宗教哲学というお仕事 ―― 始まりを始め直すために

佐藤啓介
宗教哲学というお仕事
―― 始まりを始め直すために
◇問題設定
・近年、様々な分野で活発な「メタ−ディシプリン的」研究(例:メタヒストリー)
単なる研究史や学説史ではなく、そのディシプリン――「学科」であると同時に「規律的
訓練」――自体の成立根拠と成立過程を自己批判的に問い直す
、、、
、、、、
→その背景=「西欧近代」という特殊な時代背景において、その学問が超歴史的
、、、、、、、
で普遍的な規範であるかの如く構築されたことへの反省
→「西欧近代」を規範として(=二重の規範)輸入・成立した和製学問
・宗教学のメタ・ディシプリン的研究=「宗教批判」から/かつ「宗教学批判」へ
渡辺学, 「宗教起源論と宗教学の起源」『岩波講座 宗教 2――宗教への視座』, 岩波書店, 2004.
磯前順一, 「宗教概念および宗教学の成立をめぐる研究概況――欧米と日本の研究のリ・ロケーショ
ン」『現代思想』第 28 巻第 9 号, 2000.1
ラッセル・T・マッカチオン, 「「宗教」カテゴリーをめぐる近年の議論――その批判的俯瞰」
『現代
思想』第 28 巻第 9 号, 2000.
Jonathan Z. Smith, Imagining Religion: From Babylon to Jonestone, The Univ. of Chicago Press, 1982.
――, “Religion, Religions, Religious” Critical Terms for Religious Studies (ed. by Mark C. Taylor), The
Univ. of Chicago Press, 1998.
人間、いや、もっと正確にいえば西洋人が宗教を想像(imagine)したのは、ほんのここ 2∼3 世紀のこ
とである。誰であれ宗教研究者の中心的な関心とならねばならないのは、まさにこの第二度の、反省的
な想像行為なのである。……宗教とは単に、学者の研究の産物にすぎない。宗教は、学者の分析的目的
のために、比較と一般化という想像活動によって産出されたのである。宗教は、アカデミズムから離れ
た独立の実在など持っていない。こうしたわけで、宗教研究者、特に宗教史家は、徹底して自己意識的
にならねばならないのである。まさに、この自己意識こそが、研究者の第一の専門分野、特権的な研究
対象を構成するのである。2
「宗教」とは決して素朴な術語ではない。それは、知的目的のために研究者によって産出された術語で
あり、それゆえ、定義されるべき彼ら彼女ら自身のものなのである。それは、言語学において「言語」
という語が、人類学において「文化」という語が果たすのと同様の、ディシプリンの地平を形成する役
割を果たしている第二度の類概念なのである。そうした地平がなければ、ディシプリン化した/規律化
した宗教研究などありえないのだ。3
一九九〇年代後半になると、西洋における言語論的転回以後の宗教的言説批判の動きをうけて、日本の
磯前氏には、さらに姉崎をはじめとする日本宗教学(=東京帝国大学宗教学研究室)の系譜を考察した包括
的な著作もある。『近代日本の宗教言説とその系譜――宗教・国家・神道』, 岩波書店, 2003.
2 Smith 1982, p. xi.
3 Smith 1998, pp. 282-283.
1
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近代化の流れのなかで宗教概念および宗教学が出現してくる過程を歴史的に対象化しようとする試み
があらわれる。……これらの研究につうじる特徴としては、非西洋たる日本と西洋文明の関わり、ある
いは天皇制を軸とする国家神道との関係性のなかで、宗教概念および宗教学の問題を捉えようとする傾
向がみられることである。4
、、
・翻って、「わが国」の宗教哲学(特に、キリスト教系のそれ)はどうか?
石田慶和, 『日本の宗教哲学』, 創文社, 1994.
細谷昌志(編), 『シリーズ・近代日本の知 第 5 巻
「根拠」への探究――近代日本の宗教思想の
山並み』, 晃洋書房, 2000.
→総じてメタディシプリン的観点は弱く、禅仏教系に偏る(さらに、キリスト教
系のそれがあったとしても、内村、植村ら「信心深い」信仰者の言説分析)5
・この「宗教哲学批判」(ないし、メタ宗教哲学)の作業を進める上で、(かなり退屈な面もある
が)参考となる 1 冊を以下で紹介
Jean Greisch, Le buisson ardent et les lumières de la raison: L’invention de la philosophie de la
religion: tome 1: Héritages et héritiers du XIXe siècle, Cerf, 2002.
