1)映画情報 ① 映画タイトル『海を飛ぶ夢』【MAR ADENTRO/THE SEA

老年看護学概論
課題
健康発達看護学専攻
映画評論
M2
市民向け資料
濱田昌実
2012 年度受講
1)映画情報
① 映画タイトル『海を飛ぶ夢』【MAR ADENTRO/THE SEA INSIDE(内なる海)】
② 公開年:2004 年
③ 作成国:スペイン
フランス
④ 監督:アレハンドロ・アメナーバル
⑤ 原作:映画の主人公であるラモン・サンペドロの執筆した手記 Cartas desde el infierno (地
獄からの手紙:1996 年出版)
⑥ 脚本:アレハンドロ・アメナーバル
⑦ 製作会社:東宝東和
⑧ キャスト:ハビエル・バルデム(Javier Bardem)、セルソ・ブガロ(Celso Bugallo)、マ
ベル・リベラ(Mabel Rivera)、クララ・セグラ(Clara Segura)、ベレン・ルエダ(Belen
Rueda)、ローラ・ドゥエニャス(Lola Duenas)
⑨ 字幕翻訳:松浦美奈
⑩ (株)ポニーキャニオン
⑪ 受賞歴:2005 年最優秀外国語映画賞受賞
ゴールデングローブ賞最優秀外国語映画賞受賞
2)映画の主な登場人物とストーリー
ラモン:主人公
ロサ:工場で働く子持ち・ラモンの自死を手伝う
マヌエラ:兄嫁
献身的に介護
フリア:尊厳死を合法化するために招かれた弁護士。2 年前に不治の病を宣告
ホセ:ラモンの兄
ラモンの介護の為船乗りから農夫に転身。
ハビ:ホセの息子
ラモンの甥
ラモンは 19 歳から船乗りとして世界を旅する。25 歳の時婚約者の目の前で、自分をより強く
見せるため崖から海に飛び込んだ際、海はひき潮になっており、脊椎損傷で首から下が自力で全
く動かせなくなってしまった。婚約者とは別れを告げ、自分の兄夫婦の両親に介護を受けた。ね
たきりを余儀なくされて 26 年が経過した時、
「 今の状態で生きるのは尊厳がない」と死を望むが、
手足が動かせず自力では死ねない。ラモンは尊厳死支援団体や弁護士の力を借りて、尊厳を保持
するための積極的安楽死の合法化を求めて裁判に訴えた。しかしスペインにおいて尊厳死、積極
的安楽死は法的に認められなかった。考え抜いた末、周囲の人間が罪に問われないよう、ビデオ
カメラで撮影する中青酸カリを服用し、自身の人生にピリオドを打った。
ラモンは「治る見込みがなく、耐えがたい苦痛を伴う末期患者」ではないが、ラモンにとって
は自殺も出来ない程に不自由な自分にとって、今のまま生きることは義務でしかなく、
「このまま
生きることが耐えがたい」から積極的安楽死を認めるよう主張する。さらに作中において「他の
四肢麻痺患者が聞いたら怒るかもしれない。でも、僕は生きたい人を批判しない。だから死にた
い僕を批判しないで欲しい。」というラモンのセリフがあった。これは生きることが義務ではなく
て権利であるならば、死ぬことにも権利があり、それぞれの死生観(生についての人々の考え方
や理解の仕方)に基づいて、自己決定(自らの問題は自らが判断して決定していく自由があると
いう理念)での死、自己決定での生を選択できる事を切望した言葉であろう。そして、ラモンの
死生観の現れとして、彼の手記に"死の選択は終焉ではなく開放である"と書かれていた。彼にと
って死は生からの解放であり、死こそが自己実現を得る手段だったのか。
ではなぜ彼はこんなに死を望み、生から解放されたいのか。そこには彼にとって「寝ているだ
けで何もできないのに、食事をとり、排泄をしてみんなに迷惑をかける自分」
「大好きな女性と家
庭を築くどころか、倒れた彼女を抱き起こすことすらできない自分」など自己否定したくなる現
実しか見えてこない現状があったのではないか。もし、彼が受傷する前に結婚して家庭を築き、
守るべき妻や子供がいたら生きられる状態で死を切望しただろうか。加えてラモンを介護する義
理の姉マヌエラは、彼の介護に生きがいを感じていた。彼は自分の存在意義について悩んでいる
ことを家族と話し合えていたのだろうか。もし彼が、自分の障害を受け入れ、話すことや文章を
書く能力を生かして社会的役割を獲得できていたらこんなに死を望んだであろうか。
兄のホセは家族を経済的に支える責務とともに、弟の介護をするため、船乗りから農夫になる
ことを余儀なくされた。経済的負担と介護負担を抱えた中で弟の「死にたい」という訴えをきき、
いたたまれない気持から「おれこそお前の奴隷だ」
「家族みんなお前の奴隷だ」とラモンに感情を
ぶつけてしまう。必死にもがいても抜け出せない貧困と将来の介護不安。このような現状を悲嘆
して、死にたいと感じてしまう人を増やさないためにも、障害を受傷した後の社会保障で、自分
を支えてくれる家族の経済的支援、介護面での支援が十分に得られ、家族の生活にゆとりを見い
だすことは、重要だと改めて考えさせられた。
我々はラモンの耐え難いと感じている苦痛を体験することはできない。しかしながら自己決定
で自由に生死を選択できるようになることは、「生きなくていい命」「死ぬ義務」という思想を積
極的に容認することにつながる。命の価値は平等であり、すべての人がよりよく生きる権利を有
するのにもかかわらず、命の価値に順位付けをして生きられる人の生命を脅かすことや、障害を
受容するプロセスの途中で死を選択する人が激増することも懸念される。
この映画の中において、障害を受け自立性を損失した患者やその家族を、医療者として支える
上で「患者と家族、重要他者間で、それぞれの存在意義を共有してもらい、生きられる人をいか
に活かせ(生かせ)るサポートやシステムを確立すること」が重要か再認識させられる映画であ
った。最後に、私自身は積極的に自分自身や家族それぞれの「生き方」
「死に方」
「死生観」、自分
自身の存在意義について普段から積極的に話し合う事が、その人らしい人生を最後まで全うする
事につながると考えている。この映画を見て、今一度同職種、他職種間で生死に関する積極的な
語りを引き出すケアの重要性やその方法について、語り合っていきたいと感じさせられた。