魔と呼んで 批判してきた。しかし、ファラカンは1984年にバプティスト教会の支持するジャクソンを 支持した。そして、多くの黒人教会で説教を行い、両者の宗教における信仰の共通性を訴えて 14 いる。 またユダヤ人とファラカンの関係は従来は論争的であった。ファラカンの「ヒットラーは偉 大な人 物であった」との発言にユダヤ人グループは一斉に非難した。ファラカンにはそれ以降ずっ と反ユダヤ主義者であるとの評価がなされた。しかし、ファラカンはイスラムとユダヤの唯一 絶対的な神への信仰という共通点を強調し、ユダヤ社会とも和解をしてゆこうとしている。 ファラカンは自らの主張・教義をより穏健なものに変更し、諸宗教との和解によって現在の 強力な動員力を有するに至った。また、彼の唱える価値観は非常に倫理性の高いものであり、 イスラムに限られない層の共感も得ている。こうして得られた動員力は、ファラカンの演説会 や選挙キャンペーンで発揮されている。11 第三節 ファラカンの ファラカンの支持者 ファラカンの支持者はどのような人々であろうか。第4節でファラカンの有権者登録運動の 方法を検討する際に効果的な運動を考えるという意味で必要な問いである。 NOIの信者はもちろんファラカンを支持している。しかし、NOIの信者数はわずか10 万人以下であり、他の宗教団体や利益団体と比べると規模はとても小さい。しかし、百万人大 行進でファラカンは40万人以上の人々を集めたのであり、信者を超えてファラカンを支持す る人々が存在する。 この節では、NOI最大の黒人運動である「百万人大行進」の参加者の特徴を見ることによ って、ファラカンの支持者はどのような人々であるのか考察したい。 まず、参加者の60%は白人に対して、40%はユダヤ人に対して否定的な印象を持ってい る。また、参加者の3分の1がファラカンへの支持を表明するために参加している。ファラカ ンに好意的な印象を持つものは全体の9割にも及んだ。 そして階級的に見てみると、大行進は新しく拡大しつつある黒人中流階級を惹きつけている ようだ。3分の2は収入が3万ドル以上の人々、さらに、全体の5分の1の人々が年収が7万 5千ドル以上である。これは、全国平均をかなり上回っている。また、彼らは4分の3が大学 に入学しており、3分の1以上が大学を卒業している。彼らはファラカンの提唱する独立の精 神に強い共感を抱いて、ファラカンを肯定的に捉えているのではないかと思われる。 また、婚姻率を見ると、独身が半分で40%が結婚している。そして離婚者を含めて3分の 2の人々に子供がいる。結婚している人々の40%が、子供や親などの家族とともに大行進に 参加している。結婚していて、収入がある人々に対してはファラカンの家族間は親和的であろ う。 年齢を見ると、参加者の75%が45歳以上であり、さらに全体の40%が30歳以上45 15 歳未満である。この点から見ると、大行進に参加しているものはかなり若い。さらに、黒人社 会でもファラカンを支持している人々には若者が多い。 そして性別では男性が圧倒的に多く、女性の参加率は10%以下であり、ほとんどの人々が 行進は男性に焦点を当てて開催されていると考えている。 宗教を見ると、イスラムだけでなくさまざまな宗教を信じる人々が参加している。NOI信 者は全体の5%に過ぎず、他のムスリムは6%である。全体の半分を占める人々はプロテスタ ントであり、7%がカトリックである。ファラカンの宗教との和解が成功し、彼の唱える価値 観に共感した人々が宗教を超えて参加していることがわかる。 また、百万人大行進にはさまざまな宗教団体をはじめとする団体が参加している。代表的な 団体としては、都市連合、すべてのアフリカ系の人々の革命党、オペレーション・プッシュ、 人種間平等会議、南部キリスト教指導者会議などが挙げられる。団体としては参加しているが、 指導者は運動を静観している団体としては、全米黒人振興協会がある。 第四節 ファラカンの ファラカンの有権者登録運動の 有権者登録運動の方法 以上のようなファラカンの思想や支持者から、どのような有権者登録が採られているのであ ろうか。ファラカンの有権者登録運動は彼の選挙動員活動と密接にかかわっており、NOI の展開 する運動は、全国的な選挙動員キャンペーンや NOI の下位組織である、街頭や大学での広報活 動に加え、投票当日に黒人家庭を訪問して投票を呼びかける活動、ラップやヒップホップ歌手 との合同イベントの開催、インターネットやラジオを通じた広報活動、そして全米黒人政治参 加促進連合など他の黒人組織との協力など多岐にわたる。