(esp. “Introduction générale“ pp. 11-69)
ジャン・グレーシュ『燃える柴と理性の光――宗教哲学の発明』第 1 巻:19 世紀の遺産と相続者たち
◇著者グレーシュ(1942- )について
・ルクセンブルクのケーリッヒ生まれ。ルクセンブルクおよびインスブルックで学ぶ(ラーナー
の講義にも出たらしい)。その後、パリカトリック学院を修了、現在、同学院哲学教授、CNRS
共同研究員
・現在のフランスを代表する思想史家。フランスではかなり早い段階から、解釈学的哲学の研究
を推進。ドイツ観念論以降のドイツ哲学にも造詣が深い。宗教哲学に対する関心も際立っている。
主な著書には『解釈学とグラマトロジー』(1977)、『理性の解釈学的時代』(1985)、『存在論と時
間性』
(1994)
、『解釈学的コギト』(2000)、『ポール・リクール』
(2001)など。
・彼の還暦(フランスでもそう言うのかは不明)を記念した論文集も出ている。執筆陣は、リク
ール、マリオンなど、なかなか豪華
Philippe Capelle et al. (éd.), Le souci du passage: Mélanges offerts à Jean Greisch, Cerf, 2004.
◇『燃える柴と理性の光――宗教哲学の発明』
・
「宗教を考える」営みとして 18 世紀末に初めて成立したディシプリン「宗教哲学(philosophie
de la religion)」の系譜学をなすこと(*膨大になるので、目次は巻末に挙げる)
4
5
磯前 2000, pp. 237-238.
最も欠如していると思われるのは、日本におけるキリスト教系宗教哲学の開祖・波多野精一についての研究
である。私自身、現在、密かに研究を進めている。
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今日私たちが慣習的に「宗教哲学」と呼んでいるディシプリンの誕生は、18 世紀の最後の 20 年に遡る。
この時代は、カントの批判主義と歴史哲学とが開花した時代でもあった。宗教哲学の誕生は、有名な多
くの哲学的論争をその背景としていた。6
宗教哲学の誕生の日付は、フィヒテに対する無神論論争が勃発していたのと時を同じくして、若き F. E.
D. シュライエルマッハーが匿名でベルリンにて『宗教論』を刊行した 1799 年である。7
ex. 汎神論論争(ヤコービー vs レッシングのスピノザ主義)、無神論論争 etc.
*グレーシュの目には、同時に「解釈学的理性の時代」の始まりとも映っている
◇現在まで残る宗教哲学の曖昧さ
1. 神学とどう違うのか?
神学者は宗教哲学を、神学の弁証論のための基礎作業にする
2. 宗教学とどう違うのか?
宗教哲学とは、形而上学が経験科学としての宗教学に取って代わられる間の移行期間に登
場する、暫定的な学にすぎないのではないか?
3. 哲学とどう違うのか?
哲学の中で、宗教哲学はどのような対象、目的、認識論的特徴、場所を占めているのか?
(特に、形而上学と道徳に関して)また、宗教哲学は、哲学の中の最上位を占めるのか、
それとも「応用哲学」の一部門なのか?
・pp. 14∼23 にわたって「宗教」という語の来歴、および啓蒙期に頂点を極める「自然宗教」の概
念を巡るキケロ∼アベラール∼クザーヌス∼ボダン∼ヒュームの思想史が描かれる
この問題[どのような条件の下で、人間社会の中に自然宗教が形成されるのか]に面して、私は自然宗
教の広大な現場から離れ、いわゆる宗教哲学の現場に足を運ぶとしたい。「哲学的ではない何かについ
て、非哲学的な仕方でそれを拒否したり改革したりするよりは、それを哲学的な仕方で解釈するほうが
よい」。このレッシングの言葉は……今またがねばならない境界線を、非常によく特徴付けているよう
に思われる。8
・グレーシュの戦略=宗教哲学を近隣の学問態度と比較することで、その特徴を浮き上がらせる
宗教哲学(philosophie de la religion)
哲学的神学(théologie philosophique)
宗教的哲学(philosophie religieuse)
◇哲学的神学
・必ずしも、いわゆる学部・学科としての「神学」に限定される概念ではない
哲学的神学とは、哲学そのものと同じくらい古い、実践的な哲学的ディシプリンである。正しいか正し
くないかはともかく、哲学者の大半は、存在者の全体性の理解に至ろうという自分たちの欲望が、神的
6
7
8
p. 11.
p. 73
p. 23.
