3.2.1.3 目 (1) 神戸市震災人材バンクを活用した災害エスノグラフィーの構築 次 業務の内容 (a) 業務題目 (b) 担当者 (c) 業務の目的 (d) 5ヵ年の年次実施計画(過去年度は、実施業務の要約) (e) 平成 17 年度業務目的 (2) 平成17年度の成果 (a) 業務の要約 (b) 業務の実施方法 (c) 業務の成果 1) 仮設住宅の管理・運営に関する災害エスノグラフィー 2) 長田区災害対策本部に関する災害エスノグラフィー 3) 被害家屋調査(罹災判定)に関する災害エスノグラフィー 4) 災害給付金に関する災害エスノグラフィー 5) 災害廃棄物(総論)に関する災害エスノグラフィー 6) 保育士・保育所の震災対応に関する災害エスノグラフィー 7) 建築確認に関する災害エスノグラフィー 8) 地下鉄の震災対応に関する災害エスノグラフィー 9) 災害エスノグラフィーの教育・訓練としての活用手法の検討 (d) 結論ならびに今後の課題 (e) 引用文献 (f) 成果の論文発表・口頭発表等 (g) 特許出願、ソフトウエア開発、仕様・標準等の策定 (3) 平成 18年度業務計画案 491 (1) 業務の内容 (a) 業務題目 神戸市震災人材バンクを活用した災害エスノグラフィーの構築 (b) 担当者 所属機関 役職 氏名 メールアドレス 富士常葉大学環境防災学部 教授 重川希志依 [email protected] 京都大学防災研究所 助教授 矢守克也 [email protected] 富士常葉大学環境防災学部 助教授 田中 [email protected] 京都大学防災研究所 教授 林 神戸市役所危機管理室 主査 柿本雅通 [email protected] 京都大学防災研究所 研究員 田村圭子 [email protected] 聡 春男 [email protected] (c) 業務の目的 本研究では、神戸市震災人材バンクに登録した方々の震災体験の体系化を通して、災害 対応に関わる知恵の体系化をめざす。研究では、a)過去に災害対応業務に携わってきた行 政担当者へのインタビュー調査、b)インタビュー調査にもとづく災害エスノグラフィーの 作成、c)災害エスノグラフィーからの災害対応に関する知恵・ノウハウの抽出と体系化、 d)体系化された知恵のゲーミングやビデオクリップ等による表現、などをおこない、災害 対応に関わる知恵の体系化と防災対応業務への実践的なマニュアルの構築をおこなう。 (d) 5ヵ年の年次実施計画(過去年度は、実施業務の要約) 1) 平成14年度 神戸市震災人材バンクに登録した方々を対象として、インタビュー対象者の選定を行い、 インタビュー調査を実施した。インタビュー結果は映像記録、文字情報として整理すると ともに、当時使用した様々な帳票類やマニュアル、作業メモ等の提供を受け、記録として 残した。調査内容は、災害対応を実施するにあたり、①その時何がおきどう対処したのか、 ②何に困ったのか、③どうすれば解決できたのかという点について、対象者が体験してき た災害対応の過程の詳細な事実を明らかにする。 本年度は、消防防災に焦点をあてた。キーワードは「初動」と「地域」。初動というの は、なすべき災害対応業務のボリュームと提供できる力の間にアンバランスが生じた時に、 まず全体像を俯瞰し観察をしたうえで効率よく組織的に業務を実施していくプロセスを、 当初よりイメージする必要があるということである。そして業務が途中で息切れせぬよう に、ロジスティックスを考える事も重要である。同時に大規模災害になればなるほど、被 災地の地域コミュニティや人の力をうまく動員する事も極めて重要であることが明らかと なった。この問題は、災害発生時に即応できることではなく、平常時においてそれまでに 培われてきた行政と地域コミュニティの関係が発災時に問われることとなる。それが問わ れたのが阪神・淡路大震災時の消防の初動体制、72 時間の対応であった。 492 2) 平成15年度: 災害対応に関わる現場の知恵を、「神戸市震災人材バンク」の登録者を中心とするイン タビュー調査(非構造化面接、計 10 回実施)によって収集し、災害エスノグラフィーと して集約・整理した。具体的には、物資供給など実務処理の中心となった民生局、災害対 応本部の中核となった総務局、遺体対応の中心となった福祉事務所、緊急医療にあたった 病院、上水道の復旧・復興を担った水道局、避難所運営にあたった公立学校、大量のボラ ンティアの受入口となった各区の地域福祉課、保健・衛生面を担当した衛生局・保健所、 道路の復旧・復興を担当した土木局、下水道の復旧・復興にあたった下水道局、である。 また、災害エスノグラフィーの成果を災害対応の教育・訓練の手法として活用する方法に ついて、ゲーミング、ビデオクリップの素材として活用する方法について検討した。さら に、エスノグラフィーを定量データによって補完する方法についても検討した。 3) 平成16年度: 前年度に引き続き、災害対応に関わる現場の知恵を、「神戸市震災人材バンク」の登録 者を中心とするインタビュー調査(非構造化面接、計 10 回実施)によって収集し、災害 エスノグラフィーとして集約・整理した。具体的には、a)災害対応の盲点となったトイレ 対応、b)被災後その重要性が認識された廃棄物対応、c)その重要性とともに被災度判定と の異同が問題となった応急危険度判定、d)もっとも大きな関心を集めた課題の一つである 仮設住宅の建設、e)同じく緊急期における最大の課題である食糧、救援物資、f)被災者の 生活を下から支えた消毒等の生活衛生対応、g)阪神大震災の特徴の一つである神戸港の復 旧・復興、h)最前線の災害対応拠点であった東灘区役所災害対策本部、i)避難所の医療を 担った救護所、j)上記 h)と同じく兵庫区役所災害対策本部、である。また、災害エスノグ ラフィーの成果を災害対応の教育・訓練の手法として活用する方法について、ゲーミング、 ビデオクリップの素材として活用する方法について検討した。 4) 平成17年度: 前年度に引き続き、災害対応に関わる現場の知恵を、 「神戸市震災人材バンク」の登録者を 中心とするインタビュー調査(非構造化面接、計 10 回実施)によって収集し、災害エス ノグラフィーとして集約・整理した。具体的には、a)仮設住宅の管理・運営、b)長田区役 所災害対策本部、c)被害家屋調査、d)災害給付金、e)災害廃棄物(総論)、f)保育士・保育 所の震災対応、g)建築確認、h)地下鉄の震災対応、i)市営住宅における災害対応、j) 災害 対策本部民生部と生活再建本部、である。また、災害エスノグラフィーの成果を災害対応 の教育・訓練の手法として活用する方法について、ゲーミング、ビデオクリップ、ワーク ショップの素材として活用する方法について検討した。 5) 平成18年度: ①神戸市震災人材バンクからの調査対象者の選定とグループインタビューの実施 ②グループインタビュー結果に基づく災害エスノグラフィーの作成 ③災害対応業務遂行時における現場での知恵の体系化 ④災害対応マニュアル並びにゲーミング・シミュレーションへの知恵の組み込み 493 (e) 平成 17 年度業務目的 過去 3 年間に引き続き、災害対応に関わる現場の知恵を、「神戸市震災人材バンク」の 登録者を中心とするインタビュー調査(非構造化面接、計 10 回実施)によって収集し、 災害エスノグラフィーとして集約・整理する。本年度は、これまで実施したインタビュー 調査に引き続き、より多様な分野、部局において災害対応にあたった自治体職員を対象に インタビューを実施することを、主要な目的とする。特に、これまで主として実施してき た対応領域・分野ごとのインタビュー調査に加え、特定の地域、時点に注目する、同じ災 害対応業務についてこれまでのインタビュー対象者とは異なる部局に所属した者からのヒ アリングを行うなどして、領域・分野を横断する災害対応の実態について明らかにする。 具体的には、1)仮設住宅の管理・運営、2)長田区役所災害対策本部、3)被害家屋調査、 4)災害給付金、5)災害廃棄物(総論)、6)保育士・保育所の震災対応、7)建築確認、8)地下 鉄の震災対応、9)市営住宅における災害対応、10) 災害対策本部民生部と生活再建本部、 をインタビュー対象とする。 