第6回 通信技術の発達と通信産業の変遷

情報産業論
情報通信技術の最新動向と情報通信産業
第6回 通信技術の発達と通信産業の変遷
IT(Information Technology)あるいは ICT(Information & Communication
Technology)を情報通信技術として捉えるなら、情報産業=情報通信産業であり、
その内実はコンピュータ・ハードウェア産業、ソフトウェア産業の他に通信機
器の開発・製造を行う通信機器産業、そして情報通信インフラを整備しこれを
利用して通信のサービスを提供する通信サービス産業に分類される1。その中で
通信サービス産業(通称:通信産業)はインターネットに代表される情報通信
技術の発達によって、この普及を支える基盤産業として大きな成長と変貌をと
げてきた。そして、FTTH や携帯電話の発達・普及などの通信の高速化・大容
量化や、放送技術のデジタル化による放送と通信の融合などによって、今後も
また情報通信産業全体を巻き込む大規模な変革が予想される。
1、通信技術の発達と通信産業の発達(アメリカ)
(1)電話の発明と巨大独占通信企業:AT&T の成立
情報を媒体(メディア)を使って伝達する技術は、古くは狼煙まで遡り、また
15 世紀に発明されたグーテンベルグによる印刷技術は聖書が普及し主教の大衆
化による宗教改革のきっかけを作った。そして 1837 年にアメリカの肖像画家で
あったモールス(Samuel Finley Breese Morse、
1791-1872)は電気が流れる時だけ磁石となる電磁
石の性質を利用し、電気の断続により文字の代わり
をする符号を送受する方法を考案、この方法によっ
て発明された電信機(右図)は情報を符号(モール
ス信号)にして電気網を通して瞬時に伝達すること
を可能にした。
そして現代につながる通信サービス産業
の成立として象徴的な出来事は、ボストン大
学で音声と伝送の研究を行っていたグラハ
ム ・ ベ ル (Alexander Graham Bell 、
1847-1922)によって 1876 によって発明さ
れた電話である。
既に電信技術の普及によって全米やヨー
ロッパには巨大な電信網ができあがってい
たが、人の声を電気を通して伝えるためには、
総務省統計局の 2000 年度取引基本表(104 部門)においては情報通信機器を生産してい
る部門として「051 電子計算機・同付属装置」と「052 電子通信機器」、通信のサービス
を提供している部門として「086 通信」、そして・情報サービスを提供している部門「095
情報サービス」と分類されている。
1
39
情報産業論
情報通信技術の最新動向と情報通信産業
電信は電気信号があるかないかのどちらかで情報を符号化するモールス信号を
脈動電流によって送信する方式であった。音声送信とたくさんのメッセージを
周波数にのせて送信する方式が必要で、4 年にわたる研究・実験の後、電話機の
向こう側にいた助手のワトソン氏に ”Mr. Watson, come here, I want you.”
というメッセージを送ったのである。この技術はすぐに特許化され、1877 年に
ベル電話会社(Bell Telephone Co. 後の AT&T:American Telephone and
Telegraph)が設立された。巨大独占通信企業の成立である。
AT&T はその後全米各地に設立した独立系の地域電話会社を次々と買収し、
研究部門を担当するベル研究所、通信機器の製造業務を行う WE 社(Western
Electric Co.)、長距離通信サービスを提供する AT&T、そして地域通信サービス
を提供する 22 の 100%子会社から構成される巨大コングロマリット(複合企業
体)、ベル・システムとして君臨することになる。AT&T は民間企業でありなが
ら、事実上アメリカの通信事業を独占することになり、1934 年に設立された
FCC(Federal Communications Commission:連邦通信委員会)も長距離通信
サービス部門における AT&T の独占を前提とした上で、その内部補助システム2
を活用することによって地域電話料金の低水準の維持とユニバーサル・サービ
スの提供を可能にさせる政策をとった。
(2)通信技術の発達と AT&T の分割
1960 年代に入ると通信分野でも技術革新とこれによるコストの低下、また利
用者ニーズも多様化していき、電信事業にも新規企業の参入の要望が高まった。