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なもの、theion を避けては通れないと考えていた。9
ex. 神の存在論証、神が観念に到来する仕方(レヴィナス)
、概念的偶像(マリオン)
ヘラクレイトスからスピノザに至るまで、哲学的神学の固有性はこのように……実在する宗教的実践や
信仰から距離をとり、その名に値する神的な神へ至る文字通り哲学的な通路を模索することだった。10
・哲学的神学の主要テーマ
形而上学の運命と緊密につながりながら、哲学的神学は次のような問いを探求してきた。神の実在を認
識するための合理的な方法への問い。神の名への問い。神の知解可能性への問い。神観念そのものの定
義に関する問い。最後に、神の有神論的観念と世界における悪との両立可能性に関する問い。11
・哲学的神学の展開
1.
神の実在論証が始まった草創期
2.
近代における古典期(神義論をはじめとする神の諸属性を問うた時代)
3.
ニーチェ以降の現代(
「神はどこへ行くのか?」を問う)
◇宗教哲学の誕生
今日宗教哲学と呼ばれているものは、比較的最近のディシプリンであり、「自然宗教」という曖昧な概
念をその重力の中心点としていた「自然神学」を構築しようという(挫折した)様々な企てから生まれ
てきたものである。12
・宗教哲学という「語」の誕生
→ヴォルフ学派の哲学者 Sigismund von Storchenau(1731-97)が、1772 年に Philosophie der
Religion を出版(その後、増補を重ね、1791 年 Seltenere Urkunden aus dem inneren Archive
der Religionsphilosophie に結実)
*ただし、内容的には自然神学
→内容を伴う「宗教哲学」の登場は、Karl Reinhold の「カント哲学への手紙」
(1786-1787)
を待つことになる
・宗教哲学のメルクマール
こうした歴史的データによって、私たちは次のような哲学的探求のオリジナリティをより良く描くこと
できる。それは、神の観念に直接焦点を当てるのではなく、その代わりに宗教の全体性において「宗教
を考える(penser la religion)」ことに専念するような探求である。考えるべきもの、それは実定的で、
現に実在する諸宗教なのである。13
・宗教哲学が思惟する対象=宗教全体
1.
宗教を支える精神的態度
2.
宗教を特徴付けている意識の状態や度合い
3.
儀礼にまつわる諸要素
4.
制度的組織や、宗教的権力の行使
p. 26
p. 27.
11 p. 29.
12 p. 31.
13 pp. 31-32.
9
10
(4)
佐藤啓介
・グレーシュの考える宗教哲学の課題
宗教哲学は、宗教をその現われの全体性において思惟することを課題とする。そして、そのことは宗教
、、、、、、、、、、、、
哲学に以下のことを課すことになる。1. [宗教の]部分全体から宗教についての哲学的概念を組み立て
、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
るのではなく、実定的宗教の意味を解明すること。2. 宗教の個人的・集団的経験、儀礼、信仰、精神的
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
、、、、、
態度、さらには宗教が生み出す心的・言説的カテゴリーの総体を分析すること。3. しかも、諸宗教の歴
、
、、、、、、
史という所与を考慮に入れながら。この歴史的所与を、より一般的な反省を通して、一般史の意味(sens
de l’histoire universelle)へと統合することが重要である。14
・宗教哲学の具体的な問題
1.
宗教の本質
2.
実定的な諸宗教の多数性と歴史的継起が持つ意味
3.
各宗教の持つ真理の内容の定義
4.