その結果は、災害エスノグラフィー(トランスクリプト化)として整理するとともに、 映像記録としても記録にとどめる。さらに、当時使用した様々な帳票類やマニュアル、作 業メモ等の提供を受け、記録として残す。また、昨年度より開始した、エスグラフィーの 成果を災害対応教育・訓練の手法として活用する方法についても、さらに具体的な方法の 開発を試みる。具体的には、ゲーミング・シミュレーションを用いた教育方法に有用かつ 適切なコンテンツを提供すること、ビデオクリップ形式の教育素材について、インタビュ ー映像に、資料映像、データ等を加えた多角的なクリップを作成すること、エスノグラフ ィーを縮約したものをテキストとした災害対応訓練ワークショップなどである。 (2) 平成 17年度の成果 (a) 業務の要約 災害対応に関わる現場の知恵を、「神戸市震災人材バンク」の登録者を中心とするイン タビュー調査(非構造化面接、計 10 回実施)によって収集し、災害エスノグラフィーと して集約・整理した。具体的には、a)仮設住宅の管理・運営、b)長田区役所災害対策本部、 c)被害家屋調査、d)災害給付金、e)災害廃棄物(総論)、f)保育士・保育所の震災対応、g) 建築確認、h)地下鉄の震災対応、i)市営住宅における災害対応、j) 災害対策本部民生部と 生活再建本部、である。また、災害エスノグラフィーの成果を災害対応の教育・訓練の手 法として活用する方法について、ゲーミング、ビデオクリップ教材、ワークショップの素 材として活用する方法について検討した。 (b) 業務の実施方法 1)エスノグラフィー調査のテーマと対象者の選定 被災地における自治体の災害対応関連業務は非常に多岐にわたる。17 年度は、14~16 年度実施したテーマをのぞく、さまざまなテーマを可能な限り多く網羅することを念頭に、 「神戸市震災人材バンク」登録者より、現場、ならびに本部対応を経験したさまざまな立 場の調査対象者を選定した。 494 2)インタビュー調査の実施 研究実施者が聞き手となり、テーマごとに数名を対象にグループインタビューを実施し、 音声ならびに映像をデジタル情報として記録した。1回のインタビューに要する時間は約 3 時間、インタビュー方式はインタビュアーの予断をいっさい一切差しはさまぬよう留意 し、時系列に沿って対象者自らが見、聞き、感じ、体験したことを自由に話してもらう方 法、すなわち、非構造化面接法(non-structured interview)を採用した。インタビュー は、対象者の話題の展開に従って話の進行を妨げないことに留意し、話の途中での質問は 極力行わず、発言は話の先を促す程度に留めた。 3)インタビュー結果に基づく災害エスノグラフィーの作成 グループインタビュー結果を、研究実施者が初めて知った新たな事実、他の災害対応従 事者なども経験していた普遍性のある事実という視点で再整理し、災害対応現場における 知恵の体系化を行った上で災害エスノグラフィーを記述した。 4) 災害エスノグラフィーを教育・訓練用ツールとして活用する手法の検討 上記 3)で得られた災害エスノグラフィーを災害対応の教育・訓練のためのツールとして 活用するための手法について検討した。具体的には、ゲーミング・シミュレーション、デ ィベートの素材として活用することを念頭に、既存のゲーミング・シミュレーションのフ ォーマットについて検討を行った。また、撮影した映像資料を編集し、ビデオクリップ形 式の教材に集約すること、エスノグラフィーをテキスト型の教材として利用するワークシ ョップ技法についても予備的な検討を行った。 (c) 業務の成果 以下、まず、1)~8)において、各インタビューセッションから得られた災害エスノグラ フィーを順に記述する。ここでは、17 年度に実施した 10 回のインタビュー(第 23~32 回インタビュー)のうち、第 23 回~第 30 回までの8回分について整理する(2006 年3 月実施の第 31、32 回のデータは現在整理中である)。次に、9)では、災害エスノグラフィ ーを災害対応の教育・訓練のためのツールとして活用するための手法について検討した結 果について集約する。 1) 仮設住宅の管理・運営に関する災害エスノグラフィー a)入居募集は、数回にわたる募集のあと、 「常時募集」。 「常時募集」は、主として、希望 者がなかった住居、退去後の住居への(再)入居を促すため。 b)入居時の相談、鍵渡し窓口。電気、ガス業者の窓口も一括開設して「ワン・ストップ」 で受付が終了可能な工夫。一般企業の協力で、入居時の物資(台所道具など)をそろえた ケースもあった。 c)入居後の相談、クレーム、相当数あり、バラエティも多い。たとえば、「転居希望」、 「世帯分離」。前者は、隣家騒音などを理由に、後者は大人数で入居した後思い直して、と 495 いったケース。特に多かった苦情が、「近隣騒音」。近隣が知らない人である場合、特に顕 著。 d)仮設入居者に対する「相談所」は、1995 年秋以降センタープラザに開設。 e)仮設住宅建設地として郊外地ではなく、旧市街地がよかったという考えももちろん一 理ある。他方で、旧市街地は被害がひどく、一部地域では仮設住宅建設よりライフライン 復旧が遅れそうになった地域もある。被害大の地域には仮設も建設しにくい。 f)入居者に対する対応だけでなく、仮設建設予定地の住民との対話も重要課題。たとえ ば、北区では、震災後 2 ヶ月の 3 月の段階から自治会会長、役員に対する説明会を開始。 g)行政(区)も、それまで縦割りになりがちだった「まちづくり推進課」、 「保健所」、 「福 祉事務所」など、仮設住宅の維持・管理に関わる部局が横断的な体制を組織。 h)入居者に対するケアとして、入居後数日間、仮設住宅前に職員がつめるテントを開設 したケースもある。さらに、前述の当座の物品に加え、役所の位置、連絡先、周辺の商店、 施設情報などを記載した資料を配付。 i)入居者の交流の場として、「ふれあいセンター」の開設。 j)入居者の親睦会、連絡会等を作ることを促す努力も行政として実施。 k)仮設住宅は建設を急がれた分、入居後、多くの課題が発生。その対応が重要かつ困難。 例をあげれば、道路のぬかるみ(雨の季節、トラック等の出入りでデコボコになりやすい)、 街灯設置や自主パトロール体制の確立(治安問題)、ゴミ投棄、周辺幹線道路の騒音、ヘッ ドライト、ひさしの設置、エアコンの設置(電気容量との兼ね合いも問題、もちろん、予 算措置の問題もある)、手すりの設置(高齢者)、スロープの設置(クルマ椅子など)ユニ ットバスの電源(電気と換気扇スイッチが連動していると、冬場外気が取り込まれて寒い)、 屋外の湯沸かし器の凍結、台風シーズンにおける建物補強工事、消火器の設置希望、排水 管にオムツ等が流れてしまったときの処置、港湾近くの仮設住宅では大型クレーンによる 電波障害、住居に蜂が巣を作ったなど。 l)さらに、こうした上記問題すべてについて、何をどこまで入居者/行政が対応(費用 負担)するのか、という問題が生じた。 m)要望、クレームは、入居者個別から上がってくるケースもあれば、自治会等がしっか り出来たところは自治会単位であがってくる場合もある。 n)仮設住宅特有の問題として、一口に仮設といっても、業者は多数(40 社あまり)、よ って、その仕様、グレード(防音性能、断熱性能)には差がある。不公平感が生じる場合 も。職員は写真、資料等で情報共有して、説明できるようにしておくべき。 o)他方で、仮設の広さそのものは、短期に大量に、という原則もあり、2K が中心で、 1K や3K など、幅広いニーズに応え得なかったという反省も。今後の課題。 p)鍵もさまざま。外国製住宅の場合、予備スペアを確保、事後発注しにくいことも。そ の後の再入居などを考えると当初から考慮にいれておくべき。 q)入居者、特に、孤立しがちな独居高齢者への中長期的対応として、行政職員(保健師)、 民生委員、地域ボランティア、ふれあい推進員(仮設 50 軒に 1 人)、警察等が横断的に連 合した見回り体制が確立されたケースあり。 r)ふれあいセンターをベースに、昼食会、喫茶、イベントなどを実施。 