そこで FCC によって分野を限定した規制緩和、競争政策の導入が行われるよう
に な る 3 。 こ の 結 果 端 末 機 器 市 場 が 開 放 さ れ 、 ま た MCI ( Microwave
Communication Inc)、スプリントなどの長距離電話サービス会社が設立された。
1974 年に MCI が専用線を用いてエグゼキュネット(Execunet)という電話
サービスを開始して以降、米国の電話市場における競争が本格化する。また同
じ 1974 年にアメリカ司法省は AT&T をシャーマン反トラスト法違反で提訴し4、
公正競争条件を整えるためにその分割を提案した。AT&T はコンピュータ事業
2
長距離通信と地域通信、都市部と過疎地域のあいだの内部補助の実施。ユニバーサル・サ
ービスの確保も、この制度によって担保されてきた。
3 具体的には 890MHz 帯を超える周波数帯での AT&T 以外のシステムの認可(1959)や自
営設備の公衆網接続を認めるカーターホン裁定(1968)、国内衛星通信事業への競争導入を
認める Open Sky Policy(1972)などである。
4 司法省は反トラスト法に基づいて AT&T の独占体制を 1913 年、1949 年、1974 年の 3
度にわたって訴追している。反トラスト法は競争政策を促進することが目的であるから、
AT&T の独占が競争に制限を与えているかが問題であった。AT&T は通信の規制や特殊性
を主張し、司法省に対して訴追の棄却を申し入れたが 1980 年に棄却された。AT&T は和解
を受け入れ、1956 年に出された同意判決の修正として 1982 年 12 月に AT&T 分割を盛り
込んだ修正同意判決(MFJ: Modified Final Judgment)が成立し、1984 年に AT&T は 7 つの
地域持株会社(RBOCs; Regional Bell Operating Companies)と長距離部門を担当する
AT&T に分割され、RBOC を親会社としてさらに 22 の地域電話会社(BOCs; Bell Operating
Companies)に分かれ、それぞれ各地域を独占して地域電話部門を受け持つことになった。
40
情報産業論
情報通信技術の最新動向と情報通信産業
への進出と引き換えに分割を受け入れた。
その結果 1984 年に AT&T は長距離通信サービスを
提供する新 AT&T と地域通信サービスを提供する
7 つの地域電話会社(右図)に再編成された5。
(3)コンピュータと通信のデジタル化と通信サービス産業
AT&T の分割と競争政策によって通信技術の発達も加速化していく。特にコ
ンピュータの普及は、コンピュータのデータ通信の需要を増大させ、そのため
に電話網を利用する技術開発とサービスが拡大することになる。1971 年にデー
タ通信のために電話網が開放され、企業が電話回線を通してデータ通信を行う
ようになり、品物や資材などの注文や購入をする際に相手先の端末にデータを
送り注文して商取引を行う EDI(Electronic Data Interchange:電子データ交
換)や、商品情報を店舗の端末からネットワークを通じて本部へ集約する POS
(Point Of Sale System:販売時点情報管理システム)などのサービスが可能に
なり、また異なるコンピュータ間のデータを変換して通信を行う VAN(Value
Added Network:付加価値通信網)企業が成立した。1980 年代になってパーソ
ナル・コンピュータが普及するとパソコン同士を接続するサービス(パソコン
通信)6が続々と登場した。通信産業の通信インフラを利用して通信サービスの
提供を行う新しい通信サービス産業の登場である。
また AT&T の分割が行われた 1980 年代半ばからデータ通信のデジタル化も
進んでいく7。1986 年から実験の始まった ISDN(Integrated Services Digital
Network)8によって端末から端末までをすべてデジタル転送し、一つの回線で
電話や FAX、データ通信を統合して扱うことが可能になった。これはさらに光
ファイバーを使った高速通信技術へと発展し、通信産業自体の技術革新と競争
も加速化していくことになる(第4回参照)。
5
現在では最終的にベライゾン(東海岸中部、北部)、SBC(五大湖周辺、南西部、西海岸
南部)、ベルサウス(南東部)、クウェスト(南西部、北西部)の5社に統合されている。