12本節では、まず、近年の有権者登録 で広く一般的に行われている手法について述べ、さらに、ファラカンにしかできない有権者登 録促進運動の手法について述べる。 第一節 一般的な 一般的な有権者登録促進運動の 有権者登録促進運動の手法 まず、戸別訪問など従来からの有権者登録促進運動の手法がある。そして電話の普及やコン ピューターの登場によって、正確に未登録者に働きかけることが可能になった。現在では、イ ンターネットによって有権者への教育を行うとともに有権者登録を促す目的のウェブサイトも 充実している。13また近年、人々の集まる地方の公共的な施設などを利用した有権者登録運動も 盛んに行われ始めた。特にその中心となっているのが教会である。14 従来型の方法としては、戸別訪問やショッピングモールなどにブースを置いて有権者登録を 促すという行動がある。NOI は非常に整った組織機構を内部に持っている。全国に7箇所の支部 を持ち、ファラカンの下には教育や政治など部門別に指示を出すことのできる組織がついてい る。NOI はそうした整った地方支部を利用して、従来型の直接的な有権者登録を行っている。 16 そして、現在ではコンピューターを用いた有権者登録促進運動も盛んである。運動へのコン ピューターの利用は1984年大統領選挙で共和党によって利用された。共和党は従来型の直 接的な接触による方法では、すでに有権者登録率の高い白人層の中から未登録の人々を探し出 して登録を促すことが非効率であり、運動の効果を民主党以上にあげることができなかった。 そこで用いられたのが、有権者登録事務所や信用調査所、運転免許証発行所、財政雑誌や地方 の登録所からデータを集めて、効果的に運動を行える地域を割り出し、そこに集中して電話な どによる有権者登録運動を行う手法である。 NOI は、ラジオ番組やファイナル・コール紙を有しており、それらのメディアを通して有権者 登録を呼びかけている。ファラカンは、ラジオやテレビ、インターネットなどのメディアを積 極的に利用している。特に1980年代以降はそうした活動によって自らの政治的主張などを 発表している。 ファラカンは、宗教指導者であることを活用した、教会での有権者登録運動も行っている。 教会を有権者登録運動の場所として有効に使い始めたのは、共和党を支援する宗教右派であっ た。1984年の選挙では、宗教右派は自分たちの信者に大量の手紙を送り、地域における登 録運動に参加するように呼びかけている。そうした戦略のとられた教会は全米で300以上に 及び、彼らは教会でも聴衆に対して登録を行うように呼びかけている。 ファラカンもこうした教会での説教を通して有権者登録の促進を図っている。ファラカンが 説教を行う集会には平均1万5千人から2万人が出席するといわれている。そうしたファラカ ンのカリスマ的な動員と説教によって以前白人と比べると低い状況にある黒人の有権者登録率 や投票率を改善しようとしている。黒人の運動家にはキング牧師をはじめとしてジェシー・ジ ャクソンなど牧師など宗教的リーダーが多く、ファラカンもその一人として自らの政治的資源 を生かしていると言える。 NOI は有権者登録のために巨大なキャンペーンも行っている。その最大のものは、百万人大行 進である。百万人大行進の参加者数は、警察発表の40万人から主催者側の発表の100万人 とも言われており、この行進に参加するためには有権者登録を行うことが必要であった。15NOI では各地の支部を使って、この行進に参加する人々のためのツアーを組んだ。そしてこのツア ーに参加することの条件として、有権者登録をすでに行っている、または有権者登録を行って いない場合は登録用紙を持ってくることとしている。行進に参加した人々の80%は政治に高 い関心を持っており、すでに有権者登録を行っているが、行進に参加した若い人々の中で未登 録のものがこのキャンペーンを通して登録した。16百万人大行進では、ファラカンは800万人 の黒人に有権者登録をさせることが目標であるとした。この運動の影響は、全米国人政治参加 促進連合によると1994年に59%だった黒人の有権者登録率が1996年には64%に増 加しており、百万人大行進の影響が増加のもっとも大きな要因と捉えている。 17 第二節 ファラカン独自 ファラカン独自の 独自の有権者登録促進運動 以上のような一般的な有権者登録運動のほかに、ファラカン独自の強みを生かした手法が用 いられている。それが、ラップの運動への利用である。