s)仮設の退去、閉鎖にともなう施策も重要。ひとつは、部分的に退去が進んだ仮設で残 496 っている被災者への対応。歯抜けになって治安が悪くなるケース、仲間が少しずつ減り「今 度も復興住宅抽選にもれた」と落胆している方に対するケアも必要。 t)市街地立地の仮設は退去後の空き部屋へ移転を希望する被災者もいる。部屋のクリー ニング、鍵取り替え、空き部屋情報の提供と再入居受付の相談窓口が必要となる。 u)恒常的に居住していないのに倉庫代わりに使用する不心得な人もあらわれる。 「 何日ま でにしないと…」といった貼り紙等で対応。 2) 長田区災害対策本部に関する災害エスノグラフィー a) 災害対応の第一線となった区役所での初期対応。 b)職員としては、大量の電話への対応が大変。5~6人の職員が電話の前に。全部上司 にうかがいを立てていたらまわらない。 「 とにかく自分らで出来ることは自分らで判断して くれ」、 「各人の自覚と責任でやる以外ない」。特に、最前線、初期段階では、職員一人一人 が問われる。 c)職員の健康管理も非常に重要。 「 睡眠時間は毎日 1 時間」、 「 寝るのは床の上か、机の上、 顔が硬直して唇が動かなくなる」。自宅で入浴できたときなど、被災者に対して申し訳ない という気持ちも強かったが、サポートする方が体力、気力がまるでない、では支援できな い。 d)庁舎が避難所となったことについて。多くの職員出勤時には、すでに住民が着の身着 のまま庁舎内に避難。やむを得ないこと、しかし他方で、事後の行政を考えると問題。 e)実際、数日後、移動してもらいその際に混乱。 「行政は人でなし」のような強い言い方 をされる人も出てくる。しかし、2 月 6 日の罹災照明発行には庁舎のスペースが必要で、 現に当日朝は庁舎を2重に囲む人垣 2000 人ができた。実際には、前日、混乱をともない ながらも別の場所に移動してもらっていなかったら大変なことに。 f)前後して行われた義援金事務でも、区の職員、これに応援の職員を入れて、70~80 人、 最大 100 人規模のスタッフで対応。罹災証明発行窓口、義援金窓口、相談コーナーなど。 ここに数千人の被災者が訪れる。それだけのスペースが絶対に必要。 g)税務関係、住民票関係など、プライバシーに関わる書類を所管しているセクションで はとくにそう。 h)区役所庁舎内の被災者対応。これに追われる。住民の側にリーダー役を決めてもらわ ないととても役所の人間だけではとても回らない。避難者のキーマン探し、設定が重要。 被災後 3 日、一定の落ち着きが見られた時点でリーダー会をもってもらう。 i)議案は数点。ペットの扱い、トイレと掃除分担、電気容量の確保の協力、物資受入れ の手伝い、たばこなど。 j)緊急物資がドンドン輸送されてきて職員だけではとても対応できない。中には不心得 な物資も混じり、多くの人手ととらえる点、最初はどうしても全員に行き渡る分量確保で きない点など、第 2 の災害と化す危険も。 k)物資確保について、2点。第1に、行政のストックは補助と考えて、各家庭での準備 をしてほしい。次に、ストックよりも「流通備蓄」を考えるべき。現在の日本では、数日 すれば、内外からの物資が大量に集る。だから、ストックよりもむしろ流通・交通の確保 497 に努力すべき。ブルーシートが来るといって渋滞に巻き込まれて待っていた被災者、職員 が混乱したケースなど多々問題があった。 l)神戸市全体の配送システムとは別に、長田区独自に「コスモ配送センター」 (コスモ石 油の未使用のヤードのこと)を設定。 m)これにより、より細やかな物資管理、配送ができるようになった。区役所でニーズ把 握、配送センターから一括配送といった形式。センターでは、多くの流通の専門家、ボラ ンティアの援助も得た。 n)停電の影響は甚大。地下駐車場のガレージシャッターが開かず、車両が使えず。1階 から 7 階まで重たい物資を持って何度も往復、体力消耗。パソコン(ワープロ)、コピー 使えず事務非効率。 o)初期は、バイク、自転車、徒歩で2~3人一組で職員が被災地内、区内各所を巡回。 避難所の状況確認、情報収集、要望聞きとりなどに。当初数日は、近所の商店から事後承 諾や事後精算で物資を提供してもらわざるをえないほどの混乱と物資不足。) p)これら踏まえて、対応初期対応の原則は以下の通り。 「物資は最初の 3 日間はあえてほ っておく」。オープンに積んでおいて必要な人に持っていてもらう。行政が下手に抱え込ま ず任せたほうがいい。「区役所(特に、中枢部)には人をいれない」。後から移動していた だくと、その方がより大きな混乱が生じる。罹災照明の発行、義援金の配分など、庁舎ス ペースが大量に必要になる時期がすぐ後に待っている。 q)他組織との関係では、自治労など他都市からの応援は、一箇所をひとつの同じ自治体 に継続的、長期的に面倒をみてもらうような形式がよい。独自の作業マニュアル、引継ぎ マニュアルまで作成してくれたことも。 r)マスコミについては、協力を得た部分もあったが、センセーショナルな場面だけをと りあげる、自分で汗をかいて情報をとうろうとしない記者がいるなど、問題も散見された。 s)長田区の特徴。人口密度多い。戦前からの住宅が約 5000 戸(6 万戸中)もあって、こ れがほとんど大きな被害を受けた。ほとんどが狭小住宅で、現在の基準より以前の建築な ので、その建替えにあたっては、セットバックなどで問題が生じた。街すべてが再開発、 といった状況。 t)大地主さんも多く、店子の方との方針の違いなど、再開発の際のネックになることも 多いと感じる。 u)他方で、住民意識が強く、コミュニティがしっかりしていた、という一面も。独自の 祭りがあったり、銭湯が 55 軒あったり(現在 25 軒まで減少)。地域の郷土館、会館など、 自分たちの地域の財産を作り保全しようという雰囲気もある。 3) 被害家屋調査(罹災判定)に関する災害エスノグラフィー a)第1次調査(1 月 30 日~2 月 3 日までの 5 日間) b)理財局主税部固定資産税課を中心に被害家屋調査を行うことが、1 月 23 日の「第 2 回 情報連絡会議」で正式決定。日常的に、固定資産税評価の中で、建物を見慣れている、と いう根拠 c)当初は、航空写真を利用した調査も考えられていた。実際には役に立たず。 498 d)27 日の「第 4 回会議」で、2 月 6 日、罹災証明発行が決定(トップダウンで。現場と しては、早くとも 13 日、という意見)。すべてを 27 日~2 月 5 日までに行う必要性が生 じた。 e)結果としては、これはあまりに時間がなさすぎた。その結果、 (第一次)調査が外観目 視のみの性急な調査になり問題が多数生じた。義援金の早期支給のために急ぐと言うが、 それなら、義援金は被災者を勇気づけるという立場から、ある程度薄く広く配分して、家 屋被害調査とは切り離すことも今後模索すべき。 f)人員確保。理財局主税部中心に市職員 50 人、政令指定都市間の応援に基づいて、大阪 市 50、京都市 20、名古屋市 30、北九州、広島、福岡が各 10。これで 180 人程度確保。 g)準備作業。29 日日曜日に、しあわせの村で研修会(説明会)。交通悪い中チャーター バスなど利用して、職員(市、消防)、さらに応援職員 180 名が参加。調査のやり方、分 担をブリーフィング。簡単な調査要領を作成し、手わたし。 h)調査は、30、31 日、2 月の 1、2、3 日の5日だけ。4、5 日で台帳整理して、6 日に臨 む。調査対象は、約 398000 棟にのぼった。 i)北区、西区、垂水区は、被害が小なので、地元の区と消防が担当。被害大の中心6区 を、 「この地区は消防で、この地区は市役所で」とそれぞれほぼ半分に割り、消防と市役所 (理財局)の 2 分担体制で。 j)40 万棟を、市関係 200、消防関係 200 人で 5 日間で対応したとすると、概算では、一 人一日 200 棟判定する計算になる。まさにそのくらいのペースだった。 k)判定基準。昭和 43 年発表の災害認定基準に従うほかない。被害額が家屋の 50%以上 で全壊、20~50%で半壊、というもの。 