Alaskan Fever にかかって

Alaskan Fever にかかって
英語教育専攻 鎌田亮祐
Alaskan Fever
Alaskan Fever…アラスカでオーロラや動物の写真を撮っている日本人のカメラマン、松
本紀生さんがテレビ番組「情熱大陸」で紹介された際に使われていた言葉です。
「アラスカ
ン・フィーバー…一度アラスカに魅了された人は、その魅力にやみつきになってしまう」と
いう意味だそうです。2013 年8月から 2014 年5月までの9か月間、留学生活をアラスカ
で過ごし、私もすっかり Alaskan Fever を発症してしまいました。
アラスカを選んだきっかけ
私は小学生の時から留学に憧れていました。幼いころから英語に興味があり、セサミスト
リートを観たりしながら「海外で暮らしてみたいなぁ」といつも考えていたのです。大学に
入学して間もなく交換留学制度があることを知り、絶対に応募しようと決めました。受け入
れ志望先として考えていたのはカナダとアラスカ。大学2年次に1か月間バンクーバーで
語学留学をしていた為、慣れた土地で学べるのは悪くないと考え、志望先の一つとしてカナ
ダを選びました。しかし TOEFL を受けるチャンスは交換留学の応募までに1回しかない
事と(カナダに行くには、TOEFL の高いス
コアが求められていたのです)、元々アウト
ドアが大好きである事、そして人生で行くチ
ャンスはそうそうないであろう事を考え、も
う一つの志望先としてアラスカを選びまし
た。結果的に TOEFL スコアによってアラス
カ行きが決定。この時からワクワクが止まり
ませんでしたが、Alaskan Fever になるほど
アラスカのことが好きになるとは想像もし
ていませんでした。
大学の講義
大学には秋学期から春学期にかけて在籍しました。最初の秋学期は自分の英語運用能力
を高めることを目標に、ESL というレベルの Oral Communication、PRPE というレベル
の Reading と Writing、そしてアラスカ大学の日本語教育に興味があったので日本語の授
業を2つ履修しました。ESL は留学生や移民の方々が多いので安心感がありましたが、そ
れ以外の授業では教室内唯一の留学生となり、最初は不安で一杯でした。しかし時間がたつ
につれてクラスメートとも打ち解け、多くの友達を得ることができました。母国語に一切頼
れない環境に身を4か月間置いた事で、自分でも驚くほどリスニング能力やリーディング
能力が上がったように感じます。そしてこれが春学期に一般学部レベルの講義を履修しよ
うというモチベーションにもつながりました。
もがき苦しむように過ごした秋学期
でしたが、自分の成長を認められる達
成感に味をしめた私は、春学期はもっ
とハイレベルな授業をとってみたいと
考えました。そこでアドバイザーを訪
ね、留学生でも履修できる一般教養と
教育学の授業を一緒に探してもらいま
し た 。 そ の 結 果 、 Educational
Psychology, Multi-cultural Education,
International Studies, History of the
United
States,
Alaskan
Native
Studies(教育関係の授業が2つと地理、歴史、アラスカの先住民族の授業)と日本語の授
業を2つ履修することにしました。一般学部向けのクラスを受ける事による予習復習と宿
題の量は凄まじいものでした…22年間の人生で一番勉強した半年間だったと思います。
しかし秋学期同様、達成感は言葉では言い表せないものでした。英語の力を付ける事ができ
たうえに、自分に対して自信が持てるようになった事も大きな収穫だったと感じます。
ちなみに秋・春学期を通して日本語の授業を履修したことで、多くの日本語を学ぶ学生に
出会うことができました(そのうち数名は 2014 年秋より北教大へ交換留学生として来るこ
とが決まっており…今から再会が楽しみです)
。お互いの言葉や文化について教えあったり、
意見を交換し合ったり、一緒に遊んだり…。新しい英語をどんどん学べる反面、私自身が日
本の言葉と文化について、何も知らなかったと思い知らされる事も何度もありました。もし
現在留学をお考えでしたら、日本語や日本史、日本の社会や宗教について勉強される事を強
くお勧めさせて頂きます。
日常生活/友達
私が暮らしていたのは Main Apartment Complex(略称 MAC)と呼ばれるタイプの寮
