「一方通行」の授業を極める 「戦争と平和の諸問題」担当 きむ 金 そん ほ 成浩(法文学部) 授業をどのようにすれば学生の関心を引きつけながら行えるのか、本当に頭の痛い問題 で試行錯誤の連続である。いまだに苦労しているのに、何か書かなければならないので、 自分なりに考えてきたことについて思いつくまま述べてみたい。教育メソッドの専門家で もないので、まったくの独断的であることは最初にお断りしておきたい。以下は、共通教 育科目(社会系)「戦争と平和の諸問題」という授業を行うにあたり、自分なりに考えてき たことである。 講義のスタイル 最近、テレビによく出ているハーバード大の M・サンデル教授の授業を見て、こういう スタイルの授業もあるのかと、目から鱗であった。学生の意見をうまく引き出しながら、 出た意見を比較対照させ自分の意見もはさみながら授業を進めている。テレビで見ていて もとにかく飽きさせないし、学生自身も授業を受けながらかなり考えさせられているのが わかる。こんな「双方向」の授業をもちろんやってみたいが(一応、政治国際関係専攻の 専門科目の授業では似たような感じの試みはおこなっているものの) 、共通教育科目でこれ をやるには結構な技術がいるだろう。到底、自分にはこんな授業をやる技量はない。なに せ、いろんな専門の学生が集まっている授業では、これをやるにはなかなか難しいし、も ともと日本の学生は恥かしがって他人と違う意見を堂々と述べるという感じにはなりにく いということもある。 そのため、共通教育科目である「戦争と平和の諸問題」の授業スタイルは、伝統型(?) ともいえる「一方通行」と決めた。このスタイルでどこまで学生を寝かせないようにでき るか。とにかく、このスタイルでの勝負だと割り切り授業に臨むことにした。さらに出席 もとらないことにした。この授業は、百数十名の受講者がいるので毎回出席をチェックす るというのが大変という理由もあるが、出席をとらないでもどれだけ学生が出席してくれ るかを試したいという気持ちもある。 講義を「一方通行」と決めた以上は、あとは授業の完成度をあげるしかない。そのため には、やはり細かい配慮をしていくことが必要だ。 テキスト 先日、沖縄で日本平和学会の沖縄地区研究会旗揚げのシンポジウムがあった。テーマは、 大学での「平和学」の授業はどのようなものか。もともと、平和への関心の強い沖縄で、 -82- このテーマが今更ながらまだ論じられていること自体、平和学なるものを教えるのがいか に困難なことなのかの証左でもあった。平和学関連のテキストを見ても体系だったものは 少ない。教員が各自の興味に応じて執筆した論文の寄せ集めだったりするものが多く、な かなか平和学なるものを論じた優れたテキストがない。 それでも、使えそうなものとしては、国際関係論分野のテキストでもあるジョセフ・ナ イの『国際紛争』(有斐閣)だろう。この本は簡単に言ってしまえば「なぜ戦争が起きるの か?」について、過去の戦争の歴史(それこそアテネ対スパルタのペロポネソス戦争や、 第1次・第2次世界大戦、冷戦等)などの事例を取り上げ、戦争の原因を国際関係論の理 論的パラダイム(分析枠組み)も使用して分析した本である。もちろん、これがベストの 選択ではないと思うが、少なくとも、学生の評判は良いようである。この本は結構多くの 大学でもテキストとして採択されているようで、同書は加筆を加えながらすでに第8版ま で修正をおこないつつ版を重ねている。現代の国際関係は常に変転しているわけで、少し 時間が経つと時代遅れなテキストになりやすいが、こうして加筆修正してくれると大変あ りがたい。 授業は教科書(テキスト)になるべく沿いながら行なうようにしている。テキストをま ったく使わず参考資料だけで済ませていく方法もあるが、学生が家で気が向いた時や期末 試験の時に復習しながら読める物がある方が良いに越したことはない。 また、授業の初めに、今日は何ページから何ページまでの部分の講義であると黒板に明 記して進めていっている。簡単なことだが、意外とこれだけでもテキストのどの辺を勉強 しているかかが明確になるし、ひょっとしたら後で気が向いたらテキストを読んでくれる かもしれない。割と、こういったちょっとした配慮は重要なのかもしれない。 さらに、これもちょっとしたことだが、前回は「こんなことをやったよ」という感じの ワンポイントの復習から入るようにしている。前回の授業を欠席した学生もおそらく1- 2割程度はいると想定して、授業の最初に簡単に前回の内容を説明している。これは前回 の記憶を再起させる効果もあるだろう。しかし、あまりくどくど細かく説明すると、学生 アンケートで、「授業の導入部で前回の授業の説明が多すぎるように思う」という声が上が っていたこともあった。たしかに、まじめに勉強している学生からするとそう見えると思 うので、それ以来、あまり復習には時間を取らないようにしているが、それでも最初の5 分くらいは前回の復習になるべく当てるようにしている。 板書かパワーポイントか ある学生からこんな話を聞いたことがある。「パワーポイントよりも板書にしてほしい」 と。