l)これを踏まえ、「屋根、壁、基礎を見よ、それぞれ、20%、60%、20%の割合で」とい うガイドラインを神戸市作って判断。 m)具体的問題としては、以下のようなことが生じた。外観目視に頼るほかない、内部の 被害はわからない/複数建造物があるとき母屋だけをみるのか/亀裂(クラック)にして も大きなもの1本と小さなもの多数とをどう位置づけるのか/マンション等集合住宅は部 位によって被害がまったくちがうが、結局「1棟全体判定」となった/その建物は大丈夫 でも周囲の被害がひどくライフラインも途絶して住める状態ではない場合もある、など。 n)1 次調査は、市職員と応援職員など 3 人ペアで出かけたが、実際には、時間がなく、 「この街区は、あなたにお願い」といった形でまかせ、判定は 1 人のみ、複数で付き合わ せる余裕はなかった。 o)応急危険度判定との混用、保険会社の判定との食い違い、市営住宅の判定過程、判定 結果とのギャップ、といった他の判定とのからみから生じる問題も。 p)立場の違いによるコンフリクトも当然多かった、地主と店子。借家の人と持ち家の人。 全壊認定をもらって壊したい意向の家主もあれば、何とか住み続けたいという店子もいる。 マンションでも、経済的事情などから入居者によって大きく意見がわかれることもある。 q)被害認定とは別に、 「安全に住めるのか?」という判断を専門的に欲しい、という要請 もあった。 r)6 日の罹災証明発行の会場は、殺気立っていた。多くの人が行列をなし、また多くの 人が再調査を依頼。相談コーナーでの対応は非常にしんどいものがあった。 499 s)再調査について。独自のチェック項目を作り、3 人一組であたる。 t)東灘区では、建築士との個人的つながりをもとに、この建築士を含め 5 人で 5 班の再 調査グループを設定し、2 月末から再調査に同行、アドバイスを得た。判定に不服をもつ 被災者の納得を得るには、素人でない、専門家のアドバイス、判断が有効だった。 u)この方式は、神戸市の建築協力会に所属する建築士のボランティア協力を得て、他の 区へも拡大。15 社からほぼ 1 名ずつ出してもらって各区へ。 v)それでも納得が得られないケースもある。最後は、 「根比べ」のようなところも。特に、 後半は、被害判定と金銭的保証との関係が明確になり、よけいに問題がこじれた。義援金 配布だけでなく、各種給付金、一般企業における見舞金、学校への入学金、授業なども関 わってくる。私立大学の入学金など、全壊と半壊とではすぐに 40、50 万ちがってくる。 被災者としてもあとにひけない部分がある。 w)そもそも、第 1 次調査漏れとなった地域もあった。土地不案内な他の職員が担当した 場合、あるいは、立ち入り禁止区域になっていた、といった場合。 x)他区、他市町の判定との差についても、 「 あそこに比べてきびしい」といった声は出た。 y)本来業務(固定資産税課として税の減免措置の事務作業など)への復帰も重要だった。 z)他都市との連携策、現実的な判定マニュアル等の整備、それを用いた訓練、後進の育 成などが自治体として必要。 4) 災害給付金に関する災害エスノグラフィー a)何期かにわけて、幾つかの種類の給付金関連事業を行っているが、すべての立ち上が りは、1 月 25 日の義援金の募集委員会立ち上げ。ただし、その前に、例外として、社会福 祉協議会所管で生活福祉金の貸付(10 万、20 万)という制度があった。これは、あくま で貸付。 b)次の大きなステップは、2 月 6 日の義援金配布開始。この日は、罹災証明発行と同日。 本庁で、罹災証明発行、義援金受付のための手順、システムづくり、受付場所のレイアウ トの原型を作成し、あとは、区単位で、独自の事情に合わせてアレンジしてほしい、とい うスタンス。 c)区に対するマニュアル、Q&A なども作成したが、ケースバイケースとなることが多く、 どうしても、「こういうケースはそうしたらいい?---また考えておきます」といった場当 たり的対応が多くなった d)罹災証明も受けとる、義援金の引換証(銀行窓口へ持参)を渡す、という手順。引換 券方式のため、窓口でのやりとりとなり書類不備などの問題は少なくて済むが、被災者に 並んでもらわねばならない点、窓口業務にあたる職員が大量に必要な点など弱点も。 e)義援金という浄財を早く生かさねばならないのももっともだが、役所である以上、手 続きや体制を整備してからでないとあとあと混乱を生む。現場が迷惑するという点も指摘 したい。 f)義援金配布で具体的に問題となった諸点。 g)住民票。当初、住民票を基本にしたが、それがなくても実際に居住していることが証 明できるものがあれば OK といったやりとりがあって混乱した。 500 h)義援金額が罹災証明と連動しているため、罹災証明(家屋被害認定)に関わる問題点、 クレームも、義援金事務と一緒になって噴出する。この対応にも苦慮した。 i)そもそも、雲仙や奥尻島とは異なって対象者が桁外れに多いため、支給額が見舞金程 度にしかならず、その点でも不公平感があった。あとあと追加という形になったことも含 め、もう少し、まとまった額を固まりとして支給する可能性はなかったか。 j)次のステップは 2 月 14 日。本庁で、災害対策本部で給付金関係の体制作りがなされる。 3 月からの県市見舞金、5 月からの重傷見舞金、要援護家庭激励金、住宅助成義援金など、 第2次以降の体制づくり。あわせて、災害弔慰金、障害者見舞金、貸付援護金のための体 制もこの時期に整備。 k)これらのうち、ほとんどの事業で、体制づくり、分配基準検討、名簿作成などは本庁 で、実際の窓口業務は区で担当(後述のように例外はあり)。 l)重傷見舞金では、郵送方式で対応。このため窓口業務での弱点(先述)は補われたが、 逆に、書類不備が多数見つかる点、 「書類は送ったのにまだか…」といった問い合わせが多 数寄せられる点、 「たしかに送ったつもりだ」、 「入院中で郵送対応できなかった」といった 声に対する対応に苦慮する点、などの欠点も。 m)県市見舞金(3 月 13 日申請開始)でも、準備した申請書類があっという間になくな ったこと、申請して2、3週間たっても振込がないと銀行や市に苦情がくるなど問題もあ った。もちろん、当初は処理量が膨大、書類の確認に時間をとられる(前述のように不備 が多々ある)など、遅延の理由はあった。 n)要援護家庭激励金、住宅助成義援金でも、上記と同様の申請手続き上の問題があった。 これに加えて、前者では対象家庭の同定、後者では、当初持ち家修理と民間賃貸住宅への 入居に対象が限られていて、持ち家建て替えは該当しなかった(その後含まれる)ことへ の説明など、現場は対応に追われた。 o)災害弔慰金。まず、亡くなった方を特定する(データを整える)のが非常に難しかっ た。警察はデータを提供せず、新聞報道のリストと住民基本台帳のデータとをつきあわせ ながら台帳を作成した。 p)災害弔慰金については、各区の事務がパンク状態であることから、本庁直接管轄とし て、市民福祉センターに窓口設置して対応。スタートは 3 月 20 日、スタッフは総勢 40~ 50 人。各区ごとに窓口設置。 q)問題としては、まず、家族が亡くなったのに名簿にないケース。単純に漏れている場 合、死亡診断書をもっていきてもらうなどの対応で先に進めるが、いわゆる震災関連死、 特に自殺の扱いは、ケースバイケースで、かつ非常に困難。専門家(医師)の判断を仰ぎ ながら認定を進めるが、どこまでを認めるのか、非常に難しい判断。 r)もっとも揉めたのは、生計中心者 500 万、それ以外 250 万という法令であったが、世 帯主 500 万という一部報道が流れた点の処理。高齢の世帯主、中年の生計中心者といった ケース。所得税の現状を調べる必要が生じる。 s)直系尊属(親、子、孫)しか支給されない点には法令の盲点。神戸市では、3.20 に発 令。1.17 に子が亡くなり、もし 3.19 に親が病気等で亡くなると、(子の)兄弟は何も受け 取れない。 t)「生死にかかることの相談は 1 週間交替の(応援)職員では対応できなかった」。一人の 501 被災者と2~3時間顔をつきあわせ、何回も協議しないといけないことも多々ある。1週 間交替の体制では無理。