平成 17 度 教養セミナーⅠⅡ 現代中国事情 担当教員 朱 新建 中日の歴史認識について 経営学部1年 方 送基 伴 守 はじめに いろいろ調べてみたら、中国と日本の交流は実にもう二千年以上の歴史がある中、古代から近 代まで、様々な問題や国の事情があったことがわかった。遠い昔に、モンコ襲来という中日間の 戦争もあった。そしてあの日中戦争。1972 年 9 月 29 日に中日国交正常化を迎えたが、しかしま だ、中日間の摩擦は続いている。その摩擦問題の一つは、歴史の認識問題である。 1.歴史の認識問題 日本政府の歴史問題上の表現は上がり下がりが常にあるが、しかし全般的な成り行きはある程 度進歩した。特に元首相村山富市氏 1995 年 8 月 15 日の談話の中で、日本はしばらくの時間の中 で“誤った国策を実行して、“日本の植民地統治と侵略のため、アジアの各国人民に極めて大き い損害と苦痛をもたらした”とのべた。この演説は誠意のある態度の表明があるといえるので、 今に至るまで依然として歴任首相はこれを踏襲していた。 小泉純一郎首相以来、日本政府は歴史問題の上で明らかに後退した、その態度の 1 つは小 泉首相が毎年靖国神社を参拝することに固執することだ、比較してみると 20 世紀に 80、90 年代、 中曽根康弘は首相として靖国神社を参拝したことがあったが、しかし中韓などの隣国の反対にあ って、2 年目には参拝を停止した。前任の首相と対比して、小泉は今までと違い、彼は隣国の強 烈な反対に対して少しも耳を貸さないで、独断専行した。これは彼の誤った歴史観と周辺の隣国 を軽視する頑固な立場の反映だと思う。 2.歴史の根源問題 日本政府と政界の一部の人びとが中国侵略の歴史を何度も否定し、美化する行為にある。これ らの行為は中国人民の感情を深く傷つけ、中日国交回復期に打ち立てられた政治的基礎をゆゆし く揺るがすものとなった。 歴史問題の困難なことを言えばとは、現在、日本の侵略戦争、植民地統治を被ったことがある アジアのそれぞれの隣国にあって、戦争と植民地統治の害を受けた国の人民にもたらした極めて 大きく苦痛が、巻き起こした民衆のきわめて大きな憎しみの感情は根強いものがある;日本では、 広大な日本国民は故意ではなくとも侵略戦争の歴史を否定、美化して、しかしまさに上のようで 彼らを述べて日本の軍隊が中国、朝鮮などでどのように現地の人民で危害を与えていたか受身の 感情を同じにすることが出来なくて。日本はこれに加えて戦後学校教育の中で故意に近代史教育 を“軽視”し、加えて時間の推移もあり、歴史を少しずつ忘れることが日本社会の一種の風潮に なっている。 歴史問題の複雑性は、歴史的“歴史認識問題”に対しいかに正確な包含をするかだけではなく て、その上日本軍が遺棄した化学兵器などの“歴史的遺留問題”、釣魚島、独島などの歴史問題、 米国が引き起こした現実の領土紛争の決着、日本政府のこれらの現実的な紛争における態度とそ の歴史的認識の緊密な関連、歴史の知り合うに対してしっかり関連するよりも、害を受けた国に 来て語り、現実的な島の紛争歴史問題とお互いに“火に油を注ぐ”こと、国を挙げて人民の心情 の憤激する局面を招くことに至る如何に包括的に処理するかである。歴史問題と“慰留問題”、 “現実的な問題”が導いた相互に入り組んだ複雑性、日本と受害国間の関係の摩擦が“絶えず、 危険な状態が続出して、問題が解決されない状態に、次から次へと問題が起こる”局面、あるい は 2003 年にチチハルで“8.4”の毒ガス事件が発生したように、いつ突然やってきてどんな事件 が噴き出しているか分からないことが、強烈な反応を引き起こしている。 歴史問題の情緒性は、日本右翼の侵略歴史の否定、甚だしきに至っては侵略歴史を美化の言行 を何度も、何度も重ねて中国人民のこれまでにまだ癒合していない歴史の傷跡の上に塩をまき散 らすため、中国の民衆の強烈な反応と強い怒りを巻き起こしている;中国の反応は日本に伝わっ て、また日本一部の民衆の中で“中国ではきりがなく日本の‘歴史のお下げ(弱点)’をつかむ ことを”引き起こして、“また歴史の牌を打つ”の類の感情的反応をする。