第 11 回 AI(人工知能)と産業・雇用

情報産業論
情報通信技術の最新動向と情報通信産業の発達
第 11 回
AI(人工知能)と産業・雇用
1、第 3 次 AI ブームの到来
(1)第 1 次~第 2 次 AI ブーム
コンピュータだけでなく多数の端末がネットワークに接続することによって、
モノがつながったネットワーク(IoT、第 10 回参照)を通じて集積される膨大
な情報=ビッグデータを、リアルタイムで集積・解析し、判断の高度化や自動
制御することが求められており、AI(Artificial Intelligence:人工知能)が
欠かせない技術となっている。
AI に関する技術はまず電子計算機=コン
ピュータの登場(第 1 回参照)とともに 1950
年代後半から 60 年代にかけてコンピュータ
に推論・探索させて特定の問題を解くプロ
グラム(難解な定理の証明やチェスやオセ
ロなどのゲームの対戦:第 1 次 AI ブーム)、
1980 年代には特定領域の専門家の知識から抽出し
た論理的ルールをコンピュータに記憶させ、質問に
答えたり問題を解いたりするプログラム(分光計の
計測結果から化合物を特定したり、染性血液疾患を
診断するエキスパートシステム:第 2 次 AI ブーム)
とう形で研究が進んできた。しかしながら、コンピ
ュータの処理能力の限界や、システム自体に学習能
力がないことなどによって、複雑な現実世界の問題
を解く段階までは至らなかった1。
日本でも 1982 年に当時の通産省(現経済産業省)が
570 億円を投じて「第五世代コンピュータ」プロジェクト
を立ち上げ、ICOT(新世代コンピュータ技術開発機構)
が人工知能によって自然言語を理解するコンピュータの
開発を目指したが、完成したのはアプリケーションの
ほとんどない、処理続度だけが高度化しただけのマシン
(並列推論システム)であり、1980 年代から始まる
コンピュータのダウンサイジング化の流れに反する結果となった。
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(2)IoT、ビッグデータと AI(第 3 次 AI ブーム)
これに対して、①画像、音、熱、光、電磁力、圧力などを検知する多様なセ
ンサーが低廉化して大量に普及し、②これらのセンサーがネットワークに繋が
ることによって外部環境を膨大なデジタル情報(データ)として取得すること
が可能になったことに加えて(IoT、第 10 回参照)
、③マイクロプロセッサ技術
の発達とこれに伴うコンピュータの計算能力の飛躍的な拡大によってコンピュ
ータに集積されるこれらの大量の情報(ビッグデータ)を瞬時に計算・処理す
ることが可能になった。
(3)機械学習~ディープラーニング
これに加えて、1990 年代以降インターネットの発達に伴い、コンピュータの
側でも機械学習(意味は特に考えず、
単に機械的に、正解の確率の高いもの
を当てはめていくことを繰り返す手
法)によって、膨大なデータ(特にイ
ンターネットなどの開放的なネット
ワークを通して収集されるデータ)か
らルール、知識表現、判断基準などを
抽出し、アルゴリズムを発展させる技
術も発達していった。コンピュータ=
機械が自ら学習し、さらに予測まで行
うことが可能になったのである。
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さらに、2010 年代になる
と機械学習の段階では人間
が与えていたパラメータ(特
徴)を、コンピュータ自身が
学習することによって抽出
していくディープラーニン
グ(深層学習)の手法によっ
て、機械=コンピュータがさ
らに自律的に処理を行える
可能性が高まり、現在の第 3
次 AI ブームにつながってい
る。
例えば Google 傘下の企業が開発した
「 ア ル フ ァ 碁 」( AlphaGo 、 Google
DeepMind 社によって開発された囲碁
プログラム)は過去の膨大な対局の記録
のデータを学習するだけでなく、自らも
対局を繰り返すことによって勝敗を分
ける要素を見つけ出すことを学習していったと言われている2。
またヒューマノイドロボットの Pepper3も人
間の表情・音声から感情を認識する学習するだ
けでなく、Pepper たちがネットワークを通じ
て AI に接続されており(クラウド・コンピュ
ーティング)、それぞれの Pepper 個体が収集し
たデータをアップロードして学習して、それら
を集合知として利用する事で加速度的に成
長・進化していくという仕組みを持っている。
これに対して Microsoft 社が Tay は Twitter 上
でユーザが話しかけた内容に対して意味のある
返事を書き込むように開発されたボットであるが、
ユーザが話しかる情報が偏ってしまうと当然の
ごとく差別的な発言を繰り返すようになる。
3 フランスのアルデバランロボティクスと同社に出資するソフトバンクグループ傘下のソ
フトバンクモバイルにより共同開発された感情認識ヒューマノイドロボット。
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2、AI と情報通信産業
(1)産業の AI 化と AI の産業化