人材派遣会社の有効活用など、中長期にわたって同じ被災者(遺 族)には同じ職員が相談業務にあたれる体制作りが必要。 u)他方で、人の生死に直接向き合うこの業務に、特定の職員が超長期にわたって従事す るのは、精神的身体的に無理。 v)災害障害見舞金。これは、内容から福祉事務所での対応を依頼。最大の問題点は、災 害弔慰金制度における障害の等級と、障害者手帳による障害等級とが食いちがっている点。 説明に苦慮。 w)いずれの給付金についても、性善説に基づいて広く支給をして被災者を支援したい気 持ちはもちろんあるが、他方で、二重に申し込んでいるケース、悪徳業者が連帯保証人を 金で売りさばいていたケースなど、慎重に審査手続きを踏まざるをえない根拠もあった。 x)所得額の確定を平成5年(地震がおきた平成 7 年から見れば 2 年前)のそれで確定せ ざるを得ず、家計の事情が変わっている場合に柔軟に対応できなかった。 y)災害弔慰金に典型的に見られたように、給付金事業では、長期に渡って詳細に調査し、 かつ、当事者の相談にのらねばならないケースが多々あり、長期に関わる事の出来、責任 を持って応答できるスタッフを4~5人は確保し、かれらと応援職員がチームを組む体制 が必要。 5) 災害廃棄物(総論)に関する災害エスノグラフィー a)2 月 3 日の災害廃棄物対策室の設置がスタートライン、当初 13 人でスタートしたが、 3 月末には 39 人に。4 月以降さらに人員増えたが、それでも 7 月までは非常に多忙であっ た。当初は、撤去だけが対象。しかし、その後、解体、撤去、運搬全般へと業務が拡大。 b)当初は、1 日 500 戸程度は解体されていた。3 ヶ月で 4 万 5 千くらい、3 ヶ月でちょ っと落ち着くかなという見通しだった。 c)業務態勢は、3 班体制。総務班(苦情処理室)、企画班、処分班。 d)公費解体が最初の仕事。方式は次の3つ。第 1 に、市の発注による解体撤去工事(単 価契約方式)、第 2 に、三者契約による解体撤去工事、第 3 に、自衛隊による解体撤去工 事。 e)三者契約は、被災者が業者を見つけ、その業者と市が契約を結ぶという形式。単価契 約形式は、簡単に言えば、入札に近い形式、つまり、区役所で市民は解体を申し込み、行 政の責任で業者を見つけ契約し、業者を派遣する。よって、この 2 つはコンセプトが全然 違う。 f)三者契約導入の最大の理由は、急がねばならなかったこと。 「隣の家、倒れかけている」、 「二次災害につながる」、「壊れかけた家で道路が塞がれている」、「早く片づけないと生活 の次のスタートがきれない」といった要望が強かった。 g)単価契約は、基本的に、業者をエリア別に割り当てていたので、非常に時間がかかる。 よって、苦情なども多く持ち込まれ、三者契約方式も導入せざるをえなかった。 h)単価契約の業者は、平成 7 年度前期で 414 社、後半では 315 社。また、単価契約につ いては、重機などが入っていけない家屋でも同じ値段になることに業者からの不満もあり、 502 小車での移動距離が 20 メートルのときはいくら上乗せといった形で特例で対応した。 i)単価契約事務作業では、近隣市の応援も得た。 j)細かな問題点としては以下のようなものがある。公費解体があったことで、 「とりあえ ず申し込んで」おいて、しかし、後からやはり補修して住み続けたい、といった再判断に なった世帯もある。 k)また、実際には居住者の代が変わっているのに、名義が変わっておらず、そのために 書類等が十分そろわずに手続きに手間取ることもあった。 l)解体後の反省点としては、瓦礫の受入れ場所が布施畑と淡河に限られていること、そ こへと至る道路が限られていることから、トラックの渋滞が続き近隣住民や道路利用者か らのクレームもあった。 m)仮置き場が少なかったこと。今後は、大規模災害に備えて、市町村は域内にこうした 用途に使える土地を予め確保しておくべき。 n)自衛隊による解体は、全体から見れば例外的。数では、6 万 1392 の解体のうち、自衛 隊は 1039 軒のみ。神戸市内東部に多かった。非常に急ぐ場合など、大きな重機を持って いる点で助けになった。また、住宅所有者とのコミュニケーションがよく、自衛隊の作業 は丁寧だったとの評価もある。他方で、4 ッ角や大きな道に面したやりやすい場所でしか 活動できなかったこともあって、初期の 4 月までに限られた。 o)三者契約では、厳密には、もう一つ、精算システム形式があった。これは、地震発生 から、神戸市の公費解体方針の広報が出た 30 日までのあいだに、危険その他の理由です でに解体されていたケースに該当。写真など確認できるものを持参してもらい、精算班が 精算にあたった。 p)日常市内で協力している市内の業者の多くが自ら被災し、機材や人員が不足する中、 復興に関わる意欲を持ちながらも十分力を発揮できず、外部の業者が大量に入ってきたと いう面もあった。 q)三者契約にしろ単価契約にしろ、窓口のバックヤードでは大量の書類が必要。また情 報管理が必要。基本は固定資産税台帳、これで所有者もわかり、これをベースに、解体が 入ったどうか、誰が担当、といった情報、さらには、全壊・半壊などの情報も罹災証明か ら追加した。今後は、これらの情報を統合運用できるシステムが必要。 r)災害規模にもよるが、今後も、三者契約は必要、また単価公示も必要、さらに、弁護 士等専門家との連携も重要。 s)大きな混乱状況での対応であったが、結果的には、訴訟にまで発展したケースはわず か一例(しかも自衛隊担当のケース)のみであったことは、評価できるのではないか。 6) 保育士・保育所の震災対応に関する災害エスノグラフィー a)当時は、保育所が市内に 90 カ所あまりあった。区による被害程度のちがいによって、 対応状況も千差万別であった。 b)多くの職員が、被害を受けた家族や自宅家屋の対応、近隣での救助活動、さらに、遺 体安置、物資配給など区や市としての業務など、保育士としての対応に入る前に多くのプ ロセス、業務を経ている。 503 c)東灘区のある避難所では、100 人あまりの避難者が避難。発災当日から、まずスタッ フの安否確認、次に職員 2 人一組になって子どもとその家族の安否確認。やり方は、まず 電話、次に自宅を訪問。避難所や近隣の親戚宅に避難した後で、近所の人、友人からの情 報、貼り紙情報に頼ることも。23 日には全員確認。犠牲者も存在した。 d)その頃にはすでに、 「子どもはいつからみてもらえますか?」と保育所スタートを求め る要望もあがっていた。 e)23 日に所内の会議、24 日に区内の所長会議。2 月初めに再スタートすることを目標。 1 月末には 0 歳児室一部屋を確保した(避難者が少しずつ減少していたため)。 f)2 月はじめに「保育が必要ですか?」ということを尋ねる保護者アンケートを実施、ニ ーズ把握。 g)2 月 3 日に 2 部屋を避難者に空けてもらって再スタート。自園 10 人あまり、他の園か ら 10 人程度で。 h)避難所(避難者)と保育所(子ども、保護者)とのバランスに苦労。市としては避難 者対応最優先であったが、保育現場としては保育再開・充実も重要な課題だった。避難者 が協力して厳しい状況の中、少しずつ部屋を空けてくれた。 「4 月から通常通りの保育がで きるようにがんばります」と協力してくれた。保育所退去にあたっては、片づけ、清掃な ど協力いただいた。 i)灘区のある保育所では、近隣の2つの保育所が全壊状態。これらの別の保育所に通っ ていた子どもの受入れも課題に。今後の災害対応でもそうだと思われる。 j)職員安否確認は 17 日完了。23 日職員全員招集、区内の全保育所に通っていた子ども の安否確認にあたった。近隣の児童館を 4 館借りて、一部の保育所(2カ所)と合わせ、 合計6カ所では、20 日に保育再開。 k)児童館は、本来高学年の子ども向けの施設のため、保育所としての利用では苦労した。 狭い空間に多くの子どもがおり、空調設備がない場合など、夏場は大変な状況だったこと も。 l)保育所も、避難者の数が減少するにつれて、部屋が少しずつ空き徐々に機能復帰。終 了式も場所設定など苦労しながらも行われた。 