メッセージを若者に届けるファラカン の能力はラップの運動と結びついて、ブラック・イスラムを都市の若者文化に必要不可欠のも のとし、古い政治的リーダーに信頼を見出せない黒人の若者という新しい世代に熱狂を与えて いる、と指摘されているように、ファラカンやマルコム X,エライジャなどの NOI の教義に影響 を受け、民族を意識するようになったラッパーを利用している。 ブルースをはじめとする黒人音楽は奴隷としての悲哀を歌ったものであるが、ラップはそれ とは異なった精神的な起源を持っている。ブルースは黒人の苦しみを耐え受け入れることを歌 い上げているが、ラップは、対照的に早く攻撃的であり、エネルギーに満ちている。ラップは、 黒人やヒスパニックなどの都市の若者の文化に欠かせないものとなった。 当初、セックスや暴力、ドラッグを表現したラップを、自分の信条とはかけ離れたものとし てファラカンは好んでいなかった。しかし、1980年代半ばになると次第に、政治的な起源 を持つメッセージ・ラップが現れ始める。メッセージ・ラップは黒人の若者に対しては、現在 では最も影響力のある政治的な音楽のジャンルであり、警察による暴力や搾取、貧困、ドラッ グ、暴力や民族対立など様々な話題について歌っている。 2ブラック2ストロングやディスポサブルヒーローズ・オブ・ヒポクリシーは北米で大変人 気のあるラップ歌手であり、彼らはブラックナショナリストのイスラムの伝統を歌っている。 他にもファラカンを賛美した曲を歌うラッパーも多数いる。また、ファラカンはそれらのアー ティストのアルバムに参加するなど、彼らと積極的に関わっている。ファラカンのそうした姿 勢は、彼が幼少期から音楽に関わってきたこととも無縁ではないだろう。黒人の若者たちは NOI の教義を、ラップを通して聞いているので、黒人の好戦的なイスラムのメッセージの拡大にラ ップミュージックの果たした役割は過小評価できない。17 そしてファラカンはそうしたラップの持つ力を有権者登録などの選挙動員にうまく利用して いる。ファラカンは、ラッパーらと合同イベントを開き、そこで有権者登録を訴えている。18現 在の登録率は登録率を見ると、第1章で触れたように、年齢が若いほど登録率は低く、また白 人と比べると黒人の有権者登録率は低い。そうした状況で、ラップによってファラカンの発言 力を高め、NOI の教義を広めることは非常に有効である。 第四章 結語 公民権運動まで、黒人は投票権を憲法で保障されながら、それを行使することができなかっ た。そこで大きな障害となった制度が有権者登録制度であった。公民権運動によって一定の年 18 齢以上の市民であれば誰でも登録が可能になり、未登録者が増加するとともに、登録のミスに よって投票ができないなど登録制度の弊害が顕著になってくる。それでも有権者登録はより登 録を容易にする改正を加えて現在までなくなっていない。投票を権利の行使ととらえ、市民の 積極的な関与を重視するアメリカの考え方が現在の制度を支えている。 そして近年、有権者登録促進運動が他の選挙活動と合わせて行われるようになり、未登録者 をより多く自分の支持者にしようと政党や各団体が争っている。戸別訪問やコンピューターを 使った新しい手法、大規模なキャンペーンなどによる有権者登録促進運動を行い、未登録者を 取り合っている。NOI のルイス・ファラカンは、イスラムの信仰を唱えながら、高い倫理性や宗 教心を持ち、イスラムという枠を超えて幅広い黒人層の支持を得ている。そして上記の一般的 に用いられている有権者登録促進運動に加えて、未登録者の多い黒人の若者層に訴えかける、 メッセージ・ラップというソフトによる手法を用いている。この手法は現在のところ最も政治 に取り込みにくい若者をひきつけている点で成功している。 個人の人気によって投票をさせることは、アメリカだけでなく日本でも行われているが、必 ずしも成功しているわけではない。しかし、個人的な人気を利用して政治に関心を持たせ、有 権者登録を行わせるという点では有効である。今後の有権者登録運動にもファラカンの成功が 与える影響は大きいだろう。 