インターネット(Web1.0)から Web2.0 やクラウド・コンピューティングへ
のネットワークの進化によって情報通信産業のビジネスの中心はハードウェア
やソフトウェア、そしてネットワークそのものではなく、これらを活用してど
のようなサービス(広告や販売)を消費者に提供するのかに比重が移ってきた
(第 9 回参照)。さらに IoT(モノのインターネット)によって膨大な情報=ビ
ッグデータを集積・解析し、これらのサービスに提供するために情報通信産業
だけでなく、あらゆる産業にとって AI の活用が欠かせなくなっている。
例えば政府や日本銀行からは経済統計以外にも連日のように膨大なテキスト
情報が公表されているが、これらのテキスト情報を
AI が解読して定量化してエコノミストが景況判断を
行う際のサポートに使うことが可能になる4。また医
療分野においても画像認識の精度が飛躍的に向上し
たことで、膨大な画像情報をディープラーニングに読
み込ませることによって患者の様態を診断すること
が可能になっている5。スマートフォンからのユーザ情報をもとに AI がファッシ
ョンセンスを学習し、電子商取引のサイトを通じてコーディネートを提案する
ようなサービスも始まっている6。
4
野村証券は、ディープラーニング(深層学習)を活用し「売り上げが戻っている」など、
約20万件に及ぶ企業の景況感に関するテキスト情報をコンピュータに読み込ませ文章と
景気認識の関係を覚えさせた。内閣府が毎月発表する月例経済報告や日銀の金融経済月報
などを解析。資料に込められた政府や日銀の景況感を独自に数値で示している。
5 米サンフランシスコ発の Enlitic 社は CT スキャンや MRI、顕微鏡写真、レントゲン写真
などあらゆる画像をディープラーニングに読み込ませ、ガン腫瘍の特性を解析。解析結果
と遺伝子情報とを組み合わせることで、人間よりも精度が高く短時間に診断をすることが
できるようになった。
6 東京のベンチャー企業カラフル・ボード社はスマホアプリ SENSY を通じて集められた情
報からユーザがどんな服を選んでいるたかのデータを蓄積、AI がユーザの服のセンスを学
習して国内外の電子商取引サイトからユーザの好みに合うアイテムを紹介する仕組みを構
築している。
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もちろんこれらのサービスを提供するためのシステムを開発しているのは情
報通信産業である。特に人工知能の技術の中心であるディープラーニングの分
野でその精度をあげている IT 企業として
代表的なのが「アルファ碁」に代表される
Google と同時に、かつてのコンピュータ
ハードウェア産業の雄であった IBM であ
る。IBM が開発した質疑応答システムの
「ワトソン」(Watson)は人間から自然言
語で問われた質問を理解して、文脈を含め
て質問の趣旨を理解し、人工知能として大量の情報の中から適切な回答を選択
し、回答するシステムである7。クイズ番組での登場から現在では後述する金融
サービスや、個人の健康データを分析することで、個人が客観的な示唆に基づ
いた健康管理を可能にするなど医療分野などで実用化されている8。
このように AI の開発、サービスを巡っては IBM、Microsoft、Google に代表さ
れる、これまで情報通信産業をリードしてきた大手 IT 企業から、カラフル・ボ
ード社に見られるように AI が活用される産業分野からの
サービスインを目指すベンチャー企業、IoT やロボットな
どのものづくり技術と結び付けて産業向けにサービスを
提供する IT 企業など9、多くの IT 企業がしのぎを削りな
がら産業全体へのパフォーマンスを強めつつある。
Watson は、2011 年 2 月 16 日に、米国の人気クイズ番組「Jeopardy!」に出場し、そこ
で人間のチャンピオンに勝利したことで一躍知られるようになった。
8 ワトソンはカルテなどに書かれている症例情報、医療用語などを認識し、それぞれの用語
間の関係性を読み取って、例えば、
「この病気ではこの症状が表れやすい」とか、
「この薬
はタンパク質をターゲットにしている」といった回答を出している。また、
「Watson
Discovery Advisor for Life Science」は、大量の医学文献や特許情報を読み込んでその意味
を理解し、アノテーション(メタ情報)を付与して新たな理解へとつなげる仕組みになっ
ており、主に製薬業界向けに提供されている。
9 日立製作所は AI を搭載した「自立移動型双腕ロボット」を開発し、作業員の動き方を学
習することによって公庫の荷物取り出しなど自動化を進めている。
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(2)AI による金融革命:フィンテック
AI を中心とした IT 技術の導入が急速に進んでいるのが金融分野である。既に
大手銀行では前述のワトソンを導入して業務効率化などを図っているが10、AI
が力を発揮するのはインターネットに代表さ
れる開放的なネットワークである。スマートフ
ォンなどの端末からネットワークを通じて収
集される企業や顧客の膨大なデータ(企業情報、
売上情報、顧客の決済情報や嗜好、市場の変化
