作品の声と翻訳 伊原紀子著『翻訳と話法』

作品の声と翻訳
伊原紀子著『翻訳と話法』
松 籟 社 2011, 252 p.
ISBN978-4879842947
評 者 三 ッ木 道 夫
「語 りの声 を聞 く」。これが本 書 に付 された魅 力 的 な副 題 である。 本 書 でも幾 度 か村 上
春 樹 の訳 文 が検 討 されるが、村 上 は柴 田 元 幸 (翻 訳 家 )との対 談 で何 度 か文 章 のリズムに
ついて述 べている。村 上 の言 うリズムには何 通 りかある。ひとつには「実 際 的 なリズム」として
の「ビート」、いまひとつはその上 に位 置 するもの、「うねり」といわれるリズムである。このふた
つが欠 けた文 章 は読 むにたえない。つまりリズムはプロの文 筆 家 には必 須 なのだ。それなら
プロの作 品 を翻 訳 するプロの翻 訳 家 は、この「ビート」なり「うねり」なりが再 現 できなければ
ならない。
さらに村 上 は別 の対 談 で、原 作 と向 き合 う翻 訳 者 の視 点 から「目 で見 るリズム」、原 作 を
読 むときに「目 で追 ってるリズム」についても言 及 している。村 上 は、目 でリズムを聴 き取 る、
と言 うのである。「目 」で原 作 のリズムや「声 」を聞 くことができるのか、またその「リズム」や「声 」
は翻 訳 において再 現 できるのか。これは翻 訳 者 にとっても翻 訳 研 究 にとっても、「何 だかわ
からない」と言 いながら通 り過 ぎてしまうわけにはいかない問 題 である。
さて本 書 は、―いささか古 い、しかもおそらく現 代 のドイツの若 者 には理 解 されない―「ド
ゲ ゼ レ ン シ ュ ト ゥ ッ ク
イツ風 」の言 い方 をすれば「Gesellenstück (徒 弟 修 了 制 作 )」である。これは、徒 弟 から職 人
へ、職 人 はさらに腕 を磨 きながら親 方 を目 指 すという伝 統 的 な徒 弟 制 度 に由 来 するもので、
博 士 学 位 論 文 を古 き良 き時 代 のドイツではこう呼 んだのである。博 士 課 程 の学 生 (徒 弟 )と
して修 業 を積 み、一 人 前 の研 究 者 (職 人 )としての技 量 を示 す資 格 試 験 に合 格 した証 しが
マイスターシュトゥック
学 位 なのである。だがこの職 人 もいずれは親 方 となる。そのときには、さらに「Meisterstück
(職 人 修 了 制 作 )」の提 出 が必 要 になる。
ゲ ゼ レ ン シ ュ ト ゥ ッ ク
本 書 も慎 重 に「Gesellenstück 」の流 儀 にしたがい、先 行 研 究 の検 討 や諸 概 念 の説 明 に
多 くの紙 幅 を割 いている。第 1 章 (序 論 )ではなぜ「話 法 」なのかという問 いが立 てられる。
以 下 第 2 章 翻 訳 の理 論 背 景 、第 3 章 伝 達 のメカニズム、第 4 章 話 法 の理 論 、第 5 章 から
第 7 章 までは事 例 研 究 が配 置 されている。だが本 書 の主 眼 は、欧 米 の小 説 作 品 に特 徴 的
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書評「翻訳と話法」
な、いわゆる「自 由 間 接 話 法 」という表 現 形 式 にある。この形 式 において複 合 的 に聞 こえて
ポリフォニー
くるはずの声 、物 語 の語 り手 の声 でもあり、登 場 人 物 の声 でもあるような「多 声 性 」(バフチン)
を翻 訳 することができるのか、これを過 去 の翻 訳 例 を参 照 しながら検 討 していくことこそが、
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本 書 の本 来 の目 標 だったのではない のだろうか 。
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なぜ「だったのではない だろうか 」などと、もってまわった言 い方 をするのか。それは多 分
に本 書 の論 述 形 式 にある。第 6 章 までの各 章 では、先 行 研 究 への忠 実 かつ誠 実 な目 配 り
がかえって災 いしているのだ。何 らかの先 行 研 究 のテーゼなり成 果 なりがうず高 く積 み上 げ
られ、その後 にようやく著 者 の考 えが示 される。著 者 の「声 」が聞 きたいと思 う読 者 には、こ
のうず高 い研 究 史 紹 介 がむしろ挟 雑 物 となってしまう。それは道 をふさぐ雑 草 とまでは言 わ
ないにしても、読 者 が著 者 の後 姿 を見 失 うほど積 み上 げられているため、著 者 自 身 の論 理
が見 通 せないのだ。
ホルツヴェーク
だがこうした 杣 道 (ハイデガー)を経 た読 者 は、副 題 に予 告 されたとおり「語 りの声 」を聞
きとり、それを翻 訳 作 品 として再 現 する場 に辿 りつく。つまり「自 由 間 接 話 法 」という表 現 形
式 の豊 かさが論 じられ、その翻 訳 可 能 性 が仔 細 に検 討 される第 7 章 にいたって、ようやく第
1 章 に始 まった周 到 な迂 回 戦 術 の意 味 が理 解 されることになる。杣 道 は泉 に通 じていたの
である。
すでに博 士 学 位 だけでなく著 書 までも手 にした現 在 、著 者 の為 すべきはもはや分 厚 い
記 述 ではなく、曇 りのない分 析 である。しかも事 象 の分 析 ではなく、第 7 章 で始 まりを予 感 さ
マイスターシュトゥック
せている分 析 、事 象 の背 後 にある原 理 の分 析 へと研 究 を進 め、「Meisterstück 」への道 を模
マイスターシュトゥック
索 すべきではないだろうか。蛇 足 を承 知 で付 け加 えれば、「Meisterstück 」とは「巨 匠 の作
品 」、「傑 作 」をも意 味 している。
なお本 書 冒 頭 ( 25 頁 )にはニーチェの翻 訳 論 アフォリズム(『人 間 的 、あまりに人 間 的 』所
収 )に関 する言 及 が見 られるが、ニーチェの言 葉 とその真 意 については拙 著 『翻 訳 の思 想
史 』( 2011 年 2 月 晃 洋 書 房 )第 三 章 をご参 照 いただきたい。
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【著 者 紹 介 】
三 ッ木 道 夫 (MITSUGI Michio )同 志 社 大 学 教 授 。上 智 大 学 大 学 院 文 学 研 究 科 博 士 後 期
課 程 単 位 取 得 退 学 。博 士 (比 較 社 会 文 化 )。ドイツ語 学 ドイツ文 学 および言 語 思 想 史 専 攻 。
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