なぜかと尋ねたら、パワーポイントはスピードが速くて考える間を与えてくれないと いうのが、その理由であった。 最近のトレンドは確かにパワーポイントであるし、これを一度作成してしまえば、講義 -83- する側としても便利このうえない。当然ながら字も見やすいし、きれいに加工された画面 に表などを挿入したり画像や映像を撮り入れることができるので、イメージが具体的につ かみやすい利点がある。 しかし、企業が新商品のプレゼンなどをする時には確かに有効であろうが、教室での授 業でパワーポイントを使うのは、実はあまり望ましくないのではないかと個人的には思っ ている。パワーポイントでは、学生は画面を見るだけで自分の手で書いて確認する作業と 時間がない。そのため、あまり心に残らなくなる。また、講義する側も自然とペースが速 くなる。学生に考えてもらうということを中心にすると、なるべくパワーポイントの使用 は補助的にとどめておいて、それをメインに使用しない方が良いと思っているが、みなさ んはどのように思われているのだろうか。 パワーポイントをあまり使用しないとなると、結局、板書の技術が要求されてくる。板 書レイアウトも含めた講義案は必要になるし、板書時に丁寧に字を書くことも要求される。 板書の色を変えるなどしっかり丁寧に書くようにやっているつもりだが、何分、どんどん 字が雑になってくるのは自分の課題で、授業後に学生から「これはどういう字ですか?」 と質問を受けるたびに反省している。 話すスピードも重要である。まして、専門的な話を聞かされる学生の立場からいうと、 やはり、話すスピードは遅い方がよい。実はこれも自分の課題で、講義に熱が入ってくる と話すスピードが早くなっているらしい(結構自分ではわからない) 。一度、自分の講義を ビデオで撮影して見てみるといいのだが、おそらく自分のイメージ以上に口調が早いと思 う。こちらが思った以上に、遅い感じで話してちょうどいいぐらいかもしれない。 副教材 副教材は「飛び道具」としては、結構重要だと思っている。授業と関連したテーマに合 わせて新聞などの記事をコピーして配るようにしている。資料を配付すると、その瞬間、 学生の姿勢が前向きに変わる感じを受けるのは気のせいなのだろうか。この種の授業では、 テキスト通り寄り道せずに進めるのはあまり面白くないし、かといって、あまり離れてし まっても意味がない。「つかず離れず」の感覚で、学生がテキストを自力で読むとおそらく ここがわからないだろうという部分をなるべく丁寧に話すようにしている。 視聴覚教材はもちろん内容もそうだが、これを見せる時間は多すぎても少なすぎてもだ めで、90分という全体的な授業時間とのバランスが重要のように思う。学生の集中力か らして時間的には30分前後が望ましいように思うが、こんなにこちらの都合に合うよう にまとめられた視聴覚教材は少ない。しかし、 「戦争と平和の諸問題」という内容であれば、 幸い視聴覚教材にはことかかない。NHKのBS1などでは、優れた教材になるドキュメ ンタリーは豊富だ。この授業を履修した韓国からの留学生は、日本のNHKの番組制作力 に感嘆していた。韓国にもKBSという国営放送があるが、ここまでの優れた番組は少な -84- いと話していた。別にNHKの肩を持つつもりないが、おそらくドキュメンタリーの完成 度は世界でも指折りだとは思う。新聞も重要な副教材になる。新報やタイムズのみならず、 日本語版の『News Week』や全国紙などでは、授業に使える記事や論考が多々ある。これ らの副教材を集めるのには、自分のアンテナが高くないといけないし結構労力も取られる が、いい授業をするためだと思って一生懸命集めるようにしている。 結局何が重要なのか? 大学の授業内容は高度なレベルなので、講義も難解で仕方ないと開き直れる時代ではな くなった。自分も大学の授業を受けてきたが、振り返れば、なんと「わからない」授業が 多かったことだろうか。その時は自分の理解力が足りないからだと謙虚に(?)受け止め てきたが、今になって思えば、教員の講義がヘタだったのである。 共通教育は1~2年生が受講生の主体なので、ある意味で高校生とそんなに理解できる 内容の差はないと思ってちょうどいい位だろう。たくさんの平易な例を示して説明を補足 してあげる。時折は、学生の顔をしっかり見て反応を探りながら進行する。反応が鈍そう なら繰り返し話すか、別の例を入れて理解度上げるようにする。決して早くしゃべらない。 答えがなくても発問する(学生は結構その間、はっとして考える)。発問しても、大教室で 声を出して答える学生は稀なので、発問してから自分で答えを言うまではしばらくの「間」 を取る等々・・・。できれば時々ジョークも交える(これが一番難しいかも知れない)。「一方 通行」の授業で、わからせる工夫がなければ、本当に袋小路に入ってしまう。 結局、何が重要なのか?一つだけ挙げろと言われれば、「わかりやすさ」なのだと思う。 -85-
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