6 1978 年シカゴでパソコンマニアが情報交換用に作ったものが最初と言われている。初め
は BBS(Bulletin Board System:電子掲示板)中心だったためパソコン通信のことを BBS
と呼んでいた。1979 年以降商業資本が参入し、The Source、CompuServe、DELPHI と
いった大手商用ネットワークが次々と誕生した。
7 コンピュータを接続・通信し、
データ伝送をする場合、データはデジタル信号であるので、
通信方法もデジタル方式となる。離れている地点のコンピュータ同士の通信になると、電
話線や無線を含めた既存の通信設備が必要となる。そこで、当初データ通信はデジタル信
号をアナログ信号に変換させて行われていた。
8 ISDN の実験は AT&T の分割によって設立した BOC の一つ、Illinois Bell によってマク
ドナルド・ハンバーガー・チェーンを対象に行われた。
41
情報産業論
情報通信技術の最新動向と情報通信産業
2、日本の通信産業の歴史と現状
(1)日本の通信産業の成立と変遷
日本では 1868 年に電信が開業され、またグラハム・ベルによる電話機の発明
(1876 年、第 5 回参照)以来、逓信省は 1889 年に東京−熱海間の商用試験を
行い、1890 年には東京と横浜で一般電話サービスを開始した。最初の電話機の
到来日本の電気通信事業は自然独占性を有するという考え方のもの、複数事業
者の存立は当初から想定されず、国内電気通信事業では日本電信電話公社
(NTTPC)9、国際通信市場では国際電信電話株式会社(KDD)10が 1985 年の
電気通信事業法の施行までは法的にも独占下で運営されてきた。
光ファイバー伝送技術や新しい通信端末、FAX やコンピュータのデータ通信
や通信技術、携帯端末の登場などの通信発達と伝送コストの低下は、この分野
における新規参入の声を強め、新しい電気通信事業法施行で日本電信電話公社
は日本電信電話株式会社(NTT)に民営化されると同時にこの分野で新たな企
業が参入することが可能になった(第1種通信事業者)。
一方、NTT 以外の第一種電気通信事業者を NCC(New Common Carrier)
と呼び、JR(旧国鉄)の路線沿いに敷設された光ケーブルを使って長距離電話
サービスを行う日本テレコム11、京セラ主体の長距離電話の第二電電(DDI)12、
高速道路の通信網を利用した日本高速通信(TWJ)13などの通信会社が相次い
で発足し、長距離通信の通話料金の値下げ競争を中心に、技術革新と市場シェ
ア拡大のための企業間競争が加速化した。さらに携帯電話や IP 電話の台頭によ
り、電力系(TTNet など9社)や CATV 会社や、移動体通信会社(携帯キャリ
ア)もの第一種電気通信事業者の役割を果たしている。そして、NTT は 1999
年に持株会社の統合の下、地域電話会社の NTT 東日本、NTT 西日本、長距離・
国際電話の NTT コミュニケーションズ、
携帯電話の NTT ドコモに分割された。
現在の民営化した NTT の前進・日本電信電話公社(NTTPC:Nippon Telephone Telegram
Public Corporation)は、逓信省の後進・電気通信省から通信運用部門を公共企業体とし
て独立し、通信事業を独立採算で発展させることを目的とした。
10 1932 年に発足した国際電話株式会社と日本無線電信会社が統合された国際電気通信株
式会社が前進。第二次世界大戦後、国策会社ゆえに解体され、1953 年に民間会社として新
たに発足した。
11 2005 年にソフトバンクによって全株式が買収され、ソフトバンク・グループ傘下に。
12 2000 年に、国際電信電話 (KDD)、トヨタ自動車主体の携帯電話の日本移動通信 (IDO)
と合併し、KDDI となる。
13 1998 年、KDD と合併。
9
42
情報産業論
情報通信技術の最新動向と情報通信産業
(2)通信の自由化と通信サービス産業
電気通信事業法は第一種電気通信事業者が敷設する電気通信回線を用いて、
異なるコンピュータ間を接続させて通信を成立させ、各種のサービスを行う
VAN(Value Added Network=付加価値通信網)業者も登場させた(第2種通信
事業者)。当初は企業間のデータ通信(EDI:Electronic Data Interchange)な
どが業務の中心であったが 1990 年代になり、インターネットの商用の利用も認