m)長田区のある保育所は、避難所にはなっていなかった。そこで、近隣で大きな被害の 出た保育所の子どもの緊急受入れを決定。保育室のほかに遊戯室なども使った。 n)子どもを対象とするので、特に給食、暖房には苦労。カセットコンロ、灯油のファン ヒーターなどを利用。 o)垂水区では、1 カ所をのぞいて、保育所そのものにはほとんど被害はなかった。残り 9 カ所の保育所では、23 日から午前のみで再開、26 日には平常通りの保育に。ただし、当 初、水道が使えず子どもの衛生管理、給食などに腐心。 p)余震も多発し、子どもの安全(ものが落ちないように、マットレス等の準備、普段着 のまま昼寝など)にも気を配った。 q)被害が小さかったので、他区の子どもの受入れ要請が増加。特に、被害大の区の子ど もが親戚宅などを頼って西区、垂水区に移ってきているケースなどが対象。通常なら、受 入れにあたってスタッフの配置など事前準備をする必要がある特別な場合でも、例外的に どんどん受け入れた。 504 r)他区からの子ども受け入れは、垂水区の福祉事務所の保育所担当者が統括。他の区の 担当者と連絡調整にあたる。 s)春以降、保育所周辺に立地し始めた仮設住宅で独居老人のケアが問題になり、福祉事 務所と連携して、子どもたちと仮設住宅訪問などをしたこともあった。 t)保育所以外の業務としては、初期には、先述の通り、遺体安置(遺族の方とのやりと りなど、ひとつひとつが非常に重い経験であった)、避難所の手伝い、救援物資のよりわけ、 交通整理など、多岐にわたった。 u)中期には、各種手続き(罹災証明発行、仮設住宅受付など)のヘルプ業務が中心。区 ごとに、保育所からの応援要請人員が示され、交替(ローテーション)で現地に赴く。行 った先にはマニュアルが整備されて仕事のやり方に困ったことはそれほどなかった。むし ろ、保育所職員は、対応がマイルドで市民から評判が良かったと聞いている。 v)保育所では、こどもの心身に対する心配りも必要。表面的には大丈夫でも、遊びのな かに地震が登場したりというケースはあった。また、子どもは、周囲の大人の様子に「た だならぬ雰囲気」を敏感に感じるので注意が必要。 w)いつものように遊戯室、運動場で遊べないなど、子どももストレスがたまったのでは ないか。ペットボトルの水汲みを手伝ってもらって、 (身体を動かすことが出来て)かえっ てよかった、というケースもあった。 x)今後は、保育所での最低限の食料ストック(現在は予備のお菓子程度しかない)、避難 訓練(火災だけを念頭に置くのではなく)、昼間の被災(保護者と一緒にいないことは子ど もにとって大変なストレス、その点では、今回は不幸中の幸いだった)への対応準備、ピ アノなど大型の什器の固定、本庁、区役所、保育所間の指揮命令系統の整備、など必要と なる。 7) 建築確認に関する災害エスノグラフィー a)初期の大きな業務は、第1に、被害の実態調査と2次災害防止を目的として、明らか に危険と思われる建物に「使用禁止」の用紙を掲示すること、第2に、事後に大量に予想 される建築確認業務へ向けての体制を整えること(大きな被害を受けた事務所から重要書 類を持ち出し、新しい事務所への移転、開設)、第3に、周辺自治体から駆けつけてくれた 応援部隊の受け入れ、の3つ。 b)建物使用禁止の貼り紙(第 1 次の応急危険度判定、との位置づけ)については、建築 基準法上、違反建物に対して是正措置が打てるのだが、そうした業務の一環と位置づけた もの。さらに、被害の実態調査の意味合いもあった。震災当日夜、徹夜で 2000 枚以上コ ピーして作業を開始。 c)作業は、18 日から実施。他自治体からの応援も得た。その後 6 日間でのべ 1000 人の 人員の応援を得て実施。最終的には、約 1300 の建物に貼った。 d)住宅地図(コピーしたもの)が重要書類。マニュアルは特になし、次の余震がくれば 明らかに倒壊すると思われるような 4 階以上の建物という基準で、外観目視で各自判断。 安全側に判断基準を置いて判断。白黒コピーした用紙を貼り出す。 e)建設省の応急危険度判定(赤、黄、緑)の存在は、その後、知った。 505 f)上記の神戸市の独自判定、さらには、家屋の被害認定調査などが混在して、被災者を 混乱させた面は今後の課題。しかし、後述のように、二次災害の防止、被災者への情報提 供の観点から、個人宅も含め、その安全性を判定する仕組みは何らかの形で必要。 g)応急危険度判定は、2 次の応急危険度判定と位置づけ、応援を含むのべ 2600 人の人員 で、2 月 9 日までの 18 日間実施。対象は共同住宅、17000 棟が対象だった。個人住宅は対 象外となった。なお、この際の作業の記録を十分とっておかなかった(総量は把握したが、 どの住宅がどの判定かまではなし)のは、反省材料。 h)応急危険度判定に関する住民からの問い合わせは非常に多い。まず、個人宅を対象外 にしたが、 「うちはそのまま住めるのか、壊した方がいいのか」という問い合せが多数。子 どもや年寄りを抱えた世帯など切実な情報だったと思う。個人宅に対する対応は今後の課 題。「こんなの貼られたら、商売できない」という大家さんからの苦情もあった。 i)建築確認業務の再開は、2 月 1 日以後。事務所の引越し完了(下記)を受け、1 月 31 日に、建築確認業務開始、という記者発表を実施。 j)作業再開のためには、諸々の書類を確保する必要があり、被災した事務所から、職員、 民間の業者、ボランティアの協力を得て、サンボーホールに場所を確保できたので、そこ への引越し作業。1 月 21 日から開始、30 日頃には完了。 k)業務に関連する一般企業(たとえば、銀行やライフライン関係)や、市役所内の他の セクションが、仮設の事務所に出先を設置したり、近隣支店で柔軟に対応してくれたり、 とふだんできない連携ができたと思う。 l)2 月 1 日、建築確認の業務再開。大量のビル、家屋が倒壊しているので、膨大な量の 申請がくると予想され、事実そうなった。特に問題となった点としては、以下の諸点。 m)第1に、建設年次の古い住宅については、現在の基準では建ぺい率や接道基準上、認 可できないケースが多数出てくること。 「でも住民は家を建てたい」が住民の本音。行政と してももちろん可能な限り建たせてあげたい。ジレンマがあった。法令上認められるギリ ギリの工夫として、街区ごとの建ぺい率の 1 割緩和措置などを工夫し、住宅ごとでなく街 区ごとの大きな対応でかなり救済できた面もあったと思う。他方で、どうしてもダメです と諦めてもらうほかないケースもあった。 n)第2に、とりあえず仮設で建てたいという要望。基準には明確に定められていなかっ たこともあり、この面はかなり柔軟に対応した。 o)第3に、既存不適格のマンション。一律に認めない、あるいは、現行法の基準内で収 まるようにとすると、地域に多くの被災者が戻れない事態も予想され、震災特例総合設計 制度を取り入れ、15 項目ほどの特例基準で対応。 p)ほかにも、街区や町全体の再開発計画が予定されている地域で申請が出てきた場合の 対応にも非常に苦慮した。ok を出してあげたいが、それでは計画された事業に支障を来た す。さらに、申請者本人にも、将来不利益になる。そうした場合の対応に苦慮。 q)作業は、7~8月がピークに。神戸市は通常年間 6000 件程度の処理量。ところが、 平成 7 年は 24000 件、翌年も 16000 件。 r)窓口は満員電車の中のような状況で、不慣れな人(ふだんは、設計事務所の職員など だが、ふつうの主婦が来る場合も多々あった)も多数申請に来る。一部の人は、住民票の 交付程度の簡単な業務と思って来られるので、説明も当然長くなる。専門用語も通じにく 506 い。その分、待ち時間も長くなり、2時間程度は待ってもらっていたのではないか。 s)職員も、朝窓口に座ったらトイレにも行けない状況で、正直非常に辛い業務であった。 t)よって、他都市(主として、政令指定都市で、同種の業務にあたっている職員)から の応援は不可欠。非常にありがたかった。朝と昼は窓口業務を行い、夜お互いの仕事の調 整、ツメをする状況。というのは、建築確認は、建築基準法1本でありこの点はわかりや すいが、その運用、解釈について都市間でニュアンスの違いもあり、この点の調整が必要 だった。 