絶対的宗教という仮説の探求
◇宗教的哲学
・宗教的哲学という語
→Henry Duméry が Critique et religion(1957)で使用
私たちが描いたばかりの宗教哲学という足取りのすぐそばに、宗教的経験についてのもう一つの哲学的
アプローチを思い描くことができる。そこでは、個人的な信仰というパラメーターが、はっきりと重視
されている。そして、一方において私たちは、方法にまつわる諸理由から、特定の宗教的信仰を擁護す
るような未熟な立場をとることを禁じる哲学的態度を持つ。だが他方で、自分達をそのような信仰へ参
加させている理由を、自分達の信仰の内部自体から哲学的に解明しようとする思想家たち、言いかえれ
ばこの参加の「文法」を哲学的に記述しようとする思想家たちがいる。こうしたケースにおいて、宗教
的哲学について語りうるのである。15
宗教的哲学の一例=アウグスティヌス、パスカル、キルケゴール、ブロンデル
cf. 宗教哲学=自らの宗教的確信(および確信の不在)をカッコに入れる
・無論、宗教哲学と宗教的哲学の境界は曖昧である
→その根源的理由:
「哲学的営為は、非哲学的なものを捉え直すという条件の下
でのみ成立する」から
・宗教的哲学=一種の弁証論の様相を帯びる
*評者の見解:日本(ないし京都)でいう宗教哲学=宗教哲学と宗教的哲学の間
宗教哲学は、宗教の本質を哲学的に解明することを目指す学問分野である。……こうした宗教哲学の立
場については色々考えられるが、ここでは、一応三つの立場を区別しておきたい。第一の立場は、宗教
をあくまで研究対象として理解し把握することにとどまろうとする立場である。……第二のものは、宗
教そのものに何等かの意味で関与しつつ宗教の本質を明かにしようとする立場である。……さらに第三
のものとして、宗教への直接的な関与を前提としつつ、しかも同時に批判的な理性の立場を媒介して宗
14
15
p. 33.
pp. 34-35.
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教の本質理解を試みようとする立場が考えられる。……日本の宗教哲学には、共通にそうした態度を見
ることができよう。16
→なお、評者自身の宗教哲学の定義は、「宗教への関与を前提とせず、宗教の本質を捉え
るのではなく、従来宗教の領域で考えられてきた経験を、宗教の言葉を用いずに哲学的に
捉え直す営み」であり、石田の第三類型とも異なるのだが、ここでの追求は控える
◇3 類型の現代的応用
・存在-神-論の問題
→「それを前に、祈ることも、犠牲を捧げることもできない」自己原因としての神
形而上学の存在-神-論的様態の問題系にまつわる諸問題がどれほど重要なものであろうと、それらの問
題はまず第一に哲学的神学に関わり、そしてせいぜい間接的にのみ、宗教哲学に関わる。17
→それに触発されたレヴィナス、マリオン、フランクらの問いも、厳密な意味での宗教哲
学には属さない
・脱魔術化された世界=世俗化の問題
*ここでの世俗化の焦点=キリスト教が宗教の政治史において単独の座を占めたこと
→宗教哲学は、世俗化した世界の中で、諸宗教の歴史的生成とその後の進展につい
て、解釈しなければならない
→それ以上に重要なこと=世俗化は、宗教哲学が考察すべき主題であると同時に、
宗教哲学が世俗化の産物であるという事実
・スピリチュアルな経験
例えば、プラトンやアリストテレスの神思想の背景にさえ、スピリチュアルな経験を見出
しうる
→宗教哲学にしてもまた然り
→だからといって、宗教哲学と哲学的神学の差が消えてしまうわけではない
争点は、スピリチュアルな経験の可能性そのものに関わるのではなく、その経験を体験し、それを認識
するのが哲学においてなのか、神学においてなのかというその仕方の差に関わるのである。18
→突き詰めれば、経験そのものが違う
1.
哲学を支えている(本来的に)スピリチュアルな経験
2.
神学的・宗教的・神秘的規定の中で経験されるスピリチュアルな経験
→スピリチュアルな経験も、それが研究対象である限り、宗教哲学の中立性が当てはまる
宗教哲学の形式的な研究対象、それは、それが激しく体験されたのか否か、本来的に体験されたのか病
理的に体験されたのか否かを問わず、非常に多様な歴史的アクセントを伴って宗教的意識によって体験
されたスピリチュアルな経験である。19
→さらには、経験の主体自体も問う=宗教的自己の解釈学(リクール)
16
17
18
19
石田, 『日本の宗教哲学』, pp. 3-4.
p. 38.
p. 42.
p. 43.
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◇宗教哲学の発生の諸コンテクスト
・思想史的コンテクスト=形而上学と神学と宗教の関係の変化
1.
アリストテレスの時代=神学はまだ直接形而上学とつながっていた
2.