められたため、電話回線などを利用してインターネット接続を提供する商用 ISP
(プロバイダ事業者)14もこの第2種通信事業者に含まれる。さらに Yahoo な
どのポータル(検索サイト)の登場や(第4回参照)
、eコマース(電子商取引)
の拡大(第 10 回以降で講義予定)は、通信サービス産業の範囲と規模を拡大さ
せていく。
また、インターネットは IP プロトコルさえ利用すれば通信インフラやメディ
ア(テキスト、音声、画像、映像)に関わりなく双方向で通信を行うことが可
能である。90 年代に入ると規制緩和も進み、CATV(Community Antenna
TeleVision)会社15の通信分野への進出や、通信産業自体のメディアへの進出、
企業合併・買収劇などが盛んになった。現在もこの傾向は加速化し、放送と通
信の融合も合わさって(第8、9回)、放送・映画産業も含めたメディアコング
ロマリットを成立させている。
さらに、インターネットに加えて携帯電話や IP 電話の普及によって長距離電
話を中心とした通信サービス産業の収益は激減し、企業の再編成が進んでいる16。
企業間競争は通信技術の革新と通信サービスの拡大、低料金化を進め、イン
ターネットの利用人口、FTTH を含めたブロードバンド契約数を拡大させてい
る。日本では 2001 年から政府によって始まった「e-Japan 戦略」17の成果もあ
るが、ブロードバンドを中心とした超高速ネットワークインフラの整備はこの
数年間に急速に進み、世界で最も低料金なブロードバンド環境が提供されてい
る。そして、2005 年度末のブロードバンド回線の契約数は、約 2,330 万件に到
パソコン通信は日本では 1985 年にアスキーネットがサービスを開始、PC-VAN、Nifty
などが続いて誕生した。現在はいずれも ISP(インターネット・サービス・プロバイダ)に
移行している。
15 テレビの有線放送サービス。山間部や人口密度の低い地域など、地上波テレビ放送の電
波が届きにくい地域でもテレビの視聴を可能にするという目的で開発された。近年では多
チャンネルや電話サービス、高速なインターネット接続サービスなどを武器に、都市部で
も加入者を増やしている。人口密度の低いアメリカでは普及率(80%)がきわめて高い。
16 アメリカでは巨大独占通信企業 AT&T が 2005 年に、
その分割で生まれた RBOC の一つ、
SBC コミュニケーションズに買収され、MCI も身売りを発表している。
17 e-Japan 戦略は http://www.kantei.go.jp/jp/singi/it2/kettei/010122gaiyou.html や
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/it2/kettei/010329gaiyou.html を参照。
「5年以内に世界
最先端の IT 国家となることを目指す」とした。
14
43
情報産業論
情報通信技術の最新動向と情報通信産業
達している(図 1-1 参照)。また、日本に特徴的なのが携帯電話を使ったインタ
ーネット接続であるが、携帯電話契約数の急増(2005 年に 9,000 万契約を突破)
とともに携帯インターネットも増加し、2005 年末の携帯電話等によるインター
ネット利用率は 57.0%に達しており(対前年比 6.9 ポイント増)、2 人に 1 人以
上が携帯電話等を通じてインターネットへの接続を行っている(図 1-2 参照)。
その結果、2005 年のインターネットの世帯利用人口普及率は 66.8%、インター
ネットの利用人口はおよそ 8,529 万人(対前年 581 万人増)と推定される。(図
1-3 参照)。そして、FTTH(Fiber To The Home)と DSL の四半期ごとの契約
純増数を比較すると、2005 年 1-3 月期から FTTH の契約純増数が DSL のそれ
を上回っている。ブロードバンドは確実に超高速ネットワーク化へ向かってい
る(図 1-4 参照)。
その中で、1999 年に分割された NTT グループはサービスの統合化、競争力
の確保の側面から再び統合化の動きを強め、KDDI
グループの他、2006 年 3 月に英 Vodafone の日本法
人・ボーダフォンを買収したソフトバンクグループ
の参入、そして放送と通信の融合もからみ、情報通
信産業全体での激しい競争と大規模な再編成が予想
される。
44