u)応援は、主に 4 月からで、10 市から 29 人。1 年、半年、数ヶ月など期間はさまざま。 交替の際には、短い研修を 1 日程度して引継ぎや仕事の内容確認。 v)今後は、建築確認業務は、柔軟に対応しないといけないケースが多々あることに留意。 また、街区の特徴、地域の特性を踏まえた対応も必要。今回も、可能な限りでそのように 対応した。しかし、他方で、最後は、特例を認めるにせよ、その特例に関するルールを明 確にし、行政も被災者もそれを守っていかないといけない。 w)事務作業、窓口業務の様子など、記録、写真等をほとんど残さなかった。今後は、記 録を残すべき。 8) 地下鉄の震災対応に関する災害エスノグラフィー a)地下鉄関係の対応には、次の4つの節目がある。第 1 は、震災翌日(1 月 18 日の 15 時 33 分)の西神中央、新長田駅間の部分運転再開、第 2 は、2 月 16 日(震災から一ヶ月) の全線運転再開(ただし、被害の大きかった新長田、上沢、三宮の 3 駅は客取り扱いせず)、 第 3 は、3 月 16 日、三宮と新長田で客取り扱いの再開、第 4 が、3 月 31 日、上沢で駅再 開。最後が、9 月、他の諸公示も含め、一応の全面復旧。 b)第 1 の節目までの当初の状況としては、地下構造物(地下鉄)は地震に強い、耐震性 は大丈夫という思いこみがあったことが、反省材料。特に、軌道等に大きな被害が少なか っただけに、他方で隠れた部分(機械室など)に生じた被害に気づくのが遅れた面も。 c)本庁(建築、機械)と名谷の基地(総合保守事務所、電気、保線、運行)との2つで、 役割分担をして対応。 d)当初、三宮側では三宮駅周辺の地下鉄路を数人のチームで歩いて検査。小さなクラッ クまで記録していては大変とわかり、水漏れ、コンクリートかけらなど大きな被害に限定 して調査。電気は、停電。しかし、自家発は機能、プラス懐中電灯で。 e)名谷側では、午前 6 時 45 分の段階で、泊りの保線区員を含め、すでに 21 人が駆けつ けていて、「多くのメンバーが自主的に出てきてくれてうれしかった」。1 班2名、徒歩と 線路を走るモーターカーで点検。地上部(西側の地上を走る部分)を 5 班、地下部を 3 班 の体制で。朝 9 時までには全線の状況が判明。もちろん多くの異状があったが、軌道その ものには非常に大きな被害はなし、との結論。 f)ところが、翌日になって、機械室、電気室などに大きな被害があることが判明(上述)。 新長田、上沢、三宮の 3 駅。特に上沢駅。20 日までには、170 の柱が被災していることが 判明。上沢では、一部は柱が天井からぶら下がっている状態で、もう少しで上部が陥没す る状況であった。とりわけ、鋼管柱よりもコンクリートの中柱の被害大。 507 g)急ぎ、補強のための H 鋼を確保。当該駅の施工を担当した大手建設会社の協力などを 全国から非常に品薄の H 鋼を確保。破損した柱の仮受け工事の準備。 h)仮受け工事までの重大問題のひとつは、上を通る道路交通との調整。道路側は幹線道 路なので早く通したい、しかし、地下鉄側としては安全確保の上から仮受け工事が完全に 終了するまで通行止にしたい。ジレンマだった。 i)工事では、地下ゆえ、資材(H 鋼など)の搬入経路がネックに。これも今後の課題。 名谷基地に搬入、モーターカーで各駅に輸送。作業は請負業者だが、搬入は直営部隊が担 当することに。モーターカー(2台→3台)、トロッコ(3→5台)など車両も増強した。 j)その後、駅構造物に地上部から直接搬入するルートが確保できたケースもある。この 経験は、地下鉄海岸線の工事で駅構造物にエレベータ(最終は小型のものになったが)が 必要という教訓として生きた。 k)地下の構造が多層の場合、最上部で仮受けH鋼が必要だと、その下の階のH鋼、さら に下…と何層にもわたって仮受けH鋼が必要となり、その分工事に手間が掛かった。 l)工事と並んで、他方で、被災当日から、軌道の検査を実施。数年前に導入した軌道検 測車が有用であった。全体の 22%に何らかの異状があった。 m)この後も、夜間に補修作業、保守作業が入り、そのための資材、車両などが朝からの 営業運転に差し支えないように、事故防止に非常に気を遣った。車両限界の確認、車止め の設置と完全撤去、制限速度指示板の設置と変更。 n)運行関係では、まず、発災時すでに運行していた列車の乗客の避難が課題。とくに、 1列車は駅間に停車していた。結果的には、特に被害、混乱なしとの報告。同列車の乗務 員(乗客誘導後も列車に待機)の交替などにあたる。また、復旧へ向けたダイヤづくりの 準備を早速開始。部分営業や速度制限を見越した措置。 o)停止した列車の移動等をさせ(7列車に 2 人ずつ乗務させたが、乗務員の安全性の確 認などは今後の課題)、18 日午前 3 時までには、所定の位置に数本の列車を待機させ運行 開始準備を整えた。 p)その後、名谷付近の高架橋の被災のために、部分的に単線運転になることがわかり、 そのための処置(指導司令式)、減速区間の存在、新長田駅での折り返しなどの制約条件を 踏まえて、ダイヤを編成。以降、状況がかわるごとにこまめにダイヤを変更。これらの乗 務員、乗客への徹底が必要で、苦労。最終的には、災害前にあった快速運転を停止(西神 地区に仮設も多数家建設されたことから、パターンダイヤに。)。 q)運転本数が少ない間は、乗務員は炊き出しなどにも協力し、他の業務にあたる人員を 支えた。 r)乗客対応も重要。新長田駅では、ホームにもう一列車を早めに入れて、ホームに溢れ る人数を減らす(新長田まで開業時)、名谷駅では旅客整理にあたるスタッフを増やす(名 谷で乗換が必要だったとき)、県庁前駅に三宮駅の改札ゲートを移設(三宮未開業時)など。 s)部分運転開始後は、すぐに、いつ全線開通なのかとの問い合せがマスコミ等から殺到。 交通局長、組合委員長の会合などを通して、一ヶ月後の 2.16 を目標にすることが確定。 t)被害額を国に報告するなど事務作業も続出。当初 200 億の報告(実際には、柱等が補 修で済んだこと、機械等のリユースがきいたことから、40 億でおさまった)。 u)地下鉄営業歴の長い大阪市営地下鉄から随分支援を受けた。人員、工事のノウハウな 508 ど。 v)当時、建設開始期だった海岸線のために確保していた人員を復旧工事にあてることが できたのは、運が良かったと思う。 w)地下駅の再開には、火災対策基準の遵守が必要で、空調設備がやられたために、この 基準クリアーもネックになった。 x)今後は、機械設備、電気設備に被害が出ても補修、入れ替えが容易なように、機械室 などのスペースに余分を十分確保すること、資材の地下部への搬入ルートを確保すべく駅 舎部のエレベーターを設置すること、外部業者だけに頼らず自前の直営の鉄道マンを養成 しておくこと、駅間に停車した列車からの乗客誘導を臨機応変に行うためにも(近い方に、 というルールだけでは被害のより大きな駅の方に誘導する可能性もある)連絡網として、 海岸線に導入した局内専用の PHS など情報設備を充実させること、乗務員の安全確保に 十分配慮すること、などが重要。 9)災害エスノグラフィーの教育・訓練としての活用手法の検討 上記 1)~8)で得られた災害エスノグラフィーを災害対応の教育・訓練のためのツールと して活用するための手法について検討した。 具体的には、第 1 に、ゲーミング・シミュレーション、ディベートの素材として活用す ることを念頭に、既存のゲーミング・シミュレーションのフォーマットについて検討を行 った。この結果、災害対応に関わる特徴的な行動・心理特性を心理的ジレンマ事態として 整理し、その結果をジレンマ型ゲーミング・シミュレーション(特に、集団で行うカード ゲーム)として表現する方法を開発した。このジレンマ事態を記述したカードをツールと した震災対応カードゲーム教材「クロスロード」を開発した(詳細は、本報告書 3.2.1.5 を参照されたい)。 第2に、また、撮影した映像資料を編集し、ビデオクリップ形式の教材に集約すること についても予備的な検討を行った。 