ヴォルフの時代=神学は、形而上学の個別三部門の一つに成り下がった
→自然神学という語が発生し、また、神学が形而上学から自律していった
→自律した神学は、実定的宗教も考察の対象へと取り込んでいった
→18 世紀末における宗教哲学の発生の基盤を形成
・啓蒙という文化的背景(Heinrich Lübbe, Religion nach der Aufklärung, 1986 に依拠)
→啓蒙によって、社会における宗教の位置付けが変化したことで、宗教哲学が発生
1.
科学と宗教の分離
→ただし、科学 vs 宗教の枠組みには必ずしも限定されない
2.
政治と宗教の分離
→信教の自由、宗教的寛容の成立
3.
世俗化の影響
→「世俗化=宗教の消滅」ではない
あたかも世俗化とは、宗教的諸制度が近代社会の中で全体的になろうとするのを防ぐ、必要不
可欠の条件のようなものである。20
4.
歴史意識の成立と歴史哲学の誕生
「歴史について思弁的に思惟することは可能か?」という問いは、「宗教について哲学的に思惟
することは可能か? 宗教の絶対性要求に意味を与えることは可能か?」という問いによって二
重化されるのである21
→宗教の絶対性要求からすれば、歴史意識は致命的にも思えるが、他方で、宗教の内
部にも歴史意識は内包されている
近代は、宗教的意識に対して、自らを生み出した歴史を通して自己理解するよう課す22
・リュッベに対するグレーシュの評価
リュッベの問題系全体は、宗教を理解するためには、近代社会との相互作用の中で分析する必要がある
という確信によって導かれている23
→ルーマン流の機能分析によって、社会における宗教の機能を分析する
このように理解された宗教哲学は、「理性の宗教」を構築する(construire une «religion de la raison»)
ことをもはや課題とはせず、単に「宗教の理由」を理解する(comprendre une «raison de la religion»)
ことを目指すのである。24
→しかし、機能分析だけで宗教を理解したことになるのか? 還元主義ではないのか?
◇19 世紀以降の宗教学-哲学-神学のトライアングル
・19 世紀における宗教学の誕生
20
21
22
23
24
p. 49.
p. 50.
p. 51.
p. 52.
p. 52
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それ以降、時に意志に反することもあれ、宗教哲学は次の間で交わされる困難な「三重の対話」を強い
られることになる。まず、宗教の本質を構築しようという思弁的・概念的努力[=哲学]。次に、科学
的精神が宗教的事実の実定性についてその側なりに展開させた言説[=宗教学]。最後に、宗教的主体
が自らの経験についておこなった言述[=宗教的哲学]ならびに、宗教的態度によって生まれた諸カテ
ゴリーを規定することにそこそこ成功している神学的努力[=神学]。この三者の間の対話である。25
→この対話が成功する条件としての「説明と理解の弁証法」
(リクール)
◇哲学的理性が宗教的信仰に対して取る態度の三類型
・最近の宗教哲学のテーマとなりつつある主題
→哲学が実存についての宗教的解釈に対してどのような態度を取るかという「メタ理論
的」研究(Dominique Dubarle)
1.
哲学万能優位主義=哲学に分からないものはない、故に、宗教も疎遠ではない
→古代ギリシャに代表される
2.
神学のはしために満足できなかった哲学が、宗教という「他性」を前にして、「宗教
の自己理解以上に、宗教を理解する」態度(→宗教哲学へ連なっていく)
→2 の極まりとしてのカント
カントが古い自然神学および、存在-神-論という種類の下での自然神学の形而上学的根差しの
破壊者であったと同時に、「単なる理性の限界内における宗教」という問題の先駆者だったと
いう事実は、宗教哲学が到来するための時期が熟していたことを示している。最終的に、彼の
この突破が、宗教哲学の最も影響あるパラダイムの練成に寄与したと評価せねばなるまい。26
3.
宗教哲学が成立したのは良しとするとして、最終審級はどちらの側か?
→理性の限界内で宗教を思惟するのか、宗教の限界内で宗教を思惟するのか
→グレーシュの立場=「相互の他性の承認」
ここにおいて、哲学が信仰に対して取りうる第三の態度の仮説が現われ始める。そこで重要な
のは、二つの他性の相互承認である。要するに、理性が自らの内的多次元性を経験しているた
め、宗教的他性を歓待できるような理性のエコノミーを定義することが重要なのである。この
場合、宗教的他性は、理性にとっては、自己のうちの他者(Autre en soi)の声の諸様態の一
つを示しているのである。27
◇宗教哲学の 5 パラダイム
・宗教哲学史を、単に教理史的ではなく、解釈学的に叙述
私のアプローチは、「発明」という語に由来する曖昧さが強調するように、教理史的よりも解釈学的に
なされるだろう。辿り直されるべきもの、それは[宗教哲学という]ディシプリンの「発見」の歴史で
あるとともに、事柄それ自身の理解を促すに最も適していると思われる問題・概念を新たに「発明する」
25
26
27
p. 54.
pp. 57-58.
p. 59
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佐藤啓介
歴史である。28
・「理念型」に倣って、2 世紀間にわたる宗教哲学を 5 つのパラダイムに分類
1.