やインフレ進行時の対応方法)を AI で分析す
ることによって融資の判断や資産運用、保険などのサービスを利用者(企業や
顧客)に提供するがフィンテック(Fintech)が IT 企業中心に世界的規模で進
んでおり11、銀行を中心とした金融サービスのビジネスモデルが大きな変革を迫
られている(→課題)。
(3)自動運転車
AI の産業化を象徴しているのが自動運転車であろう。Google はレーダー、
LIDAR(レーザー画像検出と測距)、GPS(衛星測位システム)、カメラなどで
道路状況など周囲の環境を認識しながら、行き先を指定するだけで自律的に運
転を学習する AI を搭載した「自動運転車」が人間に代わって走行する「グーグ
ルカー」を開発中である。もちろんトヨタ自動車(2020 年をめどに高速道路で
車線変更が可能な自動運転車を市場投入)、日産自動車(2016 年に高速道路で
の同一車線自動走行、2020 年に市街地走行を目指す)、ドイツの VW グループ
やスウェーデンのボルボ社など既存の自動車産業も自動運転車の開発に取り組
んでいる。この自動運転車の登場は IT 企業
がものづくり産業の象徴とも言える自動車
産業に進出しているだけでなく、自動車産業
のビジネスモデルを大きく変革するもので
ある(→課題)。
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みずほ銀行や三井住友銀行がワトソンを導入してコールセンターに利用者からかかって
きた電話を音声認識技術によって解析、相談や問い合わせ内容をテキスト化し、データを
解析することによってオペレータに回答候補を示している。
11 米国の IT 企業スクエアは、スマホやタブレットのイヤホンジャックに小型機器を装着す
ることで、クレジットカード決済を可能にするだけでなく、端末から収集される顧客デー
タを分析して融資や資産運用の提案を顧客に対して行っている。資産運用に関しては利用
者の運用目的やリスク許容度に合ったポートフォリオを組んで運用をアドバイスする「ロ
ボ・アドバイザー」のサービスの導入が大手金融機関でも進んでいる。
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3、AI と雇用
AI の産業分野への導入・活用は産業構造自体にも大きな変革をもたらすもの
であるが、直接的には雇用に大きな影響を与える。特にホワイトカラー層=中
間層が行っていた仕事を代替するものである。1990 年代以降の IT 化は従来の
工場における機械の導入によるブルーカラーが行っていた労働の代替ではなく、
オフィスにコンピュータやインターネットが導入すされることによってホワイ
トカラー層の主に単純労働を代替してきた(「講義「情報化社会と経済」「情報
経済論」参照」
)。AI はさらにホワイトカラー層の知識や熟練、さらに判断を代
替することによってホワイトカラー層全体の代替=リストラを進めるものであ
る。オックスフォード大学による研究によると莫大な量のデータをコンピュー
タが処理できるようになった結果、非ルーチン作業だと思われていた仕事をル
ーチン化することが可能になり、銀行や保険・不動産の業務や医療診断、法律
分野12の仕事などがコンピュータに代わられる確率は 90%以上という数字が弾
きだされている13。
一方、当然ながら AI 開発を中心とした情報通信産業の成長と併せてこの分野
の雇用は拡大する。また、AI が処理した判断を決定し実行するのは人間の役割
であるが、そのためには一定の AI に関する知識が求められる。また AI による
生産性の上昇が経済成長につながれば雇用全体が拡大する可能性はあるが・・・
(→課題)
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法律の分野でも、裁判前のリサーチのために数千件の弁論趣意書や判例を精査するコン
ピューターがすでに活用されており、(中略)弁護士アシスタントであるパラリーガルや、
契約書専門、特許専門の弁護士の仕事は、すでに高度なコンピューターによって行われる
ようになっているという(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40925 参照)
。
13 株式会社野村総合研究所オックスフォード大学のとの共同研究により、国内 601 種類の
職業について、
それぞれ人工知能やロボット等で代替される確率を試算し、10~20 年後に、
日本の労働人口の約 49%が就いている職業において、それらに代替することが可能との推
計結果が発表している(https://www.nri.com/jp/news/2015/151202_1.aspx 参照)
。また
経済産業省は 2016 年 4 月 27 日、人工知能(AI)やロボットなど技術革新をうまく取り
込まなければ、2030 年度には日本で働く人が 15 年度より 735 万人減るとの試算を発表し
ている(http://www.nikkei.com/article/DGXMZO00153800X20C16A4I00000/ 参照)。
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