園だより6月号(2015)

片瀬のぞみだより(6月号)
日本基督教団片瀬教会付属
片 瀬 の ぞ み 幼 稚 園
家庭通信 2015.No. 9
月主題の聖句
「実に、キリストはわたしたちの平和であります。」
エフェソの信徒への手紙2章14節a
園長
西 田 直 樹
「園だより」4月号でもお示ししましたが年主題は『平和』をつくる、主題聖句は「平和を実
現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイによる福音書5章9節)
です。
そして今月の聖句が「実に、キリストはわたしたちの平和であります。」とありますが、それに
続けて「二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律
ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造
り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって
敵意を滅ぼされました。」とあります。
再度説明させていただきます。「平和とは神とわたしとの関係、わたしと隣人との関係です。
そこに神様の愛が満ちあふれることです。関係を損なう恐れ、不安、争い、罪が解消されて「共
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にあること」が保障されることです。ですから単に戦争のない状態が平和なのではなく、神のご
意志が実現することです。そんな平和をまずわたしたちの足下から実現していきましょう。生き
にくい時代です。そこでしゃがみ込んでしまうわたしたちに神とキリストの平和と恵みは「安心
してもいいよ!」と呼びかけて下さいます。」(4月号)
「敵意という隔ての壁」とありました。エルサレム神殿では「異邦人の庭」「女性・子どもの庭」
「成人男子の庭」とその間は高い壁によって分け隔てられていました。それを乗り越えて侵入し
たら殺されました。
わたしたちが抱く敵意は敵・味方の壁だけでなく、仲間・よそ者、関係者・部外者、同じ思考
形態を持つ者・変わった人、男・女・中性、都会の人・田舎者等々様々な壁が敵意として事実現
存します。
そこには対立はあっても平和はありません。相手の人格を認めず、抹殺し、無視し、批判、
非難のみに走る。それらは関係における平和がないばかりか、その人自身の中に平和が芽生えず、
育たないのです。
戦いを意味づけ、正当化し、是認するために「平和のための戦い」「平和を守るための戦い」と
言います。そこから血で血を洗う戦いがくり返されてきました。そこからは平和は生み出されて
来ませんでした。そのことを痛いほど味わったはずの日本がまた同じ道を辿ろうとしているので
はないかと危惧しています。
キリストは十字架にかかることによって平和を実現してくださいました。泥をかぶり、いのちを
投げ出して敵意を滅ぼしてくださいました。平和は相手を十字架にかけることによって実現する
ことでなく、自分(自分たち)が十字架につくことによって実現することなのです。武器を捨て、
敵を愛し、敵のために祈り、十字架につくことによって実現する平和です。人はそれは甘い、理
想主義者だ、と言います。そして対立構造を煽り、集団的防衛権を主張します。
子どもの世界において「へいわ」「あんしん」「たのしい」は お互いを認め合い、赦し合い、
カバーし合って作り出しています。違いは違いと認めつつ、それを許容できる心が成長というも
のです。わたしたち大人が子どもたちから学び取らなければならいことはこのことではないで
しょうか。「平和を実現する人々は、幸いである。」「キリストはわたしたちの平和である。」
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