思弁的:シュライエルマッハー、ヘーゲル、シェリング、ローゼンツヴァイク、ラーナー
2.
批判的:
1. カント的批判の系譜:カント、コーエン、トレルチ、ティリッヒ、デュメリ
2. 人間学的批判の系譜:フォイエルバッハ、ニーチェ、ブロッホ
3.
現象学的:フッサール、オットー、シェーラー、宗教現象学、フランス現象学
4.
分析的:ジェイムズ、ラムゼイ、エイヤー、ヴィトゲンシュタイン
5.
解釈学的:ディルタイ、ハイデッガー、ガダマー、リクール、パレイゾン
◇参考:総目次
Tome 1
Introduction générale
(今回紹介したのがここ)
1 partie: Le paradigme spéculatif
chap. 1: L’intuition de l’univers et le «sentiment d’absolue dépendance»: F. D. F. Schleiermacher
chap. 2: Religion et savoir absolu: G. W. F. Hegel
chap. 3: L’historicité de l’absolu et l’extase de la raison: F. W. J. Schelling
chap. 4: La Révélation contre le système: Franz Rosenzweig
chap. 5: L’homme à l’écoute du verbe: Karl Rahner
2 partie: Le paradigme critique
I. L’héritage du criticisme kantien
chap. 1: «Que m’est-il permis d’espérer»: «La religion dans les limites de la simple raison»: Emmanuel
Kant
chap. 2: La part de la raison dans la religion: Hermann Cohen
chap. 3: L’«a priori» religieux: Ernst Troeltsch
chap. 4: Religion et culture: La synthèse théonomique: Paul Tillich
chap. 5: Une critique rationnelle de la religion positive: Henry Duméry
II. Les critiques «anthropologiques» de la religion
chap. 1: Les rêves de l’esprit et leur signification anthropologique: Ludwig Feuerbach
chap. 2: L’approche généalogique de la morale et de la religion: Friedrich Nietzsche
chap. 3: La religion de l’utopie humaine: Ernst Bloch
28
p.60
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Tome 2
3 partie: Le paradigme phénoménologique
chap. 1: La richesse des phénomènes et l’unique nécessaire: Edmund Husserl
chap. 2: «Praesens numen»: Le sacré comme phénomène et comme catégorie interprétative: Rudolf Otto
chap. 3: «Ordo amoris»: Le royaume des valuers éternelles et la religion: Max Scheler
chap. 4: Phénoménologie de la religion et sciences religieuses: Vers une conversation triangulaire: Fr.
Heiler, J. Wach, G. Van der Leeuw, M. Eliade
chap. 5: Les nouveaux horizons de la phénoménologie: E. Levinas, J. –L. Chrétien, J. -Y. Lacoste, J. –L.
Marion, M. Henry, D. Janicaud
4 partie: Le paradigme analytique
chap. 1: Aux frontières du dicible et de l’indicible: Le «mystique»: Ludwig Wittgenstein
chap. 2: Le discours religieux à l’épreuve de l’empirisme et du pragmatisme: William James, Alfred
Ayer, Ian Ramsey
chap. 3: Jeux de langage et formes de vie: Le langage religieux au pluriel
Tome 3
5 partie: Ver un paradigme herméneutique
chap. 1: Le partge des voix: La religion comme problème herméneutique
chap. 2: La philosophie de la religion et le problème herméneutique: Une reprise
chap. 3: Trois passeurs: H. Bergson, J. Nabert, K. Jaspers
chap. 4: Quel Dieu peut encore nous sauver?: Le tournant ontologique de l’herméneutique et ses
conséquences: Martin Heidegger
chap. 5: Les arrhes de l’espérance: L’herméneutique de la religion entre la critique et la conviction: Paul
Ricœur
Envoi
Bibliographie
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