註 1 アレン・M・ポッター,ピーター・フォザリンガム,ジェイムズ・G・ケラス『アメリカの政治』 (東京創元社.1988), 2 今村浩,三好陽『巨大権力の分散と統合―現代アメリカの政治制度』 (東信堂,1997),p19 3 Frances Fox Piven,Richard A.Cloward,Why American Dont Vote (Pantheon Books,1989),p264 4 U.S.CENSUS BREAU,Voting and Registration in the Election of November 2002 5 Deborah S.James,Voter Registration:A Reconstriction on the Fundamental Right to Vote: The Yale Law JouenalVol.96:1591.(The Yale Law Journal Company,1987) 6 東京新聞,2004年10月29日 7 阿部斎,久保文明,加藤普章『北アメリカ―アメリカ・カナダ 国際情勢ベーシックシリーズ』 (自由国民社,1999).p130 8 投票権剥奪のための法改正については、太田俊太郎『アメリカ合衆国大統領選挙の研究』(慶 應義塾大学法学研究会,1996),阿部竹松『アメリカの政治制度』 (勁草書房,1993),Piven らの 著書を参照. 9 10 (注、松岡) http://religiousmovements.lib.virginia.edu/nrms/Nofislam.html 19 11 青葉和明「黒人のリーダーシップについての一考察―ルイス・ファラカンと「ネイション・ オブ・イスラム」の変容を中心に」 (2002) 12 13 同上 p36 投 票 を 促 進 す る サ イ ト と し て は 、 Congress.org(www.beavoter.org) 、 I want to Vote.com(www.iwanttovote.com), Declair Yourself(www.declareyourself.com),Registar and Vote2004,( www.registerandvote2004.org) などを参照。 14 Piven,p190 15 Tampa Tribune1995,Oct 7 16 Wasignton Post 1995,Oct17 17 Mattias Gardell, Countdown to Armaggedon : Louis Farrakhan and the nation of Islam (London : Hurst & Company , c1996),p295 18 Final call Mar 6, 2004 など参照 参考文献 阿部竹松『アメリカの政治制度』(勁草書房,1993) 太田俊太郎『アメリカ合衆国大統領選挙の研究』 (慶應義塾大学法学研究会,1996) アレン・M・ポッター『アメリカの政治』 (東京創元社.1988) 今村浩,三好陽『巨大権力の分散と統合―現代アメリカの政治制度』 (東信堂,1997) 青葉和明「黒人のリーダーシップについての一考察―ルイス・ファラカンと「ネイション・オ ブ・イスラム」の変容を中心に」(2002) 五十嵐武士,古矢旬,松本礼二『アメリカの社会と政治』(有斐閣,1998) 明石紀雄,飯野正子『エスニック・アメリカ』(有斐閣選書,) William Claggett,Reported And Validated Voter Registration :American Politics Quarterly Vol.18,No.2(Sage Periodicals Press,1900) Mattias Gardell, Countdown to Armaggedon : Louis Farrakhan and the nation of Islam (London : Hurst & Company , c1996) Frances Fox Piven,Richard A.Cloward,Why American Dont Vote (Pantheon Books,1989) Deborah S.James,Voter Registration:A Reconstriction on the Fundamental Right to Vote: The Yale Law JouenalVol.96:1591.(The Yale Law Journal Company,1987) Everett Carll Ladd,Participation in American Elections:Voting and American Democracy (University of Hartford,1990) 20
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