このように、歴史な どの問題をめぐって一定の程度、両国一部の民衆の間に“感情の摩擦”を誘発したと思う。 3.歴史を考える 中日間の歴史問題は長期間に続くかもしれないことが予想される。 1972 年の中日国交回復以来、日本政府の歴史問題上の表現は上がり下がりが常にあるが、し かし全般的な成り行きはある程度進歩した。特に元首相村山富市氏 1995 年 8 月 15 日の談話の中 で、日本はしばらくの時間の中で“誤った国策を実行して、“日本の植民地統治と侵略のため、 アジアの各国人民に極めて大きい損害と苦痛をもたらした”とのべた。この演説は誠意のある態 度の表明があるといえるので、今に至るまで依然として歴任首相は踏襲これを踏襲していた。 ところが、2001 年 4 月の小泉純一郎首相以来、日本政府は歴史問題の上で明らかに後退したと いわざるをえない。その一つは小泉首相の毎年連続の靖国神社だ。過去の戦争とはいえ、被害国 の強烈な反対を無視し、独断専行した靖国参拝問題は、誤った歴史観とアジア各国軽視の頑固な 立場に基づいていると思う。 今年は国連の改革の年だ。第 2 次世界大戦の敗戦国、また日本の枢軸同盟国である。ドイツ、 イタリアで、すべて謙虚な態度これを迎え“歴史の敏感な年”と位置づけている。ただ日本だけ は傲慢な外交の姿勢を続けている。一方では歴史問題上でも逆行 60 周年を迎え、小泉首相はモス クワで開催された反ファシスト勝利記念世界活動にまだでっち上げの口実で参加を拒否してい る;また一方ではぬけぬけと国連の常任理事国に入ると公言する。彼らは忘れたようだ:国連の 誕生は反ファシスト戦争勝利の産物だ;小泉首相は歴史的審判(これもまた反ファシスト戦争の 勝利の果実だ)を受けたA級戦犯崇める靖国神社になぜひれ伏すのか。 人々は日本の常任理事国の資格に質疑を持っているのであって、合わせて日本国民に反対し ているのではない。政権を握る小泉内閣の歴史問題がおよび歴史問題の各種の現実的な問題から 源を発する一連の逆行政策に対して反対する。 日中の大きくいえば全世界が相互に理解するためには、お互いにその歴史を事実として認識し、 お互いの立場に立って考えることが必要だと思う。日本は唯一の道は、隣国を敵とする誤りの政 策放棄することであり、誠実に謙虚に過去のあの歴史に対応して、アジア乃至世界の平和を守り 更には安定的平和の実現に誠意と善意を表すことである。中国では常に、“前事不忘,後事之師 (過去のことを忘れないで、将来の戒めとする)”あるいは“以史為鑑(歴史を鑑=カガミとす る)”という精神で、中日関係の歴史を研究する重要性を説明している。そういう場合、当然特 に中日戦争の歴史を指している。 おわりに 二十一世紀はすでに到来し、人類社会の発展および中日両国と北東アジアの国際関係もさらに 新しいチャンスと挑戦に面している。将来に対し確信を持たなければならない。我々、特に中日 両国の若者同士は共に努力し、中日両国の相互理解を促進し、北東アジアの歴史像の共有を促そ うではないか。 参考サイト: 1.『中日の歴史問題の問題点』(馮昭奎、中国社会科学院日本研究所研究員) http://dengaku.jp/magicfield/ChinaIntro/ChiSchoR2.html 2.『中日間の「歴史問題」の起因と問題点(一)』(金煕徳、中国社会科学院日本研究所教授) http://www.people.ne.jp/2005/05/20/print20050520_50186.html 3 .『 二 十 一 世 紀 に お け る 中 日 関 係 と 歴 史 認 識 』( 歩 平 、 黒 龍 江 省 社 会 科 学 院 副 委 員 長 ) http://homepage3.nifty.com/dokugasu/kaihou07/kaihou7016.html
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