第3に、災害エスノグラフィーの集約版テキストを利用した、災害対応訓練ワークショ ップについても予備的な検討を行った。 (d) 結論ならびに今後の課題 1)災害対応の当事者に対するインタビュー調査から、災害対応に関する現場の知恵(暗 黙知)が結晶した災害エスノグラフィーを作成した。 2)上記 1)の内容は非常に多岐にわたるが、その根幹部分を、災害対応従事者が、意志決 定・対応行動・資源配分などの諸側面において直面するジレンマ事態として整理し、カー ドゲーム教材を開発した。 3)災害エスノグラフィーを生かすための手法として、ゲーミング、ビデオクリップ型の 教材、ワークショップ技法の開発などが有効であることが示唆された。 4)今後の課題として、第 1 に、本年度作成した災害エスノグラフィーは、多様な領域に わたるが、なお、その内容は限定されている。今後は、より多様な側面を反映させたテー マを設定しインタビューを継続する必要がある。 5)第 2 の課題として、カードゲーム教材の充実、ビデオクリップ型の教材の開発、さら 509 に、膨大なエスノグラフィーを集約的に表現する諸変数の同定作業については、検討をさ らに進展させる必要がある。 (e) 引用文献 なし (f) 成果の論文発表・口頭発表等 1)論文発表 著者 題名 発表先 発表年月 日 Katsuya Yamori 矢守克也 The way people recall and narrate their traumatic experiences of a disaster: An action research on a voluntary group of story-tellers. (In) Y.Kashima, Y. Endo, 平成 17 年 E.Kashima, C. Leung, & J. McClure (eds.), Progress in 10 月 Asian Social Psychology (Vol.4). pp.183-199 Seoul: Kyoyook-kwahak-sa. 〈生活防災〉のすすめ-防災 ナカニシヤ出版 心理学研究ノート- 矢守克也 11 月 防災教育のための新しい視点 -実践共同体の再編- 平成 17 年 自然災害科学, 24, 4. 344-350 特集 平成 18 年 3月 「防災教育のフロンティア」 2)口頭発表、その他 (口頭発表、研修・講演) 発表者 題名 発表先、主催、発表場所 発表年月 日 矢守克也 エスノグラフィって何? 人形峠50周年:高校生の視点 平成 17 年 によるエスノグラフィの試み, 4 月 26 日 岡山県立津山高等学校 矢守克也 矢守克也 災害対応能力の向上ワーク 平成 17 年度春期災害対策専門 平成 17 年 ショップ-防災ゲーム「クロ 研修マネジメントコース,人と 6 月 16 日 スロード」を通して- 防災未来センター 危機意識の向上のための諸 平成 17 年度小田原市政策課題 平成 17 年 方策 研修「危機管理」 7 月 15 日 510 矢守克也 矢守克也 対応能力の向上ワークショ 平成 17 年度秋期災害対策専門 平成 17 年 ップ-防災ゲーム「クロスロ 研修マネジメントコース,人と 10 月 17 日 ード」を通して- 防災未来センター 災害時対応 全国市町村国際文化研修所平 平成 17 年 成 17 年度国際総合 B コース講 10 月 31 日 義,全国市町村国際文化研修所 矢守克也 矢守克也 防災心理学 奈良県消防学校研修会 奈良 平成 17 年 県消防学校 11 月 2 日 防災教育の新しいかたち- 第 24 回日本自然災害学会, 東 平成 17 年 4つのキーワードとともに 北大学 11 月 17 日 和歌山大学・和歌山県「紀の国 平成 17 年 防災人づくり塾」,和歌山大学 11 月 27 日 - 矢守克也 避難所運営 紀南サテライト 矢守克也 山科区市民防災会議:防災ゲ 京都市生涯学習総合センター ームで学ぶ地域自主防災 矢守克也 矢守克也 平成 17 年 12 月 11 日 防災ゲームで学ぶ阪神・淡路 滋賀県防災講演会 大津市ピ 平成 18 年 大震災の教訓 アザ淡海ピアザホール 1 月 19 日 クロスロード実習 橿原市災害ボランティアコー 平成 18 年 ディネーター養成講座 橿原 1 月 23 日 朝日放送「おはようコール」 平成 17 市社会福祉協議会 (新聞、テレビ等) 矢守克也 「防災ゲーム」 年5月9 日 矢守克也 読売ゲーブルテレビ「ニュース・ 平成 17 「カードゲームで減災力」 ザ・KANSAI」 年7月4 日 矢守克也 「シミュレーションで災害に NHK テレビ「ニュースおはよう 平成 17 備える」 ニッポン」 年9月9 日 矢守克也 「ゲームで学ぶ危機管理意 神静民報 平成 17 識:小田原市消防本部で幼年防 年8月 災研修」 20 日 511 矢守克也 矢守克也 「県職員地震時の判断訓練:阪 読売新聞高知版 平成 17 神の経験素にした教材活用 年 10 月 中村」 30 日 「楽しく学ぶ防災教育」 NHK テレビ「おはよう日本(ま 平成 18 ちかど情報室)」 年1月 16 日 矢守克也 NHK テレビ(ニュース関西1番) 平成 18 「ゲームで震災の教訓を伝え 年1月 る」 17 日 矢守克也 矢守克也 「防災ゲーム使った講演会」 「災害対応:ゲームで学ぶ」 びわこ放送テレビ「ニュース&県 平成 18 民情報」、同「県政テレビ夕刊プ 年1月 ラスワン」 19 日 NHK テレビ(大津放送局)「夕 平成 18 方ニュース」 年1月 19 日 矢守克也 「災害への対応 ゲームで学 読売新聞 平成 18 年1月 ぶ」 20 日 (g) 特許出願、ソフトウエア開発、仕様・標準等の策定 1)特許出願 なし 2)ソフトウエア開発 なし 3) 仕様・標準等の策定 なし (3) 平成 18年度業務計画案 さらに、新しいテーマを設定し、神戸市震災バンクに登録した方々から、インタビュー 対象者を選定する。予定テーマは、 ・地域経済(地場産業)の復興 ・観光振興 ・まちづくり、再開発 ・広域的な連携 ・区役所での対応(平成 17 年度の継続) など、である。 また、これまでのインタビューは、災害対応に関わる主要テーマ(課題)ごとに展開し てきたが、今後は、地域ごとにテーマ横断的に実施することも考慮する。すなわち、特定 の区(地域)から、さまざまなテーマに関わるインタビュー対象者を複数選定するといっ 512 たインタビュー形式である。さらに、同じテーマについて、異なる立場・部局から災害対 応にあたった者を対象として、災害対応の実態を複眼的に再現することをも試みる。 昨年度までと同様、グループインタビュー調査を実施した後、インタビュー結果は映像 記録、文字情報として整理するとともに、当時使用した様々な帳票類やマニュアル、作業 メモ等の提供を受け、記録として残し、災害エスノグラフィーとして集約する。調査内容 は、災害対応を実施するにあたり、①その時何がおき、どう対処したのか、②何に困った のか、③どうすれば解決できたのかという点について、対象者が体験してきた災害対応の 過程の詳細な事実を明らかにする。すなわち、災害対応従事者が現場で獲得した現場の知 恵(暗黙知)を明らかにすることに主眼をおく。 さらに、16~17 年度、予備的な検討を実施したビデオクリップ型教材の開発については、 本年度、本格版(プロトタイプ)を製作する。この際、長時間に及ぶインタビュー映像を 縮約・編集するための基本方針を策定し、あわせて、インタビュー本体とその他の諸資料 (映像、音声、図表、写真など)とを組み合わせた方式についても、その可能性をさぐる。 さらに、16~17 年度に開発し一般頒布したカードゲーム教材については、その内容をさら に拡充するとともに、ビデオクリップ型教材と併用した教育・訓練技法の可能性について も検討する。 これらのツールの開発によって、従来、その活用方法に難点のあった、災害エスノグラ フィーを、今後の災害対応教育・訓練に有効に活用するための方途が得られることが期待 される。 513
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