で、4人で台所・風呂・トイレ・リビングを共有するものでした。私の所は3人(アメリカ
人学生、もうひとりの日本人留学生、
そして私)でユニットを共有してい
ました。寮生活はルームメイト次第
で楽しいものにも苦痛にもなると言
われているのですが、私は幸い大当
たりで、互いに互いを兄弟と思える
メンバーで生活する事ができました。
共にご飯を作り食卓を囲み、共に
スーパーに買い物に行き、共に酒を
飲みかわし、共にテレビや映画を楽
しみ、共に部屋を片付け、お互いに
イタズラを仕掛け…。思い出すとキリが
ないほど、たくさんの思い出を作ること
が出来ました。また、友が友を呼ぶ形と
なり、人間関係も当初では信じられない
ほど広がりました。日本でも同じことが
言えると思いますが、人間関係の幅が広
がると、様々な知識や経験、更には多様
な英語に触れることが出来ます。特に印
象的だったのは米軍に在籍していた友
人たちの話。イラク戦争での経験を語っ
てくれたのですが、いかに戦争が愚かし
く、酷いものかを思い知らされました。
日本にいるだけでは「現実」として深く
は考えられなかったように思います。
また、アメリカは「人種のるつぼ」という言葉で知られている通り、多種多様な人種や文
化、宗教、あるいは性的嗜好の多様性(異性愛や同性愛のことです)を目の当たりにします。
留学生活を通して様々な背景を持つ友人を得ることができ、興味深い話を沢山聞いたこと
で、
(恥ずかしながら)それまで持ってしまっていた先入観はすっかり無くなりました。し
かし、私自身、不当な扱いを受けたと感じる出来事が何度かありました。留学生活中「外国
人」として生活した事で、異文化への理解や協調性を持つことの重要性を痛感しました。
現地でしか出来ない事を楽しもう!
交換留学は学校の代表として海外の提携
先へ派遣させて頂く立場ですので、自覚と責
任をもって臨まなければいけません。しか
し、せっかく簡単には行けない海外へ行くの
ですから、現地で出来そうなことにはどんど
ん挑戦してみると良いと思います。それらが
後々、良い思い出となったり、大きな学びと
なったりしていくと思います。
私は留学中の休暇でバンクーバーへ3泊
4日の弾丸旅行をして旧友を訪ねたり、2週
間アラスカ北部の街に滞在したりと、様々な
旅をしました。右の写真で私と一緒に写って
いる友人は 2011 年に旭川校に留学していた
学生で、2年越しの再会を果たすことが出来ました。彼が日本を去る時「また会おう!」と
約束していたのですが、国境を越えて時間が経っても、思い出話に花を咲かせることが出来
て本当に嬉しかったです。違う国の人々でも、再会はきちんと果たせるのだと学びました。
また、アラスカを体感する機会に恵ま
れ、本当に良かったと感じています。友
人達に3回もキャンプに連れて行っても
らったり、様々な動物と出会ったり、オ
ーロラを見たり、北海道でも経験できな
い極寒体験をしたり…。ただ勉強だけの
9か月間を過ごすよりも、勉強を頑張り
つつ、精一杯海外生活を楽しむことが出
来れば、帰国した後に「良い留学生活だ
った」と感じることが出来ると思います。
何かに挑戦できるチャンスがあれば、進んでトライしてみることをお勧めします。
正直、辛いことの方が多いと思います…でも…
今でこそ「良い9か月を送ることが出来て良
かった」と留学生活を振り返る事が出来ます
が、実際のところ、留学生活中は辛いことの方
が多く感じられました。言葉も文化も異なる
世界に身を置くと、意志疎通は勿論、孤独を感
じたり、不安を感じたりする事が多くなって
くるかと思います。私も不安や孤独で眠れな
い日が何度もありました。ただ、何とかなりま
す。無責任な発言に聞こえてしまうかもしれ
ませんが、本当に何とかなるものです。留学を終えた方々で「メンタルが強くなった」と感
じる方が多くいるようですが、私もその一人です。ただ、そうした困難を乗り越えられたの
は、日米問わず、周りの人々の支えがあったからでした。どこに行っても、人と人の繋がり
と、支えあう気持ちの大切さは変わらないものだと考えます。
おわりに
もし留学に行こうかどうか悩んでい
るのであれば、行く事を前向きに考える
事をお勧めします。9か月で実感できる
であろう成長は、本当にその人の中で大
きな糧になると思います。
私は留学を通して、新たに目標を得ま
した。それは英語を更に上達させ、もう
一度アラスカに戻る事です。人々の温か
さと自然の雄大さが懐かしくて…。
Alaskan Fever を治すのには時間がかかりそうです。
